贋恋文8
ほんっと、うちの助三がスミマセンm(_ _)m
―――――― 8 ――――――
「……………フッ……………フッ……………フッ……………」
微かな息遣いと重い何かが風を斬る音。
朝倉一刀流で使われる木刀は中に鉄が入っている為、相当な重量がある。それをもうすでに半刻(約1時間)は振り続けている。
深山一座の二枚目看板・助三であった。
いくら今は役者に身をやつしているとはいえ元は秋山藩士、それも江戸藩邸の剣術指南役の嫡男だった男だ。ましてやその胸に大望を抱く身としては研鑽を怠るわけにはいかない―――確かにそうではあるがそれでも助三がそれを行っているとなると驚きを隠せない者が深山一座の中でさえ少なくない。
助三、いや本多助三郎という男は、《努力》とか《根性》というものを表に出すことをよしとしない男なのだ。だが、一方で毎朝の鍛練は欠かしたことがない。これは秋山藩士であった頃よりの習慣であるため今さら変えようがない。例え前日どれ程遅く帰ってこようとも(意味深)。
ただし助三の鍛練の時間が早朝過ぎてこれを知っているのは元から中間として本多家に仕えていた文治(今は一座の道具方)と、たまたま鍛練時間の被った雪之丞くらいで、どこまでも誤解の多い男でもあった。
「……………フッ……………フッ……………フッ……………」
今、助三が振っているのは芯に鉄を鋳こんだ普通よりも格段に重い木刀である。助三自身の流派は別だが、雪之丞の使う朝倉一刀流のその木刀を見てこれはよいとわざわざあつらえたものだ。
その重い木刀を飽くことなく振り続けている。助三は鍛えれば鍛えるだけ筋肉のついてしまう体質だったため、この木刀で鍛練をするようになってから一回り身体が大きくなったような気がする。逆に雪之丞は筋肉のつきにくい体質のようで、力業では助三に劣る。が、敵の油断を誘うのにあの見た目以上の武器はない。助三としては羨ましい限りであった。
ちなみに雪之丞はあの細腕でこの木刀を毎朝千本も振っているのである……(そろそろ江戸七不思議の一つに認定されるべきだと思うby助三)
ともあれ、今朝は雪之丞の姿はまだ見えない。それもその筈でいつもの鍛練の時間より大分早く、助三はまだ夜も明けきらぬうちから励んでいるのである。
近頃の助三は眠りが浅く、昨夜もまともに眠れていなかった。それというのも―――
(……またおかしな夢を見てしまった……)
また、というくらいには頻繁に夢を見ているようだ。助三は困り果て、こうして邪念を振り払うべく木刀を振り回しているわけだが。昨日などは夜に眠れぬ所為で舞台裏でうたた寝をしてしまった。そして、その時も夢を見て飛び起きた。起きてみたら、目の前に雪之丞がいて氷のような蔑みの眼差しを受けたような気がしたが、気のせいであろう。
(まさか、夢の内容がバレる筈もないもの、な?)
助三が呟く。いったいどんな夢なのか、というと、まあ、口に出すのも憚られるような―――そういう類いの夢なわけなのだが―――
(大体、あの兄弟がいかんのだ!―――なにがって? 決まってる! あの兄弟が可愛ゆすぎるのがいかん!)
助三がブンッと思いっきり木刀を振り下ろした。
兄の雪之丞は江戸一番の芸妓が裸足で逃げ出すような美女だし、弟の菊弥がこれまたツンデレな子猫のように可愛いところがけしからんところだ、と助三は心の中で断じた。見た目はキリッとしたきつそうな美少年のくせして、時々春の陽だまりのような笑顔で微笑みかけてきたりする……
(なんだあの可愛さは! イミがワからんわっ!)
心の声(ほぼ怒声)が誰にも聞こえなかったのは助三にとって幸いであった。『意味わからんのはオマエだ』とツッこむ者がいなかったからだ。(ザンネン)
(昨日だとて―――)
昨日の―――
朝のことだった。朝の素振りの時、この日は雪之丞だけではなく菊弥も助三の隣で木刀を振っていた。
「気持ちのよい朝でございますね! 助三どの!」
ニパッとと人懐こい笑顔を向けてくる菊弥に助三は眩しいものを見るように眼を細めた。キビキビとした所作であっという間に支度を整え、助三の隣を陣取る。近頃大陸よりわたってきた向日葵の花のように爽やかな少年である。
助三も、
「オウッ!」
と応えて、菊弥の隣で木刀を振り下ろす。雪之丞も菊弥とは反対側の隣にいていつものように素振りを行っているのだが、何故か圧がすごい。助三が途中で菊弥の姿勢にアドバイスをしようと手を伸ばそうものなら、自分の素振りを中断してじっと見てくる。弟に指南するのは自分の役目とでも思っているのか、あるいは流派の違う助三の指導にいささか思うところがあるのか。どちらにせよやりにくいことこの上ない。
それからしばらく『エイ!』『オウ!』という勇ましい掛け声と風切り音、三人分の軽い息遣いばかりが聞こえていた。
「きく、弥。おまえはもう終いになさい」
雪之丞が助三を挟んで並ぶ菊弥に声をかけた。さすがに体力で劣る菊弥はそろそろ息が上がってきていた。
「…い、え、なんのこれしき」
菊弥の返答は明らかに強がりではあったが、負けん気の強いこの年頃ならばさもありなん、と助三はニヤリと笑った。やりたいだけやらせればいいのだと止めはしない。
しかし、雪之丞は一言、
「菊弥」
名を呼べば、菊弥も素直に木刀を下ろした。だが、少し遅かったのか、菊弥の身体がふらりと揺れる。
「…っ」
「おい!」
とその身体を抱き止めたのは助三だった(位置関係的に)。
「キャッ」
菊弥が小さく声を上げ助三の胸を押し退けた。稽古の後である。びしょ濡れと言っても過言ではないほどに汗をかいている。
「あ、すみま…申し訳ござらぬ、あの…その…、臭うござりましょう?」
すでに稽古で上気していた頬をさらに赤く染め、涙目(しかも、よろめいた体勢で必然的に上目遣い)で恐る恐るそう聞いてくる菊弥。いくら好んで男装をしているとはいえおなごとしての羞恥心はちゃんとあるのだ。汗くさいのはお互い様、とは割りきれぬ乙女心だ。
動いたことでふわりと薫る菊弥の汗の匂い―――
ギチリ
助三が固まった。
固まった助三の腕から雪之丞が素早く菊弥を回収する。その時にちらりと助三に向けた眼差しはまるで汚物を見るかのようであった。
「申したでしょう? 次からは私が止めと言ったら止めるのですよ?」
優しく諭すような兄の声に、
「兄上…申し訳ございませぬ」
しゅんと犬耳を垂らした菊弥だった。
仲良し兄弟が揃ってその場を去っていってもまだ、助三は固まったままだった。
あの助三がだ。あのあの、『歩く婀娜男』だの『歩く女泣かせ』だの『色気駄々漏らしヤロー』だの『囁かれただけで耳が孕む』だのと言われた、あの、深山一座の立役者の、助三がだ。(最後はすでに悪口?)
「………」
その助三を今、いいように翻弄しまくっているのが吉原の花魁・高尾太夫でもなければ絵姿が評判の茶屋娘・坂下おたみでもなく、江戸へ出てきたばかりの純朴な男の子(仮)だ、というのは―――やはり数多の女を泣かせてきた報いであろうか。
昨日のおのれの醜態を思い出した助三が、
「~~~!」
突然、頭を抱えてしゃがみこんだ。さすがに転げ回りたい気持ちは抑え込む。
(なんだよ、あれは。ガキか?! ガキなのか、オレぇ?!)
ローリングしたい気持ちを必死で堪えながらも心の中では自分に対しての罵詈雑言の嵐だ。
菊弥がこの深山一座に現れてから、助三は落ち着かない日々を過ごしていた。この心のざわめきが何に起因するものなのか、本当は助三にもわかっていた。ただ認めたくないだけだ。
いっそのこと口説いてしまえば…と思わないでもない助三だが、これまでの人生で男にそういう気持ちを抱いたことがないため、まず何をどうしたらよいのかわからない。
ちなみに江戸時代というのは比較的『LGBT』には寛容な時代だった。すくなくとも『LGBT』の『G』については。なにしろほんの数十年前には《男色は戦場のならい》だの《高貴な者の嗜み》だの言われていたのだ。現に公然と(公共施設とは言ってない)『陰間茶屋』(男娼を置く風俗店)なるものがあった時代である。令和の現代よりもよっぽどそういうことが身近ではあっただろう。
(小さくて可愛いと言うたら真っ赤になってプリプリと怒り出したものな…)
助三がそう言ったのは初日のことで、口説こうとしたわけではなくついつい思ったことが口をついて出てしまった結果である。
「はぁ…」
知らずため息がこぼれる。
『菊弥は本当はおなごじゃないのか?』
そんな言葉が何度も喉元まで出かかっていた。本人にも他の者たちにも、雪之丞(菊弥の兄)にも聞いてみたかった。が、その言葉を口に出してしまえばなにやらおのれの願望ではないのかと誤解(?)を受けそうで、その度に飲み込んだ。
助三の部屋の引き出しには簪が一本入っている。菊弥に似合いそうだと思ってうっかり買ってしまったものだ。
(菊弥が女形の修行を始めたら渡せばいいし。日頃の頑張りへの労いとでもなんとでも……)
助三の心は千々に乱れている。
ビュッ! ビュッ!
再び振り回し始めた木刀はおのれの煩悩を払うように鋭い。
もう間もなく、雪之丞と菊弥も朝の稽古にやって来るだろう。
………もし………
助三の胸中にもやりとした思いがよぎる。
(もし口説いたとして…いざという時に、だ。俺のアレが、もし、そういう時に…役に立たなかったら…)
ナニがといって、助三の《助三》が、という話である。
*尾籠な話で恐縮です。m(_ _)m
助三は、
(これまで男をどうこうしようなどと思ったことなどなかったものなぁ)
心配そうに独り言ちる。
あの可愛い菊弥に自分と同じものがぶら下がっているかと思うと―――ブルルッと身体を震わせる。
(自分から口説いておいてもしそうなったら、菊弥は傷つく、よな?)
気にするところがソコ?というあたりですでにずっぽりと抜けられない沼にハマっていることに気づいていない。
―――煩悩を払う(払えるとは言ってない)木刀の風切り音がそろそろ千を越えそうだった。
本田助三郎、アウトォォォ!!!