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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
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贋恋文5

―――――― 5 ――――――


 『ごめんください』と声をかけ芝居小屋の楽屋裏にたどり着いた彼女を、

「おきく」

 と万感の思いをのせて名を呼んだのは彼女の兄だった。二年ぶり、感動の再会であった。が、

「おき、お綺麗になられました、ね? 兄、上?」

 それは本来なら雪之丞の台詞だと思うのだが、おきくの戸惑いが痛いほどよくわかる深山一座の面々である。なにしろここは舞台がハネたばかりの芝居小屋の楽屋である。本日の演目は前半は仇討ち話の芝居で、後半は舞踊を中心としたものだった。雪之丞は最初から最後まで出突っ張り、おきくが訪ねてきた時には化粧すら落としていなかった。

 おきくが驚くのも無理はなかろう。逆によく兄だと気づいたものである。

「うんうん」

 と端の方で頷いているのは片桐家の中間をしていた小平太である。この中では唯一やんちゃな少年時代の雪之丞、いや片桐幸之進を知っている男だ。

 じろりと雪之丞に睨まれていた。


―――とまあ、そんなこんなの感動の再会がありつつも、芝居小屋では込み入った話もできないということで、雪之丞一行はおきくを大黒屋の寮に連れて帰った。

 今は家に着き座敷に腰を据えたところである。

「おきく」

 静かな声で呼ばわった雪之丞。その場に緊張が走る。

「はい」

 呼ばれたおきくも殊勝に返答している。が、

「おきく、どうしてです。どうして江戸へ?」

 と問われ、思わずといったようにキョトンと雪之丞を見返した。

「江戸で兄上のお力になりたいからです、よ?」

「嘘を言いなさい!」

 ピシャリと返された言葉におきくの顔が歪む。それを見て雪之丞が慌てた。

「あ、いや、すまない。そういう意味ではないよ。おきく、おまえの気持ちを疑っているわけではないから―――あー、その、それだけではないのだろう?とそういう意味で申したのだ。泣かないでおくれ」

 中々に甘い兄である。

 帰宅したことで雪之丞も着物を替え化粧も落とし、髪は降ろしてそのまま一つに束ねて胸の前に垂らしている。対面に座しているこの二人、顔はそっくりだというのに見た目の性別が真逆である。

「はあ…」

 雪之丞がため息を落とす。

「おまえには婿を取り片桐家を継いでもらわねばならないのですよ」

 亡き母(病没であったが、あまり患わずに逝ったようだ)の今際(いまわ)(きわ)の言葉は聞いていない雪之丞だが、考えは同じであろうと思っている。他家へ嫁いだ姉は論外として、兄である幸太郎は行方知れず、自分は大義のためとはいえ役者に身を落としている。片桐の家はおきくに婿をとらせて跡目を継いでもらうと、それが自分の思いひいては亡き母の思いである筈だ。それだというのに目の前に現れたおきくは髪まで切ってしまっている。

 姉が嫁いだ先は幸いなことに他藩の家格の高い裕福な武家である。当然、おきくの今後の身の振り方には力になってくれるだろう。他藩とは言っても隣藩であり、母が亡くなる際にも色々と采配してくれたと聞いている。おきくの婿取りにも力になってくれる筈だし、亡き母もそう願っていた筈だ。

 だというのに、おきくはそこを飛び出してきてしまった。

「ですが―――」

 雪之丞が一つ一つ指摘するのを聞いていたおきくだが、俯いたままぽつりぽつりとそこを飛び出してくるまでの経緯を話し出した。

「………」

 話を聞き終えた雪之丞は絶句した。

 というのも、どうやら姉の嫁ぎ先では姑がどうにも厳しい人らしい。というか、はっきりきっぱり嫁イビりされているとのことだった。おきくが話すには自分のせいでさらに姉の立場が微妙になる、それが嫌だとのこと。姉は若い頃から三国一の美貌を謳われて、どうしてもと望まれて嫁いだため、夫婦仲は良かったし跡継ぎも産んでいたので離縁される心配は露ほどもないが、とにかくそんな様子であったらしい。そんな中へひとりぼっちになってしまったからといっておきくが行って暖かく迎え入れてもらえるわけもない。ましてや藩はお取り潰し、片桐家はこんな状態である。おきくも毎日が嫌み三昧だったのだ。

「…でもね、おきく」

 困ったように言い差した雪之丞におきくはフルフルと(かぶり)を振った。

 もちろんその程度であればおきくも我慢のしようがあった。母の遺言で姉に頼るように言い含められていたし、仕方ないものと思っていた。姉の立場が悪くなるのは嫌だったが、姉は気にするなと笑ってくれた。元々豪快な人で姑に多少イビられようともまるで堪えないような人なのだ。

 だが、問題が起きたのは母の遺言でもあったおきくの婿取りの話が出た時である。おきくは雪之丞の一つ下の十六歳、少々早いようだがけっして早すぎはしない。ちなみにこの時代の結婚適齢期は二十歳前後である。

 ただその相手というのがいささか難有りだっただけだ。

 姉の嫁ぎ先の姑、いやその一族が揃っておきくの婿として用意したのは、親類の―――四十になる今日まで嫁の来手(きて)のなかった鼻つまみ者だというのだ。そして、おきくは雪之丞の一つ下の十六である(二回目)。

 さすがに嫌すぎる。最初は冗談かと思ったが、姑も親類縁者そろって本気だった。秋山藩の片桐家といえば、代々剣術指南役を勤めるそれなりの格式を持った家だ。剣術指南というお役目に誇りもある。その男、剣術の方はといえばこれがお話にもならないくらいにからっきしなのだそう。

 ふざけるにも程があると姉は烈火のごとく怒ったし、義兄もさすがにと止めたという。がしかし、姑だけならばともかく一族がそろって推し進めてくるのである。一族中の鼻つまみを厄介払い(婿入り)させたいのが見え見えであった。その攻防は毎日毎日すさまじいものであったという。

 秋山藩の片桐家がいかに音に聞こえた家柄とはいえ、秋山藩はお取り潰しとなったのである。言うなれば片桐家は浪人となったのだ、そこへ婿入りをしようという男などいるものか、というのが姑を筆頭とした一族の主張であった。ましてや―――

 片桐家の長兄、幸太郎の一件がある。

 深山一座の者たちはその事に触れないように気を使ってくれてはいるが、兄・幸太郎には秋山藩お取り潰しの一件において重要な嫌疑がかかっていた。

 お取り潰しの要因となった例の茶碗紛失事件で、江戸からやって来た藩士二人が後に遺体で発見されたわけだが、国許から護衛に付き添った幸太郎一人だけが行方知れずとなったのである。将軍家拝領の黒唐津のあの茶碗とともに。

 それが人の目にどう映るのか、映ったのか―――

 噂が流れた。よくない噂だ。

 もちろん、雪之丞もおきくも言うまでもなくそのような噂を一瞬たりとも本気にしたりはしなかった。兄の幸太郎は雪之丞に輪をかけたような四角四面の堅物だったし、なにより兄が悪事に荷担する理由は塵一つもなかった。当然、幸太郎を知る者の中でそんな噂を信じた者は一人も居なかった。

 しかし、噂というのは思わぬように広まるもので、姑たちも口に出しこそしなかったものの、その事は重々承知の上での見合い話だったようである。姉も姑一人であればなんとしてでも守り通そうという気構えであったが、一族こぞって話を進めてくるとあっては、いささか分が悪く押され気味であった。姉からの二通目の手紙におきくが江戸に向かったということは書いてあっても、連れ戻すや送り返してくれなどの記述がなかった理由がここにあった。

「―――私も江戸(ここ)で兄上のお手伝いをさせていただきとうございます」

 おきくは決意を湛えそう言った。

「ですが、」

 事情はわかったものの雪之丞はまだ言い澱む。なにしろ深山一座は男所帯、軽々しくおなごを加えるわけにはいかない。そんなことをゴニョゴニョと話せば、思いがけないところからおきくへの援護射撃が放たれた。

「ひどいわ、雪さんたら」

 深山一座の紅一点、座頭・惣右衛門の娘のおことである。

「あ、いや、違う! そうじゃないんだ、おことちゃん!」

 慌てた雪之丞は懸命に手を振って否定するが、それを見ておことがクスクスと笑う。本気で言ったわけではないようだ。

「いいじゃない。おきくさんが深山一座(ここ)に居てくれるなら私も心強いもの」

 『ねぇ~?』とおこととおきくが顔を見合わせ笑いあった。実はここへ来るまでの道すがらで女の子(?)同士、すっかり仲良くなってしまっていたのである。おことはおきくの一つ下で、これまではあまり同年代の少女との交流がなかったし、おきくはずっと男装姿で旅をしてきて女子との会話に餓えていたこともある。なにより男装姿のおきくをおことがすっかり気に入ってしまったのである。なつかれたおきくも悪い気はしない。おきくは末っ子だったことで、ずっと妹が欲しかったのだ。

「ね? いいでしょう、おとっつぁん?」

 言っておことが自分の父親を振り返る。惣右衛門は苦笑混じりに頷くと、雪之丞へ目を向けた。さすがにここで断ってはおきくのいく場所がなくなってしまう。追い返すのは論外だろうという顔だ。一座の責任者らしく鷹揚に頷いた。雪之丞もわかってはいる。追い返すことなど出来ない。ただ自分の手の届かないところで平穏でいてほしかったと、その気持ちに整理がつかなかった。

「~~わかりました。ただし―――」

 そう、ただし深山一座に参加しようというのには断固反対の雪之丞であった。ましてや贋物屋の仕事に関わらせようとは絶対に思わなかった。

「なぜダメなんですか? 兄上だってそうして頑張っておいでですのに」

 といって兄の姿を見る。確かに頑張っている。なにしろ雪之丞、兄というよりももうほぼ姉である。三国一の美女と囃された姉にそっくりだ、いや倒錯的な色気がある分、姉よりも人目を惹き付けている。

「なぜ? ご定法に触れるからですよ」

 雪之丞の至極まっとうな返事におきくがパカリと口を開ける。江戸時代は風俗を乱すという理由から女歌舞伎禁止令というものがあり、女性は舞台に立てないのだ。だから、雪之丞のような女形が存在するのである。ちなみに女歌舞伎が禁止になった後に若衆歌舞伎(美少年が女役を演じたもの)が大流行したのだが、余計に風俗が乱れた(笑)というのは余談である。現在はこれも禁止となっていて性別の点でも年齢の点でもおきくを舞台にあげるのはご定法に反するのだ。

 深山一座の紅一点・おことの仕事はお茶汲みと呼び出しで、簡単な仕事すぎてさすがにおきくに振り分けることは出来ない。

「では、では、なにか…裏方の仕事をやらせていただくわけには…」

 なんとしても兄の力になりたいおきくはそう言うが、舞台の裏方というのはほとんどが力仕事である。おきくがいくら男っぽい身なりをしていようとも、力は女のものでいささか厳しい。おきくの『鍛えているから平気です』という主張はスルーされた。

「ならば―――」

 しつこく食い下がるおきくが言い出したのは、木戸番(木戸銭を受けとり役目、客引きも行う。力仕事ではないため一座の最年長が受け持っている)の横で手裏剣投げを披露し客引きをしようという提案だった。

 ようは香具師(やし)(バナナのたたき売りやガマの油売りのように大道芸をしながら商品を売る者、おきくは道中で見かけた)と木戸番を兼ねたようなことをしようというのだ。これはまだどこの芝居小屋でも見たことはなく、これまでこちらの世界に無縁だったおきくだからこそ生まれた新たな発想である。

「それは…よいかもしれぬな」

 と一座の者も感心したように言う。おことなどは、『わ!』と声をあげ、

「それいい、きれいな衣装を揃えてやったら、すごくいいかも。おきくさんとてもきれいだし、どうせならその時の芝居の雪さんと衣装を合わせましょうよ」

 大乗り気であった。ところが、

「いけません」

 雪之丞が即座に却下した。

「えー、何故? どうして? すごくいい案じゃない」

「おことちゃん、考えても見てください。おきくのような子がそんなことをしていたら、絶対に悪い虫に絡まれるに決まってるじゃないですか!」

 ―――言い切った雪之丞は真顔だった。←シスコン

 その後、雪之丞が訥々と『おきくのような(かわいい)子』が被るデメリットについて、『おきくのような(かわいい)子』がすべき危機管理について語るのを見守る周囲の眼差しは、それはもう、とてつもなく、生暖かいものだった。

 雪之丞は(幸いなことに)気づいていないが、おことでさえあきれたような目で眺めている。

「あ、あー、ゴホン。それではな、」

 そのビミョーな空気を崩したのは落ち着いた声音の惣右衛門であった。さすがに城代家老を務めていただけはあって空気は読まない。いや、性格的なものかもしれないが。

 全員の視線が惣右衛門に集まった。

「おきく殿にはおことの護衛を頼んでは如何か?」

「え?」

 確かにおことは城代家老の娘で、一座の紅一点。もっと言えば、贋物屋という裏の世界に名を知られた一味の紅一点で、戦力的には唯一の弱点である。護衛が必要ではという意見は前々からないわけではなかったので、よい案ではある。

 おことなどは喜色を見せて『それだ!』と言わんばかりである。すっかりおきくと仲良くなっているため、是非にもこのまま一座に居てほしいのだ。しかし、当の本人のおきくは困惑の表情で、

「ですが、それは―――兄上たちがおられるのなら無用のことでは?」

 と言った。兄の剣の腕は十分に承知しているおきくである。それにこの場には姿は見えないようだが、江戸藩邸でそれと聞こえた剣術指南役の子息も一座にはいると聞いている。彼女はお荷物になりに来たのではない、兄たちの役に立ちたいのだ。そんな彼女の心配を惣右衛門は一笑した。

「なんのなんの、これは一番重要な役目よ」

 もちろん、おことは家老・黒木惣左衛門の娘で、しかも、黒木家といえば何代か遡れば城主の血筋に繋がっている程の家柄だ。側仕えすることになんの抵抗もない。一藩士の妹にすぎないおきくにとっては女中にと望まれたところで出世に違いない。だが、自分を案じて本来は無い役目を無理に作り出したというのであれば、おきくの本意ではないのだ。

 おきくのそんな生真面目さに笑った惣右衛門は即座にそれを否定した。舞台に立たないおことは一座の者と別行動になることも多い上、おなごにはおなごにしかついて行けぬ場所もあり、おなごであり剣術の腕もたつおきくはとてもありがたい存在なのだと。また、女性同士であれば四六時中一緒にいてもストレスフリーである。

「ならっ! 決まりね!」

 嬉しそうに手を叩いたおこと。おきくの両手をとってブンブン振り回している。背が高く剣術も強く、男装姿も凛々しいおきくに『格好いい!』とすっかり憧れてしまっているおことだった。

「………」

 雪之丞もさすがに諦めたらしく、肩をすくめて押し黙った。

「でも、おこと様が芝居小屋でお仕事されている間は私も暇になってしまいます。遊んでいるわけにもいきませんので、その間だけでも先程申し上げました小屋の表で手裏剣を投げての客引き、あれもさせて下さい」

 と言い出したおきく。雪之丞たちの仕事に関わりたいという望みをまだ諦めてはいなかったらしい。雪之丞の態度が軟化したことでなし崩しにしようという思惑である。

「そうよね。だって余所様ではまだやっていない試みですもの。すごくいいと思うのよ。みんなはどう思う?」

 おことの援護射撃が入る。案自体はとてもよかったことで、周囲の座員も雪之丞を窺いながらも、小さく頷いている。

 おきくは内心にんまりとした。どうやら兄はおことに大層弱いらしいと、この短い間にわかってしまった。妹の勘である。

「よろしいでしょう? 舞台に上がるわけではないんですもの、ご定法には触れないじゃない」

 上目遣いのおことに雪之丞はうっとなった。無自覚に萌えさせてくるのは卑怯だ…というのは雪之丞の心中の声なので、おことにはまったく通じてはいない。背が小さく全体に小づくりなおことがじとりと雪之丞を睨んでも、自然とただの上目遣いになってしまうのは仕方のないことでおことにしてみれば不可抗力だろう。

「う……」

 たじたじとなっている雪之丞を面白そうに見守る周囲、とニヤニヤと眺めているおきく。その視線を受けてさらに追い込まれた雪之丞。かわいい妹に変な虫が付くのは困る、困るのだし、これだけかわいい妹が芸を披露したら懸想(けそう)(=恋い慕うこと)してくる馬鹿どもが絶対にいるに違いないし、一体どうしたら……悶々と悩む雪之丞。←シスコン(大事なことなので2回目)


「わ、わかりました。では、条件が一つ……」


 そうして、渋い顔で雪之丞が出してきた条件とは―――




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