第5章① 第12歩兵師団
※本話30,000字
※キングスフォード辺境伯領の組織図(2019.06.17. 現在)
エリザベス王国南東部:ベータ区域駐留部隊
陸海空軍及び国家憲兵隊の4軍が集結したベータ区域では、駐留部隊司令官(空軍中将)及び基地司令官(空軍准将)の下に、全体会合が開催されていた。
本日の会議では、更にA方面軍最高司令部の参謀達も加わって、爆撃・占領任務に関する調整が続けられている。
方面軍兵站参謀(空軍大佐)が第22任務部隊兵站参謀長(空軍准将)に対して、空爆の縮小を要求した。
「占領目標に対して主に用いられている中性子爆弾やその他の戦術核兵器ですが、爆弾の消費が予想よりも遥かに増大しています。
このままの進み具合ですと、備蓄が底を突くのは時間の問題かと思います。何とか、使用頻度を抑えられないでしょうか?」
「無茶を言うな。この広大な面積を誇る国家を爆撃するだけでも一苦労だというのに、弾火薬の消費を抑えろだと?できる訳がないだろ。
それとも陸軍の連中に、爆弾が不足しているから、生身で突っ込めとでも言うつもりか?
俺達に与えられた役割は、言わば陸軍の占領部隊の露払いだ。方面軍が何と言おうが、任務は完遂する」
「ですが…爆弾が無くなれば、どうやって占領するというのですか?爆撃部隊は全ての占領目標に対して攻撃を加えた訳ではありません。
まだ、多数の占領目標が残されています。ここで爆弾や弾火薬の消費を抑えなければ、後々の占領政策にも大きく影響を及ぼすのは明らかです」
「工廠で生産を拡大できないのか?戦時体制に伴って、殆どの軍需工場は増産体制に入っているはずだろう。
そもそも十分な量を確保できると踏んだから爆撃を指示したのではないのか?本国政府も方面軍司令部も最初は何の問題もないと言っていたではないか」
「勿論、兵器や物資の生産は大幅に強化されていますが、一方で国家転移によって必要な物資が不足しているのが現状でしょう。
政府と軍部の見通しが甘かったのは事実ですが、これ程の規模の空爆作戦は過去に例がありませんでした。こちらとしても想定外の消費速度です」
爆撃部隊の参謀達は思わず溜息を洩らした。想定外だったから仕方がない?そんな事が戦場で許されるはずがないだろう!!
どうやら政府と軍部は久方振りの大規模戦争に浮かれていた様だ。全く、これだから現場を碌に知らない連中は使えない!!
うんざりした感情を隠そうともしない空軍准将だったが、だからと言って相手にしないという訳にもいかない。
階級こそこちらが一段階上であるが、向こうの立場は派兵部隊を束ねるA方面軍の高級幹部の一人だ。何よりも、自分が担当する兵站業務に直結する話題であるから無下にもできなかった。
「とにかく、何とか調達できないのか?いくら爆撃機があっても投下する物がなければ宝の持ち腐れだぞ?」
「これ以上の調達は厳しいかと…方面軍では作戦計画の修正も視野に入れています」
「ということは、占領目標の数を減らすという事か?それとも、多少の損害を覚悟して占領部隊を突っ込ませるのか?」
「占領を任せられる部隊は何れも陸軍の精鋭部隊です。損害を前提とした作戦を採るよりも、占領目標を縮小する方が合理的でしょう」
「しかし、占領目標はこの国の資源を輸送する上で必要な最低線ではなかったのか?もしも、占領目標を縮小すれば、資源の輸送網と輸送計画に支障を来たす恐れがあるだろう」
「仰る通りですが、こちらとしても最大限に努力している次第であります」
努力する事は当然で、その上で結果を出さなければ評価されないだろう…そう言いたいが不毛な口喧嘩をするつもりもなかった。
麾下の将兵を思えば、一刻も早く結論を出さなければいけないからだ。
「それで、占領目標はどれくらい減らす予定なのか?」
「修正される作戦では、91目標を50目標程度に減らした上で占領する予定です。
輸送計画への影響をできるだけ抑える為に、更にインフラ計画を増強し、軽便鉄道を延伸させます。
それから空港や港湾もあちこちに建設する事で対処します」
「物資が不足しているのに、インフラの増強だと?本当にできるのか?」
空軍准将はモニター越しに映る兵站参謀を睨み付けた。
物資が不足しているから占領目標を縮小するというのに、果たして公共資本の増強を行うだけの体力が我が国にあるというのか。甚だ疑問だった。
「それは…本国政府の決定ですから、私からは何とも言えません。しかし、国内の余剰能力をこの地域に割り振る事で可能だとは聞いていますが」
「まさか、失業対策の為に民間の建設・土木会社を大勢この国に送るのか?これ以上、民間人を送られたら、警備だけで手一杯になりかねない。
ただでさえ、軍人と民間人の間で軋轢が発生して、四苦八苦しているというのに」
「与党の族議員がごり押ししているとか…こちらが撥ね退けるには、我が軍は少々、政治力が足りません。
それに、失業対策が重要なのも事実ですから、受け入れる他ありません」
「民間人はここが戦場だという意識が低過ぎる。遠足気分で来てもらっても、迷惑なだけだ」
「しかし、政府与党を蔑ろにはできません。ここは耐えるしかないでしょう」
空軍准将は、ここまでの遣り取りで、一体いくつもの溜息を吐いた事だろうか。少なくとも何十回も溜息を吐いた事は確かだ。
政府の連中も、軍部の上層部も全くもって使えない。結局、己の才覚を以て対処する他はないだろう。
※※
ベータ区域:第12歩兵師団(空中強襲)
作戦計画の一部が修正された事は占領部隊の主力を担う第12歩兵師団の師団長にも連絡された。
ベータ区域駐留部隊とA方面軍の合同会議で決定された作戦計画では、爆撃部隊の支援を受けられない占領部隊も想定されている。
その場合、歩兵師団隷下の航空旅団で何とか一部を代替できないかどうか試みられていた。
しかし、戦略爆撃機と陸軍の戦闘ヘリコプターを単純に比較する事などできない。
両者に与えられた役割は完全に異なるのだから当然だが、航空爆弾を始めとする弾火薬が不足気味であるから致し方ない側面もあるという「空気」が方面軍最高司令部を支配していた。
兵站参謀曰く、この事態を招いたのは自分達の無能でなく、飽くまでも国家転移の所為であると責任を転嫁していた。
師団長は、自らの執務室に麾下の旅団長達を集めていた。
師団司令部の参謀を集めるよりも、直接、作戦を実行する部隊指揮官を招集する事で迅速な意思決定と現場からの専門職的な助言を求めたからでもある。
師団長は具体的にどの程度の被害が想定されるのか、そもそも現状の兵力だけで占領できるのかを旅団長達に問い掛けた。
「空軍の槍働きが期待できない以上、我が師団だけでも何とか作戦目的を達成しなければならない。 しかし、…中性子爆弾によって敵兵を無力化できないとなると、我が方にも多少の被害が及ぶかもしれん。
具体的には、どの程度の兵力を投入すれば、こちらの損害を最小化できるのだろうか?」
「例えば、占領目標の一つである南部のキングスフォード市を占領下に置くには最低でも4個歩兵旅団は必要になります。
もしも、第22任務部隊の爆撃によって無力化できるのであれば1個旅団程度でも十分に占領が可能ですが、フォースリーコン(海兵武装偵察部隊)のA分遣隊によると、どうやら同市は200,000人から300,000人以上の人口を抱えている様です。
空爆で無力化ができないとなると、当然、その人口を抱える必要がありますから、どうしても大規模な空中強襲を行う他はありません」
「4個歩兵旅団だと?それは我が師団の全部隊ではないか。それだと、他の占領作戦に支障が出る。何とか、1個旅団だけで作戦を遂行できないか?」
「やれと言われればやります。
しかし、相当の被害は覚悟して然るべきです。敵中に降下する訳ですから、いくら文明の程度が低いとは言え、こちら側が無防備の状態を晒せば、敵軍が攻撃を仕掛けるのは想像に難くありません。
例え、マスケットや近世レベルの火砲であっても、人が殺せる以上、脅威である事は変わりません。
勿論、我が方の火力が圧倒していますから、敵軍を一掃する事そのものは容易いことです。
しかし、いくら何でも、何の損害もなく無傷で都市を手に入れられると考えるのは極めて危険ではないでしょうか。
軍事作戦である以上、多少の被害は許容されて然るべきです」
師団長は暫し黙考した。一つの作戦単位を率いる将官であるから、当然、ある程度の被害も許容しているが、だからと言って、それを正面から認めるのも躊躇した。
多数の将兵を死傷させて、無能な指揮官であると批判されるのは避けたい。
しかし、現状の兵力だけで解決しなければならない以上、どうした所で、被害を前提にした作戦を実行するしかないだろう。
「航空旅団による火力で何とか制圧できないか?」
「戦闘ヘリ部隊の対地攻撃によって、ある程度は敵兵を漸減できますが、それにも限度があります。一都市、それも数十万人の都市を攻撃できる能力は、残念ながらありません。
そもそも、航空旅団の本来の任務は飽くまでも、空中強襲部隊をヘリボーンする事に主眼が置かれています。
どちらかと言うと、輸送ヘリの方が主力ですから、現状の兵力では非常に厳しいかと」
「そうか、…それでもやれと言ったら?」
「その場合は、師団の全部隊を以て事に当たる他ないですね。しかし、その場合は、間違いなく、他の占領目標に割けるだけの兵力はなくなりますが」
「キングスフォード市は、南部の主要都市であり、南部の軍事基地としても極めて重要な要衝です。 師団に与えられた他の占領目標よりも遥かに優先順位が高いと言えるでしょう。
つまり、兵士達の命を犠牲にするだけの価値は十分にあります」
13旅団長は師団長が躊躇している事を斟酌せずに、正面から兵士を磨り潰してでも作戦を実行すべきだと訴えた。
「…麾下の将兵を潰してでもやるべきか?」
「えぇ、その為の軍人ですよ。国家の為に死ぬのが彼らの仕事です。
勿論、私も例外ではありませんが。
何れにせよ、犠牲なくして作戦の成功はあり得ません。閣下、ご決断を」
「…分かった。師団の全兵力を以て、キングスフォード市を占領下に置く。各自、よくよく準備する様に」
師団長は幾度となく修正される作戦計画に不満を洩らしていたが、部下からの進言を受けて、決心した。
実際に実行へと移すには、方面軍との再調整が必要だろうが、方面軍の作戦参謀が何と言おうとも、こちら側の要求を呑ませる。
占領する地域は更に減少してしまうだろうが、そんな事は政府と軍部の首脳部が大いに頭を悩ませれば良い事だ。
※※
キングスフォード市:第12歩兵師団(空中強襲)
キングスフォード市から1km前後の空中に陣取った第12航空旅団は、その輸送ヘリに半個歩兵旅団を乗せていた。
全ての空中強襲部隊を一度に投入できる程の輸送力がある訳でもないから、8回に分けて降下させる予定である。
空輸部隊を守る様に、戦闘ヘリコプター中隊(戦闘飛行中隊)が分散して配置されている。
空中強襲作戦の前段階としてまず戦闘ヘリコプター中隊による対地攻撃を行い、地上の敵兵を掃討し、その混乱に乗じて降下する。
師団直轄の戦車大隊も前進させて、市街地に降下した歩兵を掩護させる。砲兵大隊による砲撃は威力が強すぎる為に、後方待機となった。
経空脅威を想定していなかった都市の守備隊は騒然となった。
キングスフォード辺境伯領を統治する代官兼軍事総督(男爵砲兵大将)には陸軍の4個師団が与えられていたが、異民族討伐の観点から、それぞれの主要な異民族との境界付近へと分散して配備されている。
従って、都市防衛の為にそれらの部隊を引っこ抜く為には、まず連絡騎兵を飛ばして伝令する必要がある。
しかし、そもそも突然に攻撃が始まったが為にそれらの連絡を行う余裕がなかった。
辺境伯領の各地に配備されている師団との連絡を重視する男爵は、常に郵便公社の郵便馬と独立騎兵連隊を活用して、各地の情勢の把握に努めていたが、それでも瞬時に情報が伝達される訳ではない。
通信技術が発達していない王国の弱点が再び露わになった形だ。
大陸の列強諸国の一部は電信技術を実用化しているが、この島国には、未だそういった技術は伝播していなかった。
明らかな戦闘の音声に男爵は、部下からの連絡を待つまでもなく代官公邸から飛び出した。早朝の出来事であったにも関わらず、軍刀と護身用の騎兵銃を素早く取り出して装備した。
敷地の広場へと繰り出すと、そこには異形の飛行物体の群れが上空を闊歩していた。飛行物体は周囲の人々に対して機銃掃射をしながらも、次々に歩兵達を地上へ排出している。
比較的、朝が早い職人や夫人達が逃げ惑っているが、敵兵の銃火の前に斃れていくばかりだった。
男爵は、凄惨な光景を一刻でも早く終わりにする為に、銃口を敵兵に向けようとするが、それよりも数舜ばかり早く、敵兵の銃が彼へと向けられた。
男爵は観念して、騎兵銃を地面へと下すと、両手を挙げて降伏の意思を表明した。
敵兵はどうやらこちら側を殺すつもりはないようで、取り敢えずは、敵兵の先導に従って捕虜にされた。
非戦闘員を殺傷して、戦闘員を殺傷しなかった理由は不明ではあるが、恐らくは首都に侵攻しているという外国軍隊の一味であろう。
彼の軍勢の一部がこちらまで迫っているとしたら、最早、この国の全土に展開していると考える方が自然だ。
男爵は、離籍したとは言え、王族の血統である事に変わりはないのだから、占領軍の何かしらの道具にされる危険性があった。
しかし、彼我の軍事力が隔絶している以上、時間の問題だっただろう。
もしかしたら、私を次期君主にでもして傀儡政権を樹立するかもしれない。彼はその様に未来を悲観していた。
だが、それよりも大事なことがある。妻の命だ。
褐色の美女である妻は、どの男が見ても劣情を催すだけの魅力を備えている。
占領軍の軍人が強姦や強奪をしないなどという楽観をするつもりはない。
先導する敵兵に対して必死に会話を試みるも、言葉が通じず、失敗に終わった。
例え捕虜収容所から脱出してでも妻の安否を確認しなければならない。
※※
キングスフォード市:代官官邸
降下時の事故や都市の守備隊からの攻撃によって、一部の兵士が負傷したが、師団長の許容範囲内に収める事ができた。
降伏した一部の敵兵を市内の駐屯地へと一時的に収容すると、12師団は代官官邸を臨時司令部として使用する運びとなった。
臨時司令部の警備に1個歩兵大隊程度を残置すると、残りの部隊を市内外の各所に分散させた。
一か所に集結させるだけの広さが確保できていないというのもあるが、生存している住民達を軍政下に置く為でもあった。
師団長は軍法の規定に従って、実効支配地域の軍政長官を兼帯する。占領に関する現状を情報参謀(陸軍中佐)が整理し、師団長に報告した。
「我が師団の保護下にある住民は、戦闘員・非戦闘員を合わせまして、凡そ210,000人前後です。
それ以外の住民は、恐らく師団の攻撃によって死亡したか、それとも他の地域にでも移動しているのでしょう」
「エルフ村自治領連邦の情報では、200,000人から300,000人の都市人口があるという事だったと思うが?残りの人数は単なる誤差なのだろうか」
「この都市はキングスフォード地方の中心都市ですから、恐らくは他の都市や村落などからの行商人や旅人と言った類ではないでしょうか。
我が国の大都市でも昼間人口と夜間人口が著しく異なる事は良くあることですから」
「いや、この国はさして輸送手段が発達していないだろう?
自動車や鉄道があるのならばともかく、そこまで違いが生まれるものなのだろうか」
「それは現時点では分かりかねます。
もしかしたら、周縁部分の人口がやたら多いからこそ起こる現象なのかもしれませんが」
「そうか、まぁ人口の話はこれぐらいにしておこう。
所で、捕虜にした戦闘員はどうしている?ちゃんとこちらの命令が伝わっているのか?」
「それに関しては、A分遣隊とエルフ村自治領連邦の方々に協力を要請しています。
まもなく、彼らが通訳担当官としてこちらに赴任する頃かと思います」
「直接、通訳できるだけの言語解析が進んだという事か?」
「いえ、まだ直接に通じるという事ではなく、間にエルフの言語を介する事で間接的に通訳できる様です。
と言っても、文法のレベル的には未だに中学英語と同等程度しか解明できていない様ですが」
「いわゆる二重通訳か。先が思いやられるな」
「確かに現状は如何ともし難いですが、それでも停戦交渉の頃に比べれば、一歩も二歩も前進したと言えます。
直接に通訳できるのも時間の問題でしょう」
「それで、捕虜の中にはお偉いさんはいるのか?この街の領主や行政官みたいな奴がいるはずだろう」
「それらしき者は何人かいます。
ただ、具体的な役職や地位は、着任予定の通訳担当官に聴取させる必要があります」
「つまり、フォースリーコンとエルフ族が来ないことには何も進まないという事か…」
「有り体に言えばそうです。
まぁ、彼らが到着するまで、一息の休憩を挟みましょう。
将兵らもここのところ働き詰めで、疲労感が溜まっているでしょうから」
「そうだなぁ、少しばかりの休憩を取らせよう。部隊の指揮官達に伝達しておけ」
「えぇ、すぐに連絡致します。では自分も少しばかり仮眠を取ってきます」
中佐が退室すると、師団長は椅子から立ち上がって、備え付けの長椅子へともたれ掛けた。
中佐と同じで少しばかりの仮眠を取る為である。
※※
キングスフォード市:捕虜収容所
捕虜にされた男爵は、その地位に似合わず他の捕虜と同じ一室に収容されていたが、それほど拘束されていた訳でもなかった。
捕虜収容所として使用されている守備隊の駐屯地内であれば、自由に移動する事ができた。
供される食事こそ味気ないものの、看守役を務める憲兵に何度も話し掛けて、日々の鬱憤を晴らしている。
彼はお互いの言語が通じないのもお構いなしで、憲兵達を困惑させていた。
彼からすれば、その職務上、異民族との対話経験が非常に豊富であったから、日本人を前にしてもそれほど恐れなかったのかもしれない。
それに、彼には愛妻の安否を確認するという重大な使命があるのだから、会話を含めた情報収集に余念がないのは当然だった。
憲兵から日本語の雑誌や新聞を拝借すると、独学で日本語の学習に取り組んだ。勿論、情報収集の一環であるのは言うまでもない。
暇そうな憲兵を発見すると、漢字などの文字の練習にも付き合わせた。
嫌そうにする憲兵もいれば、喜々として協力してくれる憲兵もおり、男爵は大いに異文化交流を楽しんでいた。
※※
捕虜収容所:尋問室
ようやく、A分遣隊とエルフ村自治領連邦から通訳担当官が到着した。
通訳班は、A分遣隊の情報分析官(少尉)を班長として、エルフ族の長老や女性などが参加している。
尋問は取り敢えずの所、重要人物の様に見える者を優先して行う。
残念ながら男爵はその重要人物には含まれなかった。
大部屋でその他大勢として遇されているのだから、この事態は想定内であったが、それでも彼は落胆を隠せなかった。
親しくなった憲兵に訴えても、こちらを先に尋問する様には取り計らってはくれなかった。
特定の捕虜を何の理由もなく優遇する訳にはいかないからだろう。
尋問されることが果たして優遇と言えるのか疑問だが。
豪華な軍装を纏った一番偉く見える重要人物を尋問室へと連れていくと、通訳班の少尉とエルフ族達は、早速、仕事に取り掛かった。
階級章を見るに二つ星を付けている事から、恐らくは将官、列国の軍隊と比較すれば少将に相当する高級軍人であろう。
まず、エルフ族の通訳担当官が尋問対象の少将に尋問し、その内容を少尉が日本語へと通訳するという面倒な手法を取った。
エルフ族が通訳してみせた所によると、どうやらこの高級軍人は、確かに陸軍少将であり、辺境伯領の軍事官房長として、代官を務める男爵砲兵大将に仕えているらしいという事が大まかに把握できた。
では、件の男爵は一体どこにいるのかという話へと移った。
「男爵はどこにおられるのか。男爵はどういう身なりをしているのだろうか」
「閣下は、恐らくは代官公邸でお休みになられていた事でしょう。身なりについてですが、寝間着か、それとも軍装のどちらかではないかと思います」
「捕虜を検分すれば、男爵であるかどうかが分かるだろうか」
「勿論です。
私は、閣下が南部軍管区の参謀長を務めていた頃からの部下ですから、見間違うという事はまずないでしょう」
軍事官房長は、そう自信を持って、尋問に応じた。
そこには、敗戦の身上でありながら、卑屈さというものは全く見られなかった。
通訳班は、憲兵中隊の協力を得て、捕虜の面通しを行う事になった。
捕虜達が一斉に広場(駐屯地の営庭)へと集められた。
彼らは今から処刑が始まるのではないかと気が気でなかったが、だからと言って反抗する手段などなかった。
不満と恐怖を感じながらも、おとなしく憲兵の誘導に従って整列した。
彼らは軍人であるからなのか、囚人達よりも綺麗に隊形を整えて見せた。
外国の軍人に対する見栄も含まれていたのだろう。
降伏したとは言え、良く統率された軍隊であるのは間違いない。
「この中に男爵はいますかね?」
若いエルフ族の青年が軍事官房長に問い掛けた。
「もう少し、近くで見ないことに何とも言えませんな。もっと近付いてもよろしいか?」
「えぇ、どうぞ自由にして下さい」
彼は通訳班と憲兵の許可を取ると、広場へと繰り出して整列する捕虜をじっくりと検分しながら上司を探し回った。
すると、右端の方に見慣れた顔を発見した。
男爵砲兵大将だ!!間違えるはずもない。
毎日の様に顔を合わせていたのだから。
彼は男爵の所まで急いで駆け寄ると声を掛けるよりも早く手を取り合った。
「閣下、ご無事でしたか!!」
「おぉ、君も生きていたか。いやー互いに僥倖だな」
「閣下はこれまでずっとここにおられたのですか?」
「そうだな。
まぁでも、ここの居心地は悪くはない。
特に新しい文化に触れられるのが良い。
君も憲兵と交流してみるといい。
やはり、異民族というものはいつも刺激的だな」
「ご無事で何よりです。
ところで、占領軍が閣下の身柄を探している様です。
私がここに来たのも、その為なのです」
「そうか…まぁ、身分がばれるのも時間の問題だっただろう。
寧ろ、妻の所在を聞ける良い機会だ」
「奥方は、他の収容所に移送されたとか。
私が憲兵と掛け合いましょうか」
「いや、それは自分でやる。
ちょうど外国語を学んでいるところでもあるし、自分で直接交渉がしたい」
「承りました。ではまた」
男爵は憲兵に尋問室へと連行された。
尋問室には既に通訳班の面々が待機している。
「貴方がこの街の代官で間違いはありませんか?」
「あぁ、私がキングスフォード市の代官であり、軍人として砲兵大将の地位にある」
「私達、占領軍に降伏したという認識で良いですか?」
「そうだ。我が軍及び辺境伯領は貴軍に降伏し、占領を受け入れた。
その認識で構わない。
ところで、住民と捕虜の生命身体は保障されるのだろうか」
「勿論です。我が軍が責任を持って生命の安全と財産権の保障を行います」
「私の妻の身柄はこちらで引き取れないだろうか。
虜囚の生活を送るのは構わないのだが、できれば、妻と一緒に生活がしたい」
「夫人はどうやら別の収容所にいる様ですね。
一緒に生活ができるかは上に問い合わせる必要がありますが、面会する程度ならば可能だと思います」
「君達の司令官に会えないものだろうか。
私の立場ならば、貴軍の占領政策に協力できる事も多くあるだろう」
「それは私達としても、是非、お願いするところでした。
では、円滑な占領統治の為にこちら側に寝返るという事ですか?」
「私は祖国に忠誠を誓った軍人であるから、敵国に寝返るつもりはない。
しかし、その一方でこの街の代官として住民の安全を確保する義務がある。
私はその義務を履行するに過ぎない」
「そうですか…まぁ、何れにせよ、協力してもらいますが。
寝返るなら、夫人と同棲できる様に取り計らいますよ?」
男爵にとっては、祖国への忠誠心などよりも、妻の方が遥かに重要だったが、だからと言って、それを口にするのは憚られた。
仮にも、一領の代官である。自らの矜持が許さない。
それでも、占領軍の提案に男爵の心は大いに揺れざるを得なかった。
敗戦した以上、降伏した以上、自らに課せられた義務はもう十分に果たしたのではないか。
これまで、私生活を犠牲にしてでも、軍務をこなしてきた。
しかし、それは自分が王位継承権の紛争に巻き込まれない為に、辺境の勤務を敢えて志望する事で王冠に興味などない事を広く喧伝する為でしかなかった。
本当は、画家になりたかったのだ。
もしかしたら、今はその機会なのかもしれない。
それでも、部下を裏切る訳にもいかない。
部下を裏切れば、自分の今までの人生は何だったというのか。
※※
キングスフォード市:代官官邸
男爵夫妻は、執務室へと招かれていた。
招くと言っても、夫妻に拒否する能力などあるはずもなく、憲兵隊は抵抗しない二人を連行したに過ぎない。
つい先日まで自らの執務室であった場所に、自分達が客人として招待されるというのは奇妙な体験であった。
何とも言えない感傷に顔を顰めていると、占領軍司令官が通訳班を伴って遅れて来た。
「私は、貴軍に最大限、協力致しますが、一方で祖国を裏切るつもりもないと伝えたはずではありませんか。
それなのに、どうして妻と一緒にいられるのですか?」
「これは我が軍からの言わば先払いとでも思って下されば結構です。
占領に協力する見返りの一つを支払ったに過ぎません」
「…私の外堀を埋めようという魂胆なのか?私が祖国と部下を裏切るとでも?」
「その様に考えている訳ではありません。飽くまでも、『協力に対する対価』です」
占領軍司令官はその様に宣うが、彼らが男爵の外堀を埋めて、既成事実化しようとしている事は明らかだった。
「大将閣下。私は貴方に祖国と麾下の将兵を裏切れと迫っている訳ではありません。
我が軍に降伏した勇気を讃えての事であります。
閣下のご決断は、誰にも責められる謂れはございません」
「…降伏する事が勇気だと?」
「えぇ、少なくとも首都の戒厳軍隊よりは遥かに合理的でしょう。
悪戯に将兵の生命を犠牲にする軍隊より、理性があると言えます」
「それで、我が国はどうなるのだろうか。
やはり、貴国の属国になるという事だろうか。
そもそも、貴国と貴軍は一体、何の目的で我が国に侵攻してきたのか」
「食料と資源の為です、閣下。
我が国は、食料不足に喘いでいまして、ちょうど隣国に豊穣な大地があったから奪っただけです。
この国が我が国の属国になるかどうかは分かりかねますが、それに近い状態に置かれる事は間違いないでしょう」
「何という事だ。歴史ある祖国が他国の属国に成り下がるとは…」
男爵はさして愛国心など持ち合わせていなかったが、それでも祖国がこれから辿る運命を想えば、悲嘆に暮れるのも無理はない。
一方、男爵夫人はというと大して悲観していない様だった。
異民族の出身という事も少なからず影響しているだろう。
彼女からすれば、支配者が王国政府から外国政府へと移り変わったに過ぎないのだから、この場にいる誰よりも状況を冷静に俯瞰できる立場と言える。
「夫人は如何でしょう?我が国の軍門に降る事を認めて下さいますか?」
「わたくしが認めようが認めまいが、貴方達はこの街を実効支配されるつもりでしょう?」
「えぇ、その通りです。
ですが、この街を治めていらっしゃった夫妻が協力して下さるのならば、より、占領は円滑且つ公正な統治となるでしょう。
勿論、異民族との関係も然りです。夫人の故郷も我が軍が責任を持って対処する事でしょう」
占領軍司令官は、夫人の部族にも武力を行使できると脅迫しているのだ。
王国軍が敵わなかった軍隊に、果たして異民族の軍隊がどれほど抵抗できるというのか。
結果など分かり切っているではないか。
出身部族を人質に取られたとあっては、夫人も占領に協力する以外にない。
手法としては決して褒められたものではないが、それでも時間が惜しい以上、やむを得ないという判断が師団長にはあった。
「…わたくし達の身柄は保障して下さるのですか?これから、わたくし達の身分はどうなるでしょうか?」
「以前と同程度の生活が保障できるかどうかは分かりかねますが、それでも、何不自由ない生活の保障と身体の自由を約束致します。
勿論、我が国に協力するという前提の待遇ですが。
夫妻の身分について言えば、我が国には爵位という貴族制度がないので恐らくは貴族から平民へと身分を変える必要があるでしょう」
「つまり、私が王族を離籍した身分であっても王位継承権を押し付けるつもりは貴国にはないという事か?」
「閣下は確か、先代君主の庶子でもありましたね。
本国政府が貴方の出生を利用するかどうかは私には分かりかねますが、その可能性は低いでしょう。
わざわざ、男爵を引っ張り出してきて王冠を被らせるよりも、我が軍が駐留して軍政下に置く方が手っ取り早いです。
もしかして、男爵は王政が嫌いなのでしょうか?」
「私が嫌いなのは悪政と失政だ。
しかし、君主制国家の限界はひしひしと感じている。
隣国の共和国の様な体制に憧れる気持ちもなくはない」
「そうですか…でしたら、総督府が設置されたおりに、議会に参加してみては如何でしょうか。
本国政府は貴国の国会を存続させる意向の様ですから。
何でも、身分制議会を転換させて、普通選挙の実施も視野に入れているとか」
「それは私に政治家になれと言っているのか?
私は政治よりも、どちらかというと芸術、特に絵画の方に興味があるのだが」
「おぉ、そうでしたか、では画家を目指すのも一興でしょう。
もしかして、公邸の隠し部屋にあった絵画や彫刻は閣下の手によるものですか?」
「殆どは私が描いたものだ。一部は他人の作品も展示しているが」
「なるほど…では本国から道具を一式、準備させましょうか?
手慰みぐらいにはなるでしょう」
「貴国の製品か…是非ともお願いしよう」
両者の会談は、最後には穏やかに締めくくられた。
師団長が男爵の絵画の趣味に触れた事が大きかったのかもしれない。
※※
キングスフォード市:中央広場
住民の一割に当たる20,000人が市の中心にある広場へと集められていた。
増設された通訳班は4個班にまで膨れ上がり、市政の処理を補助していた。
通訳班は住民達に対して、占領軍の布告と命令を拡声器で連絡する事になった。
拡声器は広場だけでなく、市内の至る所に設置された。
占領軍の方針を住民達に遅滞なく伝達する為である。占領軍の布告は以下の通り。
占領軍(第12歩兵師団)の布告
①キングスフォード市の住民に対して、我が軍は生命身体の自由と財産権を保障する。但し、保障は我が軍に協力する住民に限る。
②我が軍の占領及び軍政に対して、非協力的な行動又は敵対的な行動を取った場合、令状なしで拘束する権限を我が軍は持つ。これに関する紛争は、師団長又は法務士官を構成員とする軍法会議の権限による。
③当然ながら、辺境伯領に関する一切の施政権は我が軍が掌握する所であるから、立法・行政・司法権は我が軍の権限による所である。従って、領内の紛争は我が軍が設置した軍法会議又は特別裁判所で解決する。
④租税の設定は、本国政府の決定による。徴税は、徴税請負人を廃止し、我が軍の占領当局が直接に徴税する。
⑤占領に必要な人材は、我が軍が住民から自由に選任する。住民は、これによく協力されたい。占領統治に伴う労役は、本国政府が相当の俸給を保障する。
住民の多くは苛烈な占領統治も覚悟していたから、予想以上に穏健な方針に安堵した。
※※
キングスフォード市:臨時司令部
第12歩兵師団が占領下に置いたキングスフォード市に関して、統合参謀次長(陸軍大将)が連絡を寄越してきた。
師団長は、占領目標が更に縮小した事について小言を言われるのではないかと内心焦っていたが、陸軍大将はその事には一切触れずに、占領政策の方針と本国政府からの人材の派遣について切り出した。
「占領行政を担う人材には、本国から外務省や内務省などの中央省庁からも人材を派遣する事になった。
しかし、防衛省としてはあまり他省庁に横槍を入れられるのも面白くない。
特に、外務省と内務省は要注意だ。
連中は他省庁の利権を常に狙っているからな。
市ヶ谷の天敵と言っても良い」
「それで私にどうしろと?」
「師団長には引き続き、その地域の軍政長官を務めて欲しい。
併せて、同地域に派兵される予定の1個機甲師団及び1個自動車化師団を率いて、同地の平定を行え。
つまり、君は少将から中将へと昇進した上で、第18任務部隊(占領)の司令官を務めてもらう」
「派兵部隊をこちらに寄越す余裕が方面軍にはあるのでしょうか。
派兵された部隊は全部で7個師団のはずですが。
その内、3個師団を私に与えるという事ですか」
「君に与える2個師団は本国の予備役部隊だ。
本国で戦力を速成した師団を増派部隊として送る予定だ」
「その2個師団は十分に使えるのでしょうか。
速成された予備役だと、練度に不安がありますが」
「練度は期待できないだろう。
精々が、現役の師団の盾になるぐらいか。
それでも、王国軍よりは装備と火力は充実している。
軍事技術で圧倒するしかないな」
「派遣される外務・内務官僚に対しては、手綱をしっかりと握るという事でよろしいでしょうか。
それとも、もっと縛り付けた方が良いですか?」
「行動の自由を認めると何をするか分からん。
過労死するぐらいの業務量を押し付けろ。
こちらの動きを妨害する体力を奪え」
「御意です。では派遣官僚はこき使ってやりますよ」
「案外、耐えて見せるかもしれないが。
連中は不夜城で仕事をこなしている訳だから」
「それもそうですね。
何というか、官僚の癖に奴隷根性が染み込んでいますよね。
まぁ、我々も似たようなものですが」
「お前達も過労気味だろ?少しは休みを取れ」
「善処します、閣下」
大将は師団長の苦労を労うと通信を切った。
師団長は、すっかり我が家の寝具となっている執務室の長椅子へと、その体を沈ませた。
※※
キングスフォード辺境伯領南東部:第18任務部隊(占領)
辺境伯領の南東部に配備された王国陸軍第41師団は、異民族との境界を警備する4個師団の内の一つで、日本軍の核攻撃から逃れた王国軍の部隊でもあった。
南部は日本政府が大規模な開発を行っているベータ区域があり、その区域に隣接する様な形で師団も駐留している。
その為、戦略軍によって核攻撃を行う事が躊躇われたという事情もあるが、軍事基地を精密に攻撃できる爆弾が不足気味という事情も重なった。
仮に師団が脅威になったとしても、ベータ区域駐留部隊で十分に対処が可能だという自信も影響した。
辺境伯領の占領を担当する第18任務部隊司令部は、この師団を武装解除又は排除する事を計画した。
いくら占領軍全体にとって脅威ではないからと言って、実際に同地域の占領を担当する第18任務部隊からしてみれば厄介であるのは言うまでもない。
武装解除任務には、男爵夫妻・軍事官房長、通訳班の面々が同行する。
もしも、師団が武装解除に応じなければ、当然、戦闘は避けられない。
そこで、第18任務部隊は師団の家族が多い村落や都市を包囲・制圧し、人質を取ることも検討されている。
可能であれば、師団に所属する軍人の両親や兄弟姉妹を説得工作に利用する算段であった。
そもそも、武装解除を提案したのは男爵夫妻だ。
夫妻は師団に対する説得工作を自ら志願した。
占領軍司令官としても、ある程度は軍事エリートの影響力を温存して、占領統治に生かす所存であったから、否はなかった。
何よりも、本国から増派された2個予備役師団の戦闘力を不安視したという側面が強い。
キングスフォード市の郊外に、3個師団の簡易陣地を構築し、訓練を継続させているが、やはり、職業軍人を中心とする第12歩兵師団と2個予備役師団とでは練度に大きな格差が認められた。
第18任務部隊は空中強襲部隊である第12歩兵師団の戦術機動力を生かして、半個歩兵旅団(空中強襲)を第41師団の駐屯地へと急派させた。
制圧が目的ではないから駐屯地の敷地内に降下する事は避けた一方、軍事力を示威するという目的で目に見える形で降下する事になった。
勿論、心理作戦の一環であるのは言うまでもない。
予備役師団からも1個自動車化旅団を派兵し、戦闘になった場合に備えている。
尤も、自動車化旅団は空中機動旅団よりも移動速度という点で劣る為、いざ交戦する事態になった時に間に合わない可能性もあるが、1個師団に対して半個旅団だけで対処させるというのも酷だろうという判断が働いた結果でもある。
とにかく、間に合わないかもしれない兵力であっても、一応は軍隊であるのだから、銃後に対する安心感を持たせてやろうという程度の理由だ。
※※
辺境伯領南東部:王国軍第41師団司令部
駐屯地の軍人達は、基地に近付いてくる騒々しさに一時の休息を邪魔された。
何だ、何だと、ぞくぞくと軍人や軍属らが外の様子を伺うと、大音量の音楽を鳴らしながら空中に留まるヘリコプター部隊の姿を認めた。
見せつける様に輸送ヘリからぞくぞくと歩兵が地上に降り立つと、王国軍の軍服を着用した男爵と軍事官房長も降下した。
見慣れない軍隊の出現に戦闘もあわやといった感じであったが、彼らの主人である男爵が姿を現すと、首席幕僚と騎兵連隊長が直接、二人を出迎えた。
師団の幹部らは男爵達の背後で展開する軍隊に怪訝そうな顔を向けたものの、男爵達への饗応を優先させた。
「大将閣下、緊急の要件でしょうか?」
「あぁ、緊急の要件というか、あの首都を侵攻した外国軍隊の件だ」
「もしかして、我が軍が防衛に成功したのでしょうか。
それとも敗北したという事でしょうか。
背後に控える部隊はもしかして侵攻軍の一部ですか?」
「我が国は敗北した。
それも首都の壊滅という結果を以て敗戦したのだ。
各地にある軍事基地もその大半が破壊されたらしい。
残念ながら、キングスフォード市は侵攻軍によって占領下に置かれた」
「つまり、閣下がここにいらっしゃったのは?」
「簡単に言えば、君達にも降伏の勧告をする為だ。
要するに、あの後ろにいる軍隊に対して武装解除をせよという命令だ」
「…我が師団は未だに戦闘力を保持しているというのに武装解除ですか?
徹底抗戦するという選択肢はないのでしょうか?」
「いいか、大佐。我が国が無傷の軍人組織を保持できる機会なのだ。
これから、この国を再建する上で、貴重な兵力になるのは間違いない。
祖国を想えばこそ、抗戦して戦力を消耗するよりも、武装解除に応じて戦力を温存する方が遥かに合理的且つ理性的な判断だと思わないか?
それとも、別の手段があるとでも?」
「別の手段ですか…何なら自治領の連中をせっついて兵力を供出させると共にゲリラ戦を展開するという選択肢もまだ残されているのではないですか?
このまま戦わずして武装解除する訳にはいきません。
我らは栄誉ある王国軍人なのですから」
「大佐、君達の兵力で侵攻軍に勝利できるとでも本気で考えているのか?
首都の防衛軍が敗北したにも関わらずにか?
たかだか1個師団程度で何ができるというのだ。
悪戯に負け戦を演じるだけではないか」
「違いますよ、閣下。
これは軍人の矜持の問題なのです。
戦わずして敗北するよりも、戦って敗北したいのです。
それでこそ、我らの名誉は守られるのです」
「命の使い方を間違えるなよ?ここで生命を犠牲にすべきではない。
犠牲にすべきは己の矜持と名誉だけで良い」
「そんな事は頭では分かっていますよ。
ですが、どうしても感情がそれを許さないのです」
「…抗戦すれば、命令不服従として不名誉の印を背負わされてもやるのか?」
「閣下、自分達は軍人として生き、軍人として死にたいのです。
どうか、斟酌して下さい。
今この時が死に時なのでしょう」
武装解除の交渉は決裂した。
当然だろう。
首都の敗北を実際に経験していない師団が抗戦を選択するのも何ら不思議ではない。
「せめて、自分達の遺体は故郷に埋葬して下されば倖いです」
そう言って、師団の幹部達は男爵に背を向けて踵を返した。
最初から彼らは玉砕する覚悟を決めていたのだ。
これから起こる事は単なる一地方の掃討戦に過ぎない。
それでも、彼らの決心は首都で戦死した義勇歩兵連隊に劣らないものだろう。
馬鹿な連中だな…半個空中機動旅団を率いる陸軍大佐は、敵兵の指揮官達を冷眼視していた。
交渉は決裂したらしい。
つまり、これから戦闘によって事態を解決する他はないのだ。
いつでも戦闘ヘリコプター中隊が敵司令部を攻撃できる様に準備を整えていた。
勿論、歩兵部隊も地上に展開して火力を発揮する事だろう。
貴重な弾火薬の無駄遣いだな…この戦いに何の意義があるというのか。
下らない名誉など捨てて、投降すれば良いものを。
これを指揮官の無能と言わず何と言うのか。
もしも、自分が彼らの立場だったとしたらどうしただろうか…。
対地攻撃弾を満載した戦闘ヘリコプター中隊の攻撃によって、師団司令部は脆くも崩れ去った。
先制攻撃だった。
戦いの日時を取り決める必要などないし、その余裕もない。
とにかく時間がないのだから、一刻も早く決着をつける必要があった。
大量の銃弾が駐屯地を襲った。
徹底した戦闘ヘリの機銃掃射によって建物はその原形を崩し、人間も例外ではなかった。
大勢の軍人が駐屯していたのであろう。
赤黒い物体がそこかしこに散乱している。
彼らが望んだ光景とは違うのかもしれない。
しかし、これが戦闘だ。
我々は戦争をやっているのだ。
躊躇などする必要もない。
「君達は何をしたのか分かっているのか!!
もう少しで彼らを武装解除できたかもしれないというのに!!」
「大将閣下。我々は戦争をしているのです。
おままごとをしている訳ではありません。
結局、交渉は決裂した。
そうでしょう?だから殲滅したのです」
男爵達が空中機動旅団の指揮官に抗議したが、彼は通訳を通じて慇懃無礼に応対しただけだった。
相手方の準備など待つ必要性がない。
スポーツではないのだから、フェアプレーの精神など戦場に持ち込むべきではないだろう。
※※
キングスフォード市:市参事会(機密参事会)
自治特権を獲得した都市と同じ様にキングスフォード市にも市参事会が設置されていた。
と言っても、権限は大きく異なる。
代官の直轄市である同市の重要性に鑑みて市政は代官とその部下が掌握しているからだ。
それでも市参事会が置かれているのは、都市の上流階級に対するガス抜きという側面が強い。
キングスフォード地方の中心都市である同市は、地方の有力者、即ち高位聖職者や富裕商人と言った特権階級が競って豪奢な邸宅を構えている。
彼らは、市政への自分達の影響力の行使を強く要望した。
人間というものは、金銭欲が満たされると次に名誉を欲するものだ。
金を稼ぐ事に満足した連中は、政治への欲求を膨らませていた。
しかし、代官としては、市政は自らが掌理する所であるから、あまり市民の参政権を認めるというのはなかなか厳しい。
そこで、自治都市の様に大ギルドの幹部などの一部の中間集団に参政権を認める事に相成った。
代官としても、市民及び住民を統制管理する上で市参事会を道具として利用する算段であった。
市参事会は街の中央広場に面した聖堂の一部を借りて、開催されていた。
占領軍に対する方針を市民の代表機関として表明する為であったが、有力者として一定の発言力を確保したいという下心も当然にあった。
議長を務めるキングスフォード司教と大ギルドの最高幹部達は、この占領下にあっても自らの影響力を誇示しようと必死だった。
市参事会には、内部の中に、三階層の委員会を構成していた。上から順に機密参事会・小参事会・大参事会と続く。
勿論、最上層部と言える機密参事会が最も権威のある合議体であり、中間部の小参事会は同市の有力な都市貴族が世襲し、最下層部の大参事会は新興商人などで構成された。
本日開催された市参事会は、その最上層部たる機密参事会である。
「占領軍の思うままに市政を牛耳らせて良いものでしょうか。我々は何か手を打つべきなのでは?」
「具体的にどの様な手段が残されているとでも言うのか?
市内のそこかしこに占領軍が展開しているだろう。我々が抵抗した所で、大した成果は得られまい」
「ですが、このままでは我々の住民達に対する権威は失墜せざるを得ません。
何もしないでいるよりかは、遥かにましだと思いますが」
「遥かにましだと?何なら、街中にビラでも貼り付けるか?
寧ろ、我々は占領軍に協力するべきではないのか?
反抗は却って我々の権威を低下させるだけだ」
「ギルドの組合員達に対して密かに武器を供給できないだろうか。
占領軍に対する軍事的な抵抗力は保持するべきだろう」
「いやいや、そんな事をすれば、叛乱の意思ありとされて弾圧されるのがオチだろう。
大体、住民の一部を武装させた所で、占領軍の軍事力には敵わない」
「占領軍は精々が数万人程度でしょう?
数十万の住民が抵抗すれば案外、勝利できるかもしれません」
「お前はあの軍隊が街に降下する所を見ていなかったのか。
連中は我々の軍隊よりも遥かに強力な機動力と火力を備えている。
我々が優位性を維持できる部分などない。
そもそも、住民の多くは占領軍に協力する姿勢を見せているだろう。
住民達は我々の命令など聞く耳すら持たないのではないか」
そもそも、議論の前提として彼ら都市貴族が住民達から嫌われているという事実を認識するべきだろう。
市参事会が制定した条令など、住民からすれば塵芥に過ぎない。
事実上の世襲貴族として富を独占する市参事会の構成員は蛇蝎の如く嫌悪されているという意識が一部の参事会員にはない様だ。
勿論、一部の富裕層はそうした風潮を敏感に感じ取り、必要以上に自らの財力をひけらかしたりはしないのだが。
「猊下、教会はどの様な考えをお持ちか?」
「教会としては、占領軍に協力する他はないでしょう。
教会の騎士団では太刀打ちできないのは明らかですし。
それに、下手を打って教会が迫害される事態だけは避けなければなりません。
占領軍に協力する方が市政に対して影響力を発揮できるかと思います」
「占領軍の信じる神が分からないというのに、教会が保護されるとでも?
寧ろ、彼らからすれば我らの信仰は異教そのものでしょう。
信仰を保護する為にも教会は武器を取るべきではないのですか?」
「それはいくら何でも短絡的です。
いいですか皆さん、我々の喉元には常に銃剣が突き付けられているのです。
その状態で何ができるというのですか?
教会であっても、やれる事など限られていますよ。
私達が参事会員としてやるべきは、地方と市内の平穏を保つ事に他なりません。
協力姿勢を維持する方が無難です」
「話にならない。
教会が弱腰なら、うちのギルドだけでも打って出るぞ!!
武器を持って抵抗すべきだ!!」
司教と穏健派が強硬派の親方を宥めようとするが、火に油を注いだだけだった。
しかし、仮に参事会員の一部が叛乱を起こせば、処刑されるのは強硬派に限らず、穏健派の一部も連帯責任を取らされる事だろう。
勿論、その時は命を差し出す事になりかねない。
強硬派を宥める為に市参事会を開催したのは失敗だった。
寧ろ、彼らを勢いづかせ、強硬派の決起集会の様相を呈する有り様であった。
この事態に対して顔面が蒼白となったのが、議長を兼ねる司教である。
司教として、権力の維持がままならないかもしれない。
占領軍に対して、教会と市参事会を弾圧させる大義名分を喜んで差し出す様なものだ。
何としてでも、内々に処理しなければならない。
※※
キングスフォード市:第28情報大隊
第18任務部隊司令官の直轄部隊として第28情報大隊が新設された。
しかし、実際には隷下の3個師団に属する軍事情報大隊から要員を抽出し、足りない人材は防衛情報局と情報庁の余剰人員が割り当てられた。
第28情報大隊の役割は、この地方の情報収集に従事する事であるが、司令官の直轄部隊として、地域研究や全体の防諜・対敵諜報活動なども重視されている。
対敵諜報活動を担務するという事は、当然、地域の反乱分子を炙り出すという仕事もあり、キングスフォード地方の各地に情報要員と通訳班を展開させていた。
キングスフォード市を拠点とする情報要員には、街の有力者を占領軍の協力者に仕上げるという任務と、叛乱の兆候を収集・分析するという任務が付与された。
協力者獲得工作では、エルフ族の貢献が著しい。
彼ら彼女らがいなければ情報作戦もままならないだろう。
しかし、秘匿されるべき情報作戦としては些か目立ち過ぎるという欠点があった。
容姿端麗なエルフ族の面々が占領軍人と共に有力者の邸宅を訪れれば、一晩と経たずに街の噂となるだろう。
しかし、情報官が街の有力者である司教の元を訪れるのは、さして不自然ではなかった。
名目上とは言え、街の聖堂を管理する司教に挨拶に出向く事は寧ろ自然ですらある。
その為、情報官が接触した最初の有力者は、キングスフォード司教であった。
※※
キングスフォード市:司教座聖堂教会
街の中央広場に面するカテドラル教会は、突然の来客に慌ただしかった。
占領軍司令官の代理人を名乗る軍人とエルフ族の一行が司教を訪れた。
司教は、少佐の階級を持つという軍人一味の対応に追われる事になった。
「初めまして、司教猊下。
自分は占領軍司令部情報参謀の少佐であります。
こちらはエルフ族の方々でして、我々の通訳を買って出てくれています」
相変わらずの二重通訳であったが、少佐の意図は正しく司教側に伝わった様だ。
そうでなければ、この慌てようにはならないだろうが。
「なるほど…自治領のエルフ族ですか?彼らを仲介にしているのですね。
少佐、どの様な要件でしょうか?」
どの様な要件かなど分かり切った事だ。
要するに占領に協力せよという内容だろう。
「この街の有力者である猊下にも是非、我が軍に協力して下さればと。
勿論、協力するのならば、現在の地位は我が軍が責任を持って保障します。如何でしょう?」
「それは勿論、貴軍に最大限、協力致します。
これは教会の総意でございます」
「聖堂参事会の意向を確認しなくても良いのですか?
我が軍としては、参事会の議論を待っても構いませんが?」
「参事会に諮問をかけるまでもありません。
私の権限内で行えるでしょう」
「そうですか…ところで、猊下は市参事会の議長も兼ねているとか?
市参事会としての結論は如何でしょうか?」
「…それに関してはもう少しお持ち下さい。
聖堂参事会ならともかく、市参事会は私の影響力よりも大ギルドの影響力の方が絶大なのです。
私が議長を兼任しているのは、彼らギルドの利害関係を仲裁しているからに過ぎません」
「なるほど…司教の影響力を以てしても市参事会を動かす事は難しいと?」
「えぇ、そもそも私が議長に祭り上げられたのは代官に対する牽制程度の意味合いしかありません。 実際に市参事会を掌握しているのは、ごく少数の都市貴族達です。
彼らが機密参事会という秘密の委員会を設置して、そこで重要事項の決議を全て行っています。
他にも小参事会や大参事会などもありますが、猟官活動や徴税請負人の為にある様なものです」
「仮に教会が住民全体に対して占領に協力する様、通達を出したらどうなるでしょうか?」
「可能ではありますが、教会といえども信者・信徒を統制する事は容易くはありません。
最近は特に無神論を標榜する様な言説が流布しているのが現状なのです。
正直に言えば、腐敗が進行している教会と聖職者に対する人々の視線は、より一層厳しいものとなっています。
教会税という名目で徴税する事も、教会嫌いを拡大させている要因でしょう」
「猊下は今の教会の在り方に関して不満があるのでしょうか?」
「それは何とも言えないですね。私の口から何とも。
ですが、現在の信仰が形骸化している現状には強い危機感があります。
腐敗する貴族と聖職者を一掃して、本当の信仰を復活させたいとは常々思うのです」
「猊下が仰る『本当の信仰』とは?」
「それは私にもよく分からないのです。
考えれば考える程、自分の布教活動が正しいものだったのかどうか…そうは言っても、私は仮にも司教の身上ですから、誰かに相談するという訳にもいかず…原始的な信仰に回帰せよと言っている訳ではないのです。
それぞれの時代に適した信仰の形があるでしょうから。
しかし、現状の腐敗はあまりも酷い。
神の名を口にしながらも、その権威を利用する事しか頭にないのです。
ですが、果たして自分にどれぐらいの事ができるのかというと大した事などできません」
それは司教の偽らざる本音だっただろう。外国人・異教徒という少佐の立場が司教に本音を喋らせたのかしれない。
あるいは、今までずっと鬱屈とした感情を溜め込んでいたのか。
何れにせよ、情報官としてはしめたものだ。協力者に引きずり込む為には、本音を言い合える間柄を築かなければならない。
「自分なら、猊下が望む信仰の形に協力できます。
一緒に教会のあるべき姿について考えていきませんか?外国人である私の方が、客観的にお手伝いできるでしょう」
「それは…教会に対して占領軍の影響力を及ぼそうという事でしょうか?」
「いえいえ、そもそも我が国では憲法で信仰の自由が認められております。
どうして布教の邪魔ができましょうか。
寧ろ、異なる宗教を持つ我々と交流する事で、猊下が思う理想の教会も自ずと見えて参りましょう」
日本国の事実上の植民地となった王国に、果たして、憲法で保障された基本権が適用されるのか否かは怪しい所だろう。
しかし、少佐はそんな事には触れなかったし、噯にも出さなかった。
都合の悪い情報を司教に伝える必要などないからだ。
「外国の宗教ですか…なるほど、確かに異なる価値観や宗教観に触れる事で得られる知見もあるかもしれません」
「もしよろしければ、今後、我が国に招待しましょう。
様々な宗教指導者と会談すれば、見識も広がりましょう」
「えぇ、その時は是非に。
ですが、私は民心を安定させなければなりませんので、暫くはこの地を離れられないでしょう」
「そうですか、まぁ、この国から我が国までは、2時間半程度で行ける程度の距離ですから、要望とあればいつでも行けます」
「…2時間半程度ですか。貴国の輸送手段は大変に発達している様ですね。
宗教だけでなく、いろいろと勉強になりそうです」
その後もあれこれと司教と雑談に興じていたが、占領とは何の関係もない話題に終始した。
相手に警戒心を抱かせない為でもあるし、そもそも短期間に人間関係を構築できる訳でもない。
特に、情報官が目指すのは深い信頼関係の構築であるから尚更だった。
※※
キングスフォード市郊外:森林
市の郊外に広がる森林の奥深くに佇む小屋に近付く人影があった。
小屋は人々の視線から隠れるように建てられ、人影も又、隠れるように身を動かしていた。
建物は、市内の某所へと地下通路を通じて繋がっており、密輸や脱出路として主に用いられていた。
人影、つまり男達が馬車の荷台から降ろしたものは、荷台一杯に詰め込まれた武器の類である。
彼らは皮革職人組合の徒弟である。
皮革職人組合は市参事会の機密参事会に議席を持つ大ギルドの一角であり、司教及び穏健派に対して決起を訴えていた強硬派の最右翼でもある。
武器類は、市街戦と携行性を考慮して騎兵銃が中心に揃えられており、大量の弾薬も運び込まれた。
強硬派の徒弟らを総動員して、占領軍の施政に一撃を加える為である。
正直に言って、この国の全体に展開する侵攻軍の全てを撃退する事など不可能であろう。
しかし、都市の決意を占領軍に対して示威する事はできる。
これは言わば、武力行使を伴うデモンストレーションに他ならない。
武力なきデモなど何の価値も意味もない。
デモ=示威行為とは、武力という分かりやすい外形的暴力を誇示してこそ、権力者に訴える事ができるのだ。
しかし、悪く言えば、親に構ってもらえない子供が駄々を捏ねる様なものだ。
同程度の文明国であればともかく、隔絶した軍事力を持つ占領軍に対する選択肢としては下策だ。
それでも彼らが行動を起こすのは、己の矜持によるものか、それとも都市の有力者としての権威によるものか。
結局の所、都市貴族としての、市参事会としての既得権を占領軍に荒らされたくないからだろう。
穏健派も、動機という点では強硬派とはさして違いがなかったが、採るべき手段は異なった。
彼らも自らの既得権を死守する事には賛意を示すにしても、商人や職人にとっての死守とはその業界の慣行に基づく戦いであるべきなのだ。
間違っても、街の支配者に対して武器を取る事ではない。
勿論、穏健派とて、自分達の生命身体が侵されるとあれば、武器を取る事も躊躇しないだろうが、今の所、占領軍は住民達に対して暴力を振るってはいなかった。
住民達も驚く程の、善良且つ公正な統治であった。
街を空中強襲した時の暴力性は、占領統治に伴い影を潜めていた。
上空から攻撃されるという記憶は、今も住民の一部の心に負担を与えているものの、街の活気はそれを上回り、占領下に置かれる前の光景とさして変わらない人々の往来が復活していた。
変わった光景と言えば、占領軍の将兵が街中を巡回している程度だ。
その程度であれば、以前の街の守備隊がやっていた巡回活動とそう変わらなかった。
徒弟らが用意した銃は凡そ800挺である。
兵力にして1個歩兵大隊程度の火力に匹敵するだろう。
街には8~10個大隊の占領軍が駐留しているから、兵力としては大きく劣るが、それでも奇襲の効果を期待できれば、寡兵の不利を補えるかもしれない。
一つのギルドがこれだけの兵力を短期間に調達できるというのは、彼らが築いた富がそれだけ豊かだからか。
大ギルドの全てが一致団結して、占領軍に抵抗すれば、数の上では上回る事もできるだろう。
しかし、実際に蹶起へと参加した参事会員は少数だった。
蹶起に参加しなかったギルドの幹部の多くは、自らの既得権を占領軍に保護してもらう事で、権勢を維持しようとしたからだ。
彼らの武器は飽くまでも商売であって、小銃ではない。
その考え方を徹底していたからこその選択だった。
※※
キングスフォード市:皮革職人組合
ギルドの紋章を掲げた建物は、中庭を囲む様に建てられていた。
中庭の一角には、いくつかの作業小屋があり、その中の内の一つが郊外の隠し小屋と地下で繋がっている。
地下通路から運び込まれた武器類は、隣接する倉庫へと運び込まれた。
数百人程度が寝泊まりしても余裕がありそうな倉庫には続々と、ギルドの親方衆や徒弟共が集まって、蹶起の計画を話し合ったり、騎兵銃を構えたりと思い思いに過ごしている。
ギルドの代表として機密参事会に議席を持つ親方衆の筆頭が、彼らに呼び掛ける。
「職人の誇りを占領軍に見せてやれ!!
腑抜けた他のギルドの連中と住民にも我らの決意を誇示しろ!!
いいか野郎共!!戦わずして降伏するなどありえん!!
戦って我らの自由と権利を勝ち取るのだ!!」
「「「「おぉーー!!!!!」」」」
商売道具の大きな鞄に騎兵銃を折り畳んで隠した組合員達は、民兵となって市内の至る所に散開した。
異常な熱気を纏う組合員達を、住民は不審な視線を投げ掛けたが、まさか彼らが蹶起に及ぼうとするなどとは想像しなかった。
住民達が占領行政に満足しているからでもあるし、皮革職人組合の連中が悔しがる様は住民にとっては痛快だったからでもある。
しかし、市内を巡回する憲兵隊としては見逃す訳にもいかない。
挙動不審な組合員を臨検しようと職人集団の一部に近付こうとした。
しかし、集団は仲間を守る為に憲兵らを取り囲むと、罵声を浴びせてきた。
憲兵は罵声に耐えながらも、例の組合員を調べようと彼に更に近付こうとした。
職人達は憲兵の行動を阻止しようと、折り畳んだ騎兵銃を鞄に入れたまま、鞄で憲兵の体中を殴打し始めた。
集団の暴力に耐え切れなくなった憲兵達は携帯するPDWを取り出すと、薬室に弾薬を装填して周囲の暴力集団に対して銃口を差し向けた。
威嚇射撃を行わないのは、まだ憲兵に理性があるからだが、明らかに銃であると分かる武器を向けられた職人集団の堪忍袋は限界だった。
鞄から騎兵銃を取り出すと即座に組み立てて、同じく憲兵に相対した。
憲兵の我慢も限界だった。
彼はこの暴力の空間から逃れるべく、地面に対して弾倉一つを使い切る程の威嚇射撃を行った。
驚いたのは彼の同僚と職人も同じで、一人の射撃が始まると他の大勢の集団もそれに続いた。
ただの臨検が、暴発へと変わった瞬間だった。
※※
キングスフォード市:臨時司令部
臨時司令部は喧噪に包まれていた。
憲兵隊と職人集団の一部が暴発し、多数の死傷者を出したのだ。
司令部で憲兵隊を所掌する憲兵参謀(大佐)は、状況の確認と司令官に対する言い訳に追われていた。
「それで、死傷者は何人だ?」
「現状で把握している限り、120人程かと。
ですが、仮設病院に運び込まれている人数は増えている状況ですので、最終的な死傷者は更に増える事でしょう」
「暴発した原因は?
そもそも、武器の行使を抑制出来なかったのか?」
「暴発したのは、件の職人達が先の様です。
原因は、彼らが隠し持っていた騎兵銃ではないかと思います。
恐らくは、占領に対する蹶起の準備がばれるかもしれないと思い、必死に抵抗をしたのでしょう。 付近の住民からの証言もそれを裏付けるものであります」
「当事者の憲兵と職人集団だけでなく、近隣の住民にも被害が及んだと聞いているが?」
「それに関しては、憲兵のPDWが周囲に乱射された様で、その流れ弾に負傷した住民も多い様です。 周囲は惨憺たる様子でして、この写真の通り、民家や商店に弾痕が残っています」
大佐は司令官に現場の惨状を写した写真も提示して見せた。
「これは…酷い有り様だな。乱射した憲兵はどうしている?」
「彼は、精神状態が不安定に陥っています。
軍医曰く戦争神経症に近いものだとか。
あるいは軽い躁鬱病であるかもしれない様ですが」
「何れにしろ、精神病に罹患しているという事だろう?
ここの所、緊張状態が長く続いたから、それも影響したのかもしれん」
「えぇ、何か月も将兵に占領任務をさせるのは厳しいかもしれません。
憲兵隊が言うには、住民の全てが敵兵に見えるとか」
「ルワンダのPKOと同じだな。
あの時も、精神に異常を来たす兵士が多かった。
実戦経験が豊富なイスラエル軍でさえ3週間で音を上げるぐらいだったというのに。
それだけ、軍隊には現地の安定化など荷が重いのだ」
「閣下はあのPKOに参加していたのですか?」
「あぁ、あの時の自分は連絡士官をやっていたが、現場の疲弊は酷いものだった。
おまけに、交代も許されず一年間も現地に留まっていた。
歴戦の下士官でさえ、精神に異常をきたしていた…」
「どうして交代が許されなかったのでしょうか?」
「政治だよ。全て政治の所為だ。
同盟国と国際社会にいい顔をしたい、時の政権の意向だ。
それに、政府の連中は戦地に行った経験などないから、どれくらいの惨状なのかもよく分かっていなかったのだろう。
まぁ、その後は他のPKO部隊に倣って、2週間の交代制になったが」
「そうなると、これからの占領行政はより一層、厳しいものにならざるを得ないのでは?」
「そうだ。これ以上の暴発は許さん。
穏健な統治を心掛けたつもりだったが、もう少し締め上げる必要がありそうだな」
「ですが、この地域の治安を維持するには、憲兵隊が足りません。
現状の1個連隊程度だと、各地に派兵するだけで兵力が磨り減ります」
「そうだな。直接、市ヶ谷の方に増援を寄越させないとなぁ。
国家憲兵隊からも人員を出させよう。
具体的にはどれくらいの規模の憲兵が必要になる?」
「キングスフォード地方は、概算で200万人程の人口を誇ります。
面積も考慮に入れますと、1個憲兵師団は最低でも必要でしょう」
「つまり、人口に対して1%程度の兵力を治安維持に差し向けると?」
「そうです。それくらい大袈裟に対応しないと占領軍の威厳は保てません」
「そうなると、私の部隊は4個師団にまで膨れ上がるという事か。
10万人近い兵力だな。
これなら、三つ星じゃとても足りない。
せめて四つ星の階級章をもらわないと割に合わない」
「今は、戦時ですから昇進も大盤振る舞いですよ。
閣下が大将になるのも時間の問題でしょう。
勿論、その時は自分も一つ星の階級章をもらう算段ですが」
「お前が将官だと?まだ早くないか。
もう少し、大佐生活を味わえ」
司令官と大佐は、誰が真っ先に出世するかを予想し始めると、暫しの雑談へと変わってしまった。
緊張状態が続く中では、こうした息抜きみたいな行為も必要なのだろう。
※※
キングスフォード市:皮革職人組合
ギルドの蹶起部隊は、通信用の擲弾を発射して同時攻撃の合図を図る予定であったが、一部の職人集団と憲兵隊の衝突によって、計画は狂った。
市内の各地に分散した組合員達は烏合の衆に成り下がった。
ある者は、勝手に蹶起を行い、ある者は命令を再確認しようとギルドの本部まで引き返していた。
本部に集合した蹶起部隊は全体の四分の一程度であるから、凡そ200人といったところだろう。
彼らは今後の方針について変更を迫られていた。
即ち、このまま蹶起を続けるのか、それとも占領軍に再び降伏し、武装解除するのか。
しかし、降伏すれば、自分達が築き上げてきた財産は全て取り上げられる事だろう。
ギルドの本部、取引相手、そして商売道具。
そういった諸々のものは奪われ、彼らの誇りは守られない。
ギルドは幹部会を開催して、蹶起を続けるべきか、降伏すべきかを議論していたが、一向に結論は出なかった。
時間が経過するほど、占領軍に優位な状況となり、叛乱の成功の可能性は一段と低くなる。
それでも、彼ら幹部達はその責任を取れないでいた。
何の意味のない会議を延々と続けていると、組合員の一人が会議室に飛び込んだ。
彼は大変急いだ様子で、呼吸を荒くさせながらも、最高幹部の面々に事実を告げた。
「大変です!!憲兵隊が本部の前に大勢来ています!!
この建物を臨検すると主張している様です!!」
「何だと!!一体、何人の憲兵がいるのだ?」
「ざっと150人程です!!1個中隊が本部を包囲しています!!」
密室で、だらだら会議をしていた幹部達は自分達の職人生命、そして政治生命が終わった事を理解した。
騒ぎを聞きつけた住民が占領軍に通報したのかもしれない。
しかし、一部の幹部や組合員達はまだ諦めてはいなかった。
彼らは急いで中庭まで下りると、地下通路を使って、捜索から逃れようとした。
※※
皮革職人組合:占領軍第5中隊(第28憲兵連隊)
第18任務部隊司令部は、ギルドの近隣にある駐屯地に配備されていた第28憲兵連隊の第5中隊を現場に急派させた。
暴発の現場となった付近の住民や当事者の職人の証言を合わせると、どうやらこのギルドが主導しているらしいという情報の裏付けが取れた。
市内の各地に散在する蹶起部隊の暴走を停止させる為には、まず彼らの頭であるギルド本部を抑えなければならない。
そして、幹部達を拘束し、市内の蹶起部隊に対して投降を呼び掛けさせる。
もしも、応じないのならば、中央広場の刑場へと連行し、公開処刑も視野に入れていた。
その場合は市内の蹶起部隊に更なる刺激を与えかねないが、占領軍の実力を持って排除する予定であった。
占領軍は住民に対して、各地の拡声器を通じて、外出禁止令を発し、街中は軍人と職人集団を除いて閑散としていた。
さながら、内戦である。
いまだに戦争が終結していない事を、強く占領軍と住民の双方に焼き付けた。
建物に強行突入した憲兵中隊は、一切の躊躇もなく目に付く組合員を非殺傷兵器で制圧していった。
射殺しなかったのは、彼らから蹶起の詳細な計画を尋問する為である。
幹部が会合を行っていた会議室に突入すると多くの幹部は両手を挙げて投降した。
見慣れている占領軍の銃よりも、非殺傷兵器の方が恐怖を誘ったという側面もある。
拘束された幹部達は装甲車に詰め込まれ、占領軍司令部の特別尋問室へと連行された。
※※
第18任務部隊司令部:特別尋問室
憲兵隊は、代官官邸の地下室に特別尋問室を設置していた。
特別尋問とは、即ち拷問である。
憲兵隊が運用する特別尋問プログラムでは、占領軍の施政に反感を持つ連中を閉じ込めて、肉体的・精神的な苦痛を与えて、情報を吐き出させる。
皮革職人組合の幹部らは、この地下室へと閉じ込められた。
特別尋問には、心理士官(大尉)・尋問官(少尉)・エルフ族の通訳要員(少尉待遇)・看守役の憲兵達の合計6人が、日光が入らない狭い室内に詰めていた。
そして、尋問対象者の幹部の一人も拘束された上で椅子に座っている。
憲兵らは被疑者の両側面と背後に立って逃走を防止している。
尤も、被疑者が拘束を解く事はできないだろうが。
心理士官を務める女性大尉が尋問官に命じると、彼は注射器を被疑者の腕に挿した。
暴れだす被疑者を憲兵達が抑えて、なおも得体の知れない液体が被疑者の体内へと注入された。
暫く経つと、被疑者の身体が痙攣を起こし、せわしなく室内に視線を動かしていた。
今すぐにでも動きたいのに、動く事ができない。
男の心臓は激しく鼓動を打っていた。
一刻も早く外出して、思いっきり走り出して、そのまま自殺したい衝動に駆られる。
心臓の鼓動は止まらず、体が激しい運動を求めているというのに拘束されて動けず、精神的に非常に苦しい状態に追い込まれた。
尋問官が被疑者に注入したのは、意図的にカフェイン中毒を発症させる薬物である。
統一軍事裁判法(UCMJ)に抵触しないぎりぎりの成分を追及した結果だった。
一つ一つの尋問には大した効果がなくとも、それらを体系的に組み合わせる事で、拷問に等しい苦痛を被疑者に与える事ができた。
日光が及ばない狭い室内、何人もの人間に囲まれ、得体の知れない注射を施され、繰り返される同じ質問などなど…確実に被疑者の精神を削り取っていた。
「違法薬物が使用できれば良いのですけれども、いちいち億劫です」
心理士官が尋問官にそう愚痴をこぼした。
彼らとしては、この様な迂遠なやり方よりも、もっと直接的な尋問方法を好んだのだが、だからと言って軍法に抵触する訳にもいかない。
「何なら、少しばかり殴ってみますか?それとも、CIAみたいに水責めでも試しますか?」
「おぉ、それはいいかも。水責めにしましょう」
尋問官の適当な提案に女性大尉は、うきうきとした表情で提案を採用した。
どのみち、ここは密室なのだ。何をしようが、外に漏れる事はない。
被疑者の頭に袋を被せ、身体を寝具に固定する。
バケツ一杯に満たされた冷水を彼の顔に容赦なく叩き付けた。
空気を求めて口を開こうとする彼に、心理士官と尋問官は、なおもその手を止めなかった。
止めて欲しい、助けて欲しい、全ての事情を話すと叫ぶ被疑者を無視して、水責めは続けられていく。
「うーん、今一つ効果が薄いですね。やっぱり、水責めは良くないみたい」
「まぁ、CIAの報告書でも拷問は大した成果が得られなかったみたいですから」
「そうは言っても、この部屋は憲兵隊の虎の子だから、なかなか廃止されないかな」
「どうして、上の連中は特別尋問室なんてものを作ったのですかね?」
「予算が余っているのか、暇なのかのどちらかでしょうね」
「それで…どうしますか大尉。
このまま尋問を続けるよりも、普通の尋問の方が遥かに生産的で文明的かと思いますが」
「それには及びません、少尉。
尋問できる素体はいくらでもあるのですから。
もう少し、人体実験用の人間も何人か調達したいかな」
「そういえば、大尉の専門は生理心理学でしたか。
ですが…人体実験などしてもよろしいので?」
「だってここは秘密の空間でしょう?
それに中々、心理学の実験に協力してくれるモルモットを調達できなくて苦労しているの。
こんな絶好の機会を逃す訳ないでしょ」
※※
キングスフォード市:臨時司令部
会議室に集結したのは憲兵・情報関係の参謀や職員達だった。
占領軍は、市内各地の蹶起部隊を、急派させた30個以上の歩兵中隊で制圧していった。
しかし、非戦闘員を含めた死傷者は、当初の三桁から一桁増えて、四桁にまで膨らんでいた。
「死傷者は現在判明している限り、1,800人前後だと推定されます。
多くは、制圧部隊と蹶起部隊の流れ弾を受けた非戦闘員、即ち住民達です」
「制圧部隊としては、1個旅団に相当する兵力を動員して対処しました。
叛乱民兵が1個大隊程度だとすると、その6倍に相当する兵力を割り当てた事になります」
「負傷者の救命には、陸軍直轄の第2衛生師団から増援を受けており、仮設病院の増設にも努めている所です」
参謀達が次々と現況を司令官に報告してくる。
「1個大隊に対して、我が方は6個大隊か…釣り合わんな。
全く、COIN(対叛乱作戦)など殆ど訓練していないというのに」
「第28情報大隊及び第5心理作戦群の一部が民事作戦を展開していますが、民心の安定には至っておりません。
住民の多くは、同時多発的な蹶起に対して、非常にストレスを感じている様です。
制圧部隊の一部の将兵も同じく、戦闘ストレス障害に罹患している者が相当数いるようです。
精神面という点で復帰が困難な中隊もいくつかあります」
「精神病か…軍医を増員しているとは言え、こればっかりは、どうにもならんな。
我が国の精神医学のレベルはどうなっているのやら」
「人間の精神は未だ未解明な領域が多く、ましてや戦闘を専門とする軍人の精神の研究は更に進んでいません。
特に我が国はこの様な大規模な戦争は随分と経験していませんし、占領任務を想定している軍隊でもありませんから、こうなるのは必然でしょう」
軍医中佐の精神科医が、司令官の独り言とも愚痴とも受け取れる発言にそう切り返した。
軍事心理学や精神医学の難しさは、専門家でなくとも、干戈を交える将兵の多くが、その身を以て、実感している事だろう。
いくら科学が発達した現代とは言え、人の心はそう簡単に癒されるものでもないし、簡単に統御できるものでもない。
「再び、叛乱が起こる兆候は見られないのか?」
「そもそも、我が軍の情報部隊は情報網の構築に苦戦しています。
言語の壁もさることながら、同行するエルフ族が非常に目立って仕方がないのです。
秘匿された諜報戦を行うには、あまりにも不利な環境であります」
「機密作戦にそれ程のエルフ族を入れても良いのか?
連中から情報が漏れる危険性はないのか?
いい加減、情報部隊には現地の言語を習得してもらいたいものだが」
「確かに、保秘の観点から懸念されている事ではありますが、だからと言って、現在、外国軍隊である我が軍に対して積極的な協力関係にある部族であるのも事実です。
既に我らと彼らは一蓮托生、運命共同体でしょう。
既に我が軍の情報活動に於いて、彼らエルフ族の協力と献身はなくてはならぬものなっております。
例え、多少の情報洩れがあったとしても、協力関係の解消はすべきではありません。
勿論、単に情報戦の次元のみならず、大戦略、政治の次元に於いても、この同盟関係は維持されて然るべきです」
情報士官が政治にまで踏み込んで発言する事は、慎重であるべきだったが、軍部の拡張に伴い、そうした政治権力に対する斟酌は、一部の将兵によって稀釈されていた。
「結局、政治か…。
それにしても本国は一体、エルフ族をどうしたいのやら。
まさか、植民地統治の尖兵にでもするつもりか?」
「方面軍の政治参謀が言うには、分割統治の道具として育成する予定だとか。
植民地支配の基本は分割統治ですから。
エルフ族のみならず、少数民族を政治エリート・植民地官僚として起用する計画もあるそうです」
「そうなると、多数派の王国人は、支配者から被支配者へと堕とされるという事か?
この地域だけでなく、まだ、一部の王国人がいるはずだろう?
もしかして、本国政府は、自治領の連中を中央政府・地方政府の中核に据えるつもりなのか?」
「総督府は設置するにしても、この面積と人口の規模を誇る国家を運営するには人材が足りません。 現地人で人材の不足を補うのは致し方無いでしょう。
そもそも、我が国がこの国を占領したのは、某国の様に『自由』や『民主制』の為ではなく、徹頭徹尾、食料とエネルギー資源の為です。
それらを日本国へと輸入するに当たって必要なのは、費用の最小化です。ここで言う費用とは、単に財政問題だけでなく、人材・時間・治安維持の費用なども含みます。
何も日本政府と国防軍が全てを背負う必要などないのです。
寧ろ、現地人に現地政府を運営させて、その果実を掠める方が効率的ですから」
「という事は、本国の意向としては、ゆくゆくは直接統治から間接統治へと徐々に変化させて、その上澄みをはねようという算段か」
「政治参謀は、欧米の植民地支配の手法を参考にするとも言っていましたね」
「まさか、現地人の片手を落としたりはしないよな?」
「それは犯罪です、閣下。我々はベルギー人ではありませんから」
それもそうだと司令官は苦笑した。
欧米に比べれば、随分と人道的な統治である。
尤も、植民地支配をしている事に変わりはないが。
Ⅰ用語解説(改稿:2019.10.10.)
キングスフォード辺境伯領の軍事官房長:男爵砲兵大将の側近で、軍政を管理する。
市参事会:都市の合議制政治機関で、都市に関する条例の制定や市民・住民の統制を担う。市参事会員は、都市の上流階級を構成する。
都市貴族:市参事会員を世襲する有力な家系。新興市民である大参事会よりも、小参事会・機密参事会に多い。
ギルド:同業者組合の事。業界に関する規制や免許など、既得権益を握る。
皮革職人組合:市参事会・機密参事会に議席を持つ大ギルド。保守強硬派。
キングスフォード司教座:キングスフォード辺境伯領を拠点として、エリザベス王国南西部を教会管区とする。南部の異民族を教化する機能から、聖堂参事会よりも司教の権力が強い。
特別尋問プログラム⇒CIAの強化尋問プログラム
カフェイン中毒:作者が1リットルのコーヒーを一気飲みした結果、カフェイン中毒になった。作中の描写は、その時の体験を基にしている。あれ以降、作者はコーヒーを飲んでいない。
統一軍事裁判法(UCMJ):何かと話題の軍法。
ベルギー人と植民地:ベルギーと言えば、過酷な植民地支配。⇒レオポルド二世
Ⅱ参考文献
市参事会と都市貴族について
『中世後期ニュルンベルクの都市貴族と「名誉」』著:田中俊之(金沢大学)