贋恋文18
更新できました_(^^;)ゞ
3本連続投稿で第二話『贋恋文』は完結です。
一話完結の連続時代劇(ふう小説)なので、次は第三話が始まります。
亀更新どころかミジンコ更新の私ですが―――――――――頑張ります
―――――― 18 ――――――
(兄上、助三どの…)
祈るようにこの二人の名を心の中で唱えるのは何度目になるのか、菊弥にはわからなかった。そろそろ日も暮れようかという頃合い。少々早いがそろそろ床を取りましょうか(=布団を敷きましょうか)という頃合い。ちなみに床なら菊弥が連れてこられた時からずっと隣室にスタンバイ済みだった。
紅い布団も艶かしげに二つ並んだ箱枕。
菊弥は慌てて、
「あ、わ、私、お…御方さまの琴が聞いてみたいなー(棒)」
と口にして見る。これまでに菊弥は着せかえ人形にもなったし、居合いの型も見せたし、模擬の手裏剣も投げて見せたし、共に食事(?)も摂ったし、指も絡めたりもしている。なんだったら和歌も詠みあったし、双六で遊びもした。十分に交遊も深め、お美禰の方が『ではそろそろグフッ』となったのも当然のことである。
菊弥の言葉に、
「あらそう?! 私ね、琴は得意なのよ! では、後で聴かせてあげるわ」
お美禰の方が手を打った。うまく気が引けたと思った菊弥がほっと胸を撫で下ろすのも束の間、『後で』では遅いのだ。さすがに床入りすれば女の身であるとバレてしまう。これまで必死に頑張ってきたが、そろそろネタも尽きてきた。
最後に足掻いてみようか。
(―――お美禰の方に当て身を入れる。部屋を抜け出し、裏木戸へ―――駄目だ、見張りが立っている)
見張りは例の二人ではないものの武器のない今、声を立てさせずに気絶させることは難しい。騒がれれば、すぐにでもあの大男か頬傷の男が来るだろう。
(―――部屋を出たら、武器を探すか)
それも現実的ではない。菊弥の刀も手裏剣もどう考えたってあのヤクザものどもが仕舞い込んでいることだろう。
(―――匕首をこう避けて、簪を拾って―――)
菊弥は無造作に投げられてある玉簪にちらりと視線を走らせる。
(………)
駄目だった。どうシミュレートしてみても、突破できるビジョンが見えてこない。殺しの技として優れているのはおそらく頬傷の男だろう。だが、菊弥にとっては大男の方が問題だった。まずは身長だが、これが六尺五寸はありそうなのである。六尺が約30㎝なので驚くことに約195㎝の長身である。菊弥と比べたら体重も3倍以上はあるに違いない。その分、動作は非常に緩慢ではあったが、一瞬でも捕まれば絶対に外すことはできないだろう。体術も学んでいる菊弥ではあったが、それでなんとかなる相手ではなかった。拳でも蹴りでも一発入れば即死レベルの体格差なのだ。
(―――では、もう一人の男を相手取って―――やはり武器が欲しいな。なんでもよいから)
武器を手に入れるためお美禰の方に上手くねだれないものかと思案するも、菊弥に残された時間はあとわずかだ。
「さ、これへ」
手を引いて促してくるお美禰の方。
(あああああ、もう~駄目だぁぁぁ)
もう一度、菊弥が兄たちの名を呼んだ時だった。
キィィィィン―――
鋭い音と共に真っ二つになった障子戸がずるりと横に滑っていった。
「キャァァァーッ!」
「兄上! 助三どの!」」
お美禰の方の悲鳴と菊弥の声が重なる。
障子の向こうから顕れたのは助三だった。刀を振り下ろした姿勢のままニヤリと笑う。そして、その後ろには雪之丞も。
当代一の役者が二人揃ったのだ、もはや後光が差すれレベルで麗しい。まるで何かの芝居のワンシーンのようであった。菊弥の隣でお美禰の方もあんぐりと口を開けたまま固まっているので、そう思ったのは菊弥だけではないらしい。
「よっしゃ!―――いたぞ、ユキ!」
助三の言葉に雪之丞が頷く。
「これは、《長持》の件を聞き込んできた吉さんのお手柄ですね」
と。
菊弥が監禁されていた《ここ》は向島にある中津屋の寮だった。大奥御用達である小間物問屋の中津屋はお美禰の方の生家だ。その中津屋の寮に不自然に大きな長持(衣装等を入れる長方形の箱)が運び込まれたと聞き込んできたのは目の下に濃いクマを作りながら夜っぴて江戸の町を駆けずり回っていた吉造だった。目の前で菊弥をロストした責任を強く感じていたのである。
「なんだ! てめえら!」
そこへ悲鳴を聞きつけた用心棒の男が二人、飛び込んできた。頬傷の男と、身の丈六尺五寸はありそうな大男である。それぞれが匕首(白鞘の鍔のない短刀)や長ドス(同じく鍔のない脇差し)を手にしていた。
「てめえら! どこから入ってきやがった!」
「落としまえつけてもらうぜェ!」
凄んで見せたヤクザたちだったが、
「おきく―――迎えに来ましたよ」
満面の笑みを称えた雪之丞によってきれいに無視されていた。
「兄上!」
ハッと菊弥が兄に駆け寄った。拘束していたのはただの女人の腕一本、なんの妨げにもならなかった。雪之丞もまた前に立っていた助三を突き飛ばす勢い(←かわいそう)で妹をその腕に抱き止める。
ひしと抱き合う兄と妹、感動的な場面である―――兄が女剣士、妹が狩衣と烏帽子姿(笑)というのがいささか微妙ではあったが―――
「ふざけんじゃねえぞ、てめえら!」
「ただで帰れると思うなよ!」
飛びかかってきたのは頬傷の男。大男は侵入者たちを逃がさぬように破れた障子の前に立ち塞がった。
ひゅっと掠める匕首を身体をわずかに反らすことで軽々と避けて見せる助三。雪之丞と助三、どうしたって雪之丞が甘く見られる。頬傷の男も雪之丞は後回しに助三の方へ匕首を向ける。
必然的に雪之丞は大男の方と対峙することになり、静かにおのれの愛刀を抜き払った。
ピカリと光る白刃は無銘ながらも越中兼則の作だ。兼則は辿れば関七流(岐阜県関市は現在でも刃物の町として有名です)に行き着くという名工である。雪之丞の握るその刀、刀身は鎬造りの庵棟で、反りはやや深め。元先の幅差はそれほど開いておらずやや流行りに遅れた感はあるが素早い抜刀に適しており、助三ほどの膂力を持たない雪之丞は気に入っている。鞘は一見して遠目に見ると黒一色に見えるものの、実は朱殷がマーブルに混じっていて、中々の渋派手な拵え。さらに柄は白鮫皮に金茶の糸で方撮菱巻というこれまた渋派手―――雪之丞という男はわりと刀の拵えにはこだわる、現代風にいうと新車を購入したら嬉々としてカスタマイズするタイプのようである。
「へ、へへへ」
雪之丞と対峙した大男は二人、雪之丞とその後ろに庇われた菊弥を見て涎を垂らさんばかりに相好を崩している。
これまでにお美禰の方を《接待》した見目麗しい男たち―――お美禰の方は『ポイしたわよ? もういらないもの』と軽く言っていた―――は全員、この大男の餌食となっていた。この男が凌辱の限りを尽くした後でお美禰の方の言うようにポイされてきた。土の下やら川の中やらに。雑木林やら、時には路上にそのままということまであった。生きて、とは言ってない。口封じの意味もあったのだろうが、多分にこの大男の趣味だった。
菊弥のことも明日か明後日には存分に味わうつもりでいた。今、雪之丞が現れたとて楽しみが二倍に増えたようにしか思えないのである。
「ゲヘ、上玉じゃねえか」
呟く言葉も、泡のようになった唾液がこぼれて呂律が怪しい。
雪之丞は嫌悪感に顔をしかめた。
「……あ、わ…ッ……アワワワワ……」
お美禰の方は誰の目もおのれに向いていない隙に逃げ出そうとしていた。男たちが恐ろしいほどの殺気を迸らせ手に手に白刃を握りしめている光景に耐えられなかった。
が、それ以上に菊弥が自分の腕を振り払い逃げ出していったことがショックだった。逃げ出す菊弥を視界に入れたくなかった。
「そうは、行くかよ!」
逃げ出そうとするお美禰の方の打ち掛けの裾を助三が手にしていた大刀で畳に縫い付けた。
ぐさりと突きたてられた打ち掛けは、金糸銀糸で縫いとられた贅を凝らした打ち掛けで。刺繍というのは美しさを求めて施されるものだが元々は生地を丈夫にするために始められたもの、その丈夫さゆえに刃で貫かれたとて引いても持ち上げても暴れても外れやしない。
お美禰の方の逃亡を阻止したことで、助三の右手が空いた。助三が刀を手放したその瞬間、
「死ね!!」
ここぞとばかりに頬傷の男が匕首を両手で握りしめ助三の腹めがけて飛び込んでくる。両手の力と助走の勢いと体重を乗せたその刺突―――臓器の密集した腹部への―――助三の右手はなんの武器も握られてはいない―――当たればそれは確実に致命傷となる。
ギィィィィィン!!!
鋼の交わる音が響き渡った。
助三の右手は頬傷の男が突進してきた瞬間、おのれの腰へ伸びた。左の腰に差した脇差しを引き抜く間はない、逆手のまま柄を握り半ばまで抜いたそれで、男の匕首を止めた。
成人男性の渾身の一撃を片手のみで防ぐのには土台無理がある。両手で剣を取る一刀流に比べ片手で一刀ずつ日本の刀を持つ二刀流剣法がどうしても力負けしてしまうというのは道理である。もっとも両手に刃物をもって振り回すのだからそれ相応の戦い方をすれば有効ではあるため、本当に戦い方次第ではあるが。
助三が脇差しをすべて抜かずに半分ほどで止めたのはそれ故だ。男の匕首の腹に脇差しを当て、その威力を右手と左の腰で受け流した。当てたと同時に左足を引きくるりと半回転。力の流れを変えてやる。
頬傷の男はたたらを踏んで前にのめった。前にのめった男の首は必定、助三の前にさらされている。助三は構えた脇差しを一気に振り下ろした。
雪之丞は大男と対峙しつつ嫌悪感にその柳眉をしかめた。男の視線から菊弥を隠すように後ろ手に庇う。
「ぐへへ」
大男は長ドスを雪之丞たちへと突きだしている。その構えは普通の人間であればへっぽこと呼んでも差し支えがないものであったろう。軽く刃を叩かれただけで取り落とすに違いない。が、握っている男のこん棒のような二の腕をみれば、それが無理であることはわかりきっている。それになによりリーチが長い。普通の人間であれば裄丈(肩の付け根から手首までの長さ)は大体二十四寸(一寸=約3㎝。現代の成人男性の平均は74㎝)ほどであろうが、この男の腕はそれより二寸は長そうだ。そこに長ドスの刀身40㎝がプラスされる。さらに歩幅(この男の一歩ならばやはり大きかろう)を足したのが、この男の《間合い》という奴である。身体的に優れている、というのは努力や才能と同等の驚異を持つ。雪之丞がどう剣を振るおうとも届かぬ距離であるのに、すでにこの男の間合いの中なのである。
男は自身の絶対的優位を見せつけるように余裕の表情でフリフリと長ドスを振り回す。動きそのものは素人同然だというのに、どうやら場数だけは踏んでいるらしい。
「っっっ!!」
菊弥は息を飲み込んだ。
「ギャァァァァァ!!!!!!!!」
瞬き一つの間もなく大男の身体が障子の向こうの縁側に吹っ飛んでいたからだ。
―――目にも止まらぬ雪之丞の早業であった。
雪之丞は左手でポンと菊弥を叩いた後、ジャキリと刀の柄を両手で握り直した。と思う間もなく、男に向かって突進。男が自分の間合いに入るという、寸前でくるりと身体を反転させた!
「ぁ"?!」
男の懐に飛び込んだ雪之丞は自分の背後にいる男の腹に、いつの間にか逆手に握り直していた刀、それをズブリと突き立てたのだ。と、思う間もなく刀から両手を離しまたもやくるりと身体を反転させたと同時に、男の胸に掌底を突き上げた。バランスを崩した男と自分との間に出来た隙間で、刀の柄を握り直し―――そのまま―――
腹の中から外へと向かって一気に切り裂いた。