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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
9/20

贋恋文9

―――――― 9 ――――――


「ねえ兄上、全然バレないじゃないですか」

 湯殿の、内と外。板戸一枚隔てて兄と妹が仲良く汗を拭っている。

 今日も今日とて三人(菊弥と雪之丞と助三←ニゲテ チョーニゲテ)での朝稽古の後である。湯殿へも助三が毎回ついてこようとするが、雪之丞が鉄壁のガードでそれを阻止している。

 板戸の向こうからの菊弥の声に、雪之丞は妹のドヤ顔が目に見えるような気がして『ハァ…』とため息をついた。

 妹のドヤ顔はハチャメチャにカワイイ(シスコン)←半眼

―――が、そうではない。

 あの賭けは危機管理についての菊弥の自覚を促すのが目的だった。現に江戸へ着いてすぐにどこぞの年増に逆ナンされていたというのは、助三から聞いている。その時には幸いにも助三が通りかかり事なきを得たというが、大体にしてこの妹はなまじ剣の腕がたつ分、女子供に甘すぎるところがある。実にスマートにそのイケメンっぷりを発揮するのだ。自分も守られるべきおなごの内だというのに。まあ、そんなところも菊弥の美点ではあるのだが(少なくとも郷里では並ぶものもないくらいにモテていた、おなごに)。

 とにかく、このお江戸ではそんな甘さを自重してもらわねばならない。

 だというのに―――

 これまでのところ、賭けの勝敗は菊弥へ傾いてしまっている。

(あの人は肝心なところで……役に立たないのだから……)←意味深じゃない方

 雪之丞はゆるりと頭を振った。女好きの助三であれば、すぐにでも男装女子に気がつくと思ったのだが、一向にそんなことにはならず、それどころか、『ユキの弟は俺の弟も同じ』とばかりに可愛がってくるのだった。

(一体いつの間に稽古の相手まで取り付けていたのか……油断も隙もない)

 というその胸の内の呟きは、現在進行形で(菊弥が弟であると)騙されている助三に対していささか理不尽にすぎるかもしれない。ソンナコトナイデスヨ

 一方で助三は可愛い弟ができ満更でもないようで、あれから何度も稽古をつけてやってるし、今季の公演(しばい)では最後の一幕でしか出番がないにもかかわらず芝居が始まる前の呼び込みの段階から顔を見せ、手裏剣投げの大道芸を披露する菊弥になにやらアドバイスをしたりなど珍しい姿を毎日のように見かける。時間があればあっただけより長く女の家へしけ込んでいるような男だったというのに(実はそのうちの幾度かは母親の様子窺いなのだが…幾度かは)。

 ともあれ、兄が黙り込んだのを肯定的に受け取った菊弥は、

「だったら、私もそろそろ贋物屋(アチラ)の仕事にも役立てて下さいませ。私とて、少しは兄上たちのお力になれると思います」

 ここぞとばかりにそう言った。まだ、贋物屋の仲間になることを諦めていない菊弥である。助三がいないからか言葉遣いが大分おなごに戻っていて、そういうところにも甘さが窺えるのだが、こうしたことはいくら言葉を尽くしたところでなかなか自覚できるものではない。

 『ハァ…』と雪之丞はもう一度ため息をつき、

「なりませぬ」

 きっぱりと言った。

「ですが、私とて朝倉先生からのお墨付きを頂いた身です。必ずお役に立ってみせますから」

 朝倉先生というのは郷里にある一刀流の道場の師範の名だ。『お墨付き』というのは免許皆伝のことである。雪之丞や助三と一緒にすることは出来ないが、相当な腕であることに間違いない。さすがに藩創設以来代々剣術指南役を務めてきた片桐家の総領娘(長兄は行方不明で次兄は家と縁切り、姉は他藩に嫁いでいるため彼女が跡を継ぐことになる)である。

 だが、それとこれとは別だ。雪之丞は大事な妹を『裏家業』に関わらせるつもりはなかった。大体、雪之丞の心積もりでは今頃は妹に良き婿を迎えて片桐家を継がせている筈だったのである。それが江戸で共に暮らすことになったわけだが、それはまあいい。よくはないが、嬉しい気持ちもあったことで雪之丞はまあいいということにした。だがしかし、裏家業に菊弥を関わらせることはしたくない。座頭の惣右衛門の娘のおことだって基本的には贋物屋の仕事に関わることはしない。惣右衛門がそうさせない。惣右衛門も雪之丞もこればかりは頑として譲ることはない。

「そればかりは聞けませぬ。諦めてください」

 苦笑混じりに宥める雪之丞だったが、

「でも、助三どのは『雪之丞の弟なればいずれは役に立ってもらおう』と言うてくれましたよ」

 ニカリと茶目っ気たっぷりに笑う菊弥の言葉にピシリとその笑顔が固まった。

 助三の言葉は菊弥を男と思っているが故だ。さすがにおなごであると知っての発言ではない。そんなことがあれば江戸一番の女たらし(フェミニスト)の名は返上せねばなるまい、とわかってはいる。わかってはいるが、

(あんの…! 余計なことをッ!)

 思わず舌打ちを漏らす雪之丞であった。

 大体において雪之丞は、先日の助三の寝言(出番がなく暇だったらしい助三が珍しく舞台裏でうたた寝をしていた)を聞いて、たとえ菊弥をおなごと知らずとも助三という男は油断がならないという認識を深めていたところである。

 ちなみに寝言については後できっちり、しっかり、徹底的に問いただす予定である。

 しかし、そんな寝言のことなど知らぬ菊弥は助三を頼りになる兄貴分と思っているようだった。『いずれ役に立つ』との言葉も手合わせの後に言われたこともあり、菊弥はすごく嬉しかったのだ。

 あれは道場で初めて稽古をつけてもらった時のこと。そもそも菊弥は助三のことをとても警戒していた。男装がバレないようにという賭けの対象だったということもあるが、なにより助三が秋山藩の江戸藩邸における剣術指南役の息子であったからだ。

 あの茶碗が失われた事件の折り、助三の父親は茶碗を受け取りに来た江戸詰めの藩士の一人だった。江戸から来た二人に加えて国許から雪之丞や菊弥の兄が警護に付き添い茶碗と共に出立した。

 そして、茶碗が江戸に届かず、その三人の内二人が後に遺体で発見されたのである。残る一人、雪之丞と菊弥の兄は現在も茶碗とともに行方不明であった。

 兄が何らかの理由で藩を裏切ったのではないかという、茶碗を持って逃げたのではないかという噂は否定する者も多かったが、信じる者がいなかったわけではない。菊弥のいた国許でさえそうであったのだから、江戸藩邸ではなおさらであった。ましてや助三の父親は遺体で発見されたのだから。そのことを菊弥は警戒したのである。

 しかし、助三はそんなことは一切信じなかった。もっともそうでなかったのならいくら城代家老の口利きとはいえ雪之丞と一緒に役者に身をやつしてまであの事件の謎を解こうとしてはいなかったであろう。

 菊弥は直に助三に問うてみたのだ、何故と。

「私どもの兄が助三どののお父上を殺めたとも知れませぬのに―――」

 と。意を決して尋ねた、そんな菊弥に助三は言った。

「父の剣の腕は俺の数倍は上、いや、ちょい待ち、待った、ちょっと上、いや多少は上だから―――ゴホン―――お前たちの兄に殺られるような父ではなかったと俺は知って(●●●)いるのだ」

 言ったのだ。

 助三のそれは自身の父親への絶対的な信頼から来ていた。

 菊弥はそんな助三に好感を持った。自分もまた兄がそのような卑怯をするような人間ではないと『知って(●●●)いる』のだから。『同じだ』と、自分たちは同じだと思った。

―――雪之丞は菊弥が助三に懐いたと嘆いていたが。


「だから、兄上? 私にも贋物屋の仕事を―――」

 助三が役に立つと言ってくれるのなら兄だってもうちょっと押せばなんとかなるのではないかと思った菊弥だったが、

「な・り・ま・せ・ぬ」

 雪之丞の満面の笑顔(に出かかった言葉を飲み込んだ。さすがに妹である。不穏な空気を敏感に察知したようだ。手早く身仕舞いを終えると、湯殿から出てきて言った。

「わかりました。もういいです」

 拗ねたように言う菊弥に雪之丞は苦笑する。存外、子供っぽいところがある。郷里を出て二年、すっかり大人になってしまったかと思ったが、少し嬉しいようなますます心配が募るような、兄心は複雑である。

「よろしゅうございます。私はおこと様の用心棒として誠心誠意努めさせていただきます。全身全霊をもって彼女をお守りして見せましょう」

 拗ねた口調から一転、芝居がかった大袈裟な物言いで宣う菊弥。それがバッチリと似合うイケメンっぷりなのがまた…

「―――なにしろ―――」

 菊弥は続ける。国許でも江戸でもおなごに大モテの真骨頂である爽やかな笑顔を兄の雪之丞に振り撒き、たっぷりと間をとった後に、

「そのうちに義姉上になるかもしれませんからね」

 言い切ってカラカラと笑いながら逃げ出していった。

「…っ?!」

 残された雪之丞が、

「バカを申すな! きくっ!」

 思わず男言葉に戻って叫んだのを背中に聞きながら、菊弥は嬉しそうにもう一度高く笑ったのだった。



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