第二十四話「Drainage divide - Leviathan by far」5/6
=珠川 紅利のお話=
「美宇ちゃん、怖くない?」
「夕暮れまでに充電回してもらったから、急な大風が吹かなければ大丈夫!」
ミニ飛行船の美宇ちゃんは、布に包んだ“秘密兵器”を抱えて飛行前の体操をしていた。
それ以外にも重たいものを積んだから、その調整もあるみたい。
ちゃんとプロペラは回るか、重りのバランスはとれているか、そのチェックには佐介くんとテフさんも加わっている。
「天候情報によれば、現在から1時間以内の風は東南東の2m/s以下、ただし夜風はそれより強くなる模様。作戦時間を越えて飛行は推奨できません。その際は作戦を中断し即時の着陸を」
「最低限、どっかに光が見えたってのを報告してくれれば十分だからな。無理はしないでくれよ」
二人の呼びかけに、美宇ちゃんは笑顔でお辞儀を返した。
機械の姿に人の心の美宇ちゃん、人の姿に機械の中身の佐介くん、テフさん。
考えてみると不思議な対照。
「ま、あたしはみんなと違って命が危険なわけじゃないからね。宇宙船長さんになるんだったら、もっと責任重大なんだから!」
そこまで喋ってから、美宇ちゃんはくるりとその場旋回。
フェイスモニターの表情が、そしてスピーカーが私たちの方へ向かないようにして呟く。
「でも……もし、こっちの体が壊れちゃったら、持って帰ってきてくれると嬉しいかな。愛着もあるから、ね!」
美宇ちゃんの、やっぱり心細そうな一言。
――彼女とは小学校入学で出会ってから、ずっとこの小さな飛行船の体だった。
それがいきなり別の体になってしまったら、彼女も私たちも何か喪失感は覚えるに違いない。
「安心してくれ。そうなったらちゃんと回収してからピカピカに磨いて、神奈津川の自宅までお届けするさ」
「あー……、佐介くんはダメ。中身抜けてても女の子の体を撫でまわすなんてヘンタイだよ?」
「おっと失礼、じゃあテフよろしく」
佐介くんの呼びかけにテフさんが丁寧に頷くと、美宇ちゃんは笑顔を見せてから一際激しくプロペラを回して勢いよく上昇する。
羽音激しい彼女は秘密兵器を片手にぶら下げ、もう片手は行ってきますと大きく振る。
「行ってらっしゃい。佐介のを繰り返すようだけど、無理はしないで!」
央介くんの送りの言葉へ美宇ちゃんは振り向かずの返事。
「言われた通りに、頑張るからねー!」
そう言って、美宇ちゃんは暮れた濃紺の空へ飛んでいった。
少し離れただけでその姿は夕闇の中で影だけになり、更に左右に付いた緑と赤のランプだけが微かに見えるだけになって、それもついに見失ってしまった。
「……大丈夫、だよね?」
「いくら何でも撃ち落とされはしないと思うけどな。……狭山が獲物と勘違いして噛みつかなければ、だけど」
「佐介、狭山さんを一体なんだと思ってるんだ。こっちも準備に移るぞ」
私の心配を紛らわせるための佐介くんの冗談と、それをたしなめる央介くん。
なんとか二人に苦笑を返して、美宇ちゃんの無事を祈る。
バカみたいに簡単、単純な作戦だけれど、それでも今は私たち子供しかいない。
大人たちの助けも、要塞都市のたくさんの武器やカメラもない。
それが、とても心細かった。
=どこかだれかのお話=
「腹減ったよぉー……」
「うるせぇ黙れ奈良、余計に腹が減る」
ウサギネコ獣人、奈良の当然のぼやきを叱りつけた狭山は、周囲の視線よりも後悔しそうになる自分に苛立つ。
ケンカ別れ組は、ついに真っ暗になってしまった無人島の道路を携帯の照明機能で照らし、当てもなく歩き進んでいた。
無人島でも観光地だと言われていた、じゃあ何らかの施設は残っているだろうというのが最初に出た考えだった。
それは怒りに任せたノープランでしかなかった。
しかしそんなことは全員が数時間前に気付いている。
けれども、戻れば怒りにはまた火が入るのは間違いない。
そして戻ったとしても状況が改善するとは限らない――その考えだけで足を前に進めた。
皆、安心して休める場所が欲しかった。
一番良さそうだったのは一番最初、港から登ったばかりのところにあった体育館様の施設。
しかし、ケンカの対象が居た港からは距離を取りたかった。
それ以来、ところどころに集落や家はあった。
ただどれも亜熱帯の植物に飲み込まれて朽ちかけた廃屋ばかり。
車が走った後の匂いが分かると言っていた奈良の嗅覚も、途中からそこら中から甘い匂いがするという奇妙で不確か極まるものばかりに変わった。
集落の発見や道の選定に一役買っていた隼鳥人の小鳥遊による飛行偵察は、日没した今だと飛行高度の見定めもできない。
体調で言えば、無理な道行きで熱射病に倒れる者が出なかったのは、ただの幸運でしかなかった。
何人かが持ち込んでいた清涼飲料を辛そうな者に分け与えていたおかげで、日没までは耐えられた。
しかし、日差しこそ消えても熱帯の海風は気温を維持し続けている。
内3人の女子が小用の不遇に恨み言も言わなかったのは、彼女らこそがハガネに関する事件での怒りが強かったから。
それでも、もうしばらくすれば男子も限界となり、そうなれば持ち物の枯渇で衛生面で酷い目に遭うのが見えてきている。
――彼らは、歩きながら行き詰っていた。
「……ちょっとストップだ、狭山。俺ら獣人はともかく、根須と亜鈴が倒れちまうぞ」
見かねて馬獣人の少年、日々野 静が休憩を勧める。
狭山は眉間にしわを寄せて、しかしどうにもならない現実を受け入れて黙ってうなずき受け入れる。
既に真っ暗な、けれど昼の陽光の熱が残った道路に、あるものは座り込み、あるものは大の字になって寝ころぶ。
そうやって休み始めた最初は、それぞれ思い思いの場所に。
けれど、いつの間にか互いの横へ、互いの間へ場所を移して寄り添い集まるような状態になっていく。
「日々野くん、狭山さんはともかく、私は気遣ってくれないの?」
「軽子坂は最近鍛えてるだろ? ただのフィジカル順。辛いっていうなら背中に乗せてやろーか? お姫様」
「うーん……、ないわね。白馬の王子様ならともかく、黒馬が王子様なのは」
二人が強気の軽口をぶつけ合うと、何人かが笑う。
けれど、その笑いは乾き気味だった。
それでも冗談が出た以上は笑わないといけなかった。
それぐらいに、もう、みんな、こわくなってきていた。
助けてくれる人もいない。
助かりそうな物も見つからない。
家族から遠く遠く離れた、知らない土地の夜の闇の中。
みんな、泣きたかった。
だから、笑うしかない。
泣けない。
泣いたらそれは絶対に全員に伝染する。
そうやって皆で泣きだしたら、総崩れ。
そして崩れてしまったとしても、数時間かけて歩き、分岐を覚えていない道を戻る手段がない。
だから、崩れてしまわないように寄り添って支え合って、互いを見張るしかなかった。
しかし、その張り詰めた空気を読まない、あるいは読めない程度に切羽詰まっていたのが一人。
「腹減ったよぉー……」
「……何度も言わせんな奈良。これ以上言うなら口に石詰めるぞォ……」
狭山は、出来得る限りに声色を低くして奈良を脅かす。
しかし、今度の奈良は止まらなかった。
「だって、さっきから余計に腹減る匂いがするんだよ……焼き魚の匂いがどっかから……」
だが無人島で焼き魚が突然発生するはずはない。
一行は、奈良が空腹のあまりに危ない状態になってしまったと危惧しだす。
そうやって不安になったところへの、追い討ち。
闇の中に、顎下から不気味なライトアップをされた顔が浮かんだ。
全員が一瞬の混乱に陥る中で、顔は喋り出す。
「もういっそ、獣人勢はその辺の物食べれば助かるんじゃないか? 草とか動物とか……」
全員の持っていた照明が集まり、不気味な顔を明るく照らし出す。
照らし出されてみれば、オバケライトアップをしていたのは赤い野球帽の根須。
「――ふっざけんな、あきらぁ!! このシャレにならねぇ時に!」
「あっはっはぁ。そんだけ大声出せるなら、狭山はまだ大丈夫だなあ。――助かるなあ……」
確かに、狭山が上げたのは消耗しているとも思えないほどの大声だった。
島中とは言わずも、数百メートルに渡って響くほどに。
そしてそれが、最高の誘導となった。
「あー……焼き魚が近づいてくる……」
いよいよ末期的になったかもしれない気の毒な奈良の様子を何人かが窺う。
彼は、空を見上げていた。
空から焼き魚がやってくるはずもないだろうに。
――しかし。
「いたーっ!!!」
それは一行にとっては毎日学校で聞き慣れた騒がしい声。
けれど、ここには居ないはずの声。
声の方を皆が見上げた。
そこには点滅する赤と緑のランプ。
更に節電のために明かりを落としていたフェイスモニターが点灯し、笑顔のサインを表示する。
ミニ飛行船の体の少女――高原 美宇は、迷子たちを見つけ出した。
「な、なん、何をどうやって!?」
狭山は、高原が現れた全ての理由を理解していなかった。
それを酷く不明朗な質問として高原に投げかける。
「焼き魚……」
挟まる奈良の呻き声。
狭山の問いかけの補足をしたのは根須。
「どうやって来た。どうやって見つけた。何しに来た。……って言いたいんだと思うぜ」
根須からの聞き直しでやっと理解できた高原は頷いて、順番に答えだす。
「普通に空飛んで。んで、光が見えたかなーって方に飛んできたら狭山が大声上げて、そっち見たら根須くんが明るくなってたおかげ」
「焼き魚……」
高原の回答を受けて、発見原因になった狭山は唸り、根須はおどけたポーズをとって見せる。
ついでにウサギネコ獣人の奈良が空腹に呻く。
――この場では知る者がいない事だが、根須はESPを持つサイオニック。
奈良が高原の接近を感知したことに気付いた彼は、注目――照明を自分に集めて目立つようにしつつ、狭山に大声を上げさせた。
全員が見事に誘導され、計画通りに高原は一行を見つけだしたのだ。
更に高原の話は続く。
「んで、こっちがみんな腹ペコだろうから助けにきたのと、それに関する交渉」
高原はマジックハンドで掴んでいた袋を突きだす。
そこまで近づけば、獣人でなくとも分かるほどに空腹くすぐる香りが袋から漂っていた。
それに即座に反応したのは、奈良。
「焼き魚っ!」
それは空腹によってブーストされた野生の動き。
奈良は空中の高原が持っていた袋へ一直線に跳躍、それを掻っ攫った。
「あっ、交渉材料! ドロボーっ!」
「……ごちそーさまでした」
目にも止まらない奈良の早業。
ひったくった袋の中身――交渉用秘密兵器だった焼き魚は一瞬で骨も残さずに彼の胃袋へと消えた。
それでも高原はため息一つ、交渉を続ける。
「まったくもう……。で、今のお魚以外にもごはんと飲み水、休めるところを用意したからさ。一旦休戦ってことにして戻ってこない? ……戻ってこないっていうなら私はこのまま帰っちゃうけど」
一行に衝撃が走る。
行き倒れが近い自分たち。
しかし、飛び出てきた憎い場所はその対策をしたらしく、更に高原はその証拠の焼き魚を持ってきていた。
――残念ながらそれは奈良が一人で食べてしまったが。
選択肢はなかった。
しかし、最後の矜持で狭山は指を突きだして、吠える。
「そんなのただの脅迫だろ! あたしらは思い通りには動かないって多々良に――」
が、彼女の虚勢もそこまでだった。
彼女の気持ちとは真逆に、彼女のお腹が盛大に鳴り響く。
先ほどの焼き魚の香りが空腹に突き刺さっていたのだ。
狭山は自身への怒りと羞恥で真っ赤になって黙る他なかった。
見かねた小鳥遊が割って入り、決定を下す。
「――休戦だ。あくまでも休戦。倒れてまで突き通していい問題じゃあない」
その決定に全員が渋々といった様子で頷く。
高原はケンカが終わった事への喜びを隠さずに応じた。
「おっけい! それじゃあ救助部隊を呼ぶからねー!」
そう言って彼女は、体に括り付けられていた信号弾筒を手にして、慎重に真上に向けて撃ち放った。
空高く撃ちあがった弾体は空中でパラシュートを開き、その下に眩い花火をぶら下げてゆっくり降下しだす。
――その信号弾を見て無人島唯一の乗り物、夢幻巨人ハガネがやってきたのは10分もしない頃だった。