第十四話「オフサイド・トラップ」1/6
=珠川 紅利のお話=
黒野 夢
電子黒板に、彼女の名前が表示されている。
黒野さんに出会ってから、一週間が経っての再会だった。
「夢は、むーって読みます! これから、よろしくおねがいします!」
夢さんが、ぺこりと頭を下げる。
隣の席の央介くんは硬い表情のまま俯き気味で、代わりに佐介くんが笑顔で夢さんに手を振っていた。
「黒野さんは、多々良くん達と同じ、新東京市からやってきました。なので、先輩である多々良くんは、彼女が慣れない事を手伝ってあげてくださいね」
何も知らないからだけど、先生がちょっと酷いことを言い出す。
央介くんと夢さんの関係は、もう少し難しいものなのに。
ホームルーム明けの準備時間、クラスのみんなは賑やかに反応を始めた。
話好きの女の子たちは、さっそく夢さんに食い付いて、色んなことを根掘り葉掘り聞いている。
夢さんも、楽しそうにあれもこれもと答えていた。
央介くんは――教室に居ない。
いつの間にか、出ていってしまったみたい。
ただ、クラスの子たちの話は、以前のように彼女が転校生、ということだけの話ではなかった。
その核心的な部分を、長尻尾の狭山さんが、はっきり言いだす。
「多々良がやってきたころから巨人とハガネが出て、新しい仲間の巨人が出たら、また転校生、かあ?」
たしかに、これだけ考える材料が揃ってしまうと、どんな残念な探偵だって辿り着いてしまうことだろう。
そして、それが真実だと、私は知っている。
――どうしよう?
「オイオイ…、じゃあ、ハガネには多々良のどっちかが乗ってることになるぞ?」
横から呆れ顔で口を挟んだのは、私からは斜め前の席の、真っ赤な野球帽のあきらくん。
私とは幼稚園時代からの幼馴染。
彼がいつでも帽子をかぶるようになった理由を、私は少しだけ知っている。
「それは…ねーな! だってハガネが戦ってる時に、多々良兄弟どっちも居るし」
「だろ? それに多々良兄弟で二人なんだから、ハガネは二つ出てこなきゃおかしい」
「なるほど」
あきらくんが見事な迷探偵ぶりを発揮して、狭山さんと二人で真相から遠ざかっていった。
ふぅ。
とはいえ、一つ気になることもある。
央介くんと佐介くんはいつでも一緒で揃って居るのに、夢さんのパートナーロボット、テフさんは転校してこなかったのだ。
その辺は、どうなっているんだろう?
「でも、全く関係ないってことはないんじゃないかなー? 多々良たちがハガネに乗ってなくても、その家族が、とかさ?」
うっ。
一度遠ざかった話を、また真実の方に近寄せだしたのは、ウサギネコ獣人の奈良くん。
でも、家族なら、正解じゃないから、大丈夫かな?
「多々良兄弟の父さん母さんとか、兄さんとか? 紅利は最近、多々良兄弟と一緒にいるけど、なんか知らない?」
あきらくんが、よりによってこっちに投げてきた。
ど、どうやってごまかそう!?
えーと、変に嘘は言わないように、知ってることを話して――
「う、うーんと、央介くんのお父さんは科学者で、引っ越してきたのはそのお仕事で、って教えてもらった。お兄さんは…いなかったと思う」
私の答えを聞いたあきらくんが、何か満足げに頷いたように見えた。
その上で、狭山さんに見解を話しだす。
「科学者か。だったら巨人の調査で呼ばれたかもしれないわけだ」
「でも、ハガネとか巨人とかを作ってる可能性はあるわけだろ?」
ああ、ごまかしきれない! 狭山さんが近づいていっちゃう!
どうしよう、これ、私が悪いのかな!?
確か、この秘密を話したってなると、パパやママと一緒に暮らせなくなるって――
「でも巨人を作ってるか?っていうなら、奈良だって怪しいわけだしなあ。一度出ただろ、巨大ウサギネコが」
「お、オイラは何もしてないぞ! かーちゃんとかにーちゃんねーちゃんたちは…、わかんないけど、絶対違う! 多分!」
ナイス! あきらくん!
関係あるけど、全く関係ない方に話が行った!
「ホントかー? アタシの目を見て言ってみろー」
「見てる! 見てるってば! だから持ち上げるのはやめ…、ぎゃー!!」
そこから先は、奈良くんが狭山さんにぬいぐるみ扱いされるいつもの流れだった。
狭山さんは、単に彼のフカフカの毛並みを楽しみたいだけかもしれないけれど。
授業が始まる頃には央介くんと佐介くんは教室に戻ってきた。
それでも、夢さんとは距離を保ったまま。
夢さんの席は、央介くんと佐介くんの席から、私を挟んだ反対側になった。
だから、授業中に央介くんを気にする夢さんは、私越しに彼らを窺う感じになる。
時々は私にも視線が向いてくるけれど、それ以上に通り抜けていく視線の方が多い。
央介くんの、過去の、女の子。
いやいや、そういうのはママ向けドラマの話であって、夢さんに失礼な話かもしれない。
――あれ? でもそうなると、今の、女の子、は…。
いや、いやいや、私は、その、助けてもらってるだけ、だもの。
「あなたは誰と恋するの♪ 歌が導く三角形~♪」
このタイミングで、翠子ちゃんが心臓に悪い歌を唄っていて、全身がぞわぞわしだす。
そうじゃないってば。
央介くんは、身長こそ低いけれど格好良いヒーローで、みんなを助けるために戦っている、優しい男の子。
だから、私も優しくしてもらっている。
それだけ。
――でも、優しい男の子だからこそ、以前に傷つけた人の事が、より苦しく感じるのかもしれない。
ひょっとしたら、ハガネとして戦うときに、また夢さんを傷つけてしまうかもしれない、とも。
結局、夢さんの視線と、夢さんから距離をとっている央介くんの事が気になって、授業の読本の内容も、給食の味も何も頭に入らない。
つらい。
午後の予定は、と――体育、グラウンドでサッカー。
うーん、私には、あんまり関係ないけれど、少なくとも夢さんからの板挟みは解消される、はず。
ほっと一息。
でも、お昼休みになると、またしても央介くん達はどこかに雲隠れしてしまった。
「うーん…おーちゃん一体どこに行っちゃうんだろう? この学校、どこがどうなってるか…」
「給食食べ終わったらベランダに出ていってー、どこ行ったんだろうねー? 多々良くんって結構すばしっこいからー」
「ベランダからだと別の教室か、屋上は…非常階段でも鍵掛かってるはず。わたしが飛んで行って見てこようか?」
女の子たちは、あっという間に夢さんと打ち解けて、彼女の味方をしはじめている。
それぐらいに彼女は社交的だった。
しかし、こうなると流石に、央介くんの気持ちがあっても、置き去りの夢さんが気の毒になってくる。
私は、教室のベランダに出て辺りを見渡しはじめた夢さんに近づいて、声をかけてみる。
「えっと…黒野、さん。央介くん、見つかりそう?」
「夢でいいよー、紅利っち。で、おーちゃんは…駄目っぽい!」
紅利っち。
いきなり、距離を詰められた。
この子、央介くんとは逆で、人懐っこさがすごい。
あだ名で呼ばれるのなんて、どれぐらいぶりだったかな?
私は、周りを窺って、夢さん以外に聞く人が居ないのを確認してから、小声で話しなおす。
「ええと、夢さんの、サポートの子は、来ないんだね」
「あー、うん。蝶は、ほとんど有機素材で出来てるさーちゃんと違って機械の塊だし、何より双子が連続ってなると怪しまれるから、って」
なるほど、確かに。
向こうの島では双子製造実験でもしているのか、ということになってしまいそうだ。
「じゃあ…お家に?」
「ううん、近くの基地で、何かあるまで待機してる」
それはそれで、少し寂しい、かな? 彼女とも、話せればいいのに。
夢さんは更に話し続ける。
「こっちに来ることになったのはむーだけだから、むーのお家ってわけじゃないしね」
「えっ? この間は、その、パパさん?と一緒だったのに」
「とーさまは、まだ島に沢山お仕事があるから、あれっきりなの。お医者だから、かーさまと一緒に、巨人の影響受けた子供達、助けないとだから」
そこまで話すと、今まで笑顔だった夢さんの表情に、暗いものが混じる。
やっぱり、そういう所は央介くんと同じで、巨人で起こってしまった事件を悲しんでいるのだと思う。
何か、これ以上の辛い話をさせたくないし、話を変えよう。
気になった事と言えば――
「じゃあ、えっと、こっちでは何処に住むことになったの? …央介くんの家、じゃないよね。まさか、基地の中とか?」
「ううん、大神ハチ一佐っていう、都市軍の司令官さんのお家に泊めてもらうことになったの。子供さん多かったからお部屋があるって」
司令官の大神さん。
大神さんなら、割と通信などで顔を見ることがある。
最初の印象は怖くて、今では優しいおじさんだとわかったけれど。
「ああ、あの犬の、偉い人」
「そうそう。ワンちゃんの大神一佐。お邪魔したらね、奥さんも、娘さんも、娘さんの赤ちゃんもみんなワンちゃんの一家だったの」
打って変わって笑顔になった夢さんは、両手を頭の上に立てて、犬耳のジェスチャー。
大神さんまでは知っていても、家族構成までは、知らなかった。
そうなんだ、お孫さんまで居たんだ。
「赤ちゃんがね、志狼くんっていうんだけど可愛いんだよ。今度、うちに遊びに来ない?」
えーと、それは遊びに行っていいのかな?
大神さんがホストファミリーとしても、軍のお仕事の内のような気がするんだけれども。
そもそもさっき、自分の家じゃないって言ってたような…?
「ところでー…、今度はこっちから紅利っちに聞きたいことがあるの」
「え? 私に?」
急に、夢さんが話を切り返して来た。
ええと、聞かれることと言っても、私は何かに詳しいことがあるわけでもないけれど。
「報告書を見た感じだと、紅利っちは、おーちゃんがこっちに来た時に出会って、事件があって助けられた、だよね?」
「う、うん。それから、何度か巨人が出て、助けてもらっている、かな」
「紅利っちのアドバイスで、おーちゃんが助かったこともあったし、ありがとうね!」
夢さんの笑顔が、こっちに向けられた。
なにか、その、これまで央介くんの傍にいたことが、申し訳ないような、恥ずかしいような気持ち。
「ど、どういたしまして。その、央介くんに助けてもらったから、お返しもしたくて」
夢さんは私の応対に笑顔で頷いた後、少し考え込むような仕草。
それからまた話し始める。
「それでなんだけどさ、時々添付されてる映像とか音声の記録聞いてると、おーちゃん、“ ボク ”って言ってない?」
――“ ボク ”?
夢さんが、不思議な質問を私に向けてきた。