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元の時間へ

「ミシェルお嬢さま、ぼんやりして大丈夫ですか?」


 体を軽く揺すられて、びっくりした。心配そうにわたしを見ているフランシスカに首を傾げた。


「フランシスカ、どうしたの?」

「どうしたの、ではございません。天気が悪くなってきそうなので、今日は屋敷に引き揚げようかとお話をしていたところですよ」

「ああ、そうだった」


 そうだったと頷くと、馬車の窓から外を眺めた。まだ雨は落ちてきていないが、いつ降ってもおかしくないほどの曇天。馬車は軽快に進んでいるけれども、伯母の屋敷まではまだ距離がある。その間には川があり、橋を渡らなくてはいけない。


「教会を出た時にはいいお天気だったのにね」


 ため息しか出ない。十八歳の誕生日を迎えて、今朝、王都の中央にある教会へ祝福を受けに行った。折角なので、その足で王都の外れに住んでいる伯母のお見舞いに行くつもりでいたのだけども。


「どうしましょう。伯母さまも楽しみにしているわよね」


 決めかねていていれば、御者が声をかけてきた。


「雨もまだ降っていないので、急いで伯爵夫人の屋敷に向かいましょう。引き返すのも同じぐらいの距離ですから」

「わかったわ、このまま伯母さまの家に向かいましょう」


 あと少しの距離だと頷けば、御者が馬車のスピードを上げた。急いでほしい気持ちはあるが、いつもとは違うスピードが恐ろしく感じる。がたがたと揺れる馬車に身を任せられずに、とうとう御者に声をかけた。


「ねえ、もう少しスピードを落としてちょうだい。なんだか怖いわ」

「しかし」


 御者は雨が降る前にと思ってくれているのだろう。わかっているけれども、どうしても恐怖心が沸き上がる。馬車のスピードは落ちることなく、そのまま進んだ。


「お嬢さま、あの橋を渡ればすぐです。それまで我慢してください」


 橋、と言われて窓の外へと目を向けた。見覚えのある景色が見える。川の上流に雨が降ったのか、いつもよりも水が多く、唸り声のような音を響かせていた。


「大丈夫です。わたしも側にいますから」


 励ますようにフランシスカがわたしの両手をぎゅっと握った。驚いたことに両手が細かに震えていた。


「ありがとう。どうしたのかしら、いつも通っている橋なのに」


 この恐怖がどこから来ているのか、わからない。ただただ怖いという気持ちだけが沸き上がっていて、自分でも戸惑ってしまう。


 そして。

 橋を渡った時。


 大きく馬車が揺れた。



「気が付いたか、ミシェル!」


 うっすらと目を開ければ、ひどく取り乱した男性がいた。間違いなく知らない男性であったけど、どこか知っているような懐かしさを感じた。

 美しい黒髪は雨で濡れて、額に張り付いている。焦りと苦しみを滲ませた表情に、思わず笑ってしまった。


「そんなに心配しないで」

「笑い事ではない。どこか痛いところはないか?」

「全身痛くて体が動きそうにないわ」


 何があったか、おぼろげながら思い出す。


「御者とフランシスカは?」

「二人とも怪我をしているが無事だ。君が一番ひどい」

「そう。でも生きているみたい」

「生きていてもらわないと僕が困る」


 雰囲気に合わない軽妙な会話にほっとしたのか、彼はぎゅっと抱きしめてきた。その抱擁に胸の奥の方がポカポカしてくるのだから不思議だ。


「ところで、あなたのお名前を伺っても?」

「名前」

「ええ。恐らくだけど、初対面だと思うの」


 愕然とする彼を見て、首をちょっとだけ傾げた。


「覚えていないのか」

「何を?」

「僕とミシェルの愛の軌跡」


 なんだろう、ヤバい人なのかな。

 すごく整った顔立ちをしているけれども、出てきた言葉が怪しすぎる。


「えっと」

「あれほど愛し合っていたのに、忘れてしまうとは」

「……お知り合いに、思い込みの激しい人はいなかったはずよ」

「思い込みじゃない。ああ、何てことだ! 僕にしか記憶がないのか!」


 彼は劇場俳優のようにひどく大げさに嘆いた。


 どうしたものかと体を捩ると、激痛が走った。その痛みに思わず呻く。


「話はあとだ。まずは安全なところに移動しよう。すぐに医師を呼ぶから」


 彼は現実に戻ってくると、わたしを抱き上げた。抱き上げられて周囲を見回す。

 橋の下に落ちた馬車の残骸を見て、息を呑んだ。


「どうして」

「橋に石が落ちていたそうだ。脱輪して、そのまま下に落ちたと御者が言っている」

「そうなのね」


 無事だったことが不思議だった。でもこうして助けられて。怪我をしていても死ななかったことにほっとした。ほっとすれば、痛みがどんどん増してくる。ぐったりと彼の胸に頬を寄せた。


「少し休むといい。この後のことは任せて」


 他にも何か言っていたが、任せればいいという言葉に意識を飛ばした。




 沢山の花束に、沢山のお菓子。

 どれもこれもわたしの好きなものだけれども、限度があると思う。


「もうこれ以上、いらないわ」

「では、他のものを探してこよう」

「そうじゃなくて! 何でも沢山あればいいということじゃないのよ」

「でも、僕の気持ちが伝わらないじゃないか」


 どうしてこう残念な人なのか。

 ため息しか出ない。


 事故に遭ってから十日ほど。

 馬車が大破した割には軽傷だった。御者もフランシスカも無事で、怪我をしたものの後遺症は残らないそうだ。一番ひどく怪我をしたのがわたし。強く体を打ちつけ、足が折れていた。手当てが早かったので、気にならない程度には治るらしい。


 事故を起こした馬車から助けてくれた彼はこの国の第三王子のランバート様だった。すぐに誰だかわからなかったのは仕方がないと思う。社交界でもなかなか会えないと有名な人だから。


 そんな彼が何故かわたしを甘やかしてくる。事故に遭った日、看病すると言い張っていたが、流石に見知らぬ人にしかも王族にそんなことをさせるわけにもいかず。両親が断っても引きそうになかったところ、彼の侍従が一喝した。


 渋々引き下がったものの、翌日からはお見舞い攻撃で。

 ミシェルの部屋は贈り物であふれかえっている。


「花も、お菓子も、嬉しいけれども」

「宝石が良ければ、すべて買い占めてこよう」

「やめてください。王子が伯爵家の娘にそんなことをしたら、変な噂になります」


 そもそも、今まで接点がなかったのにどうしてこうなっているのか。

 突然すぎるのと、訳が分からな過ぎて、本当に困る。


「僕はミシェルを愛しているんだ。今すぐ、結婚したい」


 これも初めの頃は戸惑いと恥ずかしさでいっぱいだったけど、毎日言われて流すこともできるようになった。


 にこにこする彼を見て、どうやって結婚できないことを理解してもらおうかと考えていれば。


 ずいっと何かを突き付けられた。大きな茶色い物に目を丸くする。


「……エリー?」


 知らないはずなのに、何故か名前が思い浮かんだ。彼は満面の笑みを見せる。


「そうだ、エリーだ。君のものだ」


 戸惑いながらも、手を伸ばしエリーに触れた。手に取ることを躊躇えば、押し付けられるようにして渡される。仕方がなく、そのまま腕に抱いた。


 クマのようなフォルム、頭の上に二つ付いている丸い耳。

 目がギラギラしていて、表情が非常に凶悪。舌がだらしなく横から飛び出していて、リボンがとてつもなく浮いている。


 一度でも見れば忘れられないぬいぐるみ。

 記憶にないはずなのに、知っていると心が告げてくる。


「どうしてかしら、知っている気がするわ」


 涙が止まらなかった。

 次から次へと勝手に零れていく。


「理由なんてどうでもいいじゃないか。僕は君を愛していて、君もきっと僕を愛するはずだ。間違いない」

「その言い方がとても変態のように感じるのに、嬉しいと思ってしまうの。不思議だわ」

「うん、今はそれでいいよ」


 満足そうに彼は頷き、頬にキスをした。



Fin.

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