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フィラデルフィアの夜に、針金が飛びます。
空家、廃墟の一室。
夜の闇の中、空を見上げている。
天を睨みつけて。
もし灯りがあるのなら、その男については十分に知れる。
苦悩、苦痛、苦しみ。
それらが積み重なり続けたと。
人を避け、いつしか言葉も失った。
夜を、ずっと睨みつけている。
あの漆黒に怒りを溜込んでいる様な、顔で。
闇空に憎しみの楔を打ち付ける様な、心で。
バシン
音。
静寂だった一室に、音が弾けました。
月が照らし始めた壁に、針金が刻み込まれた如くめり込み、形を作り上げています。
“心よ
イバラと化した
わが心よ
世界に広がれ”
そう書かれた文章は浮き上がり形を変え、羽ばたきました。
男が睨みつけていた、空に向かって。
そしてそれらは羽ばたきながら分裂し、ばらばらに飛んで行ったのです。
孤独に伏せる人
縮こまり震える人
うなだれ立ちつくす人
一人顔を覆う人
彼らの元に針金が降り立ち、壁に地面にあの文章が刻み込まれ広がる。
彼らは、その文章を見、手で触れ、感じました。
その日以来、男は針金を手にする。
苦痛、苦悩、苦しみのまま、折り曲げ綴る。
言葉を、心を、文章を。
それは不可思議にも形を変え、空を飛び、分裂し、誰かの元へ届く。
この世に捨てられたみんな、夜になると空を見上げ届いてくる文章を待ちわびるのでした。




