第一章 魔法学院
「ここが……? 『魔法学院』なの……?」
あたしはその建物の前で、思わず首をかしげた。
「そう!」
あたしの相棒、うさぎのぬいぐるみの姿をした「うーたん」が、得意気に胸を張って答える。
あたしはもう一度建物に目を移し、
「なんかちょっと、イメージ違うね……」
と、小さな声で呟いた。
「魔法学院」。
うーたんからその名前を聞かされた時、あたしは、ファンタジーアニメに出てくるお城みたいな建物を頭に思い浮かべた。誰だって、「魔法学院」なんて言われたら、そういう想像をすると思う。だからあたしも、うーたんに案内されて駅からここまで来る間もずっと、それらしい建物がいつ見えてくるかなってワクワクしながら歩いてきた。例えば旗を掲げた白い壁や、魔女の住んでいそうな高い塔だとか……。
ところがいざ到着してみたら、「魔法学院」は、どこにでもありそうなごくごく普通の建物だった。小学校の時に社会科見学で行った、どこかの会社の研究所みたい。広い敷地はちょっと素敵なデザインの大きな門と鉄柵に囲まれていて、内側は芝生の庭になっている。きれいに整えられた花壇や植木が並ぶその奥に、三階建てのクリーム色の建物が見えた。門からそこへ続く小道沿いには、木のベンチがたくさん並べられている。
まあ、綺麗な建物ではあるけど……。
うーたんは、あたしがちょっとだけガッカリしてるのに気づいたらしい。声をひそめて言った。
「まほうのこと、ひみつ。まほうがくいん、めだたない」
「あっ、そうか!」
うーたんの言葉であたしは納得した。ここは駅から離れた静かな住宅街だ。こんな場所にお城なんかあったら、怪しまれて、あたしたち魔法少女のことが敵に感づかれちゃう!
「のぞみ」
うーたんがちょいちょいとあたしをつついた。
「え、何?」
「いそぐ。やくそく、じかん」
「あっ」
「いんちょうせんせい、まってる。のぞみ、おはなしする。わかった?」
「うん! 分かった!」
あたしは唇をキュッと噛みしめると、少し緊張して魔法学院の門をくぐった。
昨日はあたしの十四歳の誕生日だった。そして、うちのお父さんが行方不明になってから、ちょうど一週間目の日だった。
一週間前の朝、お父さんはいつものようにお仕事に出かけた。それきり帰ってこない。何があったのか、どこに行ってしまったのか、残されたあたしとお母さんには何も分からない。ただ待つことしかできなかった。
こんな時だけど、お母さんはあたしの誕生日のお祝いをしようと言って、朝から張り切ってお料理を始めた。その間あたしはお手伝いをしながら、リビングに置いてある電話がいつ鳴るかとずっと耳を済ませていた。だって警察の人から、「お父さんが見つかりました」って電話がくるかもしれないし。もちろんお母さんはスマホを持ってるから、あたしが家の電話を見張ってなくても大丈夫なんだけど。でもやっぱり、なんとなく。
お母さんはあたしの好物をたくさん用意して、大きなバースデーケーキまで焼いてくれた。二人じゃとても食べ切れないし、本当はお父さんのことが心配でそれどころじゃないはずなのに。あたしだってもう中二なんだから、子供じゃないし、お母さんが無理してるんだって分かった。
だからあたしも、本当は誕生日なんてどうでもよかったんだけど……、がんばって元気にしてようって思ったんだ。
「のぞみ、お誕生日おめでとう」
テーブルに着くと、お母さんは少しだけ照れたように言った。
あたしのお母さんはちょっとクールっていうか、いつもキリッとしていて、友達のお母さんみたいにホンワカした感じじゃない。でもお料理がすごく上手だし、いっぱいお仕事しててかっこいいんだ。
友達がたまに自分のお母さんのこと、ムカつく~とか言う時があるけど、あたしには正直よく分からない。あたしはお母さんもお父さんも好きだし。でもそれはあたしがみんなより子供で、まだ「反抗期」っていうのが来てないからかな、とも思う。そう考えるとなんだか一人だけ置いてけぼりにされたようで、不安になっちゃうんだ。だけど家族のことを嫌いになっちゃう「反抗期」なんて、ちょっと怖いし、そんなの来ないといいな、とも思う。
もちろんあたしだって、みんなの前で「お父さん大好き!」なんて、そんな恥ずかしいことは言わない。「お父さんてウザいよね!」なんて、一応話を合わせたりもする。でも本当のこと言えば、あたし、家族ってすごく大事だと思うんだ。だっていざという時に助け合えるのって、やっぱり家族だからだもん。そう、今みたいな時だって。
食事の後で、お母さんはあたしにプレゼントを渡してくれた。わくわくしながら箱を開けてみると、それはあたしが前からおねだりしてた物だった。いつもの駅前のお店で買うのとは違う、ブランドもののお洋服! 最近は学校の友達がだんだんオシャレに目覚めてきて、休みの日にみんなで遊ぶ時にブランドのお洋服を着てくる子もいる。だからあたしも欲しいってお母さんに言ってたんだ。でも中学生の服にしてはちょっと高いし、半分諦めてたのに。
「お母さん、ありがとう!」
あたしは思わずはしゃいだ。でもそのとたんハッとした。お父さんがいなくなっちゃったのに、こんな楽しそうにしてるなんて、よくないかもしれない。
だけどお母さんも嬉しそうに見えたから、あたしはホッとした。
お母さんとあたし二人だけの、ささやかなバースデーパーティだった。ケーキを食べて、テレビを見て、お喋りして。だけどお父さんのことは、一言も話さなかった。
「おやすみなさい」
プレゼントの箱を抱えて自分の部屋に戻ったあたしは、箱を机の上に置くと、勢いよくベッドに寝転がった。大きく息を吐く。
あたし、ちゃんと元気にできてたかな?
「なんか、疲れた……」
独り言を呟いたら急に目頭が熱くなり、涙が滲んできた。
お父さん、どこ行っちゃったの? 今どうしてるの?
あたしはお父さんの顔を思い浮かべた。お仕事が忙しくて時々しか帰ってこれないお父さんだけど、いつもあたしのことを考えてくれてる。
あたしは枕に顔を押しつけた。
だめだ。あたし、元気にしてなきゃ。じゃないとお母さんもよけいに悲しくなる。二人でそんな風になってたら、きっとどこまでも心が沈んでいっちゃう。少しだけの我慢だ。もちろん、お父さんはすぐに帰ってくるんだから。
心の中で一生懸命自分に言い聞かせた。なのに、涙がどんどん溢れてきて止まらない。お母さんに気づかれないよう、声を立てずにあたしは泣いた。
お姉ちゃんがいれば、よかったのにな。しゃくり上げながら、あたしはふとそんなことを思った。すごく年上で、大人で、頼りになるお姉ちゃんがいたら。そしたら心強いのに。どうしてあたし一人っ子なんだろう。
泣けば泣くほど、どんどん悲しくなってくる。
もしも、このままお父さんが帰ってこなかったらどうしよう。
「お父さん……」
小さな声で呼んでみたけれど、もちろん返事はなかった。
「のぞみ」
名前を呼ばれた気がして、あたしはハッと目を覚ました。
泣いてるうちにウトウトしちゃったみたい。電気もつけてなかったから、部屋の中は真っ暗だ。あたしは身体を起こした。
「のぞみ!」
暗闇の中でもう一度呼びかけられて、あたしは心臓が止まるかと思った。お母さんの声じゃない。慌てて立ち上がって明かりをつけ、部屋を見回した。でも誰もいない。
「…………?」
「のぞみ。ここ、ここ」
声は下の方から聞こえてきた。見下ろすとあたしの足元で、小さい時から持ってるうさぎのぬいぐるみ、「うーたん」が、両手を伸ばしてぴょんぴょん飛び跳ねていた。
あたしって、あんまり驚くと何も考えられなくなるみたい。どうしたらいいか分からないので、とりあえずうーたんを抱き上げてベッドに座った。
「えっと……」
まじまじと見つめると、
「のぞみ」
うーたんは、またあたしの名前を呼んだ。
「!!」
やっぱり、うーたんが喋ってる! あたしは思わずうーたんを放り出した。うーたんはころんと転がり、ベッド脇の壁にぶつかった。
「ひどい」
「あ……、だ、大丈夫……?」
「だいじょばない」
「ご、ごめん……」
うーたんはむっくりと起き上がり、首をかしげてあたしを見た。
「のぞみ、びっくり」
「だって……、そりゃそうだよ!」
「せつめい、する」
うーたんはベッドの上で、ポンポンと楽しそうに跳ねた。
「のぞみ、まほうしょうじょ、なる!」
「え?」
「ぼく、まほうしょうじょのますこっと。グラン・パいわれて、きた。のぞみ、おてつだい!」
「は?」
「せつめい、した!」
うーたんは得意気に胸を張った。
「…………」
あたしは開いた口がふさがらない。
「……のぞみ、わかった?」
「ちょ、ちょっと待って! 全然分かんないよ。お手伝い? グラン・パって、おじいちゃん? 誰?」
「グラン・パ、おっきいひと。のぞみのとこいけ、いった。のぞみたすけるため。のぞみ、えらばれたから」
「あたしが選ばれたの? 何に?」
うーたんは片手を上げ、ポーズらしきものを取りながら元気よく言った。
「まほうしょうじょ、クルクル!!」
魔法少女クルクル。
魔法少女って、あれだよね。テレビでよくやってるやつ。ある日主人公の女の子の前に不思議なマスコットキャラクターが現れて、魔法の力をくれるの。それで主人公は魔法で変身したり誰かを助けたり、悪いヤツと戦ったりする。小さい女の子向けのアニメだけど、あたし今でも時々見てる。恥ずかしいから内緒だけど。
その魔法少女に、選ばれた? あたしが?
「えーと、ちょっとまだ、いまいち分からないんだけど……」
うーたんは、戸惑っているあたしの膝の上に飛び乗った。
「もうすぐ、せかい、こわれる。のぞみ、たたかう」
「え、何それ!? ウソでしょ?」
「ほんと」
「世界が壊れるって……、それって大変じゃない!」
「たいへん。だからのぞみ、まほうしょうじょクルクルなってたたかう」
「誰と?」
「げんそうまほう」
「げんそう……幻想? 『幻想魔法』?」
「うん」
「それが、魔法少女の敵の名前なの?」
「そう」
うーたんは真剣な表情で、あたしをじっと見つめた。あたしもうーたんの顔を見ながら、話を整理してみた。
「えっと、つまり、この世界の危機が迫ってる。それで、魔法の世界だかなんだかの偉い人?『グラン・パ』が、敵の『幻想魔法』と戦うようにあたしを『魔法少女クルクル』に選んだ。で、うーたんはあたしを助けるようグラン・パに命令されてここに来た。そういうこと?」
「のぞみ、かしこい!」
うーたんはニコニコと笑った。ぬいぐるみなのに表情がよく分かる。期待をこめた眼差しで、あたしを見つめている。
だけどあたしは姿勢よくベッドの上に座り直すと、静かに言った。
「ダメだよ、うーたん」
「だめ? どうして?」
「うち、今大変なんだ。お父さんがね、いなくなっちゃったの。だからあたし、そんなことしてる場合じゃないんだ。悪いけど魔法少女には他の子を選んで、って、そのグラン・パに言ってくれない?」
「のぞみのおとうさん、まほうせんし。しゅぎょうのため、たびだった」
「えっ?」
あたしは思わず乱暴にうーたんを抱き上げた。
「お父さんのこと、知ってるの!?」
「うーたん、いたい」
「ね、お願いうーたん! お父さん今どこにいるの? 教えて!」
あたしは必死でうーたんの身体を揺さぶった。その時ドアが勢いよく開き、
「のぞみ、どうしたの!?」
大声を聞きつけたお母さんが、慌てて部屋に駆けこんできた。
「お母さんちょっと待ってて!」
あたしはお母さんをそのままにして、うーたんを問い詰めた。
「お父さんは無事なの!?」
「おとうさん、げんき。せかいのため、がんばってる」
「そう、なの……」
身体の力が一気に抜けた。よかった……。お父さん、とりあえず元気なんだ。
「お父さんは、その、『魔法戦士』ってやつなの?」
「そう」
うーたんがあたしと喋ってる。お母さんはあんまりびっくりしすぎて、口をぽかんと開けたまま突っ立ってる。そりゃそうよね。
あたしはよく考えてみた。
お父さんは、魔法戦士。敵と戦うため、修行の旅に出た。こうしてる今もきっと、世界を救うためどこかでがんばってる。
それなら……。お父さんが魔法戦士なら、あたしも魔法少女になれば、お父さんと一緒に世界のために戦える!
あたしは決心した。うーたんの黒いプラスチック製の瞳を真っ直ぐに見つめて、言った。
「分かった。あたし、やるよ。魔法少女クルクルになる!」
あたしはお母さんに一通り事情を説明した。世界の危機が迫っていること、あたしが魔法少女クルクルになること。お母さんは驚きすぎて言葉が出ないらしく、黙ってあたしの話を聞いていた。だけどお父さんが実は魔法戦士で、世界のために旅に出たことを話した時、突然うっと口元を抑えた。見れば、お母さんの頬を涙が一筋伝っている。
お母さんはそのまま何も言わずに部屋を駆け出して行ってしまった。いつもしっかりしてるお母さんだから、泣いてるところをあたしに見られたくなかったんだろう。
そうよね、お母さん。あたしだってお父さんが無事って分かって嬉しいけど、お父さんのこと一番心配してたのは、やっぱりお母さんだもん。それにお母さんは今まであたしが不安にならないようにがんばってたから、その分安心して気が緩んじゃったのね。
あたしはしばらくの間お母さんを一人にしてあげることにした。
「それで、うーたん。魔法少女になるって、とりあえず何をしたらいいの?」
あたしはうーたんに尋ねた。一度やると決めたら、なんだかちょっとワクワクする。
「のぞみ、まほうしょうじょみならい。しゅぎょうする」
「修行? どうやって?」
うーたんの答えは、あたしの予想外だった。
「まほうがくいん、いく!」
「え? それって学校行くってこと!?」
「そう。がっこういく。まほう、べんきょう!」
「えぇ~、勉強!? 魔法少女って普通さ、なんか魔法のアイテムみたいのもらえて、それで魔法が使えるんじゃないの? テレビだとそうだよ」
「あま~い」
うーたんは眉をキッと上げて答えた。
「がっこういく。せんせいからまほうのタネもらう。まほうべんきょう。じみちなどりょく!」
うーたんは短いぬいぐるみの腕で、ビシッとあたしの顔を指差した。
パジャマに着替えて、うーたんを抱いてベッドに入る。
「のぞみ、はやくねる! あした、まほうがくいん! ねぼうだめ!」
と、うーたんがあたしを急かしたからだ。
だけどあたしはちっとも眠くなくて、何度も寝返りをうった。
魔法少女かあ。
お父さんと一緒に、敵の「幻想魔法」と戦う。そして世界を救ったら、お父さんも家に帰ってこれるんだよね。もう、家族が離ればなれになったりしないですむんだ。
よし。がんばろう。
「のぞみ」
「……なあに? うーたん」
だんだん、眠たくなってきた。
「うーたん、ほんとはうーたんちがう。からだない。だからこの『うーたん』はいった」
「……そうなの。うーたんじゃないのね。ほんとの名前はなんていうの?」
あたしがそう尋ねると、うーたんに入ってる誰かは、ちょっとだけ悲しそうな声で答えた。
「まほうしょうじょのますこっと、いちにんまえのまほうしょうじょ、なまえおしえる」
「そうなの……。あたしの修行が終わるまで教えられないのね。じゃあとりあえず、うーたんて呼んでてもいい……?」
「うん」
「…………」
「のぞみ、うーたん、いうのわすれてた」
うーたんが小さい声で呟いたけど、あたしはもう半分くらい眠りに落ちていた。遠のいていく意識の中で、うーたんが、
「おたんじょうび、おめでと……」
と言ったのが聞こえた気がした。
「こんにちは」
魔法学院の入口の扉を恐るおそる開くと、カウンターの向こう側にいたお姉さんがあたしに気づいて顔を上げ、声をかけてくれた。
「こ、こんにちは。あたし、西条のぞみです!」
返事をしたあたしの声が思ったより大きく響き、お姉さんは少し驚いた顔をした。でもすぐに微笑んで、あたしを院長室まで案内してくれた。
お姉さんは院長室には入らず、あたしの背後で重い木の扉が静かに閉められた。
部屋の真ん中に、すごく大きくて立派な木の机。そこに、ちょうどお父さんと同じくらいの歳のおじさんが、こっちを向いて座っていた。「魔法学院の院長先生」なんて、あたしはものすごいお爺さんを想像してたから意外だった。
でももしかしたら、魔法で若く見えるだけで本当は何百年も生きてるのかもしれない。だってこの部屋を見れば、すごく偉い大魔法使いの先生なんだなって分かる。
部屋の壁は一面ぐるりと、天井まで届く背の高い本棚になっている。そこに難しそうな分厚い本がギッチリ詰まっていた。他にもキャビネットや棚があちこちにあって、何に使うのかさっぱり分からない不思議な道具や、瓶詰めの液体や箱や……、とにかくいろんな物で埋めつくされている。
「こんにちは。僕はカイです。今日から君の先生になります」
キョロキョロしていたあたしに、カイ院長先生が言った。
「はい! よろしくお願いします!」
うーたんに言われたのを思い出し、あたしはできるだけハキハキと答えた。カイ先生はそんなあたしを見て穏やかに微笑む。
「大変元気で良いですね。まあ、座って下さい」
先生の机に向かい合って、あたしが座れるよう、小さめの椅子が用意されている。
「はい」
あたしは少し緊張してその椅子にかけた。
「ええと、魔法少女クルクル……ね」
先生はしばらくの間、手元の書類を覗きこみながら独り言を呟いていた。それからあたしにいろいろと質問をした。
あたしはうーたんに言われてここに来たことや、立派な魔法少女になって魔法戦士のお父さんを助けたいこと、世界のためにがんばる決心をしていることを一生懸命話した。カイ先生はその間ずっと、何度も頷きながら、あたしの話を熱心に聞いてくれた。そして時々、手元の書類に何かメモを取った。
「はい、ありがとう。良く分かりました」
最後に先生はそう言った。
「ではまた来週のこの時間に、会いに来て下さいね」
お話が終わって先生が机の上のベルを鳴らすと、最初にあたしを案内してくれたお姉さんが部屋に戻ってきた。あたしは先生に挨拶して部屋を出ると、お姉さんに連れられて長い廊下を歩いていった。その時別のお姉さんが、後ろから小走りであたしたちを追いかけてきた。
「アリスさん」
あたしを案内してくれていたお姉さんが、振り返った。
――このお姉さんはアリスさんていうんだ。かわいい名前!
二人は何かお仕事の話をしている。
「のぞみちゃん、悪いんだけど、ここで少し待っていてくれる?」
「はい」
二人は急ぎ足で行ってしまったので、あたしは廊下に並んでいるベンチの一つに腰を下ろした。辺りを見回すと、白いお揃いの服を着た女の人がちらほらいて、忙しそうに動きまわってる。
「この人たち、みんな魔女さんなのかなあ」
あたしはうーたんに囁いた。
それにしても、あたし以外の魔法少女見習いらしい子が一人も見当たらない。大人の人ばっかりだ。せっかくだし、他の魔法少女にも会ってみたいのになあ。
その時、廊下にたくさん並んでいる扉の一つが静かに開き、小柄でメガネをかけた男の子が出てきた。たぶん、あたしより三つか四つ下くらい。なんだかとても難しい顔をしている。男の子は、あたしから少し離れてベンチに腰かけた。
この子も、魔法学院の生徒なのかな?
あたしがチラチラと横目で眺めていると、男の子は立ち上がって歩き出した。そしてあたしの目の前を足早に通り過ぎた。
「あっ」
ベンチの上に、何か落ちてる。
男の子は気づいてない。そのまま歩いて行ってしまう。あたしは慌てて立ち上がると、後ろから声をかけた。
「あのっ!」
男の子は、怯えたような顔で振り返った。しまった。びっくりさせちゃったかな。
「あ、ごめんね。でもあれ、落としたから」
あたしはベンチの上に残されていた、小さな白い紙袋を指差した。
「あ、ありがとう……」
男の子は囁くような声であたしに言うと、戻ってきて紙袋を拾い上げた。
そうだ。せっかくだし……。あたしは思いきって男の子に聞いてみた。
「あの、ここに通ってる子だよね?」
男の子はハッとして、紙袋を持つ手が一瞬震えたようだった。
「あのね、実はあたしも、今日からここに通うことになったんだ!」
「えっ」
男の子はあたしのことを上から下まで眺めた。まるで、あたしが信用できる相手なのか見定めてるみたい。あたしも男の子をじっと見つめ返した。大きな瞳が子供にしてはやけに鋭くて、とても賢そう。
「あたし、西条のぞみ。中学二年生。――魔法少女クルクルだよ!」
「魔法少女……、クルクル!?」
男の子の大きな瞳がまん丸になった。
その時、廊下の角を曲がってアリスさんが戻ってきた。
「のぞみちゃん、お待たせ」
「あっ」
あたしは男の子に、
「じゃあまた今度ね!」
と早口で言うと、アリスさんと一緒に歩き出した。男の子は目を丸くした顔のまま、「あ、またね」と、小さな声で呟いた。
「はい、これ」
カイ院長先生とのお話の後も、あたしは一日中大忙しだった。アリスさんに連れられてあちこちの部屋に行き、身体測定をしたり入学手続きの書類を書いたり、筆記試験みたいなことをしたり、とにかくもう、いろいろ。
アリスさんは最後に、カウンターのある小さな部屋にあたしを連れていった。カウンターの後ろには大きな棚。そこにたくさんの瓶や箱が並んでいる。
「のぞみちゃん?」
疲れて少しぼんやりしていたあたしは、アリスさんの声で我に返った。アリスさんは小さな紙袋をあたしに差し出している。
「はい。どうぞ」
「あ、ありがとう、えっと……、アリスさん」
あたしがそう名前を呼ぶと、アリスさんは、どこか懐かしい感じのする笑顔を見せてくれた。
「どういたしまして。これから度々会うと思うし、分からない事があったらいつでも聞いてね」
「はいっ。あたしがんばりますから、よろしくお願いします!」
あたしの声が大き過ぎたのか、カウンターの向こう側にいた別の魔女さんがびっくりして振り返った。アリスさんもちょっと笑っている。
しまった、笑われちゃった。あたしは恥ずかしくなって俯いた。
「いいのよ。焦らずゆっくりやりましょうね」
アリスさんはそう言って、あたしを出入り口まで送ってくれた。
「お母さん!」
あたしをお迎えに来ていたお母さんは、入り口近くのソファに座ってあたしを待っていた。近づいてもぼんやりしたまま気づかないので、あたしは大きな声で呼びかけた。
お母さんは慌ててソファから立ち上がった。
「お母さん、どうしたの?」
「な、何でもないわ。びっくりしただけよ」
「そう」
お父さんのこと、考えてたのかな。
「それで、どうだったの? その……」
「あ、うん。先生も優しいし、魔法学院、よさそうなところだよ!」
「……そう。良かったわ」
お母さんは安心したように、小さなため息をついた。
「来週はお迎えに来なくていいよ。一人で帰れるから」
「そんな、ダメよ」
「やだよお。恥ずかしいじゃん。あたしもう中学生なんだから!」
あたしは頬を膨らませた。今日だって別に一人で大丈夫だったのに、お母さんがどうしてもって言うから。
「もう……。うちって、ちょっと過保護な気がする」
魔法学院を出てからの帰り道、お母さんの後について歩きながら、あたしは小声でうーたんに愚痴を言った。
「門限だって友達の家より早いし。スマホもまだダメって言うしさ」
「おかあさん、のぞみ、しんぱい」
うーたんもヒソヒソ声で言った。
「そりゃ、分かってるけどさ」
「あーあ。疲れた~!」
家に帰って自分の部屋に入ったとたんに緊張がほぐれて、あたしは大きく伸びをした。
「のぞみ、えらい! がんばった!」
うーたんがあたしの頭の上でぴょん、と跳ねた。
そうだ。
あたしはバッグを開けて、アリスさんのくれた紙袋を取り出した。勉強机に座ってワクワクしながら開けてみる。袋の中からは、ピンク色の小さな粒がいくつか出てきた。
「これが、『魔法のタネ』なの?」
肩の上にいるうーたんにそう聞くと、うーたんはあたしの手元を覗きこんで答えた。
「そう! さいしょのまほう、『アリ=ピプラ=ゾール』!!」
「ありぴぷらぞーる?」
「アリ=ピプラ=ゾール、ぼうぎょのまほう。じぶんのこと、まもる」
「へえ、防御の魔法かあ」
うーたんは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。跳ねるたび、柔らかい感触があたしの肩の上で踊った。
「それで、うーたん。もらった魔法で何をすればいいの?」
うーたんはあたしの肩から勉強机の上に飛び降りると、真剣な顔で耳をピンと立てた。
「みっつのちから、みつける」
「三つの力?」
「ちから、ひとつみつける。まほうしょうじょのしるし、ひとつあらわれる。みっつのちからで、みっつのまほうしょうじょのしるし。いちにんまえのまほうしょうじょ」
「ええと、修行の課題、ってことだね」
「そう」
「でも三つの力って、なに?」
「みっつのしあわせ。みっつのじゆう」
「三つの……、幸せ? 三つの自由?」
「そう。みんなもってる。でもみんなしらない。それさがす」
うーたんの説明って、時々、言葉が足りなくてよく分からない。
「みんなって?」
「みんな。ほかのひと」
「ええと、つまり……。何か探して困ってる人を助けてあげて、探すのをお手伝いすればいいのね?」
「だいたいそんなかんじ」
「で、見つけるたびにその『魔法少女の印』がもらえて、三つ揃ったら修行完了ってことだよね」
「うん。のぞみ、いまつかえるまほう、アリ=ピプラ=ゾールだけ。でも、しるしふえる。あたらしいまほうふえる」
「そっかあ」
つまり、その三つの力を探しながら、使える魔法を増やしていくのね。なんだかゲームみたい。あたしはだんだん楽しくなってきた。
「のぞみ、まほうのたね、のむ!」
「あ、そうだね」
あたしはきれいなピンク色の粒を一つ、手のひらに乗せた。そしてその小さな魔法のタネを、ごくんと飲みこんだ。
うーん。特に何も感じない。
「これで魔法が使えるようになったの?」
「ひつようなとき、つかえる」
「ふうん。いまいちピンとこないけど……。で、『何か探して困ってる人』はどこにいるの?」
「そのうちあらわれる。あせらない」
うーたんはもう、長い耳のお手入れに夢中になってしまっていた。