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灰色の旭日旗  作者: Silver Tooth
第1部 コロニアル・エンパイア
17/21

第9章② 同盟の代価

※本話:25,000字


次回予告:第10章①「ウランの戦い、外套と拳銃」


※書評:『制限戦争指導論』


※マルクヴァルト邦国政府の組織図(2019.06.10. 現在)

※ルペン共和国政府の組織図(2019.06.10. 現在)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 マルクヴァルト邦国は、対抗同盟の妨害によって、シルヴァニア侵攻が思う様に進まず、次第に兵力を消耗し始めた。事態の打開を図る為には、更なる兵力を投入するのか、それとも、侵攻を諦めるのか、この二つの選択肢に掛かっている。


 邦国軍は、戦闘そのものには何度も勝利している。しかし、依然として戦略目標の達成には至っていない。戦闘の勝利を、戦略上の優位に繋げられていないのだ。


 クラウゼヴィッツの言葉を引用するまでもなく、戦闘は戦争の最大要素ではあるが、戦闘の目的が勝利であるのに対して、戦争の目的というものは、勝利にあるのでなく、寧ろ、平和にある。


 シルヴァニア公国は、過去に何度も覇権国家の侵略を撃退してきた事から、『帝国の墓場』と言われて久しいが、邦国も又、過去の帝国と同じ様に、戦争の泥沼に嵌り掛けていた。


※※


マルクヴァルト邦国:陸海軍最高会議


 邦国政府は、シルヴァニア侵攻の泥沼化を重く受け止めていた。軍部では、侵攻の中止を主張する声が、日に日に増しているという。


 一体全体、どうしてこうなったのか。政府と軍部の高官は、悪化する一方の状況に眠れぬ夜を過ごしている。


 政府は、統帥権と戦争指導に関する最高会議を開催して、事態の打開を図った。出席者は、錚々たる顔ぶれで、大書記官長、陸海軍の大臣、外務大臣、元帥・大将クラスの将官、陸海軍の長老である軍事顧問官や各兵科の総監、つまり軍政及び軍令の最高幹部が集結している。


 しかし、そこに君主の姿はない。立憲君主制(制限君主制)に移行する以前であれば、陸海軍最高会議は、国軍最高司令官たる君主の御前の許に開催される事が慣例であった。


 だが、政治への関与を控える新君主は、軍高官の要請にも関わらず、最高会議への臨席を拒否した。会議室に置かれた御席は、その主人を欠いているが、得も言われぬ存在感を出席者に与えた。例え君主の臨席がなくとも、御席がその役割を代替しているのかもしれない。


 今や、邦国政府の行政権と統帥権を握る大書記官長(侯爵)が、最高会議の議長を兼ねている。陸海軍の大臣は、侯爵の両隣に座って、副議長を務めている。侯爵が、外務大臣にシルヴァニア侵攻を巡る周辺諸国の反応と情勢について報告を求めた。


「我が国のシルヴァニア侵攻に反対する対抗同盟の勢力は、当初の5ヵ国・地域から10ヵ国・地域に拡大しています。

 対抗同盟への加入の意思や関心を表明している諸国も、10ヵ国以上です。対抗同盟は、我が国の海上輸送体制を破壊すべく、海上封鎖に出ていますが、我が海軍が海上封鎖を実施したルッテラント連邦海軍を撃破しています。

 しかし、こちらの海上戦力も大きく消耗しています。我が国は、この対抗同盟に対して、ルペン共和国との軍事同盟を活用していますが、より一層の同盟強化が必要かと思います」


「仮に、マルクヴァルト=ルペン同盟と対抗同盟が対立するとして、どちらが優位なのだろうか?」


「それは、軍事的にも経済的にもという事でしょうか?」


「そうだ。対抗同盟の海上封鎖を踏まえれば、戦争だけでなく、経済面での対抗も必要だろう」


「陸軍力では、マルクヴァルト=ルペン同盟が対抗同盟を上回っています。ですが、海軍力では、対抗同盟が圧倒的に有利です。

 何せ、対抗同盟には、海洋国家のラホイ王国とルッテラント連邦、それからエリザベス王国ピカルド海外州も加わっています。

 特に、このピカルド海外州が脅威です。この海外州には、エリザベス王国が誇る第5艦隊が配備されています。

 もしも、海上封鎖に第5艦隊が加われば、我が国の海上輸送隊は崩壊します。我が国の海岸線は南部だけですから、南部方面を抑えられれば終わりです」


「新航路を開拓できないのか?最北部を遣えないのか?」


「我が国の最北部には、針葉樹林帯が拡がり、更にその先には、豪雪地帯があります。そこには、旧帝国領の諸国が、乱立している状態です。

 最北部の開拓には、これらの地域を踏破する必要がありますが、進軍は極めて困難で、旧帝国領や先住民地域は、何れも好戦的です」


「だが、南部の航路が使えないとなると、北部以外にはないだろう?」


「勿論、北部の航路開拓は選択肢ではありますが、そうすると、今度は海洋国家のラホイ王国の哨戒線と接近します。

 我が国が北部・南部の何れの航路を採ったとしても、海洋国家を抱える対抗同盟は、これを海上封鎖できる能力を備えています」


「海上封鎖を突破できる手段はないのか?」


「ルッテラント連邦に対しては、上陸作戦を強行するのが最適でしょう。我が国の工業能力を活用して、連邦海軍の海上戦力では対処しきれない程の軍艦を建造して、飽和によって、連邦海軍の防衛を突破して、大規模な陸上戦力を上陸させてしまえば良いのです。

 一方のラホイ王国とピカルド海外州に対しては、同じ大陸に存在する地続きの国家と地域ですから、我が国が誇る陸軍を投入する事で、海上封鎖を牽制ないし中止させる事ができます。

 それから、同盟国の共和国にも協力を打診すべきです。共和国は、陸海軍ともにバランス良く配分されていますから、海洋国家の海軍と海戦でも十分に持ちこたえられます」


「…なるほど。ところで、エリザベス王国の情勢はどうなっている?海外州が独自に外交を展開するものだろうか。首都が陥落したらしいというが、それ以降、一切の情報が入ってきていないではないか。 

 ピカルド海外州は、本国政府の意向を受けているのか、それとも意向を受けていないのかにもよって、大分、情勢は変わってくるだろう?」


「…エリザベス王国の情勢は、依然として不明です。何も詳しい事は分かっていません。首都を陥落させたと思しき外国勢力にしても、何も情報がないのです。

 ただ…、我が国と通商関係にあった王国の海外領土や植民地のいくつかと連絡が取れないでいる様です。

 恐らくは、王国に侵攻した外国勢力か、あるいは他の列強諸国・周辺諸国によって、占領下に置かれているものと推測されます」


「何も分からないという事か。では、その王国に侵攻した外国勢力とは、連絡がつかないのか?こちらから接触できないのか?」


「外務省では、外交官を軍艦に乗艦させた上で、訪問する事も計画していましたが、中止しています。他の諸国も、その外国勢力との連絡を構築しようと試みた模様ですが、何れも失敗に終わっています。 

 王国に近付いた艦船は、どこの国籍であれ、撃沈されているらしく、とても外交官を派遣できる状況にありません」


「つまり、その外国勢力とやらは、我が国のみならず、周辺諸国との外交を拒絶しているという事か?」


「正確に言えば、外交を拒絶しているというよりは、占領した王国の領土を我々外国から防衛しているのでしょう」


「それは、何というか、かなり好戦的な国家だな。要するに、外国を一切信用していないという事なのだろう?」


「恐らくは、そうでしょう。我が国は軍国主義国家などと周辺諸国から呼ばれていますが、それよりも軍国主義的なのかもしれません」


「王国の侵攻国は、我が国のシルヴァニア侵攻には障害になるだろうか?」


「それは全く分かりませんね。王国に侵攻した外国勢力の意図や能力は、全く以て判明していない訳ですから」


「だが、王国の侵攻国がこの大陸に上陸する可能性も考慮しなければいけないのではないか?確か連中は、王国海軍が誇る最精鋭の第1艦隊を海の藻屑に変えてしまったのだろう?

 西大戦洋地域最大の海洋国家を打ち倒すだけの軍事力があるのならば、何れはこちら側にも侵攻するかもしれんぞ?」


「それは勿論考慮すべきですが、王国に侵攻した外国勢力は、領土を拡大する動きを見せていませんし、大陸に上陸したり、接近したりする様な姿勢も見せていません。

 つまり、当分は王国の占領に専念するという事ではないかと。それに、王国軍が全滅しているとは思えませんから、残存の王国軍と外国勢力が未だに戦争している可能性も当然あります」


「それは、王国の侵攻国が占領を完了させたのならば、どうするか分からないではないのか?もしも王国の占領が完成されれば、次にその強大な軍事力を他国に使用するはずだろう」


「侯爵閣下の仰る通りですが、先程も申し上げた通り、相手国の情報は何一つとしてありません。その状況では、政策も立案できないでしょう。

 それに、我が国は大陸国家です。陸軍国家なのです。仮に王国の侵攻国が我が国にも侵攻したとして、これを防衛できる可能性は十分にあるでしょう。

 確かに相手の海軍力は優れているのかもしれませんが、占領に手間取っているのならば、それは陸軍力が弱いという傍証なのではないでしょうか」


「…そう単純なものかね?例えば、陸海軍のバランスに優れた共和国軍の例もあるだろう。だから、海軍力が強い国家の陸軍力が脆弱であるなどという事にはならない。

 それに、王国は異民族討伐の為に、大規模な陸軍を維持していたはずだ。もしも、王国の侵攻国が占領を完成させたというのならば、それは陸軍力にも優れているという証明に他ならないのではないかね?」


「それはその通りなのですが…、いや、現状の情報では、如何ともし難いです」


「そうだなぁ、シルヴァニア侵攻だけではなくて、いい加減、王国に侵攻した外国勢力についても、調べる必要があるよなぁ」


「はい。ですが、その外国勢力を調べ上げる手段は、現時点ではありません。艦船を沈められてしまえば、こちらはどうしようもありません」


「分かった。ひとまず、王国の侵攻国の件については保留とする。では次に、本会議の議題であるシルヴァニア侵攻の是非について話し合いたいと思う」


 侯爵は、陸軍省軍政局長(陸軍少将)に話を振った。


「シルヴァニア侵攻は、皆さんも知っての通り、膠着化しています。公国西部の主要都市を占領する事には成功しましたが、それ以上の進展はありません。

 原因は明らかです。シルパチア山脈に住む山岳民族が、我が軍の補給線と展開を妨害しています。この妨害によって、我が軍の兵站能力は非常に負担が掛けられています。

 我が軍はこの事態を打開する為に、公国軍が破壊した山道の復旧を進めていますが、これも同じく山岳民族の攻撃によって、山道の再開も上手くいっていません。

 山岳民族の攻撃に対応する為に、多くの歩兵部隊が警備部隊として割かれていますが、これも当初予定していた侵攻作戦が大幅に遅延する原因になっています。本来、侵攻作戦に回す予定だった歩兵部隊も、補給線の警備に回している始末です。

 陸軍は、我が国全土に向けて、動員令の発令を提案致します。我が軍の優位は、人口と兵力、即ち最大動員能力にあります。今こそ、その優位を活用すべきです」


「我が国の最大動員能力はどれ程なのだ?」


「はい。400万人前後までならば、難なく動員できます。財政能力を考慮しなければ、800万人の動員も可能ですが、その場合は、間違いなく財政破綻してしまいます」


「シルヴァニア侵攻に400万人も必要か?」


「いえ、シルヴァニア侵攻だけでなく、対抗同盟を牽制する為にも、数百万人の兵力は必要不可欠です。共和国との同盟があるとは言え、その戦力に期待するべきではないでしょう。所詮、元々は敵同士なのですから」


「…君は『旧帝国領の回収』に前向きなのかもしれないが、私は違う。私だけではない。そもそも、陸軍大臣や兵站総監などの軍高官らも、これ以上の領土拡張政策には反対なのだ。共和国との同盟も、我が国が内政基盤の強化に注力する為に締結したはずだった。

 それが今では、その同盟と条約によって、本来の目的とは逆に陥っているではないか。シルヴァニア侵攻はすべきではなかった。我が国は、早々に公国から撤退すべきなのだ」


「…それは、侯爵閣下と陸軍大臣閣下の意思でありましょうか?政権全体の意思でしょうか?」


「本音を言えば、さっさと公国なんぞ捨てて、撤退したいのだ。それよりも、我が国はやらなければならない事が沢山積もっているのだ。『旧帝国領の回収』と『民族の統一』という国家事業は、中止すべきなのだ」


 陸軍少将は、深く息を吸って、頭を冷やした。そして、少し躊躇いながらも、侯爵に反論した。


「侯爵閣下、政権の意向は撤退かもしれませんが、議会はそうではありません。そして、国内輿論もそうです」


「議会と国内輿論が撤退に反対すると?」


「はい。議会では、侵攻作戦への支持が多数を占めていますが、その中には、動員令を発令してでも、侵攻すべきとする有力議員の意見も無視できない勢力を築いています」


「いや、議会や輿論の情勢は私も把握しているが、例え議会が撤退に反対だとしても、政権の権力でいくらでも押し切れるだろう?」


「侯爵閣下、議会の意見も無視できません。それに何よりも、国内輿論と国民も無視できません。確かに、撤退が最善の選択肢なのかもしれませんが、議会と国民にはそれが伝わらないでしょう。それに議会を無視すれば、閣下の不信任や弾劾手続にも繋がりかねません」


「何だと?貴様はどこまで情報を掴んでいるというのだ」


「実は、その有力議員というのが、私の親族でして。政府が撤退を決定した場合、議会の決議で、強制的に動員令を発令すると…」


「その有力議員とやらをここに連れて来い!!頭をかち割ってくれるわ!!!!」


 侯爵は、議会と国民に対して、堪忍袋の緒が切れた。公選議会の設置は、国民を戦争政策と領土拡張政策から遠ざける意図もあった。それがどうだろうか。寧ろ、議会と国民は強く戦争を望んでいる有り様ではないか。


 侯爵は、隣国の共和国の政治制度と戦争の関係性についてよく研究するべきだったかもしれない。民主政が平和をもたらすなど幻想でしかない。好戦的な大衆の熱狂は、民主政下でもっともよく現れるのだ。


 そもそも、軍国主義国家であった邦国の国民性が、直ぐに治るはずもない。寧ろ、公選議会の設置と選挙の実施は、国民の好戦的感情を呼び起こしてしまったのだ。


※※


マルクヴァルト邦国:全州議会


 全州議会は、選挙によって選ばれた各州の代表から構成される。君主が任命した議員で構成される勅選議会から転換し、参政権を持つ国民の投票によって、議員が送り込まれた。


 議員の社会的な立場や背景・出身は様々で、勅選議員が事実上の再当選を成し遂げた州があれば、自由主義政党の党員が念願の政治家への道を手にした場合もある。地主貴族ユンカーもいれば、工場労働者もいるし、退役軍人も議員になれた。


 とにかく、上流から下流の階級まで、貴族から平民まで、あらゆる階層・階級から人材が集結した。議会制というものは、学者が指摘した様に、社会階層を統治機構に取り込む事で、内乱や内戦の芽を摘むという機能を発揮する。


 戦争と言えば、対外戦争よりも、内戦を意味していた旧メルケル帝国にあって、邦国は初めて国内の平和を統一したのだ。


 ボイテル州を選挙区とする有力議員は、議場の演説台に立って、シルヴァニア侵攻に対する議会の支援と協力を訴えていた。


「議会及び市民諸君、我々は、我が国によるシルヴァニア侵攻を強力に支援せねばならん!!諸君も聞き及んでいる通り、残念ながら我が軍は、公国領土の占領に手間取っている。

 しかし、それは我が軍の兵力が不足しているからに他ならない!!議員諸君!!このまま、現状の不足した兵力のままで、愛する将兵に負担を強いるべきだろうか?現場の将兵を支援する為に、我ら議員ができる事とは何だろうか?

 更なる兵力だ!!更なる物資だ!!更なる予算を組むのだ!!さすれば、我らは議員としての義務を果たせるであろう!!

 議員諸君!!我々は、祖国を守り抜かねばならん!!動員だ!!更なる動員だ!!動員令を発令せよ!!私は、議会を代表して、政府及び軍部に動員令の発令を要請する。

 議会は、『旧帝国領の回収』に全力を傾けなければならない!!勿論、政府と軍部も民族統一に注力しなければならない!!

 議員諸君!!これは、帝国の復活である!!これは、メルケル帝国の復活なのだ!!それは、メルケル第2帝国の建国なのだ!!私は、私が生きている内に、統一された祖国をこの目で見たいのだ!!

 悲しい事に、我らの土地と民族は、未だに分断されたままだ!!分断されたまま、次世代に生まれた子供達は、それが自然になってしまう事だろう!!

 その様な未来は、断じて拒絶せねばならんのだ!!議員諸君!!我々には、祖国と子供達と、そして何よりも国民の為に、統一された祖国を取り戻さねばならん!!

 政府は、対抗同盟とやらに及び腰になっている!!しかも、共和国との同盟という譲歩までしてみせた!!

 しかし、我々は思い出さなければならない!!そもそも、旧帝国民として、この地域の覇者であった事を!!偉大なる父祖の業績は、我々に、民族の栄光と勝利を誇り高く教えてくれるではないか!!

 旧帝国民である我々に、統一が成し遂げられないはずがないであろう!!議員諸君!!我々は、今この時、統一という祖国の夢を果たそうではないか!!」


 自由主義政党の議員達は、その演説に対して、一斉に惜しみない拍手と賛辞を送った。しかし、議会に出席した閣僚達は、それとは対照的に苦い顔をしていた。


 この政府の方針を批判するかの様な演説を打った有力議員は、政権に流れる撤退論を掣肘するべく、動員令の発令を要求したのだ。


 動員令の発令に賛成する議員と国民は、何も分かっていない。この国が持つ国力の限界や地政学的プレゼンスの限界、経済成長の低迷、何かも理解していない。邦国の現状を正確に理解しているというのならば、間違っても動員令に賛成したりはしないだろう。


 政府側は、動員令の発令を要求する議員団に向けて、反対演説を行うはめになった。


 全く、民主政とはかくも面倒なものである。最善策や次善策が明快だと言うのに、議会と民衆はそれを選ばせてはくれない。


 お互いに最善を尽くしているというのに、お互いに最善を目的としているというのに、どうしてもこうも導く結論が違ってしまうのか。


 動員令の発令を強硬に要求する有力議員に対して、大書記官長(侯爵)が政府を代表して、反対演説を行った。


「政府は、シルヴァニア侵攻作戦の中止と撤退を議会に提案したい。聡明なる議員諸君、我が国が今なすべき事とは何か?

 それは、ルペン共和国との同盟と友好関係を固持し、植民地戦争で疲弊した国力と国民を癒し、内政と経済政策・通商政策に注力する事で、我が国の国富を増大させる事に他ならない。 

 議員諸君、正直に言って、シルヴァニア侵攻は、苦戦している。当初予定していた占領地域と実際の占領地域は、大きく範囲を縮小させている。

 忌まわしき対抗同盟の全面的な支援を受けた公国軍は、我が軍の後方連絡線を遮断しようと試みて、数々の奇襲、妨害、遅滞を行っている。

 更に、シルパチア山脈に定住している山岳民族も、我が軍に対して山岳戦や坑道戦を仕掛けているというではないか。

 我が軍は、それによって、占領地域の拡大に失敗しているし、公国西部の各地に進軍した部隊は、兵站能力が減少し、作戦能力も大いに削がれ始めている。このままでは、我が軍は敵中に孤立したまま、侵攻作戦の継続を迫られるだろう。

 しかし、そもそも何故、我が国が公国に侵攻したのかを議員諸君は良く思い出したもらいたい。シルヴァニア侵攻は、単なる『旧帝国領の回収』というだけでなく、共和国との国境画定条約による取り決めの結果でもあるのだ。

 我が国は、国是を達成する為に、10年間という歳月を掛けてまで、シルパチア山脈に坑道網を掘削した。

 しかし、現在の我が国に、他国を併合する様な余裕などないではないか。国是も条約も重要ではあるが、それ以上に、我が国の安定こそが重要だ。

 動員令の発令によって、兵力を増強すれば、侵攻作戦そのものは成功するかもしれない。だが、その先にある未来とは何か?我が国に残ったのは、荒廃した公国の領土だけではないか。

 確かに、公国の港湾はとても魅力的だ。我が国は、海洋国家のエリザベス王国、ラホイ王国、ルッテラント連邦の海軍によって、海上交通が制限されてきたし、それを変えたいという思いは至極当然の感情だろう。

 公国東部の港湾都市を獲得すれば、我が国は、南部方面のみならず、東部方面の海上交通路にも参加する事ができる。しかし、仮に公国の港湾を使用したとしても、依然として海洋国家の勢力は健在だ。 

 悔しい事だが、周辺諸国の海軍力に対して、我が国の海軍力はあまりにも脆弱である。議員諸君の中には、我が国とルッテラント連邦海軍との海戦の勝利に歓喜した者もいるだろう。それで、我が国の海軍力に自信を持った議員や市民も大勢いる事だろう。

 しかし、保有艦船数とトン数という数値は、我々に冷厳な事実を教えてくれる。即ち、我が国の海軍力は弱小で、それと対峙する海軍力は強大だという事実だ。何を今更言うのかと思うだろう。議員諸君は、不足する艦艇を建造すれば良いと思っているのかもしれない。

 だが、海軍力の構築は、一日にして為らず。我が国が造艦競争に参加したとしても、勝利できるとはとても思えない。

 勿論、数十年間という時間を掛けて準備すれば、海洋国家に引けを取らない海軍力を持つ事も可能かもしれない。

 しかし、優先順位を良く思い出して欲しい。我が国が現在為すべき事は、内政と経済である。軍隊の維持は重要であるが、優先順位を履き違えて、貴重な国家資源を浪費するべきではない!!」


 侯爵は、熱弁を振るった有力議員と比して、冷静な議論を展開した。メルケル人は、理性や合理性というものを非常に重んじるから、その国民性に訴えようとしていた。だが、その一方で熱狂的な輿論に流されやすいという、どこの国でも見られる特徴がこの国でも見られた。


 そもそも、シルヴァニア侵攻を推進したのは、現政府・現政権である。それが今になって、侵攻作戦の具合がよろしくないから、撤退しましょうというのは筋が通らない。侯爵の反対演説は、何とも端切れが悪いというか、苦し紛れだった。


※※


マルクヴァルト邦国:全州議会の主要議決


①全州議会は、国民から負託された権力を以て、政府及び軍隊に対して、動員令の発令を命じる。

②シルヴァニア侵攻は、我が国の国是である『旧帝国領の回収』と『民族統一』を成し遂げる国家事業である。

③我が国は、対抗同盟によるシルヴァニア侵攻への妨害行為に対して、断固とした決意を示し、行動しなければならない。

④政府及び軍隊は、上記の議決を遵守し、その為に、国家資源を総動員しなければならない。


※※


マルクヴァルト邦国:大書記官長官邸


 全州議会による動員令の強制は、大書記官長(侯爵)が率いる政権に強い衝撃を与えた。新憲法では、これまでの欽定憲法よりも強い権限を議会に付与しており、大書記官長に対する弾劾権・不信任決議や行政府に対する監督権を保持している。


 議会が発する法律は、全て君主の御璽が押印された勅令である。立憲君主制に移行する以前は、勅選議会が制定する法律と君主が発する勅令は区別されたが、現在では、全ての議会制定法がそのまま勅令としての効力を発揮する。


 つまり、議会は君主大権を背景にして、行政府や司法府に対して、絶大なる政治権力を手にしたのだ。


 言うまでもなく、近代法では法律による行政の原理が働くから、行政権を単独で行使できる大書記官長と言えども、議会制定法に従わざるを得なかった(※注:作中に於けるマルクヴァルト邦国は、近世後期から近代初期の文明へと発展している)。


 何よりも、メルケル人という民族は、法律を非常に重視する伝統がある。メルケル人は、「法の人々」なのだ。


 侯爵は、まさかここまで戦況が悪化するとは思ってもみなかった。シルヴァニア公国は、『帝国の墓場』と称されるけれども、十分な準備と時間を掛ければ、不可能な軍事作戦などないと高を括っていた。


 しかし、蓋を開けてみればどうだろうか。公国西部を占領下に置くべく進出した東部方面軍の1個軍は、要塞群との後方連絡線を遮断されかけている。


 所詮は小国の軍隊であるから、直ぐにでも粉砕できるという傲慢と偏見があったのかもしれないという反省と後悔が彼の心裏を襲ったが、省みるには遅すぎたのだろうか。


 彼は、深い後悔の念に苛まれた。ルペン共和国との条約に、シルヴァニア分割の規定を置くべきでなかった。元々、共和国が領有する旧帝国領を諦める代わりの代償措置であった。


 しかし、それが今や政権と国家を脅かす毒となって、徐々に邦国を浸食しようとしている。


 一体、どうすれば良いというのか。議会の命令に従って、動員令を発令し、160万人の兵力を200万人、300万人にまで拡大すれば、公国に築かれる邦国軍人の死体は、より高い頂上をあちこちに積み上げる事だろう。


 果たして、法律を遵守して自国民の死体を量産する悪徳と、法律を破って国益を守る悪徳は、どちらがより罪深いのだろうか。古来より、悪法問題には事欠かないけれども、その古くて新しい問題が、侯爵を悩ませていた。


 やろうと思えば、陸軍を使って、自己クーデター(政権側が仕掛ける権力の奪取)で議会の権限を奪い取る事もできる。


 しかし、それをしてしまえば、折角、立憲君主制へと移行した政治努力が台無しになってしまう。自己クーデターは、クーデターによって政治体制を変更した現政権の正当性を喪失させるに違いない。


 民衆も自己クーデターを支持しないだろう。民衆は、戦争に熱狂しており、動員令の発令に積極的な賛意を示している。政治家と民衆は、帝国を復活させたいのだ。


 官邸の一室には、政権の重要閣僚が一堂に会していた。議会の命令に従って、動員令を発令するべきか、それとも、動員令を拒否し、議会の権限を実力で制限するか。


 輿論というやつは、かくも無責任だ。言いたいことだけ言って、その責任は取らず、文句ばかり垂れ流すのだから。


 政治家の扇動と民衆の熱狂は、自身の生命という代償を支払う事になるだろう。それでも、喜んで生命を投げ出すのかもしれないが。


 一同の顔ぶれは芳しくなかった。法を守って亡国へ突き進むのか、法を破って国益を守るのか、二つに一つだ。


 大書記官長の側近の一人である首席顧問官(閣僚級高官)は、自己クーデター案に反対した上で、動員令の発令は避けられないとの見方を示した。


「既に我が国はクーデターを実行しております。それも、少し前の出来事です。このまま立て続けにクーデターを断行すれば、国家権力の正当性と合法性は崩壊するでしょう。

 そもそも、民主政というものは、明らかに間違った政策を支持するものです。それは歴史が証明している所でしょう。

 ですが、それは民主政の費用と割り切るしかありません。議会の命令を拒否する事は、即ち、国民の負託を拒否する事と同義なのです。

 ですから、敢えて間違った政策を実行して、国民に教育してやれば良いのです。そして、国民と議会が己の間違いを反省した時こそ、動員令を解除してやれば良いのです」


 彼の意見は、民主政に対する冷笑と僅かな期待を含んでいた。これに対して、司法大臣は民主政へとより懐疑的になって反論した。


「議会と国民の失敗を許容する事が、民主政だとでも?政治家の役割は、その失敗を抑制する事だろう。大体、今は古代の都市国家の様に直接民主制という訳でもない。

 代議制というものは、国民の失敗を繰り返さない為にある。政治家が為すべきは、国益を増大させる事であって、国民と議会に媚びを売る事ではない。

 我々は、政治家として国民と議会を正しい道に誘導する義務を負っているのではないか。如何なる政体であろうとも、失敗は許容されてしかるべきではないだろう。

 我々は、民衆を理性で導くべきなのだ。何も、クーデターに頼る必要はない。法律を制定するのは、議会の役割だが、法律を執行し、政策として形にするのは我々の役割だ。法律を執行するか否かは、政権が判断すれば良い。これは行政府としての裁量だろう。

 そもそも、軍事に関する権限は行政府に一任されているはずだ。それを議会に横からいちいち口出しされる謂れなどない。

 議会が制定した、政府に対して動員令の発令を要求する特別法は、司法大臣として、羈束でなく裁量であると法解釈すべきと進言したい。

 軍事問題は、政府の専権事項であって、議会の要求は越権行為もいい所だろう。戦争政策は高度な政治的判断なのだから、議会でも国民でもなく、我々が決めるべきだ」


 法律家ならば、法を守れと主張するかもしれない。しかし、実際は、法律家という連中は、法を守るのでなく、法を使う事が仕事だ。法律家が持ち出す法解釈というのは、要するに、屁理屈である。


 法を守るだけならば、それは法の奴隷に過ぎない。奴隷でなく自由人たらんと欲するのならば、法を自在に使えるまでに学ばなければならない。司法大臣は、法律の執行権が行政府にある以上、政策判断は当然に裁量の範囲内であると主張した。司法大臣の意見に陸軍大臣も賛同した。


「侯爵閣下、クーデターという禁忌を犯すのは、一度切りの罪であります。二度は有り得ません。司法大臣が仰った様に、動員令特別法を施行しなければ良いのです。それで、事足りるのです。

 陸軍としても、動員令の発令には反対の立場であります。何よりも、我が国は軍拡競争を行う国力の余裕などありません。

 予備役の動員は、若者の死体を積み上げるだけに終わるでしょう。動員によって、公国全土を占領する事はできるかもしれません。

 しかし、動員令を発令すれば、対抗同盟は我が国を戦略的に包囲した上で、軍事的・経済的な圧力を益々増大させる事でしょう。

 そうなれば、我が国は、シルヴァニア侵攻だけでなく、対抗同盟との国境線に配置された兵力を増強しなければならず、その為に更なる動員の必要に迫られます。

 勿論、それによって対抗同盟も動員令を発令する事でしょう。その先に待っている未来は、我が国と共和国による大陸国家同盟と、対抗同盟による全面戦争であります。

 戦争というものは、勝敗の有無に関わらず国力を消耗させますが、これがもしも西大戦洋地域に戦火が拡大すれば、参戦国の全てが国家崩壊の危機に至るでしょう。

 それだけは、何とか回避しなければなりません。共和国政府に対して、シルヴァニア侵攻の中止と撤退を通告するべきです」


 侵攻作戦を中止し、撤退させるべきだと主張する閣僚に対して、外務大臣が異議を差し込んだ。


「元帥の意見は、飽くまでも軍人としての意見でしかない。共和国との同盟関係を踏まえれば、シルヴァニア侵攻は中止すべきではないし、撤退するなど以ての外だ。

 そもそも、諸条約の内容を良く思い出して貰いたい。公国の分割は、我が国が共和国の旧帝国領に侵攻しないという約束の象徴的な外交交渉の結果でもある。

 条約で定められた公国の分割を、こちら側が一方的且つ選択的に一部の条文のみ効力を停止するというのは、国際法という観点からも看過し難い。 

 もしも、我が国がシルヴァニア侵攻を中止すれば、共和国政府がどう思うだろうか?まさか、内政と経済政策に注力する為という説明で納得するとでも思っているのか?共和国政府は、自国の旧帝国領を狙っていると解釈するだろう。

 我が国がシルヴァニア侵攻に注力しているからこそ、共和国政府は安心して旧帝国領のマクロン州とオランド州を防衛できるのであって、侵攻作戦が中止されれば、その兵力がどこに再配置されるのかと不安で仕方がないだろう。

 それとも、我が国は共和国との同盟を破棄するのか?同盟を破棄すれば、対抗同盟に共和国が加わるかもしれないというのにか?その様な事態の発生は、未然に阻止しなければならない。共和国との同盟関係を維持する為にも、シルヴァニア侵攻は不可欠なのだ」


 外務大臣は、西大戦洋地域の国際関係に於いて、邦国の勢力圏を存続させる為には、共和国との同盟関係が必要で、条約の履行を理由に侵攻作戦の中止に反対した。


 もし、共和国が同盟から離脱すれば、邦国は対抗同盟の軍事的・経済的脅威により晒されるはめになる。


 対抗同盟の陸軍力は大した事がないから、邦国陸軍単独でも十分に防衛できるかもしれないが、一方で海洋国家同盟でもある対抗同盟の海軍力は、大陸国家同盟を上回っているという点も忘れてはならない。


 邦国は、ほぼ全ての産業に於いて、資源や原材料の自給率は高いが、それでも海上貿易を通じて、西大戦洋地域の経済と繋がっている事も確かだ。


 内需・国内市場は重要だが、それだけでは国富は増大しない。通商と海外投資によって、国富を増大させなければならない。


 だから、対抗同盟による海上封鎖政策は、邦国にとって、自国経済の弱点と海軍力の弱さを突く痛苦となる。


 陸軍国家でありながら、海軍にもよく投資している共和国の海上戦力は、エリザベス王国に対抗する為にとても練度が高く、共和国との同盟によって、この共和国海軍を間接的に使用できる魅力は、対抗同盟の海上封鎖の影響を軽減する上で、依存的とまで言える程に必要だった。


 海軍大臣は、外務大臣が主張する同盟の維持に理解を示しながらも、動員令の発令には慎重な姿勢を表した。


「対抗同盟による海上封鎖政策の効果を極小化する為にも、共和国との同盟を維持するべきだろう。

 しかし、海軍は、動員令によって我が軍の兵力を拡大する事には反対だ。

 シルヴァニア侵攻は、現有兵力の範囲内で行われるべきであって、予備役を動員すれば、労働生産性が低下するだけでなく、海軍予算も圧迫されてしまう。

 我が国の海軍力を鑑みれば、とても対抗同盟の海上封鎖部隊と直接戦闘し得るだけの地力はない。ルッテラント連邦海軍との海戦では勝利したが、それでも相当数の軍艦を喪失している事を忘れてはならない。

 兵力の拡大は、今まで我が国が大切に準備してきた海軍力の構築に悪影響しか及ぼさない。侵攻作戦を中止しろと言っているのではない。

 飽くまでも、侵攻作戦は現有兵力の範囲内で行うべきで、もしも、公国全土の占領に兵力の拡大が必要だと言うのならば、一部の地域のみの占領で満足するしかないだろう。

 撤退という選択肢を採れば、周辺諸国に対する国威が地に落ちるかもしれないから、侵攻作戦の規模を縮小する程度が良い。

 それとも、動員令によって海軍兵も強化するのか?民間の船舶や船員を徴用するとでも?その場合でも、海上戦力の増強には何十年間も要するだろう。

 今、我が国がやるべき事は、我が軍の兵力を温存する事であって、死体の山を積み上げる事ではない。わざわざ、兵力の拡大によって、対抗同盟の存在意義を強化させてやる義理などないだろう。

 寧ろ、我が国が目指すべき対外政策とは、対抗同盟の目的や存在意義を打ち消してしまう事だ。周辺諸国に軍事的脅威を与えるなと言っている訳ではない。不必要な脅威を与えて、挑発するなと言っているのだ」


 彼は、条約不履行による同盟関係の亀裂化と、その一方で、動員令の発令と侵攻作戦を中止した際の影響の両方を懸念した。彼の意見は、妥協に妥協を重ねた産物で、単純な賛成案・反対案というよりは、中間案・妥協案を提示した。


 侵攻作戦の完全な中止と撤退を要求したのが、財務大臣で陸軍大臣や司法大臣よりも大きく反対した。


「そもそも、昨今の厳しい財政状況を踏まえれば、『旧帝国領の回収』など空想的、小児病、冒険主義的産物に過ぎん。シルヴァニア侵攻は今すぐにでも中止して、公国から撤退するべきだろう。

 それとも、貴君らは領土拡張政策による財政破綻が本望なのだろうかね?侵攻作戦が長引けば長引く程、我が国の国債市場は信用力を低下させるだろう。

 ただでさえ、我が国の債務は右肩上がりで、留まる所を知らない。戦争政策に賛成だと言うのならば、戦費はどこから調達するのかね?

 まさか、泉から資金が無尽蔵に溢れ出すとでも妄想しているのかね?我が国がまず為すべき事は、経済基盤を建て直して、国債の償還費を捻出する事ではないかね?

 我が国が旧帝国を統一してメルケル帝国を復活させれば、早々に財政破綻で崩壊した国家として名を遺すだろうな。

 我々は、同世代だけでなく、将来の世代に渡って責任を有しているという事を自覚すべきだろう。国債の償還を終える為には、現有兵力の維持さえ為し得ない。

 赤字財政から脱却する為には、人口の1%程度の兵力にまで軍縮する必要がある。

 現在の160万人体制を改めて、80万人から85万人程度の兵力が相当だろう。財政を預かる者としては、侵攻作戦の中止のみならず、兵力の大幅な削減も要求したい。

 そもそも、共和国との諸条約は、我が国の内政と経済政策に注力する目的だったはずではないかね?

 それが条約によって目的を達成できるどころか、寧ろ、目的の障害となっている有り様ではないか。

 それならば、同盟など破棄してしまえ。我が国が侵攻作戦を中止すれば、対抗同盟も存在意義を喪うだろう?」


 財務大臣による兵力削減の提案に、陸軍大臣と海軍大臣は驚いて、共に反対した。


「侵攻作戦の中止には賛成だが、いくら何でも、この国際情勢の中で軍縮をするというのは如何なものだろうか。

 160万人という兵力は机上の空論で計算された数字ではなくて、実際の必要に基づいて要請される最低限の兵力でしかない。

 我が国が獲得した領土を一つも欠ける事なく保障する為に必要な国防上の基礎的な兵力なのだ。我が国の軍事政策は、全てこの160万人という兵力を前提とした戦争計画や防衛計画を立案している。

 仮に80万人にまで兵力を削減すれば、我が国の軍事政策は前提が崩れる事になるのだから、もう一度、軍事政策や戦争計画を修正しなければならないし、組織の編制についても大幅な改編が必要となる。

 単純に半減された軍隊が、半減した戦闘力を発揮する訳では全くない。寧ろ、半減されれば、戦闘力は1/3や1/4にまで弱化するはずだ。

 財政赤字の解消も分からなくはないが、それよりも国防上の必要性の方が重要だろう。現状の国際情勢下で我が軍だけが軍縮をすれば、対抗同盟に付け入る隙を与える事にしかならない」


 動員令の発令やシルヴァニア侵攻の拡大に反対する閣僚でも、それぞれの立場や意見は、微妙にあるいは大きく異なっている。各閣僚は、政権の最高幹部であるだけでなく、それぞれの省庁の利害代表でもある。


「有事の兵力が不足したならば、予備役を動員すれば良いではないか。何も、平時に大規模な兵力を維持する必要もない。

 予備役の動員を前提とした軍事政策と戦争計画を策定すれば良い。現有兵力の維持でさえ、国庫に多大な負担を掛けているのだ。

 はっきり言って、160万人の兵力など無駄でしかない。動員体制を抜本的に強化すれば、少ない兵力でも、国防に十分となるだろう。

 平時に於いて、人口の2%以上を現役軍人が占めれば、借金漬けの財政のままで、国債の償還など望むべくもない。国力というものは、どんなに優れた経済力や軍事力、技術力を有していようとも、全て財政上の裏付けがなければ、砂上の楼閣に過ぎん。

 何よりも金だ。金で全てが動くのだ。金なくして戦えん。戦う為にも、金が必要だ。戦争をする為に、金を稼ぐのではない。金を稼ぐ為に、戦争をするのだ。あるいは、金を稼ぐ為に、戦争をしないのだ。

 我々がすべきは、戦争によって何を得るのかという事に帰結する。シルヴァニア侵攻によって、我が国は一体何を得るつもりなのか?

 条約を履行する為か?領土を拡大する為か?東部方面に港湾を確保する事か?今一度、戦争の果実について良く考えるべきだろう。

 もしも、その果実が割に合わないのならば、撤退する勇気がなければならん。そして、兵力の削減によって得られる果実が大きいのならば、軍事政策を転換する勇気が要求されている事も言うに及ばない。

 貴君らは一体何を欲するのか?私は、何よりも祖国の繁栄と平和を欲する。だからこそ、侵攻作戦の中止と兵力の削減を求めているのだ」


 財務大臣が平和主義者だから、戦争に反対している訳でも、軍縮を主張している訳でもない。寧ろ、彼は戦争政策によって得られる利益が大きいのならば、躊躇なく主戦派になるだろう。彼は、実利主義的に主張しているに過ぎない。実利こそ、政治の原動力であるべきだ。


 侯爵は、強硬に異を唱える財務大臣に、共感を覚えた。侯爵は政治家として赤字財政の常態化について、各界に警鐘を鳴らしてきた。その努力はついぞ果たせないままで、侯爵と財務大臣の警告が受け入れられる事はまずなく、国家予算と歳出の肥大化が著しい。


 絶大な政治権力を握る彼であっても、予算と歳出の削減には、閣僚と官僚の激しい反発を招いてしまう。


 一度決められらた予算というものは、それが上限でなく、下限になってしまうものだ。


 閣僚も官僚も、前年度より予算が増えると思い込んでいる。それは、歳入が増えなければ為し得ない幻想に過ぎない。


 重要閣僚から一通りの意見が出揃った所で、侯爵は閣議の決を採った。


「動員令特別法の施行につき、賛成2票、反対5票。よって、内閣は議会が要求する動員令の発令を拒否する」


 首席顧問官と外務大臣は落胆した様子だったが、反対票を投じた閣僚は安堵した。もし、賛成が上回れば、政権は崩壊するかもしれなかった。賛成が多数になった場合でも、閣議は多数決でなく、飽くまでも大書記官長の諮問に過ぎないから、拘束力がある訳ではない。


 しかし、大書記官長が事実上の拒否権を強行すれば、閣僚や高官は辞任してそれに対抗したかもしれないからだ。そうなれば、政治の混乱は避けられないだろう。


 それに、議会と国内輿論は大書記官長を独裁者だとか、職権の濫用だとかと言って批判するに違いない。政権運営に於いて、閣議の段階で決定できるのならば、それに越したことはないのだ。


 大書記官長は、即日、議会に対して動員令特別法の施行を拒否した事を通告した。それに伴い、共和国政府に対しても、シルヴァニア侵攻の縮小と撤退の可能性について通告した。


※※


マルクヴァルト邦国:全州議会


 大書記官長から動員令特別法の施行を拒否する通告を受け取った翌日、議会で開催された全院委員会は紛糾した。政権派と反政権派の政党は、互いに非難の応酬を繰り広げた。反政権派として議場に立った議員は、拳を振り上げて、気勢を挙げた。


「親愛なる議員諸君!!これは、立法府に対する挑戦だ!!大書記官長は、国民の代表である我々を侮辱し、無視しているのだ!!我々には国民が味方に付いている。輿論が味方に付いているのだ!!

 法律の施行を拒否するなど、言語道断!!大書記官長は議会の権威を蔑ろにし、独裁への道を歩んでいるのではないのか?

 これは、主権の問題である!!議会に託された主権が侵害されているのだ!!大書記官長を弾劾せよ!!この手で、独裁者を引きずり降ろそうではないか!!」


 議員の演説に対して、拍手と怒号がいつまでも続いた。委員長が何度も双方に静粛を求めるが、止まらぬ拍手や野次の声にかき消えていった。


「おーだぁー!!おぉーだぁー!!おぉーーだぁーー!!!!」


 委員長は、声を張り上げられるだけ張り上げて、議場の喧噪を静めようとしていた。やがて、双方共に疲れ果てたのか、段々と議場に静寂が戻ってきた。政権派の議員は、その時機を伺ってから、政権の判断を支持する演説を打った。


「私は、国民の代表として、理性と合理性に基づく政治を奉じる。政策決定は、一時の感情や狂騒に流される誘惑に抗い、冷静に判断しなければならない。

 私は、諸君に国民の代表として国家理性の信徒である事を期待したい。勇気を以て、意味のない勝利を捨てるべきである。

 我々は、我々の子息を戦場に送り、棺桶を量産する事があってはならない。未亡人と孤児を生み出してはならない。我々の子息を戦場に送る時は、国家を外敵の侵略から防衛する時でなければならない。 

 相次ぐ軍拡競争と植民地戦争に晒された我が国は、国土の隅々にまで疲弊した傷痍兵が横たわり、満足な生活支援も受けられず、人間が人間たる文明的・文化的な生活を送る事も叶わず、祖国を愛し、祖国を恨み、家族から見放され、市井から無視される現実を見よ。

 諸君が足を運ぶべきは、市内の演説台でも広場でもなく、路地の乞食に前職を訊ねてみよ。何と、国家に奉仕した退役軍人の乞食が多い事か!!

 一つの熱狂が、数万人の非自由人を生み出しているのだ!!国民及び議員諸君!!これは、我々の罪である!!これは我々が望んだ風景なのだ!!

 隣国の共和国には、廃兵院なる傷痍兵の病院があるらしい。それも、革命期でなく、王政時代からあるそうだ!!

 それに比べて、我が国の何と遅れている事か!!国民よ!!心に刻むと良い!!国家の為に戦った軍人に対する敬意を忘れた国家と社会は、その報いを受けるであろう!!

 議員諸君!!我が国が今為すべきは、動員令を発令する事ではなく、国内各地に廃兵院を建設する事である!!

 もしも、我々が退役軍人に対する敬意と恩義を忘れて、戦火を拡大するというのならば、現役軍人も我々を見捨てるだろう!!」


 演説の始めこそは冷静であった議員は、街中で見掛けた退役軍人の乞食を脳裏に浮かべて、声量が大きくなり、熱を帯びた。彼は、命が使い捨てにされている現状に怒りを覚えていた。


 誰も、国家の為に戦った退役軍人の事など、まるで存在していないかの様に、無視しているのだ。仮にも文明国が、自国民に対して植民地人よりも劣る生活を認めてはならない。


 国家の為に戦った軍人は、最大の敬意を以て、遇されなければならない。


 もしも、そうでない国家があるならば、やがて人々は軍務を忌避し、軍人を嘲笑するまで堕落する事だろう。その先の未来は、国家の滅亡あるのみである。


 採決の結果、大書記官長による事実上の拒否権発動を覆せるだけの特別多数決を得る事はできなかった。


※※


マルクヴァルト邦国:大審院


 動員令特別法に対する大書記官長の事実上の拒否権発動は、激しい政治論争を招いた。議会では、全院委員会を開いて、この議案を審議したものの、結局、政権派と反政権派の政党は意見の一致を見る事なく、先送りにされた。


 問題解決は、大審院に委ねられた。政治問題は、憲法問題になって大審院に送付され、法令審査で決着を図るしかない。


 大審院は、欽定憲法の時代から置かれた最高裁判所だが、単なる司法裁判所でなく、現行憲法では、抑制均衡チェックス・アンド・バランシスの原理に従って、立法府と行政府に対する権限も与えられている。


※※


マルクヴァルト邦国:大審院


事件:大書記官長の権限に関する疑義


結論:部分的に合憲


立法府に対する意見:大書記官長の拒否権に関して、憲法改正を含む立法措置が必要


理由の要旨:


①憲法が想定する大書記官長の役割:憲法制定会議の議事録によれば、大書記官長の役割は、欽定憲法時代に於ける君主の役割と権限を代替し、行政府を総理する事である。

 共和政体に於ける執政官職に相当し、国軍の統帥権や緊急権も保持する。憲法制定会議では、大書記官長がこれらの役割を十全に果たせる様に、単独の意思表示による行政権の行使を想定している。憲法は大書記官長の行政権に関して、大幅な裁量を前提としている。

 憲法制定会議の議事録を参照すると、古代から同時代の政体や政治体制について広範且つ詳細な検討を加えている事が分かるが、検討が加えられた古代の政体に関して、執政官職や護民官職、元老院や民会について、その利点と欠点、意義について詳述されている。

 それらの記述によると、憲法制定会議は、大書記官長に対して、執政官職のみならず、民衆の権利を議会から防衛する事も期待している事が発見できる。その記述を類推するに、護民官職権を指しているものと思われる。

 護民官職権はいくつかの権限に分かれるが、その中でも民衆の守護者として重要なのが、身体の不可侵権と拒否権である。歴史上、護民官職が果たした役割を思い出せば、憲法制定会議が期待する護民官的な機能とは、明らかに拒否権を指す。


②抑制均衡:抑制均衡の観点からも、大書記官長が各部の判断と決定に対して、権限を行使する事自体は正当である。各部は、他部に対して、相互的な抑制の機能と責任を負っており、事実上の拒否権の行使は、これに相当する。


③憲法の規定では、法案の署名などに対する君主大権の行使には、大書記官長の助言が必要である事からも、間接的に大書記官長の拒否権を前提としていると思われる。


※※


マルクヴァルト邦国・ヴァーツェン市郊外:侯爵別邸


 大書記官長(侯爵)は、大審院の合憲判決に胸をなでおろした。判決の如何によっては、自身の政治生命が終わりかねなかったからだ。


 しかし、依然として政権の判断を批判する言説には事欠かない。新聞社は、紙面を割いて何度も政権の対応を糾弾しており、輿論の半数近くもそれに追従した。


 本当に、民主政というものは面倒だ。何をやっても批判されるものだから、歴史上の独裁者がそうした雑音を嫌って、権力を集中させた気持ちが理解できた。侯爵は、自身の政権と政策を実現する為にも、議会に議席を持つ必要性を痛感した。


 彼自ら政党を立ち上げて、議席を確保し、立法に対する直接の影響力を持たなければならない。拒否権の保持と行使だけでは生温いという事が良く分かった。


 彼は、大貴族としての豊富な資金力を惜しみなく投入して、各政党に対する離間工作と人材の引き抜きを大規模に行おうとしていた。


 別邸に招待されたのは、政治家、資本家・企業経営者、業界団体などであった。彼らが侯爵の招待状に応じたのは、政治的イデオロギーだけが動機でなく、同国の最高権力者とその有力な側近集団に取り入って、人脈を築こうとする打算もあった。


 業界団体の会長が、新党結成の祝辞を述べた。


「――侯爵閣下の類稀なる指導力は、正しく我が国の舵取りに発揮されています。国家が政体と体制を変更する時は、往々にして混乱が見られますが、閣下の政治力は、これらの予期し得る混乱が発生する前に、予防に成功しておられるのです。

 その優れた政治的手腕によって、我が社及び我が社が加盟するメルケル紡績協会の各社は、順調に販路を拡大し、過去最大の利益率を上げております。これも、閣下及び閣僚による経済政策の成功によるものであります。

 私は、紡績業界を代表して、閣下の新党を最大限に支援すると共に、これからもその代え難い政治力と指導力を国家の為に発揮して下さる事を願って、これを祝辞とする次第であります」


 業界団体会長の祝辞に、一同は惜しみのない拍手と声援を送った。拍手と声援には、隠し切れない欲望が込められている。祝辞に対して、侯爵はそれが社交辞令に過ぎない事を理解していたが、これから自身が握るであろう政治権力の巨大さを想像して、思わず胸が熱くなった。


 何せ、絶対君主制・専制政治から、立憲君主制・民主政治へという政治体制の大転換によって、寧ろ、首相職たる大書記官長の権限は強化されたのだ。王位を継承した皇太子は、単なる元首・象徴でしかない。


 大書記官長は、邦国の執政官であり、護民官であり、非常事態では、国家緊急権を行使する独裁官でもある。これ程の強権は、古代の帝国でも、絶対王政の時代でも、当時の君主や将軍が目指して、結局は得られなかった。


 歴史上の専制君主でさえ、大書記官長の権力と権威と権勢に匹敵する者がいただろうか。彼は言うなれば、『統治上の皇帝』そのものであった。


 彼の称号は、皇帝でも国王でもないけれども、君主大権を上回る権力が、選挙という民主政の正当性によって与えられた。地球世界で相当するのは、米国大統領だが、一つ違う点があるとしたら、元首であるか否かという程度でしかない。


「○○会長、素晴らしい祝辞をありがとう。新党を結成した後も、私の持てる全ての力を使って、国家に奉仕する事を誓おう。全ては、我が国の繁栄と安全の為に!!」


 彼らが掲げた杯は、照明光を反射して、天井と顔貌を一層明るく照らしていた。


※※


ルペン共和国:総統府


 総統は、邦国政府からシルヴァニア侵攻の中止と撤退の可能性について通告されて以来、苦い思いで過ごしてきた。共和国政府は、邦国政府に対して、条約の完全な履行を要求したが、邦国公使にのらりくらりとかわされた。


 いくら、共和国政府が条約の履行を要求しても、一方が呑まなければ、シルヴァニア分割は停止される。国際社会には、国家を超越した懲罰的な権力は存在しないのだから、主権国家の決定が全てだ。


 条約は国家間の約束という点で遵守されるべきものだが、国内法との競合も起こり得るし、条約と国内法の優先順位は、結局の所、ハードパワーという実力によって規律される。


 そもそも、条約の不履行に関して、罰則規定は設けられていないのだから、条約を無視しようと思えば、いくらで出来てしまう程度でしかない。共和国政府が邦国の足元を見ていた一方で、邦国政府も又、共和国の足元を見ていたのだ。


 つまり、シルヴァニア分割の停止という条約不履行を起こそうとも、共和国は同盟を破棄しないと見抜いているのだ。軍事同盟は、両国にとって、条約不履行の問題よりも多大な利益をもたらす。


 同盟の締結によって、両国は無駄な戦争と国力の消耗を減らして、貿易と海外投資が活発化している。今更、同盟を無かったことになどできるはずもない。


 シルヴァニア侵攻と対抗同盟の結成は、共和国政府が演出した結果ではあったけれども、邦国政府は決して無能ではない。邦国も同盟関係を利用して、国益を追求するだけの国家理性を持ち合わせている。


 同盟関係とは、相互に利用する関係でもある。共和国政府が同盟関係を利用して、邦国の勢力をコントロールしようとすれば、邦国政府も同盟関係を利用するだろう。


 国際関係というものは、単純な勢力均衡の原理に従う訳でなく、相互作用によっても変化をもたらす。相手は抵抗してこない木偶の坊ではない。相手はこちらに反応し、裏を掻こうと動くという事だ。


 国際政治は、そうした双方の反応の集積体でもある。今回の件は、まさに国際政治の本質が良く表われている。


 邦国政府の対外政策が変更された以上、共和国政府もそれに呼応するか否かを決めなければならない。総統は、外交政策担当の上級顧問官が提案した経済力による侵略と連邦制による国家統合について真剣に考える様になっていた。


 しかし、下手を打てばこちら側が邦国に呑み込まれかねない。対抗同盟に秘密加盟した共和国だったが、それを破棄する時が来たのかもしれない。


 総統は再び、信頼できる側近達を自身の執務室に呼び寄せて、対邦国政策の修正案を諮った。対シルヴァニア政策を担当する上級顧問官は、邦国のシルヴァニア侵攻を中止させるべきでないと進言した。


「我が国は、徹底的に邦国を戦争の泥沼に引きずり込まなければなりません。現状のままで、邦国軍の撤退を許せば、邦国軍の兵力を削れるのは、精々が1個軍かそれ以下でしかありません。

 もっと邦国軍を公国に投入させる必要があるのです。最低でも100万人の戦死者数を出血させるべきです。

 我が国の戦略目標は、邦国の人口基盤を攻撃する事で、我が国が劣勢に置かれている最大動員能力の格差を縮小させる事に置くべきです。邦国の人口を我が国と同等かそれ以下にするべきなのです。

 そうでなければ、我が国は邦国に併呑されるかもしれません。とにかく、我が国の対邦国政策は、国力の消耗と出血の強制を目的とするべきです。

 従って、シルヴァニア侵攻を拡大させるだけでは不十分です。統治の限界点や領土拡大の限界点を、邦国政府自ら突破する様に仕向けなければなりません。領土拡大と軍拡競争によって、邦国を自滅させるべきなのです。

 即ち、邦国の西部方面に拡がる旧帝国領の併合も認めて、邦国の内部から崩壊する様に諜報活動を積極的に行うべきです」


「それは何とも、同盟国に対して行う対外政策ではないな。寧ろ、敵国に対する対外政策とそう変わらない」


「国際関係には、永遠の友も敵もいないと言いますが、国家にとっては、全ての他国が潜在敵国でしょう。いつ敵対しても、戦争しても良い様に、できるだけ邦国の内部を浸食するべきです。

 国力や戦争遂行能力は、物質的な基盤だけでなく、精神的な基盤も重要です。ですから、それらの精神的基盤を攻撃して、邦国輿論を扇動したり、分断したりする必要があります」


「だが、あからさまに我が国が邦国に対して、シルヴァニア侵攻の継続や拡大を要求すれば、相手方に怪しまれるのではないか?

 条約の履行を根拠とするだけでは、どうしても弱い。要求するのならば、法的根拠だけでなく、政治的な正当性も加えなければならないだろう。邦国政府を納得させるだけの正当性は絶対に必要だ」


「国境画定条約では足りませんか?我が国が領有する旧帝国領の防衛の為に、シルヴァニア分割という条項を入れた事は、邦国政府も良く理解しているはずですが」


「それだけでは、理由としてはまだ物足りないな。もう一押し必要だ。我々が為すべきは、邦国政府を納得させるだけではなくて、邦国の人民も納得させなければならないのだ。

 何せ、邦国も我が国と同じ議会制なのだからな。邦国の選挙を踏まえれば、邦国の人民こそ宣伝戦の攻撃目標だろう?」


「つまり、邦国の国是である『旧帝国領の回収』と『民族統一』を以て、邦国市民に訴求するという事でしょうか?」


「その通りだ。それに加えて、旧帝国領の少数民族に援助する必要もあるだろうな。そろそろ、宣伝戦を専門とする省庁を新設しなければならないと思っていたが、この機会に作ってしまおう。各省庁と軍部にばらばらになっている対敵宣伝部門を統合化する必要があるな」


「それは、省レベルで新設するのでしょうか?」


「いや、それだと周辺諸国に疑惑を抱かせるだろう。飽くまでも、秘密裡に為されねばならない。総統府に部局レベルで設置する。将来的には、省への昇格も有り得るし、新聞社への検閲機能も追加するかもしれない」


「では、公国以外の旧帝国領を侵攻させる計画は、どの部署が立案するのでしょうか?対シルヴァニア政策の立案研究と同じ様に、外務省を排除して、総統府と軍部にやらせますか?」


「勿論だ。総統府のシルヴァニア政策課を発展拡大させて、対邦国政策部門を新設しよう。部門の責任者は、政策課長が引き続きやれば良い」


「何だかこのままだと、総統府が第二の外務省になりそうな勢いですね」


「できる事ならば、第二でなく、第一の外務省にする必要があるな。そもそも、外交政策の主導権は、外相でも外務官僚でもなくて、元首が握るべきなのだ」


 総統は、外務省や外交官連中を全く信用していなかった。彼にしてみれば、外務省は外交政策の事務局に過ぎず、政策省庁としての価値を感じないし、与えるつもりもない。


※※


ルペン共和国:総統府・平和局


 総統府のシルヴァニア政策課を発展させた対敵宣伝部門は、「平和局」という政治的修辞によって、堂々と組織の看板を掲げた。勿論、彼らが言う所の「平和」とは、共和国にとっての都合の良い国際秩序であって、地域の平和だとか、世界の平和といった類のものではない。


 平和局は、外務省の政策立案能力を奪って、対外政策の中核となるように、周到に準備された。


 総統は、『自由の十字軍』やら、『革命の輸出』やらに拘る外交官・外務官僚を蛇蝎の如く嫌悪している。政治的イデオロギーに縛られるあまり、非現実的な外交しかできない無能な連中だ。


 外交とは、説得と妥協の技術に他ならない。外交官が活躍する国際場裏では、現実主義が支配しているのだ。


 平和局長に任命された上級顧問官は、最近の出世の速さに驚いていた。彼が総統府の上級顧問官となったのは、彼の現実主義・実利的な外交を厭う外務省が、総統府に厄介払いした結果で、つまり左遷だ。


 それがまさか、局長クラスまで伸し上がるとは、人生とはかくも分からないものだ。左遷を嘆いた妻や家族も、思わぬ出世にとても喜んでくれている。


 シルヴァニア政策課長だった頃は、10人程度の部下しかいなかったが、今では専任職員が300人を超える大所帯だ。官僚がポストに執着する気持ちが今となっては良く分かる。


 上に行けば行くほど、部下の数が増え、権限も大きくなる。それ以上に責任が重く伸し掛かるが、それすらも何だか感慨深いというか、心地良く感じる始末だった。


 総統は、この一部局を外務省の代替とするだけでなく、共和国の国益を増大させる謀略機関として、自身の権力基盤を図るつもりだ。そして、ゆくゆくは外務省を廃止して、平和局を平和省に昇格する事さえ視野に入れていた。


 角逐の激しい西大戦洋地域に於いて、国家の独立を存続させる為には、潜在敵国を同盟関係で拘束して、周辺諸国との対外関係を悪化させて、抑え込まなければ、共和国の生存権は確保し得ないだろう。


 勿論、その先には上級顧問官が提案した様に、共和国が主導権を握る国家連合・連邦の誕生も十分に有り得る。彼はその光景を思い浮かべて、北叟笑んだ。


※※


ルペン共和国:総統府・平和局


 平和局長は、自局の幹部職員に向けて訓示を垂れていた。


「さて、諸君。本日から業務が正式に開始される。我が局の任務と目的は、共和国の体制を擁護し、共和国の平和を確立し、共和国の繁栄を保障する事にある。

 体制の擁護とは、革命によって打ち立てられた共和制の敵を排除するという事であり、共和国の平和とは、我が国が支配する秩序の挑戦者を葬るという事であり、共和国の繁栄を保障するという事は、我が国の生産能力を背景として、他国の市場を攻略し、現地企業を駆逐するという事だ。

 我が局がこの任務に邁進すれば、やがて我が国は、周辺諸国を衛星国とする自由主義の帝国を建設するであろう。

 自由主義の帝国とは、人々が選挙を通じて代表を議会に送り、自由な通商活動によって、永遠の経済成長を甘受するという事だ。諸君はこの高邁な目的に沿って、政策を立案し、実行しなければならない。

 古来、帝国はその巨大さと不安定さ故に、内部の崩壊を繰り返し来た。しかし、共和国が歴史に加える帝国とは、代議制と所得の向上によって、社会の分断を防ぎ、諸民族の自治と自由が保障された連邦に他ならない。

 従って、我が局が立案を託された平和政策とは、共和国による平和を通じた諸民族の繁栄なのだ。我々は、その尖兵となって、最大の領土と人口を獲得しなければならない。革命を為し遂げた我々市民こそが、自由主義の帝国足り得るのだ」


 彼の訓示は、矛盾に満ちた意味のないものだった。要するに、平和局とは間接侵略機関であり、将来の自由主義帝国の準備室だ。戦争政策によるのでなくて、平和政策によって、領土と人口を拡大するのだ。



Ⅰ解説・用語解説(2019.10.10. 現在)


帝国の墓場⇒アフガニスタン


全州議会:マルクヴァルト邦国の公選議会。


廃兵院:傷痍兵の為の医療施設。⇒アンヴァリッド廃兵院


退役軍人の乞食⇒米国のホームレス問題


大審院:マルクヴァルト邦国の最高裁判所。新憲法によって、法令審査権が付与された。


大書記官長の拒否権に関する判決⇒米国大統領の拒否権に関する歴史的経緯と判例


メルケル紡績協会:紡績業界の圧力団体。


「国際関係には、永遠の味方も敵もいない」⇒政治の格言


総統府平和局:ルペン共和国の対外政策部局。c.f. 『1984』の平和省


自由主義帝国⇒非公式の帝国


Ⅱ書評・感想


『制限戦争指導論(The Conduct of War)』著:ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー(原書房)


①概要:著者は、理性と政治から外れた戦争の犠牲を嘆く。戦争の目的は平和である。戦闘では、敵の破壊や勝利が追求されるが、戦争全体では、敵から降伏を引き出し、対立関係から友好関係へと転換しなければならない。著者に言わせれば、ナポレオン戦争、南北戦争、二つの世界大戦は、まさに理性のたがが外れた野蛮な戦争に他ならない。それらの戦争は文明的とは言い難く、部族的な戦争だと指摘する。敵戦闘力の撃滅と戦争継続能力の破壊は、戦争の解決と平和への移行をより困難にさせる。

 戦争は、政治目的に奉仕しなければならず、それは平和であるべきで、敵を滅ぼす事では決してない。戦争の動機が復讐であってはならず、それは人間の文明を部族の時代へと退行させる行いである。著者は、政治家の戦争指導を厳しく指弾する。もしも、政治家が戦争の性格を正しく認識していたのならば、無意味な犠牲を支払う事は無かったからだ。


②クラウゼヴィッツと絶対戦争:著者は、クラウゼヴィッツ主義に賛同しつつも、戦闘力の撃滅には異を唱えている。クラウゼヴィッツ少将は、戦争の理論的形態と現実的形態として、絶対戦争(無制限戦争)と限定戦争(制限戦争)を挙げたが、戦争の目的が平和であるという事を理解していないと著者は批判している。

 それ故に、政治の手段として発動された戦争が、限定戦争でなく、絶対戦争の形態を現わす。限定戦争的な戦争指導と戦争政策を採るべき場合に於いて、絶対戦争的な戦争指導と戦争政策を採るという致命的で倒錯的な錯誤、あるいは政治的な過失を犯している。戦争の本質と性格を正確に理解していないが故に、限定戦争がいつのまにか絶対戦争に取って代わられて、復讐と敵の絶滅という感情が、敵との講和交渉という理性を駆逐してしまっている。

 優勢な我が方が、劣勢な相手方に対して、無条件降伏を突き付ければ、それは講和交渉というよりは、単なる平和の押し売りに過ぎない。勝者の特権として、敗者の軍備や矜持を踏みにじる事は、一時の快楽をもたらすが、それが将来の戦争を敗者に準備させるという事を良く理解しなければならない。平和という戦争目的に適合しない手段による戦火の拡張は、双方による殲滅を招くだけだ。戦争手段が、戦争目的を呑む込む事があってはならず、飽くまでも手段を目的に従属させなければならない。


③内部戦線:戦線は外部だけでなく、国内にもある。内部戦線とは、対外戦争を遂行する国内社会の精神的な基盤を指す。戦争に於いては、敵軍の兵力と軍備だけに攻撃が指向される訳でなく、敵国の輿論だとか、少数民族だとか、様々な社会問題といった精神的基盤も攻撃目標となる。これは、言わば中世ヨーロッパ時代に於ける戦争術の復活である。中世ヨーロッパの君主達が、敵の国庫を払底させようと戦争を仕掛けたり、攻城戦で敵兵を寝返らせたりした時代の到来とも言える。それは、核兵器の登場と冷戦時代によって、ますます拡大した。


④対独政策:戦争が外部戦線だけでなく、敵の内部戦線の分断を図る事も目的とするのならば、相手方の全てを敵と定める事は、実に愚かな事だ。敵の内部戦線を分断する事によって、敵軍の士気や叛乱・クーデターを誘発しやすくなる。

 しかし、第二次世界大戦に於ける連合国の対独政策は、内部戦線の分断に失敗しているどころか、寧ろ、ドイツ国内の結束や城内平和を幇助している。ドイツ軍参謀本部の中には、ヒトラー政権に反感を持ち、実際に何度も暗殺未遂を繰り返していた反ヒトラー集団があったにも関わらず、連合国は、彼らを見殺しにした。

 ドイツ人の全てを敵とする政策は、ヒトラー政権に反対するエリートをして、反対が無意味である事を悟り、従って、ヒトラー政権と共に連合国と戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまった。反ヒトラー政権のドイツ人エリートの集団は、何度も連合国と接触を図って、降伏の条件について交渉しようとしていたというのに、連合国はそうした努力を復讐という狂気で台無しにした。

 つまり、政治家の職務怠慢によって、これ以上の戦死者を出さずに講和ができる機会が何度も連合国に訪れたのだが、連合国の政治家はこうした成果を活用せず、自国民の棺桶を量産させたのだ。本来、戦死するはずではなかった大勢の軍人が、政治家の戦争指導によって、無駄死にしたという事だ。連合国は、戦争に勝利したけれども、あまりにも大きすぎる犠牲を支払った。しかしそもそも、ドイツの反ヒトラー政権集団を支援していれば、死体の山を築く事もなかったかもしれない。著者は、こうした政治家の戦争指導に、怒りをぶつけている。


⑤総括:本作は、戦争指導に着目しているという点で、政軍関係に興味がある者は、一読の価値がある。著者による共産主義に対する深い洞察と敵意も読んでいて面白い。しかし、半世紀以上も前に出版されたものであるからなのか、軍事史に関する描写は古臭いし、訳者によるあとがきにしても、イラク戦争が成功しつつあるという明らかに誤った認識がとても残念ではある。願う事ならば、冷戦後の現代の事例を集めた戦争指導について執筆して欲しいと思うが、著者が死亡している以上、それは叶わない。

 クラウゼヴィッツの戦争論についても言える事だが、現代の戦争や最新の研究成果とはそぐわない部分が多い様に思える。仕方がない側面、戦争指導という着眼点が未だに色褪せる事はないという点が、救いではあるけれども。将来、本作が軍事の古典として読み継がれていくかどうか、私はどうも時代に忘れ去れていくのではないかという予感がする。

 戦争論が不朽の名作となったのは、戦争の本質を鋭く描写したからに他ならない。現代でも通用する概念や原則を見出したからでもある。だが、本作にそうした不変的な概念や原則があるかというと、かなり怪しいだろう。著者の指摘のいくつかは、戦争の本質について捉えているが、それは他の名作で吸収できる程度のものでしかない。そうなると、やはり本作は忘却の運命にあるのかもしれない。



Ⅲあとがき


本作を読み返してみると、やたら会議の場面が多い様に感じます。これでは、架空戦記というよりは、政治小説ですが、本作では、政治指導者の意思決定に重点を置いていますから、こうなるのも止むを得ないのかなと思いながらも、会議の場面よりも、戦争の描写を早く書きたいという欲求に駆られます。ですが、戦争が政治の手段であるかどうかは置いておくにしても、政治的な営みである以上は、架空戦記を執筆するという事は、政治小説を執筆するという事でもありますし、政治の描写に欠けた戦記というものは、戦争の原因や背景が除去された、独立した現象としての戦争という有り得ない戦争観を助長するだけでしょう。


さて、いよいよ次章では日本が再び登場します。占領政策に苦闘し、戦争遂行能力が大幅に低下した日本に残された道は二つしかありません。即ち、先制核攻撃による平和か、それとも外交と通商による平和の何れかに一つです。本作は、シミュレーション小説でなく、飽くまでもフィクションですから、核兵器を最初に使用してしまうとそこで物語が終了してしまいます。ですから、物語を継続する要請として、当然、外交政策・通商政策へと転換していく訳ですが、常に変化する国際情勢の如何によっては、勿論、戦略兵器の使用も有り得るでしょう。


まさか、一周年も本作が続くとは思いもしませんでしたが、継続は力なりと言いますし、とりあえず、第一部を完結させるまでは、書き続けようと思います。でも、これは一体何十万字で完結するのでしょうかね。30万字でも完結しなかった以上、40万字でも足りないのかもしれません。






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