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第十八話 花が咲く

[――正しく、悪徳のパレードだ]


 街並みを見て。

 硫黄の雨で焼き尽くされたと()う神話時代の都の逸話を思い浮かべながら、ダヴィデはするすると暗がりの通りを進んで()く。


 当然の様に違法であろう賭博場に売春宿、薬中の溜まり場に泥棒市場がわんさかである。

 しかし難無く歩くダヴィデにも、ちょくちょく下らぬ輩は寄って来るのだ。


 爪が割れ、肉が潰れ――骨の砕ける感触が僅かに残る。

 たった、今し方。

 ダヴィデは名も知らぬ浮浪者の足先を、踏み抜き防止加工のされたブーツで指先から甲まで躊躇無く砕いたところであった。


 くぐもったような悲鳴と共に地べたへと転げ蹲り、背後からはそんな男へ群がり襲い漁る浅ましい音色が木霊する。

 ミイラ取りがミイラに、では無いけれど。

 推定加害者を気取っていた無頼漢は、たった今抵抗の余裕すらない被害者へと転落したのであろう。


[次から次に、うっとおしい……。ホント、こういうところの奴らって学習しないんだよな]


[自分であれば上手くいく、なんて。スリや物盗り一つ挙げても、無駄に自信を持って挑む輩が多いのでしょう]


[まぁ、前回は他の奴相手に上手くいったから、見知らぬ表の住人なら楽に成功するだろうって考える野郎ばかりなんだよ]


 懐に伸ばした指を折り、踏み込んできた足を砕き、因縁着けようと覗き込んできた顎を打ち抜き昏倒させる。

 この路地へと踏み込んでから、こうした作業を既に何度も繰り返していたのだ。

 流石にダヴィデも、溜息の一つくらい吐きたくなる。


 されども。

 イヴからは、こうした事態をそれほど忌避していないような言葉が寄越された。


[しかしこういう形とは言え、ある意味で懸念が一つ払拭されたのは、マスターにとって嬉し誤算であったのではありませんか]


「えぇ……仕事でもあるまいし、こんなもん何回やったって一銭にもならないぞ。破落戸(ゴロツキ)嬲って愉しむほど、俺は変質的なサディストでも無いからな」


[そうではありません。此処の輩から見ても、マスターの身形や纏う雰囲気が既に表の住人と相違なく感じられているのでしょう。だからこそ、こうして碌に警戒もせずスリやタカリが舞い込んでくるのかと]


「はははははっ! こういう落伍者の匂いって、普通中々取れないモンなんだけど――そっか。暮らしが変われば顔付きも変わるし、荒くれ発掘者に見られることはあっても、スラムで燻ぶっていたころの俺には見えないってコトか」


 フォローか事実に基づく分析の結果なのかは知る由も無いが、イヴから掛けられた言葉でダヴィデの気分も随分と愉快なものとなっていた。


 ――そんなこんなで。

 良くも悪くも。生まれた街とは違う場所の貧民街をダヴィデなりに堪能していると。


 ふと――。

 足を止めるように、イヴよりの要請が入った。


[お待ち下さい、マスター]


[……ん、如何した。何か、面白いものでも見つけたのか]


[面白いかどうかはマスターの感性次第でしょうが、此処から斜め右にある黒い看板の掛かった店舗をご覧下さいませ]


 彼女の指示通り、言われた方へと視線を向けると。

 そこには、周囲のバラックを取り除いたかのようにこじんまりと嵌め込まれた――小さな店が佇んでいた。


[あぁ、あの店がどうかしたのか。ちんまいけど周りの違法建築丸出しの建物と比べれば、確かに小奇麗な出で立ちだな]


 あちこちに存在する、今にも崩れそうな家屋や継ぎ接ぎしたような小屋とは異なり。

 目の前の店と思わしき二階建ての建造物には、壁に汚れの一つも見当たらない。


 窓の一枚も割られておらず、入り口の前には死体どころかゴミすら転がることは無い。

 心なしか、この近くには先まで掃いて棄てるほど居たチンピラの類も、まるで近付いてすらいないのだから。


[――つまり、この店の主人は周囲から無視出来ないほどの影響力を持った者って話か]


[肯定です、マスター。尊敬、畏怖、利益――何であろうと構いませんが。此処の持ち主は、スラムの住民すらも容易に干渉することの出来ない力を有するでしょう]


[やっぱ、そんなトコだよなぁ。でもさ、スラムの仕切り屋でお馴染みのヤクザもんの親玉なんかにしては、随分と控えめなお屋敷(・・・)じゃないか]


 暮らしていたからこそ解るが、あの手のゴミ山のボス気取りは自身の力をもっと明確に周囲に誇示するものだ。

 道を歩くときは、手下を引き連れ、肩を怒らせて威嚇しながら練り歩く。

 身に着けている者は無駄に豪奢で、且つギラ付きだけは過剰な品の乏しい装いである。


 暮らしている場所だって、異様に場所を取っており、入口から何から柄の悪い若い衆に警備をさせているのが通例だろう。

 にも拘らず――小奇麗という点を除けば、その手の美観を損ねる者たちはたった一人すら見当たらなかった。


 寧ろ、先も思った通り。

 間違いなく、周囲の住人はこの建物を避けている程であった。


 但し、目の前の箱が店舗だと一目で理解出来たのは、


「【希少品、買取(ます)】――ね」


[最低限の文言しか書かれておりませんが、恐らくは古物商の類でしょうか]


 文字通り。

 その一言だけが、闇色に染まった重厚な看板へと刻まれている。


 しかしながら、出で立ちといい雰囲気といい。

 確かにイヴが止めた通り、ダヴィデも相応の興味が湧いてきた。


 どれほどの希少品かは正しく不明だが、ザックの底には売りに出さなかった指輪が一つ残されている。


[商売のタネになりそうなものも持ってるし、ちょっと入ってみようか。仮に店主のお目に適わなくても、命まで獲られることは無いだろ]


 虎穴に入らずんば、何とやら。

 只の古物商に入るだけで緊張も何もないものだ、と。


 ダヴィデは別段の気負い無く、店の中へと足を踏み入れるのであった。

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