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フィラデルフィアの夜に、乱舞します。
雪虫という虫がいます。
それは秋の終わり、雪の様な綿毛を持つ小さな虫です。
粉雪と同じ軌道で宙を舞い、いつしか消えていく虫。
雪虫が飛び交い、消えてから本物の雪が地に降り注いでいきます。
雪虫が飛び始めます。
雪虫が、乱舞したのです。
工場に次々に原材料と燃料が運び込まれ、続々と製品が出荷され、もうもうと赤熱し続けていました。
煙突からは大嵐の雨雲より濃厚で真っ黒な煙が立ち上がり、壊れた様に機械は悲鳴を、雄叫びを、歓喜と絶望を同時に奏でつつ超高速で動き続けていきます。
突如としてこの工場の製品が大量に必要となったために。
国中と街中の人間たちが大いに望んで、この工場が持てる能力以上に生産し続けることになってしまったために。
恐ろしい程のエネルギーが工場中に飛び交い、行きかい、ため込んだ熱量は働く人間さえも溶かし込んでしまいかねないほどに。
それでも高熱に浮かれた工場は、真っ赤になって突き進んでいく。
みんなの期待を背負ってしまって。
煙が、上がっていきます。
煙が。
工場全体からの熱気と共に。
段々と。
工場の景色がくすんでいく。
煙が上がりすぎて、工場のすべての場所が。くすんでいく。
小さい微粒子が、飛んでいる。
工場の人があまりの煙に顔を扇ぐ。手に、動き続ける何かが絡みついた。
手に、服に、髪に。
蟲が。
無数に蟲が、蠢き犇き、羽音が轟き始めている。
工場の騒音と慌ただしさで、誰も気づかなかった間に、白い煙のような細かい小さい蟲が。
いつの間にか工場を覆いつくそうとしている。
ふと皆が空を仰いだ。
雪の、吹雪の様な蟲が。雪虫だ。
それが工場の隅々に降り積もる。
握りつぶす。
握った蟲。それは手に刺さる。
本物じゃない、偽物の蟲がこの工場に降り注いでくる。
工場の急な排気が、粉の様な蟲を吹き飛ばす。
吹き上げられた蟲たちが、さらに密度を増して風に煽られ吹き溜まる。
足を取られ、車が脱輪し、機械が詰まり始めてきた。
動かない。
工場が、停止を始める。
厚い熱かった雲をつぶさに観察した人がいます。
あの真っ黒な雲があの偽物の雪虫を降らせていたと言います。
拾い上げ、よくよく見てみれば、あの蟲たちは精巧に何者かが作り上げたとしか思えない針金細工だったと誰もが口をそろえました。
すっかり工場は静かになりました。
真っ白な蟲に覆われてしまって、どうする事もできなくなってしまって。
細かい所に入り込んだ蟲を取り除くのに手間取り、工場はすっかり冷え切りまだしばらく操業を開始できそうにありませんでした。
しばらくして、本物の雪虫が工場の周りに飛び交い、それから雪が降り始めました。
音もなく、ゆっくりと。




