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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ウチのネコ様

作者: にゃおぞう

幼少期に運命的な出会いと別れをした思い出を、たくさんの方に知って頂きたくて書いてしまいました。

作家とかの勉強をした訳ではなく、稚拙な部分はあるとは思います。というか、稚拙でしかなく読みにくいかと思いますが最後まで読んで頂けたら幸いです。

 出会いは、恐らく私が幼稚園に入る前だったと思う。

 私が幼少期に住んでいたのは、それはそれは田舎で町に信号機が一つも無い場所だった。その見事な田舎っぷりだからこそ、あのようなドラマチックな出会いを経験出来たのだろうと思う。


 私が住んでいたのは、北海道東部の牛の数が人口の約3倍と言われていた酪農が盛んな地域だった。ウチは農家ではなかったが、父は酪農家が使う堆肥等の運送を行う自営業をしていた。母は地元のスーパーでパートをしていた為、あまり両親と過ごす機会は無い生活をしていた。

 私には、4歳上の姉と3歳上の兄が居る。どちらも既に結婚し、子供も複数授かって幸せな家庭を築いているそうだ。

 話が逸れてしまったが、私は両親と3児の5人家族で公営住宅で生活をしていた。公営といっても、都会の団地の様な物ではない。平屋で各家庭に庭が付いていたが、住居とは別な小屋に風呂が分かれているという悲しい仕様だった。


 幼少の頃のとある日に、ウチの庭にボロボロの白い猫が足を引きずりながら迷い込んで来た。両耳が不自然に綺麗に短かくなっていたり、尻尾が途中で切れたりしていたので恐らく酷い扱いを受けた後だったのだろう。

 可哀想に思った私は、家にあった朝御飯の余りとお皿に水を入れて猫の前に置いてあげた。警戒はしていたが、怪我で動けなかったようで近くに置くことが出来た。最初は匂いを嗅ぐ事すらしなかったが、家に戻って窓から様子を窺っていると安心したのかすぐに食べ始めた。

 当時の私は幼かったし、猫の怪我の手当てが出来る程の手先も知識も無かった。あの様な無力感を味わうと、二度と同じ想いはしないようにと獣医を目指す人も多いだろう。しかし、私は無駄に気を遣う性質だったらしくウチは貧乏だから無理かと目指す事は無かった。

 私がボロボロの白猫に、家の食べ物を与えた後どこへ行ったのかわからないが暫く見かけなくなってしまった。実際には食べ物を与える前も見たことが無い猫ではあったのだが……。


 それから半年程経った、視界10メートルも無い猛吹雪の日の夜の事だった。

 最初は空耳かとも思った。しかし、猫の鳴き声らしきものは止まらなかった。とても弱々しく、死んでしまうのではと思える様な鳴き声だったがこちらが気付くまで鳴いていた。

 私が最初に気付き、庭の戸を開くと見覚えのある耳の無い痩せこけた白猫が小さい猫を咥えて近付いて来た。目が開いたばかりという様な、幼い子猫を目の前に置き再度離れてしまった白猫。今思うとあり得ない事だとは思うのだが、当時は何も疑問を抱かずにこう考えた。


 『あの親猫は自分で育てる事が困難と考え、以前食料をくれたこの家を頼ったのだ』


 普通に考えると、嘘としか思えない子猫との出会いだった。子猫を家に招き入れても、親猫らしき痩せこけた白猫は家に入ろうとしなかった。それどころか、自らよろよろと庭から出て行ってしまった。

 ウチでは犬くらいしか飼っていなかった為、子猫が何を食べるのかもよくわからない状況だった。数十年前には携帯電話とか、馬鹿みたいに大きくかなりのお金持ちくらいしか持っていなかった。そもそも、インターネットは勿論パソコン自体も計算機に毛が生えた様な性能でしかなかった。その様な状態では、誰かに聞くことも出来ない。一応近くの喫茶店のマスターが、色々と動物に詳しいと聞いていたが夜も遅かったので家から電話しても出て貰えなかった。

 小さい子猫は、親の乳を飲んで大きくなるだろうと牛乳をあげる事にした。吹雪の中を運ばれて来たし、体も冷えているだろうと一度温めた牛乳だ。今でこそ牛乳の中に含まれる乳糖という成分を分解する酵素が少なくお腹を壊す猫が居たり、脂質が多く肥満になり易いとかナトリウムが多く心臓に負担をかけるとか様々な知識を得る事が出来るだろう。温かい牛乳を玩具の針の無い注射器で、口に咥えさせて少しずつ与えるときちんと飲んでくれた。

 子猫は両目共に綺麗な青目で、全身真っ白の可愛らしい猫だったが尻尾が病気の為なのか3㎝くらいで短かくなっていた。鳴き声が、ミャーミャーと聞こえるので安直にミーヤという名前を付けていた。最初は、ミーアなのかミーヤなのかで揉めた程に家族全員子猫に首ったけだった。今更だが、このミーヤと名付けた猫は飼い主補正を除いても優秀だったと思う。私がこの様な話を書いてしまうくらいには……。

 結局翌日に話を聞いたところ、目が見えるくらい成長した子猫であれば目の前に持って行けば大抵何でも食べるし匂いの時点で食べない物とかあるだけと教えられた。私達が食べる食事を少しずつ分けて、私達と同じ様な食事をする子猫。もう完全に家族の一員だった。

 母のパート先が、近くのスーパーの鮮魚コーナーという事もあり手頃な魚の入れ物を貰って来た。何に使うのかと言うと、少し大きめの発泡スチロールの入れ物に動物用のトイレの砂を入れて室内用のトイレを作ってあげた。一度トイレはここだと教えると、そこ以外では決して用を足さない知能もあった。教えていないのに、嘔吐する時もトイレに駆け込む応用力すらあった。

 暫くして大きくなると、外に出たいと扉の前で鳴くようになった。猫の知識の無い私は、あぁもう巣立ってしまうのかと思いながらも庭への戸を開けてあげた。ミーヤを見送った後、私は町内で仲の良かった友達と遊んだりして時間を潰し兄たちが帰宅する辺りで家に戻った。日が沈み晩御飯を用意した頃、庭から猫の鳴き声が聞こえて来た。帰巣本能と言っても良いのかよくわからないが、ミーヤも帰宅したようだった。ミーヤにとっても、ウチは既に自分の住んでいる家だと認識してくれていたのだろう。

 猫の行動範囲がどういうものか、全くわからないがミーヤは毎回出掛けるとその日の夜に帰宅していた。しかし、ミーヤがウチに来てから1年くらい経った頃だったと思う。その日の内に戻らず、家族全員が心配していた。3日程経過して、足を引き摺って帰って来た。暫く家で落ち着いて傷を癒し、再び外出をして数日空けて怪我をして帰る事を繰り返していた。縄張り争いでもしていたのだろうか……。

 目立つ怪我をせずに帰って来るようになった頃、ミーヤが新しく弱った野良猫を連れて来た。ミーヤは賢かったので、ウチに連れて来れば保護して貰えると思ったのかもしれない。勿論追い出す理由が無いので、健康に戻るまで世話をしてあげる事にした。元気になっても、出て行く事はなく居ついてしまったが動物は可愛いのでそのまま住んで貰う事になった。完全な黒猫ではなかったが、名前はクロにした。

 それから約1年経った春頃、クロが妊娠してあまり出歩かなくなった。人を近寄せようとせずに、威嚇しつつ4匹の子供を無事に産んだ。クロも初めての子供だったのか、子供達に囲まれて居心地悪そうに乳もあげずに逃げ回ってしまっていた。ここで私達家族は、一つの過ちを犯してしまった。このままでは、産まれたばかりの子猫達が餓死してしまうと熱した牛乳を与えてしまったのだ。


 翌日、小学校から帰って来た私は違和感を覚えた。クロが部屋にあったサイドボードの上で、毛づくろいをして落ち着いていた。ミーヤはいつもの様に、外に出掛けていて家には居なかった。父も母も仕事に出ているし、姉も兄も部活でまだ帰って来る前だった。家には私とクロのみで、異常と思える程静寂に包まれていた。

 猫の子殺し等と呼ばれる、猫の習性を知っている人は居るだろうか。この習性は一般的に、母猫が殺す場合と父猫が殺す場合の2種類ある。産まれたばかりの子猫を、人間が触ると母猫は子供達を食べてしまったり育児放棄をする事があるそうだ。そして、オス猫の習性に自分以外の子供を見つけると子供を食べてしまうらしい。専門家ではないので詳しくは知らないが、どういう訳か子供を失った時点でメス猫は生殖可能になるらしく種の保存の為のオス猫の本能に刻まれているらしい。

 当時の私は、いや私達家族は誰もその事を知らなかった。そして、静かな部屋の中に1匹の親猫。不思議に思いつつも、いつもの様にテレビゲームを準備して誰かが返って来るまで遊ぼうとする。ソファーに座ろうと思った時、ふとソファーに何かが落ちている事に気付いた。一目見て理解してしまう、2㎝くらいの子猫の腕の先だった事を。前日にあれ程、子猫達に戸惑って離れていても落ち着かない状況だった母猫が安心して毛づくろいをしている。当時小学4年の子供だった私でも、さすがに気付いてしまった。この母猫、子供達を食い尽くしてしまったのかと。

 猫の習性本能を、全く知らなかった当時の私は怒りと悲しみに支配され高い所で落ち着いている母猫の首を掴み引き摺り下ろした。そして、母猫の顔を子猫の腕に押し付け叩いた。何て事をしたのだと、何度も何度も……。完全に筋違いであり、ただの動物虐待だっただろう。私達家族が、やってはいけない事をしてしまった結果だったのだから。

 それから半年くらい後に、再びクロが妊娠した。父が庭に、大きな小屋を作った。床には、どこかの倉庫で使ってそうなパレットを複数使いおよそ4畳半程の広さがあった。柱は6本あり、どこから持って来たのかよくわからない1辺10㎝くらいの綺麗な角材を使用。高さは約2mあり、屋根は波型で透明な塩化ビニール製。周囲はブルーシートで囲み、その上から厚さ1㎜くらいのビニールシートを重ねるという猫の小屋という範疇ではない建物だった。その中に昔使っていた、組立式簡易ベッドを置き布団を敷いた。子猫が落ちてしまうと困るので、ベッドの上に更にミカン箱を置いて中に毛布を敷いてクロを案内した。

 クロも頭が良いのか、出産用の家だと理解したようで普段はそこからあまり出歩かなくなり狙い通りその中で出産してくれた。クロ用の食料は、毎日庭の小屋の入口を開けてすぐの場所に毎食補充してあげた。子猫の成長を見たかったが、前回の事もあり自重した。3ヶ月くらい経過したくらいに、庭で遊んだ後に小屋ではなく家に入って来るようになった。その頃ミーヤは子作りだけではなく、どこかから野良猫を連れて来るのが多くなっていた。ミーヤとクロの家族は、この時の子供が3匹で5匹だったのだろうか。気付いたら家の中には、猫が10匹を超えていた。

 更に半年後の春、クロの他にもう1匹妊娠して大変だった。ミーヤが連れて来た、マルと名付けた猫は猫小屋で4匹を出産。クロは子殺しの本能が抜けたのか、普通に家の中で5匹産んで世話をさせてくれた。もしかしたら、一度に5匹身籠って外に出られなかったのかもしれない。完全な育児放棄ではなく、普通に面倒を見切れないので手伝えといった感じである。もうここまで来ると、クロと誰の子なのかよくわからない状況だった。猫だけで約20匹、風呂場の横に犬小屋があり犬も2匹で犬猫の餌代が凄かったらしい。


 ある夏の日の休日に、公営住宅の棟と棟の間の道路をミーヤが脱走したウチの犬に追われて凄い勢いで逃げまわっていた。勿論車道なので車が通るのだが、運悪くミーヤは撥ねられた。犬は撥ねられてないのに、キャインキャインと鳴き声をあげていた。不幸中の幸いとでもいうのか、田舎とはいえ住宅街の道路なので車の速度が遅く内臓破裂とかの重傷までには至らなかった。犬は足を引き摺っていたが、10分くらいで普通に歩いていたので犬でも演技とかするのかと感心した。

 それはさておき、動物に詳しい例のマスターに見て貰った。どうやら骨に異常もなさそうで、大人しくさせておけば自然に治る打撲程度だろうと診断された。この頃からミーヤは、車が危険な物だと学んだらしく普通の猫なら通り過ぎるだろう距離に車が見えると道路横断を控えて脇で待機する事を覚えた。通り過ぎてから渡るのは勿論、ウインカーが点滅すると曲がる事を理解しているのかその場合は普通に横断するという天才ぶりだった。最初見た時は、何で急に道路脇で立ち止まるのだろうとか思っていた。ミーヤの行動を理解してからは、その辺の園児とかより頭良いのではと考えを改めた。

 ウチに住んでいた約20匹の猫達は、俗におみやげ等と呼ばれる行動はほぼしなかった。見えないところで、普通に狩りの様な事はしていたかもしれない。しかし、ネズミやスズメなど狩った獲物を持ち帰る行動は誰もしなかった。そんなある日、ミーヤがボロボロの見た事のない鳥を咥えて持ち帰って来た。見るからに瀕死だったが、まだ息があった。もうすぐ10年になるくらい一緒に過ごしてきて、初めて持ち帰った事から助けてやってくれとどこかから拾って来たのかもしれない。ミーヤから見た事の無いその鳥を預かり、いつもの困った時の例のマスターに相談した。

 1ヶ月くらいすると、マスターから連絡が入り無事完治したので森に放しに行くけど一緒に行かないかと言われた。街外れの森で、その鳥が飛んで行ったのを見て感動したのを覚えている。恐らくは違うとは思うが、ミーヤが生きたまま連れて来たから助かったのだと考えてしまったからだ。実際は鳥が、ミーヤに襲われて瀕死になっていたのかもしれない。そこは見ていないから、何とも言えない訳だが今でもミーヤが助けたと思っている。彼は賢いのだから……。


 私が中学校に入ってすぐに、公営住宅から出て一軒家を借りられる事になった。ウチは裕福ではなく、どちらかというと一家離散レベルに貧乏だった。恐らく母がパートをクビとか、何か起こった時点で3ヶ月はもたなかっただろう。親戚各所から、お金を借りて生活していたのも何となく知っていた。それでも、ウチで増えてしまった猫達を見捨てる事は出来なかった両親は甘いと言われるのか素晴らしいと言われるのか微妙なところだ。

 引っ越しの日に、家に居た猫を全てダンボールに入れて車に積んで移動した。誰も暴れなかったのは凄いと思うが、唯一ミーヤが外出して戻って来なかった。全ての荷物を運び引っ越し終えた次の日、何も残って居ない公営住宅に朝から1日中待ち続けてみた。しかし、ミーヤは戻って来ることはなかった。

 私が中学1年の終わり頃に、新しい家の玄関から泥塗れで痩せた白猫が見えた。一目でミーヤだと理解できたが、どうやら野生化していたらしい……。警戒心が強く、常に威嚇しながら近寄ろうとしない。餌を置いて離れても食べようとせず、こちらを窺うだけだった。玄関の戸を閉めて、覗いて見守るとゆっくりと餌に近付いてきて咥えて持ち去った。同じような事を1週間程繰り返し、その後扉を開けておくと家の中まで入って他の猫達の餌を食べる様になっていた。それでも1ヶ月くらいは、警戒していたが最終的には元の様に気を許してくれるようになった。

 一時期ウチに住んでいた猫は、約30匹を超えて居たが今ではほとんどの名前を忘れてしまっている。当時は、全ての猫の顔と名前を憶えていたのが信じられないくらいだ。今では、最初のミーヤとクロとその子の内の1匹ビッケ。更にはミーヤが再度連れて来た、マルとその子供で鼻の横に円形の黒い毛が特徴的だったモグロ。それくらいしか、今は覚えていないのがとても悲しい。


 ウチの猫の代表とも言うべく、ミーヤが再びお土産を持って来た事があった。普通にスズメだったのだが、血の出る様な外傷が一切無くただ翼が折れ曲がっているだけという不思議な状態だった。前回同様に、家に持ち帰って甚振るでもなく父の前に置いて顔を見上げるだけ。スズメが逃げようとすると、捕まえて父の目の前に置くのを繰り返す。助けたいと思っていたのだろうか。当然の様に、いつものマスター頼みで完治して飛び立って行った。本当にミーヤは不思議な猫だった。


 そう、不思議な猫『だった』なのだ。


 当然猫も生物なので、寿命というものがあるだろう。ミーヤと出会ったのは、恐らく生後1ヶ月程度ではあったがそれも私が3歳の頃だ。私には、何故かよくわからないが印象の強かった記憶だけではあるが1歳頃の記憶から残っている。もう30年以上前の記憶だが、1歳で母にご飯を強請って待ちきれずに押入の戸の隙間にあったハエの死骸を食べた記憶すら残っている……。それはさておき、3歳で出会い中学も卒業間近という長い年月が経過したのだ。約30年前の時代の環境で、12年程度は長かったのか短かったのかわかりかねる。


 見るからに弱っていた。

 御飯もあまり食べられなくなっていた。

 歩くのも辛そうだった。

 1週間くらい外にも出ていなかった。

 満足にトイレまでも行けずに漏らしてしまっていた……。


 流石に家族全員が、もう老衰も近い事を理解した。理解させられたと言うべきだろうか。今までほとんど、私達家族に迷惑と言える様な迷惑もかけずずっと一緒に生活してきたのだ。弱っていたのを見たのは、車に撥ねられた時だけだった。御飯も行儀良く、強請って鳴いたりせずに横で貰えるのを待っていた。毎日外出しては、汚れて綺麗にして貰うまで玄関で待つ利口さを見せていた。家のトイレを使う事無く、トイレの為だけに外に出たい意思を伝える程だったあのミーヤがと思うと耐えられなかった。

 そんなある日、唐突によろよろと歩き出した。僅か5mも無い距離を30分程もかけてゆっくりと。玄関の前で、今までの様に外出したいと意思を伝えて来た。私は反対だった、それが最後の別れになると感じていたかもしれない。ここまで弱っているのに、自分から態々外に出たいと願っているのだから出してあげるべきだと両親に諭された。予想通り、それ以来ミーヤは帰って来なかった。

 数か月経過して、玄関を出て5mくらいの場所に放置されて50㎝くらいまで成長していた草むらがあり草刈をする事になった。草刈の日に、ふと不自然に草が倒れてる場所があった。苦悶の表情で横たわるミーヤだった……。


 『人を悲しませない為に』


 専門家は、猫にはその様な感情は一切無いと言うそうだ。これを見た時に、それならばミーヤの行動をどう説明するのだと憤慨した。猫の死に目に会えない理由として、大まかに4つ理由があるらしい。一番の理由として、知らない所で交通事故に遭い二度と会えなくなるというもの。次に縄張り争いに遭い、怪我を負い家に帰れなくなってしまうというもの。3つ目は種の保存という本能に従い、異性を求めて戻って来なくなるというもの。最後に病気や老衰で、安心する場所や静かな場所で眠りたいと思い隠れて亡くなるというものらしい。


 交通事故で会えなくなる……。

 既に道路にまで歩いて出る力が無いのに?


 縄張り争いに巻き込まれる……。

 家から離れる力も無いのに他の縄張りに入る?


 本能に従い異性を求める……。

 家に安全な異性が居るのに種の保存で外へ?


 安心する場所や静かな場所を求める……。

 ベッドの下や棚の下など隠れられる場所は多いのに何故外へ?


 最後の理由が、一番可能性的にそれらしくはあるだろう。しかし、数日間歩くことも出来ずに蹲っていた者が最後の力を振り絞って30分で数mしか進めない程衰弱していて外で静かな場所を探そうと考えるだろうか。それも、扉を開けてくれと人を呼んでまでだ。こんな理由を考えた専門家とは、猫を飼った事が無いのではないだろうか。もしくは、衰弱前に見限られる世話しかしてない飼い主かのどちらかだろう。

 そのような専門家からすると、私の様な考え方は夢を見過ぎとか幻想だとか言うのかもしれない。しかし、どちらも人間であり猫ではない。統計的にはこうなるとか、一般論は言えても真実は猫にしかわからないのだ。私の中では、悲しませない為に旅立ったのだといつまでも記憶に残り続ける。例え専門家が何と言おうと、その結末だけは変わらないのだ。


 様々な猫達がウチで産まれ亡くなったが、自由気ままに私達家族に迷惑をかけていた者達の記憶は薄れていく。しかし、運命的な出会い方をしたミーヤ。彼と共に成長した、約15年間だけは今後も忘れる事は無いだろう。

素人的に、起承転結とかあったよなぁと思いつつも想いが強すぎて滅茶苦茶になった感が強いです。

最後まで読んでいただけた方、有難う御座います。

ウチの子の方が賢いわ!という方も居るかもしれないですが、その辺は飼い主補正があるので勘弁して下さい。

お別れ部分入力時にも少し泣きそうになってしまいました。

少しでもこの想いが伝わってくれると嬉しいです。

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