第十七話「国道99号線にサンドシャーク!」1/7
=どこかだれかのお話=
休日、昼下がりの公園。
夏の日差しを遮る東屋下の大ベンチは、たった二人に占有されていた。
若い男女。
傍目も気にせず、暑気も気にせず、直径1メートルの範囲内でもたれ合う二人の時間。
他愛無い日常の話に、単調な語彙で返事が返る。
傍らに置かれた時代物の音楽再生機器は、男の趣味の品。
彼らが生まれるずっと昔の洋楽ナンバーをゆったりと奏で続ける。
毎週のように巨人によるテロリズムが襲い掛かる町でも、人々は日々を暮らしていた。
彼らが避難疎開を選ばないのはおかしなことではない。
今の時代、この町に異変があるなら、隣町でも別の異変がある、その事を皆が理解しているからだ。
何より、軍の避難指示に従えば、その分の時間補償も支払われる。
シェルターにまで多少の異変が及んだと申請すれば更に上乗せも付く。
先ほどの音楽再生機器も、そういったボーナスを用いて買ったものだった。
骨董品価格で手が出なかったのを買えたのだから、むしろ巨人さまさまといった話ですらある。
おまけに雰囲気ある旧式電池まで付いてきて、男は満足この上なかった。
ただ、二人にとっては甘い時間でも、彼らの慎みの無い接触によって、他の人間は涼み処に入りにくい状況を作りだしている。
夏の日差しを浴びつづける人々の冷ややかな視線が向いても、二人の世界は揺るがないのだが。
その時、周囲の誰かが気付いた。
公園に見慣れない物が現れている。
地面から突き出た、黒く、平たく、三角の何か。
それは地面を滑るように動いていた。
勘違いや新手の遊具ではないらしいと、異変を感じた人が警戒の声を上げる。
「おい! なんだアレは!?」
その物体は、公園の茂みや遊具をすり抜け、我が物顔で動き回った。
そして最終的に、東屋の周りを巡回しはじめる。
これには流石に二人だけの世界も終わりを迎えた。
女は、男にしがみつく。
こんなのは何かの冗談だろうし、男から可愛がってもらう丁度良い口実が出来たのだから。
男は、女に頼ってもらえた幸運と、近づいてきた物体への恐怖に、引きつった笑顔を浮かべる。
流石に、二人も気付きはじめていた。
近づいてくる物体は“サメの背びれ”に似ていることに。
だがしかし、地面を泳ぐサメなど居るだろうか?
そんな異変――
この都市に、毎週のように襲い掛かる異変。
――巨人。
二人がその答えに辿り着くか着かないかの瞬間。
地面から水しぶきを立て、牙並ぶ大顎が目の前に現れ、襲い掛かった。
悲鳴が、要塞都市に響く。
=多々良 央介のお話=
今日は、日曜日。
「休日は気分転換しましょう!」
突然そう言い出した母さんに連れられて、ショッピングモール。
もちろん佐介も付いてきた。
物を買う。
家で携帯タブレットの画面で買いたい商品を選択すれば、数時間もかからずに無人ドローンでの宅配が届く。
でも、ショッピングモールはそれとはちょっと違う。
画面では表示しきれない、色んな種類の商品が一斉に並んでいる。
別に買いたくないもの、買う予定の無かったもの、そもそも知識すら無かったもの。
それらを見て回るのは楽しいし、手に取ってみれば買いたくなる。
そういうレジャー効果が、新しい買い物に繋がる。
だから昔ながらのショッピングモールにみんな集まる。
――といっても、商品の殆どは触感のあるホログラフで、実物は結局宅配がほとんどになるんだけれど。
母さんは、買い物かご片手に、食品売り場をあっちへこっちへ。
少し、嫌な予感はする。
佐介とで、目も合わせずに確認し合う。
「はじまったな」
「ああ…。母さんの息抜きだよ」
母さんが食い付いたのは、精肉コーナー。
その中でもレバーが並ぶ棚で、商品一つ一つのデータを見比べながら考え始める。
お願いだから、ただのレバニラ炒めぐらいにしてほしい。
それでも癖があって苦手だけど。
僕と佐介の緊張の時間の末に、母さんが何かを拾い上げた。
「これ、いいと思わない? 現品の、生食用のアザラシレバーだって」
――だめっぽい。
何でそんな聞いたこともない商品の、しかも実物が売っているんだろう?
僕は、せめてもの軌道修正を図って、母さんに声をかける。
「それ大丈夫なの」
「牧場産で、ちゃんと除菌除虫加工済みってあるのよ?」
「そういう意味じゃなくて大丈夫じゃないのは僕たちの口の中が」
佐介と二人で、対母さん飲料最終防衛戦を展開する。
流石に生レバー味のドリンクなんて、どんな巨人より恐ろしい物になる。
横から声が飛んできたのはその時だった。
「おーちゃーん!!」
声に続いて飛んできたのは、むーちゃんの体。
飛びついてきた体重は僕一人では支えきれなかったけれど、0.1秒もなく反応した佐介が、僕たち二人の体をまとめて受け止める。
「あら、夢ちゃん。お買い物?」
「こんにちは! おばさま!」
――ああ、懐かしいな。この感覚。
新東京島での、日常。
今はずっと遠くの街にいるのだけれど――。
「こんにちは。多々良さん」
更に、新しい声。
その声は、むーちゃんが飛びついてきた方向から、ゆったり歩いて現れた人から。
お着物を着た、真っ白い長毛の犬獣人の女の人。
――えっと?
「あら、大神さん。いつも息子達がお世話になっています」
「いえいえ。お世話に、なっているのは、家の、ハチくんの、方。この間は、息子さんに、怪我までさせて、ごめんなさい、ね」
大神さん、それとハチ…くん。
ということは、この人が大神一佐の奥さん?
そういえば、むーちゃんは今、大神一佐のお家でお世話になっているんだっけ。
むーちゃんは僕から離れて、今度は大神さんの傍でお澄ましポーズ。
「どうです? 夢ちゃんはお転婆で大変でしょう? その分、可愛らしいですけれど」
「あっ、おばさまひどい!」
「いえいえ。つい、この間まで、娘と息子達、世話の20年、でしたもの。慣れた物、ですわ」
大人の世間話。
むーちゃんも楽しそうにしている。
でも、僕と佐介に居場所は、ない。
それに、大神一佐の奥さんは、なんていうか、眠たげな感じというか、ゆっくりゆっくり喋る。
真っ白い髪の毛。いや、髪の毛なのか分からないけれど、さらさらふわふわの長い毛を、空調の風で緩くなびかせて。
これは、時間がかかりそうだ。
そう思って、佐介と目くばせして、食品売り場の先へと進む。
結局、むーちゃんも付いてきた。
目を引いたのは、鮮魚コーナーの巨大立体ビジョンに映る、サメ。
これは実映像だろうか、CGだろうか。
銀色を翻す小魚の中、色とりどりの熱帯魚の中、悠々と泳ぐ大きな姿。
立体映像に向けて指を向けると、魚がそれぞれ強調表示されて、名前や料理法も表示される。
どうやらこの映像は、映っている全ての魚が商品紹介になっているみたいだ。
うん、飽きない。時間潰しにはいい感じ。
むーちゃんと佐介と僕の三人で、映像の魚をつついて、ちょっとした水族館体験。
映像が一巡二巡、そして三巡して、大体の魚を見終わったかなというぐらいに、母さんと大神さんが追い付いてきた。
そして母さんの開口一番。
「サメ肝油もいいかしら」
「それ大丈夫なの」
不穏な食材候補がまた増えた。
レバーに肝油、肝臓を酷使するのは良くないと思う。
「ふうん、サメ…サメね。ハチくんも、今朝早く、連絡あって、サメサメ言いながら、ベッドから、飛び出ていった、けれど」
大神一佐が動いた?
じゃあ――
「――巨人、なのかな?」
「まだ連絡は…来てないな」
携帯端末を弄る佐介。
その話に被せるようにむーちゃんが喋り出す。
「今、この街の未確認情報は、全部JETTERのお仕事に回るから、担当してる大神一佐は忙しいんだって」
「ハチくん。ここの所、顔の凛々しさ、戻ってきていて、嬉しい限り、だわ。偉くなってから、少し、弛み始めていたもの。お腹にも、ぷにぷにお肉、着き始めちゃって、ね」
そう言って、大神さんが体を少しよじって、微笑む。
なんて言えばいいか、この人は、大神一佐が大好き、そういうのが伝わる感じがする。
二人には、どんな過去があるのだろう?
「現状だと、市内でサメを見た、って情報が上がってるぐらいだな。あとPSIエネルギーがそこまで出てないから、巨人隊呼び出しにはなってない」
引き戻すように佐介が、情報を確認し終わっての結論。
色々と疑問は頭に浮かぶけれど――
「――サメ? なんで、サメ? それに、この海から遠い街で?」
近くの立体ビジョンには、大きなサメがゆっくりと泳いでいた――。