第十五話「義脳少女は羊雲の夢を見る」1/5
=多々良 央介のお話=
学校の、学習時間。
クラスのみんなは、メディア端末とノートを開いて、それぞれの授業を受けている。
昔々の学校は、先生が授業の科目ごとに時間をとって教えていたのだという。
けれど、僕達は教育AIがそれぞれに合った教え方をしてくれる。
僕が、数学の関数の値が合わずに、首を傾げたところで、目の前を横切ったのは、長い尻尾。
狭山さんが、自分の課題を終えて、席から離れて出歩き始めていた。
でも、そうやって、他の人の勉強に参加するのも、学校での大事な勉強。
彼女は、そのまま、僕の画面を横から覗き込んできた。
覗き込んで、首を傾げる。
「うわぁ…多々良弟、こんな数字と記号だらけで頭痛くならないか?」
「う、うん。割と楽しいかな、って」
「…楽しい、と、きやがったか。アタシにゃわからんなー。…んで、兄の方は…お絵描きソフト起動してんじゃねーよ!?」
狭山さんから兄と認識されているらしい佐介は、課題をさっさと終えてしまっていた。
佐介の光子頭脳の方が計算速度は速いから、毎回こうなる。
そもそも、補佐体の佐介が勉強してもあんまり意味はないので、学校での偽装行動でしかないのだけど。
それに、お絵描きソフトはサイコから呼びかけがあった時の回答用。
狭山さんがそれを知る由もないけれど。
「自分の課題終わった後なんだから、人の事言えないだろ?」
「…まあ、そりゃそうなんだけど。にしても…、やっぱ多々良も使ってんのはティーチャー・ガイアか。秀才天才御用達って奴だな」
ティーチャー・ガイア、僕が使っているポピュラーな教育AIソフト。
どんな学問分野でも、次に進む楽しさと、自分が勉強する分野の何処にいるのかを教えてくれる先生。
それに、このソフトはもう一つの長所がある。
「狭山さんは、TGを使わないの? 無償配布されてるから、試してみればいいのに」
「いやアタシも一度はやってみたけどさー、なんかこう、だんだん難しい問題出してくるのが馬鹿にされてるみたいで」
「難しい方に行くのなら、むしろ頭はいい子って判断されてると思うのー。TGは学べる力の誘導アルゴリズムが基礎だからー」
横から声をかけてきたのは、羊角の辻 葉子さん。
この口ぶりだと、辻さんもTGのユーザーなのかな?
「あー、もー、アタシはアホの猿頭に向いてるはなまるひまわりさんで十分だ。かーちゃんもタダより怖いものはないって言うしな!」
はなまるひまわりさんは確か、絵柄が賑やかで、日課をこなせば十分、っていうソフトだったかな。
逆に、日課をこなさないとお叱りをうけるようなのだったかもしれないけれど。
「じゃあ辻さんも、TGで勉強してるの?」
更に話に飛び込んできたのは、むーちゃん。
むーちゃんもTGユーザーで、特に生物とか、お医者さんに繋がる科目は、僕よりずっと先を勉強していた。
辻さんが、のんびりした様子で答えだす。
「うんー、今日は神経共鳴量子補助脳が構築する仮想神経索による量子波動係数への干渉からの物理具現化現象についての論文への意見をまとめていたのー」
――うん?
えーと、なんて言ったんだろう?
言葉一つ一つの意味がギリギリ分かるけど、それがどう繋がるのかが全く分からない話だった。
「あー…。日本語で喋ってくれ」
狭山さんにはもはや何のことかも通じていないみたいだ。
その隣で、むーちゃんが辻さんの端末画面を見て、驚く。
「うわっ…!? 辻さんのってほとんどの科目が大学段階まで行ってるじゃない!?」
「葉子ちゃんは学校で一番頭いいからね」
そうはっきり言ったのは、紅利さん。
辻さんは照れた様子で、ふわふわの髪を両手でもじもじとかき混ぜていた。
「まあ、なんだ、流石はミニ鬼だな」
狭山さんが、人差し指を立てて頭に添え、角のジェスチャーをする。
でも、ミニ鬼?
「ミニオニじゃなくてー、セミオニ。セミ・バイオニキスよー」
ああ、そういう間違いか。
僕は、改めて辻さんの頭から生える、巻き角を見る。
神経強化体質のセミ・バイオニキス。
その象徴になっている、角の形をした義脳、ホーンブレイン。
やっぱり、頭が良くなるのかな?
すると、辻さんは僕の視線に気づいた様子。
変に気にさせてしまっただろうか?
「あ、そうかー。多々良くんには教えてなかったわねー。確かにー、ここの分、脳が大きいってことになるけどー。でもー…」
「葉子ちゃん、多々良くん達なら大丈夫だよ。からかったりしないから」
隣から、紅利さんの太鼓判。
それを受けて辻さんは、自身の脳である角を撫でながら、語り出す。
「そうねー。この義脳はねー、私のお母さんのお腹に、私が宿って12週目ぐらいの時にー、お母さんはインフルエンザ感染症に罹ってしまったのー」
「いんふるえんざかん…って何だ? いや病気なのはわかるけどさ」
「狭山は物知らずだなあ。in震えん座で、震えが止まらなくなる怖い病気だよ」
狭山さんが首を傾げて、ウサギネコの奈良くんが説明する。
奈良くんの説明とはちょっと違って、インフルエンザは、昔は大勢の人が感染して命を落としたウィルス感染症だ。
獣人の子たちは、そもそも感染症の類にはなりにくいから、余計に病気には疎くなっているのかもしれない。
「稀な病気だから発見が遅れてしまってー、お母さんは一度危篤までいって、お腹の私も駄目かもしれないって…。でも助かったのだけれどー…」
辻さんの話は、まだセミ・バイオニキスとで話が繋がっていない。
胎児の時に、病気?
流石に気になったので、相槌を返す。
「助かって、どうなったの?」
「…お母さんが感染症から回復して、胎児検査をしたらねー、私は命は助かったのだけれど、胎盤の炎症から脳が低酸素に陥って機能不全を起こしているって診断がでたのー」
「脳が機能不全…あっ、そうか。それで外付けの角脳を付けたんだな」
狭山さんがデリカシーのないような話し方をする。
向こうで軽子坂さんが睨んでいて、また犬猿の争いの予兆。
でも、とても重大なお話だ。
そのお話からすれば、辻さんは脳障碍を背負ってしまったことになる。
しかし現状の彼女は、脳障碍どころか、天才児もいいところ。
「簡単に言えばそうねー。お母さんのお腹から人工子宮に移してもらってから、ホーンブレインの成長基盤…種みたいなものを植えてもらったのー」
辻さんは、角の根本に指を当ててから、角の巻きに合わせて指をくるりと回す。
ホーンブレインは、機械だけれど、生き物同様に成長する器官。
その事をイメージしての行動かな。
「それで、育ったのがこの成長型結晶光子義脳ー。ホーンブレインねー。これが大脳の機能を補って、また大脳に刺激を送ることで、機能を回復させていったのー」
「回復どころか、どう考えても頭良くなってるじゃん! …オイラもその角付けようかな」
「ただでさえウサギだかネコだかわかんない上に、さらに角まで生やすのか、おめーは」
狭山さんと奈良くんのいつものやり取りに、辻さんが笑みを漏らす。
そこで、狭山さんは更に疑問を持ち出す。
「しかし…、羊っぽい角なのに、子牛なんだな? なんで牛なんだ?」
「えっとー、こうしって言っても、もーもーさんじゃなくて、光の子供って書くのよー? 子牛の脳とか使ってたら検疫とかひっかかっちゃうー」
漢字の間違い。
まあ、あるとは思うけれども――
「狭山…流石にその間違えはどーかと思うぞ?」
「う、うるさいこのばか」
二人のどつき漫才が続く。
そんな中で、僕の背中がつつかれた。
驚いてそっちを見ると、紅利さんが口元に手を添えての小声で。
「今の話だけど、光子脳って、佐介くんもそうじゃなかった?」
それに答えるのは、小声の佐介。
「ああ、近い技術だな。自然に成長した辻さんのと違って、機械的に作られてるんだけど」
そして小声のむーちゃん。
「テフもね!」
その辺りも含めて、凄い技術だと思う。
技術を作るのが脳で、その脳自体を技術が作り上げてしまったのだから。
そして、それを成し遂げたのが――
「やっぱり、エルダース博士って偉大ねー。これがなかったら、こんな風にみんなと話したり笑ったりできなかったかもだからー」
辻さんも、そのことを知っていた。
そう、この義脳技術は、エルダース博士によるものだ。
「…凄いよね。確か、宇宙人の遺した機械を全部解析して、そこからこのホーンブレインを作り上げたって…」
僕は、自分でもわからないぐらいに感動していたのか、辻さんの話を続けた。
辻さんも、笑顔で返してきた。
そして、手元の端末をこちらに向けて、教育AI、ティーチャーガイアの映る画面を見せる。
「ホーンブレインもそうだしー、このティーチャーガイアも、エルダース博士が建てたガイア財団が、科学の発展を祈って世界に無料配布してるものだものねー」
「そう! それ! それが一番凄くて、素敵な事だなって、ずっと思ってたんだ!」
辻さんの繋いだ話は、僕が前から思っていたのと同じものだったので、嬉しくなってしまった。
つい声が大きくなって、それに気づいて、慌てたままの笑顔で、ごまかす。
「あ、あはは…」
僕の、普段見せない行動に、こっちのクラスの子たちはみんなびっくりしていた。
にやにやした顔で見ているのは、佐介と、むーちゃん。
そのう…、いいでしょ。
それでもエルダース博士が関わった数々の技術が、今の世界を生みだしたといっても過言じゃないのだから。
世界の科学と教育を育てるガイア財団、世界を生みだした女神様の名前を冠して、何も引けを取らないと思う。
ガイアは、最初に世界を作る神々を産んで、そのあと――。
――そのあとに産んだのは、戦争のための巨人、ギガント。
僕は、自分の考えが、嫌な方に脱線してしまったことに気付く。
人を救う科学技術のガイア財団。
人を苦しめる悪の組織ギガント。
それが親子の名前だなんて、嫌な、組み合わせ。