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第二話「贋恋文」  作者: 和泉和佐
10/20

贋恋文10

―――――― 10 ――――――


「どうしなすったんです? 菊弥さん?」

 真っ赤になって叫んだ雪之丞の顔を思い出し笑いしていた菊弥にそう問いかけたのは共に木戸番をする老爺であった。

「あ、いや、なんでもないです、吉三(よしぞう)どの」

 誤魔化すように咳払いをしつつ菊弥が答えるのに、吉三は慌てた。

「だから、それはおやめんなってくだせェって。こちとらたかが中間(ちゅうげん)風情(ふぜい)に『どの』だなんてこそばゆくって。呼び捨てで結構ですよ」

 深山一座のメンバーはその六割ほどが元秋山藩に所縁(ゆかり)の者で構成されている。この木戸番の老人も以前は秋山藩士に仕えていたのだし、城下に暮らしていたこともあり片桐家の四兄弟のことはよく知っていた。そもそも片桐四兄弟は兄と弟はその剣術の才で、長姉はその美貌で、末っ子の菊弥は男の子のような活発さから城下では有名だったのである。知らないのは江戸詰めの藩士であった本多助三郎、すなわち助三(と文治)くらいのものであった。そもそも深山一座は城代家老一派ということもあり江戸詰めの藩士が極端に少ないのだ。だからこそ、賭けまがいの性別虚偽に助三が付き合わされることになったわけだが。

「支度はいいですかい」

 木戸番の吉三は菊弥が小さく頷くのを見てから、周囲に集まる見物客へと視線を移しスーっと息を吸い込んだ。

「さあ、よってらっしゃいみてらっしゃい! 当代一の名女形と謳われた当一座の雪之丞! その弟の美剣士・菊弥の小柄投げの妙技はここでしか見られないよー! おとっつぁんもおっかさんも別嬪(べっぴん)さんもそうでないオネーチャンもどうか一つ足を止めて見ていきねえな!」

 朗々と口上を叫び出す。さすがの菊弥もこればかりは物慣れぬので吉三に任せている。ただし、自分への『美剣士』とかいう謎のパワーワードは真剣に勘弁してほしいところではあった。

 内心の動揺を隠して菊弥は黙々と準備を進めた。懐から出したなめし革の巻布をはらりと広げれば何本もの手裏剣が納められている。口上では小柄投げと称したが、菊弥が使うのはダガー(タイプ)の手裏剣である。打刀の鞘の内側の溝に嵌め込まれた小柄は、使うとしてもせいぜい(まげ)の形を整えたり、無精髭を剃ったり、あるいはペーパーナイフとして使ったりするくらいだ。対してこちらは立派な武器であり両刃(小柄は片刃のものも多い)で切れ味も刀並みに鋭く、十分な殺傷能力を秘めている。郷里で通っていた道場の師範と共に彼女の体格や手の長さなどを加味して(あつら)えたフルオーダーの一点ものだ。

 すべての準備を整え、菊弥はさらさらと《的》にする板に文字を書き付ける。

―――今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな―――

 どうにも出来ない恋の苦しさを詠う悲しくも美しい恋の歌だ。それを美剣士(笑)の流麗な筆致で書き付けられたことで歌の美しさが増し、見物の女性客から『ホゥッ』とため息がこぼれる。

「さあ、どの文字にでも狙い違わず当ててみしょうぞ!―――そなたの望むままに!」

 どうぞとばかりに美剣士に指名を受けた若い娘は、周りに囃されて真っ赤になった。この娘、今日はじめて深山一座の芝居を見に来た新顔の客であったが、この日より後、連日深山一座に通いつめることになるとは本人とて知らぬことであった。蚊の泣くような小さな声で申し出た文字を、菊弥の放つ小柄によって見事に射抜かれた瞬間、的と一緒に違う何かも射抜かれてしまったらしい。

 菊弥も罪作りな男(笑)である。

 やんややんやの喝采の内に本日の役目を終えた菊弥。芝居の幕が上がれば呼び込みも木戸番も一段落がつく。

「ところで吉三さん、昨日の件なんですが―――」

 『どの』呼びは本人の意向で止めたが、『さん』付けが妥協点である。まさか助三のように誰も彼もを呼び捨てというわけにもいかないし、菊弥の兄である雪之丞も『さん』づけで呼んでいるので勘弁してもらおう。

 吉三は菊弥の言いさした言葉を遮るように、

「いけやせん」

 ピシャリと答えた。

「でも、手紙の代筆なんて普通でしょう?」

 と菊弥。

 実は昨日の呼び込みの後で、とある女が菊弥と吉三に声を掛けてきた。曰く、

『そなた様の美しい筆跡()で我がご主人さまが恋文の代筆をしてほしいと申しておりまする。つきましては明日、同じ時間に駕籠を寄越しますのでついてきてください』

 とのこと。一息に言いきってこちらの返事など聞くこともなくいなくなってしまった。

 唖然とそれを見送った菊弥と吉三であったがもちろん断るつもりであった、少なくとも吉三は。今までに贋物屋の仕事として代筆(正確には代筆ではなく贋手紙ではあるが)というのは確かにあった。あったが、昨日の怪しげな女は裏の仕事のツルである大黒屋の名を言いもしなかったのである。

「贋物屋として依頼されたんではねえです。あの女は大黒屋さんの『だ』の字も出しゃしなかったんですから」

「贋物屋の仕事でないならよいではありませんか。私がいけないと言われているのは贋物屋に(くみ)することでしょう? 恋文の代筆なら普通のことじゃありませんか」

 吉三の言い分を逆手にとって言い返す菊弥。吉三も負けじと、

「贋物屋の仕事でねえならなおさら引き受ける(いわ)れはありやしませんよ」

 とピシャリと返す。平行線である。

 菊弥としては恋文の代筆といういかにも都会的な仕事(郷里(いなか)ではそんな商売が成り立つなんて聞いたこともなかったのだ)に、多少ワクワクしていないこともないわけだが、それ以上にこんな小さな仕事でも実績を積んで贋物屋の仕事に加えて欲しいという下心もある。

 行く気まんまんの菊弥に吉三は難しい顔をした。

「いけm―――」

 口を開きかけたそこへ、

「おーい、吉さん! ちょいとこっちを持っててくれねえか」

 小屋の中から声がかかった。

 芝居の公演中となれば忙しいのは役者ばかりで裏方は暇のように捉えられがちなものだが、とんでもない。舞台の細かな装置や効果音、早着替えなど、舞台裏は目の回るような忙しさなのだ。吉三は木戸に掛けられた(むしろ)をちょいと持ち上げ小屋の中へ頭をつきいれると舞台に響かぬ程度の大声をあげた。

「おー、今行くぜ。ちょっと待ってくんな―――とにかく、菊弥さ、」

 中へと返した頭を再び菊弥の方へと戻した吉三は、あんぐりと口を開いた。

 今まさに菊弥が一丁の駕籠(かご)に半身を差し入れていたところだったからだ。




 その後、

「―――どうぞ、お帰りくださって結構でございますので」

 慇懃な態度の女中に、

「いや、しかし」

 吉三はねばっていた。

 武家屋敷(どうやら旗本の屋敷らしい)の門の前で先程から押し問答を繰り返していた。

「お帰りには再び駕籠を呼びますんで、大丈夫でございますよ」

 というのが相手方の主張である。先程、屋敷に入っていった菊弥本人も吉三を表で待たせるのは気の毒であると、先に帰るように促していた。

 迎えに来た駕籠に乗り込んでしまった菊弥を慌てて追いかけて、駕籠の横をくっついて走ってここまでやってきた吉三である。が、まさかにこんな立派なお武家からの依頼だとは思っておらず、引き止めるに引き止められず菊弥が中に入っていくのを黙って見送ってしまった。

「……へえ…そんでも、へえ。菊弥さんがお帰りになるのをここで待たせてもらいやすんで」

 吉三はそういうと往来の邪魔にならないよう端に寄りしゃがみこんだ。




連投失礼しました。

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