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7/21

想い

 知らない間に梅雨に入り、知らない間に明けていた七月も後半。叶向は違和感を覚えながら仕事を進めていた。


 最近、如月の様子がおかしいのだ。


 いや、おかしいかどうか判断できるほど今の如月を知っているわけではない。しかし再会してから一ヶ月あまりの間、如月は高校時代と変わらない雰囲気で叶向に接してくれていた。叶向がいくら冷たく応じようとも、だ。

 それが先月くらいから会話がどこかぎこちない。目を合わせようともしてこない。その様子が気になって叶向から話題を振ってみても、どこか無理したような笑みを浮かべるだけで、すぐに会話を終えてしまう。

 その関係は叶向がこの職場に来てからずっと望んでいたものだったはず。もう彼女とは深く関わらないようにしよう。そう決めていたのだから。

 しかし、いざ彼女から距離を置かれるとモヤモヤしてしまう。嫌な気持ちが沸き上がってくる。そんな自分の気持ちに苛立ち、そのせいで仕事に集中もできない。しかし何かあったのかと気軽に聞くこともできない。

 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま今日もまた終業のチャイムが鳴ってしまった。いまのところ叶向が担当している作業は落ち着いているので残業をする理由はない。

 叶向はパソコンの電源を落としながら横目で如月を見た。彼女はぼんやりとした様子でモニタを見つめている。ここ十分ほど、キーボードに置かれた指は動いていない。


「……如月さん」


 声を掛けると彼女はビクリと肩を震わせた。叶向は眉を寄せて「あ、すみません」と謝る。


「驚かせてしまいましたか」

「ああ、いえ。こちらこそごめんなさい。ぼんやりしてて……。えっと、どうされました?」


 彼女は引き攣った笑みを叶向に向ける。その視線は俯いたままだ。


 ――何かあったの?


「――今日は、もう上がらせていただきます」


 心の声を口に出せるわけもなく、叶向はそう言うと荷物を鞄に押し込んだ。如月は「ああ、はい。お疲れ様でした」とモニタへ視線を戻す。その横顔は緊張しているように見える。


「……お疲れ様でした」


 呟くように言って叶向はフロアを後にした。

 会社を出て、まだ明るい街を落ち着かない気持ちで歩いていると、前方から見覚えのある人物が疲れた様子で歩いてくるのが見えた。


「あれ、水無月さん。今日はもう上がりですか?」


 そう言って笑みを浮かべたのは松本だ。たしか如月と同期と言っていたか。叶向は会釈して「お先に失礼します」と答えてから「松本さんは今から帰社ですか?」と続けた。


「そう。本当はもうちょっと早く戻りたかったんだけど、客先でトラブルがあって」


 苦笑しながら彼は頷き、そして「あー、そういえば」となぜか視線を彷徨わせた。不思議に思って叶向は首を傾げる。


「……ちょっと聞いてもいいです? 如月のことなんですけど」

「如月さん?」

「ええ。なんかあいつ、最近元気ないですよね? 何かあったのかなぁと思って」

「――なんでそれをわたしに聞くんです?」


 叶向の質問に、彼は「いや、なんとなく」と首を傾げて続けた。


「水無月さん、最近よく如月のこと見てるから気にしてくれてるのかと」


 その言葉に、思わず叶向は目を見開いた。


「わたしが?」


 松本は頷く。


「何かあったのか聞いてますか? 悩みがあるとか」


 叶向は眉を寄せて顔を伏せた。


「いえ、なにも。あの、すみません。失礼します」


 一方的に会話を切って叶向は足早にその場から立ち去る。そうしながら、動揺が顔に出ていなかっただろうかと自分の頬に片手をやった。


 ――わたしが如月を見ている?


 そんなはずはない。そうしないようにしていたはず。彼女のことなど気にしないように。それなのに。


「……如月が悪い」


 俯いて歩き続けながら呟く。如月が、あからさまに落ち込んだ様子を見せるから気にしたくなくても気になってしまう。つい、彼女に触れて慰めたくなる。高校時代のように。あの頃の如月は些細なことでよく落ち込んでいたから。

 叶向はゆっくりと足を止め、深くため息を吐きながら頬に当てていた手を額へ移動させた。


 ――どうしたらいいんだろう。


 どうしたらこの気持ちを止めることができるのだろう。いっそのこと昔みたいに話してみればいいのだろうか。

 いや、ダメだ。それではあの頃と何も変わらない。結局、叶向の中に残るのは虚しさだけだ。

 今の彼女のことを知りたくない。知ってしまえば、きっと前よりも欲しくなってしまうから。


「――美守」


 叶向はスマホを取り出す。今日は木曜日。バーは定休日だ。きっと彼女は自宅でゴロゴロしているに違いない。叶向は美守へ「今から行く」とだけメッセージを送り、返事を待つこともなく再び足を踏み出した。




「あんたさ、こっちの都合も考えないでいきなり来るのやめてくれない?」


 アパートへ行き、合鍵で勝手に部屋に上がり込んだ叶向に向かって風呂上がりの秋山はとくに怒った様子もなく淡々とした口調で言った。


「一応メッセージは送った」

「お風呂入ってたんだってば」

「長風呂なのが悪い」


 叶向は冷蔵庫から無断で取り出したビールを飲みながらベッドに背をつけてテレビを見つめていた。普段からテレビを見る習慣のない叶向には、いま流れているドラマの展開がよく理解できない。


「ビール代、ちゃんと払ってよ?」

「ケチ」


 呟くと顔にバシッとタオルが投げられた。少し湿ったそれは重みがあり、当たった頬には鈍い痛みが広がっていく。


「……今日、泊まっていい?」


 手に取ったタオルを見つめながら叶向は問う。しかし返事はない。顔を上げると、秋山は小皿を二つ持ってきてテーブルに置いた。


「ダメって言っても泊まるでしょ、あんた。追い出してもドアの前で寝てそう」

「さすがにそれはしないよ」


 叶向は苦笑すると目の前に置かれた小皿を見つめた。それは何かを煮詰めたつまみらしきものだった。


「なにこれ」

「さあ。適当に作ってたらできたやつ。意外とイケる」

「なにそれ」


 叶向は笑いながら小皿を見つめ、深く息を吐く。


「……もうやめれば? あの子と働くの」


 ハッと視線を上げると彼女は無表情に叶向を見ていた。


「――なんで?」

「あんた最近、わたしに依存しすぎだよ」


 否定はできなかった。だって彼女はこんな自分を受け入れてくれるから。口では迷惑そうにしながらも、決して拒絶したりはしないから。だからどうしてもそこに甘えてしまう自分がいる。


「知ってるでしょ? わたし、そういうの好きじゃない」


 知っている。彼女は誰かに依存されることを嫌う。そして誰かに依存したりもしない。叶向とは違う。彼女は受け入れるだけで何も求めない。


「あの子と働くのがしんどいんだったら――」

「そうじゃない」


 思わず叶向は彼女の言葉を遮っていた。秋山は眉を寄せる。


「違うの? そうは思えないんだけど」

「そうじゃないこともないけど、そうじゃない」

「……日本語がおかしい」


 叶向は軽く笑ってから「最近、如月がわたしを避けてる気がして気になるというか」と顔を俯かせた。きっと呆れられるだろう。そう思ったのだが、予想外に秋山は「へえ、そう」と答えただけだった。顔を上げると、彼女は叶向の手からビールの缶を取り上げて一口飲んだ。


「美守?」

「なに」

「なんか変」

「うっさい」


 彼女はそう言うと手にした缶を見つめて「たぶんそれ、わたしのせい」と続けた。今度は叶向が眉を寄せる。


「なにが」

「だから、如月さんがあんたを避けてるの」

「なんで」

「見られたから。わたしのこと」


 彼女の答えは要領を得ない。叶向がじっと見つめていると秋山は缶をテーブルに置いた。


「先月の中旬くらいかな。あんた、空きっ腹にちゃんぽんしてヤバくなってたときあったでしょ」

「あったっけ」

「忘れないで。あの日のわたしの苦労をなかったことにしないで」


 彼女は不愉快そうにため息を吐くと「あの日、あんたが帰ろうとしたとき」と続けた。


「一人で帰るっていうから見送ろうと思ったら結局フラフラで帰れなくてわたしに寄りかかってきたでしょ。店の前で。あれ、見られたんだよね。如月さんに」


 叶向はぼんやりと記憶を探る。たしかに先月は一度だけひどい酔い方をしてしまったときがあった。しかし、そのときの記憶は曖昧だ。


「なんであの子があそこにいたのかは謎なんだけど」

「あー、それはわたしが教えたから、美守の店」

「は? なんで」

「如月が知りたがったから」

「……わたしの店ってちゃんと言った?」

「高校の友達がやってる店って説明した」


 すると彼女は呆れたように叶向を軽く睨むと「何やってんだか」と髪を掻き上げた。


「わたしがあの子に嫌われてるの、知ってるでしょ?」

「え、知らない。なにそれ」

「なんで知らないの」

「なんでって……」


 知るわけがない。高校時代、秋山と如月に接点などなかったはずだ。二人で話しているところだって見たことはない。


「まー、とにかく」


 秋山はそう言うと再びビールの缶を手に取ってグビッと飲み干した。


「あんたが避けられてる理由は十中八九わたしだよ。避けられるのが嫌なら話してみれば? あの日は酔っててわたしにひどい迷惑をかけてただけだってさ」

「……話す」


 できるだろうか。

 ちゃんと普通に、ただの同僚として彼女と会話をすることが。


「ほんっと、めんどくさい奴」


 カンッとテーブルに空き缶を置いた彼女はそう呟くと「夕飯はカップ麺ね。作るのダルいから」と洗面所へ消えていった。髪を乾かすのだろう。


「あ、それと叶向は床で寝てよ? あんたの抱き枕になるの、もう飽きたから。そんな気分でもないし」


 そう言う彼女の声を聞きながら叶向は考えていた。

 避けられるのは嫌だ。如月を避けたくもない。

 話をして、彼女との関係はどんなふうに変わるのだろう。新しい関係を築くことはできるだろうか。過去のことは思い出として互いの胸の奥に収まってくれるだろうか。


「……それも、嫌だな」


 呟き、叶向は甘辛いつまみを口に入れた。





 翌日も如月の様子は変わらなかった。叶向を見ない。業務上の会話もぎこちない。話題を振ろうとしても交わされてしまう。

 話をするタイミングを掴むこともできないまま、気づけば終業時刻を迎えていた。


「今日は上がりますね」


 その声に視線を向けると、彼女はすでに端末の電源を落として帰り支度を整えていた。


「あ、もう帰られるんです?」

「ええ。作業も落ち着いたので。では、お先に失礼します」


 如月は淡々とした口調でそう言うと席を立った。


「あの、如月さん!」


 しかし、その声が届くよりも先に彼女はフロアから出て行ってしまった。叶向は慌てて残っていた雑務を終わらせて彼女を追いかける。

 たしか前に彼女が松本と話していた。金曜日は帰り際に近くのコンビニで自分へのご褒美を買うのが習慣になっている、と。ならばきっと今日だってまだコンビニにいるはず。

 そう信じて叶向はコンビニまで走った。一番近くのコンビニは会社の先にある交差点の横断歩道を渡ったところだ。目の前の信号は赤。帰宅時間の国道は車の量も多い。

 叶向は足を止めて信号が変わるのを待ちながらコンビニの方へ視線を向けた。そして「え……」と声を漏らした。

 そこには如月がいた。彼女は満面の笑みを浮かべている。心から安心したような笑み。それが向けられた先に立っているのは見覚えのあるスーツ姿の男。松本だ。


「……なんで」


 職場では会話をしていることもあったが、そこまで親しい仲には見えなかった。ただの同期。それだけのはず。いや、果たしてそれだけだろうか。ふいに脳裏に蘇ったのは、如月を心配する昨日の松本の様子だった。

 松本はもしかすると如月に好意を持っているのではないだろうか。だからあんなに心配をしていた。

 そのとき松本が如月の頭にポンポンと手を乗せた。如月は嫌がる様子もなく、ただ恥ずかしそうな、しかし嬉しそうな笑みを浮かべている。その様子はまるで信頼し合った恋人同士のようにすら見える。

 横断歩道の向こう。たった数十メートル向こうで彼女は松本と会話をしている。さっき叶向と話していたときとはまるで別人のように、楽しそうな様子で。

 信号が青になり、叶向は如月の笑顔を見つめながらぼんやりと足を進める。

 何を話しているのだろう。高校時代には叶向に向けていたような笑みで。

 何で嫌がらないのだろう。彼女のフワフワの髪を撫でることができたのは自分だけだったはずなのに。


 ――なんだ。バカみたいだ。


 こんなにもショックを受けている自分がバカみたいだ。如月と離れて十年。再会して二ヶ月。何も変わらない。

 自分は如月のことが恋愛として好きなわけではない。それなのに、いざ彼女が自分以外の誰かに触れられている様子を見ると堪らなく腹が立つ。嫌な気持ちがとめどなく沸き上がってくる。

 叶向は足を進めながら如月に視線を向けていた。やがて松本が彼女の頭から手を下ろした。そのとき彼女の視線が叶向を捉えた。瞬間、彼女が浮かべた表情は驚き。そして動揺だろうか。


「あれ? 水無月さん?」


 暢気な松本の声が勘に障る。叶向は気づかないふりをして二人の横を通り過ぎる。だが、どうしても視線を如月から逸らすことはできなかった。

 彼女は何か言いたそうな表情で眉を寄せている。


 ――言いたいことがあるなら言えばいいのに。


 そう思ってから、それは自分も同じかと心の中で自嘲する。

 やはり仕事は辞めよう。これ以上、彼女の隣にいればきっとダメになる。彼女を傷つけてしまう。それは嫌だ。


 如月にはあの頃と変わらず、笑っていて欲しいから。


 振り向くこともせず、家とは逆方向に歩き続ける。どこかで一度引き返さなくてはいけない。でも今引き返せばきっとまだ如月はいるだろう。遠回りして帰るのも面倒だ。どこかで時間を潰さなければ。

 そのとき前方に見えてきたのは小さな公園だった。


「……ここ」


 公園に向かって歩きながら叶向は周囲を見渡す。そこは図書館裏の小道だった。

 懐かしさにほんのわずかだが気持ちが和む。少しあの公園で思い出に浸るのもいいかもしれない。そんなことを思ったとき「水無月さん!」と声が響いた。

 驚いて足を止めた叶向は振り返る。そこには息を切らした如月が思いつめたような表情で立っていた。

 叶向はじっと彼女を見つめると、気づかれないように深呼吸をしてから「如月さん、どうされました」と笑みを浮かべた。いつも職場でそうしているように。もうすっかり慣れてしまった愛想笑いを精一杯、顔に張り付かせて。

 如月はそんな叶向を見ると泣きそうな表情で「なんで、そんな顔してんの」と呟くように言った。


「え、なにか変な顔でもしてますか?」


 叶向は首を傾げながら頬に手をあてる。大丈夫だ。いつも通りの自分のはず。しかし彼女は「なんで怒ってるの」と続けた。


「なに言ってるんですか。わたしは別に怒ってなんか――」

「ウソだ」


 叶向の言葉を遮って言う。


「水無月……さんは、怒ってるときは泣きそうな顔でわたしのこと見てくるもん」

「だからわたしは別に――」

「でも!」


 さらに彼女は口調を強めて続ける。


「わたしにはその理由が全然わからなかった! 高校のときも、今も! なんでわたしのこと無視してたくせに、そんな顔してんの? わけわかんないよ。ねえ、水無月!」


 そう言った彼女の瞳には涙が滲んでいるように見える。しかし泣くまいと必死に堪えているのだろう。彼女の唇は震えていた。

 叶向は深く息を吐き、顔を俯かせると「こっちだって」と低く声を絞り出す。


「こっちだってわけわかんないっての」

「……え」

「先月、美守の店に行ったんでしょ?」


 言いながら顔を上げると如月は目を見開いて叶向を見つめていた。叶向は続ける。


「そこでわたしが美守と抱き合ってるの見て、それでなんで如月がいきなり態度を変えたのか理由がわかんない」

「それは――」

「美守から聞いたよ。如月は彼女のこと嫌いなんだよね? それは知らなかった。でも別に関係ないじゃん。わたしと美守のことなんだから。如月には何も関係ない」

「――なんで、そんなこと言うの」


 涙声の彼女は、しかしまだ懸命に涙を堪えようとしている。叶向は胸にズキズキと痛みを感じながら「だって如月はわたしとは何も関係ない、ただの他人じゃん」と言葉を吐き出した。


「違う……。わたしは水無月の」

「わたしの?」

「友達だって、昔も今もそう思って――」

「無理だよ。わたしは如月の友達にはなれない」


 叶向の言葉に、如月は涙をこぼした。彼女は顔を俯かせると震えた息を吐き出した。


「なんでそんなこと言うの。なんで、怒ってるの? わかんないよ。高校のときも、なんで水無月がわたしのそばからいなくなっちゃったのか全然わかんない」


 言いながら彼女は手の甲でゴシゴシと涙を拭う。大人になって化粧もしている彼女の顔は、すっかりマスカラも落ちてボロボロだ。


「本当に?」


 叶向は泣きじゃくる彼女に一歩近づいて手を伸ばした。如月は溢れる涙を拭いながら頷く。


「わかんない。教えてよ。わたしが悪かったなら謝るから」

「謝るんだ?」


 如月の頬に手を当てる。涙に濡れた彼女の頬は温かくて冷たい。彼女は涙を拭うのをやめて叶向を見上げてきた。

 こうして彼女から見上げられるのは嫌いじゃなかった。

 如月の瞳に自分だけが映っている気がしたから。


「謝るよ。秋山さんのことも、たしかにあんまり好きじゃないけど。でも水無月とまた仲良くなれるなら秋山さんにだって謝る」

「何を?」


 訊ねると彼女の視線が泳いだ。


「それは――」

「悪くないのに謝る必要なくない?」

「じゃあ、どうしたら許してくれるの」

「許すも許さないもないよ。それにきっと如月はわかってる。わたしがどうして如月から離れたのか。だってそうさせたのは如月じゃん」

「わたし……?」


 そうだ。そうさせたのは彼女だ。越えてはいけないラインを叶向が越えようとしたから、だから如月は……。


「わかんないよ。わたしが何かしたの?」

「ウソつき」

「水無……」


 動いた彼女の唇に叶向は自分の唇を押し当てて黙らせた。すぐ目の前で涙に濡れた彼女の瞳が大きく見開かれる。そっと口を離すと、彼女は呆然とした様子で叶向を見つめていた。


「わかった? 理由」


 しかし、如月は答えない。その代わりのようにゆっくりと首を左右に振っただけだ。


 ――如月に触れたい。


 そう強く想うようになったのはいつからだっただろう。叶向は視線を公園の方へ向けた。

 あの公園で、彼女にキスしたときからだろうか。わからない。しかし、少なくともあのときのキスがきっかけだったのは確かだ。

 そしていつしか膨らんだ叶向の欲に気づいた如月は去ってしまった。当然だ。彼女は知っていたのだから。叶向が如月に恋愛としての好意を持っていないことに。


 ――わたしは、如月が好きじゃない。


 それなのに触れたいと思う。嫌われたくないと思う。しかし好かれたいとは思わない。

 もし彼女が叶向のことを好きになったりしたら、それはきっと叶向が触れたい彼女ではなくなってしまうから。


 ――めんどくさい奴だね、あんた。


 そう言って馬鹿にしたように笑う秋山の声が耳の奥で聞こえた気がした。


「帰るね。忘れて、今の」


 まだ呆然と立ち尽くしている如月にそう言葉を残し、叶向は彼女に背を向けた。もしかしたら追いかけてきてくれるのではないか。そんな自分の気持ちとは矛盾した淡い期待を胸に。

 しかしもう、彼女が追いかけてくることはなかった。


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