第十八話「紅い靴を履いた少女」3/4
=多々良 央介のお話=
「うぁぁああああああああるうぅぅぅぅうううえぇぇぇぇええぇえじぉぉぉおおおおおおおおんんんぉぉ…」
アトラスを飲み込んだ紅靴妃は、どろどろの肉塊からなる両腕を優雅な動きで広げた。
スマートな、ルビーの輝きの両脚もそれを追いかけるように動く。
かかとの柔らかな動きは僕が見切る暇もなく、片足を曲げ、釣り上げ、もう片足に沿わせる。
そのまま地面のDキャプチャーの上に残った足のつま先を軸として全身を旋回させる。
僕にはその踊りの種類は良く分らなかったけれど、紅靴妃へ攻撃を加えることが出来なかった。
この状態は、攻撃していいのか、悪いのか、判断ができなかった。
それも、大きな失敗の一つだった。
気付いた時には、紅靴妃の片足が消えていた。
それが何を意味するのか分からなかった。
聞こえたのは、むーちゃんの悲鳴。
「あ、紅利っち…違うの…、これはあなたの足じゃあ…ううっ!」
僕はむーちゃんの苦痛の声に、慌ててアゲハを確認した。
そこには苦しさに身をよじるアゲハの姿。
何か攻撃を受けている様子は見えないのに。
「央介、アゲハの足だ!」
「えっ!?」
佐介に言われて気付いた。
アゲハの片足が、さっき消えた紅靴妃の足に入れ替わっている。
そして、もう片足も徐々に置き換わっていく。
「央介さん! これは紅靴妃の攻撃です! 夢の、足を奪うつもりで…ぐっ!!」
テフが状態を訴える。
それから間もなく、アゲハの両脚は紅靴妃のそれに置き換わる。
「あああぁぁぁっ!!」
むーちゃんの叫びと同時に、その両脚は真っ赤な破片になって砕け散って、無くなる。
アゲハは、プリンセスの姿と同じ、紅利さんの姿と同じ、両脚を切り落とされた形にされた。
支えを失ったアゲハは地面に倒れ伏す。
「むーちゃんっ!!」
嫌な記憶がよみがえる。
僕が、彼女の巨人の両腕を引き千切った記憶。
僕が、悪夢王に襲われて、自身の皮膚や肉が裂けるまで腕を掻きむしった記憶。
「…だ、だいじょーぶ…。痛…、痛いけど…」
「砲撃能力40%まで低下。しかし作戦続行は可能です。央介さん、紅利さんを助けましょう…!」
アゲハは、腕とマントの構造だけで体を起こし、むーちゃんが、テフが強がって見せる。
どこで、どこで間違えたんだろう。
紅靴妃の動きを止められなかったから、アトラスの接近を許したから、紅利さんを助けようとしたから――。
《夢ちゃん! いったん巨人を解いて! 私がフォローに入るから撤退しなさい!》
通信から、狭山一尉の声。
そう…、そうだ。
むーちゃんだけでも一度安全圏に…!
「駄目! こっちに来ちゃ駄目! この攻撃は…!」
《不死身のEエンハンサーに並大抵の攻撃なんて!》
前線に飛び込んできたのは、ミサイルじみたバックパックを背負って飛んできた、獣の姿の狭山一尉。
彼女は速度はそのまま、アゲハ近くの地面に無理やり着地して――。
――着地しようとして、地面に叩きつけられた。
僕からは見えた。
着地寸前、狭山一尉の両足がアゲハの時と同じように、紅靴妃の足に変化していた。
着地の瞬間にそれは砕け散って、狭山一尉の行動を台無しにした。
「はっ!! 体を刻んだ程度で私みたいな怪物が止まると思って!?」
狭山一尉が、残った両腕で這い動きながら、不敵に吼える。
確かに、Eエンハンサーの再生力なら、足の欠落程度は問題ない、はず。
だけど――。
《き、緊急! 戦闘エリア付近、第9エレベーターシャフト、第22防衛塔において、女性隊員が脚部に重傷を受けたという報告多数!! 第23防衛塔でも…!》
《はあ!? 避難指示区画を子供が走っているだと!? はやく保護しろ! ああ!? 近づくと見つからなくなるとはどういうことだ!?》
混乱と、被害が拡大していくことを通信が伝える。
狭山一尉は――。
「――ッ!? 再生が、始まらない!?」
《狭山一尉! あなたの足は機器観測上では存在しています! 巨人の起こしている現象で、実際に消滅したわけではありません!》
駄目、駄目、駄目。
最悪が立て続けに、最悪が連鎖して。
僕が、その最初を――。
《央介君! 命令を対象の撃破に切り替える! 珠川君への通信許可もここまでだ!》
《央介くん、頑張っ…》
大神一佐の指令と、通信を遮断される紅利さんの最後の声。
そうだ、僕は、頑張らなくちゃ。
紅利さんに、足を届けなきゃ…。
「おーちゃん、頑張ろ…! この巨人は、紅利っちの幻肢痛そのもので、足がない、足が欲しいって叫んでるの…!」
むーちゃんは両足を失ったアゲハを無理矢理動かし、支援の光線砲撃を紅靴妃に向かって放つ。
でも、それは取り込まれたままのアトラスの力で無効化されてしまった。
あとは直接の格闘。
アイアン・スピナーでの対処――
――巨人の撃破は、紅利さんの足を再度奪って…。
(アカリーナのやつ、まだ足を残してほしいとか! 央介も、聞くなぁっ!!)
サイコの叩きつけるみたいなテレパシー。
でも、何か、妙だった。
まるで息切れしてるような、疲労の感覚があった。
行動を決めきれないハガネの目の前で、紅靴妃はしばしの間、踊っていた。
僕は詳しく知らないバレエダンスの動きで、リズムを付けながら、そのダンスステージを少しずつ移して。
その足が、つま先がついた地面が、一か所一か所、真っ赤に焼け溶ける。
――紅靴妃を観測できる場所に、固定しないと。
父さんに、分析してもらえば、まだ何とかなるはず。
馬鹿みたいな考えだと、自分でもどこかで思った。
「…佐介、止めるべきかな…?」
「央介がやりたいことが、オレのやりたいことさ」
その刹那にハガネを猛進させて、紅靴妃に組み付かせる。
さっきからでわかってきた。
紅靴妃は、女の人の足だけを消し去る。
そうでないなら、ハガネもとっくに両足が無くなっている。
ハガネで紅靴妃を羽交い締めにして、そのまま固定を狙う。
紅靴妃は暴れ、濁った血流を吐き出して、ハガネに少なくないダメージを与えてきた。
「父さん! 今だよ! データを録ってぇっ!!」
《…央介、今は無理だ! アトラスが混ざり込んでいて、珠川さんのデータにならない!》
《央介君、撃破命令に切り替えている。辛いのはわかる、諦めたまえ!》
父さん。
大神一佐。
大神一佐の命令。
もう、僕が間違っているのはわかる。
それでも、僕は叫んでしまった。
「人を救える力がそこにあるのに! 巨人が人を救える力を見せたのに! それを壊さなくちゃいけないんですかあっ!!」
《央介、これはそれ以上に被害を出してしまう! 駄目だ、わかってくれぇっ!!》
《自分達の被害を受け入れ、より大勢の民間人を救うのが軍だ! もう一度言う、これは命令だ! 対象の撃破を!》
大神一佐の厳しい声と同時に、紅靴妃から一際激しい破壊の血流が迸った。
それによってハガネの片腕が激痛と共に蒸発し、拘束ができなくなる。
ハガネの腕の中から、静かに飛び出していった紅靴妃。
彼女はくるくると踊って、そこから幾度か不思議な足取りで動き出した。
僕は痛みをこらえるのが精一杯で、それの追跡を諦める。
紅靴妃。
紅靴妃の撃破命令。
紅利さん。
紅利さんの笑顔――。
僕は、ハガネの中で呆然と立ち尽くしていた。
過ぎた時間も分からなくなるぐらいに。
でも、騒がしい通信の中で、それだけが嫌にはっきり聞き取れた。
《…紅靴妃、これ移動方向が固定されて…。 進行方向に…神奈津川小学校!?》
《既に避難は完了しているのだろう!?》
《は、はい。地上部には誰も…え? 反応二つ…これ、えっ!? 児童が一人、屋上に!!》
なんで…なんで?
こんな最悪ばっかり、重なって。
そういえば、さっき子供が避難区域に居るって話が、あったっけ…?
僕は、ハガネの目で、学校の屋上を見る。
PSIエネルギーで拡張された視力が、屋上に立つ、少女の姿を捉え――
――僕は、ハガネを全速力で走らせた。
ハガネの手も足も体も傷だらけで、無くなった部分もある。
それでも、最悪の最期だけは起こしたくなかった。
屋上にいた彼女の名前を叫ぶ。
何か反応してほしくて。
出来れば逃げて欲しくて。
「紅利さぁぁぁーーーん!!!」
=珠川 紅利のお話=
《央介君! 命令を対象の撃破に切り替える! 珠川君への通信許可もここまでだ!》
「央介くん、頑張って…」
携帯の通信は、大神一佐の命令で切断されてしまった。
さっきまでは央介君の顔が映っていた真っ暗な画面。
その隣の画面では、ニュースの放送が戦場の様子を映していた。
私は、それを見続けるのが怖くて、携帯をスリープさせる。
すると音が何もなくなったシェルターの医務室。
ベッドの上の私は、ぼんやり光る足を抱きしめる。
この足は残してほしい。
央介くんならそれができるはず。
央介くんは今まで何度も戦ってきて――
――戦って、全部の巨人を倒して来た。
いやだ
いやだいやだ
また足のない日々に戻るのはいやだ。
央介くんだって巨人の力をもらっているのに、自分は奪われるばかりなんていやだよう。
どうして、どうして私からは、夢が、幸せが、奪われるばかりなの?
どれくらいか時間が経っていく。
怖くて、涙がこぼれそうになった瞬間に、部屋に大きな音が響いた。
それはドアを、無理矢理開いた音だった。
ドアのあった場所に立っていたのは、男の子。
幼馴染の男の子。
あきらくん。
彼は一度膝に手をついて、何か大きな箱を背負って、酷く荒い息を吐く。
おかしなことに、いつもの真っ赤な帽子を被っていない。
あきらくんは、その帽子を外したくないはずなのに。
息が落ち着いて顔をあげた彼は、私を睨みつけて、そして怒鳴ってきた。
「おい、いいかげんにしとけよ。バカリーナ!!」
「え…? え? あきらくん、な、なに?」
どうして、私が今、怒られるのだろう。
どうして、あきらくんが今、怒ってきたのだろう。
あきらくんは、背負っていた箱を私に向かって突き出す。
その箱は、見覚えがあるもので――
「お前の足をもってきてやったんだよ! お前の巨人が暴れてる中を!」
――え?
「私の、巨人…。どうして、あきらくんが!?」
「お前だけが央介の戦いを知ってると思ってたか!!」
あきらくんは、私の事も、央介くんのことも、ハガネの事も知っている…?
どうして、どうやって、戦ってる時の通信にあきらくんが居たことなんてないのに…!
「央介はこのままだとぶっ倒れるまで…もっと酷くなっても戦い続けるぞ! お前の足を残すために、命令違反までして!」
まだ、私にはどうしてこうなったのかがわからない。
それでも、私は叫んでしまった。
「で、でも、あの巨人が倒されたら、この足も無くなって、私立てなくなっちゃうもの! …嫌なの、怖いの!」
それだけは、なんとなくわかっていることだった。
そして、そうなってしまったら、ずっと続く怖さが始まる。
私はそれをぶつけて、あきらくんに引いてもらうつもりだった。
「あきらくんにはわからないでしょ!? 毎日毎日どこかで車椅子が引っ掛かって、床に投げ出されるかもしれない怖さ!!」
「わかるんだよ! オレのクソ頭は周りの怖さとか辛さとか、全部受信しちまってたんだ! 央介の怖さもだ!!」
わかる…?
わかるって、何?
あきらくんには、立派な足もあるのに。
それに、央介くんの、怖さって。
頭が、えっと――
「――頭…? 受信…? あきらくん、一体…何の話をして…?」
「偽の佐介が言ってただろ! 央介は怖いまま戦ってるって! 巨人で戦って、他人を傷つけるのが怖いんだよ!」
――どうして。
どうして、あきらくんはこんなことまで知っているの?
あの時、傍にはもうひとりの佐介くんしか居なかったのに。
私は誰にも喋っていないのに。
あ、あれ、そういえばあの時、頭の中で聞こえたアカリーナって声は――。
「ああ、そうだよ! 一歩でも離れてくれれば央介が安全に戦えたから、大声で呼びかけた!」
――知らない。
幼馴染の男の子が、心の中に呼びかける、おかしな力を持っていたなんて。
そんなこと、知らない。
「あきらくん…こんな、おかしいわ! あなた、こんなことが出来るなんて…」
その瞬間、私の目に飛び込んできたのは、あきらくんのおでこのバツ印のような大傷。
私はそこに大傷があることを知っていた。
ある日、血だらけになって登校してきて、みんなを驚かせたのだから。
『おうちで怪我をした』
その時、あきらくんはそうとしか説明しなかった。
けれど、彼のおうちがしばらく良くない状態だったのはママの噂に聞いていた。
あきらくんのお父さんとお母さんがひどい喧嘩をして、一緒に住まなくなって。
そんな中での、あきらくんの怪我。
それ以来、傷を隠すために、あきらくんはいつも帽子をかぶっている。
どうして傷がついたか、ずっとわからなかった。
お父さんに叱られたとしても、限度がある。
でも、それがもし、あきらくんの方が“限度を超えていた”としたら…。
怖い――。
「そうだよ、これだよ! この力はみんな怖がるんだ! お父さんも…!」
あきらくんの表情は、もう怒っているとも悲しんでいるとも分からないものだった。
涙をぼろぼろ溢して、歯を食いしばって。
そんな、そんな力を。
そんな気持ちをぶつけられて、私は、どうしたらいいの…。
怖い、怖いあきらくんから少しでも逃げようと、後退りして、壁にぶつかった。
動ける足があっても、逃げ場は、もうない。