贋恋文19
この次の回で第二話が完結です。(一話完結の完結です、あしからず)
今回で事件は解決、次は事件の後の大団円。
んー、水戸黄門でいったら黄門さまのご一行の出立シーンとか。
大岡越前でいったらお白州の後の《たぬき》(お奉行さま行きつけの居酒屋)でみんなと仲良く飲んでるシーンとか、そんな感じのシーンですね。
個人的に時代劇にはあのシーンが絶対に必要だ!と思っています。時代劇じゃなくても、最後にあーいうシーンを入れてしまいますが。私の癖です。
―――――― 19 ――――――
助三は懐紙で拭った脇差しを鞘へと納めると、雪之丞たちへと目をやった。その視線の先では、雪之丞が菊弥を振り返りかいがいしく様子を尋ねているところであった。廊下は酷い血溜まりでこれでもかという凄惨さであるというのに、雪之丞は帰り血一つ浴びていなかった……
「はぁ…」
と助三がため息をつく。
「どうかされましたか?」
きゅるん、と効果音が付きそうな顔で振り向き首をかしげる菊弥。どうにも天然さんである。ただしその隣でまったく同じ表情をしている雪之丞は絶対にわざとだ。
(そういうところだぞ、おまえ)
口には出さない。雪之丞がその見た目に反して豪快で容赦のない剣を遣うのは周知のこと。雪之丞の数少ないドン引き案件である。
さて、その兄弟のほのぼのとしたやりとりに(廊下は雪之丞の所為で血まみれではあるが)、助三が割って入った。
「ほれ、いい加減にしとけって。んななぁ後にしとけ、後に」
べりりと兄弟(助三視点)を引き剥がした助三は引き上げる準備として自分の大刀を探してきょろりと視線をうろつかせた。
「…ヒ、ぅ…ぁ…」
その視線の先で女が一人、必死で自分の打ち掛けをぐいぐいと引っ張っていた。助三の力によって畳に縫い付けられた打ち掛けは、押しても引いてもびくともしない。ましてやお美禰の方の手は震えろくな力もこもっていなさそうである。打ち掛けを脱いでしまえばよい、とはパニクっている今の彼女には到底思い付けないことだった。
「そうか、こっちがいたな」
助三はほのぼの兄弟に向けていたとはまるで違う冷えきった目でお美禰の方を見た。
お美禰の方については色々と聞き込んである。大奥勤めの御女中で商家の娘としては異例の出世。商家の娘が大奥に上がることはままあるが、行儀見習いとしてごく短期間、それも大抵は御末(掃除・洗濯・風呂の水汲みなどの雑用をする役職)として働くのである。もちろんお目見えなどは夢のまた夢で、日々重労働に勤しむ。それでも大奥から戻ったとなればとんでもなく箔がつき、素晴らしい縁談が舞い込むため娘を大奥に行儀見習いに上げたがる親は後を絶たない。そんな中でお美禰の方は側小姓というお目見え以上の役職を賜った。そのコネで生家の中津屋は大奥御用達となり、父親すらお美禰の方に頭が上がらぬという。その美貌で将軍どころか御台所までも篭絡し、やりたい放題わがまま放題。男狂いの色狂いで、宿下がりのたびに寺小姓や役者はては町中で見つけた美しい男を召し上げて、戻ってこない男も多いという―――悪い噂の絶えない女だった。
グッと助三は自分の刀を引き抜いたが、お美禰の方は今度は腰が抜けたのか立つことも出来ずにプルプルと震えている。
「さて、お前さんにはどうしてもらうとしようかな」
肉食獣が牙を剥いているようにしか見えない助三の笑顔に、雪之丞は苦笑を漏らすだけで止めはしない。なんといってもこの女が菊弥誘拐のすべての元凶なのである。いくら江戸一番のフェミニストを自称する助三とて笑顔を振り撒けるわけではない。いや振り撒いていた、恫喝ギリギリの笑顔ではあるが。
じり、と助三が近づけば、
「ヒッ」
と喉を鳴らして小さくなるお美禰の方。
「………」
サッと菊弥が助三とお美禰の方の間に飛び出した。
「おい?」
思わず声を上げた助三。雪之丞と顔を見合わせ、不思議そうに首をかしげる。
「お待ちください、助三どの!」
菊弥は畳に伏すお美禰の方の前に立ち両手を広げて助三と向かい合っていた。
「この方も可哀想な方なのです」
「なん、だと?」
菊弥はお美禰の方の誘惑(笑)を躱すため苦し紛れに、『お話しをしましょう!』そう言って本当に色々な話をした。まあお美禰の方が様々な愚痴を菊弥に聞かせていたのがほとんどではあったが。『幼い頃から大奥で育ったこと』『小さな頃は母に会いたいと泣いても里帰りも許されていなかったこと』『帰らぬ自分を嘆き悲しんだ母が死んでしまったこと』『今となっては母も父も他人のようにしか思えぬこと』『それなのに、大奥で朋輩の娘たちにイビられていること』などである。朋輩の娘たちというが、すべてそれなりの家格の旗本の息女たちである。御台所も御中﨟も含めて大奥のある一定以上の年齢の女たちには舐めるように可愛がられていたお美禰の方ではあったが、異例の出世は軋轢を喚ぶ。幼いおみねに最初に目を止めた御中﨟や御台所には誘拐紛いに大奥に連れてきて母も亡くした幼子に対する罪悪感もあっただろうが、そのようなことは若い者たちには関係のないことである。出世は出世だ、町人であるにも関わらず自分たちよりも上の役職に居座っている、それだけが事実だ。
お美禰の方は日々のストレスに疲れ果てていた。そこへ持ってきて年齢のこともある。お美禰の方はもう十六になる。側小姓という役職上、せいぜい十六、十七が上限である。お美禰の方は町人でありいくら御台所の寵愛があったところでこれ以上の出世はあり得ない。だが、物心ついてこれまで大奥以外を知らぬ彼女に、今さら大奥から返されたとて、どうしたらいいのかわからない。お美禰の方の不安は大きかった。
もちろん、だからといって好き勝手していいことにはならない。
現に犠牲者も出ているとなればなおさらである。例えそれがお美禰の方の知らぬところであったとしてもだ。
菊弥とて、それなりに上手いことお美禰の方の猛攻(笑)を躱してはいたがずっと怖かった。いつなんどき女だとバレるかもしれず、バレればその身がどうなるかも想像さえ出来ず、ならず者の男二人も脅威ではあったが、それよりも―――休みもせず寝もせず飯も食わず(菓子は食っていた)に菊弥へクネクネとすり寄ってくるお美禰の方が心底恐ろしかった。
それでも―――
彼女が切々と語る身の上話を聞いてしまった菊弥はやはり、『可哀想に』と思ってしまったのだった。なにより今の助三からほとばしる殺気が恐ろしすぎる。助三が無抵抗の女を斬って捨てたりしないということはわかっているが、絶対零度の眼差しに必要以上に怖がらせることもないだろうと、ついうっかり口を出してしまった。
「そこを退け、菊弥」
助三の地を這うように低い声にお美禰の方がびくりと震えた。
「え、と…だって、ですね」
なんとか言葉を絞り出す菊弥。思った以上に助三が不機嫌なようで些か戸惑っている。まあまあ、と雪之丞が助三を宥めているが、耳に入っている様子はない。
ちなみに菊弥がいなくなって三日が経っているが、その間、雪之丞も助三もほとんど寝ていない。『雪之丞無精髭事件』以来、飯も食うし無駄にうろうろと部屋中を歩き回ることはしなくなったが、寝られたとは言っていない。
助三は目を三角にして菊弥を睨み付けた。
「だ、だから、ですね。話をお聞きしましたところ、なんか、ちょっと可哀想なところもあるかなー、なんて?」
菊弥もその睨みに負けて何故か語尾が疑問系になる。
「―――……」
沈黙の後で呟いた助三の言葉を聞き逃した菊弥は、
「はい?」
ごく普通に聞き返した。
「―――…れ…のか?」
また聞き取れない。
「すみません、よく…」
言いかけた菊弥の言葉に被せるように助三が、
「…~っ、だか、ら! この女に惚れたのかと聞いておるっ!」
怒鳴り付けるように言い放った。
「―――は?―――」
自分はそんな話をしていただろうかと、菊弥は雪之丞を見たが彼女の兄も困惑しているようだった。
ちなみに助三も三日寝ていない。(2カイメ ry…
「―――この女に惚れたか?! 情を交わして(=性行為)、それで惚れたか! 羨ましいこったな!」
突然怒りだした助三にキョトン顔で見返す菊弥。そんな顔がやけに幼く見えて助三の苛立ちはますます募る。菊弥が無事であったことへの安堵もあっただろう、緊張と不安から一気に解放されて気が弛んだととも言える。探しだした菊弥が着せかえ人形よろしく飾り立てられていたことも妙にイラつくのだ。着替えたということは、だ。
(着物を脱いだ、肌を見せたってことだろうがっ!!) ( ´Д`)ハァ?
また、お美禰の方がすがるように菊弥の着物を掴んでいるのが助三のイライラに拍車をかけている。二つの遺体、血臭の渦巻く室内、殺気をみなぎらせる美丈夫(助三)―――お美禰の方としては自分の身がどうされるのかもわからない状態で目の前に庇うように立った菊弥に一縷の望みを見出だしたとしても仕方のないことだろう。
「はい?」
菊弥は間抜けな声を出した。
助三とてわかっている。派手な打ち掛けを着た醜い女(助三の主観100%)と菊弥が―――そのような(言いたくない)関係を結んだとしても、そこには拐かしの被害者たる菊弥の意思など存在していなかっただろうことは、助三とてわかっているのだ。
つい先程、三日ぶりの菊弥の顔を見た時にはただもう生きていてくれただけでどれほど安堵したことか。だというのに、今は―――
わかってはいても、今は自分の言葉をとめられない。
菊弥を探しているその間、何度も菊弥が屈強な男に組み敷かれている妄想をしかけては、自分で自分の頬を殴り飛ばしてでもそれを振り払っていた。だが、いざ見つけた菊弥はきれいに飾り立てられて女と並んで琴を爪弾いていたのだから、助三の気持ちもわからないでもない。それでも、菊弥には拒否権などなかったのである。
(ああ―――泣かせてしまう)
わかっていても酷い言葉が止まらない。助三は罪悪感に襲われた。それと同時に自分が泣かせるのだというほの暗い満足感が沸き起こる。そしてそのほの暗い感情に対する自己嫌悪までが襲いかかってくる。複雑な男心であった。
「そんなにっ! この女は具合がヨカッったのかよ!」
もう自分でも何を言っているのかわからない。教育上よろしくない助三の言葉に雪之丞が派手に眉をしかめた。菊弥が泣く前に助三は雪之丞に絞め殺されるかもしれない。
「プッ」
と吹き出す声がした。
「へ?」
助三は自分を殴ろうとして振り上げた手(そうでもしなければ言葉を止められそうになかった)を途中で止めて、目を開けた。その正面で、ヒドイ言葉を投げつけられていた筈の菊弥が、
「ふ、クククッ―――」
クスクスと笑っていた。笑っていた?
「は? え? なんで?」
こらえきれない、といった様子で軽く握ったこぶしを唇に当てている。
助三のマヌケ面もさらに笑いを誘っているらしい。
「アハ、ハ、フフフ。ハハハハ、ご、ごめんなさ、フフ」
菊弥が笑い続けるのを、ポカーンと口を開けて眺める助三。雪之丞は笑う菊弥につられてか、ちょっと顔を歪めている。
「―――おい」
しびれを切らした助三が声をかけると、菊弥はなんとか笑いをおさめて謝ってくるが―――訳がわからない。菊弥は思わず出た涙を吹きながらそのまま雪之丞に向き直る。
「兄上―――賭けは私の勝ちでよろしいですよね?」
と。
助三にいまだに男だと思われていることに気づいたのだ。まさかこの女に惚れたのかなどと問われるとは思ってもみなかった。もう一度笑いがこぼれる。菊弥が拐かされている間、誰もそのことを話さなかったらしい。(その余裕がなかったとも言う)
「は?」
まだわかっていないのは助三だけだ。
雪之丞は無理に作った苦い顔で、はぁとわざとらしいため息をつく。それでも、
「だって、江戸一番の立役者・深山一座の助三さんを騙しきれたんですもの(笑)」
と笑った菊弥に、
「仕方ない。助さんのせいですよ」
そっくり同じ微笑みを浮かべ、妹に甘いところを見せた。
ちなみにお美禰の方は髪をざんばらに切られ、捨て置かれている。
「さあさ、帰りましょう。みんな心配してましたからね。特に吉さんなんてもう…」
「あ…。吉さんには悪いことをしてしまいました」
しゅん、垂れた耳と尻尾が見えるような菊弥の頭をポンポンと叩いた雪之丞。
「一緒に謝ってあげますよ、ね?」
「きっとですよ? 兄上」
菊弥も甘えるように上目遣いで優しい兄を見やる。子供の頃のように手を繋ぎその場を去っていく二人の兄妹は、パカリと開いた口を閉じることも忘れた助三を振り返ることもしなかった。