第六話「悪夢砕く、鉄の螺旋」3/6
=どこかだれかのお話=
「大神一佐! 私がエビル・エンハンスを解放します! 対災害、民間人保護目的、問題ないでしょう!?」
場所は、悪夢王とハガネにほど近い指揮車両。
時間は、ハガネが悪夢王に飛び掛かり反撃を受けて崩壊した直後。
長尻尾の狭山一尉は通信機に向かって、吼える。
《だが狭山、エンハンサーであっても巨人との接触は未知数だ》
通信機からは自制を促す言葉が返る。
指令室の大神一佐のものだ。
《特に今回は特異な巨人。央介君は精神にも影響を受けていた様子だった。不死身の君でも精神はどうか?》
通信機の向こうの、怜悧に温和な司令官の心遣いだが、今の狭山には歯痒い事この上ない。
「子供が悲鳴上げてるんです! 兵士が、大人が! 精神どうのと言える時ですか!?」
《……いいだろう。だが君が未知の異常に至れば最悪、隔離封印措置だ。娘さんが母親を失うことも忘れるな? ……少し待て》
通信から、何かが砕ける音と、特徴的な警報音が流れた。
それは、超常兵器のセーフティ解除を知らせるものだ。
狭山の意見が通ったことになる。
《EE解放コード発行されました。そちらの兵器鍵に転送します、使ってください。》
「隊長、気をつけて! 無事でお帰りください!」
狭山は指揮車両備え付けのケースに保管されている電子鍵を乱暴に引き抜き、外に飛び出た。
運転席の兵士の敬礼に、雑に手を振って返す。
「お祖母ちゃんから受け継いだ力。世界を恐怖させた呪いの力。役に立ってちょうだいよ!?」
走りながら、超常兵器解放のコードが宿った鍵を封印制御ベルトの鍵穴に刺し、回す
《呪怨装強化歩兵の解放を許可します。是は我が国、我が国民に仇なす者を討つ兵器、運用目的は国法の正義執行に限定されます》
狭山が身に着けていた機械仕掛けのベルト――魔獣を押さえつけていた枷は記録音声で宣い、封印が外れたことを示す。
「……エンハンサー、変身!」
《変身解放、善き人間たれ》
狭山の掛け声、機械による請願と同時に、彼女の全身の細胞に組み込まれた機械小胞体が、呪術の力を以って彼女の存在を変質させる。
その姿はあっという間に人の形から離れていく。
全身に獣毛を纏い、腕は体長ほどに伸び、長い尻尾は更に伸び、四肢ほどに剛く太く。
纏っていた作戦服の裾や袖は、膨れ上がった体に引き裂かれる。
体を震わす獰猛な呼吸で口角から吹き出た涎を、狭山は毛で覆われた手の甲で拭う。
そこに居たのは人造の魔獣、猿のエビル・エンハンサー。
狭山が封印されていた力を解放した姿だった。
「……悪夢王と私ら、どちらが怪物なのかしらね」
異形に変じた狭山はつぶやいて、崩れて消えていくハガネを目指して走り出す。
混ぜ込まれた獣の本能が、四つ足のギャロップを最速として選んだ。
狭山はそのまま、首に引っ掛かったヘッドセットの通信機に問う。
「央介君のバイタルは!?」
《少し乱れていますが、今は生命活動に問題なし。ただ気絶しているのか応答がありません!》
《悪夢王、行動を停止。形が崩れて、泥沼みたいになっています。ハガネとの格闘戦の影響でしょうか?》
オペレーター達は応答と状況説明を同時に語る。
娘と同い年の、小さな子供の奮闘で、怪物の動きが止められ、街の被害は抑えられている。
その事実が狭山の心を乱す。
ほどなく、彼女は現場に降り立った。
まるで汚泥の沼と化した悪夢王からは、ハガネを食い破った牙や骨が枯れ木のように突き立っていた。
その中央にドローンが何機か群れていて、その場所が目的地だと知らせている。
《央介君はあの中です。補佐体、佐介も一緒にいるはずですが……》
《ドローンで救出を試みましたが、悪夢王の体組織への接近時に迎撃されています。対象への接触だけで危険ですよ》
《無人戦車を突っ込ませましたが……あの牙みたいのに串刺し、大破。流石の巨人の破壊力ですね》
狭山は、長い長い腕でやれやれ、というようにポーズをとり、鼻を鳴らす。
腕の長さのバランスで、幾分ユーモラスな姿になってしまったが――。
「じゃあ、不死身の私にはもってこいの任務じゃない?」
彼女は言葉を口にしたまま獣毛に覆われた手を差し伸べて、悪夢の泥沼に突き込む。
これがどの程度のものか、知らなければならないと思っての行動だが、すぐに激痛が全身に走り、狭山は少し後悔した。
「……ッ!! これはハードになりそうね!」
引き抜いた獣の手は、皮膚が所々溶け、付着した悪夢王の滴が蛆虫のように肉に食い込む。
この巨人は異常なものだとわかっていたが、それでもおぞましさは想定以上だった。
(……オ…ウ…… ……ト…イイ…… ……ゴメ……サ……)
狭山は一瞬、何か違和感を覚えたが、このままでは作戦に支障が出る。
悪夢王の毒滴を振り払うと、痛々しい傷は驚くべき速度で治癒していった。
「どこの悪い子かわからないけど……、あなたが相手にするのは日本自衛軍最強最悪の兵器よ」
そう呼びかけてから、狭山は悪夢王の泥沼へ爪を向けて空を切り裂く。
裂かれた空の先、悪夢王の泥と、その下の地面までが猿爪の形に切り裂かれた。
それは呪怨破壊。
エビル・エンハンサーが持つ、物体を呪い殺し砕く防御不能の攻撃能力。
だが――悪夢王の泥は直ぐに寄り集まり、裂かれた部分を埋め合わせてしまった。
「手ごたえ無し……。これで巨人に呪怨破壊が通用しないと証明されちゃったか」
《巨人はPSIエネルギーの流出現象。川から水をすくってもまた水が流れ込むだけです》
《貴重な実証として軍事記録に残します》
しかし、狭山が今やるべきは、この怪物の撃破ではなく、多々良 央介の救出。
攻撃が通用しないのは、大きな問題ではない。
司令官、大神からすぐに命令が下る。
《狭山、その辺の適当な公共物を使え。沼地の足場にできるだろう》
「――了解。この“橋”を貰います」
そう言うと、狭山は小川にわたる橋に向き直った。
次の瞬間、腰からサバイバルナイフを引き抜いて一息に自らの右手首を斬り落とす。
傍目には狂気に陥ったかのような酷い自傷行為。
痛みに耐えるための狭山の荒い呼吸がわずかに響く。
――そして。
「……怨霊体、展開!」
手首の断面から吹き出ていた血が、あるいは血を含んでいた空間が膨れ上がる。
巨大に禍々しく、赤黒い血霧の塊へと変わる。
それは、大きな大きな猿の手の形をしていた。
苦痛によって、血穢れによって呪いの力を最大限発揮させたエビル・エンハンサーの高度攻撃、怨霊体。
狭山は力を込めてその手を振るう。
「……ぃぃぃぃいよぉぉぉいっ、しょおぉぉぉっ!!!」
怨霊となった手によって地面とコンクリート製の橋がえぐり取られ、持ち上げられる。
目に見えている巨大な手より更に広い範囲が不可視の力で掬い上げられ、橋が瓦礫になりながら宙に浮いていく。
「……っ! 猿はぁっ! 投げるっ!!」
狭山の掛け声とともに空中に持ち上げられた瓦礫は、悪夢王の泥沼に向かって投げ込まれ、広い範囲を埋め立てた。
泥沼からは反撃の牙が生えて瓦礫をある程度は砕くが、それ以上にはならない。
破壊が無理ならばと悪夢王の泥は瓦礫を這い上がり、それらを飲み込みにかかった。
しかし怪人となった狭山はそれより機敏に、瓦礫を飛び石として悪夢の沼上を駆け、央介のいる中心部へ向かっていた。
また彼女が怨霊体にするために一度切り落とした右手は、もう骨だけとはいえ再生しつつある。
目指すハガネが悪夢王を押し留めた場所、そこは他より高く盛り上がっていた。
飛び回るドローンがうるさく羽音を立てる。
狭山は気づいた。
盛り上がりのある場所、何かが悪夢王の泥から突き出ている。
唯一、金属光沢の直線的なもの。
「あれかっ!!」
最後の10mほどを一息で跳躍した狭山は、突き出した金属片に手を掛ける。
近くで見れば、それは折り重なった鉄の板だとわかった。
両足は、悪夢王の泥沼に突っ込むことになったが、もはや彼女は気にしない。
(……オトウ…ン …ット ……コニ ナリ…… ……ゴ……ナサイ……)
激痛に両足をむしばまれる中、狭山は鉄板を引き剥がそうとすると、それは意外にたやすく動いた。
むしろ、金属に見えたそれが生き物のように、自ら動く。
幾層もの、鉄の板が、花弁のように開いた。
中では、左腕に怪我をした小柄な男の子が意識を失っていた。
そして、その傍に――。
「……お、央介を、助けて……。あ……狭山……一尉……? すごい……恰好だぁ……」
――体から何枚もの鉄板を生やした異形。
それは上半身の形だけを残した人造の少年、佐介。
彼は、その体を巨人質に変形させて金属様の殻とし、彼の主である央介だけは悪夢王に呑まれないように守り続けていた。
狭山は人造人間の凄惨な献身の姿に一瞬だけ呆気に取られ、しかし状態を理解し彼に呼び掛ける。
「佐介君……! もう、もういいわ、人に戻りなさい! あなたも助かるのよ!!」
「う……うん……。でも……央介を先に……」
狭山は、長い異形の腕を限界まで伸ばし、二人の少年の手を取る。
意識を失ったままの央介、央介を庇うために腕も動かせない佐介、それぞれ強引に引っ張り上げる。
そして彼女は叫んだ。
「ドローン隊!! 子供らを投げる! 受け止めなさい!!」
何十機ものドローンが上空に集まり、ハンモック状にネットを展開する。
更に拡声器から、ドローン操縦員の声が拡声器を通して流れた。
《狭山一尉! あなたもですよ! 縄梯子を伸ばします!》
狭山はその一投目で央介を、二投目で佐介をドローンのネットに投げつける。
ドローン部隊は器用にネットで少年らを受け止めて包み、吊るして飛んでいく。
「任務、完了……!」
二人の救助を終えた狭山も素早く降ろされた縄梯子に捕まり、ゆっくり引き上げられていく。
これで被害者なし、上出来だ。
そう彼女は思いながらなかなか癒えない苦痛に耐えていた。
次の瞬間、悪夢王の沼から多くの牙が生え、狭山の体を貫いた。
幾本かは上空の央介、佐介も狙っていたが、狭山が投げた距離の分あって届くことはなかった。
それは、自分に攻撃を仕掛けてきたものへの報復だったのだろうか。
狭山は内臓まで刻まれ、狭山の口から血が溢れる。
だが――。
「残念……この程度じゃ……死ねないのよ、私達はね……」
エビル・エンハンサー、狭川は悪夢王に向かってそう語り掛ける。
並の人間なら即死の損傷を受けても彼女にはまだ笑顔を作る余裕があった。
不死の究極兵器として改造された彼等は、どんな苦痛を受けても死ねないのだから。
その時だった。
狭山の体の中に混ざり込んだ悪夢王の断片が疼痛と共に何かを伝えだす。
(……オトウサン モット イイコニナリマス ダカラ ユルシテ……)
「あ――?」
悪夢王を通じて狭山に流れ込んだのは、名前も知らない少年の記憶の断片と、受け続けた激痛。
狭山は、悪夢王を理解した。
「……あなた……そう、酷い目に、あった、のね……。ごめんなさい……大人が、気付いて……あげるべき、だった……」
狭山は後悔と悲しみと、せめてもの慈しみを悪夢王に向けた。
彼女は、兵士で、兵器で、そして母親だった。
しかし、エビル・エンハンサーの能力による再生と、食いついたままの悪夢王の断片による破壊。
繰り返される終わりのない苦痛に、狭山は意識を手放した。
悪夢王に唯一反撃できる、ハガネの命を救って。