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16.撃滅!悪徳教師!正義の名のもとに!


 なんとか教師が来る前に萌黄の机と椅子をセットすることができた。それをするためだけに随分な手間がかかったものだ。だが、とんでもない問題がひとつ判明したのは成果だと言えるかもしれない。

「ところで萌黄さん、ひとつ訊いておきたいことがあるんだけど」

 思いつめたような顔の竜胆の穏やかな詰問を、

「あん、萌黄で結構ですよ♪」笑顔で返された。全く悪びれる様子はない。

 担任から貰った教科書は1セットしかないので、二人の机を寄せる理由にはなった。教師はまだ来ないな。ちょうどいい。

「あ、大事な話でしたら、また声を消す術式を使いましょうか?」

「ん、ああ、頼む」

 そんなところにも気づけないとは、随分と冷静じゃないな、と竜胆は眼を逸らして応じつつ、術の完成まで憤りを抑え込んだ。

「あ、おっけーです。これで私たちの声は誰にも聞こえませんよ」

「うん、ありがとう」竜胆は一つ咳払いして切り出した。「あのさ……なんであんな機能があるんだ?」

 さっそく話題に入った。教師が来る前に話を終わらせねば。声が聞こえないと言っても、二人で何かしているのは分かるはずだ。

「ん?あんな機能ってなんですか?」萌黄は小首を傾げる。

 本気で分かっていないのか?竜胆は前のめりに語調を強めた。「ほら~、勝手にオレの体を操っただろう?あのリモコンっぽいやつで」

「やっぱ見えてたんですね」

「そりゃ見えるだろ」

「人間には視認できないんです。それが判ると言う事は……ふふ、やっぱり竜胆は悪魔ということですね」

「いや、しみじみ言うなよ、いいんだよ、オレが悪魔であろうとなかろうと。……ん?あのリモコン、誰にも見えなかったの?」

 確かに、あの場の日光一党が違和感を感じた風ではなかった。見えていたら、竜胆の動きと、萌黄のリモコンとが関連付けられそうなものだ。もちろん、リモコンで動く人間なんて普通いるわけがないから、違和感以上のものにはならなかっただろうが。

(でも、時々ショーマが萌黄の手元を見てたような気がするんだが……ん、待てよ?)

「……リモコンが見えないということは、コマンド入力とかボタン連打をしたら小刻みに指が揺れてるように見えるんだな?」

「あ~……そうですね~たぶん」初めて気づいた、みたいな顔だった。

「たぶんって……これまでせわしなく手だけ動いてるの、奇妙に思われたりしなかったのか?」

「だってぇ……」頬を染めて、萌黄は目を逸らした。「竜胆は初めての人でしたから……こんなこと、したの……」

「……」彼女の微エロな態度は、竜胆の胸の奥の情欲に火打石のような火花を走らせた。

 ……だが、着火に失敗した。人生を諦めてヒガんでユガんだ人間を舐めるなよ!

「それって、オレが初めて改造したリモコン操作できる人間で、かつ地上でリモコンを使用するのも初めてだってことなんだな」

「ありていにいえばそうですね」誤魔化すような無感情の笑顔が返ってきた。

「ショーマが、変な顔でお前の手元を見てたんだけど」

 なんか、君、というのも疲れた。お前呼びでいいや。思えば、名の知らぬ野良猫を相手にしたときも、お前呼びだった。萌黄が猫だから侮っているつもりでもないのだが。

「……ああ、そうでしたね」気づいていたらしい。ちょっと考えて、「あ、きっと応援してると思たんじゃないでしょうか。ほら、ボクシングの試合を見ていたら、自分でも体が動いちゃうことって、あるでしょ?」

「自分ならこうするって感じでこぶしを動かしてしまいそうにはなるけど、レバガチャはしないと思うな~……」と生ぬるく頷いた竜胆は、奇妙に首を傾げた。「あるのか?地獄にボクシングが?見てたの?」

「いえ、地上の知識です。私、地上の文化にすッご~く興味があるんです。月一刊行の『ツクヨミ☆ネットワーク』をずっと定期購読してたぐらいですから♪」

「なんだ……」地獄のイメージが崩れるところだった。「地上の雑誌を買ってたんだ。聞いたことのない雑誌名だけど」

 ちなみに、竜胆の中で地獄とは、粉塵がもくもくと立ち昇って空を黒く覆う、昼夜問わず永遠に漆黒な闇空の下を無数にマグマが噴き上がる、溶岩地帯のイメージだった。そして炎に照らされる無表情な鬼の群れが、全身に返り血を浴びながら金棒を振るって駆け回り、哀れな亡者を見つけては殴りつけ、すりつぶし、内臓を啜り喰らう、それが終わると新たな犠牲者を捜してさ迷い、次は針山へと放り投げ、苦しむさまを高笑いして指差して喜ぶ、そんな恐怖と絶望が無限に広がる世界なのだ。

「竜胆は知りませんよ。だって魔界流行の刊行雑誌なんですから」

「……え?」

「人間社会の文化情報は昔っから悪魔の間で大人気でしたが、昨今のブームは、それを更に加速させました」瞳をキラキラさせて萌黄は言った。「その担い手となったのが、動画雑誌という形式ですかね。モノは地上で言う、紙でできた雑誌の形そのものですが、載せられたサムネイルに魔力を込めて触れるとバーチャルな映像がテレパシーを通して意識内に展開するんです。特に、闘争を主眼とした総合エンターテイナー誌の『ツク☆』は、発行部数トップクラスで、販売日には店頭で悪魔の行列ができてました。もっとも、私は株主だったので配達してくれたんですが♪」

「待って!それって、地獄、の話でいいんだよな」たまらず竜胆は遮った。瞳を覗き込んで真実を確かめる。「悪魔が本屋の前で行列を作ってるってのも、比喩とかじゃなく、本物の地獄の悪魔ってことか?」

「もちろんです。どこの話をしていると思ったんです?」

「いや、あのさ……」竜胆は口ごもった。「マグマとか……鬼とか……」

「はい?」

「ん~……なんていうか……」竜胆のイメージは、勝手な想像の産物だ。でも、地獄ってそんな、おどろおどろしい感じだって思うじゃん!

「もちろん、闘争総合エンターテイナー誌ですから、ボクシングだけじゃありません」グッと笑顔でサムアップする萌黄。話し出したら止まらないタイプか。「プロレスに格闘技♪戦争に殺人現場!それら血生臭い地上の光景は、悪魔達にとって超大人気でしたね!」

「そこは……まあ、悪魔らしいかな」

 なんてったって、悪魔だからな。アニメとかフィギュアとか、そんなのが流行っていると言われるよりかは、しっくりとくる。趣味が良いとは言えんけど。

 乖離し始めていたイメージが少し戻ってきた。やっぱり悪魔は邪悪な存在で、地獄は凶悪な世界なのだ。

「だけど近年最高のブームは、やっぱりゲームセンターですね♪」

「ん?」

「ゲームセンターですよ!」鼻息荒く強調された。「近年、魔界のあちこちで出店していますが、いついかなる時も満員御礼!発起人としては高笑いが止まりませんね!」

「ちょっ……それって、本当に地獄の話なのか?」さっきから同じようなセリフを口走っている気がする。「……いや、待てよ?ゲームセンターって言っても、オレの知ってるみたいな所じゃなくって、亡者を吊り下げて鞭で叩いて、どんだけ悲鳴を上げさせられたかを得点形式で競い合うみたいなところかもしれんし!」

「そんなことをして何が愉しいんですかっ!鬼ですか!」信じられない、みたいな顔をされた。「うちのはモニターのついたテーブル筐体ですよ?コントローラーも8つボタンにレバースティックのアケコンです。音質(おんしつ)音量(おんりょう)にもこだわりました」

怨嫉(おんしつ)怨霊(おんりょう)だって?」ぬう、やはり……!

「ソフトも、地獄に落ちてきたプログラマーの亡者を動員して書かせたんです。元は、地上に出ることの多かった親友に筐体丸ごと持ち帰ってもらって、少数の同好の士同士で楽しんでいました。でも!この素晴らしさを独り占めするのは、道にモトる行いだ……と皆が自覚し始めるのに、大した時間はかかりませんでした」

「えっと、何の道にモトるって?」

「そこで私がプロジェクトリーダーになって筐体を製作、ゲーム開発、宣伝から店舗借り受けまで頑張ったんです!すごい苦労でしたけど、長い長い時間をかけて同志たちとブラッシュアップしていきました……」

「そう、なんだ……」苦労したのは分かった。ただ、地獄のイメージとせめぎ合っている。

「そして遂に!我々は魔界でゲームセンターを作り上げることができたんです!その時から、同志たちは玄人素人問わず熱意と情熱の赴くまま腕を競い合ってきました!シューティングではハイスコアで!格ゲーでは対戦で!レースゲーではタイムアタックで!シミュレーションでは完全勝利!でもベルトアクションでは協力して敵を叩く!ああ!あの日々は実に光陰矢の如し!永遠に忘れられない熱い思い出でした♪」

「……そう言えばさ」話が途絶えたのを見計らって、竜胆は疑問に思ったことを尋ねた。「さっきから、魔界って言ったよね?地獄じゃないの?」

「地獄とは……世界です」

「ほお」抽象的な意味合いかと思ったが、次のセリフが否定した。

「魔界とは、国みたいなものでしょうか。トップに魔王が君臨する、地獄における支配領域みたいなものです」

「なるほど、地獄の中で、魔王が支配する領域を、魔界と名付けて区分しているわけか」

「最近の若い悪魔の間では、地獄って表現はイケてないってなってきてますので、地獄=魔界、みたいに呼び方もトレンドですが」

「結局どっちなんだよ。でも……悪魔がトレンドて……」

 悪魔=モンスターのイメージは、かなり崩れ落ちてきた。だが、疑問はまだ残る。

「地獄でも魔界でもどっちでもいいんだけどさ、そこってさ、亡者を延々と鞭打って魔力を生み出したりするところ、みたいなことを聞いたんだが。さっきも、プログラマーの亡者、とか言ってたし」しかし、浮かばれんな、プログラマー……。

「その認識で間違いないです」意外なほど素直に、萌黄はこっくりと頷いた。「亡者を残酷に残虐に徹底的に苦しめて、苦痛とか悲嘆とか、恐怖とか絶望とかのショックで魔力を生み出し、そこを叩き潰して魔力を奪ってやるんです。亡者は基本、いくらでも再生するからお得な方法ですよね」

「オレの知っている地獄が戻ってきたぞ……ゲームセンターとか月一雑誌は別にして」

「ついでに下級の悪魔も痛めつけたりしてますね。魔力を引き出すために、悪魔を苦しめた方がより魔力を引き出せるんです。そうやって憎しみを育て、魔力を上げて強くなっていくんです。下積み生活ってやつですね」

「その生活は嫌すぎる。地上に逃げる奴も出るはずだな」

「中級悪魔は責め手の悪魔ですね。戦士級とも呼ばれます。いわゆる中間管理職です」

「じゃあ萌黄は?」

「私は生まれつき地位も力もある貴族級悪魔でしたから、遊んで暮らしてました」

「容赦ないな、悪魔のヒエラルキー」

「でもぉ、地上でもそうでしょ?コネとカネがあればだいたい勝ち組ですよね」

「そうかもしれんけど」

「ああ、見せてあげたかったです、魔王宮の一室にずらりと並んだ筐体を!」すごく懐かしむ瞳だった。「……たまにうるさくし過ぎて魔王に怒られてしまいましたが、輝かしい、実に輝かしい黄金の日々でした……」とさみしそう。

「追い出されたんだな」

「違います~!確信もって言わないでください~!」眉根を寄せる萌黄。「ただ、ちょっと……父である魔王が討たれてしまいまして」

「父である魔王……?」

「おかげで私の優雅で幸せな生活が無茶苦茶です。魔王宮から出る羽目になるなんて!」

「お前、魔王の……地獄の国家ボスの娘なの?」

「そう、まさにそれです!」平手で、誇らしげに自分の胸を叩く萌黄。なんだか鼻が高そうだ。「地上で言う、九州を中心とした地獄7分の1を支配する第4魔界のプリンセスなんです。私は!

 ……と言っても、上に兄や姉がいますし、悪魔は年をとることがないですし、そもそも王子であろうが王女であろうが王位継承は実力主義なんで、私が将来王になる目は限りなくなかったんですけど、でも凄いことに違いありません。私の待遇、お見せしたかったですね、上げ膳に据え膳、魔力は無限に供給されるし、優秀な従者にあれこれ世話してもらって、私はゲーマーとしての腕をめきめきと上げていきました」

「ゲーマーにしたくて世話をしてたんじゃないと思うんだが」

「気づいてるかもしれませんが、私って魔界一のゲーマーなんです」

「いや、だからなんだよって言う感想しかないんだが……今の話だと、界隈は結構狭そうだし……。それよりもさ、うやむやにされかけてるけど、オレの体を勝手にコントロールするのは……」

「でも、あの栄光の日々は終わりました……」やっぱり言いたいだけ言うタイプだ。「昨日まで従者も傍にいたんですが、姿を消してしまったんです……」悲しそうに目を伏せた。

「萌黄……」不満を持っていようが、こんな女の子が悲しい顔をしているのは、見ている方もつらい。本性が猫だと思うと、猶更つらい。不満は消えたわけではないが、しかし彼女が魔界のプリンセスだと言ってしまえば、浮世離れしていた感覚も仕方がないと思えてきてしまう……庶民根性のなせる業かも知れないが。

「ディサを見つけたら教えてくださいね……」ぽつりと萌黄にお願いされた。

「ディサ?……従者って奴の事か?」竜胆は首を傾げた。「どんな奴なんだ?」

「私と同じ猫科です」

「ねこ……」 ぴくん、と竜胆は反応した。「特徴を教えてもらおうか」

「見ただけで分かります」確信的な返事が返ってきた。

「いや、それだけではさぁ……」

「とにかく、すっごく変わってますので。普通じゃない、と思ったら、それがディサです」

「そ、そうなんだ……心に留め置いておこう……」どんなのか、気になる。

「でもいいんです」萌黄は、夢見る瞳で微笑みを向けてくれた。「今の私には竜胆がいますし」

「オレは従者じゃないけど」

「でも私を助けてくれたでしょ?」ちょっと真顔になった。

「そりゃあ」

「これからの助けてくれますよね?」目力の籠った瞳で圧してくる。なんか、たおやかなお姫様の感じじゃない。

 とはいえ、ここで頷く以外の選択肢などあるわけがなかった。

「ああ、もちろんだ」誠心誠意の即答で請け負った。「萌黄は命の恩人だし、何よりも、その……」照れた。「猫だから」

「嬉しい……」そこで少し怪訝そうに。「ん?猫だから?」

「でもな」竜胆は慎重に話題を戻そうとした。「不意にさ、体のコントロールを奪われるのはちょっと嫌かな……」

「あ、ほら竜胆!見てください!事件です!」

 ワザとなのかそうでないのか、萌黄が竜胆の視線を逆行する窓の方へと指を向けた。

 誤魔化された気がしないでもないが、言うなりに窓へと顔を向ける。

「ほら、あの樹の陰です」竜胆に密着するように肩を寄せると、小さく指を微調整した。「あそこです!教師が女生徒にセクハラしてますよ!」

「ん~……」元から目は悪くなかったが、視力もかなり上がっているようだ。萌黄の指差す窓の向こうに目を凝らすと――見えた。木陰で、女生徒の体操服の中に手を入れている、小太りの体育教師が!

 しばらくして離れたが……あの女生徒、泣いてるじゃないか!

「許せませんね……」低い声で萌黄が呟いた。「……竜胆、助けてくれますか?」

「ああ!もちろんだ!放っておけるか!職員室に訴えに行くんだな!オレも――」

「あの教師を一緒にセーバイしましょう!」一転、音量が狂ったように萌黄が声を張り上げた。

「セーバイ?ん?なに?セーバイって、成、敗?」

 戸惑っていると、ドン!と机の上に大型リモコンが置かれた。そしてためらわずパワーボタンが押される。

「え?ちょっと?」展開についていけない。え?なんで?

「地上文化に興味津々だっていいましたよね」決意を込めた瞳で、萌黄は竜胆に頷いて見せた。「その中でゲームの次の次の次の次に興味を持ったのは、なんだかわかりますか?」

「食べ物だな?猫は美食を追求するものだし」

「それはゲームよりも大事です!何よりも大事なことなんです!」急に吠えられた。

「そうだよな!猫ってそうだよな!」カクカクと竜胆は気圧されて頷く。「……だから?」

「私はカンゼンチョーアクの文化にも興味がありました」

「ん?……勧善……懲悪、か?」

「そう言ったでしょう?……ああ、地上に出たらこんなシーンに出くわしたいと思っていました」

 そう言って萌黄は手のひらを合わせて合掌した。いいのか?悪魔的にそのしぐさは?

「ふふふ……」萌黄が怪しい目つきで微笑む。「……邪悪の手先の悪ダイカンに虐げられるイト哀れな町娘、義憤の念に駆られた仮面のサンナンボーは悪行を続けるフテーのヤカラを正義の名のもと斬って叩いて蹴り倒し、インローを見せてドゲザさせてシチューを作って引き回し、桜吹雪で打ち首獄門これにて一件落着でお咎めなしです」

「ごめん、ちょっと何言ってるか分からな――」

「ではショーグン!やっておしまいなさい♪」

「え?おいッ!ちょっと!?」

 クラスがどよめく。竜胆が宙に浮いたのだ。

 翔摩が目を見張る。「リンドー……お前、浮いてるぞ」

「なるほどッ!」発見した!みたいに萌黄の目が輝いた。「これがクラスで浮くってやつですね♪」

「断じて違う!物理的に浮いてどうする!やめろ萌黄!みんな見てるだろ!」

「見られたから何だって言うんですか!むしろ見せつけてやりましょう!」

「何の話だ!」

「さあ、覚悟はいいですか竜胆?」

「やめろ!おろせ!」

 しかし、意に反して、ガッ!と胸の前で両腕がクロスされた。キィィィ……となにやらエネルギーを貯める音が聞こえ始めた気がする。

「これより!正義を遂行です!なにより!さっきの性能試験が中途半端で終わりましたし!」

「お前……それが本音だろッ!って悪魔が正義を語るのかッ?」

「GO!」

 バギャァァンッ!とあっけなく強化ガラスを砕け散らせ、竜胆は一直線に校庭へ向かって飛んでいった。

 ……チコーンチコーン

 竜胆の脳内で何やら音がする。それがどんどんとテンポアップした。

 チコチコチコチココッコッコッコッ――!

  だが実際には数秒も経っていなかったに違いない。

  教師の姿が顔がクロスした腕の先に捉えた竜胆は、内心こう叫んでいたのだ。

(なんでオレがこんな目に~ッ!)


 体育教師鵜殿鯛墨(ウドノタイボク)42歳。趣味はセクハラ。特技はセクハラ被害を親教師に言いつけない女生徒の見極め。

(くっくっく……たまらんなぁ……若いオナゴのカラダは……)

 さっきまで手に感じていた少女のきめ細やかな肌の感触を、鯛墨はゲスな笑みと共に思い返して手をニギニギした。本当はもうちょっと触ってみたかった。だが、直感が告げたのだ。このままではまずい、と。

(次の授業は2-Bか……あのクラスで触って良い女の子は……)

 触って良いなんて言った女の子は、当然誰一人もいない。今まで他の教諭や生徒に怪しまれたことはあった。しかし、彼の犯行は、授業中のほんの僅かのみ。状況を完全に見極め、証拠も残さない。彼としても(触るだけで何の咎めがある?減るもんじゃないし!)みたいな感覚で良心の呵責も感じなかった。

 ――だがその傲慢な野獣の日々も、もうすぐ終わる。

「?」

 突如、ガラスの割れる音がして振り返った鯛墨の目が見開かれた。なんとして、両手をクロスしてすごい形相で回転しながら突っ込んでくる生徒を至近で直視したからだ。至近過ぎて、彼には「?」の次に「!」と思うぐらいしか時間がなかったほどだ!

 ドガッ!

「ぐッはアッッッ!!!」

 吹っ飛ばされた鯛墨は短い手足を絡ませて二転三転し、なぜか三角形に並んだ10本のドラム缶を全て派手に薙ぎ倒し、ゴロゴロと転がってガクッと気絶した。

 校庭の、そして竜胆のクラスの生徒たちがどよめく。

「校内暴力だ!」

「天草が教師を殴ったぞ!」

「いや、あれは殴ったというか……」




 それと同時刻――

 城址学園の隣、『コロッセオ』と一体化しているレルムガード基地正面入り口に、白いリムジンが止まった。

 実にそぐわない――鉄とコンクリートの塊たる無骨な軍事拠点と、流麗優美な車体とは。

 そして降りてきた人物もまた、車と同様に美しく優雅な容姿を輝かせていた。

 まさに貴公子というべきか。彫の深い白人の容貌に、澄んだ青い瞳。年のころは20歳過ぎだろうか。キラキラと流れる長い金髪は陽光をまばゆく照り返し、長い手足と、滲み出る華麗な所作とも相まって、一個の美しい芸術品であるかのようだ。細くも筋肉質な体は首から下全てを黒革の戦闘服で覆いつくし、無数の深紅のベルトで締めている。それでいて無骨さなど微塵も感じさせず、むしろいっそう高い気品を醸し出していた。全てを見下すかのような自信溢れた笑みもまた、傲慢さではなく、見るものを感嘆なさしめる一要素になっているのだ。

 彼を見た2人の正門隊士が畏まるように姿勢を正す。うち、ひとりの女性隊士は見るからに心捕らわれた目つきで、ほう、と口を半開きにしていた。

 それへ、フ……と金髪をかき上げた貴公子が悠然と近づく。

「『天の戦車メルカヴァ』団のヨアヒム・ネルケ少佐だ。今日来訪予定だが、聞いてはいないか?」

「か、確認してまいります!」

 男性隊士が慌てた様子で警備室に入って電話をかけた。

 それから5分。いそいそと姿を現したのは、小太りの壮年将校である。彼は、鈍重そうな容貌を裏切るような美しい敬礼を見せた。

「お早いご到着で。ネルケ少佐。ワタクシは(むぐら)少尉であります。当基地司令犬柘植中佐へご用事がある旨、承っております」

「うむ」

 美青年は鷹揚に頷くと、ムグラの後ろに続いて正門を入る。

 彼の美しさに見とれていた正門隊士たちは、慌てて敬礼で2人を見送った。

「……あの」

 2人から十分離れて、ムグラは小声でネルケへ声をかけた。「ご到着は、午後4時と聞いておりましたが」

「フ、そんなこと言ったかな」

 ネルケはあまり気にはしていないようだ。

「……あ、こちらです」

 2人は司令室へ向かうエレベーターに乗り込んだ。ゆるやかに上昇していく。

「すみませんね、先日の悪魔災害のごたごたで、何かと取り込んでおりまして。司令室ではなく、貴賓室にご案内することになりますが……いえ、貴賓室って言っても、大した部屋なんかじゃありませんがね」

 愛想笑いを浮かべたムグラは、扉から振り返って言った。

「いや、かまわないさ」青年は、エレベーター奥の鏡張りを見つめているようだ。正確には、自分の容姿を。

 声をかけづらい態度だったが、無言も失礼だろう。「日本語、素晴らしくお上手ですね。日本人ですらこうはいきません。このようなことを言うと失礼に当たるのかも知れませんが」

「この国は我々『メルカヴァ』にとって大事な国だからね。言語は十分に勉強したよ。それに、もう20年も滞在しているわけだからね」すんなり言葉を返してくれた。

「はぁ……」

 鏡に映る自分をうっとりと眺める美青年を、ムグラはぼんやりと見つめた。どう上に見積もっても、20歳過ぎにしか見えない。だが、もう10年以上も昔に、彼を目撃したことがあった。その頃と、姿は寸分も変わっていない。

(なるほど、これが『天使』か……)

「……あ、到着したしました。どうぞ」

 開いたエレベーターの扉を、ムグラは畏まりながら指し示した。

「……」ネルケは鏡を向いたままだった。

 なにか機嫌が悪くなるような事を言ったっけ、と少し不安になりながら、ネルケはもう一度を声をかけた。

「あの、少佐、4階に到着いたしました。どうぞお降りください」

「……」

「少佐!」

「ッああ!すまない……」

 一瞬、鏡の奥で、なんでこんなところにいるんだろう、みたいに目をキョロキョロされたネルケは、僅かな見当識を脱して、フ、と髪をかき上げると、エレベーターカーゴから悠然と出てきた。自分の世界に没入していたみたいだった。

「……身だしなみが気になってね。大事だよ、きちんとした装いと言うのは。第一印象と言うのは、実に大事だ」

「……犬柘植司令とお会いになるのは、今日で2回目だとお聞きしておりますが」

 言っちゃあまずかったかな、と思ったが、一応言っておいた。忘れられていても、司令なら卒なく対応できるだろうが、後できっと機嫌を悪くするだろう。のちの業務に差し障る事は面倒だった。ただでさえ、今は多忙を極めているのだ。

 案の定、貴賓室の前までやってくると、バタバタと早足でやってくる犬柘植司令と鉢合わせした。

「ネルケ少佐をお連れしました」

「うむ」

 鼻の頭に汗をかきながら、犬柘植は貴賓室に貴公子を招き入れた。だが、既に機嫌が悪そうだった。そりゃそうか。司令の後ろに、司令秘書官が続く。

「ご苦労だったね」

 美しく微笑んだネルケは、さらさらと髪をなびかせて開けられた扉を入っていった。

 ――ばたん、と扉が閉まって、ムグラは無意識にため息をついた。

 待っていた方がいいのかなと思う。今は待機任務中で、取り立てて行う業務もない。ならば、確実に機嫌を悪くするであろう司令のフォローをするのも務めだろう。

「お久しぶりです、(むぐら)少尉殿」

 ん?と顔を上げた先に、りりしく敬礼する一人の青年の姿があった。

 忘れはしない。あの品行方正で熱意溢れる呪われた男、天草紫苑がそこにいた。

「おお、天草」

 救われたようにムグラは彼に笑いかけた。「どうした?こんなところで」

「犬柘植司令に呼び出されまして」

 3年前。ムグラからの転属願いで、天草紫苑は県の飛行隊へ転属となり、今では観測ヘリの操縦士だ。一方、彼が転属していった日から、悪魔の這い出る回数は極端に減った。理屈は分からないが、結果オーライといったところだろう。

 彼は先日の悪魔災害の際にも大きな働きを担った。その最中に悪魔の攻撃で撃墜されてしまったようだが、やはりと言うか、一切の怪我もなく済んで労ったばかりだ。転属したとはいえ、レルムガード隊士は全員地域に所属する。彼は、いまだに銀葉市の隊士なのだ。

「さっきの方はどなたですか?」

 紫苑が興味深げな顔で訊いてきた。軍人らしくない衣装な上、美女めいた美貌の青年が我が家のごとく貴賓室に入っていったのだ。興味を引かないはずがない。

「お前はまだ知らんかな……まあいいか、どうせもうすぐ知る地位になると思うしな」

「はぁ」

「どこかで聞いたことがあるだろう?『天使』という存在を」ちょうどいいや、時間も空いてるし、と思ったムグラは、傍の自販機で買った缶コーヒーを紫苑に放り投げ、自分の分のプルタブを開けてベンチに座った。

「天使、ですか?隊で噂を聞いたことがあります……」紫苑も隣に座る。「サイキックとか、エスパーとか、不思議な力を持つ人間だとか」

「ああ、悪魔と戦う力を持った、人間の中から生まれた超常の能力者、とか言われているようだな。戦後、海外に倣って『天使』とか呼ばれるようになったが、サイキッカーと呼称される場合もある」

 重々しくムグラは頷いた。「彼らは2種類。一方は『PK』と呼ばれる念動力とかいう力を、もう一方は『ESP』と呼ばれる感覚外知覚とか言われる力を持つ。どちらも、悪魔を無敵ならしめる物理無効化能力ディメンション・ディスターバーを帳消しにしてしまえるという話だ」

 ふーッ、と紫煙を吐くように、ムグラはため息をついた。『天使』の存在は、何とも癪だ。だが、そんなことはおくびにも出さない。

「先に言っとくが、よそには言うなよ。一応これは秘匿情報だ。世界大戦前までは軍事機密だったんだぜ」

「なぜですか?……だって、悪魔に対する主戦力みたいなものでしょう?もっと前面に出てもいいはずですが!」

 そして、そんな存在が悪魔災害の時にいたならば、銀葉市にここまでの被害は出なかったはずだ。

「考えてもみろよ。悪魔と戦わずとも強力な能力なんだ。人間相手ならもっと有効になるだろ?特に大戦当時の頃ならなおさらそうだ。レーダーよりも的確に敵を察知できるし、銃弾ははじき返すし、素手で人間の首をねじ切ることだってできるんだ。

 だから、敵方の『天使』は優先して殺すし、暗殺も仕掛けるし、なんとか味方に引き入れようとも画策する。強力な兵器みたいに、見せつけてビビらせる、みたいなやり方は通用しなかったんだな」

「でも、それは大戦中の話でしょう?現代とは違います。『天使』の存在を隠す理由なんて……」

「そう、世界大戦時と、現代とは、違う。あの頃は、まだ『天使』も数多くいた。だが、今はほとんどいない。

 その理由は知ってるか?……うん?聞いたことぐらいはあるだろう?1944年、大戦中に起こった悪魔大災害をさ」

 ムグラは、なやみ深いため息をついた。

「……1944年3月22日。イタリアのヴェスヴィオ火山の噴火と機を同じくした悪魔大災害は、日本では『地獄の蓋が開いた日』と称された。その名の通り、大戦の戦場だったヨーロッパの地に悪魔が溢れ、どんな影響か、世界中の噴火口から悪魔どもが這い出てきた。火山活動が活発な地帯が、もっとも悪魔が力を得られる場所とは言われてきたが、ここまでの世界同時多発的、というのはきっと人類の歴史初なんじゃなかったかな。とてもじゃないが、まともに戦争なんてしていられる状況じゃなくなった。

 そんな無数の悪魔の群れに、天使たちは必死に抗い、そして多くが命を落としてしまった。今や、世界に残ったのはごく少数……そして彼は」と司令室を顎でしゃくる。「そのわずかな生き残りの一人ってわけだ」

「でも、強い力を持っているのは確かなんですから!」紫苑は言い募った。「秘密にせず、大っぴらにすれば、みんな安心できるんではないでしょうか。ヒーローがいるっていうことですから」

「あまりにも数が少なすぎるんだ。切り札としては、あまりにも……。悪魔に襲われた時、ヒーローを待ち望んで結局来なかったら、逆に恨みに思われるだろう?」

「そんなことはないと思います」紫苑は強く首を振った。「全力で戦っていると知っているなら、だれも悪く言いませんよ」

「言う奴がいるんだよ。天草は、街を襲撃する悪魔に身内を殺されたことはないだろう?」

「……。ええ、まあ」

 妖物化病に罹患して、絶望した姪が(ネスト)に姿を消したが、これには当たるまい。

「悪魔の襲撃は災害みたいなものさ。だが、悪魔は明確に意思を持って人間を殺す。怒りの持っていきどころは悪魔にしかねぇが、守ってくれなかった者にも向くことがある。軍隊なんかがそうだ。こっちが何人戦死しようが、被害を受けた者の一部は糾弾してくる。声のでかいやつがいれば、もっと組織立って非難してくる。悪魔と戦う力を持っているはずの天使が戦ってくれなかったら、更に非難されるだろう。本当は、まともに戦えるだけの数すら残っていないのにな」

「そんな……」

「……というのは建前で、もう戦いたくないんだよ。天使自身がさ」

「え?」

「元からキルレシオでは負けていたんだ。だから悪魔1体に対し、最低3人がかりで襲い掛かるのが一番の勝ち筋だったらしいんだな。しかし、大戦時の悪魔が多すぎた状況だと、そうは贅沢を言ってはいられない。だからヒーロー様であるはずの天使様もばったばったとなぎ倒されて、今となっては絶滅寸前、レッドリストの仲間入りさ。そして、現代でも数は一向に回復しない。だから戦うときはだいたい1人、雑魚みたいな悪魔なら勝てるんだろうが、そんな奴ばかりじゃない。天使を擁する組織も、これ以上数を減らして利権を失いたくないもんだから、なおさら内に籠るようになる。それに、軍隊にだって都合がいいんだ。いや、我々が正式には軍隊じゃない、ということは置いておいてさ」

「天使は1人で戦う必要はありません。我々と協力できれば、もっと確実に悪魔を退けられるはずですが!」

 そこで紫苑は、貴賓室に入って行ったネルケ少佐に思い至った。「……協力体制は、すでにできているのですね?その上で、存在を秘していると」

「そこのところは、正直我々下々の者にはよく分からんところだが」困ったように、ぼりぼりとムグラは頭を掻いた。「いろいろ事情があるみたいなんだな。特に、日本じゃ利権の問題が絡んでくる」

「利権、ですか?」紫苑は、明らかに分かっていない顔をした。

「天使たちは組織として律せられている。わが国には二つあるな。一つは、世界的組織『天の戦車(メルカヴァ)』団の日本支部。そして、日本固有の組織『アマテラス機関』よ。

 ヨアヒム・ネルケ少佐は『メルカヴァ』所属だ。実は、ここと我が国の軍部とは仲がいい。交流も多いし、いざというときに助けにも来てくれる約束もある」

「じゃあ『アマテラス機関』は?アマテラスっていえば、悪魔を調伏させる力を持つ、と言われる出雲におわす人神アマテラス様のことなのですよね?」

「そうだ。だが、そこと軍部とは折が悪い。非常にな」ムグラは困った顔をした。「助けになればどこの組織でもありがたいんだが、軍部の上層はそうは思っていないようでな。なにしろ、国家権力の競合者だ。この国は長らく、主神アマテラスの代行である祭祀長によって統治されてきた経緯がある。今もって皇国と呼ばれるゆえんだな。だがそれを専横主義と批判し、軍部が台頭してきた。大戦中、この国は帝国を名乗ってたんだぜ、知ってるだろ?とはいえ、ま、悪魔大災害による停戦……っていうか、実質的な敗戦によって勢いを失っちまっちゃあいるが、アマテラス機関の天使の方も、世界大戦で徹底的に数を減らしちまった。かつて、機関は国の全ての地区へ『守護天使』を派遣し、悪魔を抑え込んできたらしいんだが、もはやそれだけの数は存在しえないらしい。

 そして、頼りにならなくなった天使の代わりに、悪魔と戦っているのが軍なんだ。一応、この銀葉市にも『守護天使』はいるんだが」

「この街に」紫苑は目を見開いた。聞いたことがない。それってヒーローじゃないか!「誰ですか?有名な人物ですか?」

「いや、まったく」ムグラはため息をついた。「大して強くはないらしい。……さっき少し言ったが、天使には2タイプある。PKを得意とする『戦闘型(PK)天使サイキッカー』。ESPを得意とする『心霊型(ESP)天使サイキッカー』。戦って強いのは前者だな。そしてこの街の守護天使は後者だ。頼りにはなるまいよ」

 そのはずだ、とムグラは思う。先日襲撃したY242号は、7体のまぼろしの体を持つ、超巨大な『ミミズ』のような悪魔だったようだ。レルムガードは、そのたったひとつの本体と必死に戦い、なんとか退けることに成功したのだ。

(本当にそうだろうか?……ほんとうに、あいつは弱いのか?)

 彼女とは、何度か話す機会があった。(あいつの、あの目の奥の光……弱い奴のものじゃない……)

(でも、ならばなぜ、Y242号を駆逐しなかった……?)

 そう思い悩むムグラの視線は、壁の向こう――ちょうど城址学園の方向を向いていた。


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