第四十二話「ヒーローのいない世界。そして――」1/8
=珠川 紅利のお話=
家から離れて4日目、無理が祟っての3日目の辛い日。
体をぐったりと疲れさせる痛みと怠さ。
それでも子供たちしかいないキャンプで年齢が高い方の私は何かを手伝いたくて、座り仕事でもなんとかなる洗濯物の折り畳みを申し出た。
その私の傍で同じ仕事をしているのは、私たちが家出中だということを見抜いたネコ獣人の音亜さん。
彼女は同時にとんでもない言葉も口にしていた。
――“私は計画殺人犯”。
結局、あの場では私も央介君も冗談か何かだと考えたくて、また私たちの家出のことを踏み込まれたくなくて追及はできないまま。
気にかかったままの夕ご飯と、痛みの疲れがきての早めの就寝。
そして、また家でない場所で目覚める朝を迎えてからの今。
音亜さんは鼻歌一つ、洗われた衣類を布地通りにテキパキと畳んでいく。
私は彼女に疑念を持ちつつも、けれどとても人を傷つけることなんてしないような女の人だと思っているのだけれど……。
そんな状態で、私の手元は仕事の効率を上げられないまま。
すると当の音亜さんから声がかかった。
「――アカリちゃん」
「ひゃいっ!?」
私は驚きに飛び上がって、その鋭い動きで加速度をかけてしまった内臓に滲む痛み。
幾度かの深呼吸でそれを堪えて。
そこへ更に音亜さんからの言葉。
「ごめん、やっぱり辛そうね。大変でしょう?」
彼女から向けられていたのは私の今の体調と、そこから推定される月々の負担への心配。
ちょっとだけ安心して、答える。
「その……普段はこんなに重たくないんですけども……」
「それならやっぱり無理が後を引いたんでしょう。あーしら猫獣人はこないから感覚分からないけど、大変ね」
えっ、何その羨ましい身体特性。
クラスの犬獣人の子は、その日の前にも出血するって気に病んでたのに。
そして、そんな中で私が思っていたのは――。
「最初の頃はやっぱり怖くて……この足で何度もおトイレに行く辛さも出てきてからは、どうして女の子に生まれてしまったんだろうってぐらいに悩みました。だけど……」
だけど最近になって、それは変わった。
その声にできなかった理由を音亜さんがさらっと当ててくる。
「好きな男の子ができたから、女の子だってことの証明として嬉しくも感じ出したんでしょう?」
――全部、わかっちゃうんだ。
私より5年6年、年上のお姉さん。
そんな彼女に甘えて、私は今の悩みについても正直になることにした。
「でも、こんな時――彼と二人きりになれる時に来たのが、まるで動物みたいで……汚い、生臭いなって……」
私にとっては深刻極まる話。
央介くんから軽蔑されるんじゃないかという悩みばかりの話。
けれど、音亜さんは高笑いして。
「いやあ青春青春! 体だけが先走ってるのが怖くなったと! アカリちゃんったら歳に似合わない立派なおっぱいしてるのにネンネだこと! ……聞くけど、まさか今回のあなたたちって駆け落ちだったりする?」
体だけが先走り、心だけが置いてきぼり。
確かにその通りだった。
だから、抱え込んでいた部分までも言い切る。
「……そう、だったのかもしれません。突き動かされて、彼を全部……独占したいって……」
考えてみれば家出を始める前の数日は、他に何も目に入らず央介くんが全てになっていた。
熱に浮かされていたような、切迫感に追われるような感じだった。
あの時の私は、まさか央介くんと――。
「まあ一種の発情期だから。一時的に頭が、ぱー!になっちゃってたかもしれないわね」
酷く明け透けに音亜さんによる心の解剖を受けてしまった。
それはそうなのだけれど、肯定されても辛い。
だけど音亜さんは話を続ける。
「……あーた、それをイヤラしい事だとかバッチい事だって感じて、体とか本能だけで彼を好きになっちゃったのが悪い事って思ってる? ――そこはね、汚くても悪くてもいいの。好きになった事に正直にならないと良い悪いの前に損しちゃう」
それは私への免罪符だったのだろうか。
飲み込み切れない私へ、音亜さんは畳みかける。
「でも彼――ソースケ君は真面目で奥手な感じだから、紅利ちゃんが押し倒してOK出すぐらいが丁度いいと思うけど」
核心のとんでもない事を言われた私は、真っ赤になりながら口鼻から咳を噴き出してしまった。
せめてもの反撃として常識を言い返す。
「そっ、そんなことしたら! その、赤ちゃんが……」
「あー……そんな都合よくデキないから。自然なままでもね」
その音亜さんの受け答えは急にトーンダウンというか、悲しみまで感じさせるものだった。
一方で納得がいったのは、彼女は赤ちゃんができるような事の経験があるという部分。
大人の女性らしくて、やっぱり――というのが大きく、けれどお母さん自体にはなっていないという点は、そっちだったのか――とも。
そして私は一つ思い当たることがあった。
音亜さんの傍にいる、妙に意思疎通ができている男性となると。
「あのう、ひょっとして音亜さんは、テディさんと……?」
私が質問すると今度、噴き出したのは音亜さんの方だった。
ただし先の私みたいな羞恥のそれではなくて、笑撃からの噴き出し。
猶も彼女は一頻り大笑いをしてからの全力否定。
「アハハハハっ! 違う違う、アレとは違うって! あんなハナタレガキは無い無い!」
でも、それから音亜さんは少し悩む仕草をしてからの部分肯定。
「……まあ、アレ絡みなのは間違いないか。お互いの大切な……ね」
音亜さんのその口ぶりは、私でもわかるほど優しさも悲しみも寂しさも悔しさも全部感じさせるものだった。
私はお世話になった分のお返しに、彼女気持ちの吐き出し先になれればと思って、きちんと尋ねる。
「何が、あったんですか? とても悲しそうに見えて……」
音亜さんは余計な事をしてしまったと鼻で笑ってから、だけど真面目に取り合ってくれた。
「テディ……“定次”って名前からわかるかな。“さだめ”の“つぎ”って書くんだけど、アレって弟なんだよ。それでね――」
=多々良 央介のお話=
家出4日目の雪の日。
僕と佑介で今日の搬入作業を手伝いながら、丁度僕たちだけになった所でテディさんを掴まえて抱えていた問題について謝罪した。
「――僕らの県では、そのチョーカーが使われていなかったから反応できずに居て。ごめんなさい」
とてもデリケートな話。
現代では法律の厳しい県でだけ使われている身分を示す拘束具。
酷い言い方をすれば、人間扱いされない人につける首輪とされるもの――。
「あん? いや、気にされない方が良いシロモノだけどよ。やっぱ権利剝奪受けてるってのは気になるか?」
テディさんは気に病むような素振りも見せずにチョーカーのポジションを直して見せた。
僕が気になったのは、テディさんと音亜さんの近しさ。
そして、その二人が揃って同じものを付けている事。
「はい。テディさんも音亜さんも20を越えていないぐらいだと思うのに、どうして……?」
昔の法律だと本人か親、あるいは親の“持ち主”が人に定められている権利を売ってしまうことで、人としての権利を持っていない証の首輪を付けられるものだったという。
今では第三者による権利の売買は流石に全県で禁止されていて、法律が厳しい県でだけ。大きな影響あって権利を制限しなければならないという指定がかかった場合だけに限定されている。
それなのに若いテディさんが、その印をつけているというのはどう考えても重大な話。
また音亜さんは自身が家出の常習犯であり、更に計画殺人の犯人だとも言った。
じゃあ……彼女と何かの関係性が見えるテディさんは――?
「まあ、成人年齢丁度で計画重犯罪やらかしてな。その前からの素行不良も加算されてコレよ」
テディさんは相変わらずの軽さのままで重たい原因と結果を言い切った。
計画犯罪――やっぱり音亜さんの言っていた事と何か関係がありそうな話。
ただキャンプに来てからのテディさん音亜さんの素振りを見る限り、そんな気配は感じられなかった。
二人は、ずっと子供たちのお兄さんお姉さんとして振る舞っていた。
転んだ子の所に、すぐ駆け付けて怪我の手当てと痛みへの心配をあげていた。
食べ物をこぼした子には用意していた布で拭いてあげて着替えへと案内していた。
時間時間の隙間には二人のどちらかが子供たちの遊びを見守り加わっていた。
子供たちに合わせて歌の音頭を取り、小さい子が眠るまで傍に付き、全員をこのキャンプから無事帰すために動き回っていた。
確かに身なりこそ反抗心が強めな恰好こそしていて、所々で大人に対する蔑視はあったけれど――。
それでも間違っても、人を殺してしまおうなんていう暗い所なんか何も見えなかった。
「……2人とも、そんなことをするような人には思えないのに」
「おいおい、数日一緒に過ごした程度で何が分かるって? わざわざヒトゴロシの本性探る意味もねーだろ?」
テディさんは脅して冗談めかしてのはぐらかし。
だけど僕は彼に真正面から向かい合って話しかける。
「――僕も、同じ年頃の子供たちを傷つけて回ったことがあるんです。冗談や何かじゃなくて、相手がどういうものか、どういう状態かをわかってる上で、この手で」
「何を――……」
最初は笑い流そうとしていたテディさんは、だけど僕の方を窺ってから態度を変える。
「……いや、ふざけてるって顔じゃないな。あー……お前らの家出って、それが嫌になったからか?」
「ええと、そういうわけではないですけれど。無関係ではない、かな」
尋ね返しには、説明するのが難しい部分を省いて答えた。
テディさんが荷物を置いて大きく伸びをする。
「どいつもこいつも事情持ちか。……聞いて気持ちのいい話じゃねーぞ」
僕は構わないと頷く。
するとテディさんは少し考える素振りを見せて、溜息一つ。
そして、彼は語りだした。
「復讐だよ、兄キのな」
テディさんと、音亜さんの過去。
長い話が始まる。
「……俺には、兄キが居た。名前は幸始ってな。
お前ら双子と違って3つ上で、俺と違ってベンキョーもスポーツも何でもできる……。
親とか先コーは兄キを褒めて回る一方で、出来の悪い俺をいちいち突っついてきて――ムカつくと思ってたよ。それでも兄キは話を分かってくれたから、兄弟仲自体は悪くなかったんだがな。
音亜は……アイツの家は、あんまり良い家じゃなくてガッコーにも時々しか来ないような状態だった。
それが、ある時に家から逃げてきてウチの玄関前で泣きながら隠れてた。
あの頃は何があったのかはわからなかったが、それでも辛そうなのは分かったから兄キと俺で匿ったんだ。
拾い猫みてえにメシ食わせて風呂に入れて、そしたら猫みたいに懐いてきて。
あとは俺らの部屋の窓の鍵を締めないようにして、部屋に隠れに来ていいってことにしたんだ。
誰かを助けるってのは……気分良かったな。音亜も笑うようになったし――」
ああ、なるほど。
それで音亜さんが言っていた家出常習犯に繋がるんだ。
だけど今は素敵なお姉さん――ともすればお母さん代わりをしている音亜さんにそんな過去が……。
まだ部分的な理解の僕はテディさんの話を邪魔しないように、続きに耳を傾ける。
「――そんなのが3年も続いて、俺と音亜は中坊、兄キは良いとこの高校に行くようになってた。
それまでには流石にウチの親には音亜の居候がバレたけど、兄キと俺とでアイツの境遇を知らせて。
そしたら親どもも、たまには気を利かせてハウスキーパーとして雇って実質保護するかって話にもなってた。
向こうの親は金が入るならって、しぶしぶ引き下がったみたいでよ。
それと音亜は……兄キの事が好きになってたんだろうな。
でもまあ、そういうのでもいいだろうって思って。
そういう毎日が続くと思ってた――」
最後の行りを語り始めた時、テディさんは表情を曇らせだす。
それが彼にとっての幸せだった時代の終わりだと分かった。
話は、核心へと進む。
「――その日は、登校する兄キと一緒に歩いてたんだ。
俺は……まあガッコーなんかフケて、仲間と遊びに行くつもりだったけどよ。
交差点に踏み込む時に、兄キと音亜は結婚でもすんのかってからかってた。
兄キは……ネアが幸せになれる場所を用意しなきゃなって、そう言った。
そう言って……言った直後に……俺を突き飛ばして、代わりに突っ込んできた車に、撥ねられた……!」
険しい表情のテディさんに気圧されながら、でも僕はその話の奇妙な点を問い質す。
自動車は――完全自動運転にしても準自動運転にしても、自動車に必ず備えられている機能は。
「車が人を撥ねるって……信号判定は!? 衝突防止の安全装置は!?」
「外されてたんだよッ!! 地元のクソボンボンがスピード出したいからって、安全装置全解除の不正改造車で、ブレーキも無しで突っ込んできやがった……!!
兄キは……兄キは即死だった……!!――」
テディさんの抑え込んだ怒声。
収まらない彼の怒りは、座り込んでいた彼の膝に自身の拳を叩きつけるまでした。
僕は自分で話を聞き始めたのに、その怒りの苛烈さに怯えてしまって。
「――それだけでも許せねえのに! 大人どもは証拠不十分だ、車の改造や所有者が特定できないとかでクソを無罪放免しやがったぁッ!!
……金でも積まれたか? 顔利きの家だから見逃すことにしたか? 知らねえよ!! 俺の兄キが死んだんだよッ!!!」
このキャンプに対する救助の話を聞いた時からわかっていた、テディさんが抱えている大人への不信。
その理由が、これだったんだ。
確かに、こんな事があれば世の中なんて何も信じられなくなる。
世界全体に影響あるガイア財団――その巨大な影の組織であるギガントを敵に回していた僕は、でもそれよりもっと実感のある死別の悲嘆の大きさを辛うじて受け止めて。
するとテディさんは自身の怒りを大きな呼吸から自嘲して、そして彼の過去の終わりの始まりを語り始めた。
「……兄キを殺したことを大人どもが裁かねえ……」
それは彼の思う正義の決意。
だけど同時に枷を受ける罪と失敗の話。
「だから、俺は……俺が、復讐することにしたんだ……!」