第三十二話「超音速の刃、大いなる翼」2/4
=多々良 央介のお話=
僕と小鳥遊くんの決闘は、膠着状態になった。
彼の攻撃の弾道は理解できている。
それに、やはりだけれど僕の武器の方が間合いでも重量でも強い。
薙刀を振り回されない長さに握っても、それでも彼の攻撃が伸びてくる距離を抑えておける。
でも、そこまでいってもなお彼の速度が脅威だった。
一瞬でも気を緩めれば、後の先を必ず返す姿勢でなければ差し込んでくる。
既に相手は1点だけといってもリードしている。
制限時間もあるのだから待ちっぱなしとはいかない。
攻めを選ばないと。
呼吸一つからフェイントのために一瞬を遅らせて踏み込んで、狙いは相手の細剣刀身。
薙刀の半ばの握りを中心に、擂り粉木の回転で強く捩じり上げる。
当然、剣が絡め取られることを嫌って小鳥遊くんは飛び退いた。
けれど、その飛び退きでは僕の攻撃範囲からは逃れられていない。
両手を使った絡め取りから、瞬時に奥の片手だけに持ち替えて上半身を捻り切った最大の突き込み。
長く伸びた薙刀、その刃部分の根元が小鳥遊くんの腹を削ぐ。
削ぐと言っても木刀だし、相手はプロテクターも付けているので剣呑な事にはならないけれど。
それでも――
「多々良にポイント1!」
得点のブザーが響く。
ちゃんと当てる事には成功した。
だけど、やっぱり普段使いの棍と薙刀では重心も勝手も違うから変な当たり方。
「……ハハッ、すごいリーチだ。武器の大きさもこっちで指定すればよかったかな」
小鳥遊くんは薙刀が当たった場所を擦りながら、失策だったと笑う。
そしてそれは全くその通りで、そこからの二本は僕の連続ポイント。
彼の脅威の速さがあっても、攻めにしても守りにしても長柄の有利があった。
さらに僕が薙刀に慣れてきたこともあって、勝負の流れは完全にこっちのペース。
更に続く一本では攻め込んできた小鳥遊くんの剣を弾き飛ばしてのポイント。
5本先取がルールだから、それで僕のマッチポイントとなった。
肩を落とし気味で細剣を拾いに行く小鳥遊くんを、失礼ないように見送る。
むしろ、このまま勝ててしまって良いのだろうかという戸惑いの方が大きくなってきた。
――その時だった。
「やっぱり、実力差も武器差もあるか」
細剣を拾い上げた小鳥遊くんが、声を上げた。
負けを認めるような話で、だけど僕まで聞こえるように。
そのまま彼は剣を拾った場所から、体育館の壁際まで歩いて行ってしまった。
行く手に置いてあったのは、彼の道具入れのバッグ。
小鳥遊くんは雑に靴を脱ぎながら、そこから何かを取り出す。
「――先生、こっからは反則し放題になりますんで、すみません」
取り出したものを頭の上で振って見せつけると同時に、小鳥遊くんはとんでもない事を言い放った。
先生は何がどういうことなのかの把握をし損ねて、狼狽えだす。
「……は? おい、ちょっと」
フェンシングのマスクを脱ぎ捨てた小鳥遊くんは、代わりに別のものを顔に縛り付けた。
それは鳥人が使う、クチバシ型の飛行マスク。
「多々良、僕もやれること全部やらせてもらう。悪く思うなよ?」
彼の猛禽の瞳は、体育館の遠くにあっても鋭く輝いて僕を睨みつける。
次の瞬間、小鳥遊くんは手に持っていた細剣を体育館の高くへ投げ上げた。
僕が思わずそれを目で追うと、空中を舞う剣を真っ白い大きな何かが搔っ攫う。
その剣は、僕が驚きに硬直している間に襲い掛かってきた。
目前が白く覆われたと思ったら、腹下から肩口までを抉られる感覚。
ポイントが加算されるブザーが鳴り響く中で、僕は“彼”の行く先を追って振り向いた。
体育館の中空。
そこには右足の鉤爪に剣を構え、強く羽ばたく小鳥遊くんの姿があった。
「お……おい、小鳥遊!! バカなことはやめるんだ! それはケンカにしても危険だぞ!!」
先生が慌てて彼に呼びかける。
だけど空中の小鳥遊くんは、それを聞き入れはしない。
僕は危険行為と不意打ちの理由を求めて、小鳥遊くんを見上げる。
彼も、答えてはくれた。
「多々良君、僕はフェンシングのルールで戦うとは言ってはいなかったよ。5本先取、それだけさ」
――ああそうか、これは競技じゃなくて決闘だった。
僕が大きなものが懸かっていることを思い出して、競技のルールで収まっていなかったことを納得する。
一方で先生は半ば怒鳴り声の呼びかけ、観客のみんなもずるい危ないの声を上げていた。
……いくらか、やっちまえの声も聞こえた気がする。
そんな彼らの頭上を小鳥遊くんは飛び回り、狭い体育館の中で飛行速度を上げていく。
攻撃が襲ってくる角度と領域は全周囲に変わった。
「わかった、続けよう」
僕は、小鳥遊くんからの決闘の継続を受け入れ、答えた。
それでも相手は空の上、こちらから殴りかかるのは無理。
であれば狙いは反撃だけに絞って隙を作らないように、僕が動かす体の軸は最小限。
視線と、薙刀の穂先と石突だけで小鳥遊くんを捕らえ続ける。
それでも、死角はあった。
長柄武器の弱点である体の陰側。
胴体が邪魔するそちらに薙刀を移す間に、小鳥遊くんの強襲が僕の体に決まる。
ルールが無くなっても判定を続ける機械の得点ブザーの中で、彼が狙ってくる側を絞れたと考え直す。
飛行しての行動というのは軽く柔らかい気体に依存し、慣性に振り回される。
固体である地面での行動より瞬間的な踏ん張りと切り替えが利かないはず。
でも、それは小鳥遊くんを甘く見ていた。
確かに行動自体は地上より大振りで直線的になってはいる。
そこへの反撃を仕掛けて、けれど。
死角への反撃のために体勢を浮かせた瞬間に、突然の爆風が吹き荒れた。
それは限界ギリギリまで飛来した小鳥遊くんの強烈な羽ばたきで作られたもの。
彼一人分の体重を空に飛ばす風圧を束ねたものは、僕の構えと視認を崩すのに十分だった。
一瞬の行動不能のうちに、撫でるような弱さの切っ先がプロテクターに触れる。
それで3点目が奪われた。
構えれば速攻。変われば暗ましの技。
これは単なる獣人のフィジカルだけじゃない、理論が組み立てられている戦闘の流派だ。
未知の戦術の攻略の筋が、見えない。
これは、負ける?
……でも、これは負けても良い戦いじゃないか。
どうせ小鳥遊くんからの要求は、僕がやらなきゃいけない事と同じなのだから――。
僕の頭上をぐるぐると飛び回っていた小鳥遊くんが、息も切らさずに声を掛けてくる。
「おいおい、さっきまでの意気はどこにいった? 空を飛ぶ相手には勝てないと認めるのかい?」
失望の声はサラウンドで移動しつづける。
そして、この決闘の意味がわからなくなって行動が鈍くなった僕へ、容赦ない小鳥遊くんの追撃がきた。
4点目のブザー。
あと1点で、この決闘は終わる。
体育館の向こう、佐介やむーちゃんの心配する顔と、祈るように応援の声を上げてくれる紅利さん。
その時、小鳥遊くんの一際大きい声が響いた。
「――夢幻巨人ハガネは、そんなに弱い巨人なのか!?」
それは決闘相手からの、いきなりの焚きつけだった。
僕はやっと、考えが足りていなかったことに気付いた。
小鳥遊くんが決闘なんて大げさに申し込んで、こうやって戦う機会を作ってくれた理由が見えた。
――彼は、決闘と言いながら、彼自身の巨人の襲来への訓練を付けてくれているんだ!
「中止するんだ! これ以上の危険行為は警察への通報になるぞ!」
事情を知らない先生が喚く。
僕は、足を強く踏み鳴らし体育館に響かせて威圧をかけた。
「構わないです! 僕は今、彼を相手にしなきゃいけない!」
更に薙刀を構えて睨みを利かせれば、小柄な僕でも大人の男の人を怯ませるには十分だった。
これで邪魔物は、なし。
「フフッ、がっかりはさせるなよ!?」
乱暴だけど先生を退かした事へ、小鳥遊くんからの少し愉快げな語り掛け。
僕も、フェンシングマスクを脱ぎ捨てて、できる限りの不敵な笑顔で返す。
「――させないさ!」
紅利さん、佐介、むーちゃん。
体育館の外周に避難しても、なんとなく状況を理解してくれたらしいみんなが声援を上げてくれている。
それと、小鳥遊くんへの戦闘警戒で気付かなかったけれど、いつの間にか半透明な辰までもが加わっていた。
こうなれば格好悪く負けてなんて居られない。
一か八かで勝つか、せめて格好良く立ち向かって負けよう!
僕は薙刀の前後を返して穂先を背中へ回す。
更にその長柄を片脇で挟み、空いたもう片手は前に構える。
重心は固定し、しかし前方に弱点を集中させて、攻撃への恐怖で集中力を研ぎ澄ます。
多々良一芯流の技、草隠れ。
それは派手な姿の雉が、草の中に隠れ切れていない事を表す言葉。
でも逆に言えば、相手が狙ってくる場所を固定できるということ。
これが捨て身の反撃狙いの技ってことぐらいは見抜かれているだろう。
だから、あとは瞬間の反応勝負だけ。
周回飛行を繰り返す小鳥遊くんの羽音、それと白い翼からの強い反射光。
その微かな変化で飛来に切り替わる瞬間を、見逃さない。
刹那に、襲い掛かってきた最高速の銀の光を狙う。
――最も短く構えた薙刀の後ろ先端、そうやって精密な動きだけに特化させたことで、その石突を細剣の切っ先に合わせ、受け止め、弾いた。
小鳥遊くんの表情が驚愕に歪み始めるのと、衝突の勢いに耐えきれなかった細剣がスローモーションで弾き飛んでいくのを見届けて。
最後、彼とのすれ違い様の胴体へ、背に回した薙刀の刀身を軽く掠めさせる。
酷い音をたてながら僕の後方に小鳥遊くんが不時着した。
同時に試合終了のブザーが鳴り響く。
僕が心配から振り向くと、体育館のかなり遠くでひっくり返った姿の小鳥遊くんは開口一番に。
「……ありえない!! それは……無茶苦茶だろう!?」
彼は啞然とした顔で、抗議とも呆れともとれる叫びをあげた。
僕もここまでうまくいくとは思わなかったけれど。
そのまま体育館は歓声に包まれて、飛びついてきた紅利さん、佐介、むーちゃんに僕は揉みくちゃにされる。
抱き着きっぱなしの三人を引きずり、何故か一緒にへばりついていた仔狸に戸惑いながら、僕は転がったままの小鳥遊くんへと歩み寄った。
僕が近づいたところで、ため息一つを付いた小鳥遊くんは残念そうな笑顔で敗北を宣言する。
「まあ、これなら……大丈夫かな」
僕も、彼に心配をさせないために声を掛け、そして同時に彼を助け起こすために手を伸ばす。
「もう油断はしないよ。みんなを、全身全霊で守るから」
小鳥遊くんのふさふさの翼手を握って、その軽い体を引き上げる。
立ち上がっても、彼は中々握った僕の手を離さなかった。
信認の握手、ということなんだろうか。
――そこで、いつもの戦闘警報が鳴り響いた。
「来たか。僕の巨人」
小鳥遊くんが、体育館の天井越しに空を睨みながら呟いた。
僕は少し戸惑い気味に答える。
「そうとは限らないけれど……」
調子を取り戻した様子の小鳥遊くんは、クールな笑顔で続けた。
今までより、ずいぶん親し気に。
「多々良くんは意外にロマンを考えないな。こういう時は、限るんだよ」
そして、彼の言う通りだった。