第十七話 袋小路
「――皆、意外と愉快な人たちだったな」
[はい、マスター。とは言え、あの方々はこの街でも上位に位置する徒党のようですので。食うや食わずで瓦礫を掻き分けるような底辺とは違い余裕もあるのでしょうし、やはり行儀の良さもその辺りが大いに関係していると言う事をお忘れなく]
「貧すれば鈍する――解ってるさ。ただ、明日も知れない武装した破落戸にカテゴライズされる職種の従事者にも、あんな関係もあるんだなって思ってさ」
宿に帰り翌朝を迎えてから、寝起きがてらダヴィデはイヴとそんな話をしていた。
――あの後。
ダヴィデは、ルーカスとオスカーの親子に連れられて、店の奥で一杯奢られていたのであった。
如何やら、ルーカスは己の統括する徒党での仕事の打ち上げ中であったらしく。
偶々ふらっと店の外に風に当たりに行こうとしたところ、ダヴィデを見かけて絡んできたとの話である。
そして広間の一角に陣取っていた徒党の飲み会に混ぜられ、席を用意されるが儘にグラスを傾ける次第となったのだ。
其処では、同業の良くある苦労話から思いもよらない成功談。
はたまた下品な馬鹿話にまでもつれ込んだが、他のメンバーたちの人当たりも良く居心地はそう悪くなかった。
――鐵人旅団。
それが先の愉快な集団の名称であるらしく、都市の大型発掘者チームの雄でもあると言う。
特別何かあった訳では無いが、発掘者としては雲の上にいるような先輩連中と誼を結べたのは思わぬ幸運であったと言えよう。
宴の最中、遠巻きにダヴィデを見ていた余所の連中の視線も感じたが、あの出逢いが己にとってマイナスになることもそう無いだろう。
それはさて置き。
[マスターの心身を労わる為に、本日は休養を採って頂きます]
「解ってるさ。ルーカスさんたちにも、無茶はするなって釘刺されたしな」
毎日リスクを冒さねば食えないわけでもなくなっている以上、遺構探索の翌日は休養に充てるのが自然とルールの様になっていた。
故に本日も、仕事以外でゆっくりと過ごせば良い。
「――じゃあ、今日はちょっと冒険してみるか」
[マスター、ですので流石にお仕事は……]
「違うって。カタギの居住区や行政地区なんかは無理だろうけど、無頼寄りだからこそ行けるところがあるだろ?」
そう――。
この街においては、未だ足を踏み入れておらず。
それでいて、ダヴィデ自身は実に慣れた、庭の様な環境のエリアだ。
「裏路地だよ。此処の街――開拓都市アブサンでは、どんなスラムになってんのかなって。その辺り、ちょっと気になっててさ」
[あまりマスターが悪所に近寄るのは、私としても避けて頂きたいのですが]
「確かに。折角貧困生活から脱出したのに、今更襤褸切れに包まってゴミ箱の隙間で寝る気なんて更々無いよ」
[では、如何してそのようなリスクある場所へ足を運ぶのでしょうか。遺構探索とは異なり、得られる物があるとは思えません]
イヴはダヴィデのスラムツアーに否定的であるが、其処だからこそ得られるものもあるということを忘れてはならない。
その土地の底辺を知ればこそ、社会の実情を理解出来たりする。
地域は違えども元住人として知る限りでも、ふらりと観光気分で足を踏み入れるような場所では無い。
されども、現状においては深奥へと首を突っ込まぬ限り、今のダヴィデならば死にはしないだろう。
最悪トラブルに遭遇しても、とっとと逃げ出せば良いだけの話である。
寧ろ、荒野に放り出された未曽有の遺構の方が、余程何が潜んでいるのか解らないものなのだから――。
少なくとも、街の中であれば魔素汚染に犯されて変異した凶暴な生物もおらず、主を亡くして回路の狂った魔導精霊憑きのゴーレムも居ない。
「――ははっ、何処も大体変わらんもんだ。まだ飛び出してひと月も経ってないってのに、嫌な懐かしさすら覚えちゃう光景だな」
外れの貧民街へと足を踏み入れれば、自然とダヴィデの口からはそんな台詞が零れていた。
物心着いた時から見慣れた景色。嗅ぎ慣れた、吹き溜まりの饐えた臭い。
日の当たる世界とは、また違った。
それでいて、確かに――人の生きる社会が形成されているとの証左たる喧騒が、この場所でも存在しているのであった。
無秩序、と言う名の秩序。
そんな表現が、この地域には当て嵌まるのでは無かろうか。
人の数は大通りと同等とまでは言わずとも、決して少なくは無い様子だ。
うらぶれた姿に、やさぐれた様相。
表の住人よりも、更に荒んだ眼をした者が多いようで。
適当に軒を連ねる屋台や露店にも、自治体による出店許可の札など当たり前のように掲げられてはいなかったりする。
死んだように地べたに寝転がる浮浪者に、アレは涎を垂らしながら虚空を見つめる薬物中毒者だろうか。
フケと垢に塗れた売春婦が壁に寄り掛かったまま、飢えた獣の様な目でこちらを値踏みしている。
魔素に因る重篤な汚染を浴びたのか、何やら身体が変貌している姿もあるでは無いか。
その先では。理由の有無など不明だが、見目通りのチンピラが既に動かなくなった男を集団で蹴り回していた。
そんなショッキングな光景が繰り広げられながらも。
辺りでは、壺を傾けてドブに汚水を流す老婆や。
錆びたナイフを振り回しながら遊ぶ、煤塗れの子供の姿が見受けられた。
――混沌のごった煮。
敢えて言語化するならば、こんな表現がピッタリであった。
[こういう明らかに宜しくない光景に対しても、忌避感よりも先に嫌な懐かしさを抱くのって、人としてかなりマズいよなー]
[お気になさらずとも宜しいかと。人は、己の生まれを自分自身で選択することは出来ません。無論其れは、私のような知性を与えられた魔導精霊にも等しく言える事でしょうが]
[大丈夫、別に感傷や郷愁に駆られてるわけじゃない。そもそも、もう二度と住人としてこんな掃き溜めに戻る気なんて皆無だし]
[えぇ、マスター。そうならぬ為にも、この私が憑いております故]
ダヴィデとしては、変な笑いすら込み上げてしまいそうになるのだが。
それが余計にイヴに心配させてしまいながらも、実に軽い足取りで失楽の坩堝と化した裏通りを進むのであった。




