第十三話「アゲハの夢」1/6
=どこかだれかのお話=
真夜中、軽子坂 真梨は起き出して、用を済ませて手を洗っていた。
それというのも先日、クラスメイトが年齢のわりに痛ましい事になったという噂を聞いていたからだ。
彼女はそういう噂を聞いて楽しむタイプではなかったが、他山の石にしなければならない、と考えての行動だった。
ふと、階下に明かりと、人の動く気配を感じた。
時間で言えば午前二時三時の頃。
彼女には似たような状況に、少し嫌な思い出があった。
もっと幼い頃、夜中に帰ってきた刑事の父親の顔からは、おびただしい血が流れていた。
慌て宥める父親の血染めの姿、それまで怖くて泣き叫んでいた自分の姿を、階段の下に見る。
思い出した恐怖に、真梨は体を震わせる。
しかし、確認のため、勇気持って階段を降り、気配のある居間の戸を開けた。
そこに居たのは――
「――ああ、真梨。起こしてしまったか? 悪いな」
「ううん、起きてきて下が明るかったから、気になって」
真梨の父親が、慌しく道具一式を鞄に詰め込んでいた。
怪我をして帰ってきた頃と違い、今の父は少し上の立場になっていて、こんな夜中に動くことはあまり無いはず。
そう考えて、真梨は尋ねる。
「こんな夜中に、お仕事?」
「ここのところ街を騒がせている巨人事件があるだろう? その関連容疑者達が脱走した、という話でね。非常招集だよ」
悪い人たちが、脱走。
真梨にとって、巨人の事件は、毎週のように、時には身近にも起こっていたので、慣れてきてしまっていた。
それでも、それに犯人が居たことをやっと知る。
「あぶなくない?」
「犯人側の現場に出るのは警察よりも都市軍側になるだろうから、それほど危なくはない。収監施設の壁に大穴あけるようなのは、刑事の仕事の範疇じゃあない」
そう言うと、真梨の父親は、娘を抱きしめて、彼女の額にキスをする。
子供の頃はこれも嬉しく思っていた真梨だが、最近は少し恥ずかしさを感じるようになってきていた。
「さあ、安心できたら、ベッドに戻りなさい」
「はい、お父さん」
真梨は、言われたことを信じて、父親を抱き返し、父親が出かけていくのを見送ってから、階段を上り始めた。
それでも、彼女はまだ怖かった。
父親が、酷く流血した姿で、それも命まで落としたようになって帰ってくる――そんな悪夢を見ることがあったからだ。
しかし、最近その悪夢は見ていない気もしていた。
それがいつからなのかは、わからなかったが。
真梨の家から離れること十数km――
要塞都市を見下ろす山の尾根に、三人分の影があった。
一人の背の高い影と、一人の小柄な影。
更にもう一人、長い髪のある影。
その髪は月光を受け、金色の波を浮かべる。
“少女”は言い放った。
「さあ! ハガネ相手にお実証ですわ!」
=多々良 央介のお話=
今日は、調理実習の日だ。
クラスのみんなで簡単な焼き菓子を作る、それだけだけどわくわくしてしまう。
同じような気持ちをした大勢のエプロン姿で、調理室はとても賑やかになっていた。
「ふっふっふっふっふ…。ボクの食意地濃刀が唸りをあげる!クリーム混ぜろと天に吼える!」
一人、明らかに過剰なテンションの声。
くいーじなんとかと命名されたフードミキサーを構え、縦にも横にも大きな体をした彼は、甘粕 大。
料理を食べるのも、そして作るのも大好きなのだという。
「甘利くんは、お料理関係だといつもああなるの…。実際、お料理を任せると美味しいんだけどね」
「どこのクラスにも…、給食処理係って居るもんだよな」
佐介が言っていたのは、新東京第一小学校に通ってきた時のクラスメイトの事。
大柄で、人懐っこい、シャチ獣人の男の子だった。
生クリームをかき混ぜながら、記憶を手繰る。
そのクラスメイトの事を語っていた佐介だけど、第一小に登校したことは無い。
要するに、それは僕の記憶。
彼は、今、元気にしているのだろうか。
新東京島は今、どうなったのだろうか。
――僕は、新東京島で、二十二体の巨人と戦った。
一体目、二体目までは何も気にせずに戦った。
子供みたいに、ヒーローになったつもりで戦っていた。
三体目と四体目は二体一緒に現れた。
その二体は、幼馴染たちの巨人。
大切な幼馴染の二人を倒した時、僕は取り返しのつかないことをしている事に気が付いた。
もう戦いたくはなかったけれど、次に襲ってきた五体目は巨人にしては珍しく、町を破壊するタイプだった。
それを食い止めるために戦ってからは、何も考えたくないままで戦い続けた。
まだアイアンスピナーはない、佐介も居ない。
Dドライブも、Dマテリアルそのままで、血みたいな真っ赤な色をしていた。
巨人のダメージが、僕にも相手にも生じる状態で、僕がクラスメイトに、同じ年頃の子供達に、手を下した。
何度も、何人も、倒して、潰して、苦しめて。
巨人を倒された子供は、みんな倒れたまま、学校に登校しなくなって。
僕だけがのうのうと学校に行くのが苦しくなって、それでも次の巨人が襲ってきて――
「央介くん! クリームそんなに混ぜなくていいよ!」
――紅利さんの声で我に返ると、手元にはボウルの中で、オーバーにモコモコになったホイップクリーム。
ああ、今は、調理実習の最中だったっけ。
「悪い…、止めるべきだった…」
果物を切る準備をしていた佐介が、クリームの事か、過去の記憶の事かについて、詫びる。
最近はこういう辛い気持ちに戻らなくなっていたのに、どうしたんだろう、僕は。
「あ、あはは。どこまで混ぜればいいのかな、って…」
紅利さんにはちょっと強引な感じのある言い訳で、ごまかす。
紅利さんが心配そうに見つめてくる。
あんまり心配させたくないから、彼女には過去の事情は教えていないのだけれど、暗い気持ちが顔色にも出てしまっていたのだろうか。
(それなんだがナ)
急に、サイコのテレパシーが割り込んできた。
ため息一つ、気持ちと頭を切り替えて、口に出さずに尋ねる。
それ、とは?
(この間、アカリーナと佑介が一緒に行動してた時、ある程度央介の過去のことをしゃべっちまってル。彼女、少し察してるゾ)
「がっ! あのクソ野郎!」
佐介が言葉を荒げ、まな板まで切る勢いで、リンゴを真っ二つ。
――周りからすれば、かなり不穏な行動に見えただろうけど。
紅利さんに過去の事を知られたという僕の動揺も、佐介のその行動に吸い取られてしまって、深刻に感じる間もなくなった。
(落ち着ケ、佐介。それでも機械カ? 感情的過ぎるゾ?)
佐介からの返答は、ため息一つ、そのまま黙ってリンゴのみじん切り。
それ、これからクレープの具にするからね…。
(うーン…、PSI出力するようになったせいか、やっぱり佐介はこの間の戦いから少し変質してるんじゃないカ?)
これは、クロガネとの戦いの最中、佐介自身がPSIエネルギーを発生させていたって話かな?
父さんも、佐介に使ってる生の部品から出てるってこと以外は、よくわからないって言っていたけれど。
(そうダ。アレから佐介からは何というカ…、獰猛なPSIエネルギーが出るようになったナ)
ど、獰猛!?
確かに佐介は、時々物騒な行動をするけれど、獰猛とまでは…。
(獰猛と言ってもアレダ。ドーブツがギャンギャン吠えてるみたいなもんダ。犬とか猿とカ…原始的とでもいうカ?)
原始的、原始的なPSI。
うーん、わかったような、わからないような…。
僕が首を傾げていると、隣の佐介は――
「ガルルルル…」
(おーこワ、噛みつかれそウ)
――やっぱり獰猛かもしれない。
悪い方にはいかないで欲しいのだけど。
あと、佑介が言っていたことでは、彼に関わったらしい人物の名前として、エルダースという名前を挙げていた。
サイコは何か、知らない?
(ワタシは大抵の人間の脳内を覗くことができるけド、機械、補佐体のは覗けないからナ。それが真贋かの判断はできなイ。それに――)
そういえば佐介も読めないって言ってたっけ。
で、それに?
「おい! サボるな!」
「うわっ!?」
な、何!?
叫び声に慌てて周りを見渡す。
今度は、僕のクリームの混ぜ過ぎではないはずだけれど。
「アタシらの班だと毛むくじゃらは料理では動けないんだぞ! 働けよ、あきら!」
「い、今オーブンの焼き上がり待ちしてんだよ! いきなり大声上げんな狭山!」
「オイラだって皿洗いしてるのに…」
ああ、びっくりした。
隣の班の、長尻尾の狭山さんが怒鳴り声。
サイコのテレパシーを受け取ることに集中していたものだから、余計にびっくりした。
狭山さんに怒鳴られたのは、いつも真っ赤な野球帽の男の子、根須あきらくん。
教室では、僕の前の席に座っている。
彼が室内でも帽子をとらないのは、何か事情があるらしいけれど。
(え、ええと、何だっタ? あー、そうダ。佑介の話の確認をとろうにモ、軍関係者でギガントにエルダースという名前の人物が居るか把握してる人間がいなイ)
「便利な能力だと思ったのに、全然役に立たないな…」
こっちのびっくりが伝わったのか、少しうろたえていたサイコに、佐介が小声で毒を吐いた。
それはともかく、エルダースっていうと、世紀を超えた天才科学者エルダース・クリスタルを思い出してしまうけれど…。
(まア…偽名だと思うけどネ。犯罪結社の人間が本名そのままで露出するリスク、考えないはずもないシ…)
「偽名なら次は何だ、アインシュタインが出てくるのか? ノーベルか? ニュートンか?」
(そういう話になるよネ)
佐介の言葉から、ギガントの悪くて偉い奴らが、みんな教科書に載っているような偉人の顔をしているのを想像してしまった。
そんな冗談が通じる連中なら、人をこんなに苦しませはしないだろうけれど。
(あとハ…、ワタシの知り合いがどうか、だナ。ESP同士のネットワークがあるんだガ、そっちで探ってみル)
いつも、ありがとう…。
(なあに、未来への先行投資サ。Dマテリアルが正しく使われる時代のための――)
「あーきーらぁー! オーブンいい加減焦げるんじゃないのか!?」
「えっ!? あ、ああ。ええと、少し焦げ目ついたぐらいのがおいしいだろっ!?」
隣の班は、随分ドタバタしているようだった。
開かれたオーブンから出てきたクッキーは、香ばしいから少し踏み込んだ匂いが漂ってくる。
しかし――
「これはこれでいいんじゃないかあ? まだギリギリ焦げ目程度だし、その分表面に粉砂糖で甘味を加えればちょい苦がアクセントになる範囲さあ」
鷹揚に喋りながら近寄ってきたのは、甘粕くん。
でも、ふたたびのしかし――
「甘粕サンは単に甘くすれば何でもいい、という考えではないの?」
横から、厳しい言葉が飛んできた。
その言葉を放った主は、辛 麗娥さん。
細い釣り目に、細身で長身の女の子で、今日は麺棒を携えていた。
「二人とも料理好きなんだけどね…。方針が違うから、こういう感じでぶつかるの」
紅利さんが小声で教えてくれる。
料理の、方針?
「ああ、甘くするのは大事だとも。甘味は人間にとって幸せだと科学的にも証明されているんだぞ?」
「だからって強い味である甘味ばかりで口のなかが一杯では、他の味がどこかに行ってしまうわ。そこに必要なのは瞬間的な刺激よ」
「刺激刺激、キミの大好きな味は、正確には味じゃなくて、麻痺や痛覚だって聞いたけどなあ!」
――なるほど、これは方針が違う。
僕と佐介が神妙な顔のまま、二人を見守っていると、話が更に進む。
「やはり、こうなってしまうのかい…」
「ええ、そうね。決着を付けましょう!」
決着?
どういうこと?
「審査員は! そこで僕らを見ていた多々良くん兄弟!」
えっ?
甘粕くん、いきなりこっちを指さされても。
「いいわよ! 私たちの作ったお菓子を食べてもらい、勝者を決めてもらいましょう!」
ええーっ!!
辛さんも、賛同しちゃうの!?
「…なんだこりゃ」
「央介くん、辛ちゃんの料理には、気を付けてね…」
佐介がぼやき、紅利さんが何か警告を訴えていた。
料理対決が、始まってしまう。