第三十一話「静止衛星軌道おばけ」2/5
=珠川 紅利のお話=
私たちは、お化けを探すべく夕暮れの学校へと侵入した。
学校の中は、普段と違う光の加減だけで雰囲気が全然違っていた。
いつもなら絶え間なく聞こえる子供たちの声も無くて、自動清掃ロボットの作業音だけが響く。
でも私は不安は感じない。
だって傍には央介くんたちが居る。
それだけでなく大神さんたち軍の人が見守ってくれているし、あきらくんはテレパシーを飛ばしてくる。
――これ、明らかに肝試しとして過剰な配置じゃないのかな。
「それじゃあ、学校の七不思議について説明するよ」
先導の美安花ちゃんが人差し指を立てて一番目の目的地と、その概要を語り始めた。
「まずは音楽室。誰も居ないのに楽器が音楽を奏でていた――なんていうのもあるけど、複数回聞いた噂だと“睨みつけてくる楽聖の肖像画”だね」
楽聖の肖像画。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー。
その隣の眼鏡の日本人の方はなんだったかな――ゲームシリーズの音楽を手掛けた人って覚えはある。
本人は昔々に亡くなっても、音楽は世界のどこかでいつでも流れ続ける人たちの厳めしい顔や微笑みかける顔が肖像画になって音楽室の壁に並んでいる。
でも、その話を聞いた途端だった。
元々小さい体を縮こまらせていた央介くんが、しゃっきりと背筋を伸ばし音楽室に向けて歩き出した。
それはまるで怖いものが一つ消えたというような態度。
昇降口から音楽室までは階段で登りきるだけの距離。
すぐに私たちはそこに到着して、美安花ちゃんが部屋の鍵を開ける。
みんな黙ったままで日光も薄れた音楽室に進み、そこで私たちは問題の肖像画を見上げる。
ぎらり――と、それらの目が光ったように見えた!
驚く私の傍で、大きくため息をついたのは央介くん。
更に央介くんは声を上げた。
「――やっぱりか。佐介、手は届く?」
「任せろい」
央介くんからの指令を受けて、前に進みでた佐介くんはブレスレットにくっついたスイッチを操作して、その腕をハガネの大砲に変えた。
そのまま彼は肖像画へ雑に狙いを合わせる。
私たちが破壊でも巻き起こるのかと身構えた中で、佐介くんの腕の大砲から飛び出たのはバネ仕掛けのマジックハンド。
びよーんと伸びたマジックハンドの先端には佐介くんの手がくっついていて、それがモーツァルトの肖像画の顔を撫で擦りだす。
そしてそれが絵の目の周りを軽く引っ搔いたと思ったら、マジックハンドは縮んで佐介くんの手元に戻ってきた。
戻ってきた佐介くんの指先をよく見ると、薄っぺらい何かが輝く。
すぐに央介くんがそれについてあっさりと説明。
「偏向レンズシール。イタズラグッズの定番で、絵とかの目部分に張り付けると常にこっちを見てるように屈折させる」
「島の学校でもやってた子がいたよね! 昼間の光が強い時間帯だと分かりにくくて、夕暮れ以降だとそれっぽく見える!」
夢さんが続いて、彼らにとっては経験済みの話だったことがわかる。
なるほど、央介くんのお化け判定が止まっていたわけ。
一方で不満げなのは美安花ちゃん。
「イタズラかあ……台無しだな……」
そんな彼女に語りかけたのは、すぐ傍の瞬くん。
美安花ちゃんを慰めて、勇気づけるように。
「でも、ここがイタズラでもウワサになってたってことは、美安花ちゃんのきいたウワサのところには、ちゃんとなにかがあるってことじゃない?」
そう言われて美安花ちゃんも納得したみたい。
笑顔に戻った彼女を見て、瞬くんもニコニコ笑顔。
――この二人、やっぱりいいな……。
「うん、そうだね。よし、じゃあ次に行こう! 小体育室のお化け鏡!」
調子を取り戻した美安花ちゃんは第二の目標を公開。
そして逆に、元気がなくなったのは央介くん。
音楽室をきちんと施錠してから、私たちは階段を下って地上階まで。
まだ先生たちがお仕事をしている職員室の横を通って、そこから渡り廊下を渡って体育館下の小体育室まで。
学校の授業ではあんまり使われないここは剣道柔道その他の専門教室として使われていて、また私はダンスをここで習っていた。
ダンスでも武術でも姿勢確認は大事。
そのためにこの部屋は片方の壁面がまるごと大鏡になっているのだけれど、その中の一角がお化け鏡なのだという。
みんなで部屋の中に進んで、最後まで警戒して入りたがらなかった央介くんが何とか入ってきて。
夢さんが広い部屋の入口横で電源パネルを操作すると、暗かった部屋は一瞬で明るくなる。
「あ、ダメだよ! 黒野さん、お化け鏡は光を嫌うらしいんだ」
美安花ちゃんが遅れて注意。
首を傾げて夢さんが聞き返す。
「お化け鏡って鏡の中の人が別に動いたり、おかしなものが映ったり、酷い時は何も映らなかったりするって話でしょ? でも鏡は光の反射なんだから光が無きゃ始まらなくない?」
「ゴメン、言い忘れてた。この部屋が薄暗い時ほどお化け鏡が本性を現すっていうんだ」
美安花ちゃんによる怪談の説明。
彼女が指差すのは、部屋に並ぶ壁鏡のうちで奥の一角。
あれ? でも、あそこにあるのは――。
「じゃあ電源落とすー!」
「なんでわざわざ暗く怖くするんだ……!」
夢さんが再び電源パネルを操作して、央介くんが普段とはだいぶ違う口調で愚痴りだす。
夕暮れの光も薄れた部屋は、互いの顔もちょっと見分けにくい程度の暗さ。
「よしよし、これなら――!」
美安花ちゃんは懐中電灯を構えて光らせる。
そしてその光が問題の場所を照らし出した。
「……――出た! お化け鏡!」
懐中電灯の光は、さっきまで鏡をしていたものが、今は別のものに変わっていることを明らかにした。
黒く暗い平面は、懐中電灯の光を鈍く反射するだけ。
――でも、私はその正体を知っているので、誤解が広まる前に話してしまう事にする。
「あれってそもそも鏡じゃないよ。大型のディスプレイ」
「そう! 鏡じゃなくてお化け鏡のディスプレ……えっ!?」
勢いが肩透かしになった美安花ちゃんが私を見て固まっている横で、夢さんにもう一度部屋の総電源を入れてもらう。
すると“お化け鏡”は部屋が明るくなると同時に、横に並んでいる鏡と変わらないような状態になった。
明るくなったところで私は電源パネルの横に備え付けてあったリモコンを取り出す。
みんなが見守る中、お化け鏡の前まで移動した私は、そこでリモコンのボタンを操作してみせる。
お化け鏡こと大型ディスプレイは鏡面以外のモードに切り替わり、私の動きを数秒遅れで再現しだした。
「……どういうアレなんだ!?」
美安花ちゃんが困惑の声を上げていた。
私は更にリモコン操作を続けながら、みんなへ説明を始める。
「これね、スポーツの姿勢確認用の大型ディスプレイなの。他に並んでるのは本当の鏡なんだけど、この一枚だけ機械」
私は、このディスプレイを使っていた頃を思い出して、くるりとターンしてみせる。
ディスプレイの中の私もワンテンポ遅れて同じ動き。
足首まできちんと伸びた姿が妙にうれしくなってしまって、私は簡単な一連のヴァリエーションを試す。
「そっか、紅利っちはダンスしてたからこういうのがあるって知ってて。でも他の子はこんなのがあるなんて知らないし、オマケに部屋の総電源が入ってない時は何も映らなくなる」
「ディスプレイとして起動してる時も遠目には普通の鏡に見えて、たまたま特殊表示の時にそうとは知らない人が前を通りがかると、お化け鏡の出来上がりってわけか」
夢さんと佐介くんによる分析。
踊る私の視界にはこちらを見て驚き、更には目まで逸らす央介くん。
央介くんはどうしたのかと思って――次に、今の自分のポーズに気付く。
ディスプレイに映っているのは高く高く上げた片足を手で支えた姿。
そして最近、義足のおかげで自由に動けてうれしい私は短めのスカートばかり。
私は慌てて姿勢を戻して、スカートを抑えた。
――顔から火が出そう!
「じゃあ、ここもナシだったってことで……次、いこ」
がっかりした美安花ちゃんの冷静な進行のおかげで助かったかもしれない。
何事もなかったかのように次の怪談スポットへ向かうことになった。
私は、何となくぎこちない央介くんと距離を取って歩く。
下着が何か汚れていたりしなかったか気が気でならない。
……いっそ可愛らしいデザインのものを着けていた方が良かったのだろうか?
私の穏やかじゃない心中はともかくとして、それからの学校探索も怪談巡りとしては失敗だったと言える。
三番目の怪談は“無人の体育館のドリブラー”。
誰もいない体育館からバスケットボールをドリブルするような連続バウンド音が響く、というもの。
これを調べる直前、夢さんが島の学校では首無しサッカープレイヤーが自分の首をボールにドリブルしているという怖い話をしてくれて、美安花ちゃんが目を輝かせ、央介くんが蒼褪めていた。
さて、問題の幽霊バスケ選手。
実際に小体育室から上に登ってホールに向かってみれば、何か連続する衝突音が聞こえていた。
目の前の異変に怯えるみんなを制して夢さんが真っ暗な体育館へ飛び込んでいき、そして戻ってきた時には自動清掃ロボを抱えて戻ってきた。
テフさんによる分析通信からすれば、その清掃ロボの行動エリア指定が間違っていて、夜間の清掃時間になると時折段差に乗り上げては落ちてを繰り返していたのでは、とのこと。
人が立ち入る時間帯では清掃ロボは待機場所に戻ってしまうので、人のいない時間帯でしか起こらない、というわけ。
四番目は“立ちあがる二宮尊徳”。
薪の背負子を傍に置き、座って本を読む少年の石像で、どんな時でも勉学を積み重ねようという偉人さんの姿。
それが時々立っていたり、立ったり座ったりするアクティブさを見せるという。
私たちが見に行った段階では、それはいつも通りに座っていた。
そして男子三人が調査すること一分足らず。
いきなり石像は光り輝いて立ち上がった!
――ように見えて、石像に瞬くんが半分めり込んでいた。
それは立体映像だったのだ。
大神さんが通信で声を掛けてきて分かった事は、ずっと昔のこの石像は薪を背負って本を読むという立ち姿が普通だったという。
それが手元を見ながらの歩きは事故を招く、危険の助長になることから座り姿に変更されていった、と。
更に後になって時代も変わり、今度は過去の立ち姿も文化として重要だからと過去の姿を表示するホログラフ投影機を置く場所が出てきた。
しかし私たちの学校では、いつの間にか投影機の存在が忘れられ、しかし何かの加減で表示スイッチが入ってしまった際に二宮くんは誰にも知られずに立ち上がる。
重たい荷物を背に立ち上がって本を読むその姿は、生真面目というものを体現していた。
そうやって段々と怪談のネタバレが進むにつれて、美安花ちゃんは元気をなくしていった。
けれど次の五番目の怪談“姿を変えて動く骨格模型”は、よりにもよって連続二度目のホログラフ。
夢さんは筋肉モデルや内臓モデル、その断面状態などの不気味な姿を切り替えてそれが精巧であり、欲しかった物だと喜んでいたけれど、それはあくまでも彼女の特殊な趣味によるもの。
そこまでくると、怪談より怖いのは美安花ちゃんの気持ちの方。
私は、彼女に付き従って励ます瞬くんを含めて気の毒になってきた。
6番目の怪談は“トイレの花子さん”だけれど――。
「古典オブ古典だな」
佐介くんによる、とても残酷な切り捨てから始まって。
「呼びかけると声が返ってくるとか、選んだ色次第で酷い死に方をするっていうけど、そこまで行動がはっきりしてるなら研究されて実証されると思う」
美安花ちゃんとは対照的に、元気を取り戻しきった央介くんが心無い事を言いだした。
またそれはそれとして、花子さんがいると言われるトイレは私たち6年A組女子の普段使いの場所。
そこに調査とはいえ男子を招き入れるのは、私もちょっと嫌。
結局、そこばかりは調査無しということになった。
そして最後、7番目の怪談の場所に向かう途中の、学校2階の渡り廊下。
ついに美安花ちゃんの気持ちが限界に来てしまった。
彼女は怒りに辛さ悔しさを激しい愚痴として言葉にしはじめる。
「ちょっとぐらい本当に不思議な事があってもいいじゃないか……。ナーリャは魔法少女に出会ったことがあるって言うのに……!」
――普段はボーイッシュでかっこいい系の女の子で通っている美安花ちゃんだけれど、結構繊細なところがある。
そこまで追いつめられることが稀だけれど、一度そうなると一人で静かに泣き始めてしまう。
「ふしぎなことだって、ちゃんとあるよ。いまはその……みえないってだけだよ」
瞬くんも、その危険信号を察知して直接彼女の体に触れるまでして宥めだした。
美安花ちゃんより彼の方が身長が小さいから少し力不足に見えるけれども。
「お化けって言われていても、ちゃんと原因があるんだよ。その原因が見えにくいから不思議って言われるだけで――」
調子に乗った央介くんが嫌なキャラになりかけたところで、言葉を切った。
同時に私にも、その原因が届く。
(――央介、アンノウンだ! 真後ろ!!)
あきらくんからの急な警告に、私と央介くん、佐介くんに夢さんがびくりと反応して、そのテレパシーで指示された方向へ振り向く。
そこに、確かにそれは居た。
「……すけ……」
淡く光る、半透明な影。
それは呻くように声を上げた。
一瞬遅れて美安花ちゃんが、蒼褪めて固まった私たちの視線の先を確認した。
そして、彼女だけは元気を取り戻して歓声をあげる。
「居た! 居た! 幽霊居たぁっ!!」
最初に正気を取り戻したのは央介くん。
彼の大慌ての指示が暗い校舎内に響く。
「――っ!! 一旦撤退!! 巨人か何かだよ!」
私たち全員は、影から一目散に逃げ出した。
見入っていた美安花ちゃんだけが取り残されて、佐介くんが慌てて引き返し、彼女を抱えて再度の逃走。
「……ま…て……」
央介くんに先導される中で逃げて逃げて、その途中で横目に見えてしまった影は崩れた人型をしていた。
そしてそれが追いかけてくるのは間違いなかった。
「最近幽霊騒ぎが起こってたけどさ! 本当にいるんだ!!」
「巨人だって! 巨人!!!」
佐介くんに抱っこされたままの美安花ちゃんは大喜び。
一方の央介くんはそれを必死に否定する。
とにかく幽霊ではないということにしたいみたい。
(そうだ、あいつがアンノウンだ! さっきまで感知できなかったのに、急に霧が晴れたみたいに確認できるようになった!)
超能力幼馴染のあきらくんから影の正体についての確証がきた。
でも、その正体が幽霊としても巨人としても、追いかけてくる何かというのは変わらない。
私たちは逃げて、逃げた先でまた影に遭遇して、逆走する。
それを何度か繰り返すうちに、影が出てこない場所というのがわかってきた。
どうやら影は上の階には登ってこない。
「――屋上まで行こう! そこでハガネとアゲハを出せば学校の外にみんなを逃がせる!」
走りながらの央介くんの提案に、みんなで頷く。
その時、どうして影が上に登ってこないのかという疑問が私の中に一瞬浮かんで、でも――。
「……だめ……うえ……」
――影の声が聞こえてきて、逃げるのに忙しくなってしまった。
みんなで息を切らせながら、なんとか屋上階まで辿り着く。
影は――まだ姿を見せない。
ひと段落して佐介くんは抱えていた美安花ちゃんをようやく下ろしてあげていた。
私は屈みこんで、よく走ってくれた義足に手を当てて労う。
以前はあきらくんが開けてくれた屋上への扉は、央介くんの軍事作戦のコードで問題なく開いた。
扉の向こうの屋上には、夜の群青色に染まった空が開けている。
「――ここなら、ハガネを出せる! Dream drive!――」
「アゲハも! Dream drive……???」
央介くんと夢さんがDドライブを構えて、けれど二人の巨人がこれから出現するという瞬間に、二人の動きは止まってしまった。
代わりに屋上の真ん中に現れたのは、私たちを追いかけてきた影。
けれど、その姿は今までと違って曖昧な姿ではなかった。
そして彼は言葉を話し始める。
「――ああ、そうか。Dドライブが起動状態になった影響で、僕も実体化できたのか……」
影だった存在は、背の高い男の子の姿をしていた。
半透明でも顔もはっきりとわかるほどに色濃く。
次の瞬間、悲鳴じみた驚きの声を上げたのは夢さん。
「……たっつー!?!?」
――“たっつー”。
どこで聞いた単語だっただろう?
夢さんが前にも口にしていたような気がする。
「辰……!?」
央介くんもまた彼の姿を見て動揺しているみたい。
そして央介くんと夢さんは、彼の方に歩み寄ろうとして――。
「――ダメだ! おーすけ、むーち!! 屋上に居たら危ないッ!!」
幽霊少年“たっつー”くんの警告と同時に、屋上は真っ赤な光に包まれた――。