第十一話「空間湾曲!分かたれた二人」2/5
=珠川 紅利のお話=
「紅利さん、怪我はなかった? …さっきは、急に突き飛ばしてゴメン」
私を助けて、真っ暗な裂け目に落ちていった佐介くんが、そこにいた。
心細かった私は、彼に飛びつきたかったけれど、それは車椅子の私にはできない事。
「佐介くん! 無事でよかった…!」
「まあ、あれぐらいじゃ壊れないさ。…残念だけど」
「えっ…、ざ、残念?」
少し困惑した私に、佐介くんが続ける
「…いや、別の話。んで、落っこちた先は、案外近くだったわけだ」
とにかく佐介くんが居てくれて、ホッとした半面で、
「どうせなら、私より央介くんの近くだったら良かったのにね。ハガネで、そこの巨人倒せちゃうのに」
「それはそれで、紅利さんが無事かどうかで央介の気が気じゃないと思うけどな。実際、今も紅利さんを心配してるよ」
佐介くんの言葉に、苦笑を返す。
苦笑でも、笑顔を作れる余裕ができた。
佐介くんと一緒に、職員室の窓辺に近づく。
そこから、この状況を作り出したらしい中庭の巨人を見上げる。
脚の傍にまっすぐな棒が立っていたので、杖を突いているのかと思ったら、身長と同じぐらいの大きなハンマーを携えているようだ。
「ありゃあ、昔の大工さんの木槌、かな? 解体工とか配管工かもしんないけど」
「じゃあ…大工さんの家の子、加賀くんの巨人?」
「さっきの光本とのやり取りで、気持ちが高ぶってたのかもな。んで、巨人がすぐに実体化した」
大工さんの巨人。
それで、この学校が組み立てなおされてしまった?
「にしても強烈な能力だな。こんなのが出てくるって知っていれば、もっとうまく立ち回ったのにさ」
そう言って、佐介くんは廊下を見回す。
央介くんと合流さえできれば、後はハガネのお仕事になるもんね。
あっ、そうだ。
携帯で央介くんと連絡とれば、少しは事態が良い方に向くかもしれない。
私は携帯を取り出して、ロックを解除する。
でも――
「――ダメ…。携帯は圏外になってる。何とか、央介くんに連絡はとれない?」
「んーと…央介の考えとかは全部、オレ自身が受信できてる。…できてるもんだから、携帯は持ってたり持ってなかったりで…」
えー、ええー…。
私の露骨な呆れ顔を見た佐介くんは、必死の言い分けを始めた。
「いやその、普通の機械って巨人の戦いに巻き込むと壊れやすいんだよ。それにいつも央介の傍からは離れないから…、離れない、から…」
そして急に落ち込み出した。
本当にこの子はロボット、機械なのだろうか?
「…とりあえず、央介は一人で、どこかの廊下を警戒しながら移動してる。時々部屋札や窓外見てるのは、こっちに情報送ってくれてるんだろうな」
「この学校、そこまで大きくないから、そこの窓から声を上げれば見つかるんじゃないかしら?」
私としてはいい考えと思ったけれど――
「巨人が、こっちを狙ってくるかもよ」
「ああ、うん…」
私、本当に何の役にもたてない…。
しょんぼりしていた所に、佐介くんが声をかけてくれた。
「それと…ダメだな。央介は何度か窓を開けて突っ切ろうとしたけど、窓の先に見えない壁があるみたいだ」
「見えない、壁?」
「巨人って、見えてる部分だけが体じゃないからね。この学校モザイクだって巨人の体みたいなものさ」
巨人の体の、中。
以前に、翠子リコちゃんの巨人が幻の世界や海をつくった時と、おんなじ?
あの時は、いきなりシェルターに水が流れ込んできてびっくりしたけれど、溺れない海の中というのは、結構素敵な体験だったかもしれない。
私がそんなことを考えていると、佐介くんが頭を掻きながら、提案を切り出す。
「とりあえず、紅利さんをシェルターに行けるエレベータ前まで連れていくよ。…この状態でエレベータ動くかわかんないけども――」
その途端だった。
何か弾けるような音がして、それから間もなく私たちの横で職員室の半分が切り離された。
さっきと全く同じで、切り取られた職員室は真っ暗闇の向こうに消えて、代わりに繋がれたのは、理科室。
不思議な事に、切り取られて半分になった職員机は空気椅子でもするかのように倒れることもなかった。
理科室に展示されていた水槽は、切り取られた断面で水が止まっていて、金魚が平然と泳いで、水の断面から飛び出て、床に落ちる。
一体何がどうなって…。
「――それより何か対策しないとマズいかな。オレたちまで真っ二つにされそうだ」
「うん…」
佐介くんは飛び出て床に落ちてしまった金魚を拾い上げ、傍にあった掃除用のバケツに水を入れて、そこに逃がしてあげていた。
――やさしい。
彼はそのまま私の車椅子を押してくれて、私たちは恐る恐る廊下に出た。
私は、少し気になったことを口にする。
「…あのね、一つ気付いたんだけど、部屋の切り取りが起こる前に、ぱん!って音がしてない?」
「ああ、確かになんか音がしてたけど」
「私、物が切られて壊れた音だと思ってたけど、今の職員室の物って、壊れた感じがしなかったの」
出た廊下は、入ってきたときとは別の廊下になっていた。
どこのかわからない窓辺と、音楽室前の廊下で半々、だと思う。
佐介くんはそれに驚くこともなく、私の話に答えてくれた。
「確かに切り取られた向こうと繋がったままみたいな感じだったな。でも…それが前触れだとして、スイカみたいに分割されるタイミングがわかってもなあ」
「ご、ごめんなさい。やっぱり、意味がなかったかも…」
「いや、巨人のすることって、元になった子にとって重要な事だったりするから、それにも必ず意味があるはずさ」
話しながら、私たちは廊下を進む。
時々、佐介くんが屈みこんで、繋ぎ目を触る。
「にしても…、綺麗に繋いでるもんだ。段差がない」
「加賀くんの大工さんのこだわりかも」
「大工つっても、作業ロボットの手伝い任せのユニット組み立てがほとんどだろう?」
確かに今時、人が直接するお仕事というのはほとんどなくって、だいたいはAIのロボットに任せればいい。
それでも――
「加賀くんのお家はそういうのもするけど、神社さんとかお寺さんも作るから、全部は任せられないんだって」
「ああ、宮大工ってやつか? なるほど、人間にしかできないこと、か…」
人間とAIのお仕事。
央介くんの心を受信するロボットみたいなものだという佐介くんは…どっちなんだろう?
そんなことを考えながら、廊下を進んでいた。
見慣れない状態にされた、見慣れた教室近くの角を曲がった時、何か変な感じがした。
「…あれ?」
「どうかした?」
「今、変にごとんって車椅子揺らした?」
佐介くんが意地悪するとも思えないけれど。
床を見回す。
「いや、そんなつもりはないけど…。そうか、紅利さんの場合、車輪から地面の感覚が伝わるのか、ごめん」
「結構その…お尻に響いたから、びっくりしちゃって…何か落ちてるわけでも、ないかな」
たしか、この辺にそんな大きなデコボコは無かったと思う。
毎日何度も通る廊下なのだから、だいたいの感覚は覚えている。
「…あん?」
急に佐介くんが、妙な声を上げた。
「どうかしたの?」
丁度さっきの会話と逆になる。
佐介くんは、床に伏せて、何かを見ていた。
更にはいはいするように床を撫でながら、少し先まで行ってしまった。
「こいつは…、紅利さん、ちょっと手伝ってくれる?」
「て、手伝うって、なに!?」
「見えるかな? この地面のほっそい線」
地面の、細い線?
佐介くんが指を指す辺り、目を凝らして床を凝視すると、やっとなんとか黒い線があることに気付く。
「これ、巨人だよ。…そうか、紅利さんは車椅子の車輪まで意識がいってるから気づけたんだ」
「どういう、こと?」
「巨人の体の一部。この線、学校の継ぎ接ぎと関係なく一直線に繋がってるから、多分…」
ぜんぜん話が見えない。
「えーと…、そうだな。紅利さん、これを持って」
佐介くんは懐から何かを取り出しながら、私に近づいてきた。
その手元にあったのは、真っ赤な結晶のペンダント。
央介くんが持っていた、ハガネを呼び出すペンダントの色違い。
私は、それを受け取った。
「これ…毒のガラス? Dマテリアル、だっけ?」
「こいつは…特別製だけどね。これを持って…その線を叩いてみてくれるかな? ちょっとごめんね」
そう言いながら、佐介くんは私の体に手を回してきて、そのまま抱え上げられた。
変な声が口から洩れる。
初めて出会った時の央介くんにも、同じように抱っこされたっけ。
そのまま佐介くんは、私を巨人の線の傍にやさしく降ろしてくれて、それから――
「この線を、紅利さんが叩けば、壊れる。このDドライブを持っていれば、最小限だけど巨人を作れるからね」
と言った。
そういえば、子供から巨人が生まれるって、何処かで聞いたっけ。
「そ、それで壊すと、どうなるの?」
「あの巨人がどういう意図をもってるかはわからないけど、この線がいろんなものを繋ぐ役割をしてると思う」
「じゃあ、繋がりが外れて…学校の継ぎ接ぎも元に戻る?」
「うん、少なくとも巨人の影響は減ると思う」
佐介くんの頷く姿を見て、私は彼が渡してくれた赤い結晶をぎゅっと握ってから、恐る恐る巨人の線に手を伸ばす。
線に触ったら、手が無くなったり、怪物になったりしないだろうか。
――でも、央介君はいつもこうやって、ハガネで戦っている?
「…わ、私、やってみる!」
口に出して、決心を固める。
佐介くんは線のそばに座った私を支えてくれて、いざというときに助けてくれるような姿勢。
少しだけ安心した私は、手を少しだけ持ち上げて、巨人の線に平手を叩きつけた。
線は、小さな音を立ててあっけなく砕け散った。
するとすぐに廊下の様子が変わり、見慣れた廊下に見慣れた廊下が繋がる。
「や、やったぁ!!」
「上手くいったね」
成功を喜ぶ私を、佐介くんがまた抱え上げて、車椅子に腰掛けさせてくれた。
更に彼はこう言う。
「紅利さんが車椅子だったから線があるって気づけたし、紅利さんが居たから線を壊せたんだよ」
向けられた佐介くんの笑顔に、心臓がどきんと大きく鳴る。
えーと、落ち着け私。
彼はロボットで、央介くんのものだ。
央介くんの物? 物として扱っていいのかな? ロボット? 人? えーと…。
そんな混乱した私を横に、佐介くんはもう次を見ていた。
「…まだまだこの学校に線は残ってるはず。さあ、次の線を探して、壊さなくちゃ」