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18. 天使



「交渉しに来たんですよね、ががぶたさん」少女に化けた悪魔猫は、胸元でピッと可愛らしく両手でこちらを指差した。「ならば、まずは武装解除を要求します」

「武装?」金銀蓮花は怪訝そうな顔をして、大仰に首を傾げて見せた。「悪魔にとって、地上の兵器なんてオモチャみたいなものでしょう?」

「地上も馬鹿にしたものじゃあありませんよ~?確かに銃の弾なんて私にはポップコーンみたいなものですし、ただの人間なんてそもそもメじゃありません……でも」彼女は悪戯っぽく微笑んだ。「相手が『天使』となると話は少々変わります。そうは思いませんか?」

「天使。天使か……」身に覚えのない顔をして金銀蓮花はぼんやりと目を逸らした。「天使って、大体が悪魔より弱いって聞くけれど」

「そこは個体差があるって言うか、一概に語れるようなものじゃあないですよね。……しかも、あなたが袖に隠している、そ・れ♪」突き出したままだった指先を、金銀蓮花の右手に向ける。「知ってますよぉ?その不滅殺し(ミストルティン)は神すら殺す力を持っているらしいじゃないですか。ぜひ、離れたところに置いて欲しいですね♪」

「……そう」

 おかしい……と金銀蓮花は内心首をひねった。全く見せていないし、これ自体魔力を発しているわけでもない。なぜ分かったのか。そもそも、名称すら把握されては、とぼけるのもままならない。

「……さすがね。これが何か分かるのね」

 平然さを装って金銀蓮花が右袖の中から取り出したのは、丸く束ねた、いかにも無害そうな柔らかい枝だった。銀色に輝いているのも、工芸品っぽい印象を持たせる。――しかし実際には、これは悪魔に対して極めて強力な打撃を与える武器だった。悪魔を前にしておいそれと手放せるものではない。

「あれ?あんな大きなものが袖の中に?」竜胆が口ごもりながら驚いている。制服の袖は手首でほっそりと締まっている。財布ひとつ入っていそうな膨らみもない。だから事情を知らなければ信じられまい。袖に隠したブレスレットには、大型アリスパック並みのストレージ空間があるなどと。

「おお~♪間近で見ると、やっぱりきれいですね~」一方、悪魔猫は自分を滅ぼしうる武器を身を乗り出してキラキラと見つめていた。あまつさえ、指で撫でようとする。「この独特のスペクトラムは、まさに地上と魔界との融合物質の特徴ですね。その上で――見えますか竜胆、魔力を使わなくても魔界物質を切り裂けるのは、宿った神樹の樹液が繊維を行き渡っているからなんですよ。で、その神樹というのがですね、一見したところ樹木に見えるのですが……」

「なるほど。あなたがこれに詳しいということは理解しました」

 食い気味に金銀蓮花は彼女の話を遮った。神樹には後ろ暗い秘密がある。しかし、これは秘匿情報だ。一体どうやって知ったのか?「……でもね、一方的に要求を呑む謂れは無いと思わない?あなたほどの悪魔の前に」

「いえ、あると思いますよ?」悪魔猫は平然としたものだった。「だって竜胆が生徒になってるっておかしいじゃないですか?どっかに留め置くか、あの怪しい病院に監禁したらいいのに。それって、あなたが竜胆を気に入ったか、竜胆に肩入れする私が気になるか、あるいはその両方か、ってところですよね?」

「……それは」

「あと、門番の鎧の女の子も関係ありますか?私の研究室に入ってきた男の子も」

 図星だ。金銀蓮花の目的は、この悪魔猫の持つ人知を超えた魔法の技術なのだ。それで救って欲しい者たちがいる――今、彼女が示した者たちを。

「……」どうしようもなく、守勢に立たされていることに金銀蓮花は歯噛みした。事情を見透かされ過ぎている。

 そもそも、こんな交渉を行っていること自体がなんとも屈辱的だった。本来、守護天使の金銀蓮花は悪魔と口を利くことなく、問答無用に斃しにかからねばならない。だが、竜胆の拾ってきた猫が悪魔らしいと気付いた昨日にはまだ戦闘準備は整っていなかったし、他に『Y242号』という強大な悪魔を探索中だった。自分の本拠地であり、他の生徒もいる大切な学園で下手な騒動を起こすわけにもいかなかった。しかし、学園の魔力探知線にすらひっからない微小な魔力の悪魔など、容易に捕捉して手ごたえもなく撃滅できるだろうと踏んでもいた。

 だが、今朝学園に戻ってきた竜胆の体を見て、評価は一変した。

(人を悪魔に変える技なんて聞いたことが無い……)

 再生死者(リヴァイヴァー)とも違う、完全な純悪魔に。それを為し得たあの悪魔猫は只者ではない。おそらく、彼女はこれまで存在を囁かれていながらも、ついぞ地上で確認されたことのなかった学者階級の悪魔だ、しかもとびきりに高度な技術力を備えた――。

 それでも、悪魔は遭遇次第撃滅にかかるのが『天使』の原則だったが、金銀蓮花は内心で黙殺した。

 それは今抱えている魔法的な問題に起因する。そう、もう何十年も悩み続け、解決方法を探し、煮詰まって、もうどうにもならないかもと諦めて、それでも諦めきれない大きな問題。

(あの死に瀕している小さな再生死者(リトルリヴァイヴァー)達を助けたい――)

 世界大戦末期、悪魔を使った禁断の研究に手を染めた軍部によって兵器へと変えられ、悪魔との最前線に放り込まれ、しかし戦後に何の補償も受けることなく、今や命の灯が消えゆこうとしている『水蓮』と、『木蓮』。

 人を悪魔に変えることができるのなら、

再生死者(リヴァイヴァー)――半悪魔化した少年少女たちを救うことができるのでは?)

 悪魔との取引なんて、論外だ、と常々思っていた。奴らは、人を餌としか思っていない――。

 なのに、悪魔猫は、見ようによっては死にかけていた竜胆を助けたのだ。戦後70年、初めて水蓮たちを具体的に救える手段が転がり落ちてきた気がした。

 だからこそ、この機会は逃がせない。

 慎重に、慎重に事を進めなければ。敵対してしまえばおじゃんだ。竜胆を学園に入れたのは、勇士と遇する気持ちもありはすれ、彼に固執している風に見える悪魔猫を誘き寄せ、懐柔する手段でもあったのだ。水蓮たちを、その技術力で助けてもらうために。

(でも、初見から悪魔自身にそれを指摘されるとは……)

 心を読まれたか、と金銀蓮花はいっしゅん怖気が走ったものの、精神のブロックはESPを扱う者の基本だ。無理やり心をこじ開けることも可能だが、それをされて気付かないなんて、ただの人間だってあり得ない。

(だったら、ここまで状況を知られている可能性は……)

 ――観られていたのだ、と彼女は察した。『観察』は本来、金銀蓮花が得意な領分だ。しっかりと相手を見極め、行動を理解し、次の一手を推測する。手番を狂わされないため、調査に気づかれないことも肝要だが――

(この悪魔猫は、それらを全てこなした、ということか……)しかも、調査の時間的余裕はごく短かかったはずだ。昨日は、おそらく体調も回復し切っていないうえに、竜胆を悪魔化させる準備で多忙だった、となると本格的に動き出したのは木蓮の跡をつけて学園に侵入してからとなるが、そんなわずかな間に、金銀蓮花に気づかれることなく情報を掻き集め、整理し、結論付けてしまえた、とは。

 力だけ強くても、それを扱う知性が低ければなんとでもなる。だが、知性が高い相手は厄介だ。慎重であればなおさら。そういったタイプは初手の交戦は避け、できるだけ敵の意図と詳細を把握し、状況を有利に作り替え、相手の弱体化を図った上で決戦を仕掛けてくる。結果はほぼ決定的だろう。金銀蓮花自身、その手の戦術が得意なだけに、危険さを理解できる。

 悪魔猫も、そのタイプだ、と金銀蓮花はこの短いやり取りの中で結論付けた。

(だからこそ――この場ですんなりと私に捕捉されたのには理由があるはずだ……)

 おそらく、既に悪魔猫の中で戦略は定まっているのだろう。そして今、金銀蓮花がどう対処するかを見極めようとしているのだ。

 ――ということを、まばたき2回ほどの時間で考えた金銀蓮花は、床に目を落としたまま、銀の枝をぞんざいに持ち上げた。

「これを手放させるっていうことは……」探るような上目遣いを向ける。「つまり、あなたも私と話し合いってことなのかしら」

「はい」すぐさまこっくりと悪魔猫は頷いた。「初めからそのつもりでした。手荒な手段は苦手なんですよ~♪」

 金銀蓮花は眉をしかめる。「さっきは帰ろうとしたのに?」

「高圧的に来るか、低姿勢で来るか確かめたかったんです」彼女は笑顔で首を傾けた。「でも対等に来ましたね、やはり見込んだ通りの方です。伊達に年は取っていませんね♪」

「年?」竜胆は不思議そうに金銀蓮花の顔をうかがった。

「……?」その態度を彼女は奇異に感じた。竜胆は、悪魔猫から知らされていないのか?――『天使』の存在を。

(第一、この場に竜胆を同席させることに何の意味があるのか)

 まあいい、そのわけは、これから考えよう。済し崩し的だが、決戦の火ぶたは既に切られたのだ。あとは、自分の手腕を信じて対応するしかない。

「……分かりました。これはいったん置いておきます」

 金銀蓮花は銀枝の束を大きな仕草で遠い窓枠に離して置いた。

 これからの話がどう転がっていくかは不明だが、もしこの悪魔猫とやり合う羽目になったとしても、それと察知できるだけの経験は積んでいる。それに、どうせ虎穴に入らねば虎児は得られない。向こうが会話を望んでいるのなら、こちらも好都合なのだ。

 金銀蓮花は改めて冷静な目で彼女を眺めた。

 可愛らしい女の子だ、というのが第一印象だった。しかし、見た目に騙されてはいけない。悪魔である以上、相当な年月を生きてきただろうし、少なくとも、知性の面では手ごわい相手だろう。

「あ、そうそう、竜胆の教室の植物さん、落として壊しちゃってごめんなさいね」反省する風に、チョンと人差し指で自分の頬をつつく悪魔猫。「でも竜胆と、じっくりおしゃべりする時間が欲しかったんですよ~分かるでしょ?」

「ん?なんのことだ?」

 竜胆のハテナマークが増えたが、その短いセリフは金銀蓮花にダイレクトに効いた。

(ああ、この悪魔……本当に私の多くを把握済みなのね……)

 彼女とのこれまでの短いやり取りを思い返した。ハッタリを疑う余地は、きっとない。

 ――『超感覚的知覚(ESP)』を応用した金銀蓮花の固有技『観葉観測者(フォリッジ・オブサーバー)』。

 この能力は、植物を通して、全く別の場所にある植物の周囲の情景を覗き見ることができる。かつて、『守護天使』の座を争った先輩からは厭味ったらしく『ふん、覗きの植物でピーピングプラント。略してピーピーだな。お前らしい!』などと揶揄されたが、実際良い趣味とは思われない自覚はあった。だから必要な場合のみにしか使わないと決めてある。

 ――3日前、ネスト探知煙の吹き出た場所を『観測』した金銀蓮花は、竜胆とナメクジ悪魔との戦いを、植物を通して目撃した。その悪魔を警戒し続けるために竜胆からマークを外さざるを得なかったが、情報共有しておいた水蓮から、彼の来訪を聞かされて驚いたものだった。

 元より金銀蓮花の息のかかった場所には、要所要所に観葉植物を置かせている。もちろん、覗いているとは明かさない。危難を植物が感応してくれるのだ、と誤魔化してある。実際に、市全域のほぼ全ての植物は魔力を持つものに反応し、金銀蓮花に警告を与えてくれる。ただ、魔力をかなり抑え込んで行動していたらしい悪魔猫やナメクジ悪魔の追跡は結果的に失敗した。他にも、魔力が弱すぎる悪魔や、憑依型の悪魔は感知できない。とはいえ、悪魔に対抗する手段としてなら十分すぎるほどの効果がある。

 竜胆を入院させ、担当の月貫医師と連絡を取り合いながらも、時折能力を介して竜胆の容体を確認してはいた。それが突然途絶えたのが、昨夜だ。看護師が勝手に植物の位置を変えたのかと勘繰って月貫医師に電話してみたが、どうにも要領を得なかった。昨日日中は病院を来訪してもいたので、平穏であるというバイアスがかかっていたことは否めない。思えば、そのとき既に月貫医師は悪魔の操り人形にされていたのだ。とはいえ、悪魔が竜胆を攫いに来るというのは想定の埒外ではあった。

 牛乳配達店やスクラップ場の『観測』もしてみたが、成果はなかった。捉えられるのは、今起こっている出来事のみ。過去の記憶を観ることはできない。

 そして1-D教室も観られなくなった。悪魔猫が鉢植えを壊してしまったからだ。

 ――だが、この生徒指導室の鉢植えは壊さなかった。

(なるほど……)じっとりと金銀蓮花は思い知った。(私は、誘導されたのか……)

 相手の油断のならなさに更に警戒を強める。こいつは――思った以上に手強そうだ。

 竜胆が肘で隣を突ついた。「さっきから何の話をしてるんだ?」

「……竜胆。私は、どうやら大変な思い違いをしていたみたいです」

 悪魔猫は、大げさな素振りで竜胆の手をぎゅと握ると、深刻そうな表情を浮かべて見せた。だが、明らかに演技だ。

「な、なんだよ?」

「どうやら、ががぶたさんは悪魔ではなかったようです!」

「悪魔?」金銀蓮花の咎める視線を向けられ、目を泳がせた竜胆は悪魔猫を責めるように見つめた。なぜ、ここでそんなことを言うのか、みたいな目つきだ。

「……なるほど」と金銀蓮花は合点がいった。「天草君と私との信頼関係にヒビを入れるために、妙な事を吹き込んでおいたのね……」

 さっき萌黄と竜胆に仕掛けた疑心暗鬼を、先にやられていた形か。きっと、金銀蓮花が油断ならないと言い含めておいたのだ。

 だから、『天使』とは何かなんて、説明したはずもなかった。人類を守って悪魔と戦う存在、なんて明らかに正義の味方なのだから。

「いえ、只者じゃないな~とは思っていたのですが、この場で直接お会いして、ががぶたさんの正体が確信にいたったところです」

「そう……」それも当然嘘だ。金銀蓮花の正体には、とっくに気づいていたはずだ。早ければ昨日の朝、あるいは、初めて会った時から。

「正体?がが……委員長の正体だって?」竜胆は困惑したままだ。

 だが悪魔猫はそれに答えることなく、やけに明るい表情で金銀蓮花を振り向いた。

「ががぶたさんッ♪」

「……。なに?」その名を連呼されるとどうしようもなく苛立ちが湧く。だが、ここで冷静さを失っては駄目だ。それが向こうの手でもあるのだろうし。

「ここらで改めて自己紹介と行きませんか?もちろん、今度は嘘偽りなく、正体を明かして」

「……そうね」

 少し考えたのち、金銀蓮花は頷いた。竜胆に誤解されたままでは交渉はままならないし、金銀蓮花の正体を知れば、こちら側に引き込めるかもしれない。

「ではががぶたさんからどうぞ~♪」にこやかに手を差し伸べる悪魔猫に対して、

「……待って」口を開きかけた金銀蓮花は危うく制した。「まずは自分から名乗るものじゃないの?」悪魔猫はこちらの情報をかなり収集している。これ以上情報格差を広げられるのには抵抗があった。

「そうでしたっけ?」悪魔猫はきょとんとする。

「名乗りを上げるなら、まずは自分から、と言うでしょう?」

「名乗るほどのもんじゃあゴザンセンので……っていうのはどうですか?」

「そういうのはいいから。……なんで悪魔がそういうのを知ってるの?」

「仕方ありませんねぇ……」悪魔猫はコホンと咳ばらいをすると、居住まいを正した。そして、真摯に金銀蓮花に目を向ける。「私の人としての名前は、紫車萌黄と申します。萌黄、と呼んでいただいて結構です」

「……」

「……」

「……それで?」

「え?」萌黄は不思議そうな顔をした。「悪魔だってことはもう知ってますよね」

「知ってるけれど」金銀蓮花は小さな苛立ちを感じた。「……もっと他にあるでしょう?色々と」

「そうだぞ」竜胆が助け舟を出した。「趣味とか、前の学校はどこだったかとか得意科目はなんだとか」

「そういうのじゃなくて」無意識に金銀蓮花が拳の握りしめる。わざとやってるのか?こいつら。「率直に訊くわ。……目的はなに?」

「は?」

「とぼけないで」金銀蓮花の瞳がキリリと険しくなる。「さっきも訊いたわよね、あなたは何のために地上に来たの?あなたの能力は何?答えて」

 竜胆が長身を丸めて上目遣いで言った。「そんな居丈高に言わなくても……」

「……」黙って、と言いたかった。だが――確かに、これは交渉の態度ではない。無条件で悪魔は斃す、そんな長年培った信条が、冷静さを剥いでいるのか。

「……ごめんなさい」ため息をついて、金銀蓮花は席に腰を下ろした。「悪魔を相手にしている、と思うと落ち着けなくなって……」

「それを言えば、私も天使を相手にするのは初めてですし、ついおふざけが過ぎたかも知れません」

 そう言う悪魔猫は、ちらりと銀枝の束に目を遣った。そうか、こいつもこいつで緊張していたのか。軽口もその為……かもしれない。そう思っておこう。

「では、改めて自己紹介いたしますと――」両掌を重ね合わせた萌黄は、立て板に水を流すように口上を始めた。「わたくし、生まれも育ちもアジア直下の第4魔界の王都ゼフィルスです。産湯を使った場所は定かではありませんが、姓は紫車、名は萌黄」

「それはさっき聞いたわ」駄目だ。こいつの軽口は、元からの性分だ。口上がどこかで聞いた映画の真似だ。

「人呼んで――」萌黄は一呼吸おいてにっこりした。「『錬金』の大悪魔、シグルーンと申します」

「あれ?名前、内緒にしないんだ」竜胆が目を丸くしている。「それに錬金の大悪魔って?」

 金銀蓮花はジト目になった。「……天草君、あなたのことぜんぜん知らないみたいだけど」

「言い忘れてました♪もっと大切なことがあったので♪」

「ここまで何を話してたのよ……」萌黄にとって、竜胆が大切な存在、というのは見込み違いだったのだろうか?とはいえ、一応は素直に話してくれている、と見るべきか。

「さらに訊いてもいい?あなたの年齢は?」悪魔の年齢は重要な指数になる。生きてきた年数は能力に直結するからだ。抗争激しいと噂で聞く地獄で長生きしているのなら、当然老獪さの指標にもなる。しかし、帰ってきた答えは、

「見た目通りです♪」

「そんなわけないでしょ?悪魔は永遠に生き続けてるんでしょ?大悪魔となれば、物凄く寿命が長いものじゃないの?」

「私は血筋が良いので♪」

「だとしても」

「それに、ががぶたさんより年下だったら申し訳なくって♪」

 いらッ。「……いいから言ってみなさい」

「人間の暦で言うと、生まれて375年になりますかね」

 自然と金銀蓮花の拳が上がった。テーブルが目の前にあれば叩き割っていたかもしれない。「ッ!私の方が遥かに年下じゃない!よくそれで人の年のこと揶揄できたわね。それになによ、375年って。375歳、でしょ?」

「悪魔に年なんてありませんよぉ?ただ、いつ生まれたか、だけです」

「……そう」次から、自分の年を名乗るときは、歳、ではなく、年と言おう、と金銀蓮花は誓った。そっちの方が年寄っぽくないし。

「へえ、悪魔ってやっぱり長生きなんだ」竜胆は素直に感嘆していた。

「天草君、あなたの年すら知らなかったみたいだけどッ?」

「言ってませんでしたから♪年を知られたくない気持ちは分かるでしょう?お互い女の子なんですから♪」

「……分かる、けど」でも、納得いかない。ただの人間が『375歳です♪』みたいなことを言いだしたら正気を疑っただろうが、寿命が人と悪魔とでは異なることなど、悪魔に詳しいらしい竜胆ならば推測できたはずだ。

 案の定、竜胆は平然と次の質問を投げかけていた。

「生まれて375年って、人間に換算すれば、どれくらいの年齢になるんだ?」

「13歳ぐらいでしょうか♪」あっけからんと悪魔猫は答える。

「猫で言えば?」

「生後半年ぐらいですかね♪」

「ちょっとそこ図々しい!」思わず声を荒げかけて、金銀蓮花は息を落ち着けた。いけない、ペースを乱しては。

 竜胆が振り向いた。「じゃあ委員長は何の悪魔なんだ?」

「悪魔じゃないわ。私は――」そこで言葉に詰まる。不安に駆られたのだ。思えば、全く知識のない者に自己紹介するのは初めてだった。疑ったり、馬鹿にされたりはしないだろうか。だが、ここで物怖じしていても話は始まらないだろう。金銀蓮花はいったん息を吸い込み、さらりと言った。「私は――『天使』よ」

「ほお!」竜胆は目を輝かせた。「天使の……悪魔か」

「そんなわけな・い・で・しょ!」思わず金銀蓮花は足を踏み鳴らす。竜胆の頬を思いっきり左右に引っ張りたい!「どんな常識の世界で生きているのよ!天使って聞いて、天草君は何を連想するの?」

「……天使って言うと……神の勢力、神の尖兵、みたいな?本当に神がいるかどうかなんて知らないけど……え、天使って、マジな話なの?冗談じゃなく」

「マジな話よ」びっくりまなこの竜胆に対し、金銀蓮花は自分らしくない口調で返した。ここはきっちりと言い切っておこう。「しっかりと聞いてよ天草君。天使とは!悪魔の敵対者にして、有史以前より人間を守って地獄の勢力と戦い続けてきた超越者なの。分かり易く言うと、人から生まれた超能力者かしら。天使がいなければ、悪魔はとっくの昔に人類を地上から駆逐しきっていたはずよ」

「へ……?」竜胆は首を傾げた。「悪魔図鑑とか、その類の書籍はかなり読み込んできたけど、天使なんて言葉は一言も出てはこなかったぞ」

「それは情報規制されているからよ」金銀蓮花は小さくため息をついた。「むしろ訊くわ。天草君は、悪魔の事を一体どれほど知っているというのかしら?」

「公表された情報には詳しいと思うぞ?子供用のみならず、公刊の情報にも目を通してきたし、郷土警備隊(レルムガード)の叔父からもよく話を聞いてた。それに、今日萌黄から悪魔について色々聞いたし……」

「ふぅん、その子からどんな話を?」金銀蓮花の瞳がきらりと光った。悪魔自身が持つ悪魔の情報か。興味深い。

 それへ、竜胆は大まじめに告げた。

「今、ゲームセンターが熱いらしい」

「……は?」

「地上の人間社会の情報を満載した雑誌が月一刊行されていて、ブームになっているとか」

「ツクヨミ☆ネットワークですよぉ!名前を忘れないでください竜胆」

「待って」金銀蓮花は制止した。「……私は、悪魔の話をしているんだけど」

「オレもそのつもりだが」

「私は!悪魔は手ごわい、みたいな話をしているのだけれど!」

「いや、萌黄の話を知りたそうだったから……」ごにょごにょと返した竜胆は、隣を突ついた。「ほら~やっぱりみんなおかしいと思うだろ~」

「ががぶたさんは知らないかもしれませんが、魔界にも風俗ってものがあってですね――」

「あとにして」金銀蓮花はきっぱりと断った。そしてため息をつく。なんだこれは。竜胆はもうちょっと頭脳派だと思っていたのだが。それとも洗脳されたのだろうか。「じゃあ私が悪魔とは何かを説明してあげる。地上で人々を苦しめてきた、悪魔の実像をね」

「お願いします♪」萌黄はにっこりと微笑んだ。くっ……なんだろう、このうまく操られている感は。

「まずは、悪魔は人類の敵だと言うことよ。地上の生物を苦しめ、命を奪って糧とする、凶悪な超常の存在。その住処ははるか地底の底の底にあって、そこから不意に這い出てくる悪魔に、今もって人類は怯え続けているわ。

 そして、悪魔は、地上のあらゆる生き物の持つ力を凌駕する。どんなに強い生物の牙も、爪も、悪魔の体にはほぼ効かない。現代兵器の大砲や銃だってそうよ。あの呪わしき物理攻撃無効化の力によって、兵器の威力も大幅に低下させてしまう。100分の1、1000分の1にまでもね」

「ふふん、私なら、もっと桁違いに低下させてしまえますよ♪」萌黄が自慢した。

「でも、地上では悪魔にペナルティがあるはずだ」明らかに聞きかじった知識を竜胆が披露した。「体が魔力でできているのだから、魔力の希薄な地上では存在できるだけのエネルギーが放散してしまうはずだろ?」

「その代わりに、生き物を苦しめることによって精製された魔力を、自らに吸収する事が出来る」

金銀蓮花は竜胆の質問に答えた。「それに戦いが長引けば人類が有利になるというわけでもない。その理由は……当然知ってるわよね」

「あ、ああ……」竜胆は口ごもりながら答えた。「悪魔に殺された人間は、ゾンビ……『再生死者(リヴァイヴァー)』になっちまうんだもんな」

「そうよ」金銀蓮花は思わず悼ましい表情を浮かべた。「悪魔は人を苦しめて命を奪い、自らのエネルギーとする。だが、そうやって死んだ人間はそこで終わりにはならない。個人差はあるけれど、1~3日の内に死者は『再生死者(リヴァイヴァー)』となって蘇り、元は同胞であった人間達へ血肉を求めて襲い掛かる。食べてエネルギーを得るわけではなく、悪魔同様、人を苦痛を与え、魔力を生じさせてそれを奪うために」

 だから、悪魔災害が起これば速攻でその地に手を加えて復興、少なくとも調査を行い、死体は全員火葬にする。

 再生死者(リヴァイヴァー)は、多少損壊したところで動きは止まらない。体を動かしているのは、生物的な当たり前の機能に依るのではなく、魔力に拠っているからだ。彼らは飢えを苦痛とし、それから生まれる魔力をじわじわと滅びた肉体に充実させて動き出す。飢えを満たす快を求めて。

 しかし、軍部はその現象を利用した。結果、生まれたのが水蓮たち――軍部に付けられた名称は『特例遺児』。一部では『呪われた子供たち』と呼ばれた、意志を保ったゾンビに近い存在……。

「悪魔は途方もなく強大よ。本来なら、私達の世界にもっと悪魔が溢れていても不思議ではないほどにね。魔力が枯渇しそうなら、より一層残忍に人間を殺し続ければいい」

「えっと……」竜胆はひやひやしている。「言い方……」

「でも、そうはならなかった。人類もやられっぱなしではなかったのよ」金銀蓮花は気にしなかった。「人々の中から極わずか――力ある者が生まれ出でるようになった。それが――『天使』なの」

「人々の中から?どんな条件で……?」

 竜胆の質問に、金銀蓮花は冷たく悪魔猫を一瞥した。これは悪魔が知るべきではない情報だ。

 だが萌黄は、知っているとも知らないとも言わず、スルーする微笑みを浮かべたままだった。

「……『天使』ならば悪魔の持つ不可視の殻を打ち破り、痛撃を与える事ができる」金銀蓮花は、竜胆の質問を流した。「……その天使の力で以て、悪魔の地上侵攻を退け続けている。――私もそう」

 金銀蓮花は、深い目の色で竜胆を見つめた。「そして、今の私の苗字『金銀蓮花(ガガブタ)』は、この銀葉市を――かつて平安時代には聖銀葉(キヨガネノハ)と呼ばれたこの地を守る『守護天使』に引き継がれるものなの。先代から引き継いで、もうこの役目を70年以上も続けてきたかしらね」

「70年?」

「そう、70年……」竜胆の驚きを楽しむような表情を、金銀蓮花は複雑な気持ちで眺めた。「体の変化は16歳で止まっているけれど、結構私はご長寿なのよ?指折り数える気はないけれど、たぶん生まれてから今年で170年を超えているんじゃないかしら」




 貴賓室でネルケ少佐と二人きりになって以降、紫苑は自慢話を聞かされていた。

 おどろくべきことに、彼は今年で90歳近いらしい。どう見ても20歳前後にしか見えないのは、天使とは覚醒した年齢のまま、年をとることがないためらしい。

「ボクは、かつての世界大戦時、祖国ではトップ直属の人造天使部隊に配属されていた。結果的に反旗を翻す結果になったが……君は、天使って知っているかい?」

「ええ、まあ……」

 一応知ってはいる。ついさっきムグラに聞いたばかりで、きちんと消化できているとは言えないが。「一応、ですけど。天使には2種類あるんだと」

「そうだ。そのうち、ボクは日本語で『戦闘型天使』と呼ばれている。古来、神の祝福を受けた英雄と崇められ、現在ではコンバットエンジェルと呼ばれることがあるが、主流な通称は『ヴァリアント』だ。だからそう呼んでくれて構わない」

「えっと、念動力?を使う天使と、感覚外知覚?でしたっけ、を使う天使がいるんですよね。少佐は、どちらになるんですか?」

「もの知らずだな、君は」

「すみません」

「戦闘型天使と言っただろう?念動力(サイコ・キネシス)を使うに決まってるじゃないか」力説してネルケはぐっとこぶしを握った。「いいか!天使とは!スピリチュアルなるもの!すなわち『精神感応(マインド・パス)』を天と繋げ、奇跡を起こす者!

 そして戦闘型天使とは、念動力を使いこなす者だ!」

 さっと立ち上がったネルケは、傍にあったキッチンワゴンに向けて腕を突き出した。――なんと重そうなそれが宙に浮きあがる。

「ええッ!」動揺に思わず腰を浮かした紫苑は、きょろきょろとネルケとワゴンを交互に注視した。そして、素早く駆け寄ってワゴンの上を手で水平に横切らせる。吊ってるものは何もない。

「糸なんてない。まだ分かっていないようだな」

 ネルケが手を下ろすと、ワゴンがガチャンと落ちて中身が散乱した。

「ああッ!」

 秘書官から言われていた――

『くれぐれも、少佐に物を壊させないように。前に不始末をして大変でしたから――』

「そしてこれがPKフライトだ!」

 ギュンッ!とネルケの体が真上に飛んで、天井をドゴッ!と大きく半球上に凹ませた。

「ああッ!またッ!」

「天井が丸く凹んだだろう?」

ネルケが自慢気に天井を指さす。そう、ただぶつかっただけでは頭の形に凹んだはずだ。だが、天井の窪みはネルケ自身を中心に、厚く丸いものがぶつかったかのような痕を残していた。「この丸い形は、PKバリア。あらゆる攻撃を防ぐ神秘の防壁だ。これにより、人類の使う火器も、悪魔の力すら遮断する」

 すとっとネルケが床に下りると、パラパラと天井から破片が落ちてきた。 

「そして――」

「分かりました!もういいです!」宥めるように腰をかがめながら、紫苑は懸命に着席を促した。

 聞いたことがあった!紫苑が着任以前、ネルケがコロッセオにやってきて、天使の戦い方を後学のために見せてやろう、とか言って暴れ回り、鉄条網やら大砲やらを壊したと。

「他にもテレポーテーションとかいろいろあるが、この3つが戦闘型天使の基本のスタイルだろう」

 ネルケは自慢げにソファに戻ると、ワイングラスを傾けた。そして、飲み干したグラスを、ピン、と宙に放り投げる。

 それを慌てて受け止めようとした紫苑の前で、それはぴたりとピン止めされたように宙に止まった。見るからに高級なグラスだ。これを壊させるわけにはいかない。

「そして、この力は悪魔に通用する。あの小癪な物理攻撃無効化(ディメンション・ディスターバー)エフェクトを無力にすることができるのだ」

 ネルケの横に振るった指の動きに合わせ、グラスは高速で壁まで飛んで木っ端みじんに砕け散った。

「あッ」

「学んだか?天使の力と言うものを」

「……ええ、もう十分に」

 のろのろと青ざめた顔で紫苑はソファへと腰を下ろした。

「とはいえ、悪魔の力は一筋縄にはいかないものでね。銃を防ぐバリアでも、奴らの振るうパンチに破られることもある」

「……分かります。僕も、3年前まではコロッセオ勤務でしたから。厚い防壁や攻撃を突破されて悪魔に肉薄されたりもしました」

「フ、その時ボクがいれば、容易く蹴散らしてやったのに。君らごときが倒せる程度の悪魔などね」

「はぁ……」紫苑は気弱げに頷いた。そして疑問点に気づく。

「……あれ?念動力(サイコ・キネシス)も物理的な能力じゃないんですか?なんで物理攻撃無効化(ディメンション・ディスターバー)を貫けるんです?」

「さっきもいっただろう?この力の源は、スピリチュアルなものだと」面倒だな、みたいにネルケは頬にこぶしを当ててソファにもたれた。「これは神秘なるオカルトの力だ。そして悪魔は、オカルトに因らない攻撃を無効にしてくるんだ」

「……だったら、砲弾を念力で撃ったら、物理攻撃無効化(ディメンション・ディスターバー)は貫けるんですか?」

「……そうとは限らない。その場合は、ちょっぴりしか効果はない」

「なんでですか?」

「ちょっぴりオカルトだから」

「ちょっぴり……」

 原理っぽい説明ではまるでない。きっと、ネルケ自身がよく分かっていないのだ。

「えっと、じゃあもうひとつのタイプの天使はどんなものなんですか?感覚外知覚とかいうものを使いこなすんですよね」

「奴らが、天使を名乗るには語弊がある」ネルケはとげとげしい表情を浮かべた。「奴らは無能で役立たずだ。レーダー程度の働きだな。戦いの役には全然立たん。せいぜいボクらの背に隠れて敵を覗き見る程度のザコどもだよ」

「レーダーも重要だと思うのですが」

「レーダーだけでは戦えない。戦うには、力が必要なんだ!」

「はぁ……」

「そもそも、『天使』とは、ボクたち『戦闘型天使』にのみ与えられるべき称号の筈だ。現に!近年まで天使と呼ばれたのはボク達のみ!心霊型天使どもが序列に加わったのは、ごく最近だ。それだけ見ても必要な存在と、そうでない者の著しい差が窺い知れると言うものだ――そうは思わないか?」

「そうですね……」

 その後もネルケの自慢話が続いたが、透けて見えるのは、彼は見た目を裏切って頑迷固陋な、旧態依然の男尊女卑の思念に凝り固まっていることだった。柔軟性がまるでない。彼を見ていると、隊が天使に頼らない理由が、なんとなく分かってくる気がした。

 そうなると、話を聞き続けることが段々と苦痛になってくる。かと言って、用事がある、みたいな嘘を述べるのは難しい。元来正直なたちだけに、すぐに顔に出てしまうし、超能力者の少佐には嘘がばれてしまうかもしれない(それは心霊型天使の領分だったが、紫苑はまだ完全には理解していなかった)。となると、済し崩し的に退出できる理由が必要になる――。

「あの~初めてお姿を拝借した際に思ったのですが」話がひと段落着いた隙をついて、紫苑は口を挟んだ。「少佐の着られている黒い軍服って凄く格好良いですね。戦士って風格があります」

「うむ、やはりボクには黒が似合うんでね」そして、紫苑が次に訊こうと思っていたことを先んじて言ってくれた。「戦中からずっと黒だったんだ。身の引き締まる思いがするんでね」

「……つかぬ事をお聞きしますが、お名前からして、少佐の祖国はドイツでよろしいんでしょうか」

「ん……」ネルケは露骨に視線をそらした。「まぁな……」

「そして90年前……少佐が20歳頃に天使になられたと仮定すると、70年前……つまり、ナチス・ドイツの頃にご活躍なされたのでは……」一呼吸を置き、紫苑はふと気づいた振りをした。「黒い制服……」

「なるほど……」ネルケが、荒れた目を紫苑に向けた。「……つまりキミは、ボクが元SSだと言いたいわけか……」

「あ、いえ、なんとなく、ふと……」

「キミは……判っちゃいない……」ゆらり、とネルケは立ち上がると、目にも止まらぬ速さで近づくと紫苑の胸倉を掴んだ。「ボクは国防軍出身だった!志願などしなかった!黒服の意味を知っている君なら、SSは全員志願者だってことは知っているはずだ!それに……それにだ!黒服を着ていたSSはごく一部でしかない。写真を見て見たまえ、戦場の武装SS達で黒服を着ているものなど1人もいない!」

「あ~……」たぶん、これまでも同じ疑問を抱かれてきたのだろう。明確過ぎる意味をもつ『トップ直属の』なんて表現を使えば当然だ。それはうっかり漏れただけかもしれないが、隙の多いこの男のこと、同じような感じで正体がバレてきたに違いない。

 判るのは、どうやら、このネルケ少佐は本当にナチス・ドイツのSSに属していたらしいと言うことだった。でそれをバレたくないと。

(初めから、『違う!無関係だ!』と否定していたらツッコまれずに済むのに……)

 そして、こんな風に胸倉を掴まれることもなかった。この男は、妙に正直者だ。純朴というべきか。

「あの……責めてるとかそう言うのじゃないんですっ!」紫苑は必死に怒りを収めようとした。追い出されることを期待したが、なんだかネルケの瞳からは、身の危険を思わせるほどの狂気の憤りを感じていた。「反旗を翻したとおっしゃいましたし、少佐が悪い方だとは到底思えません。逆に、とても良い人に思えます。嘘をつけない方ですし!本当に、絶対に嘘をつけない人だって分かりますし!」

「……判ってくれるか」

 不意にネルケは両手を離すと、よろりらっとソファへと倒れ込むように腰を下ろした。

 と、半壊したワゴンが開き、無事なワイングラスがふよふよと飛んでくるとテーブルに着地する。それに少佐は手ずからワインを注ぎ、向かいのソファへと押し出した。「……飲め」

「あ、でも僕は勤務中……」

「飲め!」

「アッ、ハイ」

 言われるがままに紫苑はソファに座った。

「……ボクは本当に志願しちゃいない。全ては、本部の企てだった」天井を見上げるネルケの顔に滂沱の涙が流れているのを見て、紫苑は自分の作戦が完全に失敗したのを悟った。これは、逆に話がむちゃくちゃ長くなりそうだ。そして、逃げられない。「改造手術を受ける前、僕は青少年団のイベントで、日本に来たことがある。あの時は……」そっと目を閉じる。「良かった……もう何年前になるだろう……?」

「そ、そうでしたか……」何年前だって?違う、何十年前、だ。

 もはや受け入れるしかない、と紫苑はあきらめの境地だった。それでも、自分の知らない情報は価値になるだろう。ここは前向きに行くべきだ。せめて、天使と言う存在をできるだけ理解しよう――。

「SSではホモは死刑だった」

「ブフォォ!」ワインを噴き出して紫苑は慌てた。

「ぅえッ?そ、その……僕には理解できないですね、結婚してますし……!」

 差別の意図ではないが、紫苑は激しく否定した。純粋に身の危険を感じる。

「そうか……」ネルケはちらりと紫苑を見た。「ボクも半分違う」

「半分ッ!?」

 逃げたい、と紫苑は切実に思った。一刻も早くこの部屋から出て行きたい!

 ――だが、結局昼過ぎまで拘束された挙句、彼はここで悪魔災害発生のサイレンを聞くことになる。




 天使――まるで悪魔の脅威に呼応するように、場所も種族も関係なく人々の中から生まれてきた力ある者たち。古く神話の時代から神の使いとされ、英雄とも勇者とも呼ばれた彼らは、いつしか神命に叙せられ、悪魔と戦うべく神に遣わされた『天使』と呼ばれ、今もって世界のあちこちで悪魔と戦い続けているのだ。

「――と謂われていたのも今は昔」

 金銀蓮花が竜胆の表情を窺い見た。「やっぱり知らないみたいね」

「あ、ああ……」

 竜胆は、話の内容に強い衝撃、というか興奮を覚えていた。金銀蓮花が170歳以上――という話には驚かされた。だが、もっと驚かされたのは別の事――悪魔と戦うヒーローのような存在が本当にいたなんて!「……知らなかった。そんな凄いヤツらが、ずっと悪魔から地上を守ってくれていたとは……!」

 萌黄が彼の袖をくいくいと引っ張る「あの、竜胆?私達は悪魔ですからね?」。

「……日本で私たちが自らを『天使』と称するようになったのは第二次世界大戦後の事よ。それまでは、様々な呼び名で呼ばれていたわ。特殊なところでは、『神人』とか、『天人』とか。でもだいたいは、特殊な技能を身につけた人間として、『山伏』とか『修験者』とか、『巫女』とかと同一視されていたし、もっと単純に『武士』とか『法師』と呼ばれた例も多いわね」

「悪魔と戦った『英雄』の呼び名と、同じ感じか……」見た目は人間と全然変わらないのだ。呼び名に地域差があるのは仕方がない。「……でも、年をとらないのは奇妙に思われなかったのか?」

「今ほどではないにせよ、人材不足は著しかったから、『天使』は四六時中、日本中を飛び回っていたの。寿命がなくても奇異に思われにくかったのは、その為でしょうね」懐かしむように金銀蓮花は言った。「ただ、それとは別に、土地に根差し、地域を管轄していた『守護者』と呼ばれる天使がいたの。今の私と同じ『守護天使』のことね。役目としては、悪魔の這い出る穴を監視し、率先して戦い、手に負えなければ他の天使の応援を呼んで立ち向かう。示し合わせたわけではないのだろうけれども、海外でも昔からおおむね同じような形の制度をとっていたらしいわ」

「組織という形の収斂進化か。……あるいは、それを為せなかった集団は、生き残れなかったか」適者生存の理屈だ。必ずしも戦闘力で上回っていたわけではないらしい天使が生き残って来られたのは、悪魔の補給を断てる地上という環境で戦ったことと、粘り強さを発揮できる組織という形態だったからだ。それが出来なかった地域は、多大な被害を受けただろう。人類が抹消されつくしたエリアもあったかもしれない。

 だが、地上に拠点を築いたにせよ、悪魔は勢力を伸長できなかった――侵攻する先に手ごわい組織が守りを固めていたからだ。地上で継戦能力を維持できなかった悪魔は、魔力を補給するために地獄へと戻らざるを得なかったハズだ。人類が生身で海中生活を続けられないのと似ている。

 もっとも、空白になったその土地がすんなり人間の元に返りはしなかっただろう。悪魔が蹂躙した地域には、おそるべき堕とし子たるゾンビ、いや再生死者(リヴァイヴァー)が徘徊を始めるものなのだから……。

「強大な権力を持った教会と結びついていたヨーロッパとは違って、日本だと地域に住まう『守護天使』は人に紛れたり隠れたりすることが多かったわね。拠点にし易かったのは神社かしら。天使組織と神社は大元が同じだし、広い管轄地域内に神社が少なからず点在していたので、何年かおきに転々としていたみたい。悪魔も、普段ならそう頻繁には出てこないものだったし」

「土地の要なんだから、もっと偉そうにしてたらいいのに」竜胆は不思議に思って尋ねた。重要な職務なんだから、見返りがあるべきだ。

「教義としてそうしろとされていたのもあったけど……」金銀蓮花は少し口ごもった。「……自分で倒せる程度の悪魔では無かった場合、応援を呼ぶために逃げ回る必要があったのよ。どんなに人々に被害が出そうでも……出たとしても」

「ああ……」天使の戦いぶりは見たことが無いが、1人で倒せるようなやわな悪魔ばかりではないはずだ。

「最近は一段と数を減らしたけれど、当時だって天使が1人減るだけで防衛上の穴が懸念されたわ。下手な正義感を発揮して散ってしまったら、のちにもっと多くの犠牲が出ることは必然と言えたの」

 言い訳じみた風に聞こえる金銀蓮花の言葉に、竜胆は目を落とした。

「……なるほど、勝てそうにない悪魔には傍観しかなかったわけか。でも、被害に遭った人達は、守ってくれると期待したのに助けに来てくれなくて、がっかりして……いや、それだけなら、まだましか。裏切られたと思って、怒りの矛先が天使に向くかもしれないよな……」人間とは勝手なものだ。テロの被害に遭った時、怒りはテロリストだけでなく、守れなかった国家にも及ぶことがある。苦しみのあまり、分かり易い怒りのぶつけどころを探してしまうのだ。

「そういうのを避けるために、『守護天使』は、あまり表舞台に出てこなかったのでしょうね」

「……なるほど」そして、この状況は、先日の悪魔災害にも通じるのでは、と竜胆は気づいた。かなりの被害が出たが、金銀蓮花の名前はどこからも出ていない。あまりにも強力な相手だっただけに、裏に隠れざるを得なかったのか。そう考えると、彼女の立場はつらいものがある……。

「……あれ?おかしいですね……」萌黄の呟きに、竜胆はどきりとした。金銀蓮花の立場を慮らないセリフを吐くのではと懸念したが――

「……この街の状況であいつが暴れたとなると、こんな程度の被害で済んだのは不思議ですよ?もっともっと死者が出たはずです」ぶつぶつとひとりごちているだけだった。「屈強な戦闘型天使があと2~3人いたとしても、人死には数倍、あるいは十倍、数十倍ってセンもあったのに……」

「……?」

 どうやら違うようだ。しかし、逆に意味が分からなくなった。「何言ってるんだ?」

「この街は実際より遥かに大きな被害がでてもおかしくなかったってことです……5日前の『悪魔災害』では」竜胆を見つめた萌黄は、金銀蓮花へと視線を向ける。「もしかしたら、この街には別に強力な天使がいるんじゃないですか?」

「……『校長』のことかしら」金銀蓮花は、じっと萌黄の疑惑の視線を受け止めた。「彼なら3日前から出張中よ。一応、もう少ししたら帰ってくるはずだけど」

 彼?……ああ、『校長の娘』の身分が、今の金銀蓮花の隠れ蓑ということか。彼女が170年生きてきたのなら、本当の親娘はありえない……いや、校長も天使なら、ありえるのだろうか?

 しかし、萌黄は納得しなかった。「いえ、一人だけでは何ともならなかったはずです。もっと他に――」

「それ以上は職務上の秘密よ。答えられないわ」ぴしゃりと金銀蓮花は断った。

「……そうですか」萌黄はなんだか疑わしそうだ。だが、しぶしぶ「そうですよね……」と呟いて引き下がった。なんなんだ?やはり、悪魔の敵たる天使の情報は握っておきたいのか?

「この国には、古来から現代にいたるまで天使を取りまとめるお方が存在するわ」金銀蓮花は竜胆へ試すような視線を向けた。「聞いたことはない?『アマテラス』様のお名前を」

「ああ……」さすがに竜胆も知っている。「古えの昔、神話の時代からと言っても良い昔から、『アマテラス』は神の顕現と知られている。時代が下り、積極的に権力の座から退いたのちも、人々は彼女の権威を尊重し、敬い続けてきた。貴族や武士、次代の権力者として君臨した者たちも同様に、アマテラスを神聖なる権威と崇め、決して無碍にはしなかった。なんでだろうと思ってはいたけれど、話を聞いて納得したよ。当然だよな、人間では抗し切れぬ悪魔を撃滅できる組織の元締めなんだから」

「そうね、アマテラス様の治める組織は『アマテラス機関』と呼ばれる時もあるし、古来からの御座所を示して『イズモ機関』、単に『イズモ』と呼ばれることもある。そして組織の指令のもと、『天使』達は動いていたの」

「イズモ?出雲地方の事だよな?」竜胆はふと疑問が湧いた。「アマテラス様は大和民族の神で、大和民族は出雲地方を攻撃した側だ。なのに、なぜアマテラス様の本拠がそこなんだ?」

「そういう話は私の管轄外よ。詳しい人に話を聞いてもらえるかしら」

「そう、か」そう言うものだと思っておこう。元々、歴史は苦手な方だ。竜胆の考えは間違っているのかもしれない。それに、今は知っておきたいことがあった。歴史なんてこの際どうでもいい。

「『天使』の存在は理解できた」竜胆は頷いて見せた。「で、改めて訊きたいんだけど、具体的には『天使』ってどんな力を持っているんだ?年をとらない以外に」

「……。そこからよね」

 奇しくも、ちょうどそのころ、竜胆の叔父の紫苑が隣の施設で天使とは何かのレクチャーを受け(させられ)ていたところである。実はそれを、金銀蓮花は部屋の観葉植物を介した『観葉観測者』の能力で眺めていた、ということなど、竜胆は知る由もなかった。とはいえ、その紫苑が竜胆の叔父であることも、金銀蓮花の知る由ではない。

「――天使と言うのは2種類。念動力(サイコ・キネシス)を扱う戦闘型天使(コンバットエンジェル)、通称『ヴァリアント』と、超感覚的知覚(ESP)を扱う心霊型天使(サーヴェイエンジェル)、通称『ディテクター』とに分かれるんだけれど。私は、その後者に当たるわね」 

 探知機(ディテクター)?道具みたいな呼び方だ。「どっちも超能力者なんだよな、どう違うんだ?」竜胆は首を捻った。「ガガ……委員長は『ESP』というのを使うんだよな」

「ESPとは、元の意味で言うと、生物としての機能に依らない、精神の編み出す超感覚のことなの。英語ではExtra-Sensory Perception、頭文字をとってESP。ただ、能力には個人差があった上に、ESP本来の定義には当てはまらない事例も多数収集されたことから、戦後アマテラス機関含め、西洋や他の天使組織との統一学説の中で、ESPはこう区分けされ、定義されたわ。

 第1種=視覚や聴覚といった五感の拡大した超常感覚系

 第2種=精神だけで通話でき、心を読み、干渉もできるテレパシー。

 第3種=過去、または未来を感じ取る時空系の予知能力(プレコグニション)

「それだけ?」つい竜胆は口を出した。「超能力って言ったら、瞬間移動だったり、時間を止めたり、壁をすり抜けたりとか」

「そっちは念動力(サイコ・キネシス)の領分ね。……時間停止なんてものが存在するかどうかは疑問だけど」

 金銀蓮花は、ざっと念動力系の超能力――PKフライトやPKバリアの情報も伝えた。

「ちなみに、心霊型天使には、ESPバリアという技もあるわ。ただ、これは精神に変調をきたす魔法に対するのみの防御壁みたいなもので、そんな回りくどい手段をとる悪魔がほぼいない現状、かなり意味のないものではあるわね」

「悪魔にとっちゃあ、パワー押しで十分なんだろうしな……」生き物を苦しめて魔力を啜り取るのが目的であれば、単純暴力が至極手っ取り早い手段に違いない。叔父の話だと、ひたすら突っ込んできたって言う話だし……。

「そういや、郷土警備隊(レルムガード)にいる叔父の話だと、悪魔にはまず足を止めるのに注力すると言ってたけど、それ系の超能力はあるのか?例えば、金縛りみたいな感じの」

「精神に打撃を与える技は心霊型天使に存在するわ。さっきの区分だと、第2種に相当するけど。ただ、悪魔にはESPバリアが備わっているので、ほぼ意味がないわね。サイコキネシスで物理的に抑えつけようと思えば可能かもしれないけど、悪魔のパワーは強力だから、せいぜい僅かしか効果は無いと考えておいた方がいいかしら」

「ふむ……でも、それは獣や怪人みたいな悪魔の話だ」竜胆は気になった。「萌黄みたいなタイプなら、力で抑えつけられる危険性もあるんだな?」

「その子はほら、特殊な逃げ方ができるから」

「特殊?」

「瞬間移動よ」金銀蓮花が、試すような視線で萌黄を見つめた。「気付かなかった?天草君の妹さんに蹴られた時、萌黄はそれを使って逃げ回っていたのよ」

「はい。あのまま攻撃を仕掛けられたところで、永遠に当てることは無理だったでしょう」萌黄は自慢げに言った。皮肉には気づいてないか、ワザと無視したか。

「なるほど……」となると、萌黄を追い詰めることのできたあのナメクジ悪魔は、随分と卑怯な手を使ったに違いない。

「とりあえず、ざっと天使の説明はしたけれど、これが全てじゃないのよ?」

「え?まだあるの?」

「私達でも、超能力は解明され切ってはいない。さっきの3種の区分だってあやふやなものだし、他種同士を組み合わせたり、もっと特殊な個々の才能によって更に様々な派生が報告されているの。中には、まるで全貌の窺い知れない能力だってあるわ」

「全貌の窺い知れない超能力!」

「……。そんな期待した目で見ないでくれるかしら」食いついてきた竜胆に、金銀蓮花はあきれた目をした。「ただ、超能力だってことに本人も気づかないまま、使いこなしている場合もあるかもってだけよ」

「使って分からない能力なんて、そんなのあるのか?」

「……さあ?」金銀蓮花が肩を竦める。明らかに、何かの前振りとして聞かせたかっただけだが、全貌を話す気はないらしい。単なる事前情報ってところか。これを知るのは時期尚早よ、みたいな。

 だが、萌黄が能天気な表情で指を立てた。

「あ、それって心霊型天使が持つ『サバイバル』の能力の事でしょうか」

 金銀蓮花が固まった。「……なんの……話をしているのかしら」

「えっと――」萌黄は指先を顎に当てて天井を見上げた。「天使の一部に妙な能力を持っている方、いますよね……こっちが全力でぶっ叩いても、なぜか攻撃が当たらない。何をしようが、回避してしまえる、みたいな。運命的な回避能力……もしくは生存能力、とでも言いましょうか」

「……」

「そんな能力はありえないと思うぞ」竜胆は反論した。「つまりは戦っても死なないってことなんだろ?だが、そんな能力が本当にあったとしよう。そうなると能力の持ち主だけが生き残り、持っていない天使の死亡率が相対的に高くなる。そして天使は寿命がないんだよな?必然的に、その能力者は総数において大勢を占めるようになるはずだ。なのに――天使は死に過ぎて、ものすごく数を減らしてるって言ってたよな?」

「実は、この能力には致命的な欠陥があるんですよ♪それは――」

 そこまで言って、萌黄はちらりと金銀蓮花を見た。それは確証を得ると言うよりも、反応を楽しむみたいな目の色だ。

 金銀蓮花はそれには引っかからなかった。しかし、動揺しているのがなんとなく分かる。昨日まで金銀蓮花の感情はうまく察知できなかった気がするが、これも慣れなのだろうか?

 金銀蓮花が改めて居住まいを正した。「……悪魔猫さん、あなたは天使のこと、どれだけ分かってるの?」

「え?もちろん、お話の内容は全部知ってましたよ、人間が天使になる条件も含めて」よどみなく萌黄は答えた。「だいいち、どこの魔界でも、敵対勢力として天使の研究は盛んです。地上に出たら、襲い掛かってくるであろう天使の旅団にどう対抗するか、というのが、舞踏会での定番ネタになってるぐらいですから」

「その割には、あっけなく悪魔は撃退されているみたいだけど」金銀蓮花が負けん気を滲ませた。

「え、だって、天使の情報を握っているのは、『上級悪魔』や一部の『中級悪魔』だけですから。『下級悪魔』はそんなこと、全然知りません。人間が手ぐすね引いて待っている罠に飛び込んじゃうのはその為ですよ?」

「……上級悪魔?それに……中級や下級?そんな区分があるのか?」竜胆は訊いた。聞いたことのない基準だ。

「知らなかったんですか?」萌黄が驚きを顕わにした。フリではなさそうだ。「悪魔というのはですね。大別して、『貴族級』『戦士級』『奴隷級』と分かれています。それを簡略化して、『上級』『中級』『下級』とする場合もありますね。例外として、最強格を『魔王級』と呼ばれていますが……でも、おかしいですねぇ?地上では常識とされている、と物の本には書かれていたのですが」

「……世間一般に出回っている情報じゃないから……天使の情報と同じくね」金銀蓮花が答えを出した。「だって、不都合だから。地上に出てくる悪魔の大半が最底辺の奴隷級悪魔――もっとも弱い下級悪魔なのだってのはね。そんなの人々の不安を煽るだけでしょ?地獄にはもっと強力な悪魔が山ほどいて、奴らがその気になればまず軍隊では歯が立たない、なんて」

「……そんな」竜胆は愕然とした。え?そこまで歴然とした力の差があるものなのか?

「竜胆は思わなかったのですか?地上で駆逐されていくザコ悪魔どもと、私とはあまりにも違い過ぎるって」

「ザコ悪魔って……そんなこと言うお前だって、かなり普通の猫じゃん」ふと、ナメクジに追い詰められた姿を思い出した。「本当は強いの?」

「ふふ、失礼ですね。ザコどもと一緒にするなどと」萌黄は優雅に髪を払った。

 でも答えになってない。中途半端な誤魔化し方だ。

「聞いていい?」金銀蓮花が口を挟んだ。「さっきの話だと、コロッセオの『悪魔の出入り口(キャザム)』を出てくるのは下級悪魔ばかり、という風に聞こえたけれど」

「キャザム?ああ、罠口(トラップゾーン)のことですか。ええ、その通りです。私達ほどの『上級悪魔』となると、地上に出るなんて滅多にない事ではありますが、出るならば自分で新しい出口を作るのが普通ですね♪」

「……!」金銀蓮花が鋭く睨む。「だったら、この前のY242号も……」

「当然コロッセオの存在も知っていて、回避したんだと思います。あいつは子爵級の悪魔ですから」

「……子爵級」金銀蓮花は、萌黄の言葉を吟味した。「……あなたの知り合い?」

「いえ、仇敵みたいなものですよ?なんていったって、あいつは、ア……蛇の一派ですし」何か言いかけて、萌黄は言い直した。「『シベロン子爵』は本物の蛇ってわけじゃありませんが、気に食わない勢力の一員なのは確かです。私に協力してくれたら、当然、撃滅するのに手を貸してあげます♪」

「……そう」金銀蓮花は形だけ微笑んで見せた。「あなたは、意外と大したワイルドカードなのかもね……信頼できれば、の話だけれど」

「そこは信頼くださって結構ですから」ためらいのない態度で大きく頷いた萌黄は、しばらく意味ありげに考え込んだ後、上目遣いを金銀蓮花に向けた。

「じゃあ、そろそろ私の話をしてもいいですか?私の目的を聞きたがっていましたよね」

 どうやら、相手の力を見極め終わったらしい。思えば、この場に金銀蓮花と萌黄が集まったのは、偶然ではない気がする。いや、舞台設定を整えたのは、おそらくは萌黄だ。どうやって金銀蓮花を引き寄せたかは分からないが、いきなり攻撃される可能性を考えなかったのか?それとも、そうはならない目星でもついていたのだろうか?

 とにかく、萌黄は『守護天使』の情報を本人から引き出した。次が本題だ。竜胆も知らない、萌黄が地上に出てきた理由。どうやらそれには金銀蓮花の協力が必要になるらしいが――

「そうね。ぜひ」金銀蓮花は真偽を見定める瞳で萌黄を見つめた。「あなたがこの学園に来たのには、当然何か理由があるのよね」

「ええ、もちろんです♪

 ――それでは、まずは経緯からお話ししますね。話は、まずは2日前に遡ります」

「つまり、4月20日、あなた達が初めて学園に来た日の事ね」金銀蓮花が確認を取った。 

「はい♪そして、私が初めて地上に出てきた日でもあります。私、魔界では『メネゲル男爵』という悪魔と因縁があってですね、ちょっとしたいざこざの跡にあいつに追われて地上まで逃げたところを、廃墟の街で追い詰められちゃったんです。それをこちらの竜胆に助けていただきまして」

「男爵?Y242号と別の、貴族級の悪魔も地上に?」金銀蓮花は眉をひそめた。

「ええ」したり顔で萌黄がうなづく。「メネゲルはそれなりに手強くってですね、先日は不覚を取って危うく討ち取られるところでした」

「もしかして……メネゲルって、あのナメクジの事か?」思わず竜胆が口を挟んだ。

「ええ!竜胆には本当に感謝してるんです♪あいつは本気さえ出せば、本当に恐ろしくて不快で、気持ち悪くて、イヤな悪魔なんですから!性格も表面もドロドロで気持ち悪いですし!」よっぽど嫌な思いをしたのか、不愉快そうな口ぶりだ。「最大体高50メートルぐらいまで巨大にもなれますし、口から吐き出す溶解液は地上の戦車でも溶かしちゃうでしょう。その上、溶解するついでに、魔力の練成も阻害してしまうものですから、私もそれで不覚を取ってしまって……」

「……そんなにヤバい奴だったのか……」竜胆は慄然とした。

 現代兵器で武装した100人もの軍隊が地の利を最大限に得たうえで先制して攻め立て、やっと最下級の悪魔を倒せるのだ。更に強力な存在に素手同然で挑みかかったとなれば、無謀を越えた自殺行為だろう。

「でも、強力な悪魔であればあるほど、魔力の薄い地上では弱体化しやすいのではないかしら」竜胆の不安を取り除くかのように金銀蓮花は指摘した。「大悪魔のレベルになると、動くだけで多大な魔力を消費するはずよ。地上で戦ったりすれば一気にエネルギーが枯渇してしまいかねない。逆に弱い悪魔は元々低いパワーしか持っていないから、低エネルギー環境下でも比較的効率よく動けると言えるかもしれないわね」

「……なるほど、それでオレには本気を出さなかったのかもな」竜胆は息を吐いた。「あの時のあいつは、弾やガソリンが欠乏した戦車みたいなもんだったんだ。……それなら、弱くてもまともに戦える下級悪魔の方が……短機関銃を持った兵士の方が脅威になる、みたいな。人間1人を相手取って全力で戦うわけにはいかなかったのか」

「でも、私にはフルパワーで撃ってくるはずです!燃料も武装も残り少なかろうが」ぐッと親指で自分の胸を指さして萌黄は力説した。「なんたって、私の命が狙いなんですから!――で、この地を守る『守護天使』のあなたにお願いしたいんですけれど!」

「なに?」冷たく金銀蓮花は目を細めた。「私に、あなたを守れって?」

「違います!私のお願いはですね!私と竜胆が悪魔と戦う、そのお手伝いをして欲しいんです!」

「え?オレっ?」寝耳に水だった。

「当然じゃないですか!今の竜胆は!あくまの力を身につけた、正義のヒーローなんですよ?」

「なんだよ、その聞いた風な表現は……」

「すでにご存じだとは思いますが、今の竜胆は人間ではありません」萌黄はじっと金銀蓮花を見つめた。「私の持つ技術の粋を込めた改造人間、みたいなものです。戦闘能力をとっても戦士級、地上ならそれなりの悪魔にも対抗できる、はずです」

 金銀蓮花はじろじろ二人の顔を見た。「なんだか……表現があやふやだけど、大丈夫なの?」

「実証実験は十分ではありませんが♪」

 金銀蓮花の柳眉が険しくなる。「もしかして、体育教師への暴力はその一環なのかしら?」

「そりゃ、あいつがセクハラしたからじゃないですか!」萌黄が抗議するように目を見開く。「ギを見てセザルは勇無きなり、ですよ!」

「その表現は違うのではなくて?」

「待ってくれ、オレって、その……」悪魔と戦う、という事態が現実味を帯びてきて、しかし逃げるという選択肢がないのは分かっていたので恐る恐る訊いてみた。「……そんなに強いの?」

「私の腕を信じてください!」

 振り向いてにかっとサムアップする萌黄。

「ああ、あれか……」あのコントローラーか。いや、それでも……。

「それに竜胆は悪魔ですから、超能力があるんですよ?」

「ええッオレもッ!?」ガタッと竜胆は椅子を鳴らした。「オレも……超能力者なのか?」

 思春期には誰でもあると思いたいが、中学生になった頃、竜胆は超能力に無茶苦茶興味をもっていた。病気に罹った初期の頃は、更に設定に凝り出した。肉体を侵食する悪魔の要素が、自分の中のスーパーパワーを目覚めさせて、人間と猫とを次から次へと救っていく、みたいな。認めがたい現実に自分を繋ぎとめるための妄想だったのだろうが。

 やがて死期が近づくにつれ、妄想は現実的と言うか、シチュエーション的な方向にシフトしていった。謎のスーパーパワーなんて存在しない。そんなものに縋っていても、苦しいだけだし、つらいだけだ。そんな結論に、おのずと達していたと思う。

「ただ、さっきががぶたさんが言ってた念動力(サイコキネシス)も、超感覚的知覚(ESP)も、人間のこさえた基準です……通常の悪魔ならどっちも普通に持っているものですから。だって、超能力そのものは魔力によって発揮されるものでしょう?」

「そうなのか、ガ……委員長?」

「天使の超能力の根源は、旧来は神通力、現代の学説では精神感応(マインド・パス)とは呼ばれているけれど、魔力と言われれば確かに通じるものがあるわ」

「それじゃあ、天使と悪魔の差って、あまり無いんじゃないのか?」

「かつて日本ではその考えが主流だったのよ?」金銀蓮花は認めた。「でも、キリスト教勢力は別物と考えた。現在は、世界的にキリスト教圏が力を持っているから、教科書通りだと否定されるでしょうね。……もっとも、私にはどっちだっていいけれど。実質的に有用な力として存在している以上、原理なんてどうでも」

「大切なのは、実務的な手段ですよ。何がしたくて、何ができるか」萌黄は賛同した。「それが人間社会を運用するにあたっての具体的方法論ではないのですか?」

「まあそうだよな」確かに、力の由来なんてどっちもでいい。重要なのは、「……オレは何ができるんだ?念動力で誰かを吹っ飛ばしたり出来る?空を飛んだりとか。瞬間移動とか」

「竜胆は一応、超能力全般を備えているはずですが、今のパワーなら弱いテレパシーが少しだけ可能ですね」萌黄が短く答えた。

「テレパシー……」

「意志の力だけで思考を読み取り、思考を伝える能力のことですよ。知りませんか?」

「知ってるよ!……え、そんだけ?そんだけなの?なんか凄いパワーとかは?」

「今後の成長に期待ですね♪」萌黄は正直な笑顔だった。

「……じゃあどうやって悪魔と戦うんだよ!弱いテレパシーで何ができるんだ!リモコンもどこまで信用できるか分からないし!」

「リモコン?」金銀蓮花が聞き咎める。

「い、いや、なんでもない」人形みたいに操られる自分を知られるのが嫌で、咄嗟に竜胆は誤魔化した。

「他にもいろいろな機能がありますよ?防御性能はかなり高いですし」萌黄は自慢げだ。

「攻撃力は?悪魔と戦うんだろ?どうやって倒せるって言うんだよ!」

「それはおいおいと……」

「……ちょっと思ったんだけど」口論をめんどくさそうに聞いていた金銀蓮花がボソッと呟いた。「テレパシーなら、動物と会話できるんじゃないかしら」

「……!」脳裏に電撃が走る心地がして、竜胆はハッとした。軋むように金銀蓮花を見返す。「つ、つまり……猫とも会話できると」

「たぶんね」

「だとしたら素晴らしい能力だ……本当に……!」急に濃い顔になった竜胆は、ゴゴゴゴ……と威圧感強めに立ち上がった。

「……竜胆?」豹変した少年に、萌黄は瞬きする。

「用事を思い出したッ!話しは勝手に進めてくれッ!」

「待ってください!」立ち去ろうとした竜胆の手首を、萌黄がはっしと握る。「もしかして猫?猫に会いに行くんですかっ?駄目です、猫ならここにいるでしょう?ほらここに!」

「離してくれ!大切な用事なんだ!」

「だとしても!私を置いて行ってどうするんですか!大事な話をするんですから!ここにいてください!」

「すぐに戻ってくるから!ちょっと離してくれ!」

「い~え!離しません、絶対すぐには戻ってきません!私にはお見通しです!」

 2人の悶着を眺めていた金銀蓮花が冷静に訊いた。「天草君って、この場に必要なの?」

「いります!いるに決まっているでしょう!ががぶたさんも竜胆を説得してください!」

「……その『ががぶた』さんを止めてくれたら協力してあげるわ」

「じゃあアイカ!協力してください!」

「ん?アイカって?」力づく、とまでは行かないので茶番の様にもみ合いながら竜胆が尋ねた。

「ががぶたさんのお名前です、知らないんですかっ?学級名簿に載っていたでしょう?」

「へえ、委員長ってそう言う名前だったんだ」腕を引っ張り合いながら竜胆は目を丸くしていった。「なんで隠してたんだ?」

「隠してないわ」金銀蓮花は唇を引き結ぶ。「名乗る機会がなかっただけよ」

「フルネームを教えてくれる機会はあったはずでは?」

「言わなかったら、金銀さんちの蓮花さんと思ってくれるかも知れなかったし……」学級名簿なんていつ見たのかしら、とかぶつぶつ言いながら、金銀蓮花は約束通り協力することにしたらしい。「今は大人しく座ったらどうかしら天草君。いい年して聞き分けのない子供じゃないでしょう?それとも、何の予備知識もなくいきなり悪魔の前に引き出されたいのかしら」

「別に聞き分けないわけじゃ……」と言い訳しながら、同世代……に見える女子にそう言われて竜胆はしぶしぶと席に戻った。思えば確かに今は大事な話の途中だった。本当に悪魔と戦わされる羽目になるかもしれないのだ。

「で、話は戻すけど……。お手伝いとだけ言われても困るわ悪魔猫さん、もっと具体的に言って貰わないと」

「萌黄です♪」

「……萌黄」なんかこのやり取り、覚えがあるなぁ、みたいな顔をして金銀蓮花は顔を顰めた。「つまり、なに?あなたは、私にどんな協力を求めているの?直接戦うことは求めない、と言ったみたいだけど」

「はい。私が望むのは……私たちが望むのは」萌黄は言い換えた。「私たちが悪魔と戦うときのお手伝い。すなわち私たちに敵対することなく、この地の守護天使であるアイカが持つ情報網や物資、協力者、その他の支援が欲しいな~ってことなんです」そしてちょっと視線をそらして、「あと衣食住の確保ですかね」

 その程度?金銀蓮花はため息をついた。「……私を通してなら可能よ。ただ、できる限りで、という条件を付けさせてもらうけれども」

「それでいいです」

「最後のは……そうね」金銀蓮花は試す響きで言葉を紡いだ。「例えば、うちに入学したら心配はいらないわね。寮費は無いし、朝昼夕の食事も無料よ。それ以外の食べ物や物品、制服以外の服、贅沢品や遊興費に関してなら、学校からの支援費で十分おつりが出るでしょう。銀行振り込みが原則だけど、キャッシュでも可よ。ただ……卒業後にトータルの支援費+αが返還できなければ、郷土警備隊(レルムガード)に入ってもらわないといけないけど……」

「あ、おっけーです♪」

「おっけーなのっ?」珍しくも金銀蓮花が目を丸くする。「地上に出てくる悪魔と戦うための組織なんだけど」

「そんなの、私のこれから目指すこととおんなじですし」萌黄に思い悩む様子など欠片もなかった。「竜胆もすでに入学してるんでしょう?寮だって入るんですよね?」

「全寮制だから、そうなるわね」

「私も竜胆と同じ部屋でいいです。できれば二人っきりで」

「……できません」金銀蓮花は目を細めて断った。

「じゃあ同じ部屋だけでいいです」

「妥協してないじゃない。高校生男女を同室にする学生寮なんて絶対どこにもないから」

「じゃあ、ペット可ですか?」

「猫に化けて潜り込むつもりなのッ?当然不可よ。大体、悪魔のくせに自分をペットと呼称するのはどういう料簡なのよ。ダメです、女子は女子寮しか入れません」

「375歳でも女子ですか?」

「375歳でも女子は女子です」

「そうですかぁ……」とがっかりした風に呟いた萌黄が、すっと自然な仕草で金銀蓮花の手首に触れた。

 とたん、萌黄からのテレパシー会話が金銀蓮花に流れ込んだが、竜胆は一切気づけなかった。




 その手を躱そうと思えば躱せたが、金銀蓮花は黙って受け入れた。萌黄がテレパシーで通話をしようとしたのには気づいていた。竜胆に聞かせたくない話なのかもしれない。

 確かにその内容は竜胆の耳には入れたくないものだった――金銀蓮花にとって!

【……あ、私、超能力が特別強い方でして、さらに『心霊型天使』のお株を奪うようで悪いんですが、過去視(サイコメトリー)も得意なんです。その場所でかつて何が起こったか知ることができる超能力ですね。それでですね、なんであのセクハラ体育教師が何度もセクハラを繰り返してるのに放置されてるのかな~と疑問に思いまして。だって以前から怪しまれていたんでしょう?そしてあなたはこっそりと覗き見る能力を持っているんでしょう?――そしたら、セクハラ被害を受けた女の子たちみ~んな、後であなたの部屋に連れ込まれているじゃないですか!慰めてあげるとか、そんな風に言ったんじゃないんですか?密室で何をしていたか、ESPで欺瞞されていて見れなかったのですけれど、大体何をしていたか分かります。……でも、それってマッチポンプじゃないんですか?しかもかなり悪質な】

「……」金銀蓮花は、そっと横目で竜胆を見た。何をしてるんだ?みたいな顔をしている。直接触れ合ってのテレパシーは、他者に感知されることはない。直接触れ合う『思考連結(コネクト)』で繋がった状態なら、強力なテレパシストであろうともが通話内容は決して外には漏れはしない。

 わずかの沈黙を経て、金銀蓮花は能面のようにテレパシーを返した。【……。体育教師のセクハラ、たまたま目撃したんじゃないってことかしら?】事件を起こしてからでは到底集めきれない情報だ。初めから、萌黄はこれを狙っていたのでは?いや、もしやセクハラを誘発した可能性も――。

【あ、それは本当にたまたまですから】ぶんぶんと首を振る萌黄。【魔法でそそのかした、とかじゃあないですよ?あいつはセクハラする相手を一人に絞っていて、さっきがその子の時間だったんです。お気づきでしたか?お気づきでしたよね?だから窓際に注意していたんです。こんなにすぐに起こるとは予想外でしたけど】

【……。それ、天草君には?】

【もちろん言っていません。あ、でも、私は生かしておいた方がお得ですよ?ご考慮ください】

【……。あんたがそう簡単に斃せるとは思えないんだけどね……】

 とはいえ、弱みを握られたも同然だ。自由恋愛を咎められる謂れはない、と言い切りたかったが、少なくとも人間の常識では倫理観と誠実に欠ける。しかもそれを悪魔に指摘されるのは立場が悪い。

 その上――萌黄はどこまで知ったのだろう?暴かれては困る秘密を。悪魔は全員超能力を持つと萌黄は言ったが、こうして思考連結(コネクト)してみると、萌黄のテレパシーは特に強力な気がする。

「……男子寮に女子を入れるわけにはいかないわ。ただでさえ風紀が乱れがちなのに、あからさまに悪化させるなんて許されない行為だから」何食わぬ顔で金銀蓮花は言った。

「それを言うなら……!」萌黄も声を出して抗議しかける。

「……でも、天草君の部屋にだけ特別、こっそり猫が入り込んでも黙認することにしましょう」

「良かったですね竜胆!」一転萌黄は喜色を込めて竜胆の手を握った。テレパシーを通わせた風ではなく、単純な喜びの表現だ。

「ああ、全くだ!」竜胆も満面の笑顔だった。「ありがとう!何匹までOKなんだ?」

 ガリッ!

「いてェッ!」手首に爪を立てられて竜胆が飛び上がった。

「……まさか、私以外の猫を部屋に連れ込む気ですか?」萌黄の眼が据わっている。感情の変動が猫の目のようだ。

「え、いや、その……」彼はひどく動揺した顔で俯き、そっと上目遣いをした。「だめか?」

「駄目に決まってるでしょお!多頭飼いは絶対に許しません!竜胆は私だけのもので!私は竜胆だけの物なんですからッ!」

(うわ……)

「アイカ!」キッと萌黄が睨んで来た。「今、重い女と思いましたね!」

「え?心を読んだの?」ESPはESPで妨害できる。心霊型天使の心は誰にも読まれないはずだが……。

「顔に出てました!」

「あ、顔か……」金銀蓮花は自分の頬を撫でた。ポーカーフェイスを自認するが、流石に今のセリフには驚いた気がする。

 そして短いやり取りのうち、竜胆は渋々頷き、萌黄に笑顔が戻った。力関係的に当然の帰結だろう。

「――とにかく希望は分かりました」金銀蓮花は仕切り直した。「それくらいなら協力できないこともないでしょう……期限はいつまで?」

「あ、アイカを雇いたいって言ってるわけじゃあないんですよ?」萌黄は上機嫌で答えた。「例えば明日までの協力を依頼して、明後日に襲われたら手助けしてくれないというのはおかしいと思います。そのあたりは状況次第といったところですかね」

「状況なんて時間がたてばいくらでも変わるでしょう?」

「味方になってほしい、と明言しないのはその点も踏まえてのことですから」

 萌黄の笑顔の質が変わった。「もし私が人間に敵対する行動をとった場合、私に攻撃するのもやむなしです。あなたから出されるであろう条件の履行を盾にする気もありません。ただ結果的に起こってしまった不和についてはこちらも不本意であり、想定外の瑕疵でもあって、再契約の余地は残していただきたいところではあります。その代わり、一方的な契約破棄はご遠慮いただきたいところですね」

「……」金銀蓮花はこぶしを頬に当ててちょっと考えた。「メネゲルとかいう悪魔とは別の悪魔があなたと敵対した場合は?」

「メネゲルはあれで影響力を持った上級悪魔の貴族です。どうやら従者も地上に出てきているみたいですし、あいつ1匹倒したところで襲撃は収まりません」

「従者?」

「名のある悪魔に徒弟として付き従う悪魔の事ですよ」竜胆の問いに、萌黄は丁寧に答えた。「私を襲った時、あいつの従者が傍にいなかったのは幸運でした。以後に何度か視線を感じましたが、正体は不明、姿を消す能力を持っているかもしれません。そして、戦闘力もそれなりにあると思います。先に地上に出てきた私の従者を、斃せてしまっているのなら」

「お前の従者がお前を見限ったとかはないのか?」

「そんなことはありません!」口を尖らせた萌黄は、ボソっと付け加えた。「……それだったらどんなにいいか……」

「え?」

「高位の悪魔には従者が付く、と聞いたことがあるわね」金銀蓮花は頷いた。大悪魔ならば、悪魔猫にもいたのだろう。しかし、姿を消したというのは本当だろうか。こっそり別の所に潜ませておいて急襲させる、という可能性もなくはない。……が、本当にそうなら彼女が一昨日に窮地に陥ることはなかったはずだ。メネゲル一派が一筋縄ではいかない手強い勢力と見る方が現実的か。ナメクジだけど。

「あと、他にも仲間がいるかもしれません。恨みに思う友人や兄弟もいるかもしれません。うまくメネゲルを倒せたとしても、他に恨みに思って襲い掛かってくる悪魔が皆無と思うのは楽観的すぎと言うものでしょう。それにあなたには協力をお願いしているだけであって、矢面に立てとは言いません。戦うのは飽くまで私たちですから」

「そう……」うなづいた金銀蓮花は、試す瞳で萌黄を見つめた。真に大事なのはここからだ。

「あなたは……人に危害を加えたりはしない?」

「あなたの危惧していることは分かります。私が人を襲って魔力を搾り取るんじゃないかと疑っているんですね?」萌黄は動じた風ではなかった。「そんなことはしません。私には、人を苦しめなくても魔力を得るあてがあります。だからこれなら約束できます。魔力を得るために、人を殺したりはしないと」

「それでは不十分よ」金銀蓮花の視線が厳しくなった。条件が緩すぎる。「別の理由で人を殺しても咎めない、とは約束はできないわ」

「私は地上では弱い立場なんですよ?」萌黄は困った顔をした。「それに、軍人さんたちも、私が悪魔と見れば黙っていないでしょう。せめて専守防衛の権利は残しておいて欲しいですね」

「……状況次第、と言いたいわけね」むざむざ無抵抗に殺されろ、とは言えないか。「……でも、その場合、私の立場から便宜を図れなくなるかも知れないけれども」

「柔軟な対応を期待します。こちらも、逃げられる状況ならできるだけ逃げますから」

「ならば、こちらもできるだけのことはする、と言っておきます」

 戦闘を許可したわけではない。だが、萌黄は透明になれるし、瞬間移動もできる。洗脳も可能だ。悪魔の契約には実効性がある、と聞いたことがある。最大限の譲歩と言えるだろう。

「あと、極力この学校を巻き込まないこと」

「えぇ?」あからさまに萌黄が不満そうな顔をした。

 金銀蓮花がまた厳しい顔をする。「巻き込むつもりだったの?」

「いえ、そういうわけでは。でも、ここって感知結界も敷いてあるし、守るには好都合なんですよね~」

「……やっぱり気づいてたのね」金銀蓮花はため息をついた。「隣のコロッセオなら、いくら巻き込んでもいいわ」

「巻き込んだら私にも攻撃が飛んでくるじゃないですか~!」

「この学校には、経済的事情とか、家族的な事情とかで行き場のない生徒が大勢いるの。もちろん、襲ってくる悪魔が悪いのは承知の上だけど、あなたと悪魔との戦いは、ここの生徒には関係ないのよ?」

「そうですね……」口を尖らせながら萌黄は首肯した。

「……そして、悪魔である、という自分の正体は決して誰にも明かさないように。天草君もいいわね?」

「もちろんだ」竜胆は大きく頷いた。話し合いが穏やかに進んで安心している風だ。

 ――だが、まだ終わりではない。

「では、アイカからのお願いは何ですか?」

 無邪気な風に尋ねる萌黄に、横から竜胆は、エッ?みたいな顔をした。だが、それは竜胆がおかしい。金銀蓮花が一方的に萌黄の頼みを聞くはずがないからだ。

「あなたが最初に指摘したことよ」金銀蓮花はじっと萌黄の目の奥を探った。

「ああ、門番の子と……」頷いた萌黄は、斜めに指を立てて背後の扉を示した。「今外で立ち聞きしてる子のことですね?」

「やはり気付くのね……」

 廊下の植物が教えてくれている。扉のすぐ外では、巨体兵(クリーガー)を操る木蓮が聞き耳を立てている。見事に気配を消してはいるが、さすが大悪魔、とっくに勘付いていたらしい。

【その2人……】今度は、自然な仕草で金銀蓮花が萌黄の手の甲に触れていた。【あなたの察しの通り……再生死者(リヴァイヴァー)よ。ただし、自分の意志がある】

【ですよね】萌黄は微笑んだ。【人間にしては、大した慧眼ですね。その方法に気づくとは。でも、かなり魔力の乗りが悪くなってきているみたいですね。特に、門番の女の子……もって、あと3か月、早ければ、1ヵ月と言ったところでしょう……きわどいタイミングでした】

【そんなに――】金銀蓮花は目を伏せた。【残された時間は短いの?】

【ええ、その期間が過ぎれば……あの子は、意志のない、暴れ回る只のゾンビになってしまいます。でも――】

 萌黄は頷いて見せた。【私なら、なんとかできます】

【――できるの?】疑わし気に金銀蓮花は笑った。しかし、平静は失いかけていた。なぜなら、敷島木蓮、蘆立水蓮の両名を元の人間の体にしてあげることこそが、萌黄に期待する最大の望みだったのだから。

【あ、そういえば、竜胆もああいう風にするつもりだったんですか?だったら、間違いなく失敗していましたね。タイプが違うんですから。あの2人と、竜胆とでは】

【分かっているわ】後出しで月貫医師には失策を責めたが、元からそんな気はない。

【もちろん、私なら、きちんとあの二人を自律できるまでに持っていけますよ】萌黄ははっきりと請け負った。【あのみょうちきりんなギミックなしで。材料は必要になりますけれども】

【そうなの】そして性急に【何が必要になるのかしら?】

【それは追って】萌黄はいたってマイペースだった。【でも、こう約束しましょう。その2人の子供たちを、お外で身ひとつのまま自由に遊べるようにします。多少制約はありますが、もう死んでいる子たちですからそれは呑んでもらわないと】

【例えば……天草君みたいにはできないの?】

【竜胆に使った技術はともかく、材料は魔界でも目の色が変わるほどの貴重で希少な価値のものだったんです。これだけあれば、他の魔界で1000年は暮らしていけるっていうほどの量を持ち出してきたんですが、それをありったけつぎ込んじゃったんですよね。それに、彼にも厳しい制約があるんですよ?だって、私が死んじゃうと、竜胆も死んじゃうんですから。あ、これ、彼には絶対内緒ですから♪】

【……】

 人の生命をまるでないがしろにするような物言いに金銀蓮花は一瞬気色ばんだが、元々彼の寿命が尽きかけていたことを思い出して憤りを呑み込んだ。それに、彼女の真意もうすうす気づきかけていた。偽悪趣味は、なにも金銀蓮花の専売特許というわけではないのだから。

【条件はこれでどうですか?あなたからは、もうないですか?】

【そうね……】欲張り過ぎるのは身の破滅だ。悪魔相手ならなおさら。【こちらも十分だわ。解釈についての齟齬は、追って話し合いの余地があるかもしれないけれども】

【そうですねぇ】一瞬考え込むようなしぐさを見せた後、萌黄は緩やかに手を引いた。

 会話の内容は濃いものだったが、声を出さなくて済む分、テレパシーを通話を始めて数秒でしかない。それでも黙りこくっていた2人の様子が気になったらしく、「どうしたんだ?」と竜胆が気づかわし気に尋ねた。

「竜胆は、この学校の門にいた大柄な人を覚えていますか?」

「なんだ突然……忘れようがないさ、あんな巨人」

「あと、竜胆はお会いしたかどうか知りませんが、もう1人、同じような人がいます」

「ああ、木蓮さん、だっけか」何を言い出すんだ?みたいな顔で竜胆は答えた。

「そのおふたり、一見元気なんですが、余命いくばくもない、不治の病のようなものに罹っているそうです」萌黄は、竜胆を見上げた。「どうです?気の毒には思えませんか?」

「もちろんだとも」なんで唐突にそう言い出したか竜胆は分からないようだったが、すぐに力強く頷いてみせた。「その辛さは昨日までのオレ自身だ。萌黄が治せるのなら、ぜひ治してあげて欲しい」

「では宣言します。そのおふたりの病気を私が治します。今すぐに、とはいきませんけれども、材料が集まり次第必ず。竜胆が立会人ですよ。覚えておいてくださいね」

「分かった」

「竜胆も当然全力で協力してください♪」

「もちろん」今度は即答した。「何でも言ってくれ」

「……」そのやり取りを見ていた金銀蓮花は、無表情を装いながら膝が砕けそうな安堵を感じていた。ここに来て、ようやく竜胆がこの場にいる意義を理解した。証人なのだ。契約が為されるための。

 安心するにはまだ早い。約束はしてくれたが、本当に果たされるかどうかは分からない。可能かどうかすら。

 しかし、ひとまずは――

「契約は成立、でいいかしら」

「はい、もちろん♪」

 差し出してきた金銀蓮花の手を、萌黄は自然な仕草で握った。「そお言うことでお願いします♪」

 軽いな……本当に信用していいのかしら。

「あ、気になられるようでしたら、私のこと、存分に監視してもらっても結構ですよ♪」

 気持ちが顔に出ていたか、萌黄がそんなことを言いだした。うぅむ、愛想よくしようと思えばいくらでも演技はできるが、信条はポーカーフェイスだ。表情を読み取られるなんて、気が緩んでいるのだろうか?それとも、萌黄が鋭すぎるのだろうか?もしくは――この悪魔猫に気を許し始めている?……まさか。

「……天草君」こっちにも釘を刺しておこう。「体育教師の件は不問にします。でも、もう暴れたりはしないように」

「私も監視しておきます♪」嬉し気に口添えする萌黄に、「おい」と竜胆は不満げだ。

 なぜ不満気なのかは、まだ金銀蓮花は気づきはしなかったが、しかし違和感を感じてはいた。セクハラした奴相手とはいえ、竜胆が教師に暴力を振るうような性格には、やはり思えなかったのだ。

 だがそれに確たる答えを見いだせないまま、金銀蓮花は席を立った。もうすぐ3時間目が終わる。今日は、なんとも時間が経つのが遅く感じる。ここ最近ではなかったことだった。


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