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3.災害ユートピアのただ中で

≪――4月17日、銀葉市に発生しました悪魔災害、悪魔Y242号による被害は今だ全貌が明らかになっておりません。市総合本部発表では現在のところ確認された死者は11名、負傷者が117名、損壊した家屋は100戸超に上りっております。懸念される『所在未確認者』は74名。こちらは現在、警察が総力で調査確認にあたっています。郷土警備隊(レルムガード)司令部によりますと、悪魔Y242号は銀葉市コロッセオ内のゲートから出現したのではないとのことです。近隣市のコロッセオを突破してやってきた可能性があり、確認を急いでおります。悪魔は魔力を失い、自然消滅したものとみられていますが、追随する別の悪魔の出現が危惧されております。市民の皆さんは一層の注意をお願い――≫




 復興の鎚音が鳴り響く、とはこんな状況かも知れない。

 銀葉市紅門町――悪魔災害で最も被害を受けたこの界隈の様相は、ある場所は連なって押しつぶされ、それでいてすぐ隣は全くの無事だったりもし、地震や台風とは異なる、まるで巨大な生き物が蛇行して這いまわったかのような異様なダメージを被ったことを物語っている。

 この辺りは商店街を中心にした古い町だった。近年は人口減少と郊外型商業施設に押されて寂れる一方だったが、災害から3日が経過し、今や奇妙な活気と喧騒に溢れている。

 瓦礫を撤去する多くの人がいて、修理をする人達や、荷物を運ぶ人達もたくさんいて、あるいは半壊した商店をあやうい基準で開く人だっている。知り合いに出会うたびにみな足を止めて話し合い、慰め合い、励まし合って立ち去る流れがそこかしこに絡み合う。当事者と同じくらい、部外者と思われる人の数も多く、あちこちに手書きで案内文や応援メッセージやらなにやらが所狭しとべたべたと貼られ、雑多で奇妙なエネルギーが満ちている。

 悲しみや苦しみがないわけではない。むしろ、総量としてはそちらが主流に思われたが、無視しがたい流れに背を押され、呑まれるように人と人とを繋ぐうねりがそこにあった。もしかするとそれは、自分を支えたいがために他者に寄り掛かり、大切な誰かや何かを守りたいがために他者に助けを乞う、そんな人々が集い合り重なり合って、結果として支え合っているように見える、瞬間的な儚い輝きに過ぎないのかもしれない。そしていくらかの時を経て、僅かの安定を得、他人よりも自分に注意が向き始めればたちまち雲散霧消するようなまぼろしの祭典であるのかもしれない――だが、少なくとも今この瞬間だけは、愉しいわけではないのだけれども、どこか一種のお祭りめいた雰囲気が漂っていた。

 ――それを、町の隅のぼろいベンチに横たわって、竜胆はぼんやりと眺めている。

 被害を受けた、目の前の人たちの多くは、きっとつらい心を抱えている。だが、そんな彼らを、

(……うらやましい、なんて――)

 不躾で、鬱屈した思いを抱いてしまうのを止められずにいたのだった。

 竜胆の家は無事で、家族も健在だ。

 だが、そこに繋がる糸は、もうない。

 この場にいる彼らは、人と人との繋がりがあった。

(オレは、きっとこんな人々の輪に加わるような資格はない――)

 そんな断罪の気持ちが、ひしひしと竜胆の心を苛んでいる。

 そうやって拒絶し、距離を置いているのは外ならぬ自分であるという自覚もないまま、彼は深い疎外感を抱えて背を丸め、自虐の重みで頭を垂れていくのだった――。

 出奔して1年。

 家族へ与える悲しみの最も少ない方法を選択したつもりだった。治る当てのない呪いで死を待つばかりの彼を、家族はどんな目で見たらいい?それに、天草家は率直に言って貧乏だ。無駄な金銭的な負担をかけたくない。死にゆく彼の代わりに、生きている者でお金を使って貰えたらいい。

 そこまでして、ようやく、姉への贖罪を果たせる気がしたのだった。

 そう思うと、重苦しい心のわだかまりがスッと溶けるような気がした。

 最期の瞬間だけは怖いけれど、せいぜい残り数か月の人生、穏やかに過ごすことにしよう――。

 と思っていたのに――

(――いや、まさか、普通に生き残ってしまうとは……)

 幸運ではあるのだろう、とは思う。けれども、全身を襲う激痛は日々強く、運命を呪わない日は最近無い。穏やかかそうでないかと問われれば、全くもって穏やかではない。

 この病気に罹って1年を生きるのは稀だと言うが、それはつまり、1年を生き抜ける者も稀に存在するのだ、ということに思い至ってはいなかった。思えば治療法が存在しないので、入院しようがしまいが、きっと生存率は変わらないのだ。

(オレ、これから、どうしよう……)

 こんな問いかけを自分に向けるのは、最近とみに多くなった気がする。

 出奔してすぐに向かったのは、その頃九州東岸で起こった悪魔災害地だった。おぞましい力に荒らされた街を復興させつつ、寂れた港で住み込みの仕事を得て1年近くを過ごした。

 その期間を経て、妖物化病はゆっくりながら着実に進行し、両膝から下は姉の腕同様毒々しい珊瑚色になり変わり、右肘から先は同じく珊瑚色の骨と皮に変化している。一応はまだ人のカタチだ。足首は動かなくなったが、下半身は靴とズボンで隠せる。右手は姉のように巨大化しなくて助かった。硬質化して動かせないが、長袖と手袋で隠せてはいるのだ。

 ただ、キツいのは内臓系の変化だった。呼吸が常に苦しく、無理やり息を吸い込むと激しくむせる。固形物を食べると喉に引っ掛かり、なんとか市販のゼリーで栄養を補っているが、そのゼリーも最近は喉を落ちにくくなった。

 バイタルもガタガタだ。いつしか毎日体調を測るようになっていたが、血圧が低く、徐脈な上に不整脈。血中酸素濃度も通常域をはるかに下回り、一度に歩ける距離も数メートルがやっとな程だ。それ以上を動くと酸欠で視界が暗くなり、立ってはいられない。心臓も時折締め付けられるように痛くなった。生きる要となる臓器の異常には不安がいや増したが、単に酸素が足りず、無理やり動かしている為だと思いたかった。

 当然仕事もまともにこなせなくなり、肩身が狭い思いをしていたところ、銀葉市で――懐かしい故郷の町で悪魔災害、名称『悪魔災害Y242号事件』が起こったとニュースで知り、取るものもとりあえず彼は、働き場所に置き手紙を残して再び出奔し、つい昨夜に到着したのだ。

 到着して早々、まずは遠目で家の様子を、妹と母の無事を確かめた。

 良かった。どうやら悪魔Y242号とやらは詩々魅(しじみ)町には踏み入らなかったようだ。

 だが、そこから先を考えて困惑した。いったいどの顔を下げて家に帰ればいい?家族を慮ってのこととはいえ、勝手に逃げたのだ。おめおめと家には戻れまい。さりとて、交通費で財布もほとんど空になり果てている。

 逡巡した挙句、自棄になった気持ちで緊急災害避難所に潜り込んだ。元からこの市の住人だし、勝手も判っている。

 実家が無事だとは気づかれていないので、そうすぐには追い出されまい。だが、公費で出される食料に手を出すのはさすがに憚られ、無料の水だけを飲んで、ふらふらと町に出てきたのだった。避難所の空間を占有するだけでも公費がかかるのは知っているが、そちらは……できれば目を瞑ってほしい。

(これから、どうしたものだろう……?)

 体調も体力も最悪で、悪化する一途をたどってはいるが、極限まで追い詰められたわけではない。ただ、次に取る一手が思いつかず、どうにも悩ましい閉塞した状況。

 だが、望みがないわけでもない。

 この1年、死を覚悟して生きているうち、竜胆には怨念じみた、一つの妄想が芽生えていた。

(ああ、どうせ死ぬのなら、できるだけたくさんの人の注目を浴びてド派手に死にたいなぁ……)

 もちろん、誰かに迷惑をかけるような死にざまは駄目だ。今一番ホットな妄想は、背後の多くの知人たちをかばって悪者に立ち向かい、致命傷を負いながら爆弾を抱えて突っ込み見事自爆して討ち果たす、というものだった。その悪者も、凶悪犯罪者だったり、『悪魔』だったり、はたまた『ゾンビ』だったりするのだが、要はかばわれた人々がみんな竜胆に感謝し、竜胆自身は後腐れなく死ぬ……いや、最後に何か言い残して死ぬのもいいな……血まみれになって、でも気丈に微笑んで、惜しまれながら死ぬ、みたいな。

 ありがとう、天草君!死ぬな!死なないでくれ……!

「……バカかオレは」

 ただ、ぬらぬらとした内なる世界に心を沈めると、不思議と気力が戻ってくる。現実逃避とは分かっているが、実感として効果はあった。きっと脳内麻薬か何かが出ているに違いない。薬物の効かなくなる妖物化病に侵されてはいても、脳内麻薬は変わらないのだろうか。それとも、これも効かなくなってくるのだろうか。

 そんな風にぼんやりしているうち、竜胆は徐々に睡魔に捕らわれて行った。慣れない場所と体の痛み、そして今後への不安とで、ろくに睡眠をとれていなかったのだ。今は、なんとなく寝つける心地良さを感じる……。

 枕にしたカバンをギュッと握りしめたまま、つらつらと眠りの世界に誘われていく――。

 だが、それでもカバンにかかる左手の力は抜けなかった。

 ここには大切なものが入っている。昨日、この商店街の瓦礫の中から拾った戦利品だ。それは、誰かをかばって死ぬという妄想を実現しうるもの――

 ――そう、爆弾だ。

(……ふふ)

 夢うつつにも、竜胆は含み笑いをした。

 少し形がおかしいが、手榴弾と見ていいだろう。襲来した『悪魔』を倒すために戦った、軍隊の落とし物だろうか。

 これを見つけた時はテンションが爆上がりだった。誰にも見られないよう、何度も安全ピンに触ってうっとりしていたのが昨夜の話だ。よく避難所の誰にも見咎められなかったものだ。

 ――地中を割って悪魔が現れ、悲鳴を上げて逃げる人々、竜胆は流れに逆らって一歩一歩前進し、敵を前に大の字になって手榴弾のピンを口に咥えて引っ張り外すと悠然と投げつけ――じゃなかった、手に握ったまま突っ込み、敵に抱き着いてニヤッと笑う……。うぅむ、即死しない程度の致命傷を受けつつ、介抱されながらも意識を保つには、どこに爆弾を持つのがいいのだろうか。できるだけ痛くないのがいいなぁ……。

 そう思いつつ――やがて彼は、陽だまりのボロベンチの上で、カクリと安らかな眠りに落ちて行ったのだった。

「……!」

 だから、しばらくして彼の姿を目にとめ、息を呑んで駆け寄ってくる懐かしい親友の姿に、まったく気づけやしなかったのだ。


            〇              〇


 銀葉市コロッセオは、江戸時代に築かれた城跡の敷地に建てられている。

 明治維新後に勃発した戊辰戦争で、城は激しい戦火に晒され、石垣以外が完全に破壊されたのち、陸軍基地に召し上げられた経緯がある。戦後に『悪魔の出現孔キャザム』が開いて、それを囲むためのコロッセオが建造されたが、余裕のある土地構造を利用して郷土警備隊基地も併設され、さらには隊員数確保のための高校風の徴用施設も建てられた。その全てを総称し、城址構造体(キャッスル・コンプレックス)と市政は呼ぶ。

 ――そんな基地の作戦室では、今、消えたY242号の探索に大わらわになっていた。

「探索14班から報告。通報にあった空き家にはアライグマの巣があったようです。悪魔の痕跡発見できず」

「その畜生どもは射殺しておけ!」

 いらいらと犬柘植司令は怒鳴った。「12班からの連絡はまだか。その大穴が開いた倉庫とやらは」

「……今連絡が入りました。悪魔の痕跡なし。穴は工具で破壊された様子とのこと。窃盗団が穴を開けて――あ、内部に潜んでいたようです」

「悪魔がか!」

「いえ、窃盗団です。2人……発見。窓から逃げ出したようです」

「警察に移管しろ!」

「司令、落ち着いてください」ほっそりとした美貌の女性秘書官が、コトリとコーヒーカップを置いた。「みな頑張っています。この人数でよくやっていると思いますよ」

「判っている……」仏頂面で犬柘植司令は頷いた。

 だが、焦りはどうしようもない。上からの指示で、報道陣には『悪魔は自然消滅した』などと言っておいたが、そんな簡単な結末もあるまい。

「大ダメージを受けた悪魔は、回復のいとまもなく消え去った可能性もありますし」

「お前もか……」じろりと犬柘植は秘書官を睨みつけるとため息をついた。ああ、本当にそうだったらどんなにいいか。

「……あの、提案があるのですが」

「なんだ?」

「学園の『天使』に協力を依頼しては?彼女はESPの使い手と聞いておりますし、仮にも街の『守護天使』なのですから拒否されはしないと存じますが」

「……牡丹君」犬柘植は低く言った。「君は、正気か?」

「は?」

「『アマテラス機関』には頼らん。悪魔退治は郷土警備隊のみでやる。いや、()()のみでやる。それが揺るがぬ前提条件だ。奴らに頼ることは、決してまかりならん!」

「……そう、ですか」牡丹、と呼ばれた美女の秘書官は曖昧に頷いた。

「……それに、奴も奴なりには動いておるだろうしな」

「はぁ……」そう――不機嫌に言葉を付け加えた犬柘植の真意が読み取れずに、秘書官は曖昧に返事をした。だが、今は仕事に専念すべきだ。報告すべき話はまだある。

「予定通り、あと10分で、『出現孔(キャザム)』探索煙を『悪魔の巣(ネスト)』内に噴射します。調査ヘリも市庁に配置完了……場所はそこでよろしいので?」

「市長の要請だ。仕方なかろう……本来なら、悪魔が姿を消した紅門町こそが怪しいものだが」

 ……それより、残った『所在未確認者』は?警察の調査は進んでいるのか?」

「可能性は潰していっているようですが、候補も増えつつあるみたいですね」否定的に首を振られるのを、犬柘植は机を叩きつけて怒りをあらわにした。「くそ!やっぱり全市民にGPSを埋め込むべきだったんだ。そうすれば急場に大慌てする羽目になどならんのに!」

 普通、災害に巻き込まれて所在が分からなくなった者は、行方不明者だ。だが、悪魔災害が発生した場合は、同じ意味でも『特定所在未確認者』と別称する。

 そうする理由は、呪わしき悪魔の力に起因した。

 事故や災害などとは違い、悪魔に直接殺された人間は、普通の死を迎えない。一旦死んだように見えても、実際は完全には死んではおらず、どういうわけか時間の経過とともに動き出し、再び人間に襲い掛かるのだ。

 そんな再生死者の公称は『リヴァイヴァー』。ただし、世間では単に『ゾンビ』と呼ぶ。

 悪魔に殺されて五体が無事なんてまず無い事だし、損壊が酷くて肉片にまでなったものは、脅威とはいえない。だが、その肉片すら死後動き出すことが確認されている。そこには当然知性は感じ取れないが、脳が残っていたとしても変わりなく、『再生死者(リヴァイヴァー)』はただ猛り狂った猛獣のように人へ、生ける者へと襲い掛かるのだ。まるで、生あるすべてのものを憎むかのように。

 学者によると、苦痛を伴う激しい感情は、人の体内に悪魔が好む魔力を生成させるらしい。その血を啜り、肉を食むために、悪魔は地上に出てくると言う。それが事実かどうかは異論があるそうだが、ゾンビ、いや再生死者(リヴァイヴァー)についてはそれがぴったりとあてはまる。

 人の血肉にありついた再生死者(リヴァイヴァー)は以後も人を襲い続け、ありつけなかった再生死者(リヴァイヴァー)は、塵となって消え失せる。だから悪魔災害発生直後は、悪魔による直接被害もさることながら、死者数を管理し、速やかに火葬することが求められる。問題は、『そこにいたかも知れないのに見つからない死者』だ。悪魔に丸呑みされていたなら、逆に問題ない。だが、人に気づかれない所で死んでいて、数日後再生死者(リヴァイヴァー)となって蘇り、人々を襲い始めたら。

 とはいえ、そんな『特定所在未確認者』には、大いに憶測が含まれる。()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()のだ。だいたい、市民からの申請で調査登録されるのだが、その情報が正しいとは必ずしも言い切れない。名簿は警察が管理しているが、悪魔災害のたび、市民団体が市内の行方不明者を全員申請すると噂されている。結局、ことが明確になることなく、再生死者(リヴァイヴァー)が血肉を啜らず活動できると言われる1週間が経過して調査がうやむやで終わるのは、ほぼ既定の路線だった。

 しかし、恐ろしいのは、悪魔を逃がしてしまった場合だ。悪魔が、どこで、どれだけの数の人間を再生死者(リヴァイヴァー)化させてしまったのか不確定になるからだ。だから可及的速やかな悪魔の発見が最重要になる。倒せるかどうかは、まあ、また別の問題だが……。

「第6班から報告」

「よし、なんだ!」犬柘植は期待を込めて振り返った。10人の大家族の一軒家が悪魔災害後に人の気配が消えたらしい。それだけの人間を悪魔が拘束し、じわじわと苦しめ、魔力を啜っているかもしれない。そのおぞましさ、卑怯さを想像すると、犬柘植にわなわなと怒りが湧いた……。

「……書置きが残されていたとのこと。『夜逃げします。探さないでください』と――」

「ガッデム!」犬柘植はコーヒーを飲み干すとカップを壁に投げつけた。


              〇              〇


「……リンドー!お前リンドーだろ!おい!」

「……あ?」

 急激に、安穏な夢から苦界へと引き上げられた竜胆は、邪魔された苛立ちを込めて声の主を見上げていた。

 徐々に焦点が合ってくる。そしてほぼ無意識に呟いた。

「ショーマ……か?」

「……」変わらない茶髪のぼさぼさ頭の更科翔摩は――返答を聞いて一瞬、肩を怒らせるように息を呑むと、低い声で尋ねてきた。「本当にリンドーなんだな……!」

「……」

 竜胆は返答をしかねた。今から他人の振りができるだろうか……?

 だが、気づけば強く抱擁されていた。

 どうせ誤魔化しなんて無駄なのだ、と思い知った。幼馴染の親友同士、どんなに姿が変わったところで、分からないはずなんて、ないのだから。

「――お前、今までどこにいた?」

 しばらくして翔摩が静かに聞いてきた。そこに怒気が含んでいるように思えて、

「え?」と竜胆は間抜けな顔で応じてしまった。

 バカやってた友達との再会に浮かんだ喜色を引っ込める。なんだ?もしかして、怒っているのか?

「……まあ、色々と」

「色々ってなんだよ」翔摩は息を詰めていたが、やがて、「はぁ」と天を仰ぐ溜息をついて頭をわしわししてきた。

「なんだ?やめろよ」

「生きてたのかよ。もう会えないと思ってたんだぞ?」

 最初の声音を考えれば、ずっと優しい手つきで竜胆の頭を弄った後、翔摩は自分もベンチに座った。

 だが、思い悩むように地面を見据える親友の視線は硬かった。なんだか悪いことをした気分だ。

(いや、本当に悪いことをしたのだろうな……)

 連絡ぐらいとっても良かったのではなかったか、と今更ながら思う。

「……この1年、どうしてたんだよ?」

 ややあって尋ねてきた翔摩に、

「遠くに」ぽつりと竜胆は答えた。「誰も知らないところでさ……」

(消えちまってもいいかなって……)

 そう言いかけた言葉を濁した。本気で怒られそうな気配をひしひしと感じる。だが、何を言いかけたか気づかれたようだ。

「なんで黙っていなくなったんだ?」

「その……みんなを、さ、悲しませまいと思って。別れるのってさ、辛くなるだろ。その、オレは、その……」

 無理やり言わされそうだ。待てよ、そういえば翔摩は事情を知っているのだろうか?

「オレさ……言わなかったけど……実は、妖物化病に罹ってたんだ」

「知ってる」

 冷たく返ってきた。「中三にもなって進路を決めてなかったし、受験もしなかったろ。ずっとはぐらかしてたから変だとは思ってた。そしてお前が消えた後さ、お前の妹が必死の顔で何度も尋ねてきて、所在を訊かれたよ。洗いざらい教えてもくれた。お前、入院するって約束したのに裏切ったんだってな」

「ん、いや、そう……結果的にそうはなったのかもしれないけれども……」

「知ってるか?あのあと、お前の妹、ボロボロ泣きながらお前の顔写真のポスターを町中に貼りまくってたんだぞ……」

「ぐ……」

 竜胆の胸に衝撃が走った。悲しませまいと失踪したのに、これでは逆じゃないか……。

 思えば、あいつにはよく、野良猫の里親探しのための張り出しポスターの作成を無理やり手伝わせていた。その時学んだノウハウを懸命に思い出して、作ってくれたんだろう……。

「ポスターにはウォンテッドとも書かれていたな」

「なんで指名手配されてんだよ」。目尻に涙がにじむのを誤魔化した。ウォンテッドの意味を勘違いしやがってまあ……あいつのバカは変わらないな……。

「生死問わずとも書かれていたぞ」

「えッ?」竜胆は真顔になって見返した。

「俺もカンパしたんだ。金を返してくれ」

「カンパ、してくれたんだよな?」しかし、翔摩の更科家は、貧乏な天草家よりもずっと貧乏だったはずだ。それだけで申し訳ない気持ちが沸き起こる。

「……お前が入るはずだった、病院のソーシャルワーカーには感謝しろよ」淡々と翔摩は続けた。「張り紙に家の電話番号が書かれているから、と全部回収して警察に持ち込んで担当して貰ったんだぞ。お前の妹、兄貴が見つかったと言われたら、嘘でもホイホイついていきそうだったからな」

「二次被害を、引き起こしかけていたのか……」

 もしかすると、何から何まで……軽率だったのか?

「……すまん」

「謝るのは俺じゃないよな」

「……ああ」竜胆は口ごもりながら頷いた。

「家に帰るか?」

「ん、まぁ……」竜胆は居たたまれず視線を逸らした。「そう……しようかなぁ」

 明らかに乗り気ではないのがバレバレの態度に、翔摩がふっと笑った。

「なあリンドー、お前、病気の進行はどんな感じ?」

「え?なんだよいきなり……結構、その、あちこちにガタが来てるけど……」

「殴ったら死ぬ系?」

「は?」

 まじまじと翔摩の顔を見詰め直した。こいつ、こんな熱い奴だったっけ?

「お前の妹な?お前が消えてから、クラブも辞めて、通ってた道場とかも辞めて、学校の帰りに毎日お前を探し回ってたんだぞ?休みになると遠出して、お金がないからって何十キロも歩いて探し回っててさ……悪いとか思わないのか?」

「も、もちろん……悪いと思ってるし……いたた」

「おい」

 翔摩の声が低く沈んだ。こいつが、こんなに迫力ある声を出せるとは。

「いや、本当に……」

 心臓を押さえて苦しむ竜胆の流す脂汗に、翔摩はマジだと気付いたらしい。

「ああ、くそっ、救急車……は無理か」翔摩は荒れた町を見渡した。道路状況が悪すぎる。「車が通れる道まで連れて行くぞ。ここは瓦礫が多すぎる。猫車ぐらいでないと車輪付きは無理だな」

 びくん、と心の琴線に何かが触れた。

「……ん?今……なんつった?」

「え?」急に力のこもった竜胆の言葉に、翔摩は瞬きした。「……ここは瓦礫が多いから、通れないって」

「猫車……ねこぐるまって、言ったよな……」ドス黒くなった竜胆の顔に満面の笑みが浮かんだ。バシッ!と顔面を平手で覆い、指の隙間から目力も強く悪役めいた嗤いが漏れる。「いい、いいな。ねこぐるま……実に、いい……くくく」

「具合……悪いんだよな?」

 どんな妄想が竜胆の頭に浮かんでいるかは分からないが、いや、分かりたくない気がするが、顔色は一刻も争いそうだと翔摩は思った。最近の竜胆はこんな顔色になるのが多いなんてことは知らないのだ。「病院も……たぶん患者でいっぱいのはずだけどさ……でも、病院しかないと思う。今日土曜日だしな……くそ、取り合えず病院に行くぞリンドー。診てもらわないと」

「いや、慣れてる……このままでいたら……痛みは引く」忘我の世界から立ち戻って、竜胆は苦しい息で制止した。「それに……オレに薬は、ほとんど、効かない。……治療法のない、病気なんだ、……知ってる、だろ?」

「そりゃ……そうなんだろうが」

「それに……」

「それに?」

「……。いや、なんでもない」竜胆は苦く誤魔化した。翔摩を離れさせようと思ってのセリフを口走りかけたが、内容があまりにもおぞましすぎた。

(妖物化病に死んだ奴は……)ぞわりと恐怖が込み上げる。(……死後、ゾンビになるとか……)

 竜胆はしばらく本当の激痛に呻いた。気持ちが弱った隙を突いたかのようなタイミングだ。しかし、その痛みのせいで、涙が目から零れても誤魔化すことができた。

 バカなことを一緒にしてきた友人だった。裏切って逃げもした。しかし、こんなに気遣ってくれるとは。

 バラバラバラバラ……と天空で鳴り響く騒音に、竜胆は苦しく翔摩に笑いかけた。

「あれ、昔お前が見に行ったヘリじゃね?」

「いや、あれは王狼6型だな。……俺が見に行ったのは悠狼1型だった。3日前の悪魔襲撃で一部破損して修理中らしいからまだ飛べないと思う」

「違いが判らん」

「はぁ?形も大きさも全然違うじゃねーか。いいか?悠狼1型は兵隊を一個分隊乗せてヘリボーンできるし物資も多量に運べる。王狼は4人乗りの観測ヘリで……」

「ミリオタかよ!ミリオタになっちまったのかよ。戦闘トラックとか言ってた奴には見えねーな」

「授業で習うんだよ」どこかぶっきらぼうに翔摩が応えた。

「授業って?え?なんで?」冗談か?

「俺、去年から教練学校に行ってるんだ……うち、貧乏だからさ」

「……ああ、あそこか」

 コロッセオのすぐ横にあった、妙な学校――

 小学校の頃、入ってみたいと思ったことのある高校だった。なので、いろいろ調べたことがある。

 正式名称は、防衛警務過程養成教練学校。ただ、名称は各市で程よくソフトに色付けされ、銀葉市では銀葉市教練城址学園という名前を付けられている。区分としては高等専修学校とされ、卒業すれば高卒資格が得られるが、実質は悪魔に対抗させる使い捨ての現場兵士をかき集めるための学校だった。

 この学校は、通うだけで育成金という名の給料が貰える。そして卒業時に育成金を全額返せないと軍隊、いや、郷土警備隊に入る義務が発生する。悪魔襲撃の頻発と、少子化による人手の低下を憂いての政府肝いりの策らしい。

 だが、将来を期待できる場所ではなかった。士官は、軍から下りてきた者以外にはなれない。つまりは悪魔と戦う現場戦闘員数を確保するための、貧乏な若者への囲い込み手段に過ぎないのだ。偏差値もあってないようなもので、昇進しようと思えば軍隊に入った方が良い。そこまで知った竜胆は、軍隊に入りたいわけではないなと思い直して、進路から除外した覚えがあった。今となっては、未来があると思い込んでいた頃の、懐かしい思い出だ。

「お前も入れよリンドー、入学審査は無茶苦茶ゆるいぞ」

「いや、ゆるいと言っても……」翔摩の提案に苦笑して見せた。「健康診断でハネられるよ。ほら、オレの手、今こんなふうになってるんだぜ」

 軽く言って、右手の手袋を脱いで見せた。翔摩が息を呑む。

「お、それ……動くのか?」

「いや……」

 手首もすでに動かない。必死に動かす素振りの竜胆に、翔摩の眉が悼ましげに歪んだ。

「痛く……ないのか?」

「痛いよ、めちゃくちゃ痛い。神経がむき出しになってる感じだ。……でも、まぁ慣れてきたかな……」

 嘘だ。全然慣れない。そもそも全身痛くてなかなか寝付けず、ここ半年はろくに睡眠をとれていない気がする。

 しかし、親友のこの表情を見て、後ろ暗い優越感を感じた。ゲスな想いだとは自覚しているが。

「体、すごく痩せてるが、食い物はきちんと摂ってるのか?」

「いや、もうほとんど食べられないんだ」

「じゃあどうやって生きてるんだよ!」

「それは――栄養ゼリーとかでさ」

「そう、か」

 戸惑う風で、翔摩は頷く。どこか、さっきまでの攻勢を悔いるように思える顔だった。

「悪かった、ショーマ」 

 だから、素直に謝罪の言葉が出た。「悪いことをした。お前にも、妹にも」

「……じゃあ、とっとと家に帰ってやれよな」

「ああ……そうするよ」

 ふと、道が開けた気がした。そうだ、何を立ち止まっていたんだ。

(オレの帰る場所、まだあるんじゃないか……)

 そんな思いで竜胆がうっすらと微笑んだ時、なにやらざわめきが聞こえて、顔を上げた。

 翔摩も見上げる。

 空に立ち上る、何か奇妙なものが見えた。

 ――通りの向こうの廃墟区画だ。何やらギラギラと光る巨大な物体が、天に向かって伸び上がっているように見えた。

 一瞬、不気味な化け物ではと恐怖が走ったが、よく見ると紅色と黄金色の入り混じった粉塵が盛大に噴き上がっているだけだ。

 だが、それの正体に思い当って、竜胆はぎゅっと恐怖の予感に打ち震えた。商店街の人々も棒立ちになり、顔を蒼白にさせている。彼らも知っているのだ。

 あの粉塵は――それ自体は危険なものではない。軍が撒いたものだからだ。

 およそ不定期に、軍はあの粉塵を超高圧で『悪魔の巣ネスト』内に注入する。

 コロッセオ以外に、『悪魔の巣ネスト』に通じる穴が開いていないかどうか確認するためだ。

 『悪魔の巣ネスト』の内部構造は、人間では破壊不可能。掘り進める手段を持っているのは悪魔だけだ。

 つまり、あの粉塵は、悪魔が新しい『出現孔(キャザム)』を開けた印なのだった。

 


今日も今日とて地獄の勤務

青いガウンに身を包み

プラの兜で守りを固め

募る不安を笑顔で隠し

苦しく咳込む方に向け

じきに治るよと囁いて

想うは我れと我が家族

責任感は確かにあるが

其れと是れはまた別で

注意を重ねて身を守り

あとは神様に祈る日々

ああ、今日も今日とて地獄の勤務……


……なんて、隔離部屋に入るときに考えてしまいます。

一昨年までのインフルエンザなんて雑魚だったんだよなぁ……。


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