19才VS35才。ボクシング日本タイトルマッチ
『WATARUー!』!
ホールの客の9割9分はチャンピオンのWATARUの勝利を見に来てる。そらそーよな。
ワタルは現役東大生の全試合KOの世界チャンピオン候補。ちょっと気の弱いイケボでイケメン。ネットでも大人気。投げ銭日本一。令和を代表する天才……肩書き多すぎだろ。こちとら35才の顔がボッコボコに潰れた昭和生まれのフリーターよ。
「こ…河野!離れろ!」
「ウィッス」
俺はゴングと同時にクリンチした。勝てるとは思ってない。こいつ相手に長生きできりゃあしばらく会長も「早く引退しろ」とは言わないだろ。まだやらせろよ。ボクシング。
奇襲だろうと時間稼ぎでも反則でもなんでもするぜ?とはいえいきなり大ブーイングは辛い。
『闘えよおっさん!』
『ランキング上位が全員ウイルス感染して回ってきたチャンスだろーが!』
そうだよ。1位から4位まで感染症。ついてるよねぇ俺。
「おっ?おっ?おっ?」
ブーイングが大歓声に変わった。ワタルの足を使った美しいボクシング。いやぁ。追い付けねぇ。ジャブからのワンツーを貰って反撃しようと手を伸ばすともうそこにはいねぇ。詰んでるエンジンがちげーよ。なんでこう世の中は不公平か……ね!
「だーから掴むな!」
またブーイング。減点覚悟。俺は両手を広げてワタルに抱き付きにいった。パンチ撃つつもりなんてないね。
「……あの。肩が痛いんですけど?」
知らねー。俺のアゴは尖ってる。ボクサーには向いていないアゴだが抱きついて肩に乗っけて体重かけられると痛てーだろ?
「だからぁ?」
俺のこの一言に怒ったのか1ラウンドで顔がパンパンになるまで殴られちまった。
・
「ダウーーーン!」
今日一番の大盛り上がり。ダウン。もちろん俺が。これは10秒じゃ立てないね。12秒かかる。
「まげだぐないよぉぉ!」
「えっ?……しっ……シーーックス!」
レフリーの矢部さんに泣きながら訴えかけた。レフリーはフェアだ。でもこのレフリーの矢部さんとは15年の仲で彼も人間なのだ。俺の泣き顔に動揺したのか矢部さんのカウントが少し遅れた。カウント8。実質12秒。助かる……よ!ふぃー。何とか立てた。
『レフリー!カウントおせーぞ!』
『なにやってんだー!?』
・
「なぁ。あいつは本当はウチに来るはずだったのになぁ。欲しかったなぁ!ワタルがウチにいればなぁ!くぅーー!」
会長が俺の震える脚を揉みながら言う。その話1000回聞いたよ。今その話するかぁ?自分のボクサーが死にそうなんだぜ?もう期待なんかされてないか。あんたも敵かよ。トホホー。
「ふんっ!」
鼻に力を入れると血が吹き出した。中で固まってたか。やっと鼻呼吸が出来る。
「あっ。死ぬ時は合図しろよ?タオル投げてやる」
「おいすー」
さっ。後半といこうぜ。
・
俺の頭の中でロッキーのテーマが流れていた。
チャンピオンと最後まで戦い抜いて恋人の名を叫ぶロッキー。名作だよな。いつの間にか当時のスタローンの年齢を追い抜いてるし恋人もいないが今の俺はロッキーだ。
「ふっ!ふんっ!」
「おう……うぇぇ」
「ダウーン!」
リバーで腰を落とさせてワンツーで目と鼻を潰す……残酷で綺麗なコンビネーション使いやがる。本当に死んじゃうかも?歓声も悲鳴に。そして沈黙に変わった。これはチャンス。
「んまぁぁ!ぴええぇん!オンビョロロォ!」
俺は訳のわからない事を叫びながらワタルに抱きついた。
「おいっ!河野!いい加減に……ダーウン!」
うしっ!うしうしっ!ダウンとったどー。抱きついた時にワタルの乳首を舐めて感じさせて、離れ際に撃ったアッパー……を避けられた時にぶつけた肘でな!見たか!これがベテランの反則よ!
「……あんたねぇ」
5秒で立つかー。しかもぶちギレてる。代償はでかいねぇ。
・
『WA!TA!RU!WA!TA!RU!』
最終ラウンド。俺氏。5度目のダウン。そりゃ皆ワタルのKO期待しちゃうよねぇ。でも立っちゃうんだよねぇ。
あと1分。生き残ってやる。
ボクシングでボロ負けしてる方が最終ラウンドに逆転KOなんて漫画じゃないんだからありえない。でもさぁ。
「いてっ!いたた」
なんか、当たる様になってきたんだよ。ジャブが。
「……な!?」
追い付けちまうんだよ。ワタルのスピードに。
そーいやお前。フルラウンド戦った事なかったな?へばってんのか?走り込みが足りないねぇ。
「るあっ!」
ガードの上からだが左のフック。右のフックがリズムよく当たった。
「くぉんのぉぉ!」
なぁ?お前。はじめの一歩……知ってるか?ボクシング漫画。俺はあれが大好きでプロボクサーになったんだ。幕の内一歩になりたかったんだ。ワタル。お前は宮田一郎に似てるよ。イケメンのカウンター使い。
何度も読んだなぁ。何度も何度も。いつだっけなぁ。「俺は一歩にはなれない」って思ったのは。いいなぁ!お前は!なれるんだろうなぁ!宮田一郎に!
『キ・モ・い!キ・モ・い!』
『WA!TA!RU!WA!TA!RU!』
キモいってのは俺の事だ。声援でなくて罵声だがホールが沸くのはいい事だ。
「ぬうぅぅ!」
右!左!右!左!右ぃぃ!
「河野!残り10秒!がんばれぇぇ!」
何だよ会長。珍しく声なんかあらげて。
「……はじめの一歩ですか?」
おっ?何だよワタル。知ってるんじゃん。はじめの一歩。
「それでデンプシーロールかよっ!」
おおっ!デンプシーロールも知ってる?一歩の必殺技な!あれ?
右左右左右左右左右左右左。上半身で『∞』を描きながらの左右のフックの連打。俺はいつの間にか一歩の必殺技を使っていた。
「しまった!」
ワタルのガードが弾けた。
パグっ!!と音をたてて右フックがヒット。
ボガッ!!左フックがヒット。
ドガァッッ!と右フックがヒット。
『ダウーーーン!』
やっぱり諦めないってサイコーだ。
試合『終了』のゴングが鳴り響いた。
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君が代がメキシコのホールで響く。やはり国歌を聞くと『世界タイトルマッチが始まるな』と気が引き締まる。
『21戦21勝20KO!WBA世界フェザー級チャンピオン!!ワーターーールー!!』
チャンピオンの僕が先にコールか。挑戦者の地元だから仕方がないのかねぇ?続いてメキシコの国家が流れる。
(河野選手です。何をやっても勝つという執念。諦めない心。僕は彼との試合でそれを学びました)
僕は『尊敬するボクサーは?』という記者からの質問にはいつもそう答えていた。あの『ダウン』が有効だったら僕は負けていたのだ。あと1秒ゴングが鳴るのが遅かったら僕は負けていた。河野選手。僕が唯一KO出来なかった男。そして僕を唯一KOした男。絶対に諦めないキモくてカッコいいおじさん。さて。相手のコールが終わった。
行くぞ!
「諦めない姿勢は尊敬しますが……」
『なんですか?お腹いたいですか?』
「諦めなさすぎでしょう。日本語で話してくださいよ。河野さん」
「ジョークだよ宮田君」
「ははっ。何ですかそれ。またはじめの一歩?」
河野選手は年齢を理由に日本プロボクシング協会から強制引退を通告された。でもこの人は諦めなかった。メキシコに帰化してまたプロになり、しかもまた僕の前に現れた。僕はよくモンスターと言われるがこの人のがよっぽどモンスターだ。半分白髪の頭。長く伸びたヒゲ。現役世界ランカーにはとても見えない。でも騙されないからな。
「カウンターで決めてやるよ幕の内」
「いいねぇ」
『……ファいっ』
試合『開始』のゴングがなった。