5 迎えに行くよ
5 迎えに行くよ
ほんと、なんなんだ、君は。
一日中、何をやっても一つのことしか頭にない。今だって、ギターに触っていて、ギターのことだけ考えていたいのに、別のことを考えてしまう。例えば、自分のギターを弾く手を見て、小塚さんの手はもっと柔らかくて、小さかったなぁ、とか。
最近の俺は変だ。なんにでもイライラして、無駄なことをしてしまう。ただ純粋に気に入らない奴をボコボコにするならいいけど、そうじゃなくて、誰か、特定の人間に対してイライラして、それでその辺の野郎に攻撃するなんて、なんだか俺が八つ当たりしてるみたいでかっこ悪い。イライラの原因は分かっているけど、だからって俺にその原因を壊してやろうなんて気はおきない。やっぱり、俺、おかしい。
音楽室の時計を見たら、そろそろメンバーがそろうころだ。普段なら、小塚さんが一番最初に来るんだけどな。あぁ、やっぱり止めよう。今日は調子が出ない。本当にいらないことばかり考えてる。しばらく眠ろう。
椅子を並べてその上に寝転がる。硬くて背中が痛い。それがまた俺をイライラさせる。このまま俺が寝付くまで誰も来るなよ。寝てしまえばどれだけ五月蝿くしようが、俺、起きないから。
今、来るなと思ったところなのに、誰かが五月蝿い音をたててドアを開けた。誰だよ。
「渉!」
「……うわ、清輝じゃないか。殺していいかな」
「久々美、……じゃなかった、小塚さんからメールが!」
「なんだって?」
なんで俺じゃなくて清輝にメールしてるんだ、あいつ。というか、なんで清輝が小塚さんのメアド知ってんだよ、しかも今「久々美」って呼ばなかったか? めちゃくちゃ腹立つな、もう。
しばらく寝ていたから、ちょっと意識が浮上してきて、そろそろ起きようかなぁ、と思ったけれど、起きたらまたくだらないことを延々と考えちゃいそうだったから、やっぱりまた眠ったほうがいいかもしれないと思いなおした。ぐいっとタオルケットを引っ張って、しっかり首まで持ち上げる。あぁ、あったかいなぁ。もうこのままずっと眠っていられたらいいのに、とか思っていたら、突然私の部屋のドアが、開いた。それはもう、バーーーン! って開いた。ものすごく大きい音にビックリして、え、これもうドア外れたんじゃないの? って真面目に思うくらいだった。私の部屋に車突っ込んできてません? 来てますよね? ってくらい大きな音だ。ていうか、誰? 誰ですか? ご、強盗? じゃなかったら、泥棒? あるいはヤクザ? こ、怖っ! あ、お母さん、大丈夫かなっ? 酷いことされてないかな? 心配だー! そして自分の身の安全も心配だー!
緊張してなかなか動かない体を叱咤して、なんとかドアの方に首を向ける。ぎぎぎ、って音がしそうな動きだ。私の部屋にバーーーン! ってすごい音たてて入ってきた侵入者を見て、私は卒倒しそうだった。もう、これ、起き上がれないなんてもんじゃない。全身の筋肉が硬直しちゃってるよ。もしくは全神経麻痺状態だよ、ほんとに! よし、この場合はあれだ、必殺死んだふり! お願いします、強盗さん、泥棒さん、ヤクザさん、とにかく何でもいいので、今のうちに私の家に来てください。この展開だけは本当に勘弁して、っていうか、ないので。ありえないので。あれ、いや、待てよ? もしかして、さっきのメール……。
「小塚さん、おはよう。……狸寝入りなんていい度胸だね?」
豪快に私の部屋のドアを開け放した東雲くんは、もう一度ドアを蹴って、ニッコリ笑った。細められた目元、微笑む口元、夜色の繊細な髪、あぁ、やっぱり綺麗だ。……なんて考えている余裕なんて私にはこれっぽっちもない。だってさ、明らかに怒ってるもんね、東雲くん。目がちっとも笑ってないもんね。あの悪いお兄さんたちボコボコにしたときと同じ顔してるよ。やばい、ほんとこれ、マジに終わりだ、いろいろと!
夢だったらいいな。東雲くんのことばっかり考えてる私の儚い妄想で、現実の東雲くんはちゃんと学校で他の三人と一緒に楽器いじってんだよ、きっと。とか思ったけど、やっぱりそんなことはなくって、東雲くんは実際に私の部屋の中にいて、冷めた目で私を見た。東雲くんの口の端がもう一度吊り上がって、綺麗な弧を描いた。
「起きて、小塚さん」
あ、これ、久々に死んだな。肉体的にも精神的にもやられるな。だったらまず肉体的に壊す方からにしてほしい。先に精神的に壊されちゃったら、私はまたバカみたいに泣き出してしまうだろうから。
東雲くんは笑顔をすっと消して、今度は無表情でゆっくりと私のいるベッドに向かって歩いてきた。きゃー、東雲くんが私の部屋に! ドキドキ! とか、さっきも言ったけど今の私にそんな余裕はない。あぁ、終わりだ。なんかもう、いろいろ終わりだ。どうにかしろ、諦めたらダメだ。諦めたらそこで試合終了だ、とか誰かが言ってたような気がする。いや、それはどうでもよくって、とにかく落ち着け、私の頭! なんだか脳味噌はフル活動しているけれど、体中が痺れてるみたいに、手も、足も、首も、全部動かない。
私がオロオロしているうちに、東雲くんはベッドのすぐ脇まで来ていて、ちょっと前の音楽室のときと同じように、私にかかっているタオルケットをすごい勢いで引っ張った。イヤーーー! やばい、逃げたほうがいいかな、逃げられるかなとか、ここ二階だし、逃げられるわけもないのにとか考えてる私って、やっぱりバカだ。それで結局なんにもできなくて、口をパクパクさせるくらいしかできない私って間抜けだ。
東雲くんはタオルケットを床に放って、私を見下ろした。ゆっくりと瞬きをすると、長い睫毛が上下に揺れる。
「小塚さん、なんで俺の言うことが聞けないの? 俺の家、行くよ」
「へ……、え?」
「早くして」
「な、なんで」
「メールしただろ? 見てないの?」
「……み、見てないです」
「そう。ねぇ、早くしてくれない? いつまで寝てるつもりなの?」
「っつか、なんで東雲くんが、私ん家」
「そんなのどうでもいいだろ。早く起きて、行くよ」
「し、東雲くん家に何しに行くんです、か?」
東雲くんは何言ってるの、みたいな不快そうな顔をする。
私の声は震えていて、泣けてきて、目から涙がボタボタ落ちた。何泣いてるんだ、バカじゃないの? こんなすぐ泣く女、ウザイだけだ。私は東雲くんに泣いているのを見られたくなくて、顔を手で覆った。うわぁぁん、もうやだ、もうやだ。東雲くん、怒ってるよ、怒ってる。私、もうダメだ。まだ強盗と泥棒とヤクザがいっせいに襲ってくるほうがマシだった。でも、私の口は止まらなくて、さっき声が出なかったのが嘘みたいだった。
「私、具合が悪いので帰ってください」
「今来たとこじゃないか、俺。っていうか、ちゃんとメールしたんだから、俺は悪くないでしょ?」
「そんなの知りませんよ。だいたい私寝てたんだから、メールなんか見れるわけないじゃないですか」
「小塚さん、俺はお願いしてるんじゃない。命令してるんだ」
東雲くんが私の腕をつかんだ。強い力だったけど、私は抵抗した。これ、本当に私なのかな? おかしいな。だって、前は東雲くんに触れられて嫌だと思ったことなんかなかったのに。傷を消毒してもらったときも、ぎゅってされたときも、首にキスされたときだって、嫌だと思わなかったのに。でもさ、あれは、あれは、私が勝手になんかドキドキして、東雲くんは、東雲くんは、きっと、私みたいに思ってないんでしょう? 本当に、どうしてあんなことしたんだ、彼女いるくせに! そう思ったら、悲しくて、苦しくて、痛くて、涙が止まらなくなる。どうしよう、東雲くん。私、私は……。
「ど、どうし、て、私が、東雲くんの言うこと、き、聞かなくちゃいけないんです、か?」
「どうしても、だよ」
東雲くんはさも当然のように言って、私のわき腹をつかんだ。そしたら抵抗する間もなく、ショムニの江角マキ子みたいに、東雲くんは私を肩に担ぎ上げた。私、脚立みたいだ。
「なななななななな、何するんですか、東雲くん! わ、わ、わ、ちょっと、これな、な?」
「五月蝿いよ、小塚さん。これ以上騒いだら口を塞ぐ」
「……!」
東雲くんに凄まれて、私は大人しく口を閉じた。わ、私、人に凄まれたの初めてだよ! こんなに怖いものだったんだね。
私のお腹が東雲くんの肩に当たっていることに気づいて、グッと腹筋に力をこめてみた。ぶよぶよってばれてないといいな……。
そのままの体勢で東雲くんは階段を降りていく。足がぶらぶらして不安定で少し怖かったけど、途中で東雲くんが支えてくれた。
「あんまり手間かけさせないでくれる?」
東雲くんが、面倒くさそうな声で言った。え、何が?
っていうか、私、このまま東雲くん家行くの? パジャマのままなんだけど……。