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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
11/20

贋恋文11

昨日、たまたま『赤穂浪士』を見まして…

ちょっと、設定に関わる部分を変更させていただきました。

具体的には秋山藩のお取り潰しを5年前から2年前にしました。

―――――― 11 ――――――


 バタバタと大きな足音と共に現れたのは助三郎、雪之丞、惣右衛門の順であった。その三人を、いや雪之丞の姿を見た瞬間、吉三はガバリと額を床に擦り付けた。

「も、申し訳ございません!」

 謝罪の声に涙が混じった。

「きくがっ! (かどわ)かされたというのはまことかっ!!」

 取り乱した声は雪之丞のものであったが、助三も惣右衛門も同じように顔色を無くしている。




 吉三の話によると、菊弥が乗った駕籠を慌てて追いかけたため小屋の中に声をかける余裕もなく誰にも何も告げる暇なく走り出した彼がたどり着いたのはとある武家屋敷だった。吉三は向かいの道端にしゃがみこみ、菊弥の帰りを待つことにしたという。

 菊弥を乗せた駕籠が出てきたのは半刻ほど経った頃である。


「ちょっと待て。門の中から駕籠に乗ったまま出てきたというのか?」

 吉三の話をさえぎり助三が言った。

「へえ。中へ入るときにも駕籠のまんまでした。あっしも一緒に入ろうとしやしたが、帰りも駕籠で送るから帰れと…。はい、そうですかと帰れるわけもねえんで門前で待たせていただきやすと…」

「助さん、それは後程聞きましょう。今は先を―――」

 雪之丞の焦りの滲む短い言葉に、吉三は話を続けた。


 吉三が門前にしゃがみこんでいると、目の前の屋敷から一丁の駕籠が出てきた。入っていった時と同じ『駕籠清』の半纏(はんてん)を着ていたことから、間違いはないと思った吉三だが、念のためにと駕籠の中へ声をかけた。

 だが、菊弥からの応えはなく駕籠かき達も何も応えない。無言であった。

 いぶかしく思った吉三が駕籠の中を覗こうと―――


 それを境に吉三の意識は途切れた。

 次に目を冷ましたときには路上に寝転がっていて、菊弥の乗った駕籠は影も形もなくなっていた。

「申し訳もありゃーせん」

 吉三が青い顔で背を縮こまらせる。その身体から酒の匂いが濃く漂う。

 意識を刈り取られた後で酒を浴びせかけられ路上に放置されたらしい。吉三が倒れていた道は人通りが皆無ではなかったが、誰も声をかける者がなかったのはその所為であった。ちなみに吉三は下戸で酒は一滴も飲めぬ。

「いえ、吉さんの所為じゃありません」

 雪之丞が吉三の方へ顔を向けることもなく答えた。視線はまっすぐ前に固定され、その瞳には鋭い光が宿っていた。

「駕籠清の半纏というのは間違いはないのか」

 問いただす助三の声に吉三は力強く頷いた。だが、

「なのに、すぐに駕籠清に行って聞いてみたんですが、そんな者達に覚えはないと―――」

「そんな…」

 呟いた雪之丞の肩にそっと助三と惣右衛門の手が乗る。

「………」




 翌朝―――

 どれ程待っても菊弥は戻らない。

「………」

 重苦しい空気が全員を包む。

「―――あの屋敷は―――」

 最初に口を開いたのは吉三であった。

「佐久間さまとおっしゃるお旗本のお屋敷でございました。ご当主さまは佐久間伊予守(いよのかみ)匡方(まさかた)さまで、石高は三千八百石」

 その言葉にピクリと雪之丞の眉が上がる。

「今は無役ですが、ご大身でやす」

 現代とは違い庶民の家では表札は出していないどころかその概念すらない時代である。武家屋敷とて表札を掲げる家はあっても出ているのは名字のみで、当主の名前だの石高だのお役目だのは家を見ただけの庶民には到底知りようのないことである。それをここまでの短い時間で調べてきたのは吉三がそれだけ必死だったということである。

 当然の事ながら、吉三は佐久間家の門番をしていた中間に菊弥の所在を尋ねた。酒臭い吉三に中間はそれでも答えてくれはした。その結果は―――『知らぬ存ぜぬ』である。

『確かに当家で菊弥という役者を呼んだ。半刻ほどで帰した。当家から出ていった後のことまでは知らぬ』

 と。木で鼻を括ったような返答であった。

 もちろん吉三は『駕籠清』にも聞きに行った。そこで、佐久間家からの駕籠の依頼などはなかったと言われたのである。しかし、駕籠清の半纏を着た人足(にんそく)を確かに見た吉三は納得出来る筈もない。食い下がったものの、駕籠清に雇われた駕籠かき人足全員に聞いてみても知らぬというのである。しまいには、

「『生意気盛りの若い者のことではないか、悪仲間に誘われて色町あたりにしけ込んでいるのではないか』などと言われちまいやして…」

 悔しそうな吉三に、他の者もまた悔しげに押し黙る。おなごである菊弥が絶対にそのような真似をしないことがわかっているからだ。聞き込みに行ったときには菊弥の行方がわからなくなって半日、確かに本当の若者であったのならばいささか早い時間だ。大騒ぎした挙げ句、色町に居ただけとなったのならば本人が色々と気まずい思いをするだろう。だが、菊弥はおなごだ、しかも見目の麗しい―――

「………」

 ギリリと血が出そうなほどに唇を噛む雪之丞。

 唯一、助三だけがとても複雑そうな顔つきで、

「そ、…そうだよな。そういうことだってあ…」

「ありませんから。菊弥はそんな子じゃありませんから」

 と喰い気味に否定した雪之丞。

「…だよな」

 いっそそうであったのならよかったと思ったのであろう。助三はしょんぼりと肩を落とす。

「………」

 沈黙の落ちかかるその場に雪之丞がキ、と顔を上げた。

「とにかく! その吉三が見失ったという駕籠の足取りを追いましょう。吉三、あなたは一度休みなさい。小平太―――」

 雪之丞が声をかけた男は返事をする間も惜しむように身を翻す。吉三は反論しかけたものの、夕べから一睡もせずに動いていたのは間違いなくて、老体に少々響いていたのは事実であった。

「………」

 そんな場で黙ったまま考え込んでいた助三であったが、ふと視線をあげ目があった先の文治にくいと顎を振り表を示した。

 ふらりと外へ出た助三を追って文治も移動する。引き戸を開ければ外は白々と明け始めており、茜色が広がっていた。

「……文治」

 助三の声に文治は茜色から視線を外し、壁に寄りかかった助三に顔を振り向けた。

「駕籠に乗ったまま門を出入りするなど、普通のことではない。だろう? 文治」

 助三の問いかけに文治ははっと気づいたように、

「―――そう、そうでやすね…確かに…そうだ」

 と言葉を返した。

「その駕籠の行方ももちろんだが、その後にも人の出入り、物の出入りがなかったかどうか。特に人一人入るくらいのデカい荷物なんかが出ていかなかったか―――それと佐久間とかいうその旗本、どんな人物なのか、どんな細かいことでもいい。徹底的に調べてくれ」

 吉三が声をかけたという駕籠、その駕籠に菊弥がいたという保証はない、そしてもしそうであれば大身旗本の佐久間家が菊弥の行方に関わりがない…筈がないということでもある。

「へい」

 文治は、この男にしては珍しく固い表情で応え、そのまま裏木戸から出ていった。

 

 


 東の空は白み始めたばかりであった。




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