第十六話「月下の悪魔嬢」1/5
=多々良 央介のお話=
「うわぁっ!!」
ハガネの両腕での防御。
でも、ダメだった。
闇夜に光る真っ赤な爪は、それを簡単に切り裂いて、ダメージを与えてくる。
《第5エリアから第13エリア、完全に沈黙! 猶も洗脳隊員の侵攻が続いています!!》
《吸血妃のコウモリを侵入させるな! 気密モードはどうか!?》
《現在、空調含め司令部への侵入経路の98%の閉鎖が完了。しかしこれではこちらも反撃に移れませんよ!》
通信の先、大人たちも追い詰められている。
アイアン・ロッドを振るって、目の前に立つ巨人に反撃を加えようとする。
立っている相手なら直撃するはずの、横薙ぎ。
これも、ダメだった。
鉄棍が打ちつけられる瞬間に、その巨人の体から多くの羽ばたきが生まれ、攻撃は手ごたえもなく空を切る。
「くそっ! 殴っても殴ってもこれか!」
巨人は殴られそうになる度、羽ばたくコウモリの大群に姿を変えて、ハガネの間合いから離れてしまう。
そしてコウモリは集まっていき、再び女性的な姿の巨人、吸血妃の姿に変わる。
「でも直撃は避けようとはしてるんだ! 効果がないわけじゃあ、ない!」
昔話に語られる、吸血鬼。
その力を100%引き出した巨人。
強大過ぎる、闇の力。
今、ハガネの足元に横たわっているのは、アゲハ。
吸血妃の神出鬼没に対応できないうちに、その噛み付きを受け、倒れてしまったアゲハ。
むーちゃんからの通信は、止まったまま。
「一体…、どうすれば…」
「考えろ! 何か…ヒントはあったはずだ!」
佐介が叫ぶ。
僕は、記憶を手繰る。
この巨人の発生元の、その少女の事を――
「――暗い深い水の奥底で蠢く魔物…、それは襲い掛かる!」
背後で激しい水音がして、足のつかない水に浮かんでいた僕は何者かに抱き着かれた。
夏の水温の中で、熱くさえ感じる体温。
誰かを察した僕は、慌ててそれを引きはがす。
「む、むーちゃん! やめ、やめてってば!!」
手足をじたばたさせて、密着している幼馴染の腕の中から何とか抜け出した。
今、僕たちがいるのは、学校のプール。
みんな水泳帽に水着姿で、当然、僕も、むーちゃんも。
「こーすると、おーちゃんがちっちゃくなったのがわかるんだもーん」
むーちゃんは、悪びれていない。
でも、断固として譲れないのは、僕が小さくなったんじゃない。
むーちゃんが、大きくなったんだ。
昔は、ちびの僕よりは大きい程度だったのに、5年生の頃には頭半分は差ができて、今はそれ以上の差がある。
僕たちぐらいの年齢だと、女の子のほうが成長が早いっていうし、多分それだと思う。
ただ、女の子は大人の女性らしい体つきになる、という話だったけれど、むーちゃんは…なんというか縦に伸びただけの気がする。
何にしても、そうやって体の違いが見えてくると、ましてやそれがよくわかるような水着姿で抱き着かれると、最近は、恥ずかしい。
更に抱き着いてこようとするむーちゃんを警戒。
泳ぎながら構えた僕の背中に、何かが衝突してきた。
「うわっ?」
「ぶくがぼが! あぶわぁ!」
振り向くと、衝突してきたのは、水泳補助用のビート板。
それを必死に掴んだまま、溺れないよう必死で顔を上げて叫んだのは、長尻尾の狭山さんだった。
「たた、たたた多々良ぁ! あたっ、あたしが泳いでる所を何で邪魔する!!」
激しく藻掻いて、何とか水の中での安定を取り戻そうとする彼女の両腕には、初心者用の浮き輪が嵌っている。
転校して来て以来、体育万能に見えていた彼女だけど、水泳は全くダメらしい。
いわゆる、カナヅチ。
「泳いでいるというか溺れかけているというか…狭山は6年間水泳やって、結局泳げなかったなあ」
そう言うのは、普段は野球帽、今は赤い水泳帽の、根須くん。
彼は、着替え室に来るときにはもう水泳帽に変わっていたけど、どうしていつも帽子なんだろう?
一方で狭山さんは、三つの補助具を付けながらも溺れそうな身動きで、それでも根須くんに抗議する。
「うるせー。人間は陸の上走れれば十分なんだよ! あぶぶぶ…」
「お前エンハンサーだろ? むしろ能力上昇してそうなもんだけどなあ?」
根須くんはそういうけれど、どうなんだろう?
エンハンサーと泳ぎって関係あるのかな?
「じゅ、獣人だからって、泳ぎが上手くなるなんて限ら…」
その時、僕たちの足元、水中を物凄い勢いで泳いでいった褐色の影。
それは一瞬水面の反射で見えない方に消え、直後に勢いよく水面から跳ね上がって、プールサイドに着地。
「いぇーい! オイラ水陸両用!」
大きな兎耳から耳栓を引き抜きながら歓声を上げたのは、ウサギネコ獣人の奈良くん。
僕は、自分では泳ぎが上手いつもりだったけれど、彼のは規格外だと思う。
「狭山、奈良を見ろ。上手いじゃないか」
「ごぼぼ! カワウソ混じりと一緒にするな! あたしは猿だ! 樹上生物だ!」
狭山さんは、抗議する勢いでますます溺れそうになる。
ちょっと気の毒になったので、僕とむーちゃんで彼女をビート板ごと引っ張って、プール岸にまで連れていった。
そのまま彼女は両手と尻尾で岸にしがみついて、ぐったり。
「ぶあー…、頼れる地面っていいなー…」
「大丈夫? 狭山さん。これ、どうぞ」
声をかけてきたのは、プールサイド用の電動でない車椅子に乗った紅利さん。
水着の彼女が差し出して来たのは、スポーツドリンクのボトル。
「さんきゅ」
狭山さんは水から逃げるように這い上がりながら、ボトルを受け取った。
「央介くんと、夢さんも」
しかし、紅利さんがボトルを差し出してはくれているけれど、車椅子の高さの分、水面からは距離があって、直接は受け取れない。
水から上がってしまおうかどうか、考えたところに。
「どうぞなのです」
「あ、ありがとう」
「ありがとねー」
紅利さんから一度ボトルを受け取って、水際に屈んで渡してくれた女の子。
少し特徴的な服装をしたクラスメイトの有角 くらりさん。
僕たちの感謝に笑顔で応えた彼女は、プールサイドの屋根付き休憩所に戻っていった。
彼女は、今まで三度ほど水泳の授業があったけれど、いずれも参加していない。
紅利さんでも、低学年用の小プールでの水泳はしているのだけれど。
それに――
「有角さんって、普段からあの格好だけど…暑くないのかな? 日光過敏症…?」
むーちゃんが言い出したように、やっぱり、気になる恰好をしている。
この夏の強い日差しの下で、一切の露出がない長袖に長裾。
念入りな事に、手には手袋、髪を出さない被り物に、顔にも薄くヴェールがかかっている。
「普段の体育には出てたと思ったけれど…」
「普段も、体育の時でも、ああいう恰好だったな、肌見せないって言うか」
僕の記憶の掘り返しを補強してくれたのは、いつの間にか傍にいた佐介。
記憶力の佐介が言うなら、間違いない。
「あー、有角は体質がアレなんだ」
話を聞きとめたのか、横から声をかけてきたのは、奈良くん。
普段はふわふわしている彼だけど、今は体毛に水泳用のオイルか何かを塗っていて、全身がつやつやてかてか。
「体質が、あれって…何か病気、とか?」
「んー、まあ、いっそ本人に聞いた方がいいぞ。ウヒヒ、ビックリするぜ?」
奈良くんは、随分と含みを持たせた言い方をするだけだった。
僕と佐介が首を傾げ、それを見たむーちゃんも続く。
そして、水泳の時間が終わって、着替えた後の休み時間。
「吸血鬼!?」
僕と、佐介と、むーちゃんの驚きの声が、教室に響いた。
はにかみながら頷いて答える有角さん。
吸血鬼。
物語では、時に恐ろしい怪物として襲ってくるもの。
それが、毎日一緒に過ごす、同じクラスの女の子に居た。