第二章 魔法の修行
何事もなく、何日かが過ぎてしまった。
日が経つにつれ、あたしはだんだん焦ってきた。だって早く修行を終わらせて一人前の魔法少女になりたい。そしてお父さんを助けたいのに、「何か探して困ってる人」は、ぜんぜん現れない。自分で探そうにも、どうやってそんな人を探せばいいのかさっぱり分からない。街に出て一人ひとりに、「何か探して困ってませんか?」なんて聞くわけにもいかないし。
あたしはすっかり途方に暮れてしまった。
「ねえ、うーたん!」
ある日の午後。あたしは、のんびりとベッドの上で転がっているうーたんを突っついた。
「ねえ、いつになったらあたし、修行できるの?」
うーたんはころりと寝返りをうつと、
「あせらない、あせらない」
と、あたしの言葉を軽く流した。
「分かってるよ。だけどなんだか、のんびりしてる場合じゃないっていう感じなんだもん!」
あたしは小さい子みたいにベッドの上で足をバタバタさせた。ここ数日、なんだか身体がムズムズして、力が有り余っていて、じっとしていられない。張り切る気持ちが空回りするばかりで、落ちつかない気分だった。
それなのにうーたんは知らん顔している。
「もう」
これじゃまるであたしが、「何か探して困ってる人を探して困ってる人」だよ。あたしはしばらくの間、じっと考えこんだ。
「……よし!」
勢いよく立ち上がると、クローゼットからTシャツとショートパンツを引っ張り出す。
「のぞみ、なにしてる」
うーたんがのっそりと起き上がった。
「魔法少女には体力も必要よね?」
「のぞみ、たいりょくつける?」
「うん! とにかく何もしないよりマシだもん!」
あたしがこうしてる今もどこかで、お父さんは世界のためにがんばってるんだから。あたしだって。
あたしは手早く着替えると部屋を出た。
「うーたんもいく」
うーたんはトコトコとあたしの後をついてくる。
「よし、決めた! 今日から毎日十キロ走ることにする!」
あたしはうーたんのポーズをまねして、ヤー!と片腕を上げ宣言した。
「ヤー!」
うーたんも、同じポーズを決めた。
「ね、ねえ……、うーたん……」
あたしはぜいぜい息をしながら、スピードを少し落とした。
「もう、十キロくらい走ったかなあ……?」
ぴょんぴょんとあたしの後を気楽そうについて来たうーたんは、元気いっぱいで答えた。
「まだ」
「でも、もう、結構、走ったと、思うんだけど……。い、今、どれくらい?」
「さんキロちょっと」
「ええー!? うそぉ! 絶対もっと走ったよお!」
あたしはついつい足を止めてしまった。
「のぞみ、もうおしまい?」
うーたんは厳しい表情であたしを見上げる。
「うー。ちょ、ちょっとだけ……、休憩」
ちょうど、近所の高台にある広場にさしかかったところだ。あたしは近くのベンチに身体を投げ出した。
「はー。疲れた……」
遊歩道沿いの木がベンチに涼しい木陰を作っていて、とても気持ちがいい。
この遊歩道沿いに高台を越えて行くと、街の賑やかな場所や駅、線路を渡って反対側にある魔法学院への近道になる。あたしの座った場所からは、その建物がよく見えた。ぼんやり空を見上げれば、すごくいい天気。静かに目を閉じると、風で木がザワザワいう音や鳥の声が聞こえてくる。街は静かで平和だった。
世界がもうすぐ壊れるなんて、やっぱり何かの間違いじゃないのかなあ……。
「あーあ。なんか行きたくないなあ」
今日は魔法学院に行く日だ。だけどあたしは気が重かった。
結局この一週間、修行らしいことは何もできなかった。カイ先生に怒られるかもしれない。やったのはジョギングくらいで、それも最初の目標の十キロは難しいので三キロにした。
「のぞみ。うーたん、おでかけじゅんびおーけー」
ぐずぐずしていたあたしにうーたんが声をかけた。見れば、背中に小さな黄色のリュックを背負っている。どことなく見覚えがあった。たぶんあたしがうんと小さい時のやつだ。
「そのリュックどうしたの?」
「みつけた」
うーたんはクローゼットを指差した。いつの間に……。
「うーたん、ぴったり」
うーたんはそう言うとあたしに背中を向け、見せびらかすみたいにリュックを揺すってみせた。確かに、ちょうどうーたんサイズだ。
「まほうがくいん、しゅっぱつ!」
「はいはい、分かったよ」
うーたんに急かされて、あたしはのろのろと立ち上がった。
「……先生、ごめんなさい」
カイ先生の部屋に入るなり、あたしはうなだれてそう言った。
「どうしたんですか?」
カイ先生は目をぱちくりとさせた。
「あたし、今週は結局、何もできなかったんです」
あたしがあんまりしょんぼりしていたからか、カイ先生は慰めるように優しく微笑んでくれた。
「良いんですよ、焦らなくて」
「はい……」
「慌てずに、ゆっくりやりましょうね」
「はい。でも来週はもっとがんばります! あ、それと、ジョギングも始めたんです。魔法少女には体力も必要かなと思って――」
怒られるかもと思っていたのに逆に励まされ、あたしはホッとした。
今日はカイ先生とのお話の後に、授業があるらしい。
あたしはアリスさんに言われた教室に入っていった。室内にはいくつか丸テーブルがあって、それぞれ四、五人づつがテーブルを囲んでいる。あたしは適当に、近くにあったテーブルに着いた。
「あっ」
テーブルを挟んで向かいに座っている男の子と目が合った瞬間、あたしと男の子は同時に声を上げた。それは先週、廊下で会ったあの子だった。
「あ、こないだの。えっと」
「……拓海。広瀬、拓海です。えっと、小学三年です」
男の子――拓海くんは、やっぱりこないだと同じように伏し目がちにあたしを見ながら言った。どうやら人見知りするタイプみたい。
「こんにちは。また会ったね」
あたしがそう挨拶すると、拓海くんは口をモゴモゴと動かした。何かを言いかけたちょうどその時、先生が教室に入ってきたので、拓海くんは口をつぐんだ。
「ねえ、うーたん。これってさ……」
あたしは、色とりどりの紙を何枚かつまみ上げて言った。
「まるで、折り紙みたいじゃない……?」
教室に入ってきた先生は、テーブルごとに沢山の紙を配った。そして自由に折って下さいと言った。テーブルには、折り方が書かれた本まで用意されている。
「……どこが魔法の修行なのよ」
ふてくされているあたしに、うーたんが手を止めて答えた。
「しゅうちゅうりょく、きたえる」
「集中力?」
「そう。まほう、しゅうちゅうりょく、たいへんひつよう」
そう言うとうーたんは、また紙を折る作業に戻ってしまった。
「ふーん。そういうものなの……?」
あたしは本をぱらぱらとめくりながら、一生懸命折っているうーたんを横目でチラリと眺めた。
「うーたん、何折ってるの?」
「しゅりけん」
うーたんは真剣そのものだ。綿が詰まっているだけの丸っこい手で、器用に折っていく。確かに、集中力たいへん必要。
これも世界の危機を救うため。あたしも素直に折り紙に取り組むことにした。
「ねえ! 待って!」
教室を出たとたん、後ろからあたしを呼び止めたのは拓海くんだ。
「ちょっとこっち来て!」
拓海くんは、そのままあたしを廊下の隅に引っ張っていく。
「え? ちょ、ちょっと」
拓海くんはさっと辺りを見回すと、内緒話をするみたいにあたしに顔を近づけた。そして小さな声で囁いた。
「あのさ、聞きたいんだけど」
「なあに?」
「こないだ言ってたこと、本当?」
「え?」
「……魔法少女だって」
「うん、そうだよ」
あたしも拓海くんにつられて、ヒソヒソ声で答えた。
「でも、まだ魔法少女見習いだけどね。修行のためにここに来てるんだよ」
「そうなの?」
「うん、そうだよ。だって拓海くんだってそうでしょう?」
「……僕? 僕は違うよ」
拓海くんは怒ったような顔をした。
「弟がここに通ってるから、僕もついでに来てるだけなんだ」
「そうなの」
「ねえ、ほんとに魔法少女ならさ、僕、相談があるんだけど……」
「なあに?」
拓海くんは口ごもった。何かとても重大で、言いづらいことを言おうとしてるみたい。あたしは黙って待った。やがて拓海くんは、決心したように顔を上げた。
「あのさ。僕ね……、ママにいじめられてるんだ」
「――えっ?」
「僕なんにもしてないのに、ママ、いっつも怒るんだ」
そ、それって。もしかして、「ぎゃくたい」っていうやつじゃない!?
「えっと、それって、」
あたしは言いかけた言葉を慌てて飲みこんだ。お母さんに「ぎゃくたい」されてる、なんて言われたら、拓海くんは傷つくかもしれない。だけど。えっと、どうしよう?
あたしがぐるぐると考えている間に、拓海くんが言った。
「ねえ。魔法少女ならさ、魔法でママが僕をいじめないようにして欲しいんだ!」
「ええっ!?」
ど、どうしよう。魔法でそんなことできるのかな!?
あたしは戸惑った。ところがその時、
「まかせて!」
と、うーたんがあたしの腕からポーンと飛び出した。
「ちょ、ちょっとうーたん。そんな簡単に……」
拓海くんが目を丸くして、あたしとうーたんを交互に見ている。あたしは慌てて説明した。
「あ、この子うーたんて言うの。魔法少女のマスコットなんだ」
「へえ……?」
拓海くんは疑わしそうな目でうーたんを見つめた。山ほど作った手裏剣でパンパンに膨らんだリュックを背負ったうーたんは、あたしの顔を見上げて言った。
「うーたん、まほうしょうじょクルクルのますこっと。ほかのひと、うーたんのこえきこえない」
「え、そうだったの!?」
「うん」
「もう! うーたん、そういうことはもっと早く教えてよ。あたしが一人で喋ってる変な子みたいじゃない!」
「ごめん」
うーたんはうさぎぶっちゃって、鼻をヒクヒク動かした。拓海くんは不安そうな顔であたしをじっと見つめている。
「ねえ……、できる? 魔法で、ぼくのこと助けてくれる?」
あたしは正直言って全然自信がなかったけど、拓海くんの顔を見たらできないとは言えなかった。
「うん、分かった。魔法少女クルクルがなんとかしてみるよ」
「ほんと!?」
拓海くん、すごく嬉しそうな顔。その時だった。鋭い声が飛んできた。
「拓海! 何してるの!」
拓海くんにつられて振り返ったとたん、あたしは凍りついたように動けなくなってしまった。
少し離れたところに、黒い服を着た女の人が立っている。その女の人は、顔に不気味な仮面を被っていた。
それはまるで、「仮面舞踏会」みたいな感じの、真っ白い仮面だ。口元はニッコリと半月型を描き、目の部分は細くて目尻が下がっている。形だけは、笑顔だ。けれどなぜか、笑っているように見えない。
「拓海、行くわよ! 早くして!」
女の人がもう一度怒鳴った。
じゃあこの仮面の女の人が、拓海くんのママ?
拓海くんのママはいらいらした声で言った。
「手間かけさせないでっていつも言ってるでしょ! 拓真だけでもママ大変なのよ!」
見れば幼稚園生くらいの小さい男の子が、ママの後ろに隠れるようにしがみついている。
ママは拓海くんの返事を待たずにくるりと背を向け、さっさと歩き始めてしまった。慌ててその後を追おうとした拓海くんは、振り返って早口であたしに聞いた。
「ねえ、明日会えない? えっと、ここの裏にある公園で――、一時に来れる?」
「う、うん。大丈夫!」
拓海くんはほっとした顔をすると、
「じゃあ明日ね!」
と、ママの後を追って走っていった。
「うーたん、あれって……」
あたしは拓海くんの背中を見送りながら、恐るおそるうーたんに尋ねた。声が少し震える。うーたんは静かに頷いた。
「げんそうまほう、ついにあらわれた」
「幻想魔法!? あれが!?」
「たくみのまま、げんそうまほう、かめんつけられた」
あたしは拓海くんのママが歩き去った廊下をじっと見つめた。ごくりと唾を飲みこむ。とうとう、敵が姿を現したんだ!
次の日、約束の時間より少し早く、あたしは魔法学院の裏にある公園に行った。辺りを見回したけど拓海くんはまだ来ていない。小さい公園だから、姿を見せたら分かるだろう。ベンチで拓海くんを待とうかと座りかけた時、ふと、ブランコが目についた。
小さい頃はよくお父さんと公園へ行って、ブランコに乗せてもらった。だけどいつの間にか、お父さんと散歩に出かけることが減っていた。もう中学生だし、なんだか少し恥ずかしくて。でも、お父さん、寂しかったかもしれない。帰ってきたら前みたいに一緒にお出かけしよう。たくさん。
あたしは何気なくブランコに乗ると、ちょっとだけ揺らしてみた。
誰かに見られたら、恥ずかしいかな? あたしはそっと辺りをうかがった。よし、誰もいない。漕いじゃえ!
最初はゆっくり、でもだんだん楽しくなってきて、少しづつ勢いをつけてブランコを漕ぎ始めた。
「すごーい! たかーい!」
あたしの膝の上で、うーたんがきゃっきゃとはしゃいだ。
大喜びのうーたんにつられて、あたしもつい力が入る。ブランコは高く高く上がり、空に向かって飛び出していっちゃいそうだ。あたしは夢中になって、汗をかくまでブランコを漕いでしまった。
「はあ……」
息を切らしてブランコを止めた時、拓海くんがそばであたしとうーたんを眺めているのに気づいた。
「あ」
小さい子みたいにブランコで大はしゃぎしているのを、あたしより小さい拓海くんに見られてしまった。あたしは思わず何か言い訳しようとしたけれど、拓海くんはただにっこりと笑った。
拓海くんが笑うのを見たのは初めてだった。笑うと、小学三年生にしてはちょっと大人びた表情が、とってもかわいい子供っぽい顔になった。
「魔法少女、来てくれたんだ」
拓海くんは嬉しそうに言った。
「あ、う、うん。もちろん。だって約束したでしょ」
あたしは照れ隠しに、勢いよくブランコから立ち上がった。
「あのさ、昨日ちょっと話したけど……」
あたしたちは自動販売機で買ったジュースを手に、並んでベンチに腰かけた。あたしはブランコで遊んだおかげで喉がカラカラで、オレンジジュースをごくごく飲んだ。
「うちね、弟がいて。拓真っていうんだけど……、病気なんだ」
あたしは昨日会った、ママの後ろに隠れていた小さな男の子を思い出した。
「ショウガイ、っていうので……。他の子ができることが、うまくできなかったりするんだ。だからママは拓馬のお世話がすごく大変で、いっつも怒ってばっかりいるんだよ」
「パパはお手伝いしてくれないの?」
「パパはいないんだ。りこんしたの。拓真が産まれたから」
「…………」
「拓真が産まれたばっかりの時、パパとママ、いつもケンカしてたんだ。それでりこんしたの」
「そうなの……」
あたしには、それだけしか言えなかった。
「それで、今日どうして魔法少女を呼んだかっていうとね。今日はうちにママのお母さんが来る日なんだけど……」
「おばあちゃん?」
「そう。僕、嫌いなんだ」
拓海くんは眉を寄せてそう言った。
「どうして?」
「ママね、おばあちゃんが来た後はとくに僕のこといじめるんだよ。だから……、魔法少女に家に来て助けてもらいたいんだ」
「ええっ」
あたしは思わずうーたんの顔をうかがった。すると、あたしの膝の上にちょこんと座っていたうーたんは、黙ってウンウンと頷いた。
「……わ、分かった」
「本当!?」
拓海くんはホッとした顔で、ジュースの缶を握りしめていた手を緩めた。
「と、とりあえず、がんばってみるね」
いまいち頼りない魔法少女かもしれないけど。でもまだ見習いだし、しょうがないよね。とにかくできるだけやってみよう。
あたしはしばらくの間、どうすればいいか考えてみた。そしてふと疑問が湧いた。
「ねえ、拓海くん。ママは、どうして拓海くんをいじめるのかなあ?」
拓海くんは顔を伏せ、ぽつりと言った。
「たぶんママは、僕のこといらないんだと思う」
「ええっ。そんなはずないよ! 子供をいらないお母さんなんて、いないよ!」
「でもさ。僕、いてもいなくても同じなんだよ。僕がいたってママはぜんぜんしあわせじゃないんだ。だったら僕、いらないでしょ」
「そんな……!」
「僕さ、ママが僕のこといらないなら、僕もママのこといらないって思うようにしたんだ。でもそうしたら、なんか、うまく言えないんだけど、真っ暗なところに一人ぼっちでフワフワ浮かんでるみたいになっちゃったんだ。それで、どうでもよくなっちゃった。学校とかも。だから行かなくなっちゃったんだ」
あたしはせめて何か一つくらい、いいことを拓海くんに言ってあげたかった。だから一生懸命考えた。それこそ、頭の中がクルクル回転しそうなぐらい。
だけど何も出てこなかった。
あたしにはお父さんもお母さんもいる。お母さんはちょっと厳しいけど、あたしをいじめたりはしない。拓海くんと同じことが、あたしには何もなかった。
「ごめんね、拓海くん……」
「え? どうして謝るの?」
拓海くんは驚いた顔をした。
「だって。あたし、拓海くんとおんなじじゃないんだもん……、だから……、拓海くんの言うこと、全部は分かってあげられない……」
「…………」
「でも、自分をいらない子って思うなんて、すごくすごく悲しいと思う……」
しばらくの間、拓海くんは静かに俯いていた。そしてふと、聞こえないくらいの小さな声でぽつりと呟いた。
「……さ」
「え、なあに?」
「誰かが、自分と一緒に悲しくなってくれるのってさ……」
「うん」
「ただ、それだけなのに。だから?って感じじゃん。だけどさ……、なんかさ……」
「?」
あたしは顔を上げて拓海くんを見た。
拓海くんは泣いてるのか笑ってるのか、どっちにも見えるような顔をしていた。