第十一話「空間湾曲!分かたれた二人」1/5
=珠川 紅利のお話=
…一体、ここはどこ?
見慣れた学校の、見慣れない廊下。
教室前の廊下にいる私は、職員室の掲示板の前にいる。
混乱したまま、もう一度、辺りを見回して確認。
背後の窓から見える風景は、三棟ある校舎の内、6年生の教室のあるC棟3階。
それなのに、目の前にあるのは、B棟1階の、いろんな展示物が貼られた職員室の壁。
「これが巨人の、力…?」
私は、危ない目に遭った廊下から離れたくて、車椅子を動かし職員室の扉を開く。
開いて、ぎょっとした。
そこから職員室の向こうに見えた中庭には、学校に降り立った巨人の足先があったから。
でも、その巨人は動く気配もなかった。
急に暴れ出したり、しないよね?
私は、扉の陰に隠れて、巨人の様子をうかがう。
巨人を倒せるのは、央介くんのハガネだけ。
目の前に巨人が居ても、私には何もできない。
ついさっきまで、傍にいてくれた央介くんと佐介くんは、私を助けようとして、目の前で消えてしまった。
…どうか、無事でいてほしい。
どうして、こんなことになってしまったのだろう?
この巨人は誰が作り出しているのだろう?
少しでも、考えないと。
この学校に通う子供が作り出した巨人なら、央介くん達に、また解決のヒントをあげられるかもしれない。
まだ、教室にみんなといた時間、何か起こっていなかった?
朝の、教室で――。
最初に大きな声が上がったのは、光本くんが勢いよく扉を開いて教室に入ってきたときだった。
その片手には、割れ物を安全に運ぶための梱包箱。
「おい、加賀ァ! 目ぇかっぽじって見やがれ! 今度のは文句つけさせねぇからな!」
たぶん、きっと、この間のザンネン鶴の再挑戦、かな?
でも、ほじるのは耳だったような…。
ガラスを形作る炎の事は、考えない。
考えないようにする。
もし炎が迫って来ても、きっと危害が及ぶ前に止めてくれる。
――央介くんなら。
呼び出された加賀くんは前に進み出て、でも、あんまり喋るでもなく、光本くんの次の動きを待つ。
一方の光本くんは見せつけるようにニヤニヤと笑顔を作ってから、梱包箱を開いて、それを取り出した。
「どーだぁっ!!」
それは、つややかなガラスで作られた、大きく翼を広げ、長い片足を持ち上げた姿で、向かい合って踊る、二羽の鶴。
…この間の、少し違和感のある鶴じゃなくなってる。
「一度作ったらコツがわかってさぁ、今だったら足の長さが倍でもイケるね! おまけでムーンサルト飛びの鶴なんかも――」
光本くんの自慢が続く。
でも――
「うん…」
――加賀くんの様子といったら、二羽のガラスの鶴を見てからは少し頷く程度で、目立った反応をするでもなかった。
当然、光本くんの自慢話が止まる。
「…おい、ちょっとは驚いたらどうだよ!? お前がこれならバランス取れる、って言ったから、それ以上目指して片足立ちにまでしたんだぞ!」
「ああ、凄いな」
加賀くんが返したのは、その一言。
一言だけで、くるっと向き直って、ポケットから糸付きの錘を取り出して、それを眺めながら自分の席に戻っていってしまった。
「それだけかよ!? 脳筋コンクリート!」
それは結構な罵詈雑言、なのかな。
そこに近づいて行ったのは、真梨ちゃん。
ケンカにまでならないように、という正義感ある彼女らしい行動。
「ががっちは、結構驚いてた感じだよ?」
私の近くにいた央介くんが、少し首を傾げる。
「…ががっち?」
「えーとね、加賀勝一で、“かがか”って続くのと、“かついち”が短くなって、ががっちなの」
私が説明したのは、最近はあんまり言わなくなった、あだ名。
納得したようで、央介くんと佐介くんがシンクロして頷く。
やっぱりちょっと面白い。
少し戸惑っていた光本くんは、やっと次の言葉をしゃべり始めた。
「驚いてって…、そんな様子、あったかよ?」
ここは私も助け船。
「加賀くんは、あんまり言葉で褒めるって事しないから…。そもそも無口だけど」
「それでも素直にどこがどう良いか言っていけばいいだろ…!」
真梨ちゃんが軽くため息をついてから、彼女なりの見解。
「んーとね…。ががっち、数字とか形に出来ない事は言わない感じ。あと…」
「この間の事で、参考にしてもらったのが嬉しかったんだと思う」
真梨ちゃんの話に、私の見解も乗せる。
隣で、うんうんと頷く真梨ちゃん。
「まあ、ががっちがケンカ嫌いってのは光本くんも知ってるでしょう? そのぐらいにしといてあげて」
そこまでを聞いた光本くんは、難しい顔をして黙ってしまった。
解決、かな?
「なんか、随分加賀に詳しいんだな?」
話しかけてきたのは、佐介くん。
「うん…、加賀くんとは幼稚園から一緒だから、なんとなく、ね」
それを聞いて、急に佐介くんが振り向く。
視線の先には、俯いて表情が分かりにくくなった央介くん。
「幼馴染、か…」
央介くんのつぶやきが聞こえた。
私は、何か痛ましい空気の彼に、声をかけた。
「…どうか、したの?」
「ううん…、なんでもないよ」
それ以上の答えは、返らなかった。
まだ、教えてもらえてないことが、あると思う。
私達のやり取りを他所に、真梨ちゃんが誰にともなく言う。
「うーん…、ががっちって負けん気も強いから、今度は彼が何か作ってくるんじゃないかしら?」
何かを、つくる?
加賀くんの作り出すものって、大工さんだから…。
そこまで考えた時、教室を警報音が突き抜けていった。
いつもと同じ、巨人出現を知らせる戦闘警報。
いつもと違ったのは、巨人が学校のすぐ近くに現れたことだった。
もう巨人には慣れ始めていた子供たちも、みんな大騒ぎになって避難訓練の通りには動けなかった。
シェルターへ向かって駆け出す子、躓いて転ぶ子、どうしていいかわからなくなって泣き出す子。
長い尻尾の女の子が、転んだ子を助け起こして、怪我は無いかと力づける。
騒ぎの中に先生たちが駆け付けてきて、誘導を始めて、やっとなんとか避難らしい避難が始まった。
そんな、みんなが走り回る中で、車椅子の私は全く動けなくなっていた。
傍にいてくれたのは、央介くんと佐介くん。
ひょっとしたら、ハガネを出してでも、私を守ってくれるつもりだったのかもしれない。
先生たちが、最後に残った私たちに避難を呼びかける。
佐介くんが車椅子のグリップを握って、
「飛ばすから、掴まってて!」
「う、うん!」
それは、結構な加速だった。
廊下に出て曲がるときに、外側に振り落とされないように、車椅子に必死でしがみつく。
飛び出た廊下の先に、先生が見えた。
何か、弾けるような音がした。
次の瞬間、先生の立っている廊下が、ぐるん、と角度を変える。
「えっ!?」
私たちの少し先から、廊下の向こうが切り取られて、捻じ曲げられていく。
廊下の床が壁に、教室の壁が天井に、照明のある天井が壁に、窓が床に。
ちょうど90度角度を変えて、腰を抜かした先生は、私たちから見て壁に尻もちをついていた。
「じゅ、重力、どうなってんだ!?」
「僕が確認する! 佐介は紅利さんを守って!」
央介くんは、私たちの前に駆け出して行って、ねじ曲がった先に飛び移る。
やっぱり“下”がおかしくなってるみたいで、央介くんも90度角度を変えて、壁の向きになった床に転がる。
めまいがしてきた。
「佐介! 紅利さんをこっちに!」
「わかっ…うわっ!?」
央介くんが捩じれた向こうから呼びかけた時、廊下の“切り取り線”がまた動き出した。
今度は角度を変えるのでなく、ゆっくりと切り離されていく。
切り離された場所は、真っ暗な闇。
「央介ぇ!」
捻じれた廊下ごと遠くなっていく央介くん。
佐介くんは慌ててそちら側に手を伸ばすけれど、間に合わない。
――また、弾けるような音がする。
「佐介! 足元だ!」
「足っ、うおっ!?」
央介くんの言ったことは最初なんだかわからなかった。
でも――
「や、やべぇっ!!」
「きゃ!?」
急に、佐介くんが私と車椅子を押して、窓際に押し付けた。
突然の事に、佐介くんを見返す。
そこでやっと気付いた。
新しい切り取り線が、私たちの足元に生まれていたのだ。
切り取り線は、あっという間に、真っ黒い口を開いた。
私を助けようとしたことで、佐介くんは自身の逃げ場を失っていた。
「…よかった!」
それだけ叫んで、佐介くんは切り取られた裂け目の中に落ちていってしまった。
「佐介くん!?」
「佐介…!」
どうしよう、私のせい?
佐介くんが落ちていった切り取り線の向こうを覗こうとして――
「大丈夫! 父さんの作った佐介はこんな程度じゃ壊れないよ!」
切り裂かれた向こうの廊下から、央介くんが呼びかけてきた。
「で…、でも!」
「僕が、紅利さんを助けるように言ったんだ。ちゃんとその通りに動いたんだから、紅利さんが無事ならそれでいい」
――央介くんは、多分、私が悪いんじゃない、って言いたいのかもしれない。
切り裂かれた廊下が、央介くんを乗せたまま更に遠ざかっていく。
「紅利さん! すぐに助けに行くから!」
その言葉を残して、央介くんは彼のいる切り裂かれた廊下ごと、遠くへ行ってしまった。
最初に出会った時と、同じ言葉。
きっと彼は、また格好良く、私を助けにきてくれるのだろう。
央介くんがさっきまでいた場所、切り取られた廊下に、どこからか切り取られた廊下が近づいてきて、ぴったりと合わさる。
佐介くんが落ちていってしまった裂け目、そこにもまた別の床が繋がって、見慣れない廊下を作りだした。
――巨人を前にして、朝からの事を思い出してみたけれど、何も解決に繋がりそうな事はなかった。
それなら、余計に動かない方が、安全かもしれない。
央介くんがこの巨人を倒してくれるまで、ここで――
「大丈夫? 紅利さん」
――聞き慣れた声に振り向くと、廊下の角。
佐介くんが居た。
良かった、無事だったんだ! …けど。
私は一瞬、その佐介くんに何か違和感を覚えた。
けれど、それが何なのか、答えは見つからなかった。