第十六話 先達
[――心拍数や発汗率。視線の動きに瞳孔の収縮。呼吸音から筋肉の動きまでを観察しても、対象にマスターへ敵意や害意を抱いている可能性は限り無く低いでしょう]
[まぁ、俺から見てもそんな感じだけど……。一体、何の用で話し掛けて来たんだろうな]
イヴとの脳内会話を行いながらも、ダヴィデは未だ目的も不明瞭な件の相手へと質問を投げかけることにした。
辺りは相変わらず同業者たちで賑わっているが、イヴの眼を以ってしても、やはり此方へ対して不審な動きを見せている者は居ないようだ。
「あの……失礼ですが、何方でしょうか。お互いに、初対面ですよね?」
「ははっ、勿論だ! てか、兄ちゃんこの街に来たばっかだろ」
比較的細身に見えながらも、がっちりと締まった感触の感じられる壮年の男へと問うと。
ダヴィデの経緯を軽く見透かしたように、そんな返答を寄越したのだ。
其処には変わらず、悪意も探る様な如何わしさも感じられ無い。
そう思って心の中で頭を傾げていると、すぐに男からは軽い口調で謝罪の言葉が寄越された。
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。オレも兄ちゃんと同じ発掘者やってる、ルーカスってオッサンだ。ヨロシクなァ」
「これはご丁寧に、俺はダヴィデと言います」
やはり同業者であったが、あちらから見てもその辺りの出で立ちは直ぐに解っていたのだろう。
簡単な挨拶を済ませた後、イヴも口を挟んでこない以上、折角だからと問い掛けてみる。
同業の先輩ともなれば、無駄話一つ取ってみても、今の自分には何かしらの糧となるかもしれないのだから。
「ルーカスさんは、この仕事始めてから長いんですか?」
「おう、この開拓都市が本格的に回り始めてから此処に拠点を構えたが、気が付けばこの街で女房と出逢ってガキまでこさえてたって話よ」
「あぁ、所帯を持ってお子さんもいらっしゃるんですね」
「おっかねぇ母ちゃんと小生意気なクソガキだがなァ。お前さんと同じくらいの年頃だろうが、ウチの息子は未だにケツの青い甘ったれだよ」
やはり、エネルギッシュな若々しさはあれども、凡そ見た目通りの年齢で間違いはないようであった。
持ち込んでいたグラスを傾けながらそう話すルーカスは、口ではそんな事を言いながらも中々に楽しそうに語るのだ。
師には巡り合えたが、己には生まれながらの家族など存在してはいなかった。
そんな普通にあるべき生活と言うのもは、一体どんなものなのであろうか。なんて。
[――何だかんだで学ぶ機会があって、こうやってメシも食えてるだけ俺もマシなのかもしれないけどな]
[今のマスターには、このイヴが御傍に居ります]
[大丈夫、解ってるさ。別に今更、如何にもならない感傷に浸ってたわけじゃあないよ]
ダヴィデを慰めるかのような言葉をくれた相棒であったが、本当に今の生活に辛さなんて感じていないのだ。
心の底から不安であったのは、一方的に殴られ奪われることしか許されていないような幼少期のみである。
こうして自立を果たして稼げている以上、問題など無いのだから。
しかしながら、と。
目の前で愉快そうに口を回すルーカスは、大分上等そうな装いに身を包み、出で立ちからしても周囲の十把一絡げとは隔絶しているような雰囲気を醸し出している。
ダヴィデへと何かしらの圧迫感は無いけれど、気が付けば近くに座って騒いでいた男たちも、知らずの内に席二つ分は空間を空けていたのは気の所為でも無さそうだ。
「で、坊主は発掘者になってどれぐらい経つんだ?」
「一昨日登録を済ませて、そのまま初仕事でしたね。昨日は休んで、今日また適当な遺構に潜ってきました」
「ハハハハッ! 昨日の今日で頑張るなァ、オイ。今時の若ェヤツってのは、もっとのんびりチンタラしてるモンだと思ったがよ」
「この開拓前線に来るまでの移動費用で貯蓄のほとんどは吐いちゃいましたし、さっさと纏まった宿代くらいは確保しておきたかったんですよ。床に就くなら、屋根の下で眠りたいじゃないですか」
「あぁ、労働意欲があるのは良い事だぜ。駆け出しだってのに、しっかりテメェの飯代も稼げてるってのはァ大したモンだよ」
そう言って、愉快そうにダヴィデの肩を叩く力は中々強いものであったが、会話の心地は悪いものでは無い。
本当に。この男は見慣れないニュービーであるダヴィデへの興味本位で、こうして話しかけて来ただけなのであろうか。
はてさてと考えたところで、またしても――。
突如、背後より此方へと呆れるような声色が投げられたのだ。
「――おい、糞親父。恥ずかしいから、人様に絡んで迷惑を掛けるな」
声の聴こえた後方へと振り向くと、其処には一人の青年が少々眦を挙げて吐き棄てていた。
歳の頃はダヴィデとそう変わらぬ程度に見え、顔立ちは何とも――ルーカスを数十年ほど若くしたような出で立ちであろうか。
「迷惑なんて掛けてねェよ、なァ? 未来ある若モンを見つけたんで、ちょいと発破掛けに来ただけじゃねェか」
「静かにメシを食ってて知らない酔っ払いオヤジに絡まれたら、普通の若者にとっちゃ迷惑以外の何物でも無いんだよ。オメェみたいなこまっしゃくれのアホ息子より、よっぽど可愛げがあるってモンよ」
ヘラヘラとした笑みを浮かべたまま返答したルーカスに臆することも無く。
件の青年は、溜息交じりに切り捨てたのだ。
すると――。
青年はダヴィデへと向き直り、やや申し訳なさそうに仏頂面を崩して小さく頭を下げてきた。
「済まなかったな。食事中に、家の糞親父が迷惑を掛けて」
「ケッ、誰が糞親父だ――ホンっト何時まで経っても、生意気なションベン垂れのクソガキだぜ!」
謝罪する息子に対し、酒を飲み切って悪態を吐くのはルーカスだ。
とは言え、ダヴィデも別に不快な思いなどは微塵もしていなかった為、そのまま青年へと笑って返した。
「いえ、お気になさらず。俺も発掘者の先輩と話が出来て、充分楽しかったですから」
そんな返答へと、ルーカスの方が鬼の首を取ったとばかりに上機嫌に割って来た。
「ホレ見ろ、オスカー! こういう素直なヤツが、大人からは可愛がられんだよ! オマエも少しは小僧を見習って、偉大なお父様を敬えってんだ」
「……社交辞令って言葉すら、これっぽっちも理解出来ないのか? そんなデリカシーすら皆無な駄目親父だから、妹にだって無視されてんだよ」
「ハ、ハァ!? 別にカーラは、オレのコト避けてねーよ! 思春期の女なら、誰でもあんなモンだろォ!」
「避けられてる自覚はあるんだな……」
片や焦りつつ、片や呆れ交じりに。
顔も雰囲気も似た親子二人は、やいのやいのと始まったが。
其処に存在する空気は、決して刺々しい物などではないのであった。




