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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
16/20

贋恋文16

更新できました_(^^;)ゞ

―――――― 16 ――――――


「お願いです! どうぞ御殿様にお目通りをっ!!」

 愛宕下の佐久間家御門前に喉も破れよとばかりに悲痛な声をあげたのは、今をときめく名女形、深山一座の看板・雪之丞だった。

 行き交う人が何事かとぎょっと目を向ける。中には二度見・三度見をしていく者もいた。いくら武家屋敷の並ぶ一角とはいえそれなりに通る者はいるのだ。

 そのほぼ全員から注目を受ける雪之丞。洒落た加賀小紋の小袖に地味目の袴を合わせ、浪人髷(注*ポニーテール)に結った髪はふるふると揺れて、うっすらと紅をさした唇、涙で煌めく黒目勝ちの瞳で佐久間家の御門を守る中間にすがりついた。

 これがまあ目立つこと、目立つこと。さらには、

「この深山一座の雪之丞! 御殿様がおっしゃられるならなん(●●)でも致します故、後生でございます! まだ幼い弟の菊弥はお返しくださいますよう! お願い申し上げます!」

 ますます上がる音量にますます集まる耳目。雪之丞の(ブランド)はそれなりに江戸の町に浸透しつつある。足を止める者まで出てきた。

 通りかかる人々の中にはもちろん近隣の屋敷に勤める家人や用人、女中や下働きの下女・下男も含まれている、ということはだ、

『―――佐久間さまが?』

『まあぁぁ、左様でございますの?』

『ええ?! 人は見かけによりませぬなぁ…』

 佐久間家の当主が雪之丞(男)あるいは幼い(・・)弟(男)に無体でもはたらいたかのように《こそこそ》される、ということだ。

「おいっ! 止めぬか!」

 たまらずに門の中から佐久間家の中間が飛び出してきた。六尺棒を手に持ち、雪之丞を追い払う仕草をする。その棒先が雪之丞の袖を掠める。

「あれ!」

 どさりと倒れる雪之丞(←当たってない)。倒れて横座りの形になったそのまま、『ヨヨ…』と小袖の袂で顔を覆いだす。深山一座の看板女形の真骨頂だ。

 何事かと足を止める人数が増え、その者たちが目にするのはかよわい乙女(?)に乱暴を働く佐久間家の中間、という図式だった。そして目立つ。(大事なことなので2…ry)

 雪之丞はこれでもかとばかりにたおやかさといじらしさを佐久間家の中間相手に振り撒きまくったのだった。


 結局、弱りに弱った佐久間家が雪之丞の前に菊弥に手紙の代筆を頼んだという女中を連れてきたことで決着を見た。カッタ!

「では、あなた様が代筆をお頼みになったのですか?」

 雪之丞の問いに女中は食いぎみに答えた。

「ええ、そうですわ」

「………」

 雪之丞は一緒に付いてきていた吉三を振り返り、物問いたげにちらりと視線を向けた。雪之丞の影に隠れるようにしていた吉三だが、女の顔をちらりと見てから雪之丞に向けて小さく首を振る。違う、と。この女ではない、と。

 菊弥に代筆を頼んできたのとは別の女だった。




「雪さん。ずいぶん派手におやりんなってましたけど、大丈夫だったんですか?」

「ええ」

 帰り道、問いかけられた言葉に力強く請け負ったつもりの雪之丞だが、吉三の憂い顔は晴れない。菊弥が(かどわ)かされたのは自分の所為のように感じているのである。そんな吉三にふ、とため息を漏らした雪之丞が、

「―――あの屋敷に菊弥はおりませんから」

 と言った。驚いて顔を上げた吉三に頷いて見せる。続けて、

「実はね、文治さんがあの屋敷の下働きのおなごと仲良くなってくれましてね」

 内緒話をするように小声で言った。文治は元は本多助三郎の家の中間で深山一座で道具方を勤める一番のモテ男、しかも人気役者の助三を差し置いて、だ。ご面相の方はともかくとして、とにかく愛想がいい。現代風に言うと《コミュ力お化け》というやつかもしれない。落とした女の数では助三に劣らないというのだから恐ろしいほど似た者主従である。さっそく佐久間家の下女をたらしこゲフンゲフン親しくなったらしい。

 身分の高い者、貴人(当然、武士も含まれる)の中には下働きの下女や下男などを人間とも思っていないような者もいる。平気でひどい扱いもするし、存在自体を気に止めてもいない。逆に言うと、そういう者たちに対して秘密保持の意識が薄い。

 気にもされない空気も同然に扱われる彼らにも感情はあり、目もあり耳もある。ついでにそれを恋人に愚痴る口もあるというわけだ。

 もし菊弥が旗本屋敷の中にいるのであれば、下女(特に厨番の)に知られずにいることは有り得ないし、考えたくないことだがもし屋敷の中で菊弥に何かあったというのであれば下男が後始末をさせられていないわけがない。

 だから、菊弥は生きているしあの屋敷にはいないということがわかっていての雪之丞の派手なパフォーマンスだったわけである。あれを見て拐かしの犯人が、菊弥の処遇を変えようと思ったのなら、それはそれで構わない。今、あの屋敷は表も裏も手の者に見張らせている。佐久間家が何処ぞに知らせに走ればそのまま後をつける手筈になっている。

「なーるほど」

 吉三がポンと手を打った。雪之丞の言動にわずかにでも余裕が戻ったのはそういうことであったかと。言葉遣いも態度も普段の雪之丞に近い。

「雪さん」

 噂をすれば影が差すというが、そこへ現れたのは文治だった。すっと何気ない風を装いつつ雪之丞の隣に並んだ。

「文治さん―――何かありましたか?」

 雪之丞の鋭い視線を受けて、文治が近くへ寄った。吉三にかろうじて聞こえるぐらいの声で、

「佐久間家の御当主、佐久間匡方(まさかた)さまには大奥に上がられた御息女がおありになり、御台所の側小姓をお勤めのようです」

 そう言った。養女(むすめ)が大奥の重責にあるとなれば家の誉れである。家の誉れとなれば使用人たちも鼻高々でしゃべってくるのは当然で、あっという間に仕入れてきた情報だった。ただし、内容が内容だけに文治は普段では聞かれないほど堅い喋り口調である。辺りを憚ってさらに声を潜める。

「今まさに代参と御宿下がりにて戻ってこられております」

 代参というならば徳川家の菩提寺である増上寺(港区芝)かあるいは寛永寺(台東区上野)―――菊弥と接点があったと仮定するならばおそらくは増上寺への代参だったと思われる。

「では今はお屋敷におられると?」

「いえ…お美禰の方さまは佐久間匡方さまの御養女さま。御宿下がりなさっても佐久間家への滞在はほぼありません」

「………」

 文治の言葉に雪之丞は何かを決意するようにきりりと表情を改めた。

「―――助さんは?」

「すでに準備を整えておられます」

 『ぬかりはありません』との副音声が聞こえてきそうである。文治の表情にも決意が満ちあふれている。

「―――小平太に言付けを。私の《兼則》を、と」




 《越中兼則》雪之丞の愛刀である。 




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