第五話「神奈津川の人魚」3/4
=どこかだれかのお話=
「なあ……長手、でかすぎねえか?」
狭く薄暗い路地で、黒い作業服に身を包んだのっぽの男がつぶやく。
主語のない質問に、答えのない応えを返すのは小男。
「うるせえ、また見つかるだろ。いいからネジを巻け」
小男は何かの設置を行いながら、のっぽに作業の続行を促した。
しかし完全に手を止めたのっぽは、妥当な危惧を口にする。
「この山みたいな巨人が暴れ出したら、俺たちまでペシャンコになりかねないぞ……?」
「だから、今回の誘導ビーコンは時限装置付きなんだよ。30分もありゃ町の外まで逃げられるだろ」
小男は作業を止めて、自分が作ったわけでもないビーコンを自慢げに見せびらかす。
それを見たのっぽは、その装置の以前との差異に気がついた。
「前は……そんな機能なかったんじゃなかったか? あったら、この間みたいに透明マントで近づく必要なかっただろ?」
のっぽの疑問に、小男が答える。
小男の方は目端も、ついで機械構造に関しても見識があるようだった。
「毎回アップデートされてるな。それでいて壊れにくい、ギガントの技術はすげぇぜ?」
「その割には……」
のっぽが、渋々ネジ巻きを再開しつつ、ぼやく。
「発射装置が手動バネ式のピッチングマシンってどうなんだ? 前はロケットランチャーみたいなのだっただろ?」
「脳筋バカにゃわからんだろう。燃焼爆発と違って、バネなら熱源とか騒音とかをごまかせるから、だ」
小男の明らかにバカにした回答。
対して、のっぽは素直に感心し、何の気なく一言を吐く。
「じゃあ、この間みたいに長手が騒がなきゃ大丈夫だな」
思わぬ反撃をうけた小男は、唸って黙る。
そこへ突然、のっぽが切り出した。
「……なあ、長手?」
「なんだよ、うっせーな」
「そこ、草生えてたか?」
「はぁ?」
相方のよくわからない話に反目する小男。
「草なんて、そこら中に生えて…!」
反論しようとして、彼は気づいた。
今まで自分たちは路地裏にいたはずなのに、“周りに広がっているのは、草原だった”。
――どこからか、歌が聞こえてくる。
=多々良 央介のお話=
《き、緊急! 兵員から現在位置の確認要求が! 巨人付近の多くの部隊から「市街が消えた」と!》
《市街にダメージ反応なし! 各部隊GPSも正常値です! どこの部隊も現場にいるはずです!》
《……巨人最上部、PSIエネルギーの集まっている彫像状の部分が回転しています。いえ、特に目的を感じる挙動では……》
携帯から、指令所の狂乱の様子が聞こえてきた。
僕だって、呆然とするしかなかった。
地下通路を走って、戦闘車両用のエレベータにたどり着き、そこでハガネを出現させた。
何処からともなく歌が聞こえて、エレベータの大きな装甲扉が開いたとき――
――外は一面の田園と、昔話に出てくるようなお家。
「と、父さん。ここ……どこ!?」
「お、オレら、タイムスリップでもしたか?」
携帯の向こうの父さんに、二人で呼びかける。
《……カメラの異常ではない? これは全部現地の映像だと?》
父さんも酷く混乱していて、すぐには答えが戻ってこない。
少しの分析と思考時間を待って、でも父さんの次の言葉にはまだ正解らしきものはない。
《……うん……央介、今お前たちが立ってるのは、間違いなく出てきた第16防衛塔前だ。前なんだが……》
酷く歯切れの悪い答え。
その時、佐介が先に異変に気付いた。
「その防衛塔もどこ行ったんだ?」
「えっ!?」
慌てて振り向く。
そこに今出てきたばかりのエレベータの出入口はなく、代わりに水を湛えた田んぼがあった。
それと、やさしい歌声が聞こえる。
《……おそらく、巨人の見せている映像か何か……、いや違うか》
「ああ、映像って触れるものじゃないだろ!?」
いつの間にかハガネから分離していた佐介が飛び出して、田んぼに手を差し伸べ、水飛沫を掬って上げて見せる。
それはとても映像だとは思えない。
立体映像でこんな規模のものは見たことが無い。
「父さん、今のオレどうなってるんだ? 距離的に防衛塔にぶち当たるはずだけど?」
ええと、エレベータからハガネで数歩進んで振り向いた。
だからそこから約20m先の、佐介が立っている田んぼのあぜ道は防衛塔の壁の中、のはずだ。
それに関して、とりあえずオペレーターさんからの応答。
《GPSでは補佐体は……これ、防衛塔の屋上ですね……?》
「おい、いつの間にオレは防衛塔よじ登ったことになるんだ? ハガネは?」
佐介の疑問にオペレーターさんが答えるより先に、父さん。
《佐介、今は気にしなくていい。おそらく、この巨人が起こしている現象で、環境が塗り替えられているんだ。視覚的にも、次元方向にも。》
「環境を……塗り替え?」
父さんの、今一要素を掴みかねる説明。
ええと、周辺まで全部、巨人の影響を受けてしまった、とか?
――どこからか歌が、聞こえてくる。
それはベリルの“やさしい風のあこがれ”
何百年も前の世界にふらりと迷い込む、そういう歌。
《対象の行動から、戦闘コードを発行します。現対象のコードは“歌唱妃”です》
《……央介。この巨人、歌唱妃はグリーン・ベリルの巨人だと推定されるわけだが……》
携帯に、父さんの描いた簡単な図が転送されてきた。
大きな人型と小さな人型が、音符が書き込まれた矢印で結ばれていて、小さな人型から伸びる線が、もっと小さな家や木、人型に繋がっている。
「――何これ?」
《歌、というのは最も原始的な文化……人間に共感を呼ぶものだ》
大きな人型と、そこから伸びる音符と矢印に色がついて、強調された。
これが、歌を歌う巨人、ということだろうか?
《この巨人、歌唱妃は歌を聞いてしまった者に強制的な共感を発生させるのだと思う》
「共感させる? そうすると、どうなるの?」
色付きの巨人から伸びた矢印から、小さな人型に音符の色が移っていく。
話からすれば、歌を聞いてしまった者――巨人でない人間に状態が伝染したような状態。
《共感はつまり精神の動きそのもので、巨人を出している状態の精神が、どんどん歌を通じて伝播していく……》
音符の色になった小さな人型から、小さなもの、家とか人型の絵がどんどん飛び出していく。
少しずつ分かりにくくなってきた。
巨人の力が普通の人に移動して、そこから――?
《共感した人間全てが、歌や巨人を拡散させるリレーポイントを大量に発生させている、のだと思う……》
父さんの説明は、正直難しくてわかりにくい。
佐介も手を広げてさっぱり、というようなポーズだ。
《……そうだな。さっきから見えている幻覚も、巨人の一種と考えてくれればいい。今はそれでいい》
「え……? これ、全部が……巨人!? こんな規模の巨人なんて見たことないよ!!」
「こんなのどうしたらいいんだよ!?」
噛み砕いた説明をされたら、むしろ追い詰められてしまった。
今まで戦ってきた巨人には、こんな無茶苦茶な範囲のものは居なかったのに。
同時に携帯から、悲鳴のような通信が流れる。
《緊急、緊急、緊急! 第三戦車隊の指揮戦車が川に転落し、水没! 車内に浸水が発生したと!》
《川!? どこの川に!? 戦車が沈むような深さの川なんて市街地には……》
《そもそも18式は完全防水仕様でしょう!? 浸水なんてありえません!》
――今までも巨人は時々物理現象を無視してきた。
多分、防水の戦車は本当の水なら平気なのだろうけど、今この場にあるのは巨人が作り出した幻の川。
その水は戦車の装甲をすり抜けて流れ込むのかもしれない。
となると、父さんの説明通り。
この周囲にあるのは全部が巨人。
《……央介、幻覚部分は無視していい。原因はあくまでも歌唱妃で、そこさえ止めれば全部消える!》
「最初からそう言ってよ! それなら簡単なのに!」
佐介はそういうけれど――。
《現在の状態ではハガネ、あるいは君達を、歌唱妃の中枢に運ぶ手段がないのだよ》
通信に割って入ったのは大神一佐の声。
そのまま、状況の説明が始まる。
《現在、巨人――歌唱妃自体が蓋のように神奈津川市を覆っている。それだけならともかく、この幻覚だらけの状況ではヘリを飛ばせない》
「覆って、って普通の空にしか見えないぜ?」
いつの間にかハガネに飛び乗っていた佐介が、合体の準備をしながら、空を見上げていた。
僕もそれに合わせて空を見れば、確かに雲の浮かぶ青空。
でも、さっきからの巨人の説明からすれば、僕たちの上に歌唱妃があるはず。
《それも、空に見える幻覚、なのだろう。広域の映像では君達は間違いなく歌唱妃の傘下だ》
大神一佐が示してくれた映像。
そこには都市全体に覆いかぶさるような巨大な巨人の姿があった。
僕たちは本当に下からは見えない巨人の下にいるんだ。
《央介君、これから指示するポイントまで移動したまえ。そこならまだヘリを動かせる》
携帯で、ポイントというのを確認する。ここは……国道よりもっと登ったあたり。
でも、地図の現在地には市街地と道路が映っているけれど、今の周囲にあるのは田んぼと、木造の古民家。
これじゃ方角ぐらいしかわからない、それでも――。
「――わかりました。今すぐに」
佐介と合体した夢幻巨人ハガネは、幻覚の田園風景の中を駆け出す。




