第九話 様相
「――あんなに腹一杯食べたいものを食べたのは、生まれて初めてだよ」
昨夜を明かした宿の個室にて、ダヴィデは希少と共にそう感慨深く吐き出していた。
此処には自分以外誰も居ない為、壁が薄かろう故に万が一にも精々独り言にしか聞こえないだろう。
しかしながら、昨日は本当に良い思いをすることが出来た。
味の濃くたっぷりの量で満足できた夕飯も然ることながら、今し方まで身を横たえていたベッドも自分にとっては未知なる程に上等なものだ。
前日の安宿の個室よりも、更に上等なものであると確信できる程度には。
[宿も食事も、この時代の基準からしてもそう大層なレベルでは無い筈ですが――マスターは、相当に御苦労を為されたのですね]
「まぁ、別に俺だけが大変な人生歩んできたって嘆くわけじゃないけど。此処まで生きてくるのは、決して楽な道のりではなかったかな」
労わる様なイヴの言葉に、思わず苦笑しながら返答する。
初仕事大成功の景気付けの意味も含め、ダヴィデにとってはこれ以上ない程の贅沢を行ったつもりであった。
されども、それは一般的にはまだまだ普通の範疇でしかないのだろう。
当然、無駄に銭を浪費するような趣味も余裕も持ち合わせていない。
単純に。自分自身の視野の狭さに、改めて気付かされただけの話であった。
つまりは、今後のダヴィデは制限されていた枷を外すかのように、そうした価値観をアップデートしていくことも目標の一つとなる。
低過ぎる意識や価値観を、最低でも一般レベルまで引き上げなくてはならない。
そうでなくては、本当の意味で最底辺から脱することなど何時まで経っても出来ないのだろう。
なれば、今日も元気にお仕事に精を出そう。
――と、言いたいところだが。
流石に昨日の今日で、続け様に鉄火場に潜るつもりは無い。
魔術を行使した分の魔力も精神力も、一晩ぐっすり眠れば十全に回復はしている。
しかし、初仕事であったことを鑑みても、見えないところに意外と疲労は溜まってるものだ。
既に今日明日暮らす為の銭に困る様な状態でも無い為、無茶な仕事を入れる必要性も皆無であった。
「じゃあ、今日は休息も兼ねて、街の散策でもして身体を休めることにするか」
[えぇ、それが宜しいかと思われます。そも、他方からこの開拓都市に到着してすぐに遺構に潜ったマスターの行為自体が、まず褒められたものでは御座いません]
「安普請の乗り合い定期便に揺られて、乗り継いで、着いたらすぐに挑戦したからな。確かに地域の下調べも不十分だったし、今考えれば中々危ない橋渡ってたんだろうよ」
[しかしながら、その決断力と行動力を以って実現したからこそ――私はこうして、マスターと出逢う事が出来たのでしょう]
「そうだな。もしかしたら、俺が発掘しなくても――今日にだって、あの遺構は勝手に荒らされてたかもしれないんだし」
こう考えると、やはり何かしら眼に見えないものに因る巡り合わせはあるのだろう。
もしも他人にこんな事を言えば、魔術を扱う身で何をと言われるかもしれないが、ダヴィデはそんな思いを簡単に無視することは出来そうに無かった。
「一先ず、朝飯でも食いに行くか。この町なら労働者向けにも、朝から空いてる食堂だって幾らでもあるだろ」
元より戦利品を売り捌いていた為、荷物は最低限身に着けるものだけである。
毎朝チェックアウトまでに荷物を片付けておかねば、部屋に忘れた所で全て処分されてしまう。
この宿で定期契約することで部屋のキープは可能となるが、一泊の宿代を考えれば、いっそ何処か賃貸にでも入った方が費用の面でも良いのかもしれない。
発掘者として登録をしていれば、あって無いようなモノとは言え、最低限の身分保障にはなる。
故に、発掘者向けのアパートメントでもあれば、家賃次第では入居を考えるべきだろう。
取り敢えず、まずは腹ごしらえである――と。
背にはザック、腰にはナイフ。ジャケットにブーツ、ついでに全身を雨風に土埃からも遮断する外套に身を包めば準備は完了。
ダヴィデは宿の受付で退出を告げ、その脚で付近の飯屋へと向かって行った。
予想通り。
食堂に露店、朝一番から金さえあれば食事の場所には事欠きそうに無さそうな様子が通りからは広がっている。
発掘者に傭兵、農奴に炭鉱夫まで。
その肉体を担保に日々の糧を得る男たちの為の飯処が、至る所に存在するのだ。
兎に角、安く、早く、量が多い。
その他の事は、二の次三の次と言わんばかりの店構えであった。
昨夜とは違い適当な食堂で朝飯を掻き込み、そのまま街の散策へと乗り出した。
やはり開拓都市という特殊性もあってか、何処も此処も商業施設は朝も早よから営業を行っているようだ。
己の命を賭け金に日夜勤しむ、ダヴィデたち発掘者だけではなく。
そうした人間を相手に商売を行う者たちもまた、稼ぎ時を逃さぬ為に貪欲に商いを行っているのだろう。
この街は未だ発展途中と聞いていたが、それでも規模は決して小さくはなく、様々なものが揃っているようだ。
労働者や荒くれが集い、落伍者たちは朝からその日銭を溶かして酔いに浸る大衆酒場は、こんな時間からも賑わいを見せている。
昨日戦利品の売却を行ったような武器店に、数は減らすが魔術用具の専門店もあちこちに見受けられようか。
巨大なガレージがくっついたゴーレムショップの隣には、そのまま整備施設と魔導精霊の取り扱い店も併設されていた。
ちょいとばかり大きな通りから外れれば、奥まった先には幾つもの怪しげな看板が目を惹く娼館も存在しているようだ。
小さい箱から大きめの館までバラエティ豊かに並んでいるが、飯屋同様に人間の三大欲求を満たすべく存在している以上、これも至極当然のことなのかもしれない。
[――マスター。極端に安価な所は、病気に罹患する恐れがあります。利用するならば多少値が張ろうとも、キチンと都市の認可を受けていることを示している大店にするべきです]
[武器防具の売買しに行く専門店と同じだな。少しの銭をケチっていたら、要らんところで大損刻ことくらい解ってるさ]
[結構です。ご理解頂いているならば、私から申し上げることは御座いません]
[って言うか、そもそもそういう遊びに金突っ込む余裕も無いけどな]
ダヴィデも年頃の男だと危惧した忠告であろうか。
それとも、高度な知性と柔軟性を有した魔導精霊たるイヴ故の冗談なのか。
大真面目にそんな説明を寄越した彼女へと、ダヴィデもまた軽口を叩く様に返答しながら歩みを進めるのであった。




