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第十五話 人間の証明

「――何だかんだで、結構良い時間になってきたな」


 遠くの空が、沈んだ朱色に染まり始める頃。

 通りもぽつぽつと、仕事を終えた者たちの姿が増えだすのだろう。


 食堂に明かりが灯り、屋台からは食欲をそそる煙が昇る。

 街灯は整備が甘いのか予算をケチっているのか、所々割れたり消えたりしている箇所が見受けられた。


 とは言え、スラム通りでも無い為、憲兵の姿もあり普通に歩くことくらいは出来ていた。

 背広を着た事務職から作業着の肉体労働者まで、各々が腹を満たすべく帰路へと着くのだ。


[マスター。昼食も取っておりませんでしたので、空腹値が増加しております。拠点に戻る前に、何か補給することをお勧め致します]


[俺も丁度、適当に腹を膨らませようと思ってたところだ。そう言えば、まだ中に入って無いし酒場でも覗いて見るか。あの組合協賛の大通りのデカイとこならメシも問題なく食えるみたいだし]


[只でさえ気性の荒い同業者でごった返していそうですが、裏路地の怪しい店とは違って飲食物に何か混ぜられることも無いでしょうし。流石に酒が入ったからと言って、管理組合の運営下で突然武器を抜く様な能無しはいないと思われますが……]


 少々心配気味な台詞を寄越しながらも、イヴもそれ酒場へ

向かうこと自体には反対するわけでも無さそうだ。

 愚連隊が背後に控えているような、場末の危ない飲み屋でもあるまいし。

 通りに面したあの店であれば、客の多様性はあれども、即座に即発のリスクも少ないと思われる。


[まぁ、そういう空気に慣れるようなモンも兼ねてさ。その内、俺も同業者と一緒に仕事する機会も回って来るだろうしな。それに俺自体がスラム育ちだし、多少の淀んだ空気じゃ今更ビビらないさ]


[了解です。マスターがご理解為されているのであれば、何も問題は無いかと]


 そんなこんなで。

 飯を食うだけなのだからと気負いなく。


 ダヴィデは、発掘者管理組合協賛である――一日の疲れを癒しに荒くれの集う、大衆酒場へと辿り着いた。

 中は予想通り、親不孝者の碌で無し達でごった返しているのであった。


 広々とした店内にはカウンターを除けば、至る所に(まる)いテーブル席が散らばっている。

 けれども、何処も彼処(かしこ)も込み合って、その大部分が既に埋まっている様相であった。


 早くも出来上がっているのか。

 (そば)を通れば酒臭い赤ら顔のチンピラ同然の同業者が、同じく小汚い恰好の仲間らしき男たちと共に馬鹿笑いをしながらジョッキを傾けているようだ。


 別のテーブルではカード遊びに興じているようだが、小銭でも掛けているのか。

 品性の乏しそうな顔立ちを更に(しか)めながら、慎重な手付きで札を切っている集団も見受けられる。


 誰も彼も荒事専門で御座いと顔に書かれた社会不適合者達であったが、此処に居るその全員が今日も如何にか命を繋いだ成功者とも言えるだろう。

 

 実入りの大小に(かか)わりなく。

 店の客皆が、生還の余韻に浸るべく。

 心の安寧を求め、こうして酒精に浸っているのであった。


 ダヴィデは空いているカウンターに腰を下ろすと、直ぐに近くの従業員が注文を窺いに訪れる。

 初めて足を踏み入れた店のメニューなど知らぬ為、お品書きを眺めるのも面倒だと適当に日替わり定食とやらを注文しておいた。


 パンにスープ、サラダに肉料理と水が付いた、オーソドックスでお手頃価格。

 とは言え、このレベルの料理ですら、スラムの住人ではまず口に入ることは無いだろう。

 事実、ダヴィデもまたその例に漏れず、こうした生活に触れることで――本当の意味で、人間らしくなったのだなぁと実感するのだ。


[何て言うかさ、こういう物が人間の食べる本当のメシなんだよなって思うわけだよ]


[材料的にも成分としても労働者向けの濃い味付けであるのでしょうが、マスターが仰っていたようなゴミ箱から漁った残飯などに比べれば、間違いなく天地の差と思われることでしょうね]


[寒くて凍えそうな季節でもさ、生ゴミって何か気持ち悪いぐらいに暖かかったりするんだよな。それでも残飯には変わりないから、食ったら食ったで腹壊すこともあるんだけど]


[発酵により有機物が分解されて、その産物として熱が生じておりますね。しかし、決して滅菌されたわけでも毒素が消失した次第でもありません]


[ははっ! 難し事はまだ勉強中だけど、アレがまともな人間が腹に入れる物じゃあないってことは、昨日今日のメシを食って解らされたよ。どんだけ腹減ってたとしても、もう二度とあんなゴミを貪るなんざ御免だ]


[えぇ、そうでしょう。そしてそうさせぬ為に、私が御傍に侍っております]


 幼き日の苦い思い出もあれども。

 イヴの心強い言葉によって、あの貧困への屈従(くつじゅう)へは決して戻る事など無いのだ――と。


 それはさて置き、まずは目の前の食事を楽しめば良いだけだ。

 これは今日を生き延びた、ダヴィデにとって得られる当然の権利なのだから。


 そんな肝心の定食は――どれも客のニーズに合わせた為か量は多い様に感じられたが、味の方も決して悪くは無い。

 ダヴィデの舌など碌に鍛えられていないの事を考慮しても、価格から考えて、やはり()からの補助ありで運営されているだけあると感じられた。


 そして特別知り合いなども居ない為、提供された料理を脳内でイヴと他愛のない会話を交わしながら食していると、


「――良い食べっぷりだな、兄ちゃん。お前さん、独りか?」


 突如、空いていた隣の席へと腰を下ろした男から、そんな台詞が掛けられた。

 すわ、何事かと思ったが。

 やや軽薄そうな笑みを浮かべながらも、何処か気安い風体の見知らぬ初老の男性である。


「……えぇ、此処に来るのは初めてなので」


 少なくとも。

 ダヴィデの上がりを掠め取ろうと言うような目の色は見られない為、食器を置いて極々普通に彼へと返答を返す。


 そんな男の身形は――酒場で莫迦(ばか)騒ぎをしている破落戸(ごろつき)上がりとは、素人目に見ても一線を画す出で立ちではあった。

 何処の何方(どなた)か存じないが、着用している衣服からして随分と上等な様に見受けられる。

 オーダーメイドなのか軍の精鋭部隊の横流し品なのかは不明だが、恐らくは最低でもそうしたレベルの装備であろう。


 ――そう。

 それでも間違いなく。

 目の前の男は、ダヴィデと同じ発掘者の匂いがする相手であった。

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