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第二章 死亡予定花嫁の生存計画

第二章  死亡予定花嫁の生存計画



《アリアドネ・エイルノルン》は大人しい少女だった。

控えめ目で、口数も少なく、周りと争う事もなく、静かに微笑んでいるような。

それでいて目立つ存在だった。

セラフィム・ヴァン・ワルキューレ次期公爵の婚約者。

珍しいミルキーブルーの髪。そして可憐な容姿。


婚姻において破格の好条件な婚約者がいて。

人目を奪う見目があって。

大人しい性格。

そして『子爵家』という下位貴族の娘。

...となれば。

同性がイジメる対象として捉える条件が揃っている。


もちろん、ワルキューレ公爵家が後ろにいるので犯罪紛いの事まではされない。

以前、アリアドネに馴れ馴れしく接した伯爵家嫡男が大怪我をした事故があり。偶然の出来事だったが、それが「ワルキューレ公爵家の見せしめではないか?」と噂が立った事があるので。

そしてこの一件で男性陣はアリアドネには近寄ってくる事は無くなった。


だが女性は。『仲良くしてる風を装う』という巧妙な手口が使える。

顔では笑っているのに、口から発せられる言葉は。その『笑顔』とは真逆の事ばかり。

家族や大人の目があればどうという事はない。少し笑い者にする程度。

しかし、このような場所などで囲まれてしまったりすると。もう集中砲火を浴びるように『口撃』される。いつもいつも。いつまでも。


愛してくれない家族。

愛のない婚約者。

同性からの嫌がらせ。

《アリアドネ》の性格では...これに耐え続ける事は難しかったのだろうな。


きっかけは十六歳の『成人祝賀会』。

王城で行われた、成人を迎えた者達の正式デビュタントの催し。

セラフィムも同じように成人を迎えたので、この会には参加していた。しかし当然のようにエスコートも無く、挨拶をしただけだった。これもいつも笑いの種だ。

そしてこの日は、化粧室の近くの廊下で複数のご令嬢達に捕まってしまった。

その日は結構しつこく、あれこれ言われて。挙句に突き飛ばされて。しかも運悪く、廊下に飾ってあった花瓶にぶつかり。花瓶諸共引っ繰り返ってしまったのだ。

それで満足したのか、嘲笑いながら彼女達は去って行ったが...。

頭から花瓶の中身を被り、デビュタントの白いドレスもグチャグチャ。

立ち上がろうとした時。口の中に嫌な苦味を感じた。直ぐに魔法で消したが。


翌日。家の植物図鑑などで花瓶に刺してあった花を全て詳しく調べて。

『アンテロース』という、よく目にする白い花の。花と花柄を繋ぐ『花床』という箇所に有毒成分が含まれている事を知った。

もちろん、一輪に含まれるのは極々微量。なのでそれを気にする人などいない。

家の庭園にはこのアンテロースはなかったので。お茶会や夜会などに出席した際、こっそり何輪かづつドレスのポケットバックに隠し持ち帰って。

少しずつ、少しずつ...『花床』を潰して粉末状にしていった。


そして...『あの時』。

溜めたアンテロースの花床の粉末を飲んだ...。


粉末は相当な量だったが、恐らく致死量には及ばなかったのだろう。元々極々微量しか含まれていない訳だし。

それでも...《アリアドネ》は自分の意思で『毒物』を作り、それを口にした...。


未だに《アリアドネ》の『感情』が思い出せないので。ハッキリした事は言えないが。

その事実を思い出した時。

それでもそこには...《アリアドネ》の悲しみ、辛さ、苦しみを感じ取る事が出来た。

『私』...《成子真理菜》も。一時の感情であったが同じ事を思い...死んでしまったのだから...。

そして、その事を後悔した。


だから。『私』は《アリアドネ》の『心』を救いたい。

そしてそうする事が今回『前世』を思い出した理由な気がするから。



ボンヤリと。そんな事を考えていたら。

「ちょっと! 聞いていらっしゃいますの?」

「本当にアリアドネ様は愚図でいらっしゃる事!」

そんなラウェルナ嬢達の声で我に返った。


...そう。彼女達だって。きっと色々抱えてる。

この世界は『日本』のように自由が利く世界ではない。

ましてや貴族の子供なんて、この狭い貴族社会の中で生き抜いていく為に、皆必死に足掻いてるんだろう。

彼女達にしたって『日本』でいう所の高校生位の年齢なんだから。

この先もずっとこの狭い世界で生きていかなくちゃいけない...だったら。


だったら。せめて。少しだけでも。

楽しい事や嬉しい事があった方がいいじゃない!

こんな後ろ向きな事をやっているより、心から笑える事をした方がいいに決まってる!

それを...前世の記憶が戻った私が少しでも伝える事が出来たら。


「うふふ。本当にその通りですわね。自分でもそう思います」

私がそう言って笑うと。

彼女達はポカンとして私を見つめる。

それはそうだろうな。今までアリアドネはこんな事を言ったりしなかったから。

でも《今のアリアドネ》は。

《以前のアリアドネ》とは違うんだからね!


「私、本当にノンビリしていて。周りに迷惑をお掛けしてるのは分かっているのです。ごめんなさい。でも、いつもお声を掛けて頂いてありがとうございます!」

淑女スマイルとは違う、明るく大きな笑顔の私に。

「え、そ、そんな事はない...けど」

「別に私達はそんな...」

彼女達が逆にオロオロし出す。

「だから流行にも疎くて...。ラウェルナ様のその髪飾り、とても素敵ですね!」

「えっ...そ、そう...ですかしら?」

ラウェルナ嬢の、繊細な作りをした美しい髪飾りを褒めると。彼女は戸惑いながらも頬をほんのり赤く染める。

「以前からラウェルナ様の装飾品は素敵な物ばかりで...いつも見惚れていましたの」

ラウェルナ嬢は、いつも繊細で美しい物や可愛らしい物を身に付けていた。私は今日それを「彼女はセンスはいいな」なんて思っていた。

だからこれはヨイショや太鼓持ちの発言ではなく。私の本心である。

誰かや何かを褒める時は。本当に自分がそう思っている事を褒める。

嘘やお世辞では会話も続かないし、多分相手にも伝わってしまう気がするから。

前世の私《成子真理菜》はいつもそうしていた。


「もしよろしければ...今度私にも見繕って頂けませんか?」

「え、それは...」

ラウェルナ様は引き気味だったけど。もうちょい押してみる。さっき髪飾りを褒めた時の反応は決して悪くはなく、嬉しそうだったから。

本当に嫌そうだったら無理強いはしない。

「私は...この様に変わった髪色をしていますでしょう? 中々しっくりくる物が無くて...」

ミルキーブルーの髪を一摘まみする。これも本当の事だ。珍しいこの髪色は、何を付けてもボヤけてしまったり、逆に目立ち過ぎてしまったり。自分でもいいと思う物はあまり無い。いつも母親や商人、店員の進められるままに購入していた。

「まあ...確かにそうかもしれませんわね」

「そうなんです! 私はラウェルナ様のセンスにとても惹かれますし、絶対素敵な物を見つけて下さると思って!」

「まあ...そうね。私なら可能だと...思うわよ?」

ラウェルナ嬢は照れたように扇をパタパタさせる。うん。もう一押し!

「お忙しいのは重々承知してますが...絶対にラウェルナ様にお願いしたいんです! 今度お時間を作っては頂けませんでしょうか?」

少し上目遣いに。目をキラキラさせて。絶対貴方がいいです! そう訴える。

「...そこまで仰るなら...一度位は付き合って差し上げてもいいですわよ」

やった! これはマジで嬉しい!


「ラ、ラウェルナ様...よろしいのですか?」

ブリキッド嬢とリサ嬢が、驚きと戸惑いの表情をラウェルナ嬢に向ける。

「...まあ、ここまでお願いされましたら...仕方ありませんわよ。私は皆様を手助けして差し上げなければならない公爵家という立場の娘ですもの」

「ですけど...」

「ブリキッド様、リサ様。今流行のスイーツも教えて頂けませんか?」

流行のスイーツなんてご令嬢の大好物だ。間違いない。私も大好きだし!

「私は素敵なカフェなども知らなくて...沢山ご存知でしょう? 是非教えて頂きたいです!」

お願いします! と可愛くお願いする。

実はアリアドネは。確かに同性から嫌われる存在ではあるが。

同時にこの容姿、小柄で華奢な見た目は。庇護欲もそそる存在にも成り得るのだ。

こういう所は計算ぽくて。好きではない事ではあるが。使える物は使わないと!

「...それは...もちろん色々知ってはいますが...」

「そんな事は...知っていて当然の嗜みみたいなものですから...」

ブリキッド嬢とリサ嬢も好感触! これはイケる!

「でしたら、ラウェルナ様に髪飾りを選んで頂いて! その後皆でカフェに行く! というのは如何でしょう?」

私の提案に。三人は顔を見合わせているけど。

嫌がっている表情ではない。

「では決まり! という事で! 嬉しいです! 楽しみです!」

だから最後は勝手に纏めてしまう。

「...分かりましたわ」

そう言う彼女達も...やっぱり楽しそうに見えた。恥ずかしそうにはしてたけど。


そうなんだよね。

色々不満があって、嫌な事ばかりだって。

ちょっとした好きな事を出来たりすると、それだけで幸せな気持ちになれたりするものなのよ。

もちろん、それで全てが解決や解消したりする訳じゃないけれど。

だけど。少しでも笑っていられるように過ごした方が、楽しいじゃない?

そんな事はない! そう考える人もいるだろうけど。

私は出来るだけ笑っていたいから。

同じように思ってくれる人達と過ごしたいし。私もそう出来るように手伝える事があれば、いくらでも手を貸したいから。

本当に嫌だと思う人には押し付けたりはしないし。


だから。これはその第一歩。

私にも出来る事をやっていくんだ!

大丈夫! 私だって立派なJKだったし! 問題ナッシング!



   ###



そんな感じで始まった『JKっぽく楽しんじゃおう!作戦』は。

それはもう楽しくって!

ラウェルナ嬢、ブリキッド嬢とリサ嬢。初めて三人と街へお出掛けした日は。

楽し過ぎて、薄暗くなるまで可愛いカフェで話が盛り上がってしまって。

大人しくて家に籠りがちだった世間に疎いアリアドネに色々教えてくれて。

やっぱり三人共普通にいい子達で。

すっかり仲良しになり。それからもよく一緒に過ごすようになって。

更にそこから他のご令嬢方とも仲良くなっていき。

彼女達にこの世界の教えを乞いながら。さり気なく前世の記憶で新しい事を匂わせて織り交ぜつつ。交流の輪は広がっていった。


家族とは。まあ...元々アリアドネに関心も無かったので。

正直大して変化はなかったけど。

顔を合わせた時は、なるべく明るく対応するようにはしていた。

そんな感じで。

完全に普通のJKのノリで日々を過ごしていき。


気が付けば十七歳を迎えて。

セラフィムとの婚姻まで後一年になってしまっていて...。



ヤバいっ!!

《アリアドネ》が死んじゃうまで一年切ってしまったっ!!


呑気に二度目のJK生活を満喫してる場合ではなかった!

ホント、私、こういう所がボンヤリしててヌケてるのよ! 前世でも散々皆に注意されたトコ!

何か作戦を練らないと!

慌てて『アリアドネ死亡回避』について考えるが。


...そもそも、どうしてアリアドネが死んでしまうのかが分からない...。

『ヴァルキュリアの愛するもの』にはたった一行しかなかったし。

そこには『死亡理由』は書かれていなかったし。

『いつ』『どこで』『どんな理由で』ハッキリした事は一つも無いのだ。

ただ分かる事は、亡くなるのが『挙式直前』という曖昧な時期だけ。

これでは...どうやって、どんな作戦を組めばいいのか...。泣きそうだ...。


...まあ。現状ではどうにもならない。あまりにも情報不足。

もちろん心配だし、必ず何とかしなくちゃだけど。

もっと時期が近くなっていけば...何か兆候が表れるかもしれないし。

うん。様子を見つつ。何かが判明してきたら、それに合わせて。

その時にきちんと作戦を練ろう。

うん。臨機応変で!


こんな時にまで、性格が表れてしまう...。

そんな自分が恨めしくもあり。前向きで助かった! とも思ってしまった。



   ###



一年を切ったという事で。セラフィムとの婚姻について具体的な話が始まった。

初めての話し合いの席には、義父になるゼルク・アース・ワルキューレ公爵閣下だけでなく。

セラフィム本人も居て。かなりビックリしたけど。

終始無言で。不機嫌そうな顔をして。腕を組んで。ソファに踏ん反り返っていただけで。本当にただ『居ただけ』だったけど。

...だったら来なくても良かったんじゃね? 何度もそう思った。


挙式は私の十八歳の誕生日当日。

その二か月前のセラフィムの誕生日に前祝いを兼ねて、セラフィムの誕生会が行われる事になり。


その日以降も。ちょこちょこと。招待客の選定や、事前の挨拶周りについて、新居の準備、挙式や晩餐会の内容に衣装の打ち合わせ...。そんな事を決めていったのだけど。

この時にもちょこちょこセラフィムが顔を揃えていて。相変わらずの仏頂面で、ガン睨み効かせて、イライラしてる事を表現するように組んだ腕の指をトントン動かして。

どうやら最近、魔物の出現が比較的落ち着いているらしく。

なるほど、『イカレた戦闘狂』としてはそれがストレスになっているんだろう。

時間に余裕があるからこんな打ち合わせに引っ張って来られて。ついでだから、御父上が下らない提案などをしないように目を光らせている、といった所か。

...んなの知るか!


そんな感じで。今までの十七年分合わせた回数よりも多く顔を会わせる羽目になり。

イヤな時間はラウェルナ嬢達との楽しい時間で相殺しながら。


あっという間に。

『セラフィムの十八歳の誕生会』を迎えてしまったのだった...。



   ###



『セラフィムの十八歳の誕生会』当日。

会場はワルキューレ公爵家の大ホール。

王城の舞踏会並みの人数ではないのか、と疑う程の招待客。まあワルキューレ公爵家主催だしね。そうなるよね。...それなのに!

『本日の主役』は相も変わらず不機嫌顔ですよ。いや、もう、これが普通の顔なんだろう。うん。きっとそうなんだ。自分に言い聞かせて。


...ついに『アリアドネ死亡✕デー』まで残り二か月を切ってしまった!!

全く何も予兆は無いし、計画も立てられて無いんですけどっ!!

こんな所で優雅に誕生日会に出席してる場合ではないのではないだろうか...。


「...本日はおめでとうございます」

「...ああ」

仏頂面で殺気すら滲ませた紫眼で睨む「ああ」製造機に、お祝いの言葉を掛ける必要性はあるのでしょうか?


会の初めに。ワルキューレ公爵閣下からのご挨拶と。

二か月後に執り行われるセラフィムとアリアドネの婚姻についてのご報告があったので。大人しく、主役のクセに血を求めてこのまま狩りにでも行きそうな雰囲気の婚約者の横に黙って立っていたが。

公爵閣下の挨拶が終わり、歓談に入った所で。

ラウェルナ嬢達の元へと速攻で抜け出した。


「相変わらずねえ、アリアドネ達は」

駆け寄った私に苦笑いをするラウェルナ様、ブリキッド様、リサ様達。

私とラウェルナ様達は、この一年数か月の間にすっかり仲良くなっていた。

「きっと一生こんな感じです」

...生きていればですけどね。

引き攣った笑顔を返す。

「そうかもしれないわね。後二か月で結婚する方に言う事ではないけれど」

「確かにそうですわね! アリアドネがもう直ぐ結婚とか...信じられないわ」

「...本人が一番信じられません...」

猶予が残り二か月だなんて...信じたくない真実です...。

「結婚するとなったらもっと幸せな顔をしているものなのに...ラウェルナ様のように」

ブリキッド様がラウェルナ様のお顔をニヤニヤ見つめる。

「...まあ、そんな顔してますかしら?」

照れて赤くなった顔をセンスでパタパタ扇ぐラウェルナ様。

ラウェルナ様は先月。隣国ヘイムダル王国の第三王子との婚姻が決まったばかりだ。

ヘイムダルで行われた式典に、御父上のマスティマ公爵と参列された際に。第三王子から熱烈な求婚を受けて。ラウェルナ様もその情熱にすっかり絆されてしまい。只今猛烈熱愛中である。うーん。アオハルですねえ。

しかし「やっぱり自分を思って下さる方と結婚した方が幸せになれるわ! いくら顔が良くても、不機嫌顔で睨みつける方との結婚なんて無理! ...あら、アリアドネ、ごめんなさい」の言葉は余計でしたよ! そんな事分かってますから!


「ラウェルナ様、『ヘイムダル語』のお勉強は順調ですの?」

「...まあ、ボチボチ...といった所かしら」

苦笑いするラウェルナ様。

隣国ヘイムダルには独自の文化があって。今ここダジボーグ王国で使用されている大陸の共通語も多少は通じるが。基本的には『ヘイムダル語』がメインで使われている。

流石に公爵令嬢のラウェルナ様は、ヘイムダル語も多少は教わった事はあるそうだが。挨拶程度の簡単な知識しか無く。現在猛勉強中なのだ。

「私ももっと学んでおくべきだったわ...。ヘイムダル語が完璧なアリアドネが羨ましいわよ」

冗談交じりの顔で、ラウェルナ様が私を軽く睨む。今や全然怖くもなく、寧ろ可愛らしい。やっぱりまだまだJK世代なのだ。

「私は...そんな事ばかりしていましたから」

何れワルキューレ公爵家に嫁ぐ身だったし。大人しかったアリアドネは幼い頃から勉強ばかりしていた。勉強が好きだったというより。そんな事しかやる事が無かった、が正しいけど。

「まあ焦らなくても、まだ時間はありますし!」

「そうですわよ! ...早く嫁ぎたいかもしれませんけどね。うふふ」

「もう! 揶揄わないで下さいなっ!」

赤くなるラウェルナ様を皆でキャッキャと冷やかしていたら。

ピタリ。笑いが納まって。皆の顔が固まっていった。

どうしたのか...そう思った時。

私も何故だか、急激な悪寒が走った...。


「...おい」

低くて機嫌の悪そうな声が背後から聞こえて。

私は恐る恐る振り返る。...そこには。

上から獲物を抹殺するような紫眼で睨む、血に飢えた戦闘狂...セラフィムが仁王立ちしていた。...これは皆ビビるわ。

「...親父が呼んでる」

捕食者が簡潔に用件だけ告げて去って行くと。一同ホッと胸を撫で下ろす。

今まで一度も起こる事の無かった出来事に。何か緊急事態でもあったのかと。私は皆に挨拶をして、慌てて公爵閣下の元に向かった。

「ああ、アリアドネ! 呼び出してすまないな!」

ゼルク・アース・ワルキューレ公爵閣下は。ワハハと豪快な笑顔で迎えてくれる。

「いえ。私こそ離れていてすいません」

この様子から見ると大変な事態が起こった訳では無さそうだ。

「いやいや、女性は社交が大変だからな。中断させてすまないが、親戚連中が可愛い嫁と話がしたいと言って聞かなくてな!」

ワルキューレ公爵家側の皆さんは、アリアドネの事をとても気に入って下さっている。

...結婚する当の本人以外は。ですけどね。

「もちろんです。私も嬉しいです」

ワルキューレ公爵家親族の皆さんの輪に入って。セラフィムも普段通りの不機嫌顔で輪の端の方にいたけど(今日の主役のクセに)。親戚の方に声を掛けられても「はい」「まあ」「そうですか」面倒クサそうに返事はしていたけど。まあそれはもういつもの事だと、皆さんも分かってるようで。


代わる代わるご挨拶に来てくれる方々とも淑女スマイルでご挨拶していたら。

あっという間に会もお開きの時間になって。

残る皆さんはサロンなどへ移動されて。

私の両親と兄達も帰宅して行ったが。一応未来の公爵家嫁(予定)の身なので、残る皆さんへのお酒などの準備を手伝って。それから帰宅の途に着く。

帰りの馬車の中は私とお付きのメイドの二人。数言今日の事を話して。疲れたので座席の背に寄り掛かって目を瞑った。


...しかし。

本当にどうしたらいいんだろう。挙式まで二か月も無い。

今の所、そういった不穏な空気は全く感じられない。


...もしかしたら。既に死亡フラグは折れてる?


一瞬脳裏を霞めた。が。

絶対そうとは言い切れない。そういう意味で言えば「後二か月もある」のだから。

そんな楽観視は決して出来ない。いや、してはいけない!


単純に考えれば。

やはり事故、とか。前世もこれで死んじゃったし。

でもこれは、即死でなければ自分の『魔法』で何とか出来る。


毒物。これも一回失敗してるけど。

だからこれも即死するような即効性のある猛毒とかでなければ『魔法』で対処出来る。


病気。今の所兆候はない。

これも心臓発作で一瞬の内に、とか。意識を失って、とかじゃなければ。『魔法』で処理が可能だろう。


...結局。原因が何にしても。

一瞬で終わるか、魔法で解決出来るかで。

全くどうすればいいかの答えにはならない。


......『挙式を止める』というのはどうだろう?


『彼には許嫁がいたが、十八歳で挙式を迎える直前に亡くなってしまっていた。』

小説のあの一文からすれば。

『十八歳』で『挙式』を迎えなければ。

亡くならない...という事にはならないだろうか...?

まあ...挙式は止められないかもしれない。

でも『十八歳』では止める事も...可能じゃないか?

何か、病気とか...身を隠すとか...。


その時。

馬の大きな嘶きが闇夜に響き渡った。そして。

「うわあああああっ!!」

という、男性の叫び声。


「...っ何っ?!」

慌てて目を開け、身を起こす。

向かいの席のメイドも驚いた顔で辺りを見回してる。


ガタガタガタッ!!

馬車が大きく前後左右、更に上下にまで揺れた。

ドスンッ!!

凄まじい衝撃に。

「っきゃああああああぁぁぁっ!!」

思わず叫んでしまい...。そこで記憶が途絶えた...。



意識が戻った時には。

自分が今どういった状況なのか分からなかった...。

身体がアチコチ痛かったので。『護身魔法』を使用して痛みを取る。

そっと目を開いて。......これは...。


本来、横にあるべき馬車の窓が。底と上面にあって。

...馬車が横転しているみたい...。

メイドも倒れていたが...確認したが呼吸はある。大きな怪我も見当たらない。

幸いにも、扉が上に面していて。更に幸いな事に、この馬車は大型ではなかったので。

何とかジャンプして扉を押し開けた。鍵は衝撃で外れてしまったようで、これも幸いだった。

枠に手を掛けて。今や壁になった馬車の床部分に足を掛けて。渾身の力で身を上に攀じ登らせる。

横転している馬車の上で。ゼエゼエ肩で呼吸しながら。暗闇に目を向ける。と...。


馬車の前方...馬車を引いていた馬が倒れていて...。

その馬に何か大きな黒い物が覆い被さってグチャグチャと音がして...。


...馬を......食べている...?

愕然として動けずにいると。

その大きな黒い物が、ゆっくりコチラを向いた。

そこには濁って光る赤い目が二つ...。


その姿そのものを目を凝らして、よくよく観察して見れば。

背丈は二メートル位だろうか...体が丸められているのでもっとあるかも。

全身黒っぽい長目の体毛で覆われ。

背に付いてるのは...羽根...だろうか...。


...つまり...これは......魔物...?


話には聞いた事はあるが、自分の眼で見た事はない。

だから絶対ではないが。この風貌。そして馬を食べている。となれば...。


頭が理解すると。途端に身体がガクガク震え出す。

口も閉じる事が出来ず、上下の歯がぶつかり合ってカチカチ音がする。

叫び声を上げる事も、逃げ出す事も出来ない...。


そうして魔物と向き合っていたのが、どれ位の時間かは分からない。

不意に。魔物が馬を銜えたまま。

背の羽根を広げて...思いの外大きな羽根だった。

空中へと舞い上がり...やはり思っていたより体は大きかった。

そのまま右方向...魔物が巣食う『タルタロスの樹海』へと飛んで行った...。


魔物の姿が夜空で確認出来なくなって。

はああああ...。

大きく息を吐いて。

身体は急に弛緩して、上に乗ってた倒れた馬車にヘタリと腰を付けて。

全身に汗がドッと噴き出して寒気がした。


少し落ち着いて。手はまだガタガタ震えていて力は入らなかったけど。

周りを警戒しながら確認してみる。

...他に仲間は...いなそう...ね?


ゆっくりと。横転した馬車の上から地面に降り立った。脚もまだ僅かに震えてる。

馬車の前方部を窺うと。御者が倒れていた。

急いで安否確認をして。...うん。安定した呼吸をしている。見分では大きな怪我は見当たらないが。額から血が出ていたので護身魔法で治療した。


そして。先程、魔物が馬を食していた場所に恐る恐る近付く。

...大きな水溜まり...黒っぽく光っているけど...多分血だろう。

馬は二頭立てだった。という事は...一頭はあの時既に...。これはその血...?

強い血の鉄分を含んだ匂いと。生臭い匂いに。

吐き気を催したので、急いでその場所を離れた。


...魔物に襲撃されて、慌てた御者が馬の操作を誤って運悪く横転。という所か。

魔物に襲われるなんて...運が悪いとしか言えない。


右に広がる『タルタロスの樹海』を見た。『タルタロスの樹海』は広大で。ここ、王都『フォルトゥーナ』にも樹海の端は近い。もちろん近い範囲は人も住んでいない。

それでも魔物が『人間の生活区域』に入り込む事は稀にある。

だからこそ騎士団が昼夜問わず、樹海周りを巡回して、魔物が『人間の生活区域』に入り込まないよう警戒して。

樹海内で魔物の気配を察知したら討伐をしていっているのだから。

...今日は団長、副団長共に不在だっただろうけど。

『イカレた戦闘狂』さん...ちゃんと仕事して下さいよお...。


...さて。とりあえず...この状況はどうしたものか。

馬は居なくなってしまったし、御者やメイドが目を覚ますのを待つか...。


......その時。

天啓の如く。頭の中で声がした。気がした...。


.........このまま逃げればいい。


魔物に馬車が襲われた。

この馬を食らった血溜まり。それが明らかな証拠だ。御者も証言するだろう。

周りには誰もいない。御者とメイドは気を失っている。

だったら...アリアドネも襲われた事に出来ないだろうか...?


アリアドネが『死んだ』事に出来れば...。

このまま逃げてしまえば...。それは可能なんじゃないだろうか...?


そうだ...。

このまま逃げてしまえば。

アリアドネは『魔物に襲われて死んだ』事に出来て。

誰にも迷惑を掛けずに。

この結婚を無かった事に出来る。

エイルノルン子爵家にも害は及ばない。

ワルキューレ公爵家だって。セラフィムだって...いや、セラフィムこそが。

この事を喜ぶのではないだろうか...。


小説通りであれば。

『十八歳』で『挙式』を上げなければ...アリアドネは死なずに済むかもだけど。

『死んだ』事に出来れば。

それで小説の話としては『成立する』...はず。


『私自身』は逃げて。どこかでひっそりと...『別人』として生きていても...。

それはもう『主人公であるセラフィム・ヴァン・ワルキューレの婚約者、アリアドネ』ではないのだから...何も問題ない。はずだ。

いや、もちろん。

このまま逃げても。全く関係ない所で死んでしまうかもしれないけど。ほら、『原作の強制力』とかで。

だけど。何も対策できないこの現状で。

このまま二か月、怯えながら挙式まで過ごすよりは。

絶対絶対...マシだっ!!


...そうと決まれば。

とにかく、まずはここから立ち去らないとっ...!!


私は決意をして。気合を入れる為に両頬を叩いた。

しっかりっ! ここが踏ん張りどころっ!

...うん。大丈夫。落ち着いた。...まずは。

まずは、アリアドネが魔物に襲われたように偽装しなくてはいけない。

靴を脱いで。片方を馬車横。もう片方を、馬の血溜まり近くに置いた。

ドレスを破いて。横転した馬車の扉に引っ掛け。少し血溜まりにも置く。

これで、横転した馬車から引き摺り出されて、馬と一緒に食べられてしまった...そんな風に装えるだろう。

御者とメイドは。このままでも死ぬ事は無いと思うから。

目を覚まして自力で助けを求めに動くか。朝になれば人も通るだろうから、その人達に発見されるか。どちらにしても無事で助かるはず。...また魔物が現れない事を祈る!


私は残っているドレスのスカート部分を引っ掴んで走り出した。

逃げるにしても何の準備も無いし。誰かに見つかる訳にはいかない。

とにかく暫くは...身を隠しておくのが得策だ。

身を隠しておける場所。誰にも見つからずに身を隠せる場所。


そうなれば......ココしかないっ!!


やがて辿り着いた『タルタロスの樹海』の中へと脚を進める。

木や草が生い茂っているが、それをガンガン手や脚で切り開いて。

そのままドンドンと奥へ奥へと入って行く。


ココは確かに魔物の巣窟だけど。

私にはネット小説「ヴァルキュリアの愛するもの」での知識がある。

そして魔法が使える。

それらを駆使すれば...きっと大丈夫っ!!


高揚した頭が。そんな理屈を構築して。

とにかく大丈夫だ! と自信だけが湧いてくる。

うん。でも。きっと大丈夫っ!

そう信じて。


私は自分の死亡回避の為に。

その一歩を力強く駆け抜けて行く。


絶対...絶対に...生き残ってやるんだからねっ!!




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