第12話 良き好敵手
ヘリオドール王国があるベリル島は、海にぽつんと浮かぶ大きな島だ。
島の周辺の海は呪いの海と呼ばれ、魔獣が無限に湧いてくる。
この魔獣は陸地に上がると、森や山に棲み着き数を増やす。そして、人を襲って殺す。
魔獣は様々な形をしているが、ほとんどが醜悪な獣の姿である。眠りはするがものを食べる事はなく、殺したり捕まえたりすると霞のように消えてしまうため、その生態は謎に包まれている。
人間が海に近付くと魔獣が集まって来て危険なため、昔から海岸周辺への出入りは禁止されている。
遠く海上には霧が立ち込めていて、その先は見えない。この霧の先には決して進めないとも言われている。
だからこの島に住む人間は皆、海の向こうに何があるのかを知らない。
この島全土がヘリオドール王国に統一されてから数百年、人同士の大きな争いは起こっていないため、王国が有する兵や武力というのは概ね魔獣と戦うためにある。
その主力は騎士だ。魔術で己の身体を強化し、戦う術に長けた戦士である。
また、魔術師も重要な戦力だ。攻撃魔術で敵を討つだけでなく、防御や支援、治癒など幅広く活躍する。
魔術は魔獣と戦うためにほぼ必須だが、行使するために必要な魔力は誰もが持っている訳ではない。
ゆえに高魔力者を輩出する家系はこの国において特権階級として保護されている。それが貴族だ。
私達貴族は幼い頃から戦闘の技術を教え込まれる。
普段は配下の兵士たちに戦いを任せているが、有事の際には自ら剣や杖を持って戦わなければいけないからだ。
それは王家の者だろうと例外ではない。
…そこで私は今日、殿下に頼んで剣術の稽古の見学に来ている。
今世の殿下の腕前、そしてスピネルの腕前をこの目で確かめるためだ。
前世の殿下は素晴らしい腕前をお持ちだった。
まだ幼い頃からその片鱗を見せていた殿下は、たゆまぬ努力で才能を伸ばし、王立学院で開催される武芸大会では3年連続優勝を成し遂げていた。
上級生や並み居る実力者たちを抑えて、だ。さすがは殿下!
きっと今世でも強いに違いないと思うが、やはり確認はしておきたい。
護衛を務めるのは優秀な者ばかりだし、私も力の限り守るつもりだが、自分で身を守る力だって必要だ。
それにスピネルの強さも知りたい。従者は護衛も兼ねるのだ、いざという時役に立たないのでは困る。
あの騎士の名門ブーランジェ家の出身だし、殿下も「スピネルはとても強い」と言っていたので、それなりの実力はあると思うのだが…。
「…そこまで!」
ペントランドの声に、並んで素振りをしていた殿下とスピネルが手を止めた。
このペントランドは剣聖の異名を取る剣の達人だ。ずっと傭兵をしていたが、最近になって王宮からの招聘に応え、王宮騎士団の剣術顧問及び殿下の剣術師範となった。
既に齢60を超えているはずだが、見た目は50代かともすれば40代に見えるくらいに若い。
ちなみに前世では従者の私も殿下と一緒に剣の指導をしてもらった。
修業は結構厳しかったが、お世辞にも才能があるとは言えなかった私が何とか人並み程度にまで剣を使えるようになったのは、間違いなくこの人のおかげだ。
「今日はせっかく可愛らしいお嬢さんが見学に来ているのです。ここは一つ、お二人での手合わせと行きましょう」
「はい!」
二人は揃って返事をすると、慣れた様子で稽古場の真ん中に進み、お互いに木剣を構えた。
ペントランドが腕を前に伸ばす。
「…始め!!」
先に動いたのはスピネルの方だ。速い。
鋭く振り下ろされた木剣を、殿下が受け止める。
「…つ、強い…」
試合を見つめながら思わず呟く。…スピネルの奴、強い。
スピネルは殿下より2歳年上。
成長期の子供にとって2年というのは物凄く大きい。体格、体力、腕力、全てにおいてかなりの差があるのは当然だ。
だがそれを差し引いても、明らかにスピネルの動きは優れていた。
とにかく素早い。全身がバネでできているかのように瞬発力がある。
しかも、一つ一つの動作が滑らかで淀みがない。流れるような動きで殿下を翻弄している。
「膝の使い方が、凄く柔らかい…まるで地面の上を滑っているみたいです。体重移動がとても巧みなんですね」
「ほう、なかなか良い目をお持ちだ。剣術の心得がおありなのですかな?」
ペントランドが感心したように私を見る。
「私は支援魔術師を目指しているので、騎士の動き方や剣術についても学んでいるんです」
「なるほど。…スピネル殿のあれは、天賦の才能ですな。普通の人間ならば何年何十年と修業しやっと身に着けられるものを、生まれ持って使いこなしている。将来が楽しみになる若者です」
この剣聖がそこまで言うとは…。スピネルにはよほどの剣才があるらしい。
「ではお嬢さん、殿下の方はどのように思われますかな?」
尋ねられ、私は試合の趨勢を見つめながら答えた。
「殿下はやはり守りに優れておられますね、攻撃を受け流す技術に長けていますし、勘が良く目も良いのだと思います実に見事な反応です。相手の攻撃を受け続けても焦らずに我慢する忍耐力もお持ちです大変素晴らしいです。そしてここぞという時に反撃をためらわない勇気もお持ちです、不利な相手に対して全く臆する事がない、さすがは殿下です」
「突然早口になられましたな…概ね同意いたしますが…」
ペントランドは微妙に引いた口調になった。私は本当の事を言っただけだぞ。
そして、その間に試合には決着がついていた。スピネルの勝利だ。
「…もう一本!!」
そう言った殿下にペントランドがうなずく。
殿下はこう見えて物凄く負けず嫌いなのだ。今世でもそこは全く変わっていないようで、私は思わず嬉しくなる。
負けたくないという気持ちは、そのまま向上心となるのだ。
2本目もやはりスピネルが勝ち、殿下の要望で続けて3、4本目も行われた。
殿下は守りを固め粘り強くチャンスを狙うスタイルであるため、試合は長引きがちだ。
それを4本連続となると疲労が出てきたのか、スピネルの動きが若干雑になっているように見える。
「はっ…!」
スピネルが気合と共に剣を繰り出す。いや、フェイントだ。
読んでいたのだろう、殿下は続けざまの斬撃までしっかりと防いだ。そのまま反撃の体勢に入る。
「…一本!!そこまで!!」
ペントランドがさっと手を上げた。
反撃の刃がスピネルの胴を払い、殿下の勝利だ。…一応。
スピネルが「やられた」とでも言うようにふうっと息を吐き、殿下は無言で唇を引き結んだ。
…むむう。殿下もペントランドも言わないのなら、私が言うしかあるまい。
「…スピネル様!最後、手を抜きましたね!」
「何?」
つかつかと歩み寄って言った私に、スピネルは目を丸くした。
「最後のフェイントです。殿下に読まれているのが分かっていたのに、わざとそのまま攻撃を続けたでしょう」
その表情を見るに、やはり図星だったようだ。
スピネルはすぐに「師匠!」と振り向いたが、ペントランドは軽く首を横に振る。
「儂は何も言っておりませんぞ。見破ったのはお嬢さんの眼力。それに、スピネル殿の未熟ゆえですな」
「ぐっ…」
「まあ、お嬢さんの前で殿下に花を持たせたかったのでしょうが」
「何ですかそれは!それで殿下や私が喜ぶとでも!?」
私は憤慨した。
それはまあ、殿下に勝って欲しいとは思ったが、それ以上に殿下には強くなって欲しいのだ。手加減されて勝利している所なんて見ても何も嬉しくない。
「このような手合わせは、お互いの技や力を高め合うためにするものでしょう。忖度して手加減などしていては殿下のためになりませんし、貴方のためにだってなりません!!」
「……」
それから、殿下の方を見る。
「殿下も本当は、こんな形で勝負を終えるのは不本意なんでしょう?スピネル様は貴方の従者なんです、遠慮などせずにはっきりそう仰って良いと思います!!」
「う、うむ…」
「…お二人共、ちゃんと真面目にやって下さい!」
二人は少しの間、ぽかんとしたまま私の顔を見つめていたが、やがてスピネルが「…分かったよ」と呟いて頭をかいた。
「俺が悪かった。もう手加減はしない。…殿下、もう一回やろうぜ」
「ああ!」
少し嬉しそうな顔で答えた殿下に、スピネルは片頬を持ち上げてニヤッと笑うと、改めて剣を構え直した。
「…感謝いたしますぞ、お嬢さん」
「はい?」
「スピネル殿は年下である殿下に対してあまり本気を出せず、適当な所で手加減する癖があった。殿下はそれを悔しく思いつつも、自分が実力不足なのが悪いのだと遠慮をしていた。…しかし、お嬢さんに叱られた事で、二人共吹っ切れたようです」
二人の試合を見つめながら、ペントランドは語る。
スピネルの動きからは粗さが消えている。手加減をやめたのだ。
殿下は早くも追い詰められているが、それでもどこか楽しそうに見える。
「今はまだ少々実力差がありますが、二人は必ず良き好敵手になれる。お互いに切磋琢磨する事で、ますますその才を伸ばして行けるでしょう」
…好敵手。そんな王子と従者の関係もあるのか。
少し衝撃を受けている自分がいた。
そんな事は考えてもみなかった。従者は王子の臣下にして友人、それでいいと思っていたからだ。リナライトとスピネルは違うのだから、殿下との関係が違うのも当然なのだろうが。
なぜか急に、二人がどこか遠くなってしまったような気がした。
「…もう一本…!」
「ちょ、ちょっと待て…!これで8本目だぞ、もう良いだろ!?」
「すぐに諦めない所は殿下の長所です。従者なら最後まで付き合って差し上げるべきでは?」
「でもお前も、見学はもう飽きただろ?そろそろ切り上げたいんじゃないか?」
「いえ全く。勉強になるのでもっと見たいです」
「マジかよ…」
「もう一本」
「…勘弁してくれ!!」
…結局勝負は10本目まで続けられた。
二人共すっかり疲れて動きがヘロヘロになっていたのだが、気力を振り絞った殿下の一撃がスピネルを捉え、10本目は殿下の勝利だった。粘り勝ちである。
「さすがは殿下です!」と拍手すると、殿下はちょっと照れた顔をして、スピネルは汗だくでげんなりとしていた。