第十八話「紅い靴を履いた少女」1/4
今回の話はある意味、ここで終わってもいいかなというお話です。
読者の皆さんの心に響く話になっていれば、いいのですが。
=ある少女のお話=
寝起きの少女は、可愛らしい絵柄のタオルケットの中で伸びをしてから足を延ばし、ベッドの外へ一歩を踏み出す。
踏み出したところで、後悔する。
――ああ、またやってしまった。
自分に、踏み出す足なんてなくなっているのに。
この後は、崩れた重心のまま床に投げ出されるだけなのに。
しかし、その日の結果は違うものだった。
それに気付いた少女は、自分がまだ夢の中にいるのか戸惑いながら立ち上がり、足踏みをしてみる。
そして、彼女は部屋の外へと駆け出した。
――彼女の夢が、動き出す。
=多々良 央介のお話=
僕たちは、通学路を学校に向けて走っていた。
父さんが深夜に帰ってきてから始めた佐介の調整が難航して、結局朝食中までもつれ込み。
そうして僕と佐介の同調確認がなんとか終わった。
父さんは仕事が終わるなりソファに倒れ込むように眠ってしまい、時計を見ればギリギリの時間。
「オレだけ休みにすればよかったかな!」
「そういう時に限って巨人とかギガントの工作員が襲ってくると思う!」
佐介と軽口を叩きながら、走る。
この分なら、遅れは取り戻せたかな。
大体この住宅街を抜けた先の坂で、安全運転車椅子の紅利さんが見えてくる頃。
――でも、通学路には紅利さんの姿はなかった。
そのまま、校門にまで走り込む。
「時間帯に問題なし。となれば、紅利ちゃんが遅刻したか、それともまたギガントの…」
佐介が不穏な事を言い出す。
どうしよう、探しに戻るべきだろうか。
そう考え始めた矢先。
(あー…、まア…、そノ…、教室にくりゃわかるヨ)
僕の思考を止めたのは、サイコからの念波。
ええと、それは紅利さんの話でいいのかな。
「段々とクラスメイトな事を隠さなくなってきたな。安心しろ、すぐ捕まえてやる」
佐介の企みはともかく、サイコからの話には何か嫌な含みがあるような言い方だった。
紅利さんへの心配を抱えながら、上履きに履き替えて、6年の教室を目指す。
教室へ近づいて聞こえてきたのは、賑やかな笑い声と驚きの声。
その一際賑やかな声には、聞き覚えがあった。
「あん、どぅ、せっ、のっ、グラン・ジュテ!」
僕が教室を覗き込んだとき、そこで飛び跳ねていたのは、短い髪の女の子。
紅利さんが、クラスの女子たちに囲まれて、踊りのステップを披露していた。
彼女は足首だけの力で高く跳んで、片足を高く揚げ、もう片足のつま先だけで着地して、くるりと一回転。
僕は、その綺麗な身のこなしに目を奪われつつも、体中が危機感に包まれていくのを感じた。
あるはずのない、彼女の両足に。
踊り続ける紅利さんから一度視線を離して、探す。
――居た! 教室の隅の方、むーちゃん。
僕はむーちゃんの所に駆け寄る。
彼女もすぐに応じて、危機感に満ちたこそこそ話を向けてくる。
「紅利っち、今朝起きたらああだったって…!」
「新型の義足ってわけじゃあ、ないよね」
「奇跡が起きた、ってのでなけりゃあ、な」
僕も、佐介も、むーちゃんも、答えはわかっている。
わかっているけれど――。
「なんとか、その、紅利っちと話をしようと思ったけど、事故以前からの友達との話ってなると、むーには無理で…」
むーちゃんは先に学校に来て努力してくれていたのに、僕は…。
焦る気持ちのまま、佐介と一緒に、話したり踊ったりの紅利さんの方へと向かう。
何をどうすればいい? そうだ、父さんだ。
今の状態の紅利さんを、父さんの所に連れていけばいい。
今朝までの仕事で爆睡してるかもしれないけれど、叩き起こして――。
「あ、あの、紅利さん!」
「…なんだ、央介くんか。おはよう!」
――あれ?
違和感があった。
足に限った話ではなく、普段の紅利さんと話した感じが違う。
「でも用事なら後でね! せっかく足があるんだから、したいことがあるの!」
紅利さんはそう言うと、教室の空きスペースを広く使って、端から端までで複雑なステップとジャンプを混ぜて踊って走る。
周囲の女の子たちが一斉に囃し立てる。
特に、紅利さんの幼馴染という話だった軽子坂さん、亜鈴さんはステップが終わった紅利さんに抱き着きにまでいく。
でも、なんとかしないと…。
このままじゃ取り返しのつかない事になる、そんな気がする。
僕は、紅利さんに再度近づいて話しかけようとして――。
「…ごめん、央介くん。今は、邪魔かも」
彼女は、無邪気な笑顔でそう言って、突き放してきた。
もう、僕には今の彼女に近づく手段が何もない。
どうしよう。えっと…。
(だから言っただろ、アカリーナは割と自分勝手なんだって)
――サイコ。
彼からの呼びかけを受け止めながら、険しい表情で紅利さんの前へ飛び出そうになった佐介の前に手を突き出して、制動する。
(あいつ、自分の今が幸せなら他はどうでもいい、その場の流れで楽な方がいいって奴だから)
そう、なんだ。
今が幸せ。
今の紅利さんはとてもいい笑顔で、友達と話し込んでいる。
それなら――。
「紅利さんが幸せになったんだったら、それは、それで、いいよ…」
これが、今の僕の答え。
それ以外、僕にできることが、ない。
(本当に幸せになったっていえるのか? それにあれは巨人だ。すぐに本体が出てくるぞ…!)
それが、サイコの答え。
僕とむーちゃんが辿り着いてはいても、考えたくなかった答え。
わかっているから、黙っていてくれ、サイコ。
お願いだから。
そう強く念じると、サイコからの語り掛けは止まった。
折角の新しい友人を追い出して、静かになった頭の中と、賑やかな教室。
ホームルームが始まるまで、紅利さんはバレエのステップを披露していた。
狂おしいほどに、楽しそうに。
僕は、二時間目の休み時間も、紅利さんを遠巻きに見ているしかなかった。
自分の足で体育館に向かった彼女は、久々の友人たちとのドッヂボールを元気いっぱいに遊んでいた。
笑顔の彼女を、止めることなんてできなかった。
――怖い。
怖い、怖い、怖い。
時間が、迫ってくる。
こないでと願っても、それがやってくることがわかっている。
三時間目、四時間目、体が震えていた。
島に居た時の、僕の巨人が親しいクラスメイトを傷つけることが見えてきたときの感覚が戻ってくる。
嫌だ。
嫌だ!
結果が見えていることなんて、やりたくない!
さっき紅利さんが僕との話を打ち切ったのは、こうなる先が見えていたからだろうか。
僕が行動すれば、彼女の新しい足を壊してしまう。
だから僕が傍にいて欲しくない、そういう話だったのだろうか。
ついには僕の顔色が悪いと前の席の根須くんに指摘され、保健室で休んだほうがいいとまで言われた。
それでも、紅利さんから目を離すわけにはいかなかった。
警報が鳴り響いたとき、僕は机を両手で殴りつけた。
それを見る佐介の困惑した瞳は、僕の鏡映しだったのだと思う。
ハガネを待って戦場に立っていたのは、踊る、真っ赤な巨人。
それは紅色。
血の色。
炎の色。
ぐちゃぐちゃ、どろどろとして、肉の塊の中から骨のような部位が飛び出し、辛うじて人型をしている上半身。
見覚えがある、悪夢王と同じ状態の上半身。
それとはまったく統一性を欠いて、胸が痛くなるほどシャープな形をした紅珠色の両脚は、その大腿部分で一旦途切れていた。
切り離された足と体の動きは、完全には一致しておらず、どちらかの遅れと逸りを取り戻そうと互いに追いかけあう。
千切れた体で、緩やかに踊るその巨人は、彼女の夢と悪夢の混成物。
そして、千切れた部品はまだ別にある。
彼女自身の新しい足として――。