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フィラデルフィアの夜に、針金が巻き付きます。
一人の青年が体中に針金を巻き続けています。
太い物、細い物、材質も様々に。
指先までぬかりなく、極細の針金を。手は自由に動く。
装飾なのか、道端に捨てられていたであろう物を散りばめて。
潰れた缶、木片、小さい枝、骨、鉄の欠片、ガラス、何かの部品。
別な生き物の如き姿へ、いつしか変わる。
声を出した。
まるで何十年ぶりであるかのような、声を。
澄んだ声でした。
ある日の夜、青年は身を投げた。
希望を失い、全てを終わらせようとした。
声が出ないために。
その喉に、異常はない。ただしゃべれない。
いかなる意思も、努力も、支援も、罵声も、教育も、医療も青年の喉には通じない。
声を出したくても出せない。
蔑まれ、劣等感にさいなまれ、追い詰め、追い詰められて。
青年の体は、落下した。
青年の目があとわずかで届く地面を見た時です。
地面に何かがあります。
それが、青年に飛びつきました。
すると青年の体が、ガクンと停止したのです。
宙に浮いてます。
体は全身を何かに支えられているようでした。
その何かが体にゆっくりとまとわりついてくるのを感じました。
夜の明りは、青年の体の上を這う、針金を照らしました。
青年は針金に、されるがまま、動きません。
驚きと、無気力と、それまで積み重ねてしまった絶望で。
針金は全身を這いまわり、覆いつくし、傍から見れば何かの人形でしかなくなっています。
周囲の枝葉に飛んできた新聞紙、命尽きた蛾や羽虫までも巻き込み巻き付き、地面に落ちていた廃材までその体を飾る。
「終わったかな」
誰かの声が、無人の街の片隅に響く。
青年の耳にも届くも、気づかない。
宙に、針金に何かの巨大で人型の繭のようになったまま。
気づかない。
気づかない。
またしばらく経つ。
「あの声は誰の声だ」
一瞬おいて。
「喉が」
もう一つおいて。
「声が、出ている」
夜。
怪物にしか思えない声が、街に轟いた。
それは歓喜に満ち、驚きにあふれ、不快を感じる物ではなかったと、誰もが言います。
その声の主は知られることがなくても。
夜が終わった頃、青年の体から針金が解き落ちました。
次第次第に地面に近づき、そのつどそのつど針金が針金は去っていったのです。
陽の下で、青年は取り残されました。
青年が声を出すことができたのを知るのは、青年自身と針金に巻き込まれた枝葉や虫、廃材だけです。
また、青年の喉は声を発することはできなくなっています。
再び声を出すことはできるという、確信を残して。
青年は声を出します。
澄んだ声を朗々と出します。
白銀色をした人型の繭のような姿で、歩きだします。
街へ、人の前へ向かいます。
いかなるトラブルがあろうとも、声を聞いてほしいから。
声を出せる、それだけで力を得たから。




