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フィラデルフィアの夜に針金が湧きます。
夜、真っ暗で誰の目にも映る事はなくとも、怪我を負った命というのはあります。
黒い闇の中、紅い鮮血と褐色の腐った血液の混合物を無暗に明るい照明が微かに照らしていました。
匂いを嗅ぎながら怪我に悪くとも、より瘴気に満ちた湿った隙間へと逃げる命があったのです。
大きなドブネズミでした。
飢えと言う衝動に駆られた命です。
あらゆるものを口に運び病魔に侵されながら、それでも足りず自らの同胞まで口にし、それが更なる病にさらされる。
強烈なまでに、生きていたい、そういう思いが延々と頭を巡っていたのです。
そんな命は、猫の爪が体に引っ掛かり、傷を負っていました。
傷は古くなり、それが元でさらなる傷が生まれてくる、そんな状態で生き延びる為に向かったのです。
誰もいない漆黒へと。
ついに足が止まる。
纏わりつく粘液の如き闇夜の中で。
自らの体からは、死んだ生物の香りが漂ってきて、鋭敏な鼻は動きを止めました。
何かが来る。
鼻が金属臭を捕えた。
気が付けば音も立てず周囲を取り囲んでいる。
鼻はさらに今までにないほどに鋭く動き、辺りに佇んでいる何かの形を正確に捕えた。
針金だ。
か細く長い針金がいくつも、蛇の様に首をもたげて隙間がないほどに密集している。
足は、首は、体は、一切の感触も与えられずに針金に拘束されている。
動けない。
新たな香りがしてくる。
外から?
いや、自分の体から、自分の体の中からだ。
自分の体から漂う死んだ悪臭のその中から、周囲の針金と同じ香りがしてくる。
強く強く、してくる。
音もなく、針金の香りだけが。
続いて周囲の針金が傷口に集まってきた。
そして体の中から出てきた針金を迎え入れた。
針金は光輝き出し出しました。
何も見えない夜の中、温かく光ったのです。
傷口から出てきた光る蛹の様な塊は、すぐに細かな針金として展開して、周囲にいた針金がそれを支えます。
周囲にいた針金さえも明るく周囲を照らし出し、それらもまた全く新たな形へと変容していきます。
一切が迷うことなく絡み、捻じり、曲がり、巻き込み、一瞬で変化終わりました。
光でできた蝶が、そこにいました。
この世の誰もが見向きもしない、暗い夜の影の中を、飛んで行ったのです。
一匹のドブネズミを除いて。
遥か彼方、空の向こうにに飛んでいくのを最後まで。
傷を負っていた命は、再度自らの匂いを嗅ぎます。
鋭敏な鼻は、傷の匂いも金属の香りも捕えることができません。
ただ、また生きるため、食うため、漆黒の中を走り出すのでした。
今度は、光溢れた人間たちの街へ。




