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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
17/20

贋恋文17

更新できました_(^^;)ゞ

誘拐された菊弥の様子です。

―――――― 17 ――――――


「菊弥さま! 今度はこちらを着て見せてくださいまし」

 とろとろに蕩けそうな声音で女は菊弥に呼び掛けた。菊弥は渡された着物を手に困惑して見せる。

「……女物のようですけど―――よろしいのですか」

 菊弥の返事に女は頬を紅潮させ、ぶんぶんと頭を縦に振った。菊弥は小さくため息をこぼし、衝立の向こうへと下がった。

 次に菊弥が姿を現した時、女は顔を真っ赤に染め呟いた。

「……なんて倒錯的な……トウトイ……」

―――菊弥はただ普通の着物(女物)に着替えただけである。

(なんだかなぁ…)

 着ている服は女性用であり、本当の性別が女子である菊弥はモヤモヤとする気持ちを抱えながらもただ黙って微笑んだ。なるべくクールに、なるべく爽やかに、なるべく男前に―――

「ありがとう。君も素敵さ」

 心持ち低い声が出るように意識して告げる。女は、

「ッ!!!!!!」

 言葉が出ないようである。

「べ、紅を! 紅も差してみましょう!」

 興奮のあまり鼻息が荒くなり、がちゃがちゃと乱暴に化粧箱を探った女は、気に入った紅を見いだせなかったようで、化粧箱を手で叩きのけた。

 女、大奥で御台所付きの側小姓を勤めるお美禰の方は菊弥に向けるのとはまるで違う尖った目付きで、廊下を睨み付けた。

「これじゃないわ! ちょっと! もうひとつの化粧箱を持ってきなさい」

 怒鳴るように掛けた声の先は当然、菊弥ではない。

 少しの間があり、頬傷の男がその手に持つには到底相応しいとは言えない美しい蒔絵の化粧箱を手に現れた。もちろん、大奥お女中たるお美禰の方の小間使いとして激しく似合わない人選なのはわかっているが、御方さま本人がたとえ下女だろうとも菊弥の姿を目にすることはならぬと申し付けた、その所為である。

 障子の隙間から螺鈿(らでん)蒔絵(まきえ)の化粧箱を差し出している頬傷の男は中の様子を目にして、一瞬目を見張った。自分達が拐かしてきた少年の、女の物の小袖を身に付けたなよやか姿に驚いたようだ。この頬傷の男にはその相棒のような趣味はない、有り体に言うと男に欲情する趣味はないが、菊弥の女装姿(?)は十分にそそったらしい。

 ぞくりと菊弥は背筋を震わせた。早く―――早く―――

(……兄上……)

 菊弥は兄を信じていた。突然いなくなった自分を必死で探してくれているだろうことをこれっぽっちも疑ってはいなかった。

 それでも、

(早く―――)

 と祈らずにはいられなかった。

「ちょっと! 私の菊弥さまをおかしな目付きで見ないでちょうだい! 私の菊弥さまが穢れるじゃないの!!」

 お美禰の方はヒステリックに叫ぶと男に向けて散らばっていた紅を投げつけた。(紅←貝殻に入ってる=当たると痛い)

 菊弥は己の姿を隠すように衝立の向こうに移動する。自分を拐かした張本人が自分を守る唯一の盾であるというのはなんとも皮肉なものである。

「さ、今度はこれを着てみてちょうだい?」

 差し出されたのは『直衣(のうし)』を手直ししたような着物であった。直衣とは京都御所の貴族が着る服である。宮中に出仕する際に着るよりも、プライベートで着る、さりとて決してだらしなさのない―――現代風に言うと平安貴族のオフィスカジュアル的な服である。(三日月紋様の青い狩衣アレンジではない)

 どうしてお美禰の方がこんなものを持っているのかというのは、ツッこんではいけないところだろう。

(まさか大奥でコスプr…)Σ⊂(゜Д゜ )

「あら、着れなかったかしら。手伝ってあげてよ?」

「いえ! 一人で着られます故! 御方さまのお手を煩わせるなど勿体のうございます」

 食い気味に答える菊弥。必死だ。何かと言うとボディタッチをしてくるお美禰の方を、とにかく必死で躱しているところである。最初はいきなり押し倒されそうになったところをなんとか話術でここまで持たせているのである。

 お美禰の方が色事にハマりだしたきっかけは一年前の代参の折りであったという。その代参には別の者が行く予定であったが、急な障り(月の障り)によりお美禰の方が赴いた。その先であれあれと流されるまま、はてはてと思う間もなくイケメンの寺小姓がお美禰の方の《お相手》を務めていたのである。おそらくは本来行く筈であった朋輩(同僚)がそうした手筈を整えていたのであろう。そんな偶発的な経緯で《初めて》を散らされたお美禰の方だったが、初めての相手にポーッとなって大奥へ戻れば、件の朋輩にしたり顔で『なかなか具合よかったでしょう』と言われた。そこで初めてお美禰の方はあれが大奥女中に対する《接待》だったと知ったのだった。それからはその朋輩とともに《接待》を何度も味わった。

 今度だって菊弥を拐かして連れてきて、自分を《接待》させて、ただそれだけのつもりなのだ。用が済んだ後はもちろん、ポイと打ち捨てておしまいだ。それで済むことと思っている辺り、二歳の時から大奥で暮らしてきた弊害であろう。とてつもなく世間知らずなのである。

 ただし、菊弥を連れてきたのはお美禰の方ではない、お美禰の方の実の父・小間物問屋の中津屋だった。今、菊弥とお美禰の方がいるこの屋敷も中津屋の持つ寮(別荘)の一つである。最初に見張りについていた頬傷の男は菊弥に対して場所を特定させるような情報を秘匿していたが、『楽しくおしゃべりをしましょう』と言われたお美禰の方がなんでもかんでもベラベラしゃべったのである。

 屋敷の中には女中や下男・下女が数名(菊弥の前には姿は見せないが)、大した数でもなければ脅威でもない。だが、誘拐の実行犯の頬傷の男と体つきの大きな男、少なくともこの二人も屋敷の中にはいると思われる。

 そして、菊弥は丸腰だった。刀はもちろん手裏剣も懐剣も取られている。

 とてもではないが菊弥はお美禰の方にわけを話して家に帰してくれと頼む気にはなれなかった。お美禰の方は用が済んだらポイと捨てると言ってはいたが、その捨てるのも『生きたまま』とは限らない。お美禰の方はそんなことは考えたこともないのであろう。実に無邪気に『気に入らなければ捨てちゃうもの』と言いはなったものだ。

 だから、女であるとバレるわけにはいかない。お美禰の方に押し倒されそうになった菊弥は、なんとか《お話》をすることに持ち込んだ。

『私にあなた様を口説かせてくださいまし』

 渾身の殺し文句であった、と己を誉めてやりたい菊弥であった。さすがに郷里では並ぶ者のなしのモテ女(イケメン)である。だてにファンクラブどころかグルーピー(一方的に志願しているだけ)までいたわけじゃない。悲しいことにグルーピー(女)のあしらい方には長けている。

 お美禰の方は真っ赤に上気した顔でコクコクと声もなく頷いた。

 驚いたことに彼女、身内以外の異性と口を利いたのは初めてだという。彼女にとって男女の関わりとは『会って』→『身体を繋げて』→『別れる(ポイする)』、それだけのものだった。その間、親しく口を利き合うことはなかったのだろうか。いや、なかったのだろう。だからこそ、菊弥の言った手を繋いでおしゃべりをするところから始めようという提案は新鮮だったのだろう。

 彼女は菊弥のカッコいい(笑)言動に一々面白いように反応を見せた。まあ、色々話していく(おもに大奥での愚痴)内に何故かコスプレする羽目になっていたのは、さすがの菊弥も想定外ではあったが。


「…いかがでしょうか?」

 衝立から現れた菊弥が、両手を軽く広げてくるりと回って見せる。直衣姿がよく似合っている。髪は普段より低い位置で結んでいるため、貴族のお姫様の男装姿といった風情がある。郷里の娘たちには鼻血モノである。

 お美禰の方は―――

 鼻を押さえ天を仰いだ。

「ちょっと、これを持ってみてちょうだい!」

 気を取り直したのか、そう叫んで手渡してきたのは太刀だった。武器だ。武器さえあれば男二人ぐらいならばなんとかなる、菊弥は喜色を見せた。さすがに丸腰では男の力に敵わぬが、武器さえあれば……

 菊弥はすらりとそれを抜いた。

(……模造刀……)

 打刀(江戸時代には一般的に流通している大刀と呼ばれるもの)よりも刀身が長く反りが強い。平安時代から室町時代に作られた太刀と称するものだろう。拵え(外装部)もそれらしく金地に螺鈿が施されており実に美しい。その刀身部分には螺鈿細工で《雀を狙う猫》が描かれている。

 菊弥はがっかりした内心を悟られぬよう、竹で出来た刀身を鞘に納めながら、

「可愛らしいですね」

 と呟いた。お美禰の方はドヤ顔である。なぜこんな模造刀を大奥のお女中が持っているかというのは、

(まさか大奥でコスプr…)Σ⊂(゜Д゜ )

 聞かぬが花である。

 菊弥はあっちを向けだのこっちを向け、刀を構えろ、花を持てだのとさんざん振り回され、

「さあ、では今度は―――」

 とお美禰の方が言った時にはかなり疲弊していた。その声に応えたのは菊弥ではなく、『クゥ』と小さく鳴いた菊弥の腹の虫であった。さすがの菊弥もポッと頬を染める。その様子にお美禰の方は目頭を押さえグフッと呻いた。

「そうね! そうね! おなかが空いちゃったわよね! 待ってて! すぐに用意させるわ。一緒に食べましょう!」

 お美禰の方が慌てたように言いつけ、用意された食事が運ばれてきた。

角寺鐵異老(かすていら)よ。南蛮菓子なんですって! どう? 美味しい?」

「はい」

 菊弥は小さく肯定の言葉を呟いた。菊弥とておなごである。甘いものは嫌いではない。目の前のカステイラもとても珍しく上等な、そうそう口に出来るような菓子ではない。一口食べれば、ふわりと広がる卵の風味、上品な甘味、生地はまるで雲のように柔らかく口に含んだ瞬間に溶けてなくなってしまう。非常に美味である。

 美味の筈なのだが、菊弥は、

「ウップ」

 吐き気をこらえて涙目になりながら、お美禰の方に向けて微笑んだ。

 甘いものは嫌いではない、はっきり言って好きだ。道場の帰りに甘味を買って帰ったことも多い。だが、そんな菊弥も一日三食、甘味で済まそうとは思わない。

 彼女が拐かされて二日が経つ(半日は気を失っていた)が、その間の食事はすべて甘味。おやつも甘味。夜食も甘味、さすがの菊弥もツラくなってきた。ただし、これは拐かされた被害者を虐げるためではない、その証拠に菊弥が見る限りお美禰の方もまた甘味しか口にしていないのである。朝昼晩、おやつと夜食、それ以外の時も干菓子や金平糖をポリポリと口にしている。

「ウッ」

 見るだけで気持ちが悪い。

 一つ前の食事(?)で出てきた一口分の《あられ》の美味しかったことといったら―――

 遠い目になりながら菊弥は、

(早く助けに来てください、兄上。助三どの……)

 何度目になるかわからない呟きを心の中にこぼしたのだった。




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