第十五話「義脳少女は羊雲の夢を見る」5/5
=多々良 央介のお話=
触れた人を病気にしてしまう、羊毛雲の群れが飛び去っていく。
その群れに襲われたアゲハは、最大まで展開したマントに覆われて立ち尽くしていた。
「むーちゃん…!?」
僕は、恐る恐る呼びかける。
もし、返事がなかったら。
自分が原因の、過去の悪夢が、目の前にちらつく。
「だ、大丈夫! むーは何ともないよ!」
むーちゃんは、無事…!
よかった、と思った一方で、思わず息まで止めていたことに気付いて、慌てて呼吸を戻す。
「でも、テフが…」
そうか、テフは、やっぱりアゲハ本体を、むーちゃんを守るように動いたんだ。
佐介も、時々僕を守って無茶をすることがある。
それと同じことを、テフも行ったんだ。
と、アゲハのマントが、軋むようにして動き出した。
そして――
「私は、私は、不安定状態に於いての新生回帰、問題問題ありません。梓弓、破魔矢。現在、処理に負荷が発生発生中」
――様子は、少しおかしいけど、テフも無事、なのかな?
さっきの佐介も、おかしな事を言い出してたけれど…。
「記憶、記憶情報中に類似情報あり。夢が拝見した、辻氏の研究文と合致。当機収録の医療情報との親和性・高。最適化を試みます」
「えっと…、なんだっけ。辻さんのやってたのは、多分サイバネ医療関連の研究だったと思うんだけど」
段々、テフの調子も戻ってきている。
それにしても――。
僕が聞こうと思って、先に口を開いたのは、佐介。
「あの雲、案外平気なのか? それともオレ達、補佐体だと大丈夫ってだけか?」
《多分…後者だな。人間の脳と、お前達、補佐体の光子頭脳では情報処理力が違う。だから急激に情報を流し込まれても深刻なダメージにはならないのかもしれない》
佐介の質問に、父さんが答えてくれた。
ちょっと難しくて分かりにくいけれど。
《それと、相手が流し込んでくる情報というのは、医療情報が主体のようだ。だからさっきの医療隊員の人も無事で済んだのだろうし、テフもそっちには強いと聞いている》
「ええと、情報が得意分野なら、平気? でも、テフってそんな能力あったの?」
《ああ、テフの光子頭脳には医療知識が収録されている。その辺は、黒野の親心というか、趣味というか…》
黒野のおじさんとおばさんは、お医者さんだもんね。
それが、こんな戦闘中に役に立つとは、思わなかったけれど。
「では…、私が主体となって防御状態を作れば、あの雲を突破することが可能のはずです」
「テフ! 無茶だよ!」
「無茶でもなんでもやる。オレら補佐体は、そのために作られたんだぜ?」
テフの提案と、それに同調したのは、佐介。
僕は、佐介に確認する。
「本当に、出来る?」
「オレはどれだけ持つかわからないから、テフがメインで、かな」
《不確定要素が大きすぎるが、それ以外に糸口無し…。央介君、夢君、最悪の場合、君達は…熱を出して寝込むことになる。それでも構わないか?》
大神一佐が、無感情な声で、リスクについて語る。
何となく感じる。
ひょっとしたら、熱を出して寝込むじゃあ済まないのかもしれない。
それでも、僕は、僕と佐介は。
そしてむーちゃんと、テフが口を揃えて応える。
「はい!」
《…良し。アゲハの防御で敵群体を迎え撃ち、ハガネが内部にいるアトラスを撃破! 全都市軍はその支援に当たれ!》
引き返せない所まで、来てしまった。
もしダメだったら、せめてむーちゃんだけは守ろう。
僕、佐介、テフが三人で守るなら、彼女ぐらいは無事のはずだ。
《現在巨人隊を防衛しているDボムに間隔を作り、羊雲王の突進経路を誘導! 全センサーはアトラスの位置を特定し続けろ!》
《歩兵隊、レーザーロケーター装備で、目視によりアトラス、及びそのケーブルを追跡中。センサーの補完を行わせています》
ゴーグルに投影されている敵の襲来予想方向は、少しずつ変わっていく。
露骨に穴を作ったら、罠だと気付かれるからだろうか。
そんな中でアゲハは再度MRBSを撃ち、相手の敵意を引く。
アトラスがいるらしい場所は、まだ遠く。
途中、Dボムの爆破をかいくぐった羊毛雲の小さい群が僕たちに襲い掛かってきた。
「アイアン・パラソル!」
ハガネに、佐介が構築した傘を持たせて、羊毛雲を受け止め、弾く。
雲の直撃を受けた佐介に異常は――
「L文明遺跡群超高度工芸品目録より。項目1.星間航行船テメン・アン、天地開発所有、海上都市ミュージアシティとして利用され…」
――異常はあるみたいだけど。
でも、鉄の傘は形状を崩すことなく、雲からハガネとアゲハを守ってくれた。
「項目2.空間形成機関知性体ベルン、天地家所有、ミュージアシティ防衛機構として…、医療情報って話じゃなかったのかよ!」
佐介は、なんとか耐えられているみたい。
そうしているうちに、アトラスが、それを包んだ雲の群れが動き始めた。
最初は遠巻きに、それから、都市軍が作ったDボムの隙間に近づいて。
《来るぞ! 巨人隊、攻撃構え!》
佐介が防御に専念している今、アイアンスピナーは僕一人で作る必要がある。
でも、僕も僕で、ハガネが雲に触れないように全力で神経を使っている。
これ、攻撃に手が回らないんじゃあ――
「おーちゃん! これ使って!」
「えっ!? あ、うん!」
突然アゲハから手渡されたのは、彼女らが普段使っている、ドリルが飛び出る拳銃。
そうか、むーちゃんはテフのマントで守られているから、形を作る余裕が残ってるんだ。
「アゲハが、雲を全部受け止める! その間におーちゃんがやって!」
「――ありがとう!」
遂に、こちらへ突進を始めた特大の雲の群れ。
ハガネの前に立ったのは、マントを前方に押し出したアゲハ。
それが雲の群れを切り裂いていく。
ハガネは、左手に構えた傘で、横から飛び込んでくる雲を弾き飛ばし、右手にはアゲハから受け取った拳銃を握りしめる。
襲い掛かる、雲、雲、雲。
一秒が一分にも感じる。
そして、それが目の前に現れた。
他の雲よりやや大きな雲。すこし様子の違う雲。
それを、ハガネの傘と、アゲハのマントで何とか押し留める。
「この雲…、この雲だけ、羊の顔がある!?」
《アトラスはその雲の真後ろ! おそらく、それが羊雲王の中心だ!!》
《このまま押し潰して差し上げますわっ!!》
更に圧力を高めた羊雲王に対し、ハガネはそれを傘で強く推した。
佐介が形作っている傘はその場に残して、反動で後ろに飛ぶ。
「潰される前にっ!」
僕は、アゲハから受け取った拳銃を両手で構える。
むーちゃんはこの拳銃を、バタフライ・キッスとかいうコードで使っていたかな。
手のひらに、むーちゃんの息遣いを感じたような気がして――
「――僕は、知識の雲を穿つ。ええと…、アイアン・キッス」
狙ったのは、羊雲王の顔。
瞬間、発生した螺旋は、その額に突き刺さった。
できれば、その後ろのアトラスにも刺さっていて欲しいけれど。
周辺の雲が、一つ一つ崩れて、光の粒子になっていく。
羊雲王も、額に開いた穴から光を噴き出してしぼみ始めた。
巨人は、撃破できたみたい。あとは――
《わ、わわわ、わたくし! 飛んでずらかりますわ!》
《アイアイ・とんずらぁ!》
幾度かの閃光と爆発音。
アトラスがまた逃げるための小細工をしたんだろう。
《アトラス、光学偽装を用いた模様。追尾…できません》
逃がしたけれど…、今回は仕方がない。
羊雲王の手数に対応するのが精いっぱいで、アトラスを確保する余力が全くない。
今は、悔しさをこらえるしか――
(し゛ぬ゛か゛と゛お゛も゛っ゛た゛ー!)
――えっ!?
って、これは…サイコ?
ああ、そういえば被害受けてるかもって、佐介と話したっけ。
(葉子ちゃんの脳内情報なんて、二度と見たくないー)
今回の巨人は、辻さんの巨人だったんだ。
…大丈夫かな。
彼女の脳神経は特殊なものだし、どんな影響が出るか…。
(あー、まー、特に変になってる感じは…、眠たがってる、かな? 脳が義脳と巨人の情報の通り道になってて、疲れたんだよ、きっと)
熱が出てるとかは、ないかな?
狭山一尉は、熱出して倒れちゃったわけだし…。
(特に…本人はそうは感じてないみたいだけどねー。狭山一尉の苦手な分野だったからじゃないか?)
苦手な分野。
…狭山一尉の得意分野って、なんだろう?
「葉子ちゃん、ね。じゃあ…お前はクラスメイトだな?」
急に、佐介が口を挟んだ。
クラスメイト、クラスメート?
クラスメイトって、葉子ちゃん…辻さん? …まさか、サイコ!?
(なぁっ!? ななな、何を証拠にクラスメイトだってよ!?)
「佐介、どういう事!?」
「ん? オレは巨人に流し込まれた情報で、葉子ちゃんならクラスメイト、って言っただけだけど?」
佐介が酷く回りくどい言い方になった。
今は、軍側に会話が聞こえてしまうから、こういう風になるんだと思うけど。
それにしても、なんでサイコがクラスメイトだって…。
「しかし、ハッタリも威力あるもんだな。 いや、オレの兄弟兵器Dボムのことだけど」
ハッタリ。
でも、実際、さっきのサイコは動揺していた。
本当に、クラスの子、なの?
(…答える義務、ないし。あークソ、佐介とかDボムに加工されて爆破されればいいのニ)
酷く、子供っぽい返し。
それに、途中から、間違いなく雰囲気を変えた。
ひょっとして、身近にいるサイコ本人と、サイコで雰囲気が同じにならないように、作ったキャラで話しかけてきていた?
これは、やっぱり、佐介の云う通りなのかも…。
「いやー、Dボムさまさまだな。Dマテリアルの兄貴分として鼻が高いぜ」
当の佐介は完全に勝ち誇って、煽りに入っている。
情報処理能力に長けた人造人間と、人の心を覗き見できる超能力者とで、やってることは子供のケンカ。
なんというか、気の抜ける話だ。
気が抜けたまま見上げた空には、カウントダウンが止まったDボムが浮かんでいた。
ドローンが飛び交って、気球のガスを抜いて回収してまわっている。
佐介は、あれを“兄弟兵器”だといった。
父さんが手掛けた物を兄弟と言えば、そうもなるのかもしれない。
だとすれば、ギガントで作られた偽物の佐介、佑介は――
##機密ファイル##
ホーン・ブレイン
成長型生体結晶義脳
頭蓋骨を基礎として、人間の脳髄膜から大脳へ浸透する増設神経で直結された半生体結晶体からなる人工の脳。
見た目は動物の角に似る。
表面部は皮膚と角質によって覆われた、羊や牛の角同様の構造となっていて、その内部の骨格として結晶脳が形成されている。
これを持つものをセミ・バイオニキス(Semi-Bionic-is)と呼ぶ。
血液成分によるイオンを利用して光子反応を起こして稼働し、増設神経で接続された脳と常に情報を共有し、互いを補うのが基本的な状態。
その性能としては人間の脳より省サイズ、処理力、記憶力で勝るが、忘却力が弱いために精神的負荷がやや大きい。ついでに重い。
施される術式としては、大きな「角」自体を外科的に縫い繋ぐものではなく、嬰児期、骨格負担を考えればできれば胎児期の段階で、頭蓋骨側面内部に「種子」とも言える有機チップを埋め込み、そこから「角」として成長と共に延長していく、という形式。
組織としては骨をベースとしているが、根元の頭蓋骨含めて強度は高くなっており、よっぽどの衝撃を加えない限り破損はしない。
万が一、「骨折」した場合は記憶障害などに襲われることになるが、生体組織としての癒着を待つことでそれも回復される。
成長こそ人体の細胞・血流との共同作業によるものだが、神経にあたる記憶・思考回路は結晶構造体から成り、肉体部とは別種の強度を持つ。
そのため、何らかの事情あって肉体や脳が死を迎えても、「角」部分が酷く破損していなければ、その機能が失われることはなく、残された角に新しい肉体を用意する、という方法での再生が可能という、ある種の不死性を持つ。
ただし、生体側の脳が失われることもあってか、人格が変貌してしまうことがあるため、同一性という意味では少々怪しい。
この装置の着用は、胎児期検査で脳機能障碍の可能性ありとなった人工子宮児の治療としては最も優れた効果を持ち、本来なら障碍を抱えて生きていくことになった人々の救いとして、大きな成果を上げている。
次善策が脳や脊髄が安定状態になるまで神経成長促進剤を外科的に直接投与し続ける、というもので、身体的負荷が大きいこともあって、ホーンブレインが選択されがち。
一方で、この結晶脳は機械接続での解析、そこからデータの移植や複製が可能。
そのために、旧体制の日本では第三次大戦を控えた頃から、軍事人員増強のために光子頭脳式人造人間『バイオニキス』の量産を行っていた。
人工子宮で促成培養された肉体に、量産された結晶脳を頭蓋内に植え付けられて“生産”され、その接続端子を額部から一本の角として露出させ、死を恐れずに戦闘行動に参加するその姿は、「鬼」以外の何物でもなかった。
彼らは、戦闘用AIを規制する国際法をすり抜ける存在である一方で、人権は認められず、軍事用の消耗品という扱いを受けていた。
20世紀末以来の少子化極まった日本において、兵員不足を補うために千万の単位で生産された彼らは役目に従い、量産された思考で国を守り、そして死んでいった。
その後、第四次大戦の終結と政権の転換に当たって、獣人などの人権剥奪者と同時に、彼らにも人権が認められることとなる。
しかしバイオニキスは、肉体部分は培養されただけで人間の物であるため、生殖能力こそ存在していたが、特性上遺伝する獣人と違って、第二世代が誕生する事はなかった。
一方で、同一技術を用いた拡張脳を持つ者たち、セミ・バイオニキスは少しずつ増加していった。
なお、セミ・バイオニキスが不幸にも「肉体死」に至った際、クローニング復元された肉体に、ホーンブレインの結晶部を頭蓋内に定植することでの再生処置を行った場合に、第二世代バイオニキスとなる。
その場合、定植処理の調整のため、外部に端子部を露出させる必要があり、往年のバイオニキス同様に角脳の一部を額の両端から露出させる必要がある
なので「鬼の二本角」を生やした、死から還ってきた人が稀にいる。
この技術の起源は、21世紀中ごろ、月面に墜落埋没状態で発見された異星人類の宇宙船からの回収技術となっている。
その船の内部には生存者の姿はなく、多くの砕かれた結晶体が散らばる中で、たった一体のみ、地球人に酷似した遺骸が残っており、その胸部中央にはエメラルドに似た結晶体がひび割れて光っていた。
残された記録解析の限りでは、同船は近縁種が生息している可能性がある地球を目指して、長い航行を続けてきたものだった。
しかし船内の派閥対立から殺人事件がおこり、不和が不和を呼んで、船体機能を損ねるまでに至り、全滅は避けられなくなった、という。
そして、この船の乗組員は、長期にわたる宇宙航行のために、強化として細胞延齢臓器、兼、補助脳用生体結晶を胸部に持つ強化種族となっていたことも判明する。
記録は最後、船内に見られた結晶体は同胞の遺骸であり、一方で殺人を犯して来た狂人らであるため、復元を試みないで欲しい、という請願で締めくくられていた。
その後、船体機能や生体結晶の解析のため、世界中から大勢の科学者が調査団に参加する中で、一人の若き天才の先導の元、それらのリバースエンジニアリングを成し遂げることとなった。
結果、生み出されたのが補助脳として特化した生体結晶脳ホーンブレインと、それを体組織として持つバイオニキスである。