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第十章 幻想魔法

「はるか……」

 あたしは恐るおそる、はるかの顔を覗きこんだ。

「あたしと一緒に……、戦ってくれる?」

「えっ……」

 はるかは黙ってしまった。そりゃそうだよね。いきなりそんなこと言われても困るよね。あたしも黙ってしまった。まさか、こんなことになるなんて。はるかは何も関係ないのに……。

「いいよ」

「え、えっ!?」

 あたしは一瞬聞き間違えたかと思った。

「ほんと!? 本当に、いいの!?」

「うん」

 はるかは静かに頷いた。そして、キッと唇を結んであたしを真っ直ぐ見た。

「……あたし、やってみる」

「ありがとう! はるか」

「いいよ、だってさ……」

 はるかは照れたようにそっぽを向き、小さな声で何か言った。

「え? 何?」

「あ、なんでもなーい! ね、それより、どうやって戦うのか教えてよ」

 振り返ったはるかは、いつもの笑顔だ。

「がったいまほう、つかう」

 うーたんが言った。

「合体魔法? 前に拓海くんとやったみたいに?」

「そう。のぞみとはるかのまほう、あわせる。のぞみのリスペリド、はるかのトリア=ゾラム。あわせると、『ふういんまほう』できる」

「封印魔法!?」

「げんそうまほう、たおすのたいへん。でもふういんならできる。ふたりなら、できる」

「二人なら……」

 あたしとはるかは顔を見合わせ、力強く頷きあった。


「これが……、魔法のタネなの?」

 うーたんからもらったタネを渡すと、はるかはその小さな粒を、手のひらの上でコロコロと転がした。

「のむ。ふたりいっしょ」

 うーたんが急かすようにぴょんぴょんと跳ねた。

「よし、じゃあ……」

「せーの!」

 あたしたちは二人で同時に、魔法のタネを飲みこんだ。

「…………」

 はるかは不思議そうな顔で、自分の身体をあちこち見回す。

「これで魔法が使えるようになったの?」

「そのはずだよ」

 うーたんが、

「しばらく、まつ。のんびり」

 と言って、ぴょんとソファに飛び乗った。あたしとはるかも、ソファに深くもたれかかった。

「別に、なんにも感じないね?」

 はるかは落ちつかないみたいだ。

「うん。でもあたしも最初にタネを飲んだ時そうだったし、大丈夫」

「すぐはじまる。じくうまほうで、げんそうまほうのとこいく」

 うーたんの言葉に、あたしはごくりと唾を飲みこんだ。少し緊張してる。いよいよ幻想魔法と戦うんだ。しかも魔法戦士なしで。隣のはるかの顔をそっと見ると、はるかもあたしをじっと見つめていた。

 あたしたちはどちらからともなく、ソファの上に置いた手を繋いだ。何も言葉を交わさないまま。


 どれくらい、そのままでいたんだろう。さっきあんなに走ったからか、少し疲れた。身体がだるくなってきた。

――ちょっと、眠い、気がする。

「まほうしょうじょ、くるくる。じゅんび、よし? じゅもん、となえる……」

 うーたんの声に導かれ、あたしは虚ろな意識で呪文を唱え始めた。

「太陽は天上で……、静止……、せよ。完全世界を、照らせ……。来たれ、大いなる、正午……」

 辺りがだんだん暗くなる。

「メタモルフォーゼ=イントゥ=クルクル……」

 深い海の底のような暗い藍色が、目の前を覆ってゆく。

「時空を超えて、あたしたちを、幻想魔法のところへ……」

 あたしの言葉を受け、はるかが呪文を口にした。

「トリア=ゾラム……!」

 突然それはやってきた。

 がくん、と足元のバランスが崩れ、あたしの身体がビクッと震えた。

――沈む!

 あたしとはるかの身体を形作っている分子だか原子だか、とにかくそういう小さい粒の一つ一つがバラバラになり、花火のようにゆっくり大きく空中に広がった。そして座っていたソファを通り抜け、沈んでゆく。

「!!」

 あたしは慌てた。手を伸ばし、何かに掴まろうとした。でも伸ばしたはずの手は何にも触れない。細かい粒になったあたしの身体はそのまま絨毯も床も通りぬけてしまい、地面に沈んでゆく。どんどん、どんどん。目を凝らしても辺りは藍色の闇に包まれ、何も見えない。

「だいじょうぶ。げんそうまほうのとこいく」

 うーたんの声が聞こえた。バラバラになっているはずなのに、自分の手の感覚は残っていて、そこにいつものふわふわした感触があった。もう片方の手には、はるかの温もりがある。あたしはもがくのをやめ、身体が沈んでゆくのに任せることにした。すると次第にそれは、心地よい感覚になっていった。

 このまま沈んでいったら、どこまで行くんだろう。もしかして地球の中心まで行っちゃうんじゃないかな。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、だんだん辺りが仄白く明るくなってきた。視界の端で動くものが目に入る。何かパタパタとはためいてるみたいだ。何だろう……? 

 じっと目を凝らしてみた瞬間、あたしは息をのんだ。

 それはまるで旗のように翻る、紫色のマントだった。そしてそのマントに身を包む誰かが、あたしたちのそばにいた。――不気味な仮面で顔を覆った、誰かが。

「幻想魔法!?」

 そいつがニヤリと笑ったように見えた。

 幻想魔法は両腕をあたしたちに向かって掲げた! 仮面から覗く口元が……、呪文を唱えている! 次の瞬間、黒く禍々しいエネルギーがその手から放たれた。

「アリ=ピプラ=ゾール!」

 あたしもとっさに呪文を唱えた。輝く盾があたしとはるかの前に現れ、間一髪、黒いエネルギーを弾き返した。けれど幻想魔法は間をおかずに再び呪文を放つ!

 もう一度、アリ=ピプラ=ゾールで防いだ。でも、このままじゃ……、攻撃魔法の使えないあたしは不利だ。さっさと封印しちゃわないと!

「はるか、いくよ! あたしの後について呪文を唱えて!」

「わ、分かった!」

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ……!」

 力が……、湧いてくる。

「メタモルフォーゼ=イントゥ=クルクル!」

 閉じた瞼の内側で、虹色の光がキラキラと煌めく。

「幻想を封印せよ……! リスペリド!!」

「ト、トリア=ゾラム!!」

はるかも辿々しく唱えた。その声に合わせ、あたしは両手を高く掲げる。指の先から眩い光が放たれて、幻想魔法に向かいまっしぐらに飛んでゆく!

 だけど一瞬遅かった。幻想魔法はひらりとマントを翻してよけた。

「あっ!」

 幻想魔法の口元が歪む……。さっきとは違う呪文を唱えている!

「はるか! 気をつけて!」

 幻想魔法があたしたちに向けて片手をかざした。その指先に炎が巻き起こり、竜巻のように渦を巻いてあたしたちに襲いかかる!

「のぞみ!」

 あたしたちはあっという間に、炎に取り囲まれてしまった。炎はまるでからかうように、あたしたちの周りをグルグルと回る……。

 なんとかしないと!!

 あたしの使える魔法――、アリ=ピプラ=ゾールで防いでばっかりじゃ意味がない。じゃあ、トリ=ヘキ=シフェニジル――ディススペル。これは呪いとかじゃないからダメだよね。ジア=ゼパム――強化の魔法も今は役に立ちそうもない。

 えっと、それから他に何だっけ? リスペリド――幻惑魔法。確か、霧で包んじゃうって……。

 あ。そうだ!

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ……」

 あたしは炎の渦に向かって叫んだ。

「霧よ雨になって降れ! リスペリド!!」

 ザアアッ、という轟音が辺りに響いた。まるで真珠の粒のような雨が、踊るように降る。炎はたちまちかき消された。

「やったぁ! のぞみ、すごーい!」

「のぞみ、かしこい!」

 はるかとうーたんの声援で、あたしはちょっとだけ得意になった。振り返って二人に応えようとした時……、

「のぞみ! 危ない!」

 はるかがあたしの前に走り出た。

 大きな音が響いた時、何が起きたか分からなかった。次の瞬間あたしの目に映ったのは、消えた炎の向こう側から現れた幻想魔法と、目の前で倒れているはるか。

「はるかっ!」

 ばか! あたしバカだ。油断した!

「大丈夫……。大したことないし……」

 慌てて抱き起こしたあたしに、はるかは弱々しく微笑んで見せた。

「ごめん、ごめんね、はるか!」

「いいってば、謝らなくても……。のぞみ言ったじゃん。あたしがいて喜ぶ人がたくさんいればいいって。幻想魔法をやっつければみんな喜ぶんでしょ。だからあたし、手伝うって自分で決めたんだから」

「はるか……」

 はるかはあたしの肩に掴まって、ゆっくりと立ち上がった。

「さあ、のぞみ。もう一度やろう! あいつ、さっさと封印しちゃおうよ!」

「うん!」

 あたしは、はるかの手をぎゅっと握りしめた。そして再び呪文を唱える。

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ……!」

 力が……、湧いてくる。

「メタモルフォーゼ=イントゥ=クルクル!」

 閉じた瞼の内側で、虹色の光がキラキラと煌めく。

「幻想を封印せよ……! リスペリド!!」

「トリア=ゾラム!!」

はるかは、今度ははっきり力強く呪文を唱えた。そのせいか、あたしの身体に満ちる魔法の力がさっきより大きい。あたしは勢いよく両手を掲げた。指の先から眩い光が放たれて、幻想魔法に向かいまっしぐらに飛んでゆく!

 幻想魔法の身体は光に包まれた。

――よし、そのまま封印されちゃえ!

 ところが幻想魔法がマントをひらりと一振りすると、あたしたちの放った光は小さくなり……、そして消えてしまった!

「ちから、たりない!」

 うーたんが叫ぶ。

 幻想魔法はそのまま呪文を唱え始めた!

「!?」

 あたしの身体がふわりと浮き上がった。ううん、違う。「あたし」が……、あたしの身体を離れてふわふわと浮かんでいる! はるかもだ。見下ろすと、あたしたちの身体は元の場所で人形のように動かず固まっている。

「はるか!」

 あたしとはるかの「中身」は、風に流され徐々にお互いから離れ始めた。あたしは必死に腕を伸ばし、はるかの手を取ろうとした。だけど捕まえたと思った瞬間、あたしたちの手は確かに重なったのに……、まるで幽霊の手のように、するりと互いに通り抜けてしまった。

「!!」

 幻想魔法は、あたしとはるかが封印魔法を使えないように、引き離そうとしてるんだ!

 あたしもはるかも、お互いに相手を捕まえようと必死でもがいた。だけどまるで水の中にいるみたいに、身体を思い通り動かすことができない。

 離れていっちゃう! あたしが、自分からも、はるかからも離れていっちゃう! そしてそのまま風船みたいに、どこかへふわふわ飛ばされてしまう!

「はるか!」

 もう絶対に届かない距離なのに、それでもあたしは必死で手を伸ばし続けた。このままじゃすぐにお互いの姿が見えなくなる――。

 その時ふいに、流されてゆくはるかの身体が、何かに軽くぶつかって止まった。何だろう。あたしは目を凝らしてみた。

「えっ!?」

 それは――、林檎だった。巨大な林檎。はるかの身体の何倍もある大きな大きな林檎が、はるかの目の前にそびえ立っていた。 

「な、何? あれ……」

「りんご」

 あたしの服の裾にしっかり掴まっていたうーたんが答えた。

「……そ、そういうことじゃなくて!」

「りんご、はるか、たたかう」

「え!?」

 巨大な林檎はゆっくりと動き出した。だけどはるかは、林檎を見上げてぼんやり突っ立っている。

「あっ!」

 林檎は重々しく回転し始めたかと思うと、はるかめがけてごろんと転がった。はるかは慌ててよけたけど、その拍子に転んでしまった。林檎は方向を変え、再びはるかに襲いかかろうとしている。はるかを押しつぶす気なんだ!

「はるか!」

 はるかは震えていた。さっきまでの強いはるかとは別人みたいに、今にも泣きそうな顔で林檎を見つめている。

「どうしたの!? たかが林檎じゃない。はるか、どうしてあんなに怯えてるの……?」

「のぞみにはわからない」

 うーたんがぽつりと言った。

「の、のぞみ……! あたし、怖い……!」

 はるかが、すがるようにあたしの方を振り返った。

「助けて!」

「はるか!」

 あたしは必死で身体を動かしてはるかのそばへ行こうとした。だけど宙に漂ったまま、どうしても前に進めない。

「はるか、聞こえる!? 戦って!」

「え……?」

「はるか、戦って! 林檎と戦うの!」

 叫んでからあたしは気づいた。そうだ。はるかは時空魔法トリア=ゾラムしか使えないんだ! どうしよう……。

「あ!」

 そうだ。きっとあの林檎は、幻想魔法が作り出した幻だ。それなら、トリ=ヘキ=シフェニジル――ディススペルの魔法で、幻の林檎は消えるんじゃないかな!? よーし!

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ……!」

 そう。落ちついて、呪文を――。

「幻よ消えろ! トリ=ヘキ=シフェ……」

「それきかない」

 うーたんがあたしの呪文を遮った。

「え、えっ?」

「きかない。りんご、まぼろしちがう」

「そ……、そうなの?」

「そう。りんご、はるかのげんじつ。はるかたたかう。のぞみなにもできない」

「だってはるかは時空魔法しか使えないのに、どうやって戦うの!?」

「はるかがきめる」

「そんな!?」

 また林檎が転がった。はるかは逃げる。だけど林檎は、はるかの行く方向に先回りする。はるかは向きを変えてまた走った。

 ダメだ、このままじゃはるかが危ない!

「うーたん、お願い! はるかを助けて!」

「うーたん、まほうしょうじょクルクルのますこっと」

「そんなこと言ったって、はるかが!」

「のぞみ、はるか、たすけたい?」

「助けたいよ!」

「わかった」

 うーたんはあっという間にはるかのところまで飛んでいった。そして怯えているはるかの目の前に、ふわりと舞い降りた。

「……はるか。ことば、つかう。じゅもん、つかう」

「だってあたし、教えてもらった時空魔法しか……」

「ちがう。はるか、もうもってる」

「持ってる? 何を?」

「まほうのじゅもんになることば、もってる。はるかだけのことば、はるかだけのじゅもん、もうもってる」

「あたしが……?」

「なんでもいい。ことば、つかう。ことば、まほうになる」

「……何でもいいの?」

「よいことば、よいまほうになる。わるいことば、わるいまほうになる。それだけ」

「…………」

「ことば、つかう」

「わ……、分かったよ」

 はるかはキッと顔を上げると、林檎の方に向き直った。

「え、えっと……。ええと……」

 林檎が転がり始めた。ゆっくりと、はるかに向かって傾く。

「えっと、マイナス1プラス2は……、プラス1!!」

 はるかは叫んだ。すると、林檎はぴたりと動きを止めた。

「マイナス1プラス3は……、プラス4!」

 林檎はそのまま動かない。

「のぞみが言ってくれたもん。最初がマイナスでも、プラスをたくさんたくさん重ねていけば……、あたしだって……」

 林檎はまるで、はるかの言うことを聞いてるみたいだ。

「いちゃいけない子のあたしだって……、きっと……」

「あ!」

 あたしは思わず声を上げた。林檎が、さっきより少し小さくなってる!?

「……あたしだって、いていい子になれるんだ! だからあたし、これからいっぱい、プラスにしていくんだから!」

 いつの間にか、はるかの表情には力強さが戻っている。

――はるか、がんばって!

「マイナス1プラス4は……、プラス3! あたし、いくらだってプラスにできるんだ!」

「……でもさあ、ゼロプラス4ならプラス4だよね。そっちの方がいいじゃん」

 突然、誰かの声が響いた。

「えっ」

 はるかはきょろきょろ辺りを見回した。でも声の主の姿は見えない。

「最初からマイナスの人が、いくら頑張ったってねえ~」

「たかが知れてるよねぇ」

 何人かのクスクス笑い。

「生まれつきプラスの人にはどうやったって勝てないのにねー」

「がんばるよねー」

「ねー」

 声の人数が次第に増えていく。

「そんなにいちゃいけない子なら、死んじゃえばいいじゃんねぇ」

「ね~」

「死ーんじゃえ! 死ーんじゃえ!」

「う……」

「はるか!」

 はるかの魔法の言葉がかき消される。

「あ、あたし……。あたし……!」

 はるかは両手で顔を覆って、しゃがみこんでしまった。

「あたしやっぱりダメ! 無理だよ!」

 林檎が再び動き始める! 

「あたし無理! 誰かが助けてくれなきゃ! 誰かがあたしに、いていいよって言ってくれなきゃ!」

「あ~あ。さっきまでの勢いはどこ行っちゃったのかねえ」

「だめじゃん」

「弱いねえ、弱い弱い」

 声はますます調子に乗る。

「あたしの味方、誰もいないの……」

 林檎が転がった! だけどはるかは気づかない。

「はるか逃げて!」

 あたしの言葉が届かないのか、はるかは頭を振っているばかりだ。

「アリ=ピプラ=ゾール!」

 あたしがとっさに放った防御魔法がなんとか届いた。薄い光の壁が現れ、林檎はたじろいだように踏み留まった。だけど頼りない光の壁は今にも消えてしまいそう。ここからじゃ遠すぎて、魔法の力が充分に届かないんだ!

「うーたん、お願い!」

 あたしが声の限り叫ぶと、はるかのそばにいたうーたんは耳をピクリと動かした。そしてはるかの顔をゆっくりと見上げた。

「……はるか。みかた、いる」

「うーたん……?」

 はるかはほっとした顔でうーたんを見つめた。けれどうーたんは首を振った。

「うーたんちがう。ほかのひとちがう。はるかのいちばんのみかた、はるか」

「え?」

「はるか、はるかしんじる」

「そっ……、そんなのばかみたいじゃん! あたし、できないよ!」

 はるかはうーたんを睨みつけた。

「ばかみたいじゃない。できる」

「できない!」

「できなくても、やることになってる」

「だってそんなの変じゃん!」

「……はるか、みる」

 うーたんは、はるかの足を指差した。膝がすりむけて血が滲んでる。さっき転んだ時の傷だ。だけど血はもう止まっている。

「なんのため。ち、ながれる。ち、とまる。なんのため」

「何のためって……。だってそういうもんだから……」

「はるか、はるかのみかた。はるかのけがなおすため、はるかがんばる」

「…………」

「そういうことになってる」

「……分かったよ! やればいいんでしょ!? やれば!」

 はるかは半分やけになって立ち上がった。

「はるか、じゅもんとなえる。はるかだけのまほうのじゅもん」

「魔法の呪文……」

 はるかは林檎の前に立ちはだかった。

「あたしは……。いちゃいけない子かもしれない」

 林檎が微かに震えた。

「だけど……、それでもいることにする! あたしが……、あたしの味方だから! それで、たくさんたくさん、プラスにするんだ。とにかく、できるだけ、たくさん。あたしがそう決めたから!」

 林檎は、見る間に小さくなっていった。そしてとうとう、普通の林檎と変わらないくらいの大きさになった。はるかが両手を差し出すと、林檎はその手のひらにぽとりと落ちた。はるかはそれを口元に持っていき――、一口、齧った。

 その途端、林檎は金色に輝く光の玉になり、はるかの口に飛びこんだ。そしてそのままはるかの身体に吸いこまれていった。

――よし、今だ!

「トリ=ヘキ=シフェニジル!」

 強い力に引っ張られるのを感じた瞬間、あたしは、すうっと自分の身体の中に戻っていった。はるかとしっかり手を繋いでいる。やった!


 突然、上の方のずっと高い所から、ガラスの割れるような鋭い音が響いた。思わず仰ぎ見たあたしの目に映ったのは、キラキラ光る無数の欠片が、まるで舞い落ちる花びらのように降り注いでくる光景だった。

 よく見ればその欠片の一つひとつに、いろんな人たちの姿が映し出されている。犬を散歩させる、仲のよさそうな老夫婦。大きな山のてっぺんで手を振る人。賑やかなパーティ会場にいる、綺麗な女の人たち。草原に一人佇む男の人。笑顔で赤ちゃんを抱いたお母さん。戦車の群れと、血だらけで倒れている大勢の人たち。ソファに座り楽しそうにお喋りしている人たち。賑やかな街を颯爽と歩く男の人。大勢の見ている前で踊る人。動物と戯れる人……。

 これは、幻想世界の断片なんだ。あたしには分かった。

 まるでキルトのように、一つひとつ違った世界の断片がここに集まっている。それが、きらきら、くるくる、降ってくる。世界の断片が降ってくる! 

――そしてその中心に、ゆっくりと舞い降りてくる姿があった。

「幻想魔法!」

 あたしたちは睨み合った。幻想魔法の表情は仮面で分からないけれど、あたしを見て笑っている気がした。

「はるか! 行くよ!」

「うん! のぞみ!」

 あたしは、はるかの手を強く握った。あたしの右手とはるかの左手。あたしの左手とはるかの右手。輪を作る。そして二人で声を揃え、呪文を唱え始めた。

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ……」

 はるかの指先から、魔法の力があたしに伝わってくる。

「……幻想を封印せよ! リスペリド!!」

 続けてはるかが唱える。

「トリア=ゾラム!!」

 その途端、二人で作った輪の内側から、凍てつくような冷たい風が巻き起こった。辺りの空気が凍りつき、キラキラ光る氷の霧が宙に舞う。あたしはさらに魔法に集中し、はるかと繋いだ手に力をこめた。すると凍てつく風はだんだん強くなり、吹雪のようにごうごうと音を立て始めた。

「はるか! いくよ!」

 吹雪は渦を巻きながら幻想魔法に向かった!

「……!」

 幻想魔法が手のひらを宙に掲げると、その手の先から炎が放たれて吹雪を食い止める。炎と吹雪とは空中で激しくぶつかりあい、せめぎ合った。

「……くっ」

 苦しい! あたしとはるかが二人で力いっぱいやっても、まだ炎の勢いに押されている。だんだん、あたしたちは後退し始めた。やっぱり……、だめかも!? 幻想魔法の力、強い……!

「のぞみ! ジア=ゼパムつかう!」

 うーたんが叫んだ。黄色いリュックを両手で持ち上げてこっちに向けている。

「ジア=ゼパム!」

 魔法の力がうーたんのリュックを包む。うーたんはすかさずリュックを開けて何かを取り出した。

「のぞみ! 危ない!」

 はるかの叫び声にはっとして振り向くと、幻想魔法の放った炎があたしに襲いかかってくる!

 その時だ。鋭い音が空気を切り裂き、何かが幻想魔法の頬を掠めて飛んだ。

「!?」

 幻想魔法は一瞬気を取られ、炎は勢いを弱めた。あたしが振り向くとそこには、黄色いリュックから手裏剣を取り出しては投げているうーたんがいた。折り紙だったはずの手裏剣は、本物になっている。

「のぞみ、はるか、いまのうち、はやく!」

 幻想魔法は次々と飛んでくるうーたんの手裏剣をかわすので精一杯だ。

 そうだ。魔法、集中力たいへん必要! 今しかない!

「よし!」

 あたしとはるかは、残りの力の全てをこめて、きつくきつく手を繋いだ。

「太陽は天上で静止せよ……、完全世界を照らせ! 来たれ、大いなる正午よ!」

 手を繋いで作った輪の内側で、虹色の光が煌き始めた。

「メタモルフォーゼ=イントゥ=クルクル!」

 あたしは力強く唱えた。願いをこめて。

――これで最後だ……、幻想魔法!

「幻想よ、霧と共に去れ! リスペリド!!」

「トリア=ゾラム!!」

 氷の旋風が、幻想魔法の放つ炎に躍りかかった。そして……。一瞬の後、炎は氷ついた。

 吹雪に飲みこまれる直前、幻想魔法の断末魔の叫びが、辺りに気味悪く響き渡った。吹雪が収まった後には、一体の氷の彫像が、氷の炎に取り巻かれてそこに残っているだけだった。


「……やったの?」

「……あたしたち、勝ったの?」

 あたしとはるかは同時に呟いた。

「ふたりともがんばった」

 うーたんがちょっと気取った口調で言い、ウンウンと頷く。

「や……、やったね、のぞみ!」

「うん!」

 あたしとはるかは顔を見合わせて笑った。

 ふと気づけば、腕が熱い。急いで服の裾をまくるとそこには……。

――三つ目の魔法少女の印が現れていた!

「うーたん! これ……!」

 あたしはうーたんに腕を差し出した。うーたんは魔法少女の印に触れ、念入りに調べた。そして顔を上げ、言った。

「……みっつめのしるし、あらわれた。しゅぎょう、おわった。のぞみ、いちにんまえのまほうしょうじょ」

「でも、うーたん」

 あたしは首をかしげた。

「確かに幻想魔法を倒したけど、それは『三つ目の力』とは別だよね? 三つ目の力って、結局何のことだったの?」

「のぞみ、はるかにことばあたえた。よいことば。はるか、そのことばまほうにしてみっつめのちからみつけた」

「そう……なの? それだけでいいの?」

「まあちょっとおまけ」

「おまけ!?」

 おまけかあ……。まあ、でも、おまけでもいいよね。とにかく修行は終わりってうーたんが言ってるんだし。

「うーたん、まほうしょうじょクルクルに、さいごのまほうあたえる」

 うーたんは背中からリュックを下ろし、ゴソゴソと中を探った。

「えっ? 今頃?」

「じゃーん!」

 うーたんは戸惑うあたしに構わず、リュックから目的のものを取り出した。魔法のタネだ。

「さいごのまほう。こうげきまほう、『スルピリド』」

「攻撃魔法? だってもう幻想魔法は封印したのに?」

 うーたんは、モフモフとした柔らかいぬいぐるみの手を差し伸べてそっとあたしの両手を取った。そしてあたしの手のひらに魔法のタネを置くと、大きなプラスチックの瞳でじっとあたしを見つめた。どうしてだろう。うーたん、なんだか少し悲しそうに見える……。

「……うーたん?」

「こうげきまほうスルピリド。こうげきして、ころす。こわす。つかいかたむずかしい……」

「う、うん……」

「さあ。たね、のむ」

「まあ、せっかくくれるなら一応飲むけど」

 あたしは魔法のタネを飲みこんだ。ごくり、と、あたしの喉が音を立てた。

「ねえ、うーたん。もらっといて言うのもなんだけど、幻想魔法はもういないんだよね? それなら一体なんのための攻撃魔法なの?」

 あれ。うーたん、いない。

 見回すと、いつの間にかうーたんは凍りついた幻想魔法の前に立っていた。そしてただ静かに、その氷の像を見上げている。

「クルクル、みて」

「なあに?」

 あたしもそばへ行くと、うーたんの脇に並んで立った。

「かめん、はずす」

「えっ?」

「かめんはずす。かおみる」

 うーたんは視線をあたしに向けるとそう言った。あたしは氷像の幻想魔法を眺めた。こうして並ぶと、思ったより小柄だ。ちょうどあたしと同じ位の背の高さ。

 幻想魔法。確かに、どんな顔してるのかちょっと興味あるな。

 あたしは凍りついた仮面にそっと手をかけた。ゆっくりと仮面を外す……。

 あたしは言葉を失った。

――あたし、だ。

 仮面の下から現れたのは、紛れもなくあたし自身の顔だった。

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