第二十四話「Drainage divide - Leviathan by far」3/6
=珠川 紅利のお話=
大神さんとの通信が終わって、私たちは軽い放心状態になった。
この島で生き延びるために、やらなければいけないことはたくさんある。
けれど、どう動いていいかわからない。
その時、佐介くんが急に向きを変えて駆け出した。
彼が行く先は、港の建物の向こう。
少しだけ時間がかかってから、佐介くんに付き添われて、央介くんが姿を現した。
央介くんの足取りはしっかりしていて、いつも通りに佐介くんと話し合いながら。
私の大好きなヒーローが、戻ってきた。
「ごめん。まともじゃないところ、見られたくなくて……。でも話は聞いたから、すぐ動く」
そう言って彼はみんなへ頭を下げる。
央介くんが悪いことなんてないと思うのに。
――央介くん、調子を取り戻してるのかなって思ったけれど、顔色はあんまり良くないし、目元も多分泣き腫らして、赤い。
それに、どうしてシャツだけ濡れて捩れてるんだろう。パンツ側は乾いてるのに。
何か……シャツだけ洗った? 上だけ汚して――。
――吐いた!? 確かに央介くん、具合は悪そうだったし……。
これ、今の央介くんは、みんなを守らなきゃいけない責任だけで無理に頑張ってるんじゃあ……?
止めたほうが、いいのかな……。
でも、そのために何をすればいいのか全然わからない。
いっそ私の不自由な体で抱きついて動けないようにすれば、休む時間をとれたりしないかな。
私は何かできることはないか考えて、車椅子を央介くんの方に寄せる。
けれど、結局何もできずに泣き腫らしを隠した央介くんから、いつもの優しい笑顔を向けられただけ。
――胸が、痛くなる。
「じゃあサバイバル、はじめよう」
央介くんは、何でもないようにそう言った。
彼のために何かをしたくてできない私と違って。
「第一目標は海川から遠くてー、日陰になってー、危険な生き物が寄ってこないセーフポイント。二番目に水と火の確保ー。その次で緊急時食料として最低限の糖分、タンパク質もあれば望ましいわねー」
葉子ちゃんはみんなに向かって、最初にやるべき事を伝える。
真っ先に手を挙げたのは央介くん。
「火と水、食べ物に心当たりはあるんだ。それはハガネ、僕と佐介だけでなんとかなる」
央介くんの言葉に葉子ちゃんは頷いて、更に次の計画。
「じゃあー、黒野さんはその間ー、都市軍のオペレーターさんが言ってた通信アプリをみんなに配ってあげてー。お家の人と話せればみんなも心が楽になるはずだからー」
「りょーかい!」
夢さんはいつもの元気を取り戻した様子で応じる。
央介くんが戻ってきた分で、夢さんは落ち着けるようになったみたい。
そこまではっきりと物事を喋っていた葉子ちゃんが、急にまごつく。
そして、傍にいる私と夢さんぐらいが聞こえる程度の小声。
「あと……安全で一人になれるおトイレー、見つけて欲しいかもー……」
――とても、重要な話だった。
特に私たち女の子にとっては。
対応したのはテフさん。
「緊急案件を了解。当機テフが探索を開始します。対象は安全に利用可能なお手洗い。存在が確認できない場合は仮設も考慮とします」
「あのー、私たちも手伝えるかしら?」
大きな手を上げたのは、この南国でもジャージ姿の熊獣人、熊内さん。
そしてテフさんの傍に集まったのは熊内さんを含めた“ジャージ組”の女の子たちと2人の男の子、合計6人。
「――協力に感謝します。協力者の増加により探索能力は426%の上昇と推定。ただし危険と推定される個所の探索は当機テフのみで行わせてください」
「私、ヒグマだから結構頑丈よー?」
「それでも、です。Eユナイターは負傷への耐久および回復能力が高くとも、心理的外傷は回避できません。了承いただけるなら作戦行動を開始しましょう」
「――ありがとう、テフちゃん。よろしくね」
ジャージ組の子たちとテフさんは談笑しながら、目的のために動き始めた。
それを見届けて次に動いたのは、佐介くん。
彼が走っていった先にあるのは、私たちが乗ってきた船――その先っぽだけのひっくり返った残骸。
私の近くには、佐介くんを見届けるポーズの央介くん。
てっきり、央介くんたちはハガネを出して何かをするのかなと思っていたけれど。
私は、邪魔にならないか気にしながら央介くんに尋ねてみる
「あれ、なにしてるの?」
「大きい船には最大乗員に合わせて避難ボートが配置されてるんだよ。その中には――」
ちょっとした破壊音。
見れば、佐介くんが船にくっついていた大きな樽状の何か――箱?を引き千切った。
それは佐介くんと比べるとかなり大きく、多分彼なら5人6人は入る大きさの収納容器。
「あったぜー! 避難ボート!」
佐介くんは“避難ボート”だという大きな箱を頭の上に掲げて大声の歓声で、私たちに伝えてきた。
まだ事情がつかめずにいる私へ、央介くんからの説明。
「あの避難ボートカプセルの中には必ず緊急キットが用意してあるんだ。――これ、海の子供の基本知識」
南の島育ちの央介くんは少しだけ得意そうに語る。
こういう所は、普通の男の子なのに。
向こうではもう一度破壊音がして、2個目の避難ボートの箱を佐介くんが手に入れていた。
そのまま、自分よりずっと大きな箱を2つ肩に担いで、のしのしと近づいてくる佐介くん。
こうやってみると、やっぱり彼の人間じゃない加減が分かる。
「佐介! 避難ボートの膨らみ考えたら、そのへんで開け!」
「あいよー!」
央介くんの指示を受けて、佐介くんは箱の片方を投げ飛ばした。
港のコンクリート地面に叩きつけられた箱は真っ二つに割れ、そこから何の機械がどう作動したのか、むくむくとゴムボートが大きく膨れ上がる。
更に、そこから少し離れた場所に投げられたもう一つの箱も、同じ動作を起こす。
周りの子たちが見たことのない現象に驚きや歓声を上げる中、央介くんは避難用ゴムボートの動作が安定したのを見計らってそれに乗り込んでいく。
すぐに央介くんは、みんなに向かって見つけたものを高く掲げた。
それは結構な大きさの、蛍光オレンジ色のバッグ。
――央介くんは緊急キットと言っていたけれど、中身は何が入っているのかな?
隣のゴムボートでは佐介くんが同じ物を取り上げて、それから央介くんと一緒にこちらに戻ってきた。
「これが海難緊急キット、中身は――」
みんなの前で、央介くんは説明しながらバッグを開く。
こんな非常事態の最中だけど、ちょっとだけわくわくしてしまう。
でも、それは他のみんなも同じだと思う。
央介くんが最初に取り出したのは、ティッシュ箱二つ繋げたぐらいの大きさの機械。
「太陽光発電機! クアンタムドットジェネレート。こっちのレンズ面に日光を当てれば結構強力に発電する。バッテリー充電で夜間も安心。照明機能と着火装置付き」
いきなり、かなり便利そうな道具が出てきた。
でも、これでみんなの携帯とか私の車椅子、美宇ちゃんの体が電気に困ることはなさそう。
火を起こせるっていうのは、ちょっと怖いかもしれないけれど。
次は何かホースがくっ付いた携帯タンクのようなもの。
「濾過浄水器! 海水でも泥水でも清潔な飲める水にできる。1分で20リットル精製は……大人数で使うにはちょっと遅いかも。でもみんなの飲み水分としては十分なはず」
水。
飲める水、それは生きるのに一番大切なもの。
火起こしができる発電機から、重要なものが連続して出てきた。
けれど、逆に言えばそれは最初に必ず用意されるもの。
きっと大勢の人たちが考えて、何かあった時のための完璧を用意してくれていた。
続いて央介くんが取り出したのは銀色のパッケージ。
それは今までのと違って複数個あるみたい。
「非常食の圧縮パン! このままじゃ食べられないけど真水で戻すとすごく膨れ上がる。必要栄養素たっぷり。味は……うん」
ごはん。
そういえば、まだお昼ご飯を食べていない。
だけど、色んな大騒ぎがあってお昼からは大分過ぎてしまっているのに、お腹は不思議と減った気がしない。
「後は保温シートたっぷりとハンドライト2本にナイフ2本、救急セット、圧縮除菌タオル1ダース、発煙発光信号弾4つ。それが2セットある。地味だけどどれも役立つと思う」
「ボートにはライフジャケットも備え付けてあるけど……、みんなはライフジャケット付けても、なるべく海に近づいちゃ駄目だ。何かあったら間に合わないし、有毒生物もいるかも」
佐介くんが最後にみんなを怖がらせるように締めて、どっきりびっくりな緊急キットの紹介が終わった。
――これ、私たちって結構恵まれてるんじゃない?
私がそう思っていると、葉子ちゃんが央介くんに近づいて非常食の銀色パッケージを受け取る。
葉子ちゃんはそれをひっくり返したりしながら、書いてある説明書きを確認したようだった。
他にも、男子たちが発電機を受け取って、早速火を起こすと息巻く。
「……この非常食、大人12人の3日分でー、それが2セット。……これだけだとクラス35人とテフさん分にはすこし足りないかもー? 助かるのは間違いないけどもー」
「オレは食わなくて平気だぜ。少なくとも脳維持の栄養が不要だ。テフなら完全に電力だけで良かったはずだしな」
佐介くんが応じて、けれど葉子ちゃんは首を横に振る。
「無いよりは、だけどー。焼け石に水程度の差だわー。それにー今の状況でロボットさんに機能不全起こされたらー負担がますます大きくなっちゃうー」
そこで更に声を上げたのは央介くん。
「あと、魚を足せる……と思う。獲ってこようか」
「こんな状況で漁は危険だと思うのだけどー。一人二人じゃ獲れる量にも限界がー……」
「大丈夫。すこし待ってて」
葉子ちゃんが無理な行動計画を諫めようとするけれど、央介くんはもう駆け出していた。
続いて、佐介くんも。
そして二人の掛け声が響く。
「佐介っ!」
「あいよぉ!」
私たちが目で追いかけるのが精一杯の間に、央介くんと佐介くんは光に包まれた。
次の瞬間には、夢幻巨人ハガネが現れて海へ飛び込む。
「あらー?」
葉子ちゃんも想定外の状況に目を丸くするばかり。
一方で央介くんたち、ハガネは港の囲いの中で、海面から上半身だけを出して様子を窺っているみたいだった。
「魚は――いる! 佐介、覚えてるな!?」
「ああ! こんなところで役に立つとは思わなかったけどさ! アイアン・ロッド、出すぞ!」
二人の声がハガネの外にまで聞こえてくる。
その声に合わせて、ハガネの頭の左に付いている蛇口みたいな部品が前へ向き、そこから長い長い大きな棒が飛び出した。
ハガネはその棒を思いっきり振りかぶって――。
「せぇーのっ!!」
――ものすごい勢いで海面に叩きつけた!
打たれた海面からはまるで爆発したみたいな水飛沫。
それは港に居る私たちにも飛んでくる程。
少しかかって水飛沫が収まって、それでもハガネは海に浮く白い泡の中。
一体、何をしたのか、私にはわからない。
けれど、葉子ちゃんだけはそれの結果を理解したみたいだった。
「なるほどねー。でも爆破漁法は法律違反よー。今は緊急避難だから許されると思うけれどもー。多用はおさかなさん絶滅しちゃうから加減してねー」
「ど、どういうこと?」
私は葉子ちゃんに質問したつもりだったけれど、その返答は別のところから。
それはハガネから、佐介くんと央介くんの声。
「みんなと出会う前――新東京島で戦ってた時に、海辺の戦闘でやらかしたんだよ」
「水中の巨人を殴ろうとしたら、今と同じように海へとんでもない衝撃を加えちゃって――こうなると魚は気絶したり浮袋が破裂して死んじゃう。それがダイナマイト漁だって怒られちゃったんだ」
央介くんの少し自省が混じった話が終わる頃には、海の泡はほとんど収まっていた。
その上で、ハガネは両腕を動かして何かをかき集めようとする。
かなりの距離はあるのだけれど、海に浮かぶハガネの腕の中には、白く見える何か――あれが、お魚?
「むーちゃん、バタフライ・シルクで漁網作れるかな!? ハガネの手じゃ魚零れちゃって駄目だ!」
「テフが戻ってこないと複雑なのは無理ー! ……港周りの施設に網とか残ってないか探してみる!」
泣き気味だった子たちへ携帯を回して励ましていた夢さんは、央介くんからの要請を受けるとすぐに駆け出した。
そこから更に巨人アゲハが出現して、港の建物の閉ざされたシャッターを一息でこじ開ける。
力仕事が終わるとすぐにアゲハは掻き消えて、建物の中へ夢さんは駆け込んでいった。
「漁するにしても……順番、考えるべきだったかな?」
「今後の改善点としよう。――んん?」
央介くんと佐介くん、ハガネからの声が聞こえる。
けれど、何か様子が変だった。
「――央介、アレ見えるか?」
「あれ? どこの、何……?」
ハガネは央介くんの戸惑いをそのまま反映してきょろきょろと辺りを見回す。
すぐに巨人の中で佐介くんによる誘導が行われたのか、一瞬ハガネが海面を見つめて。
途端にハガネは、海の中に潜っていってしまった。
何が起こっているのか把握できなくなった私の後ろから、夢さんの声。
「漁網あったよ! 何用のかは分かんないけどハガネの腕よりはマシ……ふえっ、煙い煙い!?」
「煙い? 何が――」
次から次へと物事が起こり続ける。
夢さんの声に釣られて振り向いた私の視界は、一瞬で真っ白く包まれた。
とても煙くって、夢さんと一緒に咳き込む。
見れば、煙の出元は発電機を受け取った男子一行。
――あれ、大丈夫なの!?
夢さんが慌てて彼らへ呼びかける。
「大丈夫ー!? それ、火事にならないー!?」
「火事どころかまともに火が付かないんだ!」
彼らをよく見れば、何やら木や草を寄せ集めていて、そこへ発電機の着火機能を使ったみたいだった。
けれど、そこからは真っ白くて目に刺さる煙が噴き出すばかり。
煙が出ているなら、火だって――ああ……考えない考えない……!
「生木や生草、乾いてない流木燃やそうとしてもそうなるわー。乾燥した木材を探してー」
「そんなの都合よく無いって!」
私が恐怖心を必死で追い払っている間に、葉子ちゃんからのアドバイスと、それが無理だという男子の声が行きかう。
その中で声を上げたのは横に大きな体の甘粕くんと、中華料理屋看板娘の辛さん。
「駄目だね。火は料理の基本なのにそれが確保できないなんて、不甲斐ないよ」
「あいや……キャンプファイヤーならこうやって木を並べれば燃えるイメージなのに……もう!」
火があればこんなところでも料理ができるというのか、二人は悔しそうにしていた。
――そう、火は食べ物の加工に使うもの。
恐いだけのものじゃあ、ない。
私は震える腕を抑え込んで、それでも心細くて、海に潜っていってしまったハガネに助けを求めて振り向く。
丁度、その瞬間に海面を割ってハガネが飛び出てきた。
その掲げられた腕の先には、赤く輝く何か。
「あちち! あちあち!! やっぱり生きてやがる、コイツ!!」
「――っ! でも、今は役に立つだろう!!」
二人で悲鳴を上げながら、ハガネが海の中から掴み出したのは炎の塊。
そのまま、ハガネは“炎”を手に抱えたまま、陸へ向かってきた。
――火をまともに見られない私だけれど、その時だけは何故かとても神々しい姿に見えた。
「みんな離れて! 熱いから!」
ハガネは港の陸地に上がると、みんなの居ない方へと“炎”を投げて転がした。
何もない地面の上で、燃料も無しに炎が燃え続ける。
それがいったい何なのかみんなにはわからない中で、夢さんだけがやっと反応した。
「それ……さっきの巨人の破片!? 倒したんじゃないの!?」
「わからない……! 海の中でいくつも気泡が上がってて、拾い上げたらこれだった!」
「でも、今は丁度いいだろう? 安定して燃え続ける炎なんて大助かりだ!」
佐介くんのその言葉にみんな我に返って、燃える巨人の破片へとそろそろと近寄っていく。
いきなり、あそこから巨人全部が生えてきたりしない、よね?
近寄っていく子の中でも、甘粕くんは木の棒を手にしていて、それを巨人の炎へとかざした。
炎は、木の棒の先で上に延びる。
しばらくそうしてから甘粕くんが棒を引き抜くと、その先で火は燃え続けていた。
「幻じゃあ、ないみたいだね。ちゃんとした火と熱だ……。こっちを使おう! 多々良くん、これを中心に石で炉を組めるかい!?」
「勿論! ……でも、なんでこの巨人は分解しないんだろう? こんな破片の破片なのに……?」
「理論と課程はどうあれー、今は貴重な熱エネルギー。使えるものは何でも使いましょー」
巨人専門家の央介くんでもよくわかっていないまま、葉子ちゃんの最後の一押しで利用計画が進み始める。
さっき、海の中でどんな戦いがあったのか私はわからない。
それでも、央介くんのハガネにやっつけられた巨人は粉々の光になって消えていくのが普段。
破片だけが残った、なんてことは今まで見たことが無い。
この島は――やっぱり何かがおかしい。